腐敗せしイスマ王
…かつては文明がよく栄えていたであろう、ある古代遺跡があった。そう。かつては。
現在は無数のヘドロがあちこちに染みつき、腐敗臭が立ち込める不快な場所となっていた。
日常では決して寄り付く事はないであろう、この不気味な遺跡…。ここに、れな、葵、ラオンのアンドロイド三人衆が駆けつけた。
今回はこの遺跡の調査依頼を受けていたのだ。本来なら調査隊の仕事だが、その日、彼らは賞味期限切れのチョコレートを食べるチャレンジを行い、案の定倒れてしまったらしい。その代理としてれな達が選ばれたのだ。
遺跡に足を踏み入れ、葵はハンドガンを周囲に向ける。
ジャングルに佇むこの遺跡は、長らく人の目につかずに聳えていた。見つかったのはつい最近だ。
「かなり朽ちているわね」
暗い通路が奥へ続いてる。左右の壁には黴やヘドロが染みつき、嫌な臭いに挟み撃ちにされる。ラオンはもっと荒々しい任務にかかりたかったようで、機嫌が悪そうだ。
れなは特に何も考えていない。ただ依頼を受けるだけだ。ヘラヘラと笑いながら歩くその様は、心強いと言えば心強い。
「あ、これ何だろう?」
れなはある物に興味を向けた。それは、壁に刻まれた壁画だ。
ヘドロとヘドロの隙間に僅かに見えているその壁画には、巨人のようなものが描かれている。鎧を纏い、手には槍を持っている、精悍な姿だ。パッ、と見ただけでも、戦士である事が伺える。
「ほう、こいつは良いな。こいつと戦いてえ」
ラオンがナイフを壁画に向ける。葵は彼女を羽交い締めして、ナイフを離させる…。
その時、れなはまた新たな発見をした。
壁画の横に、文字らしきものが刻まれている。無数に連なったその文字は、古代語だ。
葵は屈み込み、その文字に一通り目をやる。
「解読できるわ。えーと…」
唸りながら、字を読み取りだす葵。
…その時!
葵が呼んでいる古代語の壁の近くに、勢いよく矢が突き刺さった!流石に飛び跳ねて驚く葵。
振り返ると…高台からこちらを見下ろす一人の戦士の姿が見えた。
赤い鎧を纏い、背中に大剣を装着した戦士だ。その戦士は無言で弓矢を構え、三人に狙いを定める。この遺跡の守護者だろうか!?
「おおおっ!そうそう、こういうのを求めてんだよ、アタシは!」
ラオンが歓喜しながら飛行を始め、ナイフを振るう!その戦士は高台から弓矢を投げ捨て、背中の大剣を振るってくる!巨大な鉄の塊が宙を駆け、風圧が生じる。
ラオンは紫の髪をなびかせながら回避、間髪入れずに蹴りをかます!
戦士はよろめきながらも、高台の上でバランスをとりながらラオンに大剣を振り下ろそうとする。刃物の達人であるラオンは大剣の軌道を見切って回避、戦士の兜目掛けてナイフを横に振るう!
「面ぁ、見せやがれ!」
…重厚な兜が地面に落ちる音がした。
素顔を露わにした戦士。男らしく、年季の入ったその顔には、大きな傷が刻まれていた。
額から口元まで、赤い傷が鎮座している。煮えたぎるようなその傷に、ラオンは驚き、飛行したまま後退りする。
戦士は大剣をゆっくり下ろし、下にいるれなと葵、そして目の前を飛んでるラオンを交互に見渡す。
「突然の襲撃、すまぬ。だがその余裕、そしてその力…お前達なら我が王を救い出せるやもしれぬ」
葵は改めて、壁に刺さった矢を見る。よく見るとこの矢はボロボロに朽ちている。もし刺さっても、あまりダメージはなかっただろう。
戦士の大剣も、かなり刃こぼれしていた。その装備は、初めからこちらを殺す気はなかったように見える…。
戦士は高台から降りて、葵に代わって古代語を翻訳。
「この地に眠る王、異なる地より来たりし者なり。民の不信を買い、彼らに見捨てられ、腐敗にまみれ、悠久の時を眠る」
…ラオンと葵は、深刻な顔をした。多くの戦いをくぐり抜けてきた二人は、戦士が語らずとも、何となく状況を理解したようだ。…れなだけは首を傾げているが。
戦士は三人に向き直り、改めて説明する。
「この遺跡は、我が主イスマ王の眠る場所。ここにはかつて王国が栄えていた。しかしイスマ王は国家の都合で、異国からこの地においでなさり、そのまま王国の王となられた。だが民は異人が王となる事を快く思わず、イスマ王の思想を否定し、反逆した。それが長らく続いて王国は崩壊、今では元々城であったこの遺跡が残っているのみ」
三人は周りを見渡す。
…なるほど、よく見ると、この遺跡を構成してる素材はどれも城を建設するのに使われる物だ。ここは遺跡ではなく、元々は城だったのだ。
「イスマ王は…今もこの奥におられる。あのお方は長らく孤独に過ごし、身も心も腐ってしまわれた。かつてイスマ王に仕えていた俺ができる事…それは、イスマ王にこれ以上の屈辱と苦痛を味合わせぬよう、その息の根をお止めする事。だがイスマ王の力は強大で、俺一人ではどうにもならぬ…」
「そこで、アタシらが来たって訳か」
ラオンがナイフを片手に戦士の前に歩み出る。その顔は、先程よりも真剣だ。
頷く戦士。
れなも状況を理解し、拳を握って戦士に見せる。
「イスマ王、どんな事になってるのか分からないけど…アタシ達が立ち向かうよ。ところでアンタの名前は?」
戦士は、安心したように頷き、名乗る。
「俺はマルサイ。かつてイスマ軍1の騎士と呼ばれた男だ」
マルサイの案内で、三人はイスマ王がいるという部屋へと近づいていく。
…気のせいだろうか…。何だかこの遺跡こと、元城の臭いが更に激しくなっている気がする。
いや、今いるこのエリアの臭いが一層酷いのだ。そろそろ鼻を摘みたくなるが、ここはかつてマルサイの拠点だった場所。マルサイ自身は気にしないだろうが、あまり失礼な事はしたくない。
「ここだ」
マルサイはある扉の前で立ち止まる。
…間違いない。この部屋から臭いが立ち込めている。
マルサイはゆっくりと、扉を開く。
「…うっ!」
扉から放たれる異臭の嵐。
そして、その先に広がっていたヘドロまみれの大広間…。
…そこには、玉座に腰掛ける巨人の姿があった。
その姿は…酷く惨たらしい。
全身の皮膚という皮膚が腐りきって青く変色しており、傷口からはヘドロが漏れ出ている。右腕は半ば千切れかけており、血が変色したであろう黒い液体が見える。
眼球は既に腐って真っ黒、口は耳元まで裂けて笑みを浮かべているようだ。
まさに腐敗の巨人。その巨人…イスマ王は、苦しげな呻き声をあげながら立ち上がる。
その姿には、明らかに理性はない。巨大なゾンビそのものだ。
イスマ王の影に覆われ、怯える三人を背に、マルサイは大剣を引き抜いた。
「あなたはかつて、異なる種族でありながら多くの人々の為にその命を捧げてきたお方…そのようなお姿はあまりにも不似合いです。あなたの為にも、そのお命、狩らせて頂きます…」
決意と、悲哀が込められた声…大剣を持つ手は、震えていた。
イスマ王は慈悲なく手を伸ばしてくる。その手からは悪臭を伴うヘドロが漏れに漏れており、四人は顔をしかめる。
四人は同時に飛翔し、それぞれの攻撃をうちこむ!葵はハンドガンで手の筋を狙い、ラオンはナイフで比較的ヘドロが少ない部位を切り裂く。れなはシンプルながらも強烈な蹴り、マルサイは力に満ち溢れた大剣の振り下ろしでイスマ王の足を切りつける。
四人同時の攻撃が、イスマ王のバランスを崩させる。よろめかせる事には成功したが、イスマ王は動く度にヘドロを撒き散らす。足場がヘドロで覆われていき、四人の居場所がなくなっていく。
空中を飛行する四人に、イスマ王は手の平を向け、そこから黒いヘドロを放出!これもかわす事に成功するが、ヘドロは壁にかかると白い煙をたてながら、壁を溶かしてしまう。これを食らえば…まさに一撃死。
下手に近づけず、れなは歯を食い縛る。
「どうしよう?マルサイ!イスマ王に弱点とかないの?」
マルサイは少し俯き…重い声でこう答えた。
「一度イスマ王は命を狙われ、暗殺されかけた事がある。その際に銃撃を受け、胸に重傷を負った。奇跡的に急所には至らなかったが、あの傷に一撃を決めれば…」
マルサイの声がどんどん小さくなる。国の為に死力を尽くしてきたイスマ王にとって、その傷は肉体の傷というだけでなく、心の傷でもあるはず。それを抉るような真似はしたくはない。
…が、皮肉にも、戦闘においてはこの上なく有効的な弱点だった。
「…マルサイ。イスマ王は容赦無いわ。その傷の場所を正確に教えて!」
非情を承知で、葵はマルサイに聞く。この時、イスマ王は先程のヘドロ攻撃の構えをとっていた。時間がない。
マルサイは深く目を瞑り…一気に開く。
「腕の…付け根だ!」
その一言が終わってすぐ、葵はハンドガンで発砲した!
弾はヘドロを突き抜け…イスマ王の腕の付け根に命中。その時、イスマ王は唸り声をあげた後、仰向けに倒れこんでしまう。
その唸り声は…どこか人間じみたものだった。
「…お許しを…」
マルサイは大剣を振りかぶり…急降下。イスマ王は抵抗する間もなく、マルサイの接近を許した。
巨大な刃がイスマ王の心臓に突き込まれる…!
「ごあっ…!ががっ…」
血とヘドロを吐きながら、イスマ王は痙攣する。全身から湧き出ていたヘドロが少しずつ止まっていき、イスマ王の体を包み込み…固まっていく。
まるでコンクリートのように固まっていくヘドロを見て、マルサイは息を切らす。
「イスマ王…イスマ様。あなたはご立派でした」
…戦いは終わった。
イスマ王は長年の苦しみから解放され、その悲劇の歴史も伝わった。しかしここで一つ問題がある。
以後、遺跡をどうするかだ。
マルサイと三人は相談する。
れなは優しさのままに、こう言った。
「ここはイスマ王の城で、イスマ王が眠る場所でしょ?このまま誰にも真実を言わずにそっとしておくのが良いんじゃ?」
葵もラオンも同意見のようで、深く頷いていた。しかしマルサイは違った。
「…どうか、この事を世間に公表して欲しい。民の為に命を尽くし、そしてこのような最期となった王の生涯を」
顔を見合わせる三人。
…遺跡の調査は終了した。
この出来事は瞬く間に世間に知れ渡り、多くの専門家の耳にも届いた。
イスマ王国の隠された悲劇。その驚愕の事実は、近い将来、歴史の教科書に載る事になるだろう。
「…」
マルサイは、ただ見つめていた。
王の姿を。