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修学旅行(後)③【先生のアノニマ 2(中)〜24】

 夜明け前に、仏ボルドー沖約一〇〇kmの海のど真ん中から突如として現れた飛翔体は、真っ直ぐシャモニーへ向かっていた。ディスプレイに映し出されたその行程は約七〇〇km、着弾予想は二七〇秒を切ったところだ。

 ──間違いない。

 この速さはヤツ(HCM)だ。何処の国の物だか知らないが、俺が遭遇しただけでも既に三発目。何れも目標を正確に狙う、完成度の高いミサイルだ。

 それなら──

 その完成度の高さを逆手にとる、というのが、紗生子の作戦だった。伊サヴォーナ沖に停泊中の幽霊船(ドロシー)から緊急発進(スクランブル)した【XF-38(オウペイク)】とシャモニーまでの位置関係は、距離にして約二二〇km。見つかれば狙われる正体不明機扱いのNATO領域上空を、とにかく身軽にして速度を稼ぐため丸腰で弾丸飛行という、例によって泌尿器科で頭を診てもらうべき中々狂った作戦だ。往路は搭載燃料を使い切る勢いで、飛ばせるだけ飛ばす。それでもシャモニー到着予想は、やはり約二七〇秒後。一見して敵弾と同タイムのようだが、何となく俺の感覚的には、こちらが一瞬

 遅いような──

 気がする。そう思わせるのは正体不明の敵の圧迫感に外ならない。

 俺達がミディ山頂で受けた攻撃で、飛んで来る方向の見当はついていた事だ。敵ミサイルの正確性につけ込み、事前に会敵地点をシャモニー西方数kmの山中上空に設定。西から飛来するミサイルを南東から迎え撃って阻止するオーダーなのだが、その進路を被せる前に目の前を通過されるのではないか。広域図でお互いが接近する様子がリアルタイムで見てとれるが、約三倍もの行程をこちらの約三倍の速度で飛んで来る敵だけに、マップ上をにじり寄って来る迫力が只ならない。通常の巡航ミサイルの約一〇倍に迫る勢いの、恐るべき速度の凶弾だ。その様子を見ているだけで、圧倒的な速さに絶望感で押し潰されそうになる。本当に紗生子ではないが、生き残る度に任務の難易度が上がり続けているような気がするのは、

 ──気のせいじゃねぇよなぁ。

 それでも、一縷(いちる)の希望はあった。絶望感を与えてくれるその情報こそがそれだ。普通であれば、発射直後の極超音速巡航ミサイル(  HCM  )などレーダーで捉えられるものではない。予想していない限り着弾寸前まで捉える事など出来ず、気づいた時にはやられているというのがそのミサイルのセオリーだ。紗生子がどんなマジックを使ったのか知らないが、俺の出撃は発射直後のミサイルを捉える事が大前提だった訳で、生きて帰る事が出来たらその自慢話でも聞くとしよう。

 更に幸いしたのは、最後の最期でこの嵐だった。欧州の空港という空港はクローズしており、飛んでいるのは不躾なミサイルとそれに突進する気が触れた俺ぐらいのものだ。周囲を気にする事なく、遠慮なく一直線に飛べる。加えて、ジェノバ湾低気圧がもたらす南風の恩恵だ。上手く追い風に乗っている。

 これなら──

 マッハ三を超えているのではないか。時期外れの尋常ならざる寒さもあって、摩擦熱によるボディーの融解も問題視するレベルではなさそうだ。

 どうにか──

 なるか。その条件は整っている。真っ直ぐ飛ぶ分は、テックの言う事しか聞かない猛牛(オウペイク)も大人しい。後はこの状況に横槍が入らない事を祈るのみだ。仏のレーダーサイトがこの状況に気づいているのか知った事ではないが、気づいたところでミサイルを迎撃する能力もなければ介入もクソもあったものではない。反撃の手立てがないという残酷な現実。これこそがHCMの脅威の所以だ。

 ごちゃごちゃ考えているうちに、あっと言う間に行程の半分を過ぎた。やはり横槍はない。出しようがないのだから当然だ。淡々と二つのベクトルが、一点に向かって飛んでいる。そんな嵐の中の静寂。刹那的な時間の中でその意外な静けさが、シリアスな時間軸を狂わせ弛緩させる。

 ──マズい。

 事もあろうに、眠くなってきた。速度稼ぎで上がった高空は、遠く東の空が僅かに白む雲一つない夜明け前の暗闇だったが、アルプスの峰を掠めてくるミサイルの高度に合わせてこちらも徐々に降下する行程だけに、途中からは例によって真っ白闇に入った。俺がやっている事と言えば、戦闘機を真っ直ぐ飛ばしているだけな訳で、実のところ作業量は少ない。となると、すり減った身体は自然、休息を求める。

 一連の作戦の所々で目を閉じてはいたものの、丸々二昼夜横になっていないと、流石に疲労感が眠気を誘い出す。無線で誰かがバカの一つでも吐いてくれれば随分違うと思うのだが、作戦機密のため当然無線封鎖中だ。まさかの居眠りで失敗したとあっては、俺の何処かを買って出撃させた真耶提督(・・・・)に顔向け出来ない。

 そんな時、効果音と共に新たなベクトルが広域図に現れた。

 ──ホ、ホントに来やがった!?

 これも作戦通りだ。マップ上では小さな変化だが、眠気を吹き飛ばすには十分過ぎる程の先進性。それは次世代兵器の一つ、レールガンだった。しかも敵ではなく、味方の援護射撃だ。

 次世代型のレーザー砲とも大砲とも称されるそれは、電力を発射エネルギーとするため、どちらのタイプにしろ高電力システムを必要とする。開発段階の今は、一発の発射で砲身が焼けてしまい連射性能が課題とされるが、単射については成功事例が表に出始めた極超音速兵器の一つだ。本国(米国)ではその開発が頓挫してしまったが、同盟国日本では研究開発が進んでおり、それを担っているのが、

 ──高坂重工とはなぁ。

 その仕組まれたかのような偶然は、必然との境目が俺などにはさっぱりだが、兎にも角にもドロシーで散見された見慣れないクルーというのは、その開発者達だった。文化祭の時のミサイル事件を受けた紗生子が、それに対抗するため新兵器(レールガン)毎ドロシーに乗せたのだ。そのウルトラCどころではない出鱈目な手管には毎度驚かされるが、少し考えればレールガンは、統合電気推進( IPS )システムを採用した大電力艦でもあるズムウォルトに搭載される予定だった物であり、そのクローン艦に搭載される事に物理的矛盾はない。おかしいのは、その周りに存在する人々や組織の異常なまでの柔軟性と、短期間でそれを搭載させた紗生子の手腕だ。母艦を運用している米国側への説得には副大統領を、兵器を開発中の日本側は相談役を頼っての事なのだろうが、確かにその着目は理解出来ない事もない。

 ないんだが──

 文化祭から約二週間後の今。日本近海から地中海までドロシーがやって来た事を考えれば、その新型兵器を搭載するのに許された時間は、まさに補給に要する程度のものだった筈だ。それをやらされた方々は堪ったものではなかっただろうが、大体が一日やそこらで物理的にそれが載せられるものなのか。恐らく主要パーツを分解して船にぶち込んだ後は、走りながら(・・・・・)据えつけたのだろう。ドロシーへ乗り込んだ高坂の面々は、揃いも揃って佐川先生が現役時分に直接育てた子飼いの部下らしく、そんな無茶振りも師匠直伝としたものか。こっそり紗生子が教えてくれたところによると、どうやら師匠同様、CCの技術部門を支える嘱託職員だったりするというから、俺に言わせれば色々と

 問題があるような──

 気がするばかりなのは気のせいではない筈だ。が、これまた少し考えれば、以前の紗生子も口にしていた事ではあるが、ドロシーには恐らく本国の諜報部員も紛れ込んでいるだろうし、そもそもが紗生子こそ、日本側の影代表と言ってもいいような女な訳で、これはこれで意外にバランスがとれるものなのかも知れない。

 少し脱線したが、そんな次世代兵器を巡る色々と振り切った女の行動力には、驚きを通り越して呆れるばかりのその新兵器は、大砲型の誘導弾だった。業界では一般的にその射程は約二〇〇kmとも言われているが、果たしてシャモニーまで届くものか。

 届けば──

 HCMなどの極超音速弾に対する迎撃の切り札とされる、やはり極超音速のレールガンだ。敵方の慌て振りは、確かめるまでもないだろう。

 俺を含めたこれら三つのベクトルが、後一〇〇秒前後で一堂に会す。マッハを超える速度で巡航ミサイルだの誘導弾だのと、俄かに信じ難いのだが、背後から狙い澄まして迫り来る援護弾の誘導性能は確かなものなのか。初めてお目にかかるだけに、遭遇回数分だけ敵ミサイルの精度の高さに圧倒されている俺は、何となくお味方が信じられないという前門の虎後門の狼状態。そして俺は丸腰という、考えれば考える程頭がおかしくなりそうな状況だ。が、実はウエポンベイはそれなりに賑わっていたりした。武器の代わりにチャフとフレアを満載しているためだ。前者はレーダー電波型、後者は熱源(赤外線)追尾型の兵器を撹乱するための囮であり、前者はグラスファイバーにアルミを蒸着させた物、後者はマグネシウムなど酸化しやすい金属粉末を用いて作られている。武器に比べると重さはないが、それをウエポンベイに満載などと、何かの拍子に発火しそうな、これはこれで困り物だ。

 俺の役割は、敵ミサイルがシャモニーに到達する直前で、この困り物を大量散布するという哀れな囮役だった。最近のミサイルは囮を回避する能力を有しているため、欺瞞の有効性は直前に限られる。行く手を阻むようにそれを直前でまくためには、ミサイルよりも先に到達して盛大にばらまく必要があり、

 ──何のチキンレースだそりゃ?

 俺はその難題を押しつけられたピエロだ。上手くいくとは思い難い。一方で俺が失敗しても、後門の狼(レールガン)(HCM)に食いついてくれれば良いのだが、これまた実戦は初体験というし、やはり上手くいくとは思えず。

 ──何にしても。

 全てが機械がやる事ならまだしも、三者の一つは有人なのだ。人類史上最高潮に人権大事の時代において、この人命軽視がまかり通るところが軍隊というところであり、軍人の存在意義はこの一事にある。

 毎度の事だが──

 それを(そそのか)され、あおられ、どうにか今日まで生き延びて来た。が、国を変え組織を渡り歩き、任務の負担は増すばかりだ。

 ──こりゃ確かに。

 紗生子ではないが、何かしらの役得やご褒美をねだるぐらいでないと、やり切れないような気がしてくる。どうせ死ぬ時は死ぬし、この先まだまだ死にに行くような任務にも遭遇するだろう。今回のこれもまさにそれだ。

 改めて──

 そう思うと、我ながら今まで随分と禁欲的に生きてきたものだが、何だかバカバカしく思えてきた。つまらない我慢は悔いを残すばかりだ。それなら、

 ──まずは、とりあえずだな。

 無事に帰れたら、何をねだってやろうか。

 数十秒後。

 冬の嵐に振り回された修学旅行だったが、最後はその風の助けを受けた俺は、敵ミサイルよりも僅かに早く会敵設定地点に到達。景気良くバラまいた紙吹雪(・・・)が奏功したのか、それとも()()に食いついたのか。定かではないが、ミサイル撃墜を確認した俺は、ガス欠寸前でドロシーに帰還した。


 作戦終了後。

 夜が明ける前に、慌ただしく対岸のサヴォーナへ戻ると、今度はビーチの桟橋にSUVタイプのストレッチリムジンが待っていた。日本では高坂絡みでそれを見かけたものだが、欧州で流石にその家の車が出てくる事もないだろう。その運転席に壮年の男。車の傍には執事風情の老紳士だ。何れも正装であり、それだけで誰の目にも良家の使用人だと分かる。特に老紳士などは、恭しくも寒空の中を節目がちに待ち構えており、筋金入りの従者振りを思わせた。その労を、その人からすれば明らかに小娘の部類の紗生子が、例によって事なげもなく、

「待たせた。頼む」

 と、当然の大物振りだ。このあべこべ振りにはいい加減慣れてきたが、それをやはり当然に受け止める執事の、

「かしこまりました」

 という返事が、何れも仏語だ。

 車内に入ると、落ち着いた内装ながらも外見を裏切らない広さで、対面して座ってもお互い足が伸ばせる程だった。

「寝ていいぞ。流石に眠いだろう」

「はあ」

 紗生子は詳細を口にはしないが、裏を返せば危機は去ったという事なのだろう。早速動き始めたリムジンの足も通常モードだ。帰りはのんびり陸路で帰れるらしい。小さな振動に身を委ねていると、早速眠たくなってきたので、言われた通り目を閉じる。

 それから少しは意識が飛んでいた時間もあっただろうか。車が止まったタイミングでエンジンまで止まったので目を開ける。と、大邸宅の玄関口に来ていた。辺りはすっかり夜が明けており、シャモニーの雪山はどこにも見当たらない。それどころか、高台から見える海辺の美しさはどうした事か。

「どうした?」

 驚く俺に、対面の紗生子が悪戯っぽく吐いた。

「どうしたも何も──」

 ここも嵐はなく、晩秋の陽光が海沿いに広がる街並みを穏やかに照らしている。今度はどんなマジックを使ったというのか。

「君は来た事がなかったようだな」

「はあ?」

「フェラ岬のフェレール邸だ」

 と言われて、ようやく理解出来た。それならこの景観は当然だ。

 フレンチ・リヴィエラの代表格と言えば、まずはニースが挙げられるだろうが、その近郊に位置する名のある富豪が寄りつくリゾートがある。南仏の珠玉と誉高き【サン・ジャン・カップ・フェラ】だ。サン・ジャンとは聖ヨハネ、カップは岬、フェラは草ぼうぼうを意味するラテン語からきている、と聞いた事があるようなないような。要するに昔は何もない所だったそこへ、価値を見出した金持ち達が住まうのが今の【フェラ岬】だ。半島型に突き出た緑豊かな邸宅群は、地中海とそれを臨む街並みが一望出来るのだが、街並みの喧騒とはかけ離れた静謐に包まれており、隔世感を強く感じる。

「降りるぞ」

「いや──」

 俺などが、土足で立ち入っていいような所ではない。ましてやそこのフェレール邸と言えば、最上級の豪邸だ。

「ろくに寝てないんだ。朝メシの一つぐらい食わせて貰おうじゃないか」

「お、俺は(ドロシー)で食いましたよ」

「いいから来い」

 最後は力任せに手を掴まれて引っ張り出され、そのまま邸内に引きずり込まれてしまった。何処をどう歩いたものか分からないまま、我が家の如く闊歩する紗生子に連行される事しばらく。大きな庭が臨める居間のような部屋に入ると、一人の紳士が優雅にカップを啜っていた。次期フェレール当主の【Giraud(ジロー) Ferrer(フェレール)】だ。

「おや、もうお着きでしたか。流石にお早い」

「人が大変な時にいい気なモンだな。こっちはとりあえず一仕事終えたばかりで着の身着のままなんだ。風呂の一つも沸かして待っていたんだろうな?」

「ふ、風呂!?」

 朝メシだった筈が、いきなり派手に脱線している。

「用意させております。まずは旅塵(りょじん)を落とされませ」

「そうさせてもらおう。よし、風呂だ」

「ちょ、ちょっと──」


 三〇分後。

 また居間に戻って来た時には、俺は着慣れないナイトガウンを羽織らされていた。下は当然パジャマだ。円卓に腰掛け、右に同じくガウン姿の紗生子、左にジローだが、ここでも紗生子はタメ口で渡り合っている。

親父(・・)はどうした?」

「分かって言ってるでしょ? お陰様で親父どころかおかん(・・・)までてんてこ舞いですよ」

 この度の件で、表立った対応が出来ない仏政府に変わって、元大統領にして財界大物の御大が、裏交渉で忙しいらしい。

「赤い狼現る所に乱起こる、と嘆いてましたよ」

「人のケツ追っかけ回しておいてよく言うなあの親父」

「ごほ」

 余りの口汚なさに、思わずむせてしまった。それを見たジローが鼻で笑ってくれる。

「相変わらず大変そうだなお前は」

「ご無沙汰です」

 ジローは今でこそ、実父にして現当主アルベール・フェレールの秘書として家政を一手に取り仕切っているが、その前は仏財務官僚だった男だ。その出世街道の途中で仏陸軍に出向経験があり、何の因果か外人部隊でバタバタやっていた俺と出会う。その縁のせいで俺は、今では兄となった不破具衛(ともえ)とフェレールの橋渡し役にされた訳だが、意外にも長続きする縁には驚かざるを得ない。

「風呂は一緒に入ったのか?」

「ぶ」

 俺の反応を見て、続け様にわざとらしくも紗生子を見るジローのそれは確信犯だ。

「──夫婦でしたよね? お二人は?」

「中々臥所(ふしど)を許してくれなくてな」

 さっきのジローではないが、

「それこそ分かって言ってますよねそれ絶対!」

 元仏大統領にして、世界に名を馳せるフェレールグループ会長の懐刀が凡庸で務まる訳もなく、諸事情はやはり筒抜けとみて間違いないだろう。

「実は余り時間がないので、最終報告を伺いたいのですが」

「そうか。婚礼に呼ばれてるんだったなお前ら(・・・)は」

「父母は、慌ただしい勢いでそのまま日本に飛びましたよ。お陰様で私は殿(しんがり)です」

 言われてみれば、兄夫妻の結婚式が迫っていた。欧州は荒天も荒天だが、日本は好天だったのだ。よい日和になるだろう。

「事実上お前が御家を切り盛りしてるんだ。諦めろ」

「そうやって、私ばかりが忙しいんですよ」

「親父は女のケツ、おかんは若い燕に目がないからな」

「狼の尻を嗅ぐ度胸はないようですがね」

「嗅ぎつけるようなら、虎ごと食いちぎってやるさ」

「今回はどうでした?」

「食いちぎってやったさ」

「それを聞いて安心しました。では私もそろそろ日本へ発ちます」

 今日はゆっくりしていってください、と言い残したジローは、本当にさっさと退室してしまった。実父の日本通を継いだジローは、先程来ネイティブ以上の日本語で、会話に困る事はなかったが、

 ──何なんだ?

 傍から見れば謎々だらけだ。

「着て来た物は洗濯中だ。それにこの辺は嵐も収まっているが、シャモニー近辺は明朝まで大荒れが続くそうだしな。いい加減休めと、神様からの思し召しだろう」

「休んでもよろしいので?」

 しかも、家人の居なくなった豪邸に居座り続けてもよいものか。全く気にする素振りを見せない紗生子とフェレールの間柄は、それ程のものらしい。大体が、高坂とも近縁である様子のこの女の事だ。問題にするような事ではないのだろう。

ヤツ(HCM)をぶっ放した連中は拿捕したからな」

「ええっ!?」

「とりあえず、首尾は上々としたモンだろう」

 何とビスケー湾で、米海軍第六艦隊が正体不明の潜水艦をお縄にかけたらしい。

「だ、第六艦隊──」

 まで動員していたとは。紗生子の作戦能力が凄いのは最早分かり切った事だが、その影響力の大きさも振り切ったものだ。

たまたま(・・・・)演習に出かけて、思いがけず(・・・・・)網にかかったそうだぞ?」

「──な訳ないでしょ」

 目星をつけていたからこその成果という事だろう。だからこそドロシーは地中海にいて、敵はビスケー湾にいたのだろう。そして初弾こそ捉えられなかったが、二発目は見事に発射地点を割り出した。でなくては、速い上に不規則なルートを飛ぶ極超音速ミサイルなど見つけようがないのだ。

 何にしても──

 捕まえたのは驚くべき成果だろう。どの国の誰がどれくらい得をするのか。俺などには雲の上の事は分からないが、全て水面下で動いている事を思うと、表沙汰にしないという揺さ振りで獲得出来る利益の大きさは想像するまでもない。それを搾り取られる側は堪ったものではないだろう。

「相手国はどこだったんですか?」

「さぁなぁ」

 とりあえず乗組員は、全員アジア系の形をしており、中国語を使っているらしい。

「──やっぱり」

「最新鋭のミサイルを、将来的に搭載予定の極秘開発中の潜水艦に、念願叶ってようやく載せたってところだったんだろう。そりゃあ誰だって使いたくなる」

「確かに──」

 それはドロシーでもやっている事だ。今後は、

「レールガンのチームも、引き続き乗り続けるんでしょうか?」

「一定の成果を見せつけたんだ。降りたくても降ろしてもらえんだろう。同盟国同士、仲良く開発すればいいのさ」

 何処まで本当の話か知らないが、的外れではないだろう。

「当面落ち着くまでは、君の機体(XF-39)のスペースを使う事になるだろうな」

 今となっては連絡用のオスプレイが止められている俺のテスト機スペースだが、今更特段の開発を要しないそれ(V-22)は、使わない時は止めているだけだ。狭いなりにゆとりがある。

「まぁ、そうですね」

 これで俺のテストパイロットとしての仕事は、お役御免が決定的となった訳だ。

「──となると、君の身はどうなるんだろうなぁ?」

 来年の今頃には、恐らくアンの護衛任務も終わる。となると、

「次の任務かクビ(除隊)でしょうね」

「順当なトコだな」

 敵も俺も、いよいよ着地点が見えてくる展開だ。

「とりあえず、改めてよく戻って来たと言っておこう」

「まぐれですよ」

「そうだとしてもだ。約束通り褒美をとらせる。何なりと言え」

「だからいりませんよ」

「仕方のないヤツだ。それでは私の気が済まない事が分からんのか?」

「安上がりでいいじゃないですか」

「日頃私がどういう心境で君を使っているか、まだ理解出来ないようだな」

「馬で犬で、あと何でしたっけ?」

「その馬がやられたら、あとは将が狙われるだろうが」

 結局は自分可愛さだ、とは口には出せないが、結論そういう事だ。

「君はいい加減、自分を(けな)す癖を直さんといかんな。百歩譲って犬馬扱いだとして、私にとってのそれは愛犬で愛馬だ」

「身贔屓は将にあるまじき振舞ですよ」

「他の連中にも褒美をとらせると言っただろう? もう忘れたのか?」

「頭悪いんで」

「聞き分けのないヤツだ」

「何で俺なんですか?」

 結局、いつもそこに戻る。

「今まで二人でどれ程死線を潜り抜けてきたと思っている。君の不信はさておき、私は常に君を信頼していたが、それが理解出来ん程君は間抜けだったか?」

「間抜けですよ!」

 こうなると、もう売り言葉に買い言葉だ。

「そうか。それなら致し方ない。ベイルアウトの件では罰を望んでいた事でもあるし、やはりお望み通りそうするとしよう」

 と、何処か手続き的だった紗生子が、いきなりガウンを脱いだ。立て続けにパジャマの上のボタンを躊躇なく外し始め、はだけた隙間から下着が覗く。

「うわ!? ちょっと、朝っぱらから──」

「なら夜ならいいのか?」

「そういう問題じゃありませんよ!」

 慌てて俺のガウンをかけるが、その隙に傍のソファに押し倒されてしまった。

「同意が得られないのなら、これは罰だ。諦めろ。そうじゃないなら褒美として受け取れ」

「ちょ、ちょっと──」

 流石に理詰めでは敵わない。しかしそれならそれで、何故普段は世が羨む才色兼備の女傑ともあろう女が、俺のような捨て駒に理詰めで迫るのか。

「何をそんなに焦ってるんです!? 大体が人様の家でするような事ですか!?」

 その拙速振りが、余りにもチグハグだ。

「お互いいつ死ぬか分からん身だからな。単純な理由だ」

 と、上から強引に唇を奪われる。もう色気もクソもない。

「ま、待って──!」

 どうにか引っぺがすと、その勢いで起き上がり、とりあえず横に座らせた。

「そうならないように、お互い今は休息でしょう? それにこういう事は、TPOが大事じゃないですか」

「それを言っていたら、常に任務中の我らは先に進めないだろう?」

「急いで何処へ行こうってんです!?」

「何処も何も、いつ死ぬとも分からん男の種を頂戴するまでだ」

「た、種──!?」

 紗生子のような天才が、

「正気じゃないですよ!?」

 抜き差しをすっ飛ばして、妊娠を目論んでいたという衝撃的な暴論を前に、呆れて言葉が続かない。

「正気じゃないから男に色目を使うんだろう」

 と、面と向かってその目に食いつかれては、冗談抜きで獣のようなまぐわいに突入しそうだ。これまで時としてチラつかされてきた、その誘惑的な態度からは想像も出来ない紗生子の直情が、混乱の渦を拡大させる。

「天然も大概にしろ。目の前で可愛らしいのにチョロチョロされれば、多少を問わず大抵のヤツは欲情するモンだろうが?」

「よ、欲情ですか」

「どれ程生唾を飲んだか知れん」

「ごほ」

 紗生子のような女が吐く、その言葉の破壊力の大きさに、またむせた。相変わらず淡々としたものだが、透けて見える余裕のない衝動的な行動は、俺に告白を企図していたという生徒と同レベルではないか。血走って身をさらけ出そうとする短絡さは、どう考えても紗生子のイメージと重ならない。

「もう酔ってんじゃ──」

 にしては酒臭はなく、

「手近に心を許した存在がいれば人間なんぞ、いつでも酩酊しているようなモンだろうが」

 ──ぐは。

 心を許したとか、それを絶世の類いの美女に言い募られる事の破壊力がまた凄まじい。

「人の好みなど人の数だけあるんだ。直感的にして本能的だ。それに(あらが)い続けるのは悟りを開かんとする求道(ぐどう)者ぐらいの事だろう。私は才知溢れる部類の人種だが、そうは言っても俗人である事に変わりはない。我慢には限度がある」

 我慢という文字が紗生子の辞書にあった事が意外だが、それを言ってしまうとまた後が怖いので、当然口にはしない。

「──つまりだ」

 と、また隣の美女が怪しく腕を絡めて来る。

「これ程の美女に迫られて響かないヤツを見た事がなければ、そもそも私がそう仕向けるヤツなどこれまでいた試しもない。我が事ながら、そこの興味がまたそそる」

 立板に水の怒涛の口撃のどさくさで、また押し倒されそうになるのを、今度は迎え撃って押し留めた。

「ま、まあ、落ち着きましょう」

「こういう反応だけは素早いな」

「流石に任務中に妊娠はマズいでしょう?」

「関係あるか」

「いやいや!」

 バディとしてそれを問題の一つに挙げていたのは紗生子ではなかったか。それも

「半日前に話してらしたばかりじゃないですか!?」

「つまらん事はよく覚えているな」

「そりゃあの切迫した状況の事ですからね!」

 雪崩で死にかけた時のそれだ。何年でも覚えているとしたものだろう。

「散々こき使われてきたんだ。そろそろ我儘の一つぐらいはな。私が離脱すれば、お後は誰かが何とかするさ」

「あなたはそれでよくても、私はどうなるんです?」

 警護の中核を孕ませて離脱させた戦犯ともなれば、それこそ吹けば飛ぶような俺の身など、どうなったものか。保身すらままならない、自立出来ない軟弱男など、紗生子からすればもっての外だろう。が、それで突き放してしまっては、俺とは一緒に居られないというジレンマが働く。

「──少しは保身に知恵が回るようになったか」

「伊達にあなたの傍にいませんよ」

 ドタバタの中でいつの間にか終わった難局の後で、まさかこんな、別の意味での超難局が待っていようとは。一難去って何とやらとはよく言ったものだ。が、

「つまらん事に頭が回るようになってもだな──」

 などと、口惜しそうに唸る紗生子は、いつになく可愛らしく見える。先の事は分からないが、

「──大切な相手の事だとおっしゃるのであれば、やはり順番は大事でしょう?」

「前振りは尽くしたと思うがな」

「相手の気持ちですよ」

「それもだな。自分の自信のなさを相手のせいにするような男の矜持など知った事か」

「う」

 それを言われると、痛い。

「大体が、私と釣り合おうとする事自体が間違いなんだ。この自由な時代の男女事で、好き嫌いの概念以外何が必要だ?」

 その点で、

「君の兄上は、本当に大したものだ」

 身内を褒められるのは嬉しいが、ここでのそれは複雑だ。

「あ、兄は兄ですから」

「それはそうだが、血を分けた兄弟だ。兄御に出来た事が君に出来ないとはどうした事だろうな」

「血は──」

 分けたとは限らないのだが、と思っているとすかさず、

「──分けているんだ、君らは」

 と紗生子が言い切った。と言う事は、そうなのだろう。

「そうですか」

「そうだ。君もいい加減往生しないか?」

「はあ?」

「私の事が好きで仕方ないんだろう?」

「な──」

「態度を見れば分かる。もう何度口を吸い合ったモンだか知れんしな」

「い、一々口に出す事ですか!?」

「恥ずかしがるような年でもないだろう。まぁそこがまた初々しくて気に入ってるんだがな」

 ここまで言われると、厚かましさも回り回って潔い。それにしても、この暴走を何とか止められないものか。

「──あ」

 これも紗生子の側仕えの賜物なのだろう。我ながら、多少は知恵が回るようになったようだ。ここで、

「ご褒美が決まりましたよ」

 戦前の権利を行使すればどうだろう。

「何だ、闇雲に?」

「褒美で罰を帳消しっ事で」

「一応民法上ではなぁ──」

「相殺禁止事由と知っての事です」

 分かりやすくは、不法行為の債務と他の債権を相殺出来ない原則のそれだ。例えば金を貸している人間(債権者)が、借りている人間(債務者)に対し、暴力を振るうなどの不法行為を働いたとして、それを帳消し、つまり相殺する事は出来ない。禁止しておかないと、人身を脅かす脅威になり兼ねないからだ。俺の債務とは、故意ではないにしろ紗生子の身を脅かしたものであり、ここぞで弁護士の顔をわざとらしくも見せつけてくれる、紗生子が言うところの民法に添うのであれば、相殺禁止事由になるだろう。

「──そこを超法規的措置で」

 大体が、全ては極秘作戦での事だ。法もクソもあったものではなく、それこそ紗生子の得意技の大義名分(超法規的措置)をここぞで繰り出すと、

「ちっ」

 と、瞬間で堪り兼ねたらしい紗生子が舌打ちをした。

「つまらん頓智に加えて嫌味か」

「そうじゃありませんが、やっぱりプロセスは──」

 外ならぬ紗生子との事ならば大事にしたい、と言えたらいいのだが、ようやくバディとして認め合えたような関係だ。それ以外の向きで携える手を、俺はまだ身体の奥から持ち出せないでいる。

「あなたの事は、好き嫌いで言うのであれば、確かに前者です」

 それもかつてなくだが、それを言ってしまうと暴走に油を注ぐようなものなので黙っておく。

「──が、まだ拠り所のようなものが足りないというか」

「いい年の男がままごと(・・・・)をねだるとはな」

 と愚痴る紗生子が、渋々ながらも自分のガウンを羽織り直した。何だかんだで受け入れてくれたらしい。

「いいんですか?」

 一応念押しすると、返事の代わりか、紗生子が大きな溜息を吐く。

「それを命がけの任務の褒美として求めるんなら、応えるしかないだろうが」

 賞罰相殺の上で、ままごと(・・・・)にもつき合ってもらえるらしい。

「──よかった」

 これはまさかの、紗生子の弱みというヤツかも知れない。それが俺という思いがけない確信に、押し寄せる動揺が半端ないが、ここでそれを見せてはまたつけ込まれるだろう。

「どれだけお預けにされればいいんだか」

 呆れてそっぽを向く紗生子の傍で、ぐっと堪えて、

「素直に、嬉しいです」

 とだけ口にする。

 今まで押さえ込んでいた紗生子に対する好意が沸々と込み上げてきて、身体が熱を帯びてきた。疲労と寝不足でおかしなテンションになっている事もある、と考える向きは、自分に対する言い訳だ。自分の心にウソはつけないというヤツで、紗生子との穏やかな関係性は、心の何処かで間違いなく俺が望んでいた展開だ。

 これは──

 その確かな一歩と言えなくはないか。紗生子はどうだか知らないが、少なくとも俺の中ではそうだ。

 去年、突然絶美の魔女と夫婦という世間体を得た当初の俺は、それに戸惑い、それを煩わしく思うのみだった。一方で、それを大義とばかりの紗生子は、あれよという間にセクハラ紛いのスキンシップ攻勢で、今や既成事実(夫婦の営み)をせがまれる有様だ。いつからおかしくなったのか。今となってはその原点が見出せない程の自然な成り行きで、気づいた時には防戦一方の俺は、一般的に臆病者の類いなのだろう。不器用な俺としては、

 今はただ──

 任務とプライベートの境目が脅かされる事が怖いのだ。世のスパイ物フィクションなどは、任務さながら男女の駆け引きのようなものも散見されるが、素直によくやると思う。インテリやワラビーもそんな仲のようだが、俺にはとても無理だ。紗生子が言うままごとだけでも精一杯。大体が、スパイの世界とはまた違った、血なまぐさい世界で生きる俺にとって、偽装ながらも結婚生活などと。現実乖離にも程があるというものだ。が、

 ──考え方によっては。

 間違いなく最初で最後の機会でもある訳で、以前の紗生子も言っていたが、今の風変わりな任務を楽しむ向きもあるのだろう。普通は一緒になる事など有り得ないチグハグな二人が夫婦という展開の任務は、考えようによっては確かに面白い。それが少なくとも後一年続くのであれば、その月日が俺達の世間体(ままごと)を、釣り合わないなりにどうかたどってくれるのか。その終着点を見てみたい気がするのは、合わせて何かを期待する向きがないといえばウソになる。

 その先は──

 国籍も違えば、表向きに語る事が許されない仕事をしている二人の事だ。お互い元の鞘に戻るだけだろう。それを思うと寂しい気がするのは、もう認めざるを得ない感情だ。ひょっとすると、だからこそ紗生子は焦っているのかも知れない。が、それも含めて、今はそのプロセスを楽しみたいと思うのは、俺に青春を楽しむゆとりがなかったからなのだろう。とても口に出して言えたものではないが、その疑似体験のような事がこの美女を相手に出来るのではないかと思うと、年甲斐もなく心が弾む。

「何だ? じっとり赤い顔して子供じゃあるまいし。さっさと大人しくねんごろ(・・・・)になっとけばよかったものを──」

 で、今日はどうするんだ、と早速催促がきた。

「へ?」

「わざわざここへ寄ったのは、単に一休みするだけじゃないぞ? 分かってるだろう?」

 一仕事終えた後の爽快感で、一昼夜盛り上がるつもりだったらしい。

「あ、明け透けと言うんですよ、そーゆーのを」

「フェレール親子の日本行きは決まっていたし、偶然の産物でそれなりに豪奢(ごうしゃ)な宿をセッティングしたってのに、君ときたらあっさりそれを台無しにしおって──」

 その止まらない恨み節は、

「──折角の機会だ。二人切りでやるままごとを教えてもらおうじゃないか」

 などと、放っておいたら字面が怪しくなる一方だ。

「じゃ、じゃあ、とりあえず眠いので──」

 と、横で小刻みに震えている女の膝上に頭を乗せて寝転んでみた。

「やってくれるな。アンの少女漫画コレクションに毒されてんじゃないのか? 私も眠いんだがな」

「寝るつもりなかったんでしょう?」

「それを何処かの誰かさんがぶち壊してくれたからな。フテ寝したいんだよ」

「じゃあ、代わりましょうか?」

「男の股の上で寝る趣味はない。君がこれでいいんならこれでいい」

 噛みつきそうな勢いが俄かに消えていくと、暖かい手が俺の頭を撫で始めた。やはり中年男のされる事ではないようだ。少しこそばゆい。

「──精神安定剤のようなヤツだ」

 差し詰め豆柴のようなモンか、と紗生子の方も苦笑が混ざる。

「他の引率の先生達にバレませんかね、これ?」

「知った事か。やるべき事はやっている」

 その吐き捨てるような台詞が、急に耳元に近づいた。と思ったら、頭に鼻を突っ込まれて嗅がれている。

「ちょ、ちょっとくすぐったいんですが──」

「ケチ臭い事を言うな。このぐらいは青臭い子供同士でもやってるだろう。にしても、石鹸の匂いが邪魔だな」

「はあ?」

「折角の生身の匂いが、これまた台無しだ」

「何を──」

 訳の分からない事を言っているのか。一方で紗生子の匂いは、普段の清潔な匂いに芳しさが何割か増しで、怪しさが只ならない。

「耳が真っ赤に焼けてるな」

「そ、そんな事は──」

 反論もクソもなく、目を合わせないように横向きで寝ていた俺の顔を覗き込まれた。

「フレンチキスは、ままごとの範疇だよな?」

「な訳ないでしょ!?」

「それこそ高校生ぐらいでもやってる事だぞ?」

「高校生のそれがままごととは限らないでしょうが!?」

「今日日、年齢は関係ないか」

「そ、そうですよ」

「じゃあそれはまた、海に潜るまでお預けという訳だな」

「俺はまた女装して、高飛び込みをさせられる訳ですか?」

「プロセス的に、そういう事になるな」

「どんな順序です、そのままごとは?」

「つべこべうるさいヤツだ。今日はとりあえず、鳥真似までにしておこう」

 と、有無を言わさず、また唇を奪われてしまった。何度も軽く口先をついばむような、バードキスというヤツだ。

「展開が早過ぎでしょう?」

「中学生でもこれぐらいの事はやってるだろう」

 喋りながらも口を重ねているため、息がかかって変な気分になる。

「も、もういい加減これくらいで!」

 結局、紗生子の勢いに流されそうになるので、無理矢理頭を捩って脱出した。

「分かった分かった。ホントウブなヤツだな」

 と、紗生子が自分の膝上をポンポンと軽く叩いてみせる。

「もう何もしないから膝枕させろ」

「ペット扱いですか」

「可愛いものを可愛がって何が悪い」

 凛々しさで比類なき女傑の口が可愛いなどと。開き直りなのか何なのか知らないが、イメージギャップによる破壊力がこれまた只ならない。

「そ、そういう事を言う人でしたか」

「君の勝手な想像だろう。私にも愛でるものは多くある。いいから来い。そうは言っても、我らに休息は必要だ」

「ひ、膝枕が休息ですか」

「そうだ」

「俺は休めても、主幹は休めないでしょ?」

「癒されるからいいんだよ。眠たくなったら適当に寝る。心配するな。約束した以上、寝ている隙に操を奪うような姑息はしない」

 ほれ、と、その堂々たる振舞に有無を挟み込む余地はなく。言われるまま、再びその珠玉の膝上に頭を乗せたまではよかったが、いつの間にか二人して、大して大きくもないあつらえのソファーで寝落ちしていたらしい。気づいたら身体が重なり合って、というか絡まって殆ど抱き合ったまま、翌朝までの一昼夜を寝通したいう恐るべき甘々振りで、俺達は修学旅行六日目の朝を迎えた。

 主人は留守でも、こういった屋敷には当然何人かの出来る使用人がいるもので、紗生子も前後不覚になる程熟睡したらしい。

「君と添い寝したせいだな」

「単に寝不足だっただけですよ」

 嵐は去った。朝一で何処からともなく飛んで来たヘリでシャモニーへ向かう道すがら、ヘリのやかましい振動と羽音を脳裏の奥へ遠ざける程の、その夢のような穏やかな一昼夜の記憶が、すっかり疲労が抜けた身体に反比例して今頃になって疼く。

 疲れに任せて夢見心地ながらも確かに感じた、紗生子の思いがけない丸さと柔らかさ。細く静謐な息遣いと透き通るような美しい寝顔。

「まぁ最後にこっちでしっかり休めたのは大きい」

「そうですね」

 対面で高らかに足を組んでどっかり座る紗生子は、すっかりいつもの自信に満ち溢れた紗生子だ。

 ──こんな女が?

 何故、俺に拘るのだろう。釣り合う合わない以前に、まずそれを知りたいと思うのは欲張りなのか。恐らく、この任務を終えるまでのペットのようなものなのだろうが、それにしてはこの先の身の上を左右し兼ねない内容の文言がチラホラしている最近だ。

 ──でもまあ。

 国家の暗部で蠢くエージェントの言う事な訳で、話半分、いや三割以下で聞いておいていいのだろう。だとしても、その三割以下の内容が気になって仕方がない。

「最終日は晴れてよかったな」

「最後ぐらい滑られてはどうです? 油断じゃないですが、それが許される状況なのでは?」

「そうだな。たまにはいいだろう」

 脅威がなくなったシャモニーのゲレンデが紗生子の独壇場だった事は、あえて言うまでもない、また別の話だ。


 結局、ミディ展望台における一連の騒動は、表向きには「漏電による火災が二次災害で雪崩を引き起こした」事で収められた。日米中が秘密外交を貫く中で、仏側には中国側の外交負債をそれなりに(・・・・・)握らせた事で納得させた、とは紗生子がチラつかせた事後報告の本の一部だ。それがどんな内容なのか。やはり俺には想像もつかないが、領空上空をミサイルが蹂躙し、ミディを破壊し、シャモニーに与えた脅威の大きさを思えば、仏側が獲得した利益は相当なものだろう。事実として、展望台は焼失しており、再建の目処は立っていない。

 修学旅行七日目は、ジュネーブへ移動し市内観光。翌八日目には往路をなぞる復路行程で帰国の途に就き、俺達は無事学園に戻った。その一週間振りの学園で、俺は改めて、自分の身の危うさを痛感させられる事になる。

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