閑話2 少女アグネス
本編関連頁
・ 36 近衛兵達 マルト、トマス、ユリウス
・ 44 母と子、再会する
・ 56 神殿で待つ子供達
・ 62 オステンという地
私のアグネスという名前は、父様が付けてくれたわ。
何でも、五世陛下のお妃様の名前なんだそう。
父様が言うには、五世陛下の実の妹君、クレア姫は有名だけど、お妃のアグネス妃はあんまり有名じゃない。でも、五世陛下の御代を陰で支えたのはアグネス妃だ。この子も誰かを支えてあげらるような、強く優しい子になるように、と思ったから、あやかってみたんですって。
そんな大層な名前を付けられたのが庶子だなんて、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
でも、父様の子は私と弟だけだし、弟なんてアーデルヴェルトなのよ。聖王陛下のアーダルヴェルトと一字違いなんて凄く畏れ多い。
それを思うと、うっかりクレアとか付けられなくて本当に良かった。
あ、父様は、フォートルイネン伯爵のことよ。……ええと、地理で言うと、オステン領の飛び出してるところの領主。あの、ズューデン領に突っ込んでる長い土地。分かるかしら。
そうそう、フォートルイネン伯爵は、それなりに愛妻家なのに、何で庶子なんかがいるのかというと、理由があるの。
父様の正妻のナタリエ様には、お子が出来なかった。正確には出来たけど死産だったの。それからお子が望めなくなり、母様が代わりに子を産んだ。それが私、アグネスというわけ。
母様の一家は、フォートルイネン領の隣の伯爵家領地で宿屋をしているわ。ナタリエ様のご実家の領地なの。けっこう古い宿屋よ。まあまあ広いけど、ボロいし。
でも、フォートルイネン領に近い宿屋はここしかなくて、ご実家へ里帰りするたびナタリエ様はご利用下さったんですって。当然父様も利用したそう。
見知った仲の気安さで、お泊まりになったときに相談されて、取引の上、お手がついたって言ってたわ。
取引内容は、古くなってきた宿屋を支援する代わりに子を産むこと。産まれた子が男だったら伯爵家の跡取りに、女だったら宿屋の跡取りにして、女が二人続いてしまったら最初の子供を伯爵家の跡取りに迎える、と言う話にまとまったそうよ。
だから私は、小さい頃フォートルイネン伯爵領で暮らしたことがあるの。
私の後に産まれたのは弟で、乳離れしたら、はやばやと引き取られていってしまったわ。
大丈夫、時々だけど弟とは会って話もしてる。
あんまり姉弟って意識は無いけど、仲悪くは無いわ。今も遊びにおいでって言われるし。
それで、伯爵家の子を産んでも、宿屋の跡取り娘だった母様は実家を放っておけなくて、お側にあがるのだけはお断りしたの。
元気なお婆様と一緒に、そのまま市井で宿屋をしていたかったんですって。
ここが無くなったらお客は何処に泊まるのよ、って言ってたわ。この古い宿屋をお婆様も母様も大事に思っているの。私も大好き。
ナタリエ様はその取引を、仕方がないことね、と寂しそうに微笑まれた。
お婆様はさばさばと、これもナタリエお嬢様をお助けする方法のうち、なんて言う。母様は大事なナタリエ様の頼みでなかったら、絶対にうなずかなかったと笑って言う。
お婆様はうんと昔、ナタリエ様の乳母をしていたから、二人とも、とてもナタリエ様贔屓なのよ。
母様の夫はどうしたのかって? ううん、母様は結婚してないわ。結婚したい相手がいないけど、子供は欲しかったから、丁度よかったって。
全然甘い話じゃなくて、つまらないわよねぇ。
私がオステンの神殿から家に帰ったとき、母様とお婆様は既に領主様の館の牢から解放されていて、宿屋はもう常と変わらない状態に戻ってた。
常連の泊まり客も帰ってきていた。とてもほっとしたわ。
私を家まで連れて来たのはトマス叔父さまで、床にひれ伏す勢いで謝ってた。
「本当に申し訳ない」
「でもトマス坊ちゃん、アグネスはお手付きじゃ無いんでしょ?」
お婆様は結構あけすけだ。
「うん、そうだけど、でもすまなかった。怪我させた」
「王都に行きっぱなしだった坊ちゃんに、こっちで何ができたっていうんです。頭を上げて下さいよ。偉い人が、ぺこぺこするもんじゃございませんよ。元気に生きてる。それで充分ですよ」
気の強いお婆様がキッパリ言い切った。
母様が私を一度ぎゅっと抱きしめて離す。それから笑って言う。
「うん、アグネスだわ。変わらないわ。かえって前よりたくましくなったみたい。強くていい女になってきたね」
「本当に?」
思わず聞くと、頭を撫でられてしまった。強い女に撫で撫ではしないと思うのだけど。
「ほんとほんと。いい顔して。何か良いことあった?」
「友達が出来たわ。オステンの表通りの『踊る雀』の子。ミリヤムって言うの。あと、私兵団長のシダーラント様に会ったわ。牢屋から出られたの!」
「あらまあ。やったわね!」
「おや、良かったこと。元私兵団の連中もほっとするだろうよ。良くやりなすったね、坊ちゃん」
お婆様の顔も綻んだ。
元私兵団の人達は宿屋のお得意様方だ。今はみんなフォートルイネン領で働いてて、たまに里帰りするとき、うちを利用してくれている。
トマス叔父さまの頬が少しだけ赤くなる。
「いや、私じゃなくて第一王子殿下が」
「もう、その殿下の下に居たんでしょう。誇りなさいよ、もっと!」
「ええぇ、なんか厳しいなぁ」
母様に言われて首をすくめる叔父さまに、ちょっと笑ってしまう。トマス叔父さまは、いつもうちのお婆様と母様に頭が上がらない。
昔、母様を父様の浮気相手と勘違いして怒鳴り込んで来てからずっとそうらしい。
「叔父さま、どうもありがとう。父様によろしく言っておいて下さる? あんまり怒らないように」
「無理なこと言わんでくれよ。もう怒ってるって」
「お屋敷には戻らないからって言ってね」
「知ってるよ……はぁ」
トマス叔父さまが溜息を吐くと、母が追い打ちをかけた。
「うちのアグネスのことより、そろそろトマス様も腹をくくったらどうです。王都に逃げていられるのも限界でしょう? ……縁談」
「くっ」
叔父さまは両手で顔を覆った。
「そんなに苛めないでくれよ。理想の女性がいないんだ」
「まだそんなこと言ってるんですか。コンスタンツェ様もとうにお嫁に行ったじゃないですか」
「あの方は、なんて言うか、結婚なさってから変わってしまわれて、思ってたのと違ったというか。夫にべったり系はちょっと」
「面倒臭い。そんなに気の強いのが好きなら、北の女王陛下のとこにでもお婿に行きなさいよ」
「恐い人は嫌だ」
お婆様も母様も、呆れ顔で手を振った。犬を追い払うみたいに。ちょっと失礼だと思うんだけど。
「もういいから、早く帰って仕事に戻んなさいよ」
「お役目ご苦労様でした」
「冷たい!」
叔父さまは泣いた振りをするが、母様もお婆様も全く気にしない。
でも、トマス叔父さまはこんなやり取りを気に入っているのよね。もじもじする温和しい女の子より、遠慮が無い女性の方が好きなの。
苦笑いしていたら、何故か叔父さまにぎゅっと抱きすくめられた。
「うう、可愛いなあ。ここで俺に優しいのはアグネスだけだよ」
「そうかしら。優しくした覚えって特に無いんだけど」
「冷たくも厳しくもないじゃないか」
「ええー? 基準がおかしくない?」
叔父さまは私を離すと、しょぼくれた声を出した。
「もう、いっそのこと、ここに養子か婿入りさせてくれないかなあ」
「馬鹿言ってないで、お仕事なさいな坊ちゃん」
「うちの厨房で宮廷料理が作れるんでしたら、今すぐ雇ってあげますよ」
「そうね。用心棒は常連客がやってくれるものね。いらないわ」
「やっぱり厳しい!」
皆でひとしきり笑った。
また、楽しそうにしている皆を見ることが出来て、良かったと思った。
何かを一歩間違えていたら、私は今頃、余所の国で競売にかけられて、奴隷になっていたかも知れないのだ。
こうしていると、じわじわと助かった実感がわいてきた。家に帰れて、本当に良かった。
……それにしても、叔父さまの"アグネス妃"はまだ見つからないみたい。
ほんのちょっとだけ、ずっと見つから無いんじゃないかと心配してるのは、黙っておこう。




