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新学期①【先生のアノニマ 2(中)〜1】

 四月中旬。入学式翌週の課外。

 紗生子と俺は、主従共々理事長室に呼ばれた。室内に入ると、決まって紗生子は応接セットの上下を超越した議長席に座る。室内に客がいなければ、紗生子にとってそれはスタンダードだ。

 理事長は高坂宗家現当主の実孫であり、その名を高坂千鶴(こうさかちづる)という。どういう経緯か知らないが紗生子とは友人関係のようであり、一見して華々しい紗生子とは毛色こそ違うが、類は何とかで慎ましやかな麗しの君だ。因みに俺はこの二人の実年齢を知らないのだが、どうみてもアラサーの若さだというのに、名実共に学園はこの二女傑によって運営されていると言っても過言ではなかった。

 理事長は役職柄、明確な経営権を有するのだから運営権も当然だが、紗生子の方は学園職員としては校長、教頭に次ぐナンバー3の主幹教諭であり、普通に考えれば運営・経営層たる校長・教頭の補佐役にして、実務を担っている教諭達との間を取り持つ調整役だ。が、この女は海自のキャリア組の肩書きもさる事ながら弁護士資格を有し、顧問弁護士とスクールロイヤーを務める傍らで、何故か保有している医師資格を活かして校医も兼任するという中々出鱈目な女だったりする。その表向きの仕事の裏で極秘任務もこなすというのだから、どう考えてもハードワークの筈なのだが、そんな素振りは微塵も感じさせない有能振りだ。これで性格が良ければ完璧なのだが、そうは問屋が卸さないのが人の世というもの。というか、その表向きの性格の悪さで、全てのステータスを帳消しにするような有様だ。因みにこの魔女は、どういう訳か素晴らしい手性の持ち主で、俺は何度となくその御手による美膳に打ちのめされており、重ね重ねも本当に、これで後は性格さえもう少しマシなら人として完璧なのだが。

 少し話がそれたが、そんな紗生子だから学園の表裏を熟知している訳で、友人関係でもある理事長とは公然とタメ口でやり取りしており、誰もが認める実質的な運営者だ。その上で紗生子は極秘任務のために、一応学園職員の身でありながら普通は校長が掌握している筈の施設設備管理権を有し、人事拒否権を与えられた挙句、職務専念義務免除の特権までも持っている。つまり、いざとなれば自らの信ずるままに好き放題出来る訳だ。が、普段は精神的なたが(・・)を理事長が握っているようで、名実共に圧倒的な力を持つ紗生子を理事長が寛大な御心で許容している、そんな具合の学園両巨頭だ。

 行くところ怖い者なしの傍若無人の魔女も、理事長には一目置いているらしい。もっとも高坂一族である事を慮っての事なのだろうが、当の本人はそれを振りかざすような野暮などしない徳を積んだ麗人であり、紗生子に続いてこそこそ入室した俺なんかに丁寧にソファーを勧めると、自らは甲斐甲斐しくも給仕をしている。これも、いつもの事だ。

 その理事長が俺が座る下座の、最下座側に座りながらも、

「お茶をしながら気楽に致しましょう」

 と自ら茶菓子を摘み始めた。そんな俺達の前、上座にはこの度赴任したばかりの教頭が、どっかりと腰を下ろしている。まさか改まって、

 ——宣戦布告?

 のつもり、という事ではないと思うのだが。

 滝川、と名乗るその御仁は、年の頃五〇前後といったところで、如何にも精悍な容姿の厳つそうな男だ。一見してとても学校の先生には見えないのも当然で、前任地は警視庁捜査第一課の刑事だったというから、長年のキャリアが纏わせた風貌なのだろう。そのベテラン刑事に向かって、

「始業式の新任挨拶で軽く素性は聞いたんだが。今更何の用だ?」

 と紗生子が、いきなりタメ口だ。

 ——あちゃあ。

 どう考えても紗生子の方が小娘的な年齢だというのに。この小娘があからさまな横柄さで接する相手とは、情け容赦無用の敵という事だ。日頃から誰彼構わずタメ口の、口の悪い紗生子だが、その中にも温度差はある。その程度は分かってきた俺だが、今日のそれは容赦ないヤツだ。毎度の事ながら心臓に悪い。

「改まってお二方にご挨拶される方に対する申されようではありませんよ、主幹先生」

「挨拶? 私はてっきり宣戦布告されるものと思ってたんだが?」

「それならわざわざこの場を提供しませんよ。分かっておいででしょう?」

「どうだかな」

 と、鼻で笑った魔女が、遠慮なく理事長に追随して茶菓子をまさぐる。

「で、わざわざ呼び出されたもう一人(・・・・)の方は、何か聞きたい事はないのか?」

 理事長室での話は大抵雲の上の事であるため、下々の俺はついていけない事が多い。それ故の、紗生子の確認作業も毎度の事だ。が、

「いえ、特に」

 今回は鈍い俺でも、詳細な説明は聞くまでもなかった。

「まぁそうだろうな」

 簡単な事情は、春休み中に理事長から聞かされて知っている。それだけで十分だ。

「だっはっは」

 それまで黙って達磨のように睨みを利かしていた滝川が、堪り兼ねたように噴き出した。

「分かりやすいのは嬉しいが、敵認定されるのは御免だ。表向きはアンタ達のサポート役として派遣されたんだからな」

「警察に頼る程、我々は落ちぶれてはいない」

「まぁそう片意地を張りなさんな。俺だって来たくて来たんじゃない」

 という滝川は、表向きには官民の人材交流の一環で、文科省経由で赴任してきた身分だ。が、裏向きは、極秘留学中のアンの身辺を治安機関としてサポートするための派遣、である事は疑いようもなく。

「大した執行力もない公開(・・)組織の連中にウロつかれても邪魔なだけだ」

「ご意見ごもっとも。何せ我らは御曹司を救出する事が出来なかった、無能な組織だからな」

 元外相の元秘書による高坂家御曹司拉致事件は、事もあろうに高坂グループの船会社の国際クルーズ船が舞台となった。中米国籍の便宜置籍船である事を逆手に取られ、治外法権で直接介入出来ない日本警察はほぼ無力。それを尻目に、大胆不敵な犯人グループによる営利誘拐と国外逃亡が完成寸前まで追い込まれた事は、未だ記憶に新しい。

「アンタらは高坂宗家の現地本部で騒いでいただけだものな」

「また、そういう言い方をするものじゃありませんよ」

 と窘める理事長と新教頭の滝川は、その折に顔見知りとなったとか何とか。

「何がSIT(特殊事件捜査係)だ。特殊部隊っていう看板に酔ってるだけなんじゃないのか?」

「主幹。いい加減になさい」

「分かった分かった」

「いやはや、手厳しいな。はは。その節は、もう一人(・・・・)の方のお兄さん(・・・・)には、本当に世話になった」

 蚊帳の外ではいさせてくれないらしい滝川の一言で、俺は思わず天を仰いだ。

 件の事件は、民間人に扮した元仏外人部隊の特殊部隊員だった俺の兄による単独突入作戦によって解決し、事なきを得たのだったが、兄というのは物の例えで要するに元戦友だ。そんな事情を知っているという事は、俺の素性をそれなりに知っているらしい。

 またしても——

 面倒臭いヤツが一人、増えただけだ。米軍人の前は仏軍人だった俺は、辿れば元台湾人だ。何処まで知っているのか知らないが、仮に台湾以前(元日本人)の事まで知られているとなると、ますます面倒な事になりそうなのだが。

「不破は俺の先生だった男だからな。それなりによく知ってる。それだけだ。アンタの事は、ヤツの突入作戦の時に小耳に挟んだだけさ。そう身構えんでくれ」

 説明臭く弁解されると、逆に身構えたくなる。外人部隊を除隊後、日本警察の特殊部隊の指導を依頼され帰国した兄がそこで冷や飯を食わされた事は、拉致事件の折に紗生子から聞かされて知っている。

 ——その一味か。

 身内贔屓とは思われたくないが、今は不破と名乗る兄は、素朴でいいヤツだった。そのくせよく面倒事に巻き込まれるお人好しで、そんな兄の仇だと思うと腹立たしい。

「勘違いするな。この男は君の兄を擁護していた、数少ない警察内部の理解者の一人だ」

 かと思えば、先程来喧嘩腰だった紗生子の口から、その相手を擁護する声だ。

「流石はCCのエージェントだけあって、よく知ってるな」

「それが理解出来るのなら、何故ここへ来た? 少しは恥の意味も分かるようだが」

「だからさっきも言っただろう。俺だって来たくなかったんだよ。そりゃそうだろう? 恐らく日本有史に名を残すだろう女フィクサーのお膝元(学園)で、その子飼い(部下)がウヨウヨしてるような所だぞ? 誰が好き好んで行きたいものか。賢い連中は、みんないい手づるを持ってるからな。逃げそびれた俺一人がバカを見たんだよ」

 と愚痴る滝川によると、今回の赴任は警視総監直々の命らしく、先の有望なキャリア組は逃げたらしい。

「こういう時の捨て駒は、軍でも警察でもノンキャリとしたモンだろう。取ってつけたように昇任人事と左遷がワンセットだ。なぁ、シーマ少佐?」

「さぁ、どうでしょう?」

「そう嫌ってくれるな。俺は喧嘩を売りに来たんじゃないって事を言いたかっただけだ。職員室の自分の席に呼びつけて出来る話じゃないしな」

 かといって、主幹教諭室(CCの学園分室)は到底入室させてもらえそうにない。で、おこがましくも、理事長に場を設けてもらった結果が今の状況らしかった。

「流石に何処で聞き耳を立てられてるか分からんからな。あえて言うまでもないかも知れんが、四つ星(・・・)に気をつけろ」

 と好意のようなものを見せた滝川を、

「まさにわざわざ聞くまでもない。いらん世話だ」

 と、また即座に景気良くぶった切る紗生子だ。先程一瞬見せた配慮ようなものは気まぐれなのだろう。そのあからさまな不信感は、俺も同意だったりする。

「まぁそうだろうが、不破の弟分の事とあっちゃあ、どうしても気になってな」

「それこそ尚更、余計なお世話だ」

「流石だな。日頃からあの(四つ星)程度は蹴散らしてるって事か」

 星とは警察の隠語でいうところの犯人だ。他方、星は階級章のデザインでもある。それを四つ持つのは警視総監だ。恐らく後者の意味合いでの忠告なのだろうが、犯人の隠語を含ませたくなる程、現警視総監(高千穂家の長男)の裏評判は悪い。が、紗生子にかかれば、

「いずれ始末をつけるつもりだったからちょうどいい。小悪さも大概にせんと火傷じゃ済まんと、お宅の四つ星に伝えておけ」

 と、やはり抹殺対象のようだ。

「スパイの中のスパイとはよく言ったモンだが、巻き込まれるのはゴメンだ。精々その手腕を拝ませてもらうとしよう」

 言う事を言った滝川は、少し冷めたお茶を一気にあおると、理事長に謝辞を述べてさっさと出て行った。

「呼び出しておいて先に出るとは不躾なヤツだ」

 ——それはアンタの十八番(おはこ)だ。

 と突っ込むと後が怖いので、当然口にはしないが、歯に衣着せぬ物言いは分かりやすくて嫌いではない。飄々とした滝川もそんな風であり、苦しげな立場にはシンパシーすら感じる。が、喉がつっかえるような気もするのは、積年の渋みといったところだろうか。

「スパイの中のスパイって、どういう事です?」

 残された者は、というか俺は、事情に明るい上の方々から、諸々の擦り合わせを賜るのもいつもの事だ。

「そのまんまだ。何せCCはウソかホントか知らないが、超法規(ぶっちゃけマー)的措置(ダーライセンス)を行使出来る非公開組織だからな」

「ウソかホントって——」

 マーダーライセンスとは、やはりげなげな話だったのか。

「公然とそれに頼る程、間抜けじゃないって事だ」

 ——そりゃ知ってんだが。

 結局のところ、ライセンス云々の詳細は知らないが、その仕事に躊躇がないのはCCの働き振りから嫌という程教えられている。が、理由はそれだけではないだろう。

「普段はホント冴えないな君は。脳味噌を甘やかし過ぎだぞ?」

 いつまで経っても全部説明させるな、と愚痴られるのも毎度の事だが、何故だか紗生子はそれこそいつまで経っても俺を切り捨てない。いざとなれば俺の一人や二人、簡単に首に出来るだろうに。逆にそれどころか、任務上とはいえ旦那にまでされてしまった俺は、いつまで経っても頭脳に関しては、紗生子に頼り切りの甘えまくりなのも事実だ。

「私の能は槍働きぐらいですよ。ご存じでしょう?」

「またすぐ拗ねる。折角のいい男振りが台無しだと言って聞かせてるだろうに」

 全く、とボヤくが、それでも最後は必ず答えをくれる訳で、確かにここ一年弱は、安直に色々な事を知り過ぎている感は否めない。それは俺の身の程からすると危うい事なのだが、今更後戻りを気にするような身でもなく。結局、紗生子の何かの思惑に乗せられているような気がしないでもない。

「国内に諜報機関がいくつもあるのは、お互いを牽制させて暴走を許さない意味合いもある。よくあるスパイ合戦だ。CCは非公開性という点で、他の組織の上をいっている。諜報部の中の諜報部とも言われているが」

「でも——」

 ネット上の都市伝説では、随分と詳細な書き込みが顕著なのだが。

「要するに、政府がその存在を認めていない。それだけの事なんだが、まぁそれ故のスパイの親玉気取りさ」

「公然の秘密ってヤツですか」

「秘密は秘密だ」

 しらを切る事の重要性という事だ。そんなところは如何にも国家機関らしい。

「内閣府には内閣情報調査室( 内調 )があるのに、合わせてCCがあるのはそういう理由なんだよ」

「はあ?」

「組織立ってないんだ。はっきりとな。となると当然、抱え込めるような省庁もない」

「だから内閣の、実体怪しき事務員(・・・)という訳ですか」

 内閣府職員の職階には、事務官(Official)はいても事務員(Clerk)はいないという、都市伝説のそれだ。

「とりあえず内閣府から給料をもらっているだけの事だからな、内閣府との関係性は」

「それって——」

「何処の国にも幽霊はいるモンだ」

 前任地での俺は、まさにそんな幽霊だった。身分こそ有しているが、実体の隠された亡霊。

「だからこそ君は、CCに流れ着いたのかも知れんな。実体の薄さという点において親和性があったという事だろう。ただCCは国に飼い慣らされていない点において、幽霊船(・・・)の面々とは決定的に違うがな」

 そんな幽霊船で、開戦当初のウクライナへ極秘派遣させられたのも、まだ二月も経っていない冷めやらぬ記憶だが、

「その面々は、今はどうしているんでしょう?」

「当面は通常任務のようだぞ」

 と幽霊達の様子がすぐに出るところなどは、やはりそのコネクションを手放してはいない紗生子だ。何れまた、その力を利用する機会もあるという事か。

お婆様(相談役)は、創設に当たって民意の具現を目指したそうです」

 女フィクサーの力の源の一つであるCCの創設者は、他ならぬ理事長のお婆様ご本人であり、そんな事情に接する事を許されたこの若き理事長とは、相談役の眼鏡に適う優れた資質の持ち主という事だ。

「より分かりやすく、名乗らない正義の味方的な」

「月○仮面だ」

「一言で言うと、そんな具合です」

 ——相変わらず。

 紗生子の例えは、たまに古いのだが、それを言っては怒るので口にはしない。

「——あ」

「どうした?」

「いや——」

 不意に思いついてしまった。

「ひょっとして、理事長もCCに——」

 属しているのではないか。

「今更何を言ってるんだ君は?」

 呆れた紗生子が、深い溜息を吐き出して見せた。

「私も常日頃から、コンタクト(・・・・・)イヤホン(・・・・)はしています。皆さんのように派手な立ち回り(・・・・・・・)は致しませんが」

「——やっぱり」

「アンの受け入れ先の学園だぞ? 学園関係者に協力者がなくて成立するものか」

「てっきり相談役のお力だけで何とかなってるのかと」

「それはそうだが、実際の現場で実務を担う者からの協力は必須だ」

 秘密主義で組織性をひた隠し、かといって神出鬼没で気がつけば何処にでも存在する。それは何だか、それこそ都市伝説でよく耳にする

「フリーメーソンみたいな感じが——」

 しないでもない。が、

「そんな上品なモンじゃないさ。あえて言うなら黎明期のFBIだな」

「フーバー長官的ですか」

「フリーメーソンのメンバーだったとも言われてるな、奇しくも」

 そんな秘密警察的組織を作り上げた野心家の姿がチラつくのは、スパイ組織の宿命でもあり危うさでもある。

「そこんとこどうなんだ? いい機会だ、二代目フィクサーの見解が聞いてみたいな」

「ええっ!?」

 また思いがない衝撃だ。

「また今更だな君は。聖人君子か何かと勘違いしてるようだが、千鶴もこれはこれでやる事はやってる女だぞ?」

「やる事やってるって——」

 俺の密かな憧憬の君に、そのような生臭な言い回しを。

「まぁ、君が千鶴を好きなのは知っちゃいるが」

 当然それを知った上での、わざとらしい妄言に、

「何言ってんですか!?」

「まあ、うれしい!」

 などと、俺と理事長の声が被った。

「いや、そこは否定しないと!」

 理事長には既に婚約者がいる。拉致事件で被害者となった、やはり現高坂宗家当主の実孫真純(ますみ)だ。因みに理事長は現当主の長男の実娘で、真純はその長男の実妹の実息となり、二人は従姉弟に当たる。

「真純さん、最近忙しくて構ってくれないんですの。シーマ先生だったら全然OKですわ」

「いやOKって言われても——」

 困るのだが。そもそも俺の理事長は、こんなキャラではなかった筈だ。

「でも横取りしちゃったら、お困りになる方が約一名いらっしゃいますし。ねぇ、紗生子さん?」

「これで分かったろう? 女は分かりにくい生き物だ。こう見えてもそれなりに女特有の魔性を有している。何せ一六歳の若君を夢中にさせる女だぞ。それが同居していれば若い二人の事だ。そろそろ出てくるべき所(・・・・・・・)が出てくるぞ。なぁ千鶴?」

「お互いの親の同意も取りつけている事ですし、成り行きによってはそんな事もあるでしょう」

 ——うわ。

 紗生子のわざわざ想像力を掻き立てるような、わざとらしいナレーションのせいで、今や俺の頭の中はショタコン物のエロ漫画だ。

「どうだ? こんな女(理事長)でも己の獣性には抗おうともしない。それなら普段から開き直っている私の方が潔いとしたモンだろう?」

「本能的な愛情を乱暴に一言で片づけるところは、如何にも主幹先生らしいと思いませんか? シーマ先生?」

「はあ、まあ——」

 と話を振られても、後が怖いので困るのだが。

「そうですね——真純さんは一六歳とは言え、児福法(児童福祉法)育成条例(青少年健全育成条例)の保護法益をもってして守るべき児童や青少年の範疇を明らかにはみ出してますし——」

 両法令とも、法律上一八歳未満の未成年者の心身を守る事を主旨として立法化されているものだが、理事長のフィアンセたる一六歳の若きプリンスは、昨年度の司法試験に史上最年少合格し、今や司法修習中の英才にして、中三の時には全国中学校体育大会( 全 中 )の剣道個人戦で優勝したような猛者だ。心身共にこれ程屈強な若者は、そう簡単に見つけられるものではない。それを一方的に「それでも一律で児童にして青少年である」と決めつけるのであれば、それは法やその執行者にこそ問題がある。

「——確かに婚姻年齢に達していないとはいえ、年齢だけを切り取って判断能力のない若者に対する性搾取と捉えるのは、確かに乱暴かと」

 法律上は淫行、という表現になるのだが、そもそもが一族内でも認められたフィアンセ同士だ。余程のケースでもない限り、揚げ足取りをする大義すら見出せない。

「実務的にも、問題にする方が捩れてると思いますが」

「性的同意年齢も超えている事だしなぁ。それにしても実務的(・・・)とは、随分と垂れてくれるじゃないか」

 そもそもが、そんなところの詳細は紗生子の専売特許であって、俺が言うべき解釈ではない事は当然承知している。

「あえて言うと、釈迦に説法だな。相変わらず法に関心を寄せているのは感心に値するが」

 そんな事は分かってはいたが、その分かりやすい土俵に乗ってやらないと、後々散々当たり散らして周囲を困らすのは

 ——誰なんだ?

 と言いたいが、言える訳もなく。

「出過ぎた事を申しました」

 と、日和見なへつらい方しか出来ない情けなさだ。

旦那さん(・・・・)にそう言わすように仕向けたくせに。よく言えます事」

「人の(旦那)にまで欲を出す誰かさんのせいだ」

「けしかけてきたのは紗生子さんの方でしょう?」

「おや? まだやるか?」

「主幹! 話を脱線させた挙句、口喧嘩してどーするんですか!?」

 しかも、二人の美女が何故か俺をネタに言い争うなど。そもそもが俺の周りの女達は、皆大変有能だというのに、自分で言うのも何だが何故だか俺のような冴えない男に興味があるらしい。真偽の程は不明だが、去年は奪い合いのような状況になりそうになった頃、強引な紗生子によって偽装夫婦にされてしまった事で一方的な決着を見た訳だが。それでも未だに、紗生子による俺の独占に対する不満がチラホラ耳に届く有様で、男臭さの中で生きてきた俺にとっては有り得ない事だ。

「脱線しちゃいないがな。全部本当の本筋の話だぞ」

「そもそも何の話だったか忘れちゃいましたよ」

「教頭の話だ」

「そこまで戻るんですか!?」

 散漫な中に爆弾を連続投入するような話振りは、如何にも捻くれ者の紗生子らしい。単純な俺の頭では、物の見事に惑わされて、途中の重要事は分からなくなる。

「で、どうなんだ二代目?」

「私はなりませんよ。二代目なんて。あなたこそ向いてらっしゃるでしょ?」

「冗談じゃない。私はこれでも面倒事は嫌いなんだよ。正直、他人のためってのが性に合わない。それに私には、二代目には欠かせない、お前のようなあざとい篤実さはないぞ?」

「私だって、組織の長として必要な、あなたのような無闇やたらな力強さはありませんよ」

 褒めているのやら、けなしているのやら。紗生子のそれは当然だとして、いざとなると理事長も、あの紗生子を相手に一歩も引かないのだから、流石というか恐れを知らないというか。それでも一匹狼たる紗生子を突き放さないのだから、懐の深さも恐れ入る。

「流石に姉様もそれなりの年だというのに。後継者を育てていないから、あんなヤツ(・・・・・)がしゃしゃり出てくるザマだ」

「あんなヤツ?」

 話が散らかって、何の事やら分からないのもいつもの事だが、

警視総監(四つ星)だ」

「何でまた——」

 そこに繋がるのか。賢いヤツらには通る話なのだろうが、相変わらず過程が滅茶苦茶でさっぱりだ。

「フーバーの二番煎じを狙っての事だ。ヤツ独自の力を使って、似たような事をやってるようだしな。小賢しくも小物らしい猿真似だ。新しい教頭はその斥候なのさ」

 が、滝川の任務はそれだけではなく、

「加えて偶然にも、斥候を送り込んだ先に往年の意中の人がいたって事だな。警視総監殿は笑いが止まらんだろう」

 と、紗生子が俺を一瞥する。

「君の中から是が非でも【シマ・レイ】を引っ張り出すつもりだろうな」

 それは俺の本名だった。

「俺は、ご迷惑をかけるのでは?」

 その名こそ、現警視総監が求める往年の恋人だ。

 ——うえ。

 我ながらまたしても、つまらない想像力を働かせてしまった。

「任せておけといっただろう。それに今後、君の力が役に立つ時がくる。あの教頭は、あれで昔気質だからな。古い事実を前に苦悩させても気の毒だ。君はしばらく、しらを切り続ける事だな」

「教頭先生は、仲良くされたいとおっしゃっていました。お婆様の目もある事ですし、善悪や大義を見誤る方ではございません。大丈夫ですよ」

 紗生子と理事長の言いたい事は、意味合いとして似たようなものだが、同じ意味でも理事長の方が耳障りがよいのは気のせいではないだろう。それにしても重ね重ね、

 ——めんどくせぇ。

 この波乱の相は何とかならないものか。四月は出会いの季節とは言ったものだが、招かれざる客は御免被りたいと思うのが人情としたものならば、人智が及ばぬ何かに導かれての事なのだろう。

「新校長先生は、諸々の事情は当然——」

「知っていると思うか?」

 新校長は前教頭だ。昨夏の前校長の失踪(・・)以来、理事長が兼任していたそのポストは、今春の人事異動に伴いようやく教頭の昇格という形をもって充当された。紗生子の言う通り、当然表向き(・・・)の校長だ。所謂、一般的なサラリーマン管理職の哀愁漂う苦労人のその人は癖のない良識人で、裏向き(・・・)いざこざ(・・・・)を任せられる訳もなく。それを押しつけるのは余りにも気の毒というもので、名ばかり校長の名と引き換えに、校長が背負うべき責任の大半は紗生子に移譲している訳だ。

「一般的な運営はこれまで通り、校長以下の管理層に担ってもらう。裏向きの諸々はここにいる三人がメインだ」

「俺も入るんですか!?」

 内閣府からの出向で赴任している事が学園内で公表されている俺や紗生子と違い、生徒に化けたジョーイや英語教師として紛れ込んでいるワサンボンは本当の意味での潜入警護員だ。学園内はおろか、CC内でも下層のエージェントはその存在すら知らない、文字通りのくノ一だったりする。

 他方、校務員のケミ子は還暦過ぎの所謂現役引退世代であり、元CCの技官とはいえ今はCCから業務委託を受けた極秘【みなし公務員】だったりする。業務中はCC職員だが、業務外では民間人という【半官半民】要員だ。OBとして勝手を知っているとはいえ、後方支援要員の半分民間人をあからさまな最前線で酷使する訳にもいかない。

「学園内で他に頼れるヤツがいるってのか?」

「——いえ」

 少なくとも俺が知り得る限りでは、他に人材は見当たらない。

「なら文句を言うな。こっちは只でも頭数が少ないんだ」

 つまり校内組(・・・)の他の三人は、いざという時の応援のような位置づけだ。

「それにしても小物とはいえ、四つ星(警視総監)が横槍を入れてくるとはな。姉様に補充(・・)を頼んでおいて正解だった」

 招かれざる客が来襲すれば、奇縁との再会もある。紗生子が言う補充とは、俺達サイドの強い味方だった。

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