表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/42

南海のリゾート(後)③【先生のアノニマ 2(中)〜36】

 対艦ミサイルを撃たれた場面は一時停止して、ここで事後の何処かの場面の話を少々。

 敵勢力圏を囲んでいた中国海軍は、実は漫然とぐるぐる周回しているだけではなかった、という追加ネタの暴露話だ。紗生子の口から出たそのネタとは、

「曳航ソナー、ですか?」

 そこはやはり海自幹部らしい、海の事情の一コマとしたものだった。よく耳にするソナーのイメージは、適当な所で海に投下して使うソノブイが挙げられるが、一つのそれがカバー出来る範囲は精々数km。当然それだと、網を張りたい海域が広くなればなる程、数が必要になる。半径二〇〇kmにも及ぶ敵勢力圏ともなると、それはどのくらいの数になるのやらだ。が、

「船のケツにつけて引っ張るタイプだ」

 それなら基本的に、ソナーは船の数だけ用意すれば済む。それで取り囲んでしまえばこっそり脱出出来る艦船はない、という論法なのだろうが、

「それって──」

 全船に用意するのは大変だった筈だ。が、事実として、最終的には全船それをつけて網を張っていたらしい。

「よくあれだけの数の船団に」

「物量戦術は御手の物の御国柄だ」

 それに日頃から鍔迫り合いが盛んな海域にして集団であれば、

「連中にしてみれば然程の事じゃないさ」

 と、あっさり言う紗生子だが、言われてみれば確かにそんなものなのだろう。一〇〇〇万平方km弱もの領有を抱え、人口一四億を超える巨大国家のGDP(国内総生産)は、今や米国に次ぐ世界第二位。その軍事力も上位三傑に食い込み、軍事費でも突出する米国を追従する桁違いの第二位だ。その国力なら、一二万平方kmを超える敵勢力圏、分かりやすくは北海道を、その周辺海域毎取り囲むレベルの事など、やる気になれば造作もない、と言わんばかりのその地力。そこはやはり、只の船団ではなかったという事だ。

「それでも──」

 遺漏なく囲めるものなのか。

「南東は水深四〇〇〇mを超える深海層の海盆だが、それ以外の三分の二は──」

 中深層と呼ばれる水深一〇〇〇m以内の、比較的浅い層らしい。となれば確かに、それを曳航ソナー完備の船で取り囲んでしまえば、こっそりこの網から出るのは難しいかも知れない。だがそれは、

「強行突破してしまえば済むような」

 そうはいっても、海上民兵の武装は頼りないのだ。

「それを出来ないようにしたのさ。機雷でな」

「機雷!?」

 陸戦における地雷の有用性は有名だが、海の場合は機雷がその役を担う。設置目的も戦後処理の大変さも同様で、日本は先の大戦において近海で米軍に投下された一万発ものそれの掃海に、約二〇年もの年月を費やした。それ程の厄介者だ。うっかりすると簡単に見落としがちであるそれの設置による心理的かつ費用対効果は絶大で、地雷共々争いある海域には必ずそれがあるといっていい。それが安直に用いられる事の悲しさは、戦中戦後に必ず見られる各地の悲劇がそれを物語っている。

「粛正が始まり、慌てた敵が拠点に逃げ込み逃走の準備をしている間に──」

 まずは船団で取り囲む。曳航ソナーが準備出来る船を先行させ、間に合わない所はソノブイを集中投下。合わせて、周辺海域を機雷塗れにして閉じ込めた。

「──とは、当然フェイクだ」

「──ですか」

 それでも少しは使っているようで、そこはウソを通すためのトッピングのようなものらしい。何とも忙しい展開だが、こういう事で紗生子はウソを言わない。口から出任せではなさそうだ。

「戦後処理が大変だからな」

 そのフェイクを敵方にそれとなく流し、信じ込ませる事が出来れば、その心理的効果は曳航ソナーの比ではない。が、

「それで騙せるとは──」

「敵にしてみれば外ならぬ国軍のやる事だ。形振り構わぬやり方は嫌という程理解しているさ」

 しかもそれが長期間に及び膠着状態化すれば、

「──嘘も(まこと)になる。そこは戦略家の腕次第だ」

「中国も中々やるモンですね」

「私だ」

「はあ?」

「本作戦の立案は全て私だ」

「な──」

「私が責任者だと言ったぞ?」

「ですが──」

 それはドロシーの中だけの話だと勝手に思っていた俺が悪いのだろう。何度も言うが、こういう事でウソは言わない紗生子なら、これもまた事実という事だ。

「──兵は詭道、ですか」

「まぁそういう事だな」

 ここで確認だが、今次作戦におけるドロシーの立ち位置は、日米中の政権中枢の裏交渉で取り決められた、一連の陰謀論者達の後始末のために派遣された極秘ユニットな訳で、三か国の正規軍にすら認識されていない幽霊船(ゴーストユニット)だった。当然、その戦場を取り囲む中国海軍にも我らが存在は認識されておらず、それどころか見つかれば、最悪局地戦に発展する可能性すらある危うさだったのだ。そんな、戦術共有など夢もまた夢というその状況下で、それを当然に掴んでいるどころか、その作戦を立案したのが紗生子などと、

「一体全体──」

 何がどうなって、とすぐに思いつくのは、アイリス(米国副大統領)の存在だろう。その御大尽を呼び捨てにするどころか罵り合うような間柄の紗生子が、その手管で全体の作戦を担っていたという事だ。それがどちら意向なのか、または何処の誰の意向なのか。俺などは知る由もないが、一連の作戦指揮に関するプロセスは、アイリス経由だったという事で間違いないだろう。が、それにしても、

「──何だ?」

「いや──」

 どうして一介のエージェントが、こんな事が出来るのか。今はもう、

 ──二一世紀だっての。

 一個の諜報員が、国の外交を左右する程の華々しさで暗躍した時代は、過去を紐解けば確かに存在した。身近な例では、戦前の帝国主義全盛期だ。が、それから時は流れ、大方約一世紀。紗生子のやっている事は、存在意義が小さくなるどころか激しくその逆をいっている。

「──な、何でもないです」

 これ以上下手に突けば、何が藪蛇になったものやら、だ。この魔女に関わる上で、それは最早当然の嗜みとするならば、精々機嫌良く話をしてもらった方が身のためだろう。

「ま、まぁ続きを」

「まぁそういう事にしといてやろう」

 察しのよい紗生子にしてみれば、そんな俺の小心もお見通しなのだろうが、何れにせよ、

「中国にしてみれば、これ以上反逆者達に外洋に出られて何か悪さでもされようものなら、御国の恥晒しだからな」

 そこは本気モードだったという事らしい。加えて偵察衛星で、何となくその所在を突き止めていたようで、海の忍者といえどもあちらこちらから見つめられ続けては、

「──恥ずかしくなって、じっとしていられなくなったってとこだ。潜り続けるのは辛いしな」

 という、事後処理の何処かで聞いた暴露話はこれにて終了。

「それを先に聞いていれば──」

「見えない相手に先入観は禁物だ」

 確かにその考え方は間違いではない。が、紗生子にしてみれば、まずは詭道(・・)の完成を重視したという事だろう。何せドロシーは、直近に艦長が重大な裏切りで拘束されるという失態を犯した船だ。それにより俺達は、伊豆沖のミサイル事件で一度死にかけている。そんな迂闊を二度と踏みたくないと思う気持ちは、俺も紗生子も同じという事だ。それなら大任を預かるその御身を、

 外ならぬ俺は──

 この先も、一番に理解してやらなくてはならない。

 で、場面は、対艦巡航ミサイルを撃たれた場面に戻る。

「発射地点へ向かえ! お次はHCM(極超音速巡航弾)が出て来るぞ!」

「了解!」

 ミサイルの発射元は、外ならぬ因縁深き件の実験潜水艦だった。拠点の暗礁近くで隠れていたらしく、それが今俄かに海面へ浮上しつつあり、ディスプレイ上にも朧気にその姿が捉えられつつある。

距離(ヤードで)一万だ! 時間がない!」

 対艦ミサイルを引きつけながら、それに対して真横へ飛んでいた俺に、

「一直線に飛び込め!」

 とは、中々無茶苦茶なオーダーだが、今の相手は従来型の亜音速巡航ミサイルで、しかも対艦型だ。対空ミサイル程の敏捷性はない。とはいえ、心理的にそれに向かって飛ぶなど、普通イカれたヤツ(パイロット)のやる事だ。しかもそれが弾数四発。俺は、

 ──イカれてねえ!

 次の瞬間、捻り込んで舵を敵潜正面に切り直した勢いで二発、その直後に加速させた勢いでもう二発がディスプレイ上から消え、耳につく警報(ビープ)音が止んだ。海面スレスレを飛ぶじゃじゃ馬の急な変化に追いすがれなかった四発が、海を撃つ断末魔すら引き離す速度で一気に正面に見据えた敵潜へ突っ込む。

「距離五〇〇〇!」

 頼みとする五〇mm機関砲の射程圏内だ。

「減速だ!」

 その下命を予想して、僅かに先回りで可動する板や翼を最大限使い、機体を一気に減速させる。と、御鶴声と同時に、減速Gで身体がつんのめるわ、じゃじゃ馬自体も暴れるわの騒ぎなのだが、その最中で紗生子が放った三点制限点射(バースト)の機関砲弾が、物の見事に敵潜VLS(垂直発射装置)を捉えるなど、

 ──ウソだろ!?

 ここぞもまさに魔女の真骨頂だ。が、現実としてVLSは派手に爆破し、機関砲の弾着にしてはオーバーなそれは、次弾が装填されていたのだろう。その矢継ぎ早で、同じく紗生子によって放たれた誘導弾半ダースが、潜水艦の各所に穴を開けると浮上したまま沈黙。自航能力を失い攻撃手段もなくなった敵方は、後詰めのテックが投下した大型貫通弾 (GBU-28)によりプラントも失い止めを刺されると、入れ替わりで白旗を掲揚。それを用意していた事が意外だったが、よく見るとベッドのシーツのような物だった事から、敵方からすれば余程の衝撃と混乱だったのだろう。

 やはり後から聞いた事だが、潜水艦の虎の子(HCM)は、潜航中の発射実験まで漕ぎ着けておらず、その発射に拘った事が最終的な敵方の敗因になったという皮肉だ。昨秋の修学旅行中にビスケー湾で拿捕した同型艦と一緒に、経験を積んだクルーが丸ごと捕虜となった事が、敵方とすれば大誤算にして崩壊の始まりだった訳で、終わってみれば俺達の圧勝だった今回の局地戦の結果は、あの修学旅行がなければまた変わったものだったのかも知れない。一方で、その局面(修学旅行)で撃ち初めしていたこちらの次世代兵器(レールガン)は、どうやら敵方の知るところではなかったようだ。虎の子(HCM)迎撃の切り札のそれを敵方が知っていれば、防衛圏を少なくともその射程外まで広げていただろうし、海上民兵の船団辺り(・・)から突如として襲来した大砲には、然しもの敵方も肝を潰した事だろう。あの援護射撃で敵方の攻撃能力を沈黙させた事を思えば、重ね重ねも修学旅行を巡る攻防が今作戦の要だったというもので、それを裏で仕切っていた人間、つまり紗生子の功の大きさは尽きるところ知らずだ。

 最大の懸念だった敵方の核は、結局搭載されていなかった。俺達同様のテストユニットのような存在にそれを許さなかったのは、中国側の最低限の分別と考えてよいだろう。降参した敵方のその後はよく知らない。日米中三か国の政財官が入り乱れ、そのタカ派の中でも急進派的に先鋭化した陰謀論者達がもたらした一連の騒動は、俺達の南シナ海派遣とその勝利により収束方向へ舵を切った。中国側タカ派の財の中心だった万来(ワンライ)グループCEOの来勇(ライヨン)は、その後死亡が確認されたらしい。その死がどのようなものだったのか。詳細はやはり俺の知るところではないが、或いはXF-39(ヒートヘイズ)から放たれた弾薬がその結果をもたらしたのかも知れない。毎度の事だが、心底喜べない勝利の、何とも後味の悪さだ。


 ドロシーに帰って来てみれば、降機しない内から喝采の渦に巻き込まれる中で、予想だにしない展開が待ち受けていた。突然顔色を変えたクルーの中心に、サブマシンガンの銃口を俺達に向けるインテリがいる。その急展開にも動じない紗生子が、冷笑を浮かべつつも、

「今回は出番がなくて面白くなかったか、大佐」

 と、ヘルメットを脱ぎ様の皮肉は、これもまさに魔女そのものだろう。辺りの空気が一瞬で凍りついた。

「持ち方がなってないな。折角のB&Tの新しいオモチャ(・・・・)が泣くぞ?」

【APC9KPRO】と銘打たれたその玩具(・・)は、紗生子が口にしたスイスの銃器メーカー製にして、米空軍が数年前から採用している短機関銃だ。

「──申し訳ありません、提督。出来れば下手な抵抗はしないでいただきたい」

 いつもは冷静なこの男でも、苦悶と言ってよさそうな表情を、

 ──するモンかね。

 半分のんきな関心を示していると、いきなり数人がかりが俺に寄ってたかり、手錠をかけようとする。

「な、何です一体?」

 反撃する気にもなれなかったが、身体に染みついた習性とは恐ろしい。殆ど勝手に手足が動いて、それらを倒したり投げ飛ばしたり。乗艦している連中は、テスト機担当の元イーグル社とレールガン担当の高坂重工の二社の民間人(高坂側は実はCCの嘱託職員で半官半民だが)以外は、海軍と空軍の混成部隊なのだが、その殆どは船や航空機を始めとする備品(・・)の整備兵だ。一部に航法、管制、火器等を担当する戦闘員とも呼べる者達がいる事はいるが、それでも対人戦闘を専門とする者はいない。一応軍人の教養として、最低限の格闘訓練を受けてきているだけの面々だ。つまり、

 悪いんだが──

 その練度は低いと言わざるを得ず、まるで俺の相手にならない。が、背中から何丁か銃口を突きつけられたため、とりあえず両手を上げる事にした。

「何のドッキリですかこりゃ?」

 米国でもドッキリ番組というものは存在し、日本同様それなりに人気があったりする。何せ日常的な意思疎通で、それがなくて七癖のジョーク大国たる御国柄だ。が、今のこれは、どうやら冗談ではないらしい。早速上げた両手を取られると、後ろ手錠をされた。それを見た紗生子が俺の代わりに、

「やれやれだな」

 と、嘆息する。

「昨日の友は今日の敵という訳か。誰の指図か知らんが、何ともケツの穴の小さい事する」

 この絶世がそれを吐き出すのかと疑いたくなるような下卑た皮肉は、俺を始めドロシーの面々ならすっかりお馴染みだった筈だ。

 ──それなのに。

 これは一体、どうした事か。とりあえず、

「拘束理由は何なんです?」

 月並みにそこを確かめてみる。が、紗生子はこんな時でも、実に淡々としたものだ。

「茶番だな。やめておけ」

 そこはやはり、潜り抜けてきた修羅場の多さなのだろう。

「この人数で事に及ばなくてはどうにもならんという、これもまた我らの評価だ。良くも悪くもな」

「悪くも──」

 最後のその文節に、脈が一度、嫌な跳ね方をした。どうやらその挙句の、このザマらしい。

「敵に回れば面倒臭いだろう。今の君のようにな。用が済めば用済みという事だ」

 孤軍なるも両手は両腰、両肘を張って大威張りの紗生子に対し、圧倒的優勢の筈のその他多勢は、雁首揃えて固唾を飲んでいる。そのあべこべ振りの妙がまた、

 どちらが何を──?

 どうしたものか。まるで何かのコントでも見るかのようなそれは、俺の潜在思念がそう思わせているのかも知れなかった。俺にとってはどちらのどなたも、掛け替えのない俺の人生の一部になってしまっている。その仲間割れのような構図は、見ていて悲しい。

「まぁ本気になればこの数もどうって事はないんだが、流石に帰ったばかりで一休みしたいところだったしな」

 中々タイミングを考えたじゃないか、などと、この期に及んでもしっかり嫌味を盛り込む口達者の魔女の存念はどうなのか。俺などには分かり兼ねるが、その言葉の端々に滲む悔しさの裏側で、一抹の寂しさのようなものが見え隠れしているのは、気のせいではないと思いたい。

「出る杭は打たれる。エースの末路はこんなモンだ。悪く思うなよ」

 やはり一緒に帰って来たテックが、いつになく冷淡だ。その冷たさが思いがけず、俺の心臓を急速に冷やした。そんな俺の横で、

「ふは」

 と一人噴き出したのは、やはり紗生子だ。天唾だと言いたいのだろう。何も俺だけの話ではない事ぐらい、言われずとも当然理解しているだろう二人は、撃墜数を誇るつもりはないが、その数では未だ俺より上をいく二大エースだ。

「まぁいい。本気で私を取り押さえるつもりなら武装不足も甚だしいが、これまでの(よし)みだ──」

 紗生子のその一言が、追加の冷えを食らわせてくれた。そうはいってもこの艦の人間は、禍々しくもこの魔女が【赤い狼】と呼ばれる事を知らない。

 そういやあ──

 或いはレールガンユニットの高坂の面々は、その恐ろしさを知っているのかも知れないが、飛行ユニット担当の元イーグルの面々共々、民間人技術者達がこの場に一人もいないのは、やはり高坂の薫陶のようなものが働いているのだろう。

 ──てことは。

 相手は戦場では死んで当たり前の軍人だけだ。それをよい事に、今や爛々と怪しい光を湛えるその眼光の奥に秘められたる存念のようなものが、何かの拍子に解放されでもしたら、

 どんな事に──

 なるものか。怖いもの知らずとはこの事だが、今の多勢に無勢では何を言ったところで無駄だろう。

「──悪ふざけに乗ってやる。が、私に指一本でも触れてみろ。その時は貴様ら全員漏れなく地獄行きの片道切符をくれてやる」

 と言ったその魔女に、口を開こうとする人間は見当たらない。むしろ、口を開いたインテリとテックを褒めるべきだろう。それ程の、紗生子から滲む迫力というか、怨念というか、無念としたものだ。その何かの呪文とも思える恨み節の最後に、

「我が連れを先に拘束した事は、捨て置かれた私としては不本意だが、まぁ理解出来る──」

 などと、また悔しさのようなものをしつこくもつけ加えるところは、如何にも只では転ばない紗生子らしく、つい噴き出しそうになる。が、今となっては、それは狼が人心を残している証のようなものだ。我が身の行く末を思う前に、

 ──まずは一安心か。

 そんな自分がいる事に、この期に及んで俺は一人で勝手に焦っている。

「──それに免じて、連れは拘束したままでいい。が、今以上の狼藉は許さんぞ。私の大事な夫だ」

 と、紗生子が俺に頬擦りをしたところで、また周囲の銃口が音を立てて集まった。

「ちょ、ちょっと、刺激してどうするんですか!?」

「大切さをアピールしとかんと、君はバカにされやすいだろう?」

「そうじゃないから手錠されてるんですよ」

 それを指摘して悔しそうにしていた本人が、まさに何を今更だが、

「それはそれ、これはこれだ」

 と、銃口に構わず、今度は頬にその紅唇を押しつけられる。この期に及んで惚気とか、

「ちょ、ちょっと、みんな呆れてますって!?」

 俺でさえ、大概にしろと思うのだ。周りの連中はさぞ苦々しいだろう。

「呪いをかけてやってるのさ。私に仇なす者は誰であろうと胸クソ悪くなるようにな」

 ケタケタと悪戯っぽく笑った紗生子が、ようやく少しは何かを飲み込んだらしい。

「さあ、何処へ案内してくれるんだ?」


 まるで捕まる者とも思えない威風を轟かせ続ける紗生子の一言でその場が収まると、目隠しもされず連行されたのは、これまたおかしな事に艦長室だった。しかも調度品もそのままで、営倉と似ても似つかぬ配慮のようなものが透けて見える。最も疑問なのは、

「何で同室なんですか!?」

「これはいいな」

「いやダメでしょ!?」

 という事で、紗生子と一緒の部屋で拘禁されるという、訳の分からなさ。百歩譲って、紗生子は日本の将官だ。そこをリスペクトされての艦長室拘禁は、有り得ない話ではない。が、では俺はどういう理由だというのか。しかも、仮に俺達が共犯とするならば、いや恐らくはそうした位置づけなのだろうが、その男女の共犯が同室で拘禁などと、

「見た事も聞いた事もないですよ!?」

「私もないな」

 ハハハ、と紗生子は何処までも余裕を振りまいている。

「この部屋は、給仕さえ切らさなければシャワートイレ完備だ。そういう配慮なんだろう」

「寝る所はどーすんですか寝る所は!?」

「隣にあるだろう?」

 という隣室のそれはシングルのベッドだ。当然一つ。そして当然、

「君と一緒なら大歓迎だ」

 それは提督である紗生子の物で、当然本人もそのつもりだ。

「更に有り得ませんよそんなの!」

 何かの罪で拘禁された男女がそこで添い寝など、

「宇宙広しといえども、この艦のこの部屋だけでしょ!?」

「まぁそうだな」

 面白がる紗生子は一向にとりあわない。

「俺は営倉に替えてもらいますから!」

「自分からそれを望むヤツも余り聞かんがな」

 が、呼べど暮せど、俺の訴えは聞き入れられず。夜になった。

「君を宛てがっておけば、私が暴れないとでも思ったんだろう」

「何考えてんですかね全く!」

「連中なりに頭を捻った結果だ。確かに正鵠(せいこく)を射ている」

 調度品がそのままという艦長室は、一見して武器になるような物は除かれているようだが、それでも小道具だらけだ。

「こんなん──」

 紗生子どころか、俺でも抜け出せそうな気がする。この女の事なら、その後は制圧してしまうだろう。そしてそれは恐らく、営倉だろうと同じだ。それこそ怪しい術で何をしでかすか分からない。実際に短期間で現代最高水準のハイテク兵器を、手品のような鮮やかさで華麗に使いこなした魔女だ。その凄さが理解出来る連中の事なら、

 今頃──

 敵に回した事の恐怖と後悔に打ちひしがれているのではないか。

 俺が言い淀んだ少しの間を察したその魔女が、相変わらずもせっかちな失笑を寄越した。

「──だからこの部屋という事だ。何処だろうと結果は変わらん」

 それなら暴れられない方法を考える、とそれを当の本人が当たり前のように語る事の図々しさだ。そこに俺に対する配慮は微塵もない。その一事で既に俺の存在など、

 ──軽く見られてんじゃねぇか。

 艦の面々は、俺達の偽装婚を見抜いている事でもある。要するに、紗生子一人がとにかく怖い。その一事だけの対応にして配慮だ。

「まぁそうですよね。俺に配慮なんて」

「何だ、嫌なのか?」

「いいとか嫌とかじゃないですよ!」

「じゃあなんだ?」

「その、節度ってモンがあるでしょう!?」

 それに堪り兼ねた紗生子が、

「ぐは!」

 と、噴き出した。ひとしきり笑ってくれた後で、

「この期に及んで、また妙な事を言うヤツだなぁ君は」

 まあそういう生真面目さは嫌いじゃないぞ、とつけ加える。

「──で、何処で寝るんだ?」

「床で転がりますよ。流石に横になりたいですしね」

「意固地なヤツだな。どの道なるようにしかならんだろうが。楽にしろ楽に」

 という紗生子は、明るいうちにシャワーまで浴びて、洗濯された自分の私服になっている。リラックスし過ぎだ。

「明日は処刑台かも知れないのにですか?」

「だからこそ身綺麗にしておきたいのさ。それが出来る状況なら尚更な」

「まぁそれは──」

 分からないでもない。軍人が戦地で死ぬ時は、普通泥土塗れの血塗れだ。分からないのは、

「一体、何の容疑なんですかねこりゃあ?」

 まずはそこだ。

「やれやれ今頃それか」

「あなたと違って俺は鈍いですからね」

「監視されてるんだがな」

 紗生子の目が、天井にあるとってつけたようなカメラを一瞥(いちべつ)する。当然、普通の艦長室にそんな物がある訳がなく、慌てて後つけされた物だろう。

「それに構わず添い寝するつもりなんでしょう?」

「減るモンじゃないからな。精々我らの情事を見せつけて、悶々とさせてやるさ」

「な、何ちゅー事を──」

「大袈裟に呆れるヤツだ」

 カラカラと笑う紗生子の肝の太さに際限はない。

「──拘束された時、その場にいたクルーのトップは誰だった?」

「インテリさんですかね」

「流石によく見ていたな。つまりそういう事だ」

「──あ」

 インテリ(航空隊長)の上官に当たる、副長と航空団司令の姿はなかった。が、

艦橋(ブリッジ)に居たんじゃ?」

「そうかも知れんが、雰囲気的に気配を感じない」

「だから私が捕まったのさ。何かを根拠に捕まえたのならな」

 重ね重ねも紗生子は日本の海自の将官だ。恐らくは詐称だろうが、それでも佐官(三佐)だ。それを、如何に米国艦の米軍法下といえども無令状で捕まえるなど、憚るのが普通としたものだ。が、看過出来ない重大な規律違反と判断される行為があれば、話は別だろう。

「敗戦ケースを想定した行動計画が──」

「反逆予備の教唆(きょうさ)といったところだな。それなら国籍もクソもないさ。君もご承知の通り、米国法規における現行性(現行犯)の解釈は、日本のそれとは比べ物にならん程遊びがある」

 つまり、その現行犯なら令状はいらない。大体が軍法下なら、そんなものあってないようなものだが、他国の将官である事を考慮し、法的にもそれなりに根拠を頼んだ結果が、

「今の状況という事だろう」

教唆(そそのかす)って──」

 身分を保証されない極秘作戦に身を投じる幽霊ユニットだ。国が保証してくれないのであれば、自分達で保身に走るのは当然ではないか。それを言うに事欠いて、

「──あんまりですよ」

 しかもそれが、結果を残した直後というのが気に入らない。

「まぁアイリス(副大統領)からすれば、そう思いたくもなるだろうな」

 成功の暁には褒美を約束したその人からすれば、確かに裏切りにもとれなくはない。

「それはそうですが──」

 勝つか負けるか、生か死かの二択だけというのは、如何にも前時代過ぎやしないか。確かに俺達の存在意義はそうしたものだが、だとすれば、

「──結果を残したってのに」

 あくまでも二択だとするのであれば、他の事など関係ないとは言えないか。それに、

「実際に何かをした訳ではないでしょう?」

 上役三人の中で収まっていた話だ。それを、勝った直後に揚げ足を取るようなやり方はどうなのか。

「まぁそれでも法的には予備は成立する」

「それはそうですが──」

「ここでぶつくさ言ったところで詮無い事だ。敵になったら我ら程面倒なヤツも中々いないだろうし──」

 妙な動きをする者がいれば、しっかり国の中枢(スポンサー)に報告が上がるようになったのは、それこそ直近の陰謀論者達の暗躍がもたらした

「──改善点だな」

 という事の、これもまた皮肉だろう。

「ミイラ取りが何とかじゃないですか」

「そうとも言うか」

 まさにテックの言う通りという事だ。それはエースだけに限らないが、使える人間というのは、裏を返せば危険分子にもなり得る。権力者にとってそれは脅威だろう。俺がその立場なら、

 ──確かに。

 特に紗生子などは、それこそ首実験をするまで安心して寝つけたものではない。

「まぁあなたが面倒臭いってのは分かりますが」

 それ程までにこの女は、国の中枢の深部で活躍するエージェントでもある。

「ホント君は、ズケズケ言うようになったモンだな」

 失笑したその魔女の表情が、僅かに曇った。

「──君は毎度の貧乏クジで、そこだけは申し訳なく思う」

「そんな事──」

「やはり話してはならなかった。只でも一緒にいる時間が長いんだ。疑われても仕方がないというのに、つい──」

 気を緩めた私のミスだ、と言われてしまうと、

「そんな事、問題にしてませんよ! 全然大丈夫です」

「この悩ましい状況でもか?」

「そ、それとこれは話が別で──」

「何処までも可愛いヤツだな全く」

 擁護するとこれだ。

「まぁいざとなれば、根拠なんかいくらでも後つけ出来る。我らが世界はそんな詐術妄言渦巻く混沌(カオス)だ。私はそれが日常だが、君を巻き込んだ事だけが悔やまれる」

 本当にそれだけだ、と今度は実にスッキリした表情のそれは、どうやら本心なのだろう。それに応えるには、

 どうすれば──

 いいのだろうか。

「──あの」

「何だ?」

「俺もシャワーを使わせてもらっていいですか?」

「その気になったか?」

「どんな気か知りませんが、多分それとは違うと思います」

 俺も覚悟を決めて、身綺麗にする事にした。


 その夜。

 寝る前に放り込まれた寝袋にくるまっていると、不意に目が覚めた。西に傾きつつある月の明かりが、左舷側にある艦長室の窓から入って来て、俺の顔に当たっていたせいだ。下弦が過ぎた朧気な光が届いたのは、部屋の窓が西を向いていた事と、航行海域が快晴だったという偶然が重なったのだろうが、場所的にそうではない可能性を思いたくなる。起きて窓を覗き込むと、懐かしい台湾が見えたような気がした。

「バシー海峡を通過している頃だろう」

「起きてらしたんですか?」

「君と同じだ」

 目が覚めたらしい。

「朝方だが飲むか?」

「──そうですね」

 それは紗生子が用意させた酒だった。

「酒を食らわせた方が大人しくしていると思うがな!」

 と脅した挙句の、厨房からせしめたそれだ。そこの親父が料理酒と称して持ち込んでいるのを知っていたとか何とか。しかもこれが、日本の

「芋焼酎?」

 という驚き。

「中々の飲み助だぞあの親父は」

 後程、酒の無断持ち込みでどんな罰を被る事になるのか知った事ではないが、気の毒というか何というかだ。その曰くつきの戦利品を、紗生子が湯割りにしてくれた。酒など何年振りだろう。お湯は給仕係(メイド)に持って来させていた魔法瓶の物で、流石に少し温かったがそれでも飲めば、

「──美味いですね」

「イケる口だな君も」

 だが、余りに久し振り過ぎて、流石に頭がじんわりする。

「元々飲めない事はないんですよ。──あ」

 久し振りついでに、献杯するのを忘れていた。追っかけで慌ててそれをすると、紗生子がそれに応じる。

(シー)さんに、か?」

「──はい」

 先生は、外ならぬ日本の焼酎が好きだった。

「朝になれば西太平洋上だ。その前に君を呼んだんだろう」

「そう──」

 思いたい。が、それは今の俺の生業に対する叱責のような気がして、その後ろめたさが何となく、郷里の方を眺める目線を下げさせる。

「合わせる顔が──」

 ない。裏の必殺稼業のような傭兵が、勢い余って危険視された挙句、身を滅ぼそうとしているなど。

「──怒られそうで」

「そうだろうな」

 紗生子に肯定されると、思いがけずそれが刺さった。

「だがそれは、親心故だと思うがな」

 先生自身も、若い頃は色々あったらしい。

「その二の(てつ)を踏んで欲しくはない。我が子同然に育てた子の事だ」

「あなたは一体──」

 何処まで養父の事を知っているのだろう。何故この女は、これ程にも多くの人間の事を知っているのだろう。しかも俺の周囲の人間の事などは、俺以上に知っているし、

 何より──

 何故、俺の詳細を知っているのだろう。

「まぁそれは追々な」

「と言われても──」

 今聞かなくて、いつ聞けると言うのか。俺達の明日は見込めないこの時を除いて、

「──他に相応しいタイミングがあると?」

 そんなもの、ある訳ない。と、そんな俺に滲む切迫感を、紗生子が一升瓶毎持ち出した焼酎を、ドンと置く音で掻き消した。

「とりあえずだ」

 それがまた、厨房の親父を悪く言えたものではない、見事なまでの

 ──何処の酒飲み親父だよ。

 という堂の入り様だ。その文字通りの一挙一動で思わず噴き出しそうになると、追いすがる気が萎えてしまった。

「今は君の先生に美味い酒を飲んでもらおうじゃないか。君が飲む気になったのも、多分そういう事だと思うぞ?」

「まあ──」

 そうかも知れない。もう拝む事も出来ないだろうその郷里を近くに感じる事が出来たのは、やはりその人がそうさせたのだと思いたい。が、この状況に限って言えば、これがいけなかった。

「──飲みますか」

「いいぞ。どうせ先の事など分からんのだ。それなら──」

「──楽しく生きなきゃ損ですね」

「分かってきたじゃないか」

 そのまま飲み始めた俺達は、これまでの鬱憤を晴らすように杯を重ね始める。重ね重ねも酒が禁じられた軍艦内で、しかも拘禁中の身だ。一応そこは慮って、チビチビと水代わりに、喉を湿らすが如くのつもりだった。が、朝メシが出で来るや、それを肴にしたのが二つ目の過ち。

「主幹、これって──」

「つまみ仕立てがいいかも知れんな」

「──ですよね」

 で、厨房の酒飲み親父に、こっそりそれを頼んだところ、

「俺ぁ実は、提督のファンでよぅ!」

 などと分かり切った事で、これがまた打てば響く悪乗り振り。すぐさまそれを持ち寄るどころか、追加の酒まで持って来る始末となり、

「おいおい、いくらなんでもマズいんじゃないか親父さん?」

「もうカンケーねぇや! アンタら気の毒過ぎらぁ! せめて一緒に飲むぞ!」

 その騒ぎが伝播するのに大した時間はかからず。気がつけば何人集まったものだか分からない、どんちゃん騒ぎの大宴会に突入してしまう。

「な、何だって──」

 こんな宴会が出来る程に酒があるのか。そこを深く考えれば、この時点で或いは真相に近づけたのかも知れない。が、一つの大きな任務が終わった後だ。気が緩んだ上の酒で頭が働く訳もない。

 仮にも巡航中の軍艦内の、しかも拘禁状態の艦長室での乱痴気騒動。有り得ないどころの騒ぎではなく、ますます高まるオンリーワン感。しまいには拘禁もクソもなくなり、施錠はおろかドアも全開。何が何だか訳が分からぬ混沌振りの中、

 これって──

 逃げろと言っている事に気づく。それをこっそり、

「──どうする?」

 と、それこそ唆してくれる紗生子に対し、

「ここで俺達が逃げたら、それこそみんなを裏切る事になります」

「その通りだ」

 などと、それこそ過分に酒が入っていた悪影響としたものだろう。バカバカしい侠のようなもので更に宴会に油を注いでしまった俺達は、逃亡や逆襲を企図する機会を放置し続ける事どれくらい経ったものか。

 流石に騒ぎ疲れて寝入っていたらしく、喉の渇きを覚えて目が覚めると、

「──あれぇ!?」

 急に視界が開けていた。それこそ夢を疑うような光景だが、何度か目を瞬いて辺りを見渡す限り、そこが見慣れぬ砂浜である事を思い知らされる。相変わらずの晴朗振りで、太陽の高さから昼過ぎである事が分かるが、ドロシーの姿は何処にも見当たらない。

「──何処!? ここ!?」

 眼前は見渡す限りの大海原。背後に広がる陸地は何処か荒涼としており、建物もなければ人気もない、

「無人島──?」

 のような。

「──ていうか!」

 看板や電柱電線等、インフラ系の人工物すら見当たらない、この物寂しさは明らかに無人島だ。人の手が作った物といえば、足元に転がる俺の愛用ズダ袋。後は俺自身が着ている服ぐらいの事だ。それがいつの間にやら、寝巻き代わりのジャージになっている。いや、シャワーを使わせてもらった時に着替えたんだったか。

 ──うーん。

 どうも記憶が曖昧だ。

「──あ」

 人工物といえば、もう一つ。俺の横で、やはり荷物を枕に未だ熟睡している紗生子だ。

「しゅ、主幹! ちょ、ちょっと! 起きてくださいよ!」

 その両肩を小刻みに揺らしてやると、

「──何だ? 人が気持ちよく寝ている時に」

 と、然も面倒臭そうな声を出しながらも妙に色っぽいその魔女が、気だるそうに上半身を起こした。

「解放感からつい深酒が過ぎた──」

 紗生子のような女になると、拘禁状態が仕事からの解放と同意である事の驚きだ。が、

「──んん?」

 急転直下。その台詞が、不審感を纏わせながら止まる。と、珍しくもその美目が、驚きの色合いと共に大きく見開かれ、それが何度か瞬き。その後、玉顔が二、三回左右に振られたところで、最後にその女のものとは思えない一言が、その紅唇から漏れ出た。

「──何処だここは?」

「ええっ!?」

 この女も、

「──知らないんですか!?」

 それを口にする事の、何よりの驚きだ。が、すぐに何かを理解したらしく、

「──あっ!」

 そういう事だったのかと、頭をもたげ、何かを後悔し始めたではないか。

「何です!? 何処ですここ!?」

「君はホント、いつでも元気印だな」

 煩わしそうな美声が最後に、

「──伊豆沖だ」

 と教えてくれた。

「伊豆?」

椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)だ。流されたんだよ、見事にな」

「はあ!?」

 今更その冗談は、流石に笑えない。

「出撃時の無線を聞いて、面白おかしく再現してくれたモンだろう」

「な──」

 毎度の事だが、何が何だかさっぱりだ。そんな俺の横で、いつもは隙のない魔女が、この時ばかりは珍しくも頭を掻いて顔をしかめている。それでも少しすると落ち着いたのか、ポツポツと種明かしを始めてくれた。

「──ホントは高坂の保養地に降ろされる予定だったのさ」

「保養地?」

 近くに高坂宗家所有の無人島があるらしい。が、

「座標違いでここに連れて来られたってトコだろう」

 本来の行き先は、ここから約一〇分ばかり北というそれは、

「緯度でな」

「緯度!?」

 それが伊豆沖で一〇分も違えば、実測では二〇km弱もの違いだ。

「間違えやすいんだよ。緯度も経度も二とか三とか八やらが並んでいる地点だからな」

 絶海の孤島にあるという高坂の保養地に向かう折の、ありがちなお約束らしい。

「でもそれ──」

 軍艦たるものが、間違えて許されるレベルではないと思うのだが。

爆弾()が破裂する前に、とにかく降ろしたかったんだろう」

 それが基本的にして重大なミスを引き起こした。それは、

「まあ──」

 分からないでもない。実際に最終的には、どんちゃん騒ぎにまで荒れた拘禁生活だ。拘禁させた側にしてみれば、一言恐慌状態だったのだろう。と、それはとりあえずよいとして。ではここは、

「何処だっていうんですか?」

「正真正銘の無人島だ」

「はあ!?」

 そもそもが、何故途中下車させられたのか。

「──まさか」

 この島流しが、本当に何かの罰とでもいうのか。

「今時の軍法でそんな罰──」

 聞いた事もない。

「私もないな。罰ゲームは別として」

 紗生子は泰然としたもので、早速荷物の中身を確かめている。

「所持品は全てあるようだ。スマホは圏外だな。衛星の電波を切られたか。それなら詫び状の一つも用意しているだろう」

 荷を確かめろと促され、半信半疑でズダ袋を調べてみると、

「──あ」

 本当に出てきた。

「やはりな」

 白色無地の洋封筒には、宛名めいた記載はない。

「この封筒──」

 それは学園を出る時、ワラビーから渡された物と同じだった。とりあえず開けてみると、やはり白色無地の横書き便箋に、見事な英文の筆記体が綴られている。その末尾にある署名がなんと、

「副大統領!」

 ではないか。

「──君は何をねだったんだ?」

 その回答だろうがそれは、と言われて、慌てて内容を確かめてみる。と、

「──まさに」

 紗生子の言う通りだった。

「最初から茶番だったのさ」

「はあ?」

「捕まった早々、自分で口走っていただろうが」

「──って」

 全部、ドッキリだったらしい。

「その可愛らしい口先が言っていた通りだったんだよ、全部な」

 拘禁方法からしておかしな事だらけで、

「仮に軍事法廷に出ようものなら、我らなんぞ何を口走るか分からんだろうが」

「ま、まあ」

 その場合、普通は事前に自殺という名の死を賜る訳だ。メシに毒を仕込もうと思えばいくらでも出来た訳だし、それは酒にしても同じ。大体が酒が出る時点で決定的におかしかったのだ。

「あ、あなたはそれをいつから──」

「そんなモン、最初からに決まってるだろうが」

 面白そうだから、

「悪ふざけに乗ってやるって──」

「──い、言ってましたね、そういえば」

「まぁ、中々の趣向だったな」

 紗生子的には、すっかり休暇のつもりだったらしい。

「そ、それなら、教えてくださいよ! 心配するでしょうが!」

「まぁ冗談は冗談で済まさんといかんだろう。これがそうではないのなら、それはそれで由々しき事だぞ?」

「確かに──」

 これが本当の罰だとしたら。俺などは今後、何を頼みに職務に殉ずればよいのやら、だ。自分の働きの先に牢屋が待っていては、働く意欲はなくなって当然。紗生子の徹底した悪ふざけは、それを考えての事だったのだ。

 ──全く。

 良くも悪くも、この女のする事には理由があるという事だろう。後で分かった事だが、ワラビーがインテリに手渡した手紙というのが、実は既にアイリス(副大統領)からの司令書だったというカラクリだ。その中身の詳細こそ分かり兼ねるが、何でも彼の御大尽は、重責を担い続ける紗生子の身を気にしていたらしい。それを様々な伝を経由して、紗生子の関係先へこっそり根を回していたのがあの手紙だったという、何とも壮大なドッキリだ。

 俺などはワラビーの涙で速攻騙された口だった訳で、何とも質の悪いお戯れは、

「冗談にも程がありますよこれ」

 仮にも身体を張った任務の後で、やる程の事なのか。

「あくまでも終わった後だから、あのハメ外しだったのさ。あの女(アイリス)はあれで、そんな間抜けはしない」

「それはそうですが──」

 際どいニアミスは、

「重大インシデントって言えなくないです?」

 みたいなものだ。

「また難しく考えるヤツだ」

 冗談は冗談、作戦は作戦だ、とそこは大雑把に収められてしまった。これではつき合わされた連中も、立派な被害者だ。が、そこは極秘プロジェクトの自由度という事だろう。

「何かもう呆れて怒る気にもなれませんよ」

「考えようによっては、あれも何かの訓練だぞ?」

「バカになる訓練で?」

「それもある」

 と笑った紗生子が、

「【NORAD(ノーラッド)】でも毎年サンタを追跡しているだろう?」

 それと同じ事だ、と嘯いてくれる。

 北米航空宇宙防衛司令部と訳される米加共同運営の仰々しい連合防衛組織のそれが、毎年一二月になるとレーダー上でサンタクロースを追跡するプロジェクトは、確かに中々イカした冗談だ。

「あれは元々、過失がもたらした果実じゃないですか」

 ある企業がクリスマスのキャンペーン展開で【サンタへの直通電話】を開設した。それに伴い広告に電話番号を掲載したはよかったが、誤植により偶然にも掲載したのがノーラッド前身組織の極秘ホットラインだったという、

「輝かしき失敗談だな」

「有り得ませんよ」

 それは典型的な負の連鎖の結実だ。

 しかも実際に、子供がそこへ電話をかけてしまった事に端を発した彼のプロジェクトは、既に半世紀を超える歴史を有する。確かに冗談好きの本国(米国)が好きそうなネタだ。が、

「今回の悪い冗談(・・・・)とは、明らかに毛色が違うでしょ」

 俺のそんなしかめっ面を見た紗生子が、堪り兼ねたように噴き出した。

「私も働き通しで疲れてたんだ。たまには悪ふざけもしたくなる」

 そんな事、

 ──いつもじゃねぇか。

 と言うと、また後が大変だ。当然言わないが、そんな悪びれた言葉の裏で、しれっと表情を曇らすそれは物憂気美人とでもいおうか。そこですかさず、

「確かに、君には少し心配をかけ過ぎた。そこは悪いと思っている」

 などと謝罪をつけ加えられてしまうと、許す外に選択肢を失うのは男の弱みだろう。確かに見映えは凄まじい絶美だが、中身は実は、

 ──親父臭かったりするんだよなぁ。

 そんなデリカシーを持つ、魔女で親父で、後は何だ。

 ──何だっていいさ。

 誰が何と言おうと、例え俺の口がそれを吐こうと、もうブレない。

 眼前に広がる解放感のせいだろうか。自分の中の感情が嫌に素直になっていくのを感じていると、

「──で、何と書いてあるんだ?」

 早速その女親父が、しっかり手紙の中身を確かめてきた。

「わざわざ届けさせた君宛ての肉筆の手紙だ。さぞや皮肉が効いてるんだろう?」

「あ、いや、その──花見がしたいとお願いしてたんです」

「花見? 何処で?」

「場所は特に」

 指定していなかった一方で、頼んでいたのは日付と相手だ。

「──あ、それでか」

 俺の目が短い文面の中に、時期尚早を詫びる一節を見つける。

「俺なんかのために──」

 律儀というか。確かにひどい悪ふざけだったが、それでもそれなりに時間を割いた事に変わりはない。しかもそれは、俺の褒美も兼ねていた訳で、それを思うとやはり、

「今更ですが、恐れ多い気が──」

 してくる。

「恐れ何とかはどうでもいいとして、君のが恐らく一番手っ取り早い褒美だったんだろう」

 それでのっけに、紗生子絡みの手の込んだドッキリのターゲットにされた、とか。

「そんなモンですか」

「そんなモンだ。君はもう周りから、何かにつけて私とセットでなくてはならないと見られているのさ」

 ──ぐげ。

 その状況を知っていながらウブな男を散々追い込んでくれた、ジョーク大国アメリカの情け容赦のなさだ。が、そんなウブな男を、好き好んで傍に置き続けている親父臭い女は女で、

「私こそ被害者だな全く」

 などと、嘯いている。

「いやいや、それこそ冗談キツいですよ」

「何をぬかすか。いいから見せてみろ」

「あ、ちょっと──」

 と、簡単に手紙を奪われてしまうと、忙しくも今は呆れて口を歪めていたそのしかめっ面の中に、またぱっと花が開いた。次の瞬間、その花に抱きつかれ、勢いそのまま押し倒される。

「な!?」

「考えたな。中々憎い事を頼んでくれたじゃないか、ん?」

「ちょ、ちょっと、今俺、酒臭いですから」

「そんなモン、私も同じだ」

「いや、待っ──」

 と、これまでのこの展開なら、問答無用で操を奪われていたところだ。が、

 ──ん?

 瞬間的に身体を極められていた筈のその力感が失われ、珍しくも常に据え抜いて動じないその目が、(標的)から逃げた。こうなると不思議なもので、逆に逃げる気が失せる。

 それでも一応、上をとったままの魔女が、

「──やはり、嫌か?」

 と、絞り出すような声を出した。

「え?」

 急に纏う哀愁のようなものが、何かの策のように思えなくもないが、手練手管に事欠かないこの女が、俺のようなウブな男にわざわざそれをするとも思えない。例え俺が嫌がって何かを訴えたところで、自身の保身など後出しで如何様にも出来る賢しい女の事だ。が、

「──悪いくせだ。可愛さ余って、ついいじり倒してしまう」

 そのまま萎れるように、ついに背を向ける。

「他人に奪われるのが嫌で自分に縛りつけたはいいが、そのせいで愛しい者を危険に晒してしまう」

 その後ろ姿が、嫌に愛おしい。

「らしくないじゃないですか」

 起き上がると、その背中に背中を合わせて座ってやった。態度のデカさの割に柔らかくて角の丸い、予想通りの肉感。それは世の人間の目に映っているようで映っていない、この女が女である事の証にして秘部のようなものだ。

 俺は──

 それを知っている。そのくせ、何でも自己完結出来てしまうが故に、一人で勝手に答えを出しては殻に籠って強がっている寂しがり屋。

「分かってるでしょう?」

 毎年のお互いの誕生日に、紗生子と花見がしたい。それがアイリス(副大統領)に求めた俺の褒美だった。毎年というからには、例え今の任務が終わっても、場合によっては敵味方に分かれてしまったとしても。副大統領自らの手筈でそれをセッティングしてもらうという、簡単なようで贅沢な褒美だ。

「それ以上の事も、求めようと思えば求める事が出来たと思うんですが──」

 極端な話、紗生子が欲しいと言ってしまう事も出来ただろう。が、それでは、

「脆い関係になってしまいそうで──」

 それを頼む気にはなれなかった。

「──そういうものは、育んでいくものだと思うので」

 先の事を考えれば、それを省略してはいけないと思う。

「あなたには甘ったるいんでしょうけど」

 そういう事を真面目に考える程、

「好きなんですって言ったら、ガキ臭くてバカにされそうですけど──」

 頭の悪いウブな俺は、そんな直球しか投げられない。

「何と思われても、もういいんです。どう思われても俺はあなたの事が好きで、その事実はもう動かない」

 それ程までに、このどうしようにもない、高飛車で高慢で傲慢な魔女に惚れた。上司としても、バディとしても、

 ──女としても。

 その女の背中が先程来、小刻みに震えている。しかもせっかちが売りの人間だというのに、妙に大人しい。

 まさか──?

 それこそ有り得ないが、

 ──泣いてる?

 とか。

 こっそり回り込んでみると、俯き加減に震えている。が、

「げっ!?」

 嫌な笑みを浮かべているではないか。

「ふふふ。今の言葉、しっかり言質取ったぞ!」

「なっ!? ちょっ──!?」

 やはり俺の何かを引き出すための思わせ振りだったらしい。今度こそ本気で押し倒され、身体のあちこちを極められた俺は、身動きがとれず虚しい断末魔を断片的に吐き出す俎板の上の何とやらだ。

 とはいえ──

 邪魔する者など誰もいない、南海の孤島の砂浜。

 まぁこんなのも──

 たまにはいいだろう。

 まだ二月だというのに、流石は南の島としたものか。天気晴朗にして実に麗かな昼下がりだ。一足早い春の訪れに緩んだ身体は、それだけで何かに抗う気力を奪ってくれる。その前提で、絶美の魔女の誘惑だ。

 もう何も──

 考えられない。

 精気を吸い取られるような勢いで口を吸われ始めると、たちまち息がもたなくなった。その激しく熱い夢中のそれは、まるで水中にいるかのような息苦しさだが、それ以上の快感で離れ難い。何かのキャッチフレーズではないが、まさに

 や、やめられない──

 止まらないだ。

 お互いが、息継ぎのように酸素を求め、喘ぐ。その声が更なる興奮を誘うと、止めてくれる者などいない無人島の事だ。俺達は我を忘れて、延々お互いの唇を貪り続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ