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南海のリゾート(後)①【先生のアノニマ 2(中)〜34】

 突如の週末出張から戻った俺と紗生子は、週が明けるといつも通りの学園生活に戻っていた。が、週末になるとアンとマイクを連れて米国大使館経由で米国関連の施設へ向かう。アンを預けるのは、警護の隙を狙われないため。マイクをつき添わせるのは、アンの警護に万全を期すためだ。最側衛のワラビーが不足という訳ではないが、場所的に天下の米国大使館に攻め込むようなヤツなど考えにくい上に、そこでの責めは基本的に米国持ちに出来る。そこへ預けっ放しの無責任を軽くせんがための帳尻合わせが、今やはりCCが米国から借り受けているジェダイの騎士(高等軍事研究院卒)のマイクだ。そのキャリアを持つ者達とは、平時においても米陸軍の上層部が常に所在を確認したがるといわれる程で、そんな陸戦のスペシャリストを護衛につければ、

「──文句もなかろう」

 という、紗生子の配慮は確かに理解出来る。何せアンは、親類縁者から国を揺るがすような深刻な裏切り者が出たばかりだ。その周囲で何が起こるか分かったものではない。が、

「表向きはそうですよね」

「中々分かるようになったじゃないか」

「そりゃまぁ──」

 言われなくても、件の二人の気持ちが週末毎にすり寄っていく様を見ていれば、誰だってそう思うだろう。例えば移動中の車内は、いつ頃からかアンとマイクが並んで座るようになり、その道中では、

「手ぇ握ってますし」

「アイツらもいい加減、年貢の納め時だ」

 ジロジロ見る訳にもいかず、どんな顔をしているのか気になるのは、俺だけではないという事だ。

「一つの壮大なロマンスが終わるのは少し寂しいがな」

 紗生子の趣味は置いておくとして、その二人を大使館へ預けた後は、何処かの米国施設へ迎えに来ているボブのカスタム機へ乗り換え、日本の太平洋岸近海の何処かにいるドロシーへ向かい、夜陰に塗れてテストに勤しむ。それが何度か続き、気がつけば節分を過ぎていた。

 相変わらず──

 現場レベルにおける作戦詳細の全ては紗生子が握ったままで、開示される気配はない。毎度の事ではあるが、この辺りは最早紗生子のポリシーなのだろう。当然俺などは、敵が何処で何をしているのか、それすら分からない。

 学園はこの上なく平穏で、頭を切り替えながらの日々は明らかに間延びしている。それでもあのせっかちな紗生子が、何かを待っているような節があり、それがまた異様で、

 ──どうなってんだか。

 そんな妙な緊張感の中で急転直下、情報は思いがけないところから降ってきた。平日の昼休憩中に、主幹教諭室で何となく見ていたテレビの情報番組だ。南シナ海のある海域が、中国海軍によって封鎖されたとか報じている。軍事演習か、はたまた何処かの国と小競り合いでも起こしたのか。

 ──やれやれ。

 と思いきや。上空写真や衛星写真まであり、その様子がどうもおかしい。封鎖しているという海域は、パラセル(西沙)諸島南東の一画。それを軍艦が円を描くように囲み、しかもぐるぐる巡航している。

「これって──」

 一体何隻いるのか。点のような小ささで映る船の数は、一〇〇や二〇〇どころの話ではない。それが一定海域を揃いも揃って、反時計回りに回っているのだ。いくら中国海軍でも、これ程の数の軍艦を一箇所に集結させるなど有り得る事ではなく、それを、

漁船(・・)も紛れこんでいるからな」

 などと、紗生子があっさり種明かしをしてくれた。

「海上民兵ですか」

 確かに、事実上の中国海軍と目されるその船団が賑わす海域の事ではある。

「左回りに巡航しているのは、スクリューの構造上の問題だ」

 流石は海自幹部としたものか。船のスクリューの回転は、一般的に右回りである事が多いらしい。それが二つ備わっていれば、左右回転するスクリューを一つずつつける事で、船がどちらかに流れようとする動きを相殺出来る。が、それが奇数個だと、スクリューの回転方向の数が、右左どちらかに偏らざるを得ない。その場合、

「大抵は後ろから見て右回りのスクリューが多くなりやすい」

 その右回りのスクリューは、プロペラの上下にかかる圧力差の関係で、船尾側が右へ流れやすくなる。つまり、船首は左へ向きやすい。よって、

「一般的な船は、左に曲がる取舵の方が効きやすいと考えていい」

 要するにこの左回り巡航は、一見して(・・・・)普通の漁船が数多く紛れ混んでいる事を考慮しての、

「──作戦行動だと?」

 いう事のようだ。

「メディアもついに痺れを切らしたか」

 どうやら報道統制されていたらしいそれが、

「何処から漏れたモンか」

 という口振りの紗生子は、やはりそれを知っていたのだろう。

「あの海域って──」

「マックルズフィールド(たい)という、中国でいうところの中沙諸島の一画だ。岩礁群とも言うが──」

 東西約一三〇km、南北約七〇km、面積約六五〇〇平方kmというそのエリアは、

「東京都の二倍超ですか」

「全く米軍人とは思えん詳しさだな」

「子供の頃、地理は好きだったんで」

「忌避する人間の方が多いと言うが、それもまた君らしいな」

「まぁ変わり者ですから」

「そうじゃないさ。前にも言ったが、地理は諸学の母だ。それが何かを助ける事は言うに及ばん」

 そんな紗生子の分かりにくい褒め言葉のようなものは置いておくとして、諸島とはいえその一画に陸地は見当たらない。どうやら暗礁海域のようであり、その領有を巡っては国際的にも近隣国でも争いの絶えない所だそうだが、

「実効支配しているのは中国だな」

 となると、その支配している暗礁を今更封鎖して何をするか、という話になる。軍事演習にしては、数といい動きといい腑に落ちない事極まりない。

「秘密裏に片づけたかったんだが──」

 やはり間に合わなかったか、と珍しくも紗生子が、ほぞのようなものを噛むそれが答えだった。

「じゃあ、あの海域が──?」

「今回のターゲットだ」

 実のところこの封鎖状態は、日米中の三か国が陰謀論者を捕まえ始めた昨年末から既に始まっていたらしい。が、暗礁海域で航行する船もなければ、中国が実行支配している海域でもあり、船団が押し寄せる事もそう珍しくはない昨今。

「メディアの目を引く事はないと思ったんだが、敵方が漏らしたんだろう」

「兵糧攻めしてたんですか?」

「流石に物分かりがいいな」

 周囲を包囲して膠着状態を作れば、何かにつけて物量に劣る敵が不利である事は説明するまでもない。が、

「騒ぎが表沙汰になっては、囲む方の面子に影響を及ぼす」

 それが国を騒がせた反乱分子となれば、ぐずぐずしていては国家の威信に関わる。下手を打てば最悪、現在の体制が崩壊し兼ねない。そこへつけ込もうとする敵方の思惑が、メディアへのリークに繋がった訳だ。

「どうやって──」

 丸く収めるか。最小限の被害で最大の成果を勝ちとらなくてはならないという難しさを突きつけられた訳だ。物量なら当然、中国の現政権側が負ける事はない。が、相手はHCMを搭載した潜水艦だ。それがもし、核を搭載しているとしたら。それでも政権側が負ける事はないだろうが、甚大な被害と引き替えの粛正で国民が納得するだろうか、という話。

「中々頭が痛いだろう?」

 と、失笑した紗生子が一つ嘆息した。

「そもそもあの潜水艦、あそこ(あの海域)にいるんですか?」

「囲んでるって事は、まぁいるんだろう。その後妙な動きも見せていないようだしな」

 日本側が裏で請け負った事の、何という重大さだ。それを一身に紗生子に負わす事の日本政府中枢の無責任さも大概だが、それを受ける紗生子も紗生子だ。一体全体この魔女は、本当にどういうつもりで、こんな際どい任務に臨み続けているのだろう。

「あの円の中心には、他に何がいるんです?」

 恐らく報道の映像は、円の中が修正されている。

「何故そう思う?」

「中が空っぽ(・・・)にしては──」

 その囲みの仰々しさが過ぎるのだ。

「やはりそう見えるか」

 最低でも、洋上プラントとイージス艦が一隻とか。そんなものがあるとか何とか。

「──後は何が出てくるか」

「イージスはともかく、洋上プラントって──」

「仮にも万来(ワンライ)は、人材派遣大手だからな。石油だかガスだか知らんが、天然資源の宝庫と目されるエリアの事でもある」

 その開発と称して、一大拠点を築いていたらしい。そうした技術者も実際にいたのだろう。となると、

「始めから兵糧攻めなんて──」

 望み薄だったと言い切っていい。敵の備えもそれなりと考えるべきだ。

「あわよくばそうなればと思っていたんだ。やはり無理だったがな」

「では何を──」

 この女は企んでいたのか。即断即決肌のきっぷの良さこそが紗生子というものだ。期待の薄い事で

 待てる訳が──

 ない。となると、その裏で必ず何かがある。

 ──といっても。

 年末からの膠着状態の間に起きた事といえば、俺が知り得るレベルではXF-39の二号機がロールアウトしたぐらいの事だ。

「──どうした?」

「いや──」

 と返した先のその目が、相変わらず憂いを湛えている。

「──あ」

 つい、声が漏れたが、それで全てが繋がったような気がした。戦闘機は部品と設計とそれを造る人間が整っていれば、一か月もあれば造れる。昨夏前からそれを造り始めていたそれ(二号機)の完成度は、テスト不足こそ否めないが申し分ない仕上がりだ。それがまさか紗生子の発注とは思えないが、いやひょっとするとそうかも知れないが、いつの時点で何を何処まで見据えていたのか俺などには分かったものではないが、何れにせよパーツは出揃った。

「──春がくるのを待っていたんですね」

 俺のそんな一言に、珍しくも紗生子の雰囲気が一瞬固まった。そのまま静かに目を閉じると深い溜息の後で、僅かに緩めたその表情に滲むやり切れなさのようなものが、俺のど真ん中を貫く。

「可愛い見た目に騙されて、つい口が過ぎたな。乗せられてこのザマだ」

 紗生子の悩みの一端は、俺に対する片道切符の手交。その作戦イメージが、今は手に取るように分かる。

「許せとは言わん。ただ──」

「──謝るのなら乗せませんよ。死ぬつもりで行くような人は足手纏いです」

 またしても一瞬固まったような紗生子が、今度は軽く鼻で笑った。

「やはりいざとなった時の君はいい」

「伊達に魔女様の飼い犬やってませんよ」

「違いない」

 お互い小さく吐き捨てた後で、皮肉を帯びた笑みを返し合う。その最後の最後で、紗生子が決断を下した。

「課外より本格的な作戦行動に入る」

「分かりました」


 で、その日の課外。

 例によって地下駐車場に集まった面々はいつもの四人。それが何も言わず、それぞれ紗生子の車に乗り込もうとした時、アンにつき添っていた最側衛のワラビーが、わざとらしくも口を開いた。

「今日は平日だけど?」

 ここしばらくの、週末毎の大使館通いで平日に出張したのは、年始の一回目だけだ。後はドロシーが日本近海にいたため、移動に時間がかからなくなった事もあり、土曜の半ドンと日曜の休業日だけで間に合っていた。その諸々の理由をこのギャルは、当然知っているだろう。

「あの、さ──」

 この実は既に二〇代という小娘自身、数々の際どい任務をこなしてきた筈なのに、それが参戦する者に何かを言わないといけないと思わせる、そんな際どい作戦。

「──その」

 それでいて、何かを口にする事を戸惑っているようなそれは、

「インテリさんの事か?」

「いやっ、そうじゃなくてっ」

「伝言があれば伝えるが?」

「いや──」

 やはりそんな事だったようだ。そんなやり取りをする俺を、車を挟んだ向こう側の紗生子が、珍しい物でも見るように目を(しばた)かせている。

「急に女心が分かるようになったか君は」

「そんなんじゃないですよ」

 生真面目なインテリは、普段からスマホの電源を入れている事が殆どない。仕事中の殆どは、極秘行動だからだ。

「あの男前は、男が見ても目につきますから」

 流石のワラビーといえども、想いを馳せて当然だろう。それと連絡がつかないのであれば、少しは不安になる。それがこの作戦に関わるとなれば余計だ。そんな中で、

「──やっぱりいい」

「周りの目が気になるようではまだまだだな」

 という、紗生子の突っ込みが痛烈に決まった。

「主幹!」

 が、この際まずはワラビーだ。いつもは緩さを湛えるその童顔が、見た事もないごちゃ混ぜの感情で曇っている。

「──手紙は?」

 それに答えようとするワラビーが、何かを堪えるようにぎこちなくも一度首を左右に振った。それだけで両目から溢れた水玉が宙に飛び出し、地面に落ちる。エージェントも、

 ──人の子なんだな。

 ワラビーには悪いが、緊張感を帯びる只中で、一息つかせてくれる瞬間だ。そのギャルが、制服の上から羽織ってるカーディガンのポケットに、封筒の頭が覗いている。

「それか?」

「だって、こんなの──」

 その先が掠れて声にならない。

「何をためらう必要があるか」

「またそんな事を──」

 意地の悪い紗生子はとりあえず捨て置き、まずはワラビーの手紙を抜き取った。何てことはない、白色無地の洋封筒だ。それが出せない程に、常に陽気な女子が思い詰めている。当然ワラビーは、作戦の詳細を知らない筈だ。が、状況の悪さは理解しているのだろう。それでどうにもならない事を承知の上で、珍しくも拗らせている。

「火打石ぐらい用意しているのかと思いきや、その逆をいくとはな」

「主幹!」

「湿っぽくて敵わなかったと伝えてやるさ。真面目なヤツの事だ。それだけでも少なからず奮起するだろう」

 何ともひどい言い種だが、最後になってようやく言葉の端に情のようなものを匂わせる、小憎らしい紗生子(天邪鬼子)の真骨頂だ。対して今度は、確かに頷いたワラビーが、ギリギリのところで自分を取り戻す。

「こっちの事は任せろ」

 それを確かめた紗生子の今度のそれは、流石の心強さだ。

「最初からそう言えばいいんですよ」

「女心に寄り添うようになったら、急に口うるさくなったな。次は憎まれ口の裏側を読む事だ」

 と、実に紗生子らしい歯切れの良さが、気がつくと見事に場を収めている。

ヤツ(インテリ)は生きたまま連れて帰ってやる」

 留守は頼んだぞ、と嫌味な女から月並みの別れ文句が出ると、半ベソのワラビーを一人残したまま、例によってアルベールのタイヤが甲高くも極短いグリップ音を響かせつつ、駐車場を後にした。が、出るや否やで、

「手紙ときたか。実にロマンスだ」

 などと、いきなり病気が顔を出す今度のそれは、小悪さ好きの魔女のそれだ。

「生きたまま連れて帰るって──」

 それを紗生子程の女が口にすれば、殆ど心配無用と同意と言っていい。それを、

「──もう少し素直に言えないモンですかね」

「メソメソしてるからだろーが。少しは後ろの二人を見習った方がいい」

 という紗生子は、相手が誰であれ安定的に捩れている。急に振られた後ろの二人(アンとマイク)はというと、照れる仕種の一方で、それでも手は握り合ったままというから、こちらはここ何回かの大使館通いで既に何かを乗り越えたようだ。

「見習えって──」

 手を握る事が出来ないからメソメソしているのではないか。

「コイツらは遠回りに遠回りして、ようやく鞘に収まったんだ。どんなロマンスにも大なり小なり試練はある」

 それを見習えという事らしい。

「少しは分かるようになったかと思えば、まだまだ少女漫画偏差値は低いな」

「低くてもいいですよそんなの」

「視野は広い方が苦労も少ないと、あえて言っておくぞ」

 作戦間近だというのに、そんなどうでもよい会話で時間を潰しつつもアンとマイクの二人と別れると、カスタム機でドロシーに着艦する頃になって、

「まぁ蕨野(ワラビー)の気持ちは分からんでもない」

 と、凄まじい時間差で吐露してくれた紗生子だ。

「何がです?」

「待つのは辛いという事だ。そういう意味では、私こそ臆病だと言われても仕方がない」

「だからそういう事を言ってあげれば──」

「それでアイツ(ワラビー)がついて来ても困るだろうが」

 そういう紗生子は確かに、いつの間にやらドロシーで定位置を獲得してしまっている。

「──確かに」

「人の顔を見ながら言う事か」

 この困った、今は艦長をも務めるこの魔女の一番の難点は、戦力になるどころか、既に替えの利かないピースになってしまった事だ。このまま事ある毎にドロシーへ顔を出すようにでもなってしまえば、それこそいつか無駄死にし兼ねない。

 ──困った。

 更に質が悪い事にその極みは、そんな女が何故だか俺にくっついて離れようとしない事だ。これは嬉しい悲鳴というヤツで、

「何だ? こんな所で懸想でもしたか?」

 と突っ込まれるまでその顔を覗き込んでいた俺は、

「してませんよ!」

 その言葉とは裏腹に懸想しまくりなのだった。

 こりゃ真面目に──

 困ったものだ。


 同日夕方。

 俺と紗生子を乗せたドロシーは、一路進路を南西にとり、早速南シナ海へ向かい始めた。作戦は一気に佳境に入り、乗艦早々の夜にパイロット以上の幹部を集めてのブリーフィングで初めて紗生子の口から作戦概略が明かされると、いきなりその夜と翌早暁の二回に渡り、それっぽい演習が行われた。詳細を詰めている暇はなく、また詰める事で柔軟性を失い、それが枷になっても困る。翌早暁後のデブリーフィングでも大した議論は起こらず、結局、

「日常的に様々なテストをこなしている諸君の勝負強さに期待する。後は出たトコ勝負だ。以上解散!」

 という、紗生子の大雑把な演説を最後の締めとして作戦決行が決定。後はいよいよ本番を待つだけとなった。ドロシーに乗艦後、そこまで約半日超。

 その後は諸々の準備を進めながら、沖縄沖を通過する頃に丸一日が経過。日本沿岸離脱と同時に臨戦体制に入る。その二日後の夕方に中国・海南島沖に到着。その夜の到来を待って、問題の海域を行き来する海上民兵の船団に紛れ、一路南東のパラセル(西沙)諸島へ舵を切った。この動きは説明するまでもなく、漁船団を目眩しとした侵入作戦だ。レーダー上のドロシーは、小船程度の大きさにしか見えないステルス艦。加えて封鎖側にも極秘作戦を悟られないよう、洋上迷彩を施した上で夜間隠密巡航する。封鎖している船団は敵ではないが、かといって味方でもない。

 レーダー探知も直接視認も難しい文字通りの幽霊船が、パラセル(西沙)諸島の西縁を舐めつつ、その南方沖に着いたのは翌朝。そこから封鎖作戦中のマックルズフィールド(たい)は、目と鼻の先だ。気がつけば、二月も中旬に入っていた。作戦開始はこの日の夜の事。

 いい加減──

 渡さないといけないだろう。俺はまだ、ワラビーから預かった手紙を持ったままだった。乗艦直後からいきなり忙しくて、渡しそびれたのだ。作戦の直前にもなって、気を乱す可能性があるそれをするのは少し気が引けるが、渡さないよりはマシだろう。その相手の姿を探して艦内をウロついていると、目当ての人はやはりハンガーにいた。朝の点検を終え、整備士が引き払った後のそこは静かで、おあつらえ向きにもちょうど一人だ。それが、XF-37(ラウム)の傍に腰を下ろして機体を眺めている。作戦イメージを膨らませているのだろう。この性格の対極に位置する人間は、近しいだけでもすぐに何人か思い浮かぶが、この生真面目さはこの男ならではの尊ぶべき性質だ。

「インテリさん、ちょうどよかっ──」

 と口にしたのが運の尽き。俺とした事が、その視線の先を確かめていなかった。そこに紗生子がいる。キャノピーを開けたままのラウムの後席に乗り込み、何をしていたのか知らないが、俺の手にあるそれを見咎めるなり、

「何だ? まだ渡してなかったのか」

 とは流石の察しの良さだ。そのついでといっては何だが、それを聞きつけた勘のいい男がもう一人。隣のXF-38(オウペイク)の前席から、

「何だ何だぁ?」

 などと、いきなりはしゃいでいる。

「あちゃあ──」

 天井を仰いだ俺は、謝罪の台詞がついてこなかった。瞬く間に何かをしていたその人々が集まり賑やかになる。世間から隔離された色気のない艦内生活では、手紙などという前時代型の連絡ツール一つで、実に盛り上がったりするものだ。

「実はワラビーから預かってたんですが、渡しそびれて──」

「あのちっこくて可愛らしいインテリの嬢ちゃんからか!?」

 こと異性の事にかけては、異常なまでの記憶力と興味を示すテックによって、本人に渡す前にぶん取られる。

「ちょっと! 私信ですよ!」

「固い事言うな、こちとら暇なんだよ」

「作業中だったじゃないですか!」

「俺は見学してただけだからな」

 紗生子のWSO(兵装システム士官)練成につき合っていたらしい。

「まだやってたんで?」

「試しにラウムでやってみたらどうだと言われてな」

 実機を使って模擬戦をやっていたとか。データを引っ張り出せば、実機はシミュレーターとしても使える。それはゲームのような仮装データから、過去の実戦データまで様々だ。それを最強の電子戦型マルチロール機のラウムでやるのは実に贅沢な話だが、大変明晰なその頭脳は一方で頗る気難しい。使う者を選ぶと言わしめるそのシステムを、果たして天才紗生子はどの程度使えたのか。

「確かに優れたシステムだが、どうも相性が悪いようだ」

 不思議なもので、機械は使い手によって人相が変わる。どうやらラウムのそれは、すっかりインテリ仕立てに染まっているらしかった。

「優秀な頭脳だが主人(インテリ)に似て真面目でな。私には寄り添ってくれない。恐らくこの調子だと、オウペイクなんかは全くスコアが上がらんだろう」

 そこでお約束気味に、全員が軽く噴いた。

「提督が俺をお嫌いなのは知っちゃいますがね」

「嫌いではないが節操がちょっとな」

 と、そこでまた追い討ちだ。スコア自体は悪くないらしく、例えば攻撃判定は全弾命中という凄まじさらしい。が、それにかかる時間がヒートヘイズと比べると、明らかに遅いのだとか。そんな具合で各種のスコアはいいが、かかる時間に差が出ている。要するに、

「俺は操縦癖を完全に握られていると?」

「つまりは愛だな」

 というインテリが、如才なくテックから手紙を奪い返した。はっきりと言い切られて言葉に詰まるが、確かにそういう事だろう。

 タンデム飛行とは、操縦とそれ以外を受け持つ二人によって成り立つ作業だが、分業しようが職場環境は同じだ。その環境を作るのはパイロットの操縦で、基本的にそれをしない後席は、その環境に同調する事を強制される。それがヒートヘイズともなればそのストレスは甚大だ。乗り物レベルでロデオに例えられる程のその挙動は、まさにタンデム(二人乗り)ロデオのイメージに近いような気がする。大暴れする牛馬に跨り、ディスプレイから目を離さず、刻々と変化する状況下で選択と決断を繰り返す。その忙しさと難しさの中で操縦の動きに乗るなど、一々頭で考えていては間に合わないという事だ。つまり、感じる事が肝要であって、より端的に言えば愛情と同意という事になるだろう。

「常々そう思ってはいるんだが、何処の誰かさんは信じてくれんのでな。何かの結果としてそれが証明される事は──」

 嬉しいな、と小さく笑った紗生子の顔に、不覚にも見惚れてしまった。

「ブレねぇなぁ」

「こうもあからさまだと、嫌味を通り越して清々しい」

「いや──」

 全くだ。癖というものは、良くも悪くもその対象をよくよく観察しなくては把握出来ないのだ。それ程までに俺は、観察されていたらしい。

「まぁそうはいっても、我が夫は単純だからな」

 と、恐るべき種明かしを始めた紗生子によると、eスポーツ部から借りたゲームとウクライナ派遣時の出撃経験が大いに役立ったという。

「──って、去年の正月に借りた、文化祭の時のゲームですか?」

「想像力を膨らませば、何だってトレーニングは出来るという事の、これもまた一つの証明だ」

 何とあれ以来、時間が許せばイメージトレーニングをしていたらしい。

「──ど、通りで」

 紗生子程の天才肌が、そうした努力をするのだ。

 そんなの──

 凄まじいスコアが出て当然だろう。耐G練成の時のお疲れモードの紗生子を間近で見てきた事でもある。

 ──そこまでして。

 俺と一緒に出撃したいとは。愛の形は人それぞれという事を思い知らされる。紗生子程の者が、俺のレベルに合わせてそれを見せつけてくれる事の破壊力が半端ない。

「私は仕事柄、今回のような事態を常に想像している。折角いい馬に巡り合えたんだ。乗りこなしたいとしたモンだろう」

 め、巡り合えたとか──

 やろうとしている事は実に野蛮で血なまぐさいが、時として吐くその乙女チックなフレーズは罪だ。俺の事を少なからず想ってのそれを、嬉しく思わない訳がない。

「ちょ、ちょっと俺は──」

 引き続き一休みすると言って、とりあえずその場から逃げ出した。今これ以上紗生子の前にいたら、何を言って何をし始めるか。自分を抑える自信が持てない。人前だろうと暴走するのが色恋沙汰としたものなのか。何日か前の、学園を発つ時に見たワラビーがそうだったように、

 ──お、俺も、あれか。

 手紙を渡して人の事を心配している場合ではなくなってしまった。大体が、人がいない所では、既に何度か暴走している前科持ちの俺だ。

 ──お、落ち着かなくっちゃ。

 と言って落ち着けるような人間はいない。ヨロヨロと食堂へ行って何か飲もうと、この時ばかりは人気の少ない士官スペースを頼む。が、いざ行ってみると、珍しくも先客があった。

「──これはちょうどよかった」

 ボブだ。民間人だが、元のプロジェクトを担っていた会社の重役だったという事で、そこの使用が許されている。

「少佐にちょっとお話がありましてね」

「は、はあ、何でしょう?」

「まぁ何か飲みながら」

 コーヒーでいいですか、と進められるままに、恐れ多くも副大統領夫君に淹れてもらったそれに早速口をつけ、気を紛らわそうとするが、

「奥方は実に献身的で何よりですね」

「んふ!」

 いきなりそこを突かれて、啜っていたのを噴き出しそうになった。

「どうしました?」

「い、いや、ちょっとむせちゃって」

 ボブに罪はないが、落ち着こうとしていたところを、いきなり蒸し返された気分だ。

「あの人は随分変わられた」

 急に遠い目をするその人によると、以前の紗生子は、まともに話かけられるような人間ではなかったらしい。

「それはそれは。もう目が合っただけで、その目に射抜かれるというか、串刺しにされそうな勢いで。声なんかかけたらどうなるか」

「石にされる感じですか?」

「違いない」

 ハハ、と笑うボブが間を置かず、

「あの変わり様は、あなたのせいだと言ってますよ、みんな」

 そんな動揺を誘ってくれる。

「私の周囲で彼女を知る者は、あの処女神が──」

 男を受け入れた事の衝撃といったらなかった、とか。

「彼女にとってあなたは精神的支柱です。間違いなく」

 この世に繋ぎ止める(しるべ)だとか、どんどん大袈裟になっている。この辺りの言い回しは、流石は人の上に立つ者としたものなのだろう。見た目の割に、どうして中々のロマンチストだ。

「そ、そんな大したものでは。ペットみたいな扱いである事は確かなようですが」

「何にせよ我々は、あなたに感謝しているんですよ」

「はあ?」

 何の事やらだが、

「それなのにあなたは恐らく、我々の中で最も彼女を知らない。知らな過ぎると言ってもいいでしょう」

 などと、話向きが何処か怪しい。ので、

「確かに興味の湧く人ではあります。が、本人を差し置いてセンシティブな事を、他の人の口から聞くのは──」

 と、釘を刺しておいた。大体俺とボブは、ついこの一月二月のつき合いだ。何を吹き込むつもりか知らないが、

「──何より、複雑な身の上の大身の事ですので」

 それを俺などがうっかり耳にして、何かに影響しても困る。

「これは失礼しました。決して悪い意味ではないんです。私は確かに、あなた方の間に入り込むには、つき合いが浅い事も承知しております」

 実は話を急ぐ理由は、

「──妻からの催促でして」

 と、舌を出した。アイリス(副大統領)が、俺の褒美の内容を気にしているらしい。俺は未だ、それを決め兼ねていた。

「他のみんなはもう──?」

「後は少佐だけなんです」

「すみません」

 同じような事は、艦内のクルーや乗り込んでいる元イーグル社の技術者に及ぶまで聞き回っているとかで、俺が最後なのだそうだった。米国側スタッフの論功行賞責任者はアイリスだ。日本側は外ならぬ紗生子で、そちらの事は当然、預り知らないらしい。

「あなたの功労は、現時点で既にこの上ないものだというのに、今回も最も危険な役回りです。我々としては下世話を承知で、せめて少しなりとも返礼をさせていただかなくては、気が塞がるばかりでして──」

 ボブが卓越した技術者である事は、この業界に少しでも足を踏み込んでいる者なら知っている。イーグル社が倒産した今、このプロジェクトを率いる人材として、これ程の適材はいないだろう。が、どうやら頼みとされるその手腕は、技術力だけではないようだ。

「嫌味抜きで、夫君の御役目ご苦労様です」

 つまりボブは、このプロジェクトに対するアイリスの期待と信頼の表れに外ならない。

「いえ、そうではなく──」

 極秘作戦の後ろ支えのつもりで派遣した一族の鼻摘み者が、事もあろうに国家反逆を企て、ドロシーを窮地に陥らせた。その失態の、

「遅ればせながらの──」

 禊ぎのようなものなのだ、とか。

「本当に呆れる程遅くなり、恥を忍んで来た次第なのです」

 ボブからすれば、実弟の痛恨の不始末だ。

「至らぬ弟が、特にあなたに辛く当たっていたと、大佐(インテリ)中佐(テック)からお叱りを受けました。まだ謝罪の一つもしていないのかと呆れておいでで。全くもって返す言葉もありません」

 と、生粋の米国人が頭を下げる。

「いや、お忙しい御身です。私のような者の事より、他の使命に殉じていただければ」

 謝罪の遅れは、二号機の仕上がり具合を見れば分かる。ロールアウトと同時に実戦投入してもよい程のそれを、倒産の混乱の中で作った意地や情熱のようなものは称えてよいだろう。

「私は本当は、只のメカニックに過ぎません。それが何故だか、分不相応にも様々な御役を負うようになり、このザマでして──」

 とは、確かに伝え聞く、この御大尽の性向だ。そんな雰囲気は、イーグルの企業風土にも出ていた。商売気がなく、職人気質旺盛。初代の時に戦争需要で一気に飛躍したものの、三代目の今に至るまで、肝心なところで同業他社に出し抜かれる爪の甘さは否めず。それでも生き残る事が出来たのは、偽りのない本物志向のずば抜けた技術力故だ。それを俺はテスト機で、

「誰よりも理解しているつもりです」

 人は裏切るが、技術は裏切らない。

「それを生み出す人達も。その誠意のようなものは──」

 ヒシヒシと感じている。只、

「一号機の戦車砲には驚きましたが」

「あれは父の悪さが過ぎましてね」

 と失笑する男の顔は、まさに一メカニックの悪戯っぽさのそれだ。それが、大手企業の経営を担わざるを得なくなり、妻を介して国政にも少なからず関与せざるを得なくなった。その本音は、

「機械いじりの延長のようなもので?」

「全く、面目ない事で──」

 すみません、と小さく(しお)れるそんな一介の機械好きに、今や政治権力塗れのアイリスが離れようとしない訳は何なのか。

「元社長は、どうなさっているんですか?」

「兄は未だ清算手続き中で。本当は一緒にここ(ドロシー)へ来たかったようですが」

 ボブの実兄に当たるこの元社長というのが、実は二枚目だったりする。イーグルの財を望むのであれば、普通はこちらを夫に望むものだろう。が、アイリスはそれをしなかった。

「あなたを名代として送らざるを得なかった奥様(副大統領)のご心中やいかばかりかと──」

「彼女のやっている事など、私には爪の垢程もサポート出来ないんですがね」

 立場がそれを許さない事の辛さだ、とか。ボブには悪いが、確かに国政向けの事を、この何処か憎めない、人の良さのようなものが滲む素朴な男に出来るとは思えない。更に突っ込んで言えば、お世辞にも見た目が良いとは言えない中肉中背の中年に、彼の才色兼備が立場を忘れ、別離を惜しんで涙ながらに熱い抱擁を交わす事の衝撃だ。

「あの、宜しければですが──」

 この夫婦の馴れ初めのようなものを聞いてみたくなった。

「え?」

「いえ、凄い妻を持つ者同士、何かの参考になればと思いまして」

「ハハ、そうでしたね、今は」

 やはり俺と紗生子の偽装婚は、この男も知るところらしい。

「大学が同じでしてね」

 それはそれは高嶺の花だったそうだ。学年も違えば学部も人文と工学で、まるで接点がなく。

「そもそも私は、人見知りが激しい陰キャの類いでして」

「い、陰キャ?」

 アンの影響は、親類縁者にも及んでいるらしい。と、それは置いておくとして、当時既にそれなりの大家で育っていた二人は、そうしたしがらみでチヤホヤされる事も多かったそうだが、お互いがそんな事とは知らずに出会ったそうだ。

「ペットボトルロケットが繋いだ縁だったんですよ」

「ペットボトルロケット!?」

 お遊びで作ったそれを数少ない友人と共に学内でぶっ放していたところ、それが遥か遠くで花見をしていたアイリスの傍に突っ込んだらしい。

「花を派手に散らしちゃって、花びら塗れにしたモンですから」

「それは──」

 遊びでも半端な物は作らないメカヲタク振りは、今に始まった事ではないようだ。

「恐る恐る謝罪に行ったら、逆にえらい興味を示されて驚きましたよ。それからですかね──」

「あるんですね、そんな偶然が」

「人の出会いなんて、偶然と奇跡の連続ですよ」

 思えば俺も、そんな出会いを繰り返して来た事ではある。

「それなら、出来る限り後悔はしたくないというものでしょう?」

「そう、ですね」

 一見素朴な男だが、恐らく今も尚その出会った日の情熱が、何処かでくすぶっているのだろう。

 花見か──

 ふと、細やかな、然して中々贅沢ともいえる褒美が思いついた

 ──ような。

 気がする。

「厚かましくもお聞きした甲斐がありました」

「はい?」

「決まりました、ご褒美」

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