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第十三話 燕山竜鱗寺





馬車が走り出してどれぐらい経っただろうか?ラファエルは走る馬車の窓から外の様子を見る。辺りは茶色い広大な大地が広がっている。土が剥き出しで緑がない。果たしなく辺り一面、広がっている。その遠い先に大きな山が連なって見える。馬車の御者によると、あの山が目的の燕山だそうだ。山の中腹ぐらいまでは馬車で行けるが、その先は歩いて向かってくれとの事だ。後、半日もあれば山の麓に着く。そこで一晩過ごし、明朝竜鱗寺を目指す。ラファエルはチラリと神楽を見る。神楽とは馬車に乗ってから、一言も喋っていない。とても気まずい‥。神楽は自分の武具の手入れをしている。小型の短刀のような物を幾つも研いだり、素早く抜いて投げる真似をして、訓練のみたいな事を繰り返ししている。

「‥‥ずいぶん熱心だね‥」

ラファエルが絞り出すように話しかける。

「‥いつ、いかなる時も備えが大事だから‥」

神楽はチラリとラファエルを見て答える。多分、人と話すのが得意ではないんだろうな‥。人を寄せ付けようとしていない人の話し方だ。ラファエルも人と話すのは得意ではない。気持ちはよくわかる。ラファエルは、そっとしておこうとまた外を見る。すると意外にも神楽が

「‥ラファエルは自分が‥その‥‥二重人格って事に抵抗はないの?」

と話しかけてきた。聞き辛かった事のようで、だいぶ気を使った聞き方をしてくれている。だが何より神楽から話しかけてくれた事が嬉しかった。

「あぁ‥うん。‥まぁ変だよね。普通は二重人格者は、自覚がない人がほとんどなんだって。だから僕らのようにお互い自覚があって、認め合ってるのは非常に珍しいみたい。僕としては、アストリアやみんなが僕だけじゃなく、ヴリトラにも優しくしてくれているのが、とても嬉しいんだ‥」

ラファエルが少し嬉しそうに言うと、神楽は俯きながら

「‥そうか。みんなが優しい‥。とてもイイ事だな‥」

と手に持つ短刀の刃を見つめた。するとラファエルが

「神楽は竜鱗寺に武具を預けてあって、取りに行くんでしょ?どんな武具なの?」

と尋ねる。神楽は

「‥朱雀の弓という魔装具。遠く離れてても狙撃する事が出来る‥。あと、エザリア様の杖。ジェイガン様が宮殿に落ちていたのを拾っておいてくれたもの。持ったままドルギアには潜入出来ないから、竜鱗寺で預かってもらった。華隠れのはながくれのさとの長と竜鱗寺の大僧正が知り合いなんだ‥」

と言った。ラファエルが

「‥華隠れの里?」

と聞くと神楽は少し目を伏せた。


  

神楽は宝来の東にある、小さい島国の雅の国で生まれた。山の奥深くにある『華隠れの里』で育ったのだ。ここは、もともと『忍び』という偵察や暗殺を得意とする者達が集まり、集落を作ったのが始まりだ。そして里の人間全員が忍びとして育てられているのだ。この華隠れの里で生まれた華隠心眼流は暗殺術としてだけではなく、剣術なども取り入れ総合的な戦闘術として発展していた。里の人間は当然、徹底的に華隠心眼流を叩き込まれる。神楽と影丸もそうだ。影丸の方が八歳年上だった。影丸は里でも群を抜いての優等生だった。特に剣術に関しては右に出る者はいなかった。華隠心眼流からの分家、華隠一刀流の免許皆伝の腕前だった。里でも中心的な存在であり、みんなからは注目と尊敬の的だった。物静かで口数は少ないが、いつも冷静で的確な指示が出せる大人びた性格だった。神楽もいつか影丸のようになりたい、と思っていた。憧れの存在だったのだ。影丸も神楽に目をかけてくれていた。神楽の真面目で直向きな姿に、自分を重ねたのかもしれない。自ら何度も稽古をつけてくれた。神楽は類まれな身体能力で厳しい訓練や練習をこなし、どんどん強くなっていった。そして影丸が西の大陸に魔王討伐の旅に参加したニ年後、華隠心眼流の宗本家の免許皆伝者となった。神楽は当時十七歳。その年齢では異例な事だった。それぐらい神楽は強くなっていたのである。そして雅の国の首都、沙羅さらで将軍に仕える『幕府御庭番』(ばくふおにわばん)に入る事となる。将軍や幕府を快く思っていない者が反乱の兆しがないかを調べたり、すでに反乱の兆しがある者を事を起こす前に暗殺するのが主な仕事だ。命令があれば、雅の国の各地を飛び回っていた。そして更に二年の月日が流れた。二十人いた御庭番は神楽以外、全員違う人間に入れ変わっていた。他の十九人は皆、命を落としたのだ。最初は悲しかった。泣いた日もあった。だが、いつしか慣れてしまった‥。人間には恐ろしい事に『慣れる』事が出来てしまう。どんなに酷い環境でも慣れてしまうのだ。人間と人間が刃物で直に斬り合う‥。お互い血まみれで怒号が飛び交い、どちらかが事切れるまで斬りつけあう‥。事切れる相手の目を見つめ鼓動が止まるの聞き、本当に死んだか確かめる。相手の息の根を止める事だけを考え、斬る、殴る、蹴る、以外にも隙をついて相手が不利になる事をなんでもする。卑怯という言葉はない。卑怯と思う者は死んでいるからだ。神楽は感情をほとんど出さなくなった。無駄だからだ。感情なんて出しても、どうせすぐに皆いなくなる。自分もいつまで生きられるのか‥。散々、人を殺してきたんだ‥。どうせ、ロクな死に方をしないだろう‥。そんなある日、新しい命令が下った。将軍の配下で南の地を支配する大鷲家に反乱の兆しあり、速やかに当主の大鷲宗成おおわしむねなりを打ち取りたし、との事だった。御庭番はすぐに南の地に向かった。入念な下調べをし、宗成が鷹狩りに出かける日程を突き止める。そして鷹狩りをしに近くの山に出かけた宗成を討ち取ったのである。だが討ち取ったのは、宗成の影武者だったのだ。逃げる御庭番に宗成の配下の追撃が始まる。森の中を素早く逃げる御庭番に、全身黒装束の宗成配下の忍びが迫る。神楽は足を止めた。

「皆、先に行け!」

神楽は叫んで宗成の忍び達に向き直る。ここが死に場所だ。普通の人間は生きる場所を探して生きている。だが我々、御庭番は死に場所を探して生きているのだ。生きる為ではなく、死ぬ為に生きている。この森。ここが私の死に場所だ。覚悟を決めた神楽は刀を抜き斬りかかる。一斉に向かってくる黒装束達。その内の数人が連続で斬り込んでくる。神楽は下がりながらかわすと、今度は前に出ながら連続で斬りつける。黒装束達も下がりながらかわしていく。すると横から一人が剣で突いてくる。神楽は必死でかわす。忍びの多くは確実に相手を仕留める為に、刀の刃に毒を塗っておくのだ。擦り傷でも与える事が出来れば、たとえ逃げられても仕留められるからだ。なので絶対に刃物で傷つけられてはならない。生き延びる為に‥‥。神楽は相手の攻撃をかわしながら、矛盾に気づいた。‥‥生き延びる為?たった今、死に場所はここに決めたのに‥。私は必死に攻撃を避けている。死にたいなら避けなきゃいい。斬り殺されても、毒殺でも構わないのに、私は必死に避けている‥。なんでだろう‥?あぁ‥そうか‥。仲間の御庭番を逃す為だ‥。仲間が少しでも遠くに逃げれるように私が引き付けておかないと‥。少し意識が戦闘より遠のいた。ほんの少しの隙だった。だが相手はその隙を逃さなかった。気づけば目の前に相手が投げた短刀が迫っていた。‥ようやく終わる。そう思った時、誰かが神楽の前に腕を差し出した。相手の黒装束が投げた短刀は、その腕に突き刺さる。先に逃したはずの味方の御庭番だった。気づけば神楽の周りには全員戻って来ていて、黒装束と斬り合っている。腕に短刀が刺さった御庭番はその場に蹲る。

「‥!‥お前、大丈夫か?」

神楽はその御庭番に声をかける。とっさに名前を呼ぼうとしたが、名前すら知らない事を思い出した。どうせどちらかがすぐに居なくなる‥。そう思い、名前を聞いた事がなかったのだ。その御庭番は立ち上がり、すぐに黒装束達に斬りかかっていった。だが横から斬りつけられ血飛沫を上げて倒れる。神楽はその時、思い出していた。ここは戦場。殺し合いの場だ。理由などない。上からの命令を受けた者達が、ただ殺し合う。上の人間の都合のいい事の為に。ひたすら殺し合い、命を奪い合う。考えなくていい。何も考えないで、ただひたすら命を奪え。神楽は横から斬りつけた黒装束の首筋を、水平に斬りつける。首から血飛沫を上げて倒れる黒装束の後ろから、違う黒装束が飛び出しながら神楽に斬りつける。神楽は下がりながら避けるが、避けながら懐かしい感覚に囚われる。この太刀筋‥。華隠心眼流の太刀筋だった。かつての同門か?一体、誰だ?いや、同門でも倒さなければならない。神楽は流派の長所も把握していたし、もちろん短所もしっかり把握していた。華隠心眼流は短刀の逆手持ちが主流な為、速さに特化しているが、力で押されると弱いのだ。神楽は刀を逆手持ちから順手に持ち替え、両手でしっかり持つと連続で力強く斬りつけていく。黒装束は受け太刀しながら下がるが、力で押し負けていく。そして神楽が刀を弾き落とし、黒装束の首に刀の刃を当てる。すると黒装束が何かを呟いた。多分、最後の命乞いか何かだろう。神楽が構わず刀を横に振り抜くと、血飛沫を上げて黒装束は倒れた。辺りを見渡すと宗成配下の黒装束は全員斬られ、御庭番が数人だけ立っていた。これで御庭番は半分以下になってしまった‥。神楽はしゃがんで足元に倒れている、先ほどの華隠心眼流を使い何かを呟いた者の顔を覆う布を剥がす。すでに事切れて虚に目を見開いているその屍は、神楽の幼馴染の女性だった。神楽には目立たなく大人しい、幼馴染の女の子がいた。名前は聞いたが覚えていなかった。剣術などより学問の方が得意で体も弱かった。だが華隠れの里に学問はいらない。必要なのは相手を殺す能力だけだった。そんな幼馴染は華隠れの里では落ちこぼれだったのだ。神楽は必死に華隠の戦闘術を学んでいた為、幼馴染の存在をほとんど意識していなかった。気づけば後ろにいる。目にも入らない存在。その程度だった。物心ついた頃には、ほとんど話しもしなくなっていた。神楽が沙羅で御庭番に入った後は、どこでどうしているのか知らなかった。家族とも連絡は取らなかったし、華隠れの里にも一度も帰っていないからだ。顔も小さい頃しかまともに見た事がない。だが冷たくなったその顔は、小さかった頃の面影が確かに残っており、見た瞬間に幼馴染だと気づいたのだった。そしてあの時‥。最後に呟いた言葉‥。命乞いなどではなかった。耳の奥に微かに聞こえた言葉‥。

「‥『神楽、久しぶりだね』‥‥そう‥言ったのか‥」

神楽は気づかなかった。相手を殺す事しか頭になかった神楽に、幼馴染の微かな叫びは届かなかった。名前すら思い出せない。

「‥‥ごめんね。‥‥私は忘れちゃった‥。色々な物を‥‥。名前も思い出せないなんて‥‥私はもう‥‥」

神楽は呟くと立ち上がり、他の御庭番とその場を去った。そしてそれ以降、姿を消したのだ。その一年後、影丸が西の大陸の旅から帰り、灼那の町に華隠の道場を開いた。その数日後、道場の庭に影丸が出ると、木の影に人影が見えた。神楽だった。ボロボロの服で目は虚。傷だらけで誰の血かわからないが、全身血まみれだった。かつての仲間の御庭番から裏切り者として、命を何度も狙われたのだろう。神楽は影丸を見ずにひたすら俯いていた。影丸は神楽に近づき

挿絵(By みてみん)

「‥‥神楽。‥久しぶりだな。‥大丈夫か?」

と声をかけた。神楽はその場で片膝をついてしゃがむと

「‥‥私は‥‥もう‥醜い獣と同じです‥‥人ではなくなりました‥‥」

そう呟くと立ち上がり背中を見せ、その場から立ち去ろうとする。すると道場の奥から人影が現れた。エザリアだった。影丸が道場を開く事を聞きつけ、ヒルダやアストリア、ライネルと共に雅の国に駆けつけよう、という事になったのだ。だが、他の三人は諸事情で来れなくなってしまい、エザリアだけ雅の国に来ていたのだ。

「‥‥私はエザリア・ベルテスと申します。あなたは‥?」

エザリアが静かに尋ねると

「‥‥火鳥神楽と申します‥‥」

神楽は振り向かずに答える。エザリアは

「‥‥神楽。人は皆、醜いものです。醜く汚く欲望に塗れている‥。でも、だからこそ美しく生きて見せるんです。皆、醜く汚い自分を隠して美しく誇り高く生きるんです。たとえ、見せかけでも美しく生きた方が、素敵じゃないですか?」

と微笑んだ。神楽は振り向かずに俯いた。

「‥皆、同じですよ。人間は醜い生き物なんです。神様ではありません。私も汚くて卑しい心を持ってます。間違いや過ちも誰にでもあります。大事なのは、『その後』どう生きるかです‥。‥少しでも同感して貰えるのであれば、私と共にオルタナに行きませんか?」

と優しく問いかけるエザリアに、神楽は振り向くとすぐその場で片膝をついてしゃがみ

「‥‥私のような人殺しに‥‥勿体無いお言葉‥‥。ですが私にはそんな資格が‥‥」

下を向きながら話す神楽の足元に涙の雫が何個も落ちる。

「‥‥神楽。そんな事を言うもんじゃない‥。ここよりオルタナの方が安全なのだろう?エザリアに付いて行くと良い」

影丸はしゃがんで神楽の肩に手を置いて言う。神楽は肩を振るわせながら

「‥‥私は生きてもいいのでしょうか‥‥?」

と言う。エザリアは真っ直ぐ神楽を見つめハッキリとした声で

「生きてはいけない人間などいません」

と言った。神楽は肩を振るわせたまま

「‥‥はい‥‥」

と頷いた。それを聞くと影丸は立ち上がり、エザリアを見て

「‥‥すまないが、神楽を頼むよ‥」

と言った。エザリアは影丸に微笑んで返したのだった。



神楽はそれからエザリアと共にオルタナに渡り、情報収集に努めたのだった。人を殺さずとも自分を認めてくれる。そんな日常が初めてだった。みんなの心の優しさに触れたのも初めてで、最初は戸惑った。だが、とても良いものだと思った。だが影丸は殺されエザリアも囚われの身。リリア王女は我が身に変えてでもお守りすると決めた。そう。かつてのように死に場所を決めれるとするなら‥。たとえ身代わりになってでも、王女を守ろう。中身がケダモノでも、美しく生きよう。誇り高くリリア王女をお守りする。エザリア様のように‥。すると

「‥神楽?どうしたの?」

ふいにラファエルに声をかけられた。とっくに馬車は麓に着いて、荷物の積み下ろしをしていたのだ。

「あぁ‥ごめん。考え事をしてて‥」

神楽は慌てて馬車から降りた。ラファエル達は麓の小さな町で宿を取ると、そこで一晩過ごした。そして次の日の朝、再び竜鱗寺を目指して馬車に乗り込む。山の中腹までしばらく進むと、そこでラファエルと神楽は馬車を下ろされた。御者にお礼を言って別れると、二人は山道を登り始める。そしてお昼を過ぎた頃にようやく山間にお寺の建物が幾つか見えてきた。大きな山門をくぐると、果てしなく長い石の階段が続いている。疲労のあまり立ち尽くすラファエルを尻目に、神楽は黙って階段を登りだす。さすが、すごい体力だ。ラファエルが疲労困憊で這いつくばるように階段を登りきると、大きな門があり周辺をホウキで掃除している僧侶がいた。丁稚奉公なのだろうか?まだ幼い子供のようだ。神楽がその少年に声をかけると、すぐに中を案内してくれた。

挿絵(By みてみん)

寺院の中は沢山の僧侶がいて、遠くからお経が聞こえ、時折鐘の音も聞こえる。お香の匂いもそこらに漂っていた。先ほどの少年が、少し位の高そうな僧侶を連れて来てくれた。その僧侶がさらに寺院の奥へと連れて行ってくれる。何度も階段を登り、寺院の中でもかなり高い所まで来た。そして幾つかある建物の一つへと入っていく。そこは大きな部屋になっており、その部屋の真ん中に派手な色味の法衣を着た僧侶が立っていた。長くて白い髭を生やした老人だ。

海蓮かいれん大僧正、お久しぶりです」

神楽が頭を下げる。海蓮と呼ばれた老人が

「うむ、神楽も健勝そうで何よりじゃ。‥して、そちらの御仁は?」

とラファエルを見ながら神楽に尋ねる。神楽は

「私の知り合いのラファエル・リビル殿です。こちらで『竜鱗寺拳法』の所作を学びたいと‥」

と海蓮に紹介する。

「‥‥うむ。なるほど‥‥」

海蓮はそう言うと、ラファエルの前に行きラファエルを見つめる。ラファエルは少し緊張しながら

「‥あ、あの厳密に言うとですね‥。僕ではなく‥なんと言うか‥その‥僕であって僕ではない‥と言いますか‥」

と、しどろもどろの説明をする。すると海蓮が

「‥お主、不思議な星の元で生まれておるのう‥。お主から二人の人間の気を感じる‥」

と呟いた。ラファエルは慌てて

「‥説明するより見てもらった方がいいので‥‥ちょっと失礼します‥」

とその場に魔法陣を描くとバーサーカーの歌を歌う。そしてヴリトラに変わった。

「‥っとまあ、二重人格って訳。こっちの俺が教わりたい訳よ」

ヴリトラは自分の胸を叩く。海蓮は黙ってヴリトラを見つめて

「‥‥うむ。では少し試させてもらおう。修行についてこれるかどうかの簡単な試験じゃ‥。征夷せいい!ここへ!」

と誰かを呼ぶ。すると先ほどの、最初に中を案内してくれた丁稚奉公の少年が現れた。

「‥この者は征夷。ここに来て、まだ一年しか経っておらん。だが、見事な才能で兄弟子達を追い越さんとする勢いじゃ。この征夷と戦い、体に一撃でも当てる事が出来れば合格じゃ。共に修行する事を認めよう。制限時間は夕刻の鐘が鳴るまでじゃ。それまでに一撃も当てる事が出来なければ、諦めて帰ってもらおう」

海蓮は淡々と言う。ヴリトラは

「‥あぁ?舐めてんのか?こんなクソガキに当てんのなんて、簡単過ぎんだろ?」

と言いながら身構える。征夷は一礼して構えの姿勢をとる。

「‥見縊っておると痛い目を見るぞ‥。はじめ!」

海蓮の掛け声が響く。と、同時にヴリトラが両手をついて四つん這いに倒れた。なんだ?一体、何をされた?開始の号令と共に、とんでもない速さの征夷の回し蹴りがヴリトラの顎に入ったのだ。

「‥ぐっっ!クソっ‥!」

起きあがろうとするが、足に力が入らない。辛うじてフラフラと立ち上がる。

「‥顎に攻撃が当たると、三半規管が揺れて一時的に立つのが困難になる。相手の自由を奪うのに非常に有効な戦法だ‥」

神楽が少し離れた所でヴリトラに解説してくれる。

「‥うるせぇなぁ。一発当てりゃあいいんだろうがぁ。戦法もクソもねぇ!」

言いながらヴリトラが征夷に飛び掛かる。征夷はかわすと、連続しての突きから蹴りを繰り出す。ヴリトラもなんとかかわすと、すぐさま反撃する。しばらくその攻防が続くが、征夷の体には当たらない。

「‥クソっ!ちょこまかと‥‥!」

苛立つヴリトラの顔面に征夷の突きが入る。すぐさま殴り返すが、もうその場には征夷はいない。攻撃するとすぐその場を移動しているのだ。動きながら攻撃を繰り返し、攻撃するとまた移動。右回り左回りと変則的に動きながら攻撃している。何発も征夷の攻撃が入るようになり、みるみるヴリトラの顔面が腫れていって鼻血が出てくる。ヴリトラが両腕を顔の前に持ってきて、攻撃を防ぐ形をとる。征夷は構わずに、突きと蹴りを繰り出す。鈍い音が響き、攻撃を防いでいるヴリトラの両腕が赤く腫れ上がっていく。神楽はチラリと外を見る。もう日が暮れる。夕刻の鐘はもうすぐ鳴ってしまうのだ。すると征夷の一際強い蹴りで、ヴリトラの両腕が弾け飛んだ。無防備になったヴリトラの顔面に、征夷が渾身の右正拳突きを叩き込む。

「‥‥やっぱなぁ‥。待ってたよ‥」

バキン!

ヴリトラの顔面を征夷の正拳突きがとらえるが、ヴリトラは構わず右拳で征夷を撃ち抜く。慌てて征夷が左手で防御するが、ヴリトラはそのまま撃ち抜いた。ヴリトラは待っていたのだ。両腕の防御がなくなれば、必ずトドメの一撃が来る。その瞬間を待ち構えていて誘い込んだのだ。もちろん相打ち覚悟だった。その場で崩れ落ちるヴリトラを神楽が飛び出して支えた。そして夕刻を知らせる鐘が鳴る。征夷は防御はしたが、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられ地面に倒れていた。が、すぐに起き上がり構えの姿勢をとる。

「‥そこまでじゃ。‥征夷、神楽とラファエルの部屋を用意してやれ。明日より、修行を始める‥。色々、世話をしてやるのじゃ‥」

海蓮はそう言うと部屋から去っていった。征夷は手を合わせて前に突き出し頭を下げる。そして気を失ったヴリトラを抱える神楽に

「こちらへどうぞ‥」

と伝えた。ヴリトラと神楽は小さな部屋へ通された。

「海蓮様より『好きに使って構わない』との事です。何かございましたら、この征夷になんなりと‥」

と征夷が両手を合わせて頭を下げる。ヴリトラを布団に寝かせた神楽も、同じように両手を合わせて頭を下げた。すると征夷が

「‥これまで何人も手合わせしましたが、壁に叩きつけられたのは初めてです。‥明日からよろしくお願いします」

と言って部屋から出ていった。

「‥‥だ、そうだ‥」

と神楽が薄目を開けてるヴリトラに言う。

「‥‥あぁ」

ヴリトラは小さく答えると、軽い溜め息をついた。


次の日の早朝、征夷が部屋に起こしに来た。ヴリトラは起きると顔を洗い、大広間で修行僧全員で食事を済ませる。早々に食事を済ませると、境内の掃除を始めた。征夷に教わりながら掃除をしていく。そして境内の掃除が終わると本堂や廊下の掃除をした。それが終わると、ようやく型の練習だ。竜鱗寺拳法の基本の型を教わり、ひたすら反復練習。そして二人で向き合い組み手の練習に入る。地味な練習だが、基礎を叩きこまねばならない。手首や腕の動き、足捌きや腰の落とし方など、今までとはまるで違う動きだ。だがヴリトラは類稀なる格闘の素質で、あっという間に取り込んでいった。そしてその日の夕方に行われた、征夷との実践さながらの組み手では、ほぼ互角の体捌きを見せた。

「‥凄いです。‥まさかこんな早さで‥」

征夷は驚きを隠せないようだ。ヴリトラは

「‥待ち合わせがあるんでな。ちんたらしてらんねぇんだよ‥」

汗を拭きながら言う。そして四日も経つと、もう征夷では相手が出来ないぐらいになっていた。師範代からの教えや指摘、忠告を取り込みながら自分なりに変化させ、体現していく。純粋で柔軟な思考と、それを実現出来る身体能力。それからまた三日経つと、師範代でも手に負えなくなってきたのだ。

「‥末恐ろしい力じゃ。バーサーカーとはまさに戦闘民族じゃな‥」

海蓮が師範代を圧倒するヴリトラを見て呟く。隣では一緒に稽古に励む神楽もいた。ヴリトラの驚くべき成長の早さに、いても立ってもいられなくなったのだ。その日の修行終わりに海蓮がヴリトラと神楽を呼ぶ。

「‥驚くべき成長じゃ。未だかつて、この早さで強くなっていった者を見た事がない‥。どうじゃ?急いでおるようだし、明日にでも『試練の関門』を受けてみるか?」

と提案してきた。二人が力強く頷き、両手を合わせて頭を下げると海蓮は続けて

「‥段位は初段から九まである。何段を受けるのじゃ?」

と聞いてくる。段位は数が多くなれば難しくなる。神楽が小声でヴリトラに

「‥初段でも通行手形は貰える。無理はするな‥」

と伝える。ヴリトラはニヤリと笑うと

「‥もちろん!九段だ!」

と言った。神楽は片手で頭を抱えて俯く。正気じゃない‥。いくら成長が早いとはいえ、僅か数日しか修行していないのに最高段位が通る訳がない‥。

「‥と言いたい所だが、五段あたりにしとくぜ。あいつらをあまり待たせる訳にはいかねぇしな」

とヴリトラが頭をかきながら言う。すると海蓮が

「‥ふははは。己の正しい実力を把握する‥当然の事だが意外と難しいものだ‥。だが、それが強くなる事の近道でもある。少しづつだが、それも身に付いてきたようじゃな?」

と目を細め、続けて

「‥だがしかし、たかが数日の修行で五段の試練を乗り越えた者はいない‥。数年から人によっては数十年かかるものじゃ。それでもいいのかの‥?」

と言った。ヴリトラは両手を合わせて

「よろしくお願いしますっ!」

と叫んだ。その日の夜、神楽は

「‥いくらなんでも、いきなり五段は無理だ‥。せめて二か三に下げてもらった方が‥」

とヴリトラに言う。ヴリトラは征夷と型の練習をしながら

「‥征夷に聞いたんだが、五段から師範代を名乗れるんだと‥。つまり竜鱗寺拳法を教える事が出来るんだ。そうすればこの先、ラファエルがどこで暮らす事になっても、食いっぱぐれねぇだろ?」

ヴリトラはベリアードでラファエルが仕事となるものを探している時から、ラファエルが出来る事を探していたのだ。

「‥俺はいつかラファエルの中から消える‥。いつまでも一緒にいてやれない‥。だから今の内に、何か残しといてやろうと思ってな‥。俺は普通の人間には、必要ない存在だからなぁ‥」

とヴリトラが呟く。しばらくの間の後

「‥もう夜も遅い。それぐらいにして体を休めた方がいい‥。‥‥それと、この世に必要ない存在などない‥」

神楽はそう言うと自分の布団に入った。ヴリトラはチラリと神楽の方を見ると、征夷と共に練習を切り上げて就寝の支度に取り掛かったのだった。


そして次の日、早朝に境内や本堂の掃除を済ませると、ヴリトラは海蓮に呼ばれた。いよいよ試練の関門の始まりだ。普段、修行をしている建物とは違う建物へ連れて行かれる。そこは本堂とかよりも少し離れた建物だった。赤い三階建ての大きな建物だ。中は広く、数人の屈強そうな僧侶が上半身裸で待ち構えていた。皆、この試練の関門の五段を合格した者達だという。

「これより試練の関門、五の段を始める!段位挑戦者は正午の鐘が鳴るまでに『試練の玉』を三つ集めて来ること。それぞれこの建物の、一階と二階と三階に一個づつ、誰かが持っている。持っている人物を探し、力ずくで奪い、わしに三つ届けなさい」

海蓮がヴリトラに言う。なるほど。要はこいつらを片っ端から倒して、玉を三個集めて持ってくればいいんだな?

「‥落ち着いて。いついかなる時も冷静に戦闘を組み立てるんだ」

神楽がヴリトラに言うと、ヴリトラが頷いて構える。そして

ドドーン!

と大きな太鼓が鳴った。試練の関門開始の合図だ。

挿絵(By みてみん)

「‥あいつだぜ‥」

「いきなり五段だと‥」

「舐められたもんだな‥」

迎えうつ屈強な僧侶達がニヤついている。ヴリトラは正段の構えでジリジリと間を詰める。僧侶達はヴリトラを取り囲むように広がると、一斉に攻撃を仕掛ける。ヴリトラは両手で交互に相手の攻撃を払いのけながら、後ろに下がる。すぐに背中が壁に当たった。すかさず一人の僧侶が蹴りで飛び込んでくる。

バキンッ!

右に避けると僧侶の蹴りは後ろの壁を突き破る。こいつら一人一人がとんでもない強さだ‥。ヴリトラは息を吐きながら構え直す。基本の型は叩き込んだ。だが実戦では状況に応じて型を自在に変化させ、各々の特徴を活かした攻撃に変化させる。その変化を上手く出来る者が強者とされる。この僧侶達はそれが出来ている者達だ。ならば自分が出来る事は?‥‥バーサーカーならではの野生の勘。動物的直感を使い、相手の予想しない動きをする‥。これしかない‥。ヴリトラは呼吸を整え、相手を見る。複数いる僧侶一人一人の一挙一動を見逃さない。右側の僧侶の構えていた右手が少し下がった。来る!ヴリトラは素早く打ち込まれる拳をかわし、鳩尾に掌底を打ち込む。僧侶は吹っ飛び二、三人を巻き込み倒れた。すかさずヴリトラが倒れた僧侶達に追撃の拳を連続で叩き込み、その内の一人の服を掴むと、こちらに飛びかかってくる他の数人目掛けて投げ飛ばす。投げ飛ばされた僧侶は、向かってくる数人を巻き込みながら地面に倒れた。そこへヴリトラが飛び込み、追撃の拳。ヴリトラは征夷がしていたように、動きながら攻撃をしていく。攻撃しては動くを繰り返し、一箇所には留まらない。征夷や師範代との修行で、体力も飛躍的に上がっていたのだ。ヴリトラは瞬く間に全員を叩きのめすと、一人の懐から『試練の玉』を抜き取り、二階に上がった。二階には僧侶が五人、立っていた。部屋の中には天井から紐で剣や短剣、槍などが沢山ぶら下がっている。目線ぐらいの高さのもあれば、膝下ぐらいの高さのもある。部屋の奥まで、五、六十本ぐらいぶら下がっていた。すると僧侶の内の四人が、ぶら下がっている剣に、蹴りや突きを入れ始める。ぶら下がっている剣は、振り子のように左右に勢いよく振れだした。瞬く間に五、六十本の剣や槍が、バラバラに左右に振れる。当たれば間違いなく大怪我をする勢いだ。すると残っていた僧侶が

「この振り子の剣や槍に当たる事なく、奥の階段に辿り着ければ、試練の玉を授けよう。準備はよいな?」

と言った。左右に振れる沢山の剣の向こうに階段が見える。あそこまで行けばイイのか?意外と簡単そうだな‥。

「いつでもイイぜ!」

ヴリトラが構える。と、同時に部屋の明かりが全て消えた。なるほど‥。簡単には行かせてくれないか‥。ヴリトラは薄暗い部屋の中を、窓から漏れる僅かな光を頼りに進み始めた。見えにくい所は、ぶら下がった剣の風を切る音を聞きながら進む。半分ぐらいまで進んだ時だった。人影が一瞬見えた。気づけば、五人の僧侶が周りを取り囲んでいる。この振り子の剣を避けながら戦わねばならないのか‥。すると、左にいた僧侶が右正拳突きを放つ。ヴリトラは難なくかわすが、かわした先に振り子の剣がくる。慌ててなんとか避けると、目の前に違う僧侶の右回し蹴りが飛んでくる。避けきれずに両手で防御するが、少し体が飛ばされた。そして飛ばされた先に、またも振り子の剣。こいつら‥。振り子の剣に当たるように攻撃をしてきている。たが、こいつらも避けながら攻撃しないといけない。連携をとりながら攻撃してきているとすれば、攻撃の起点となる奴がいるはずだ。そいつが誰なのかわかれば‥。ヴリトラは薄暗い中、僧侶達の目線に集中する。すると、最初に説明をしてくれた僧侶に、他の僧侶の視線が集まっている。そして、その僧侶が動き出すと同時に、他の僧侶が動きだす。あいつが起点か‥。ヴリトラは下がりながら僧侶の攻撃を避け、振り子の剣もかわす。そして間を置かずに前へ出た。振り子の剣をかわしながら、起点の僧侶の近くへ行く。そして、みんなの視線が僧侶に集まったその瞬間、一階で手に入れた試練の玉を、壁に思いっきり投げつけた。玉は木製の板に直撃し、木製の板が割れる。ヴリトラが跳ね返ってきた玉を受け取ると、割れた板の間から外の強い光が部屋に差し込んだ。

「うっっ!」

薄暗い中で動いていた僧侶達は、眩しくて顔の前に手をかざす。ヴリトラはその隙を逃さない。起点となっていた僧侶に素早く突きと蹴りを叩き込み倒すと、起点を失い動けなくなった残りの四人を倒す。そして悠々と奥の階段へとたどり着いた。

「見事だ。持っていけ」

いつの間にか、起点となっていた僧侶が後ろに立っていて、試練の玉を差し出す。

「‥俺の拳がまともに入ったのに、よく立ち上がれんな?」

ヴリトラは頭を掻きながら僧侶に言う。

「我らも日々、鍛えているからな。舐めてもらっては困る」

僧侶は少し笑みを浮かべて言う。

「とんでもなく頑丈な坊さん達だな‥」

ヴリトラは試練の玉を受け取ると階段を登って行った。残すは最上階。最上階には二人の屈強な僧侶がいた。体には刺青が入っていて、鋼のような肉体だ。その内の一人が口を開く。

挿絵(By みてみん)

「俺が阿右あゆうだ。こっちが左吽さうん。お前が噂の異国の修行者か‥」

すると、左吽と呼ばれたもう一人が

「異国の者でも手加減はしない。さぁ参れ!」

と構える。どっしりとした重みのある構え。全く隙がない。明らかに下の階の僧侶達とは格が違う。ヴリトラは呼吸を整え構える。

ドンッ!

阿右のとんでもない速さの正拳突き。辛うじての防御しか出来なかった。ヴリトラが壁に叩きつけられる。続けて左吽が飛び込んでくる。なんとか左に避けると、連続しての阿右の攻撃。入れ替わるように阿右が下がり、左吽が前に出て連続攻撃。なんとか両手で払いのけながら下がるが、さっきまでと明らかに違う。攻撃の重さが下の階の僧侶より、桁違いに重いのだ。動きが鈍くなったヴリトラの右肩に、阿右の右の正拳突きが当たり、よろけた所に左吽の左回し蹴りが胸を捉えた。ヴリトラは吹っ飛んで地面に転がる。

「ガハッ‥!」

ヴリトラの顔が苦痛で歪む。辛うじて立ち上がり構える。あまりの痛みで攻撃を受けていた両手が震えている。無茶なのは最初から百も承知だ。だが、負ける訳にはいかない‥。ここで手間取って遅くなる訳にはいかないんだ。早くアストリア達に合流しなければ‥。ここへ来たのは、俺とラファエルのワガママみたいなもんだ。少しでも強くなり、マリリアを守りたい。マリリアのオルタナ再興の手伝いをしたい。その一心だった。父さん、母さん、ガブリエル‥‥力を貸してくれ‥。‥そういえばガブリエルはバルデスの木の傀儡と戦っていた。とても勇敢だったなぁ‥。何度も飛びかかって噛み付いて‥‥。ん?‥‥噛み付く‥。そうか‥‥噛み付くか‥。ヴリトラは考えながら少し間合いを詰める。そこへ左吽が右手で強烈な突きを打ち込んでくる。ヴリトラはかわしながら、左吽の右手を掴んだ。素早く右手を引き寄せる左吽。ヴリトラは左吽の右手を掴みながら、左吽の右脇腹に拳を打ち込む。そして素早く離れた。すると今度は阿右が左正拳突きを放つ。ヴリトラは阿右の左手を掴むと、右手で阿右の右脇腹を叩いて離れた。

「‥爪牙狩猟拳そうがしゅりょうけんのような動きをしおって‥」

左吽が脇腹を抑えて呻く。

「‥面白い。ただの閃きだけで奥義、八手拳はっしゅけんの一つ、爪牙狩猟拳の動きに辿り着いたのか?」 

阿右が笑みを浮かべる。二人は並んで構え直した。ヴリトラは静かに二人を見つめる。よく見るんだ‥相手の動きを‥。すっと阿右の右足が僅かに前へ出る。その瞬間、阿右の右正拳突きが打ち込まれる。ヴリトラは自分の右手で阿右の右手を掴んでいなす。そして続けてきた左吽の右回し蹴りを左手で掴んで堪えると、右手で左吽の胸に掌底を打ち込む。左吽が地面に倒れた。だが、阿右がすかさず左回し蹴りをヴリトラの腹に打ち込む。ヴリトラは悶絶するが、すかさず左手で阿右に掌底を打ち込む。阿右は少し後ろに飛ばされるが、堪えて体制を立て直した。左吽も飛び起き体制を整える。だが二人が見たのは、その場を全速力で走り去るヴリトラの後ろ姿だった。

「よっし!試練の玉、取ったー!」

ヴリトラは叫びながら走る。そう阿右と左吽に拳ではなく掌底を打ち込んだのは、試練の玉を奪う為だったのだ。試練の玉を持ってくれば良いのだから、別に無理に倒さなくてもいい訳だ。二人に掌底を打ち込んだのは、どちらが持ってるかわからなかったから。持っていたのは阿右だった。掌底を打ち込みながら、懐にあった試練の玉を抜き取ったのだ。そして全速力で階段を下りると、一階にいる海蓮に試練の玉を三つ渡した。海蓮はヴリトラを見つめ

「‥‥見事じゃな。試練の関門五の段、合格としよう」

と言った。

「よっしゃー!」

歓喜の雄叫びを上げるヴリトラに、神楽と征夷が笑顔で近づく。

「‥案外、賢いじゃない?」

「よかったですね。ヴリトラさん!」

それぞれ声をかける。阿右と左吽も下りてきた。

「してやられたな‥。お主のような性格だと、逃げの手はないと油断していた‥」

「だが、いい稽古相手を見つけた。また手合わせ願おう‥」

二人とも苦笑いを浮かべている。

「だが、最後の方の動き‥。あれは?」

左吽がヴリトラに聞く。

「あぁ、あれは前にガブリエルと言う犬を飼っていて、噛みついて戦っていたのを思い出して‥。手を牙に見立てて、噛みつくように攻撃を捌いてみたんだ」

とヴリトラが答えると

「‥そうか。実は、我が竜鱗寺拳法には八手拳と言う奥義がある。八種類の動物の動きを取り入れた八つの拳法だ」

と阿右が言う。

「その内の一つが狼や猟犬の動きを取り入れた、爪牙狩猟拳だ。さっきの動きが良く似ていたんでな‥‥」

左吽が後を続けた。

「ふははは。無意識で八手拳の動きを見出すとは。末恐ろしいわい。どうじゃ?本格的にここで拳法を学んでみんか?」

海蓮が笑顔で言う。ヴリトラは

「いやまぁ、そうしたいのは山々なんだが‥‥」

と困った顔をする。すると海蓮が

「わかっておる。急いでおるのじゃろう?ならば阿右と左吽も連れて行ったらどうじゃ?護衛にもなるし、よき稽古相手にもなる」

と言った。ヴリトラが阿右と左吽を見ると

「輝京は久しぶりだな‥」

「すぐに旅支度をせねば‥」

と言っている。ヴリトラが頭をかきながら神楽を見ると、神楽は肩をすくめた。

 

こうしてヴリトラは試練の関門の五段に合格し、見事輝京への通行手形も手に入れたのだった。そして神楽も預けていた魔装具の朱雀の弓とエザリアの杖を返してもらい、ラファエル、神楽、阿右、左吽の四人は輝京への旅路につく。出発の日、征夷が

「近くの村から足が早い馬を四頭借りてきました。輝京まで、使ってください」

と言ってきた。見ると竜鱗寺の表門に、立派な馬が四頭並んでいる。何から何までありがたい。ヴリトラと神楽は海蓮と征夷や他の修行僧にお礼と別れを言うと、阿右と左吽と共に輝京へ出発したのだった。



 




 


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