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新学期③【先生のアノニマ 2(中)〜3】

 数日経って、四月中旬の週末。

 新学期が始まって二回目の金曜日ともなると、在校生は既に通常モードの授業の日々に突入しているが、新入生に対するスケジュールは未だイベント続きで落ち着かない。入学直後のオリエンテーションに始まり、歓迎会、健康診断、実力テスト等々。一応ALTの俺のところにもある時間割によると、ようやくちらほら授業のコマが現れ始めた頃合いにおいて、入学直後を締め括る

「面倒事だな」

 と、自分の根城(主幹教諭室)の御大尽椅子に埋もれながらも、俺の前で口を歪める紗生子が漏らすそれは、

「クラブ活動紹介が、ですか?」

「ああ」

 というから、少し意外だ。

「どんな事になるか、やはり想像出来んか?」

 やはり、と言われるのが癪に障るが、事実なのでやり返しようもなく。

「——クラークさん絡み、という事ですか?」

 と、とりあえず無駄な抵抗を示すと、

「当面の私の悩みで、それ以外に何があると言うんだ?」

 と、あからさまに呆れられてしまう。言わなければよかったと思うのも、いつも通りの後の祭りだ。

「ちょうど今やってるようですが——」

 課外の部活動時間を使って行われているそれは、あくまでも生徒会主催の新入生向け自主活動の一端であり、教職員は参加していない。

「まぁ釘を刺しておいたからひどい事にはならんと思うが——」

 はぁ——、と珍しくも長嘆する紗生子の懸念が、何故か我が身に降りかかったのは、その翌週頭の課外の事だった。


 その翌週頭、四月中旬後半のある日の課外。

 俺の目当ての人が最近入り浸る校務員室に向かうと、そのご当人が大量の紙片を手にはしゃいでいた。

「どうしました? その紙?」

「凄いでしょ? この量!」

 A4用紙を四つ切りにしていると思われるその紙の厚さは、軽く一〇〇枚は超えていそうな勢いだが。

「JRC同好会の入会希望届なんだぁ」

 と、得意気なアンが口にしたそれは、つい先日の職員会議で話に上がっていた、今春新設の同好会だ。

「何でそれをクラークさんが持ってらっしゃる訳で?」

「だって私が立ち上げた同好会だもの」

「はあ?」

 周辺事情に疎い俺は毎度の如く初耳なのだが、何でまた、

「文芸部は退部して、今度は赤十字ですか?」

 という事なのか。

 JRCといえば、一般的には日本赤十字社の頭文字を取った略称だ。それと並行して学校内でのそれ(JRC)は、青少年赤十字の略称として用いられている。赤十字社が進める活動を、クラブ単位やクラス・学年単位で加盟登録して活動する事で、赤十字の理念を教育に活かすものだ。が、何故今アンが赤十字なのか。

「文芸部の退部はそうなんだけど、このJRCは日赤じゃないよ?」

【Joint Rangers of Caretakers】の、それぞれの頭文字を並べたものらしい。

「何です? それ?」

「そのまんまの意味だけど?」

 という事は、用務員の共同隊員。要するに、

「学園施設管理を担う裏方さんの同志って事ですか?」

「そ」

「——あっ!」

 その校内ボランティアのような同好会は、住み込み警備員となったマイクにベッタリくっつく大義を得るためのものである事が、俺でも容易に思いつく。

「それで最近、ここに来てたんですか!?」

「中々名案でしょ? 学校も進んで許可してくれそうで、それでいてマイクと一緒にいてもおかしくない活動。青少年赤十字と勘違いしてる先生達もいたけど、まぁ似たようなモンよ」

「いや——」

 似て非なるものだと思うのだが。明らかにその錯誤を狙ったネーミングだ。かく言う俺も単純に騙されていた口だと思うと、我ながら情けない。言い訳するつもりはないが、きっと入会希望者も騙されている者がそれなりにいるのではないか。それにしても、

「マイクさんは許可してくれたんですか?」

 その本人は今、日々のトレーニング中だ。

「許可するも何も、校内で認められた同好会だからね。佐川先生と一緒でもおかしくないし、美味しいコーヒー出してくれるし。ねーセンセ?」

「じじいの仕事に関心を示してもらえるのは、嬉しい限りですよ」

 と言ってにこやかに笑う、老紳士振り全開の佐川先生の淹れるコピルアックは本当に美味い。

「いやいや——」

 単に、喫茶店替わりにされているような気がしないでもないのだが。

 ——まぁ。

 何にせよアンの言うJRC同好会なら、そのボランティアに参加するという名目で警護の任を果たせそうであり、文芸部の名ばかり副顧問よりは余程やりやすくなるだろう。俺は昨年度、事ある毎に佐川先生の手伝いをしてきた事でもあるし、言うなればその(JRC)活動は、そっくりそのまま俺がしてきた事だと言っても過言ではない。これでようやく、訳の分からぬ文芸部副顧問のポストも辞退する事が出来ようものだ。

 それにしても気の毒なのは、誰がやるのかやらされるのか知らないが、その(JRC)顧問だろう。アンの手中で弄ばれている紙の、その厚さ分の数の生徒を纏めるのは容易ではない。全国有数の強豪たる剣道部の如きガチガチの体育会系でさえ、昨年一悶着あったのだ。それをボランティア系の乗りで収拾がつくのか。そもそもボランティア系の乗りとはどんなものなのか。その乗りで、紙の束程の人数をどうやって集めたのか。謎は深まるばかりだ。

「OKくれたよー」

 そこへ、いつもアンにベッタリのワラビーが入って来た。

「ホント!? よかったぁ。同好会じゃ予算出ないから、これで財布はOKね」

 この様子だと、ワラビーも同好会のメンバーらしい。まあその正体は、真の潜入警護員なのだから当然という事か。

「予算も何も、校内ボランティアじゃお金使うような事ないんじゃ?」

「それがそうでもないの」

 と言ったアンが、ついでのように

「あ、先生また副顧問だから」

 と教えてくれた。

「げ!? また俺ですか!? 聞いてないんですが!?」

「そりゃそうよ。今初めて言ったんだもん」

 これぞ天唾だ。と、いう事は、

「その紙の束程の部員を、一体どう捌くおつもりですか?」

 まさかその差配を、俺がやらされるのか。

「まぁ、先週末のクラブ説明会に飛び入り参加させてもらった結果なんだけどね」

 と、然も満足気に語るアンによると、

「この学校に入ってくる生徒って、何かプライドの塊ばっかで——」

 たまたま勉強が出来る、そのステータスだけで人を識別し、社会に欠かせない歯車として働く大多数の人々を、勝手に浅学(せんがく)と決めつけ蔑視している。その歪んだ目と傲慢さは到底許し難く最早罪だ、とか。

「だから、ちょっと罠をね」

「飛び入り参加して何を言ったんです? 説明会で?」

 入会したら、ハリウッド俳優顔負けのイケメン警備員と仲良くなれて、毎日美味しいコーヒーが只で飲めて、ボランティア活動だから入会してるだけで内申点がそれなりに貰えて、顧問はお金持ちでチョー美人だから、

「——いい事あるかもねーって」

 喚いたら、紙の束になったらしい。

 ——そりゃそーだ。

 加えて同好会の会長はアンときている。只でもおいしそうな会でアンに近づけるのだから、(さか)った連中は入りたがるだろう。が、ちょっと待て。

「お金持ちの顧問?」

 とは誰だ。

「そんなの紗生子に決まってるじゃん!」

「えっ!? 佐藤先生じゃないんですか!?」

 ワラビーと同じく、文字通りのくノ一(潜入警護員)のその人は、俺と同じくてっきり文芸部顧問からスライドするものと勝手に思い込んでいたのだが。

「日本滞在中の私の事で、紗生子が絡まない訳ないでしょ? それに佐藤先生入院しちゃったし!」

「えっ!? にゅ、入院!? いつですか!?」

「さっき!」

「さっきって——」

「何か昨日調子悪いって早退したら、そのまま入院だって。何か悪い病気じゃなければいいんだけど——」

「そ、そうだったんですか」

 思いがけない二重の驚きだ。

「まぁ先生が知らないのは当然として——」

 と、俺の中の何処かに僅かに残っている微妙な矜持のようなものを、アンが見事に一言で容赦なく切り捨ててくれると、もう何事か聞く気も失せた。

「——とりあえず、現状の警備体制で回すって紗生子が言ってたよ」

 紗生子の場合は何かにつけて、当然俺より何歩か進んだところから展開が始まる。その情報の渦があえて何も言ってこないのなら、今は忙しいのか、俺には影響がないという事だ。

「そういう事なら——」

 俺は気を確かに、目の前の諸事に目を向ける外ない。周りは頭の切れるせっかちな女達ばかりだ。とりあえずついていかない事には何も始まらないし、何も得られない。それこそ切られ損だ。

 それにしても——

 同好会をどうするか。

「いくらなんでも、ふるい(・・・)にかけないと——」

 とりあえず紗生子が顧問だというのなら、アンに妙な虫がつき纏うようなそれなど、絶対に認めない。

「——マズくないです?」

 と言うか、出来て早々いきなり潰されるのではないか。

「だから集めたんだって」

「はあ?」

「同好会立ち上げるついでよ、ついで」

 と、ウインクされても困るのだが。

 ——通りで。

 紗生子が長嘆していた訳だ。


 その翌日、課外。やはり、困った。

 早速、JRC同好会の仮入会開始初日という事で、俺の眼前には一〇〇人を超える入会希望者の黒山の人だかりだ。場所は、学園敷地西半分の中央部を占める多目的広場。バラバラと散漫に集まり、くっちゃべっている生徒達の殆どは中高共に新入生が多く、何処かしら学園指定のジャージ姿がよそよそしい。一部は在校生のようだが、やはり何処かしら軽薄な印象が拭えず、共通して言える事は、何とも雑然としている。男女比率は、ボランティア系の同好会だというのに圧倒的に男に偏っており、分かりやすくはチャラい集まりでしかない。

 それらの前には、やはり学園のジャージ姿のアンがニコニコ顔で立っており、誰かを待っているようだ。

 ——どーすんのかねぇ。

 紗生子は顔を見せていない。忙しいのだろう。アンに考えがあるらしく、

「それを眺めていろ」

 とだけ、仰せつかっている。そんな立場の俺が、やや離れた所でのんびりそれを眺めていると、目の前をマイクが会釈しながら通過した。いつもならトレーニングの時間の筈だが、未だ精悍な制服姿だ。とりあえず、説明会の公言通り、ハリウッド俳優ばりのイケメン警備員とお近づきになれる、といったところなのだろう。が、希望者達は野郎ばかりであり、有り難がっている様子は全く見られない。そんな中。

「じゃあ集まった事だし——」

 始めようか、とアンの号令一下。何個班かに分けると、まずは学園敷地内の草抜きから始まった。それは普段、佐川先生が空いた時間を見つけては、一人で黙々とやっている作業だ。

「いやはや、これは助かりますなぁ」

 と、手放しに喜ぶその人に反比例して、生徒達は途端に怪しくなる。約三〇分程で、今度は校内のごみ箱のごみ収集班、ごみ拾い班、掃き掃除班に別れてまた三〇分。再集合した時には、すっかり不満顔塗れだ。

 な、なんちゅ——

 意識の低いボランティア系同好会か。その何か勘違いした入会希望者達にアンが、

「とりあえずやってみた感想は——」

 どうとか、清々しいまでの対話型だ。長らく体育会系に塗れてきた俺に采配が許されていたならば、思う存分警策(きょうさく)を振り回している事だろう。当然殆どはアンだけが目当てなのだから、話には応じるが、

「こんな雑用をやりに来たんじゃない」

「人に使われる覚えはない」

 という処遇に対する不満から、手が痛いだの腰が曲がるだのと。実に芳しからぬ、耳を疑いたくなるザマだ。勉学をそれなりに修めた連中だらけの筈だが、

 ——こいつら修身からやり直せ。

 戦後教育の過ちの一端なのだろう。その一部から、

「もっと大きな事がやりたい」

 と、知識エリート気取りの生意気な言が飛び出すと、一瞬アンが気色ばんだように見えた。が、すぐに戻ると、

「——だって、センセー」

「はあ?」

 いきなり話を振られた俺だが、流石に警策は持っていない。

「どうしよ?」

「——って」

 言われても。考えがあるのではなかったか。それこそこの状況で丸投げされるのであれば、罰ゲーム的な道筋を探さないでもないのだが。

「では、私の代わりを務めてもらいましょうか」

 その、何処か示し合わせたようなタイミングで、それまで無言を貫いていたマイクが横から割り込んだ。遅ればせながら、日課のトレーニングに入りたいらしい。

「いや——」

「じゃあ、次のステップに行こうか!」

「ちょっとクラークさ——」

「いいからいいから!」

 外面は単なる正門の警備員というマイクだが、その職分は見た目程甘くない事は、一年間の学園生活で理解して余りあるアンの筈だというのに。

「折角だから、また何個班かに分けよう!」

 という事で、マイクの仕事のうち、正門警備、校内哨戒、防カメ監視を三班に分け、新たに学園事務局の非正規事務員が担っている、職員室の受付と代表電話対応を二班に分けて対応させてみる事になった。一個班一〇人ずつという、何とも大所帯だが、それでも半分余ってしまっており、残りはとりあえず見学だ。それでも生徒達は、ガキの遣いと言わんばかりで、一見してお遊び半分でやる気のなさを露呈させている。それはそうだろう。一般的にそれらの仕事は、単純な職分と見られがちだ。社会経験がない生徒達の事ならば、より一層軽んじられがちな仕事であり、まずもってコイツらが将来したい仕事にランキングされる事もない。仕事の「しの字」も知らない若輩共が、

「随分とまあ——」

 ナメた事だ。つい憤慨しかけた俺を、

『大丈夫だ。アンのヤツに任せておけ』

 と、今頃になって、顧問(紗生子)の天の声が耳の奥に届いた。と、言うからには、紗生子も承知の事らしい。やはり覗き見していたようだ。

 それならそうと——

 副顧問の俺にも事前に一言欲しいと思うのは、間違っているのか。と、別ベクトルの鬱憤が募りかけたところで、早速正門前に動きがあった。来客だ。因みにマイクはさっさとトレーニングに行っており、俺やアン以下同好会立ち上げ側一同は校務員室に移っている。CC用の防カメで、お手並み拝見だ。

 やって来たのは初老の女性が一人。緩慢さが目立ち、何処か浮世離れした感のある淑女だ。が、ポリグラフ(嘘発見機)化しているCCの防カメによると攻撃色をたぎらせており、身体のそこかしこに武器を携えている事が分かる。

「——校外組(・・・)の人じゃないですか」

「ちょっと紗生子に借りたの(・・・・)

「はあ」

 CC謹製のカメラでなければ、うっかりその変装を見逃すところだ。因みに防カメ監視班が使っている正門警備用のモニターは、CC謹製の物を開示出来る訳もなく、佐川先生がこっそり一般的なレベルにランクダウンさせているらしい。という事は、この不審者を、

「やっぱ見抜ける訳ないよねぇ」

 と、得意気なアンの一声と同時に、淑女扮するエージェントは何なく校内へ案内されてしまった。折角頭数が揃っているというのに、職員室への随行もなければ電話で引継ぎもしない、何とも雑な対応だ。まさに負の連鎖というヤツで、その二分後。ふらふらと、その淑女が一人で職員室に到達した瞬間、受付対応中の生徒の一人があっさり拉致られてしまい、大仰にも非常ベルが吹鳴し始めた。

「どーすんです、これ?」

「抜き打ちの防犯訓練だって、紗生子が」

「はあ」

 紗生子の息がかかった校外組のエージェントなら、それなりに上手くやるだろう。怪我をさせず、する事もなく、素人相手に当然捕まる事もない。

「こう見ると校内の平穏は、ホントCCのみんなのお陰だよねぇ」

 狂乱状態の職員室の映像を前に、アンが本音のようなものを漏らした。きっと職員室の教職員の面々も、公然の秘密のような俺や紗生子の身分の重要性が、

 これで少しは——

 再認識出来た事だろう。こう言っては不謹慎である事は理解しているが、日々陰ながら学園防衛に勤しんでいる身としては中々のショーだ。

「どうしますか、主幹?」

『ほっとけ』

「いいんですか?」

『非常通報は私に一任されているんだ。困れば連絡してくるだ——と言ったそばからだな』

 早速、主幹教諭室に電話がかかってきたらしい。

『ふむ。まぁマニュアル通りだ』

 極秘留学中のアンを抱える学園においては、秘密保持の観点から安直に警察や消防を頼まない事になっている。その最終判断は、アンの警護の現地責任者にして主幹教諭たる紗生子の職掌だ。

「警官隊突入ね!」

「はあ?」

「とつにゅーだぁ!」

 アンやワラビーがはしゃぐ尻から、早くもサイレンが近づいて来る。と、物の一分程度でパトカーと警察の輸送車が、正門前で呆気にとられているJRC入会希望者達を尻目に、慌ただしく現着した。どうやらこれもCCのエージェントのようで、相変わらず見事な偽警官振りだ。

「これはまた——」

 急転直下、蜂の巣を突いたような賑わしさの校内。数分前の日常が嘘のようだ。

「校内哨戒班! 何をしているの!? 早く校内の生徒達の避難誘導を開始しなさい!」

 そこへ、容赦ないアンの厳しい声が、防カメ同様校務員室備えつけの校内放送用マイクを介して響き渡った。が、物見遊山でやっているような生徒達が避難場所など把握している訳もなく、何をやったらよいのか分からない様子。

「しゃーない。ちょっと行ってくるわ」

 誰にともなく吐いたワラビーが、

「訓練訓練」

 と口ずさみながら、何処へともなく出て行く。と、時を置かず防カメから、これまたいつになくきびきびしたワラビーの声が聞こえ始めると、あっと言う間に全校生徒を巻き込んだ避難訓練になってしまった。

「何か、人質籠城戦になっちゃいましたけど——」

 どう、始末をつけるのか。

「——ちょっと脅し過ぎじゃありません?」

「まだまだぁ。こんなモンじゃ許してやんないよ?」

 と言うアンが、不適な笑みを浮かべるそれは、まるで紗生子だ。

「トラウマになりませんかね?」

「お灸よお灸」

 物の見事にそれを据えられた正門警備班の元に、この騒動の最中で、また別の来客がやって来た。

「この騒動なんだから断りゃいいのに——」

 何をまごついているのか。一〇人もいるというのに、傍目にも戸惑いが見てとれる。

「それが、簡単に追い返せないんだよねぇ」

「面倒事第二弾と言う訳ですか」

「そ」

 今度の来客は子供だ。年長か小学校一年生か。可愛らしい男児が一人。それが何と、手に帯付きの札束を一つ持っている。口を読むまでもなく、拾得物を届けに来たようだ。が、明らかに校外からやって来たばかりであり、

「校内で拾った物には見えないんですが——」

「近くの路上で拾ったんじゃない?」

「——やっぱり」

 改めて、防カメ越しにその拙い口振りを読んでみると、やはり道端に落ちていたのを拾ったと言っている。となると、これは難しい。

 落とし物を拾えば、最寄りの交番か警察へ届けるという事は、日本人なら小さい頃から教育されている。それが施設内なら、警察の前にその管理者だ。そうする事で拾得者は、拾得物にかかる権利を得る。遺失者が判明したならば、拾得した労に対する報酬を請求出来るし、判明しなければ拾得物を得る事が出来る訳だ。が、それは、正規手続きを経ていなくてはならない。

「どうするかな?」

「札束の上下だけ真札——って事はないですよね、あれは」

 一見して一〇〇万円の裸金だ。何かを一つ間違えただけで、後々面倒事に発展する案件だという事に、果たしてどれ程の生徒が気づいているだろうか。

「誰が仕組んだんで?」

「ワラビーよ」

 それなら、素直な展開は期待出来ないだろう。

「保護者か先生に連絡がつけばいいんですが」

 通常、子供による拾得物の届出は、保護者がつき添うものだ。それは遵法精神の醸成と同時に、正規手続きによる権利担保の意味合いもある。

「籠城戦に来ているお巡りさんに預けちゃダメなの?」

「あくまでも、警察署長ですからね。遺失物法上は」

 つまりは最寄りの警察署か交番だ。

「へぇー詳しいんだね、センセ」

「クラークさんは、三味線も弾けるんで?」

「先生のギター程じゃないけどね」

 アンの事なら、遺失物法も俺の素性も、理解した上でのお惚けだろう。

「遺失者本人が現れて、直接返還出来ればいいんですが——って!?」

 何と、そんな取り込み中の正門前に、突如現れたチンピラ風の男に凄まれ、渡してしまったではないか。

「あれが落とし主だったんじゃないの?」

「——な訳ないでしょ」

 どう見ても、通りすがりのチンピラだ。手続きもクソもあったものではない。と、今度はそこへ、宅配が届けられた。また別件だ。が、いきなり騒いでいる。

「今度は何事を仕組まれたんです?」

「さあ? ただ、あれだけ騒いでる様子からして、何か音がするんじゃない?」

 全国に名を轟かす名門にして、アンが極秘留学中の我が校は、良くも悪くも注目されがちだ。となると、お届け物は悪い例のそれによるものだろう。音が鳴るのであれば、時限式の何かか、はたまた生き物か。それなら時期的には、

「蛇か蜂ですかね」

 何であれ、毒虫系はよくある。

「今度はどうするかな?」

「職員室に頼みたいところでしょうけど——」

 頼みのそこは、目下籠城戦のパニック中だ。普段は佐川先生の出番であり、実は今も横で出動待機していたりするのだが。紗生子もアンも、命を出さない。何とも意地の悪い事だ。そこへ更に、追い討ちが入る。

「拾得者の親、ですか?——ってあれ?」

 その呈で現れた、先程のチンピラに扮したエージェントではないか。素人レベルでも見分けがつきそうなものだが、

「ダメね。だーれも気づかないわ」

 所謂「テンパっている」というヤツだ。その拾得者の親を語るチンピラが、今度は拾得物にかかる権利侵害で生徒達を脅している。これは中々、

「質悪いなぁ」

 大人でさえ、百点満点で対応出来る者が限られるような想定だ。

「どう? 金持たせ(・・・・)作戦!」

「もうそろそろ宜しいのでは?」

 美人局(つつもたせ)は、筒持たせ(・・・・)とも言う。それが金に変わっただけの事なのだろうが、基礎学では高みにいる生徒達をも嘲笑う、悪知恵の巧妙さだ。

「——って、まだあるんですか?」

 この上更に来客攻めの正門前は、今や職員室の籠城戦並みに騒然としている。今度のそれは、何とも重厚な車が三台。よく見ると領事館ナンバーをつけている。車はベ○ツのハイクラスで、旗までついているそれは五星旗とくれば、

「まさか中国大使館まで、担ぎ出したんで?」

「いや、これは知らないんだけど?」

 懲りていないようなら籠城戦に油をくべる応援要員も用意していたそうだが、流石に他国の手管(・・・・・)までは動かさなかったらしい。そこへ、

『あぁ、もうそんな時間か』

 と、のんびりした紗生子の声が届いた。

『夕方、中国大使の来園予定があったんだ。ゴローにケミ子——』

 出番だ、と思わぬタイミングで下命される。言われて慌てて動き出すと、外へ出たところで、

「君は包囲されている! 大人しく投降しなさい!」

 などと、籠城戦エリア(・・・・・・)が古めかしい台詞を拡声器で喚いており、思わず失笑が漏れた。

 ——どこまで本気なんだか。

 そんな中で、耳の奥の天の声(・・・)が、

『想定終了! 各局は状況を収束! 速やかに撤収せよ!』

 と、相変わらずの歯切れの良さで矢継ぎ早だ。監督がそんな調子なら演者も演者で、俺と佐川先生が正門に着く頃には、職員室の方で発光弾の反響と共に犯人が確保されたようであり、正門前のチンピラは、対応した生徒達に向かって訴訟を仄めかしながらも男児と共に立ち去って行った。見事な引き際の一方で、アンが言うところの【お灸】は、結局最後まで手の内を明かさないらしい。

 となれば——

 青い顔をして立ち尽くしている生徒達に、俺がネタを明かす訳にもいかないだろう。

「せ、先生」

 チンピラ(役のCCエージェント)に、合法的に脅された勢いを引きずりながらも立て込む対応で、すっかり藁をも掴むザマに成り果てた面々には、少し気の毒な気がしないでもない。が、それでは、コイツらにナメられた仕事や職種に携わる人々が浮かばれないし、

 ——やはり。

 お灸を据えるとしたものだ。

「外国の全権大使がどういう存在か、まさか世が羨む秀才諸君をして理解出来んとはな」

「そんな訳——」

「——ない事はないよなぁ。既に結果は出ている」

 大使と言えば、一般的に【特命全権大使】を言う。その職分は分かりやすく言えば、国のトップ同士が忙しくて中々顔を合わせて話が出来ない、その代行者なのだ。つまり、

「他国の()に、今の状況はないだろう?」

 誰が仕切っているのか分からない有象無象の集団が、対応が分からなければ礼儀の一つも満足に出来ていない。

「これがザマでなくて何なんだ?」

 本当のところは、すぐにでも大使御一行に非礼を詫びたいところだが、そこは学生の拙さを熱いうちに打つという事で、十数秒程度の説教は勝手に大目に見てもらう。

「雁首揃えて、何すりゃいいか分からんか? そんなんでよくも大口を叩いてくれたモンだな」

 ここぞでそんな嫌味ったらしいダメ出しを吐いておけば、何かの揚げ足取りを企んだアンよりも、俺の方に恨みが募るだろう。嫌われ役も任務のうちだ。その嫌味に、誰も声が出ない。

「——所詮は学生気分という訳か」

 外交は甘くない。一々が何かの策に繋がり、ツケや切り札になったりする。常に互いの国益をかけて綱引きをしているのだから当然だ。この一事がそのネタの一つになる可能性を思うと、大なり小なり国益を害したと言えなくもないその浅慮は罪深い。

 それ以前に——

 下手な対応は学園の恥。生粋の保守派である相談役がいる学園の事ならば、その汚名は耐え難い屈辱としたものだ。更に言えば、規律正しい事では世界に類を見ない日本にあるまじき失態。そろそろ時間一杯だろう。

「一同整列! 背の高い者から正面玄関まで等間隔で一列横隊だ!」

 生徒達が俺の不意打ちに大なり小なり痙攣した中で、真っ先に反応したのは、いつの間にか駆けつけていたマイクだった。俺の目の前でクソ真面目な顔のその偉丈夫が、ジャージ姿のまま反り腰で敬礼をしている。その迫力に飲み込まれた生徒達は、それでも呆気にとられて固まったままだったが、

「一分以内だ! 急げ!」

 それでどうにか金縛りが解けたと見え、蜂の巣を突いたような騒ぎの中で数十秒後。ようやく何となく様になった列の終点に、いつの間にか理事長と紗生子が待ち構えているではないか。

 ——やれやれ。

 毎度思う事だが、こんな重要事は事前に一言欲しいものだ。追加の指示はなく、これでよかったのだろうが、気がつけば合わせて籠城事件を収束させたばかりのニセ警官隊までもが整列している。

 まさか——

 という疑問は、言葉になる前に脳内で自動消去された。紗生子のやる事だ。この仰々しさを狙っての、これまでの茶番だったのだろう。使節にしてみれば、何故学校に警官隊がいるのか疑問だろうが、壮観さが割増されて気分が悪い訳もない。

让您久等了(お待たせしました)

「これは痛み入ります」

 ごちゃごちゃ詫びても後の祭りだ。姿勢で見せつけたついでの俺の謝意を、随行車の運転手が、やはり見事な日本語で返してきた。嗅覚的感覚では、生粋の中国人にしか思えなかったが、相手も中々やるものだ。その御一行が先へ進み、玄関先で理事長と挨拶を交わし始めたところで、

登舷礼(とうげんれい)とは流石ですなぁ。お互い流暢な相手国語(・・・・)も見事でしたよ」

 と、小振りの蛇を掴んだ佐川先生が、列外で推移を眺めていた俺の横にひょっこり顔を覗かせた。俺同様、こちらも訓練(・・)ではなかったらしいが、流石に慣れたものだ。

「中身はマムシでしたか」

「じじいの能は、これでマムシ酒を作るぐらいですよ」

 その三角頭の毒蛇を器用に掴んだ佐川先生が笑うと、近場の生徒達から悲鳴が上がる。

「蛇ぐらいで——」

 静かにしろ、と苦言が漏れそうになったタイミングで、

"同好会入会希望者達は待機させておけ。後で顧問(・・)から直々に(・・・)話がある"

 そんなメッセージが、目下接客中の紗生子から届く。

 ——うわ。

 これは怒っているヤツだ。

 その小一時間後。

「本校の安全配慮義務のレベルは、他校よりも少し(・・)高い事を言い忘れていた」

 集合時同様、多目的広場に集められた入会希望者を前に、中国大使一行の接遇を終えた紗生子が仁王立っての一言は、実に白々しい。

 ——少し(・・)ねぇ。

 今日はチンピラレベルだった襲撃者だが、去年の例では世界的な反社組織の武装集団であり、狙撃ありミサイルあり。はたまた他国大使だった来訪者は、去年の例では米副大統領だったりしたのだ。それを思うと、先刻のアンの一言ではないが、とんでもない学園というかCCの暗躍振りというか。ハードといいソフトといい、常軌を逸している。

「今日のは序の口なんだが、まだ続けるか? それとも辞めるか?」

 俄かに不気味な迫力を醸し出す紗生子のその言を、下心満載の入会希望者達がどの程度汲み取ったものか知った事ではなかったが、その後その場に残ったのがアンとワラビーとエリカだけだった事を思うと、本能的に危険な匂いを嗅ぎとったのだろう。

「——骨のないヤツらだなぁ」

 紗生子の脅しに怯まないヤツなど、それこそ大人でも中々いないのだから

「当然でしょう」

 それに、勉強と社会経験は、また別物なのだ。むしろこの世は、卓上の理屈が通用しない事だらけなのだから、

「酷ですよ」

「まぁ少しはいい勉強(・・・・)になっただろう」

 という皮肉というか、紗生子の嫌がらせというか。

「後で保護者から苦情がきやしませんかね?」

「それはないな」

「——ですか」

 相談役の学校なのだ。甘い考えの者こそが悪であり、常在戦場は何も教職員だけではない。それが理解出来ない者は、

「同好会と言わず、ついでに学校まで辞めてもらっても一向に構わん。何せブロンドの巨乳娘を前に、下半身でしか物事が考えられんたわけ共だ」

 つまりは、それも目論んだ茶番だったという事だ。アンの絡みで、事情が飲み込めていない新入生に対する、

「牽制球だった訳ですね」

「流石にいきなり死球を投げる訳にもいかんしな」

 紗生子が本気なら、それは球などと言えたものではなく。ダイレクトに死だ。

「軟弱な連中の事とは言え、一応は保護者からの預かりモン(・・・・・)だ。警策(・・)の匙加減を考えさせられる分だけ面倒で敵わん」

「容赦なく打ち据えてやればいいのよ」

 ザマよザマ、と追い討つアンの目論見通り、初日で激減したJRC同好会は、翌日三人のみで正式に発足。当初からその予定だったらしい。

「ここからが更に面倒なんだがな」

「はあ?」

「ふあ」

 ぼやきついで紗生子が、あくびを被せながら根城へ足を向けた。今は、教えてくれないらしい。


 その翌日。晴れて正規会員による初日の活動を迎えたJRC同好会の面々は、やはり地下の校務員室に入り浸っていた。

「ホント、ここのコーヒー美味しいねぇ」

 と、エリカが年齢不相応にもコピルアックのブラックを飲むのを、

「お子様に味が分かんの?」

 と、冷やかすアンが、何処から持って来たのか知らないが、今日になって突然置かれた丸テーブルの、その上に乗る菓子盆に手を伸ばす。

「私は何処ぞの某元副大統領御令嬢と違って、蝶よ花よで育てられてきた訳じゃないから、これでも社交向きの味や嗜みには触れてきたの」

「それはそれは生意気な事ね。少しは子供らしくしていた方が、マイクにも可愛がってもらえるってモンじゃないの?」

「そういう約一名がそうやってマイクを困らせるから、私が守ってあげないといけないのよ」

「あらまぁ重ね重ねも小生意気なこと。マイクがアンタに合わせてるって事が分からないようじゃまだまだね。だから子供だってのよ」

「オールドミスは僻みっぽくて嫌ね。こんな年の取り方はしたくないわ」

「ホント、嫌なマセガキねぇ」

「お褒めに預かり光栄だわ」

「けなしたのよ? そんな事も分からないで私の秘書なんて務まるのかしら?」

「そちらこそ、おつきの者を大切にしないようじゃ先が思いやられるわね。ミズACE(副大統領)ともあろうお方が、浅慮甚だしいこんな姪っ子に、よくも国の大事を預ける気になったモンだわ」

 延々と終わりの見えない小競り合いの中で、主幹教諭室の紗生子が、モニター越しにイラついている。

「まぁまぁ二人ともぉ! そろそろ顧問の雷が落ちるよぉ?」

 それを上手く取り持つのは、ワラビーの役目だ。

 何にしても——

 これの何処が部活なのか。何が何やらさっぱりだ。当然、副顧問の俺はこの場のお飾りで、多忙な紗生子がこんな得体の知れない活動を繰り広げる三人娘の前に何故顔を出しているのか、それすら分からない。因みに佐川先生は、校内設備の点検に出かけている。それならば、ケアテイカーに寄り添う精神を尊ぶJRC同好会の性質上、何らかのサポートをして然るべきだと思うのだが、そんな素振りもなく。

 ——何これ?

 どうやら俺の考えの及ぶところではないらしい。これではまるで、この場にいる事の大義を得るためだけの同好会のような。

「痴話喧嘩なら他でやれ。私は忙しいんだ。とにかく首尾を報告しろ」

 画面越しの鉄仮面の魔女が、蔑むような目線と共に相変わらずの三段活用で結論を迫る。すると早速、

「先方とは、連休中で調整が進んでいるわ」

 と、姿勢を正したエリカが慇懃にも答えた。

「面子は?」

 矢継ぎ早の紗生子に歯切れよさが加わるが、

「お孫さんと、その取り巻き。あとは護衛が少々」

 と答えるアンに、隙はないようだ。

「場所は?」

「セントーサ島にしよーかなぁと」

 ワラビーも同様。やはり俺は置き去りの状況で、

 ——セントーサ?

 その地名に、追いすがるきっかけを見出す。が、

「ちょっと。さっきから約一名参加出来てないよーなんだけど?」

 我が旦那さんの事でしょうが、とアンがぼやいた事で一服。

「へ? いや、その——」

 途端に出来る女達の視線が刺さる中で、

「——また研修旅行の?」

 話ぐらいしか想像出来ない俺だ。

「地名を読み解いたか。君にしては頑張ったな」

「褒めるんじゃなくて、ちゃんと説明しときなさいよ! 只でも普段はぼんやりしてんだからさぁ!」

「それはそうなんだが——」

 マイクが傍にいるだけあって、すっかり気持ちが俺から離れたらしいアンといい、その指摘を正面から受け止めた紗生子といい、本人の前で大概だ。が、俺が分からないのは事実なのだから、何か言える訳もない。

「——男の甲斐性なんぞそんなモンだろう? それにゴローの天然は今に始まった事じゃない」

 何かを匙で掬うのかと思いきや、逆に雑に投げたような紗生子のこれは、どうやらフォローのようなものらしく、

「何その惚気(のろけ)!? 忙しいって言っときながら大概にしなさいよ!」

 その何処かに嫉妬のようなものを匂わせるアンといい。女の機微の奥深さを改めて突きつけられる俺は、出てきた地名以外で分かる事はなく、

 何がなんだか——

 さっぱりだ。が、晴れてこの度同好会の会長に就任した我らが(アン)によると、要するところ一応公募した結果の同好会設立とそのメンバーという形を見せた今回のこれは、

「——茶番だったの」

 その裏で、本来の目的が待ち構えている、のだとか。

「本来の目的? ですか?」

 このメンバーがいつも集まっていても怪しまれない環境作り。しかも、人目につきにくい校務員室に入り浸っても、自然な体裁をわざわざ取り繕った格好のその実体は、

「秘密外交共同体だからね」

「何ですその——」

 怪しい名称が際立つ分、余計訳が分からない。逆に答えが遠退いたようだ。

「——秘密何ちゃらで、学校の部活って言えるんですか?」

「そんなことだから、コールサインがTamegoro(タメゴロー)になるんだ君は」

 本の少しばかり黙っていたモニター向こうの紗生子は、いつでも何処でも横槍という名の名槍を携えている。

「だって、分かんないモンは分かんないですよ!」

「だってじゃあるか。君の国の事だぞ?」

「——って言われても」

 あからさまな長嘆を見せる紗生子は、思えば様々な表情を見せるようになった。が、

「だから少しは、自分の周りで起きている事ぐらい興味を示せと言って聞かせたろうが。従順なようで思いがけず頑固だな君は。こっちがタメゴローになりそうだ」

 ——この嫌味。

 その分だけ、失礼の度合いは増加傾向だ。当然、口に出して言えたものではないが。

「小面倒臭いお嬢様を預かるだけでもそれなりに神経を使わされているというのに、この上更に追加オーダーだからな」

 はあ、とまた長嘆する紗生子を前に、

「都合良くも今の私は、人目につかないし——」

 それを活かさない手はないよねぇ、とアンが、今度は同情のようなものを見せている。

「厚かましいと言うんだ、そういうのをな」

「私に言われても。何なら伝えとこうか? 叔母さん(・・・・)に?」

「余計なお世話だ。また仕事を増やされても敵わんからな」

「仕方ないんじゃないの? 日本は守ってもらってるんだし?」

「守らせてやってるんだ。勘違いするな」

 やろうと思えば日本は自衛隊だけで文字通り自衛可能だ、と忌々しげにごにょごにょ愚痴る紗生子は、今度は珍しくも何処か歯切れが悪い。

「ならやれば?」

「本当に戦争になればやってやる。だが平時から軍備を増強する訳にもいかんだろう。そもそも日本は直近の大戦の敗戦国だ。軍拡すると周辺国がうるさい」

「つまりそれは、出来ないって事じゃないの?」

「出来ないんじゃない。諸事情を慮ってやらないだけだ。分からないヤツだなお前も」

「屁理屈にしか聞こえないんだけど」

「まぁいい。ぐずぐすしてるとまた(・・)お前の父君まで遣わされそうだからな。——エリカ」

「はい」

「秘書らしく、これまでの進捗をホットラインのテストを兼ねて報告しておけ」

「テストはもう終わったわ。報告は随時やってるから心配ご無用」

「流石に卒がないな。後は妙な茶番がなくなれば言う事なしだ」

 ふん、と今度は鼻で笑った紗生子が最後に、

「アメリカ側はどうしてどうして、色々と面倒をかけさせるな、ゴロー? これに四つ星(警視総監)が、実は絡んでいると言ったら君はどう思う?」

 と、また異な事を吐き出した。

「はあ?」

 何をまた——

 ますます訳の分からない事を。

 そんな混乱の中で迎えた学園生活二年目。一応、未だ米空軍兵を兼務している身の上の配慮としたものか。俺の新学期は、相変わらず何の説明もなく、周囲の女達の議論だけで議事が進んでいくという、そんな空中戦の連続だ。

 それにしても新教頭といい、エリカといい。新参者らしからぬ訳知り顔で、またしても俺はおいてけぼりの構図だ。安定的に間抜けなのは何故なのか。

「——大丈夫だ。心配するな」

 それをまたしても見透かす紗生子が、今度はモニターの向こうから失笑する。何とも表情の忙しい事だ。

「そこの三人娘が何をかいわんやだ。君には君にしか出来ない役目があるし、あえて説明を省いているのにも訳がある」

 その何か、特別な理由を期待させるような、つい聞かずにはいられない誘導にまんまと乗った俺が、

「その訳とやらを、可能ならば聞いておきたいのですが?」

 と聞いたのも束の間。また小さく失笑した紗生子が、

「そんなの、君が驚くのを楽しむために決まってるじゃないか」

 などと、悪びれもせずに吐き出してくれたお陰様で、俺の前で円卓を囲んでいる三人娘が一斉に噴き出して、飲んでいたコーヒーにむせ始めた。

 ——結局、お笑いネタかい。

 笑った方も笑われた方も、いいザマだ。

 そういえば俺のここ一年は、驚きと溜息の連続で、こんな風に笑っていないような気がするのは気のせいなのか。軍にいた頃は、それこそそれなりに冗談を言っていたような気がするのだが。

 ぐむぅ——

 そう考えると、やはり俺にとって久し振りの母国は、何かと辛気臭いという事なのだろう。その分かりにくい冗談は、

 ——つまるところ。

 本当は笑っている場合ではない事の裏打ちなのではないか。そう思うと、嫌な胸騒ぎがし始める。

 去年からこちら、色々あった学園生活だが、まさか今年はその上をいく事もあるまい、

 と思いたいんだが——

 何せ周囲は曲者揃いの女達の事だ。まともに過ごせるとは思えないこれも、俺の不甲斐なさ故の悪い予感なのだろう。

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