修学旅行(後)②【先生のアノニマ 2(中)〜23】
嵐の中を小一時間程飛んだオスプレイは、ジェノバの病院へ降り立った。アルプスを越えれば、嵐は随分和らいでいる。テックは俺達を降ろすと、アヴィアーノへ向かった。そこで嵐が収まるまで待機して、今度こそジュネーブへ戻るらしい。
人質だった女性は相変わらず昏睡していたが、紗生子の流暢な伊語でジェノバの救急医に引き継がれた。言語学的には兄弟言語とも言われる伊語と仏語だが、それでも仏語は不自由しない俺が理解出来たのは精々二、三割だ。アルプス山中での遭難者として、米軍の手を借りて救出した、とか何とか。違うストーリーが展開しているようなので、俺は口を挟まなかった。もっとも挟もうにも挟めないのだが、以前紗生子が「世界の主要言語は話せる」と言っていたのは、どうやら本当らしい。全くもって恐れ入る。
違うストーリーになっている理由は、アンにまつわる案件であり、表立っての大事にしたくないという毎度の事情故だろう。アンが何処に居ようと、それによる事件を日米は当然嫌う。滞在国の厄介になる事は、それだけで外交上の負債となるからだ。では、様々な口をどう防ぐか。展望台を占拠した犯人のそれは勝手に封じられたし、アンの周囲やホテル側は紗生子による箝口令でどうにでもなるとして、問題は人質の女性の口だろう。そこも紗生子の事ならどうにかするのだろうが、俺には知る由もなければ術も思いつかない。
病院でミドルレイヤーを着直した俺は、やはり同じくミドルレイヤーとなっていた紗生子と共に、何処へ行くともなく病院を後にした。山岳部は相変わらずの嵐だというのに、近所へ出かけるような気軽さで車寄せに止まっているタクシーに乗り込む。紗生子が何も言わないため、あえて確かめず黙っていると、小一時間程西へ進んだ所で降ろされた。リグリア海に面するイタリアン・リヴィエラの港町だとは分かるが、何という街で、
「何か用でも?」
あるというのか。この非常時に寄る意味とは、
一体──
今度は何が待っているのか。などと頭を巡らせていると、
「ここのパニッサが美味くてな」
「はあ?」
「君も腹が減ったろう。ほれ」
と、街の通り沿いの店で買ったそれを俺にくれた。紗生子は早速、それを口に頬張りながら
「どうした? 食える時食っとけだろう?」
「いや──」
つい二時間前まで、極寒の雪山にいたのが嘘みたいだ。日は暮れたが、嵐のシャモニーと比べると、麗かな春の如きの暖かさにして穏やかさで、途端に訪れる開放感。そのまま海辺までやって来ると、誰もいない日没後の冬のビーチに片割れの女が腰を降ろす。位置情報によると、サヴォーナとあった。
「コロンブスの生家があるそうだ」
「そうなんですか」
「だからどうしたと言われると、どうもしないんだがな」
のどかな観光地としてそれなりに知られているようで、確かに落ち着いた景観は好感が持てる。が、黄昏時はとっくに過ぎていて、実際には寒くないのだが、見た目は何とも寒々しい冬の暗い海が広がっている。
「つき合ってくれないのなら『死んでやる』と告白するつもりだったようだぞ」
「また急ですね」
「どうするつもりだったんだ?」
「そう言えば、今はその修学旅行中でしたね」
女生徒が俺に告白を企んでいた件の事のようだが、何の気紛れとしたものか。シャモニーへ帰らないといけない筈だが、まるでそれから目を逸らすかのようだ。
「──気が触れているとしか。うちの学園の生徒にしては、感情に流され過ぎです」
「恋は盲目というからな」
「見えないからと言って、何をしても許されるモンじゃありません」
「手厳しいな」
──よく言う。
その道はおろか、どの道だろうと俺よりも手厳しい女に言われたくはない。が、それはさて置き。文言どおりの告白であれば、それは強要だ。脅す意図なら脅迫、金を要求すれば恐喝、つきまとわれればストーカー規制法に抵触する。当然、それにより本当に自殺をされたところで、俺がそれを是認するような文言さえつけ加えなければ、俺に責任はない。俺がたぶらかして遊んでいたのであれば話は別だが、それもなければ後は女生徒がどんな詐術を繰り出すものか。何にせよ、罪を重ねる事はあっても褒められる事は何一つない。
「学園の生徒が、そんな愚を犯す低俗とは思いたくありませんが」
「確かに勉学は人並み以上だが、年輪はやはり一六、七の娘っ子という事だ」
「経験値が足りないと?」
「それで君に適う男がどれ程いる?」
「そんなモンですか」
「優男のくせに、修羅場の経験値とバイタリティーが無駄に高過ぎるからな君は」
「無駄にって」
「日本で暮らす分には、突出しているだろう」
そんなところが痛くお気に召されたのさ、と、紗生子が笑い飛ばしてくれた。
「今の日本の学生にない逞しさを持っていながら、マスクはそれなりのものを持っていて社会性も高い。軟弱な男共に飽きている女なら、これに落ちないヤツはいないさ」
「もう男に飽きてるんですか?」
「今時の娘は、無駄に目が肥えているからな」
何かと物騒な世の中だ。男の甲斐性として、腕力は重要なステータスだろう。その中で見た目の好みは好き好きだろうが、ゴリラよりはスマートな方が確率的には受けやすい。
「その上君は、バカっぽく見えて世知にも強い」
最後の一言は、甚だ余計だ。
「気安さと包容力を持ち合わせながら甘くないという良い例だ」
──相変わらず。
「褒められてんだかけなされてんだか──」
よく分からない。
「そういう謙虚さが、更に支持を広げているのさ」
「モテようと思っての事ではないんですが」
「それもだ」
「はあ?」
「モテるヤツはそうしたモンだ。で、どうする?」
また振り出しに戻った。法律論で通らないのであれば、後に残されているのは、
「鉄拳制裁ですかね」
「君の面構えからは、最も縁遠い文言だな」
堪り兼ねた紗生子が噴き出した。
「何と言ってもらっても構いませんが──」
身一つで世界の混沌に塗れてきた者としては、今の日本人の軟弱さは絶望的だ。世界にルールなど通用しない。それは平和だからこそ通じる概念であって、弱肉強食の世界では馬の耳に念仏だ。だからこそ、ルール無用であれば次は腕力しか残されていない。
「私はその本性を知っている。チグハグで小細工しない潔さをな。そこら辺も見初められた原因だろう」
「小細工する知恵がないだけですよ」
「娘にとってみれば絶好のシチュエーションのつもりがこのザマだ。今頃は鬱屈しているだろうから気を引き締めておけよ」
「はあ」
そこで話がぶった切られてしまった。
──何なんだ?
わざわざ途中下車して話すような事なのか。そんな困惑もそうだが、俺としては俄かに、
「死生観に悩んだ事がない若輩者の口から自殺をチラつかされても──」
腹が立つだけだ。見え透いたウソだからこそ、望んでも先を生きる事が叶わなかった人々を愚弄しているとも言える。
「つまらん事で死を望むか」
「平和ボケして、命の尊さが分からなくなってんでしょ」
「やはりゲンコツか?」
「戦地で一週間でもホームステイさせれば分かるんじゃないですか?」
「違いない」
衣食住に恵まれ、それなりに社会秩序が整っている環境の有難みは、それが当たり前となっている日本人には理解出来ない価値だろう。頭では理解しているつもりでも、現実はそれを伴っていない。経世済民と経済は、今や別の言葉だ。後者の銭金に塗れた日本人に、その恩恵に対する謙虚さはない。そんな、ある種の欲を極めた国民が、更に欲を満たそうとして姑息な詐術を繰り出す。それを世界はどう見るか。そんな日本人が、上っ面の知識で世界や国際化を語ったところで茶番でしかない。
「幸いにも我らが姫は、あれでその辺はよく分かっているからな」
と、紗生子のその目が遠海のある一点に向けられた。その目とリンクしたコンタクトの中に、波間をこちらへ疾走して来るゴムボートが見え隠れしている。
「死地に出向くヤツは限られている。大多数の日本人は、それを経験する必要に迫られる事なく死んでいくのさ」
際限ない欲に振り回されている国民のために、日夜影働きする者の葛藤だろう。
「これが過保護と言わずして、何と言うんだろうな」
「存在意義ですよ。あのボートに乗り込める人間という点において」
「在りきたりだな」
「そう思ってないとやってられないでしょ?」
「そんなところか」
展望台を襲った例のミサイルが、次のクライアントだ。明朝六時までにアンと美鈴を差し出さなければ、今度はシャモニーの街を標的にするらしい。
「それに──」
命の大切さは、何も戦地に限った事ではない。何処に住んでいようと事故や病で非業の死を迎える人間はいくらでもいる。
「あなたもその運命に左右された一人でしょう?」
「私は運が良かったからな」
健康美の具現のようなこの女が、具体的にどんな闘病生活を送ったのか。想像力の乏しい俺には想像がつかないが、特殊なDNAを持つような身体だ。一筋縄ではいかなかった事ぐらいは分かる。その本人が、幼稚な駆け引きで命を粗末に扱う者に、夫を奪われようとしている
──って事なんだよなぁ。
一応、そういう状況なのだ。
「あなたでさえ謙虚なんです。それを学園の生徒たるものが出来ないとは、これは由々しき問題ですよ」
「頭では分かっていても、心では受け止め切れない現実というヤツだ。多感で不安定な若者には、我らの考え方は少々厳しいのだろう」
「随分とお優しいですね。あなたにしては」
「君はホント、ズケズケ言うようになったな」
「始めからですよ」
「そうか?──まぁ顔に似合わず、そういう筋の入ったところが意外にも受けているのさ」
「嬉しくありませんよ、そんなの」
「ほう。女に求められるのは男としてステータスだろう?」
「若い娘に興味がないだけです」
正確には、精神的に幼い女に興味が湧かない。安っぽく命を質に入れて駄々を捏ねるような女など、仮に一緒になったところで生活の破綻は目に見えているではないか。そんな女を選ぶ男がどれ程いるのか知った事ではないが、少なくともそれは俺ではない。
「ほほう。年増に何と耳障りがいい事を言ってくれるじゃないか。そういう事なら、私はうってつけだぞ?」
「あなたは年増じゃないでしょう?」
「見た目はな」
「じゃあ──」
何歳だというのか。妙な話の展開となったが、一つの謎に近づくと邪魔が入るのは世の常だ。ビーチ傍の桟橋にゴムボートが着くと、見覚えのある連中が夜陰に塗れてこちらに手を振り始めた。
「この前乗ったばかりなのに」
「そう嫌うな。君の里だろう?」
「冗談キツいですよ」
ぶつくさ言い合いながらそれに飛び乗ると、そのまま沖合に停泊しているのだろう母艦へ向かった。
サヴォーナ沖合約数km。
闇に塗れて現れた特徴的な台形の船体は、改めて確かめるまでもなくステルス艦ドロシーだった。
ズムウォルト級クラスリーダーの一番艦に可能な限り似せて造られたその極秘艦は、表向きには一番艦同様ズムウォルトの艦名を名乗っているが、実態は名無しのクローン艦であり、艦番も付与されていない文字通りの幽霊船だ。が、基本的に人が集まれば、名無しの組織というものは有り得ない。この艦もその例に違わず、ついた通称が【金魚のドロシー】。略してドロシーだ。その由来は、偶然にも世界的な人形劇の主役と同じファーストネームの持ち主だったズムウォルト提督まで遡り、その主役が劇中で飼育している金魚の名から来ている訳だが、極秘の理由はこのマルチミッション対応のハイテク戦闘艦を、わざわざ軽空母を兼ねる駆逐艦とした無茶振りにある。
艦尾から乗艦し、早速格納庫へ向かうと、その元凶に整備クルーが群がっていた。その大半は、米軍需大手の一角【イーグルコーポレーション】が誇る極秘開発部門の特命チーム【規格外品】の面々だ。その連中の中心に居座るダークグレーの不敵な物体こそが、このプロジェクトの中核にして、常人の手に余る狂気の翼。それは米軍における次世代戦闘機開発構想の実験機、とは事ある毎に詳らかにしてきた通りだ。
「今回は【ジョー】ですか」
「要撃だからな。今回もだが、失敗は許されない」
「だから見かけないクルーがチラホラしていた訳ですか」
艦尾からハンガーまでの間だけでも、見慣れないアジア系の技師が何人か目についた。雰囲気的に恐らくは日本人だろう。
「流石に目敏いな。それはまた後で説明する。早速で悪いが、君はアラート待機に入ってくれ。交渉期限まで撃って来ない保証がない以上、いつでも出れるように頼む」
「分かりました」
言うなり紗生子はそのままハンガーを後にした。CICへ行くらしい。
──また仕切るんかい。
幽霊船とはいえ、この艦は米海軍において一般的に水上戦闘艦三隻で構成されるSAG旗艦の位置づけだ。その中等コンセプトの軍事システムの艦長とは、本来大佐か代将が務めるものだが、往年の制海艦構想に則り建造された経緯も加味されて、限定的ながら単艦でその上位群となるCVSGやESGの代替任務をも可能としている有意性から、下級少将が据えられている。それを紗生子は階級詐称の上、アイリスの力を良い事に、指揮命令系統も何もあったものではない超越振りというか越権行為で、毎度軽々とぶち壊す訳だ。これでは艦長も副長も、ついでにいる航空団司令も形無しというものだろう。
その辺りの事は上層部に任せるとして、俺はとりあえず用意されていた飛行服に着替えて、ハンガーの休憩室に入った。本来なら飲食禁止のそこだが、有難い事に軽食が用意されている。偶然にも、またパニーニだ。軽食と言ってもそこは米軍のサイズ感で、重量感のある単体が中々の存在感でプレートの上に鎮座している。単体だから、正確にはパニーノだ。次はいつ食えるか分からない。早速それを頬張ると、
これって──?
生ハムとトマトとチーズのそれは、乗艦前に食ったヤツと同じだった。
「ゴチになりやす!」
俺の何かを察したらしい、休憩中のクルーの一人が、わざとらしくも明るく振舞う。
「は?」
俺と紗生子からの差し入れという事らしい。紗生子の事だ。予め用意していたのだろう。
「流石だなぁ」
と、周りが感心するのはもっともだ。圧倒的な存在感で他を寄せつけないような外観のくせに、この辺りの細やかな配慮は反則だろう。只でさえ、既に艦内で実績を積み上げ、クルー達の支持を取りつけている紗生子なのだ。まさに胆大心小のらしさが、切羽詰まった状況下でも顔を覗かせる。これも紗生子の強さの一端だ。そこへ、
「提督からお電話です」
と、その本人からお声がかかった。ここでは流石に、CCのインカムは使わない。
「ゴローです」
と、返事をすると、電話の向こう側の女が噴き出した。
『ここではタフじゃなかったのか?』
「任務は学園絡みなので」
学園の外でのコードネームを使ったまでだ。CCのエージェントが、たまたまテスト機のパイロットだった。そしてその上司が、それを思う存分酷使出来る権限を持っていた。それだけの事だ。
『君は何処に居ても変わらないな』
「それは提督の方でしょう?」
『私は主幹じゃないのか?』
「主幹では、流石に指揮権がないでしょう?」
『学園のALTはテスト機に乗れるのに?』
「一兵卒は融通が利くんです」
『色々無理があるようだが、まぁそれは今は置いておこう。もう夜食を食ったそうだな?』
「いつでも出れるようにしときたいんで」
それに今はとにかく、食える時に食ってエネルギーを補給しておきたい。血が下がって眠くなるかも知れないが、それでも活力を失わないための補給は必要不可欠だ。食って少しでも目を瞑れば、頭も身体も少しは癒える。
『同じ物で悪かったな』
「何個食っても美味い物は美味いですよ。全クルー分は高くついたでしょう? 後で半分持ちます」
『君はいつまで経っても一兵卒気分だからな。自覚を持たせるためにしただけの事だ。気にするな』
「それなら余計でも払いますよ」
『いいんだ。今回のオーダーも厳しいからな。その分だと思えば格安だ』
全クルー分ともなれば、一つ五ユーロは下らないだろうパニーニの事。全部で軽く一〇〇〇ユーロは超えているに違いない。とはいえ、何せ私費でクルーズ客船を貸し切る(上巻4話参照)ような女だ。金は問題にならないだろう。見習うべきは、上に立つ者としての配慮だ。いつまでも一匹狼では許してもらえない、という事だろうか。
『実力は申し分ないんだ。後はそれに見合う風格なんだが、君はそれが一番縁遠いヤツだからな。だからいつまで経っても使い勝手よく使われてしまう。もっとも私も人の事を言えた口じゃないんだが、それもまた追々だ』
妙に言い訳がましい紗生子の口から聞かされた作戦オーダーは、例によって俺の想像を上回る無茶なものだった。
明朝、伊時間午前六時前。
仏時間と時差のない伊国内は、前者より東に位置しているにも関わらず、日の出までまだ一時間以上もあった。修学旅行の行程で言えば、五日目早朝だ。ここ一週間で、何km飛び回った事だろう。
──地球一周分か。
エアラインのパイロットでも似たようなものなのだろうが、決定的に違うのは、実に殺伐とした環境下という事だ。その旅程の
これが──
最後だと信じたい俺は、いつもはテックが乗る編隊長機の【XF-38】に乗っていた。
ステルス性特化型の大型重要撃機であるそれは、レーダーから完全に姿を消す程のステルス性と、飛行制御システムに頼る事なく手動で操作し得る限界を同時に追求。その結果、本当にレーダーから消えてしまった一方で、非常にピーキーな空力に悩まされる事になった諸刃の忍者だ。往年の【F-117】のような乗りにくさは、以前の俺専用テスト機【XF-39】とはまた違った乗りにくさがある。
その俺専用機と決定的に違うのは、インテリの【XF-37】同様、コンセプトに対する完成度の高さだ。機体としてはほぼ完成系だが、そこへ如何にして汎用性を捩じ込むか。今この瞬間実機採用されてもおかしくないが、そのプロトタイプと呼ぶには余りにもピーキー過ぎて、XF-37がインテリ専用である事同様、XF-38もまたテックにしか扱えない困り物だ。
基本的なスペックは、世界最強と名高い【F-22】を超える化け物振りで、まるで一定の空域を飲み込む制圧能力から【オウペイク】と名づけられた狂気の翼。運動能力の高さと共に、視界外長距離攻撃を得意とする恐るべきスナイパーでもある、とは、やはり何処かの折で少し話した通りだ。コールサインは先刻も少し触れた通りなのだが、心配なのは、
──俺に操れるものか。
その一点だった。ラウムを使わず、オウペイクが選ばれた理由もやはり只の一点のみ。速さは然程変わらないこの二機体が決定的に異なるのは隠密性だ。オウペイクは速くて見えない。その忍者性能でレーダーに映らないまま任務を完遂する。それが今回の俺の役目だった。出撃命令が出れば、ターゲットへ向かって一直線に飛ぶ。それだけなのであれば、
まあ──
何とかなるだろう、か。
極秘のテスト機を使って、極秘のままに任務を終える。それは今春のウクライナでの出撃と同じだ。だからもし見つかれば、アンノウンであり、領空侵犯で撃墜対象となり得る。いや、なるだろう。NATO領域とはいえ、識別装置が使えないのであれば敵機扱いだ。
──全ては。
極秘で事を収めようとする無茶な作戦のせいであり、つまりはそれを推し進める紗生子のせい、という事になる。更に遡れば、その作戦オーダーは日米の意向という訳だ。従う以外の選択肢など有り得ない。
のは分かるんだが──
これから俺がやろうとしている事は、事実上の特攻だった。それをやろうとしているのが、修学旅行の引率で渡仏している学校の先生だ。
──ありえねぇ。
最早、笑うしかない。
夜食を食った後は、それでも眠くなり、ハンガーの休憩室でしばらく目を閉じていた。が、交渉期限時刻が迫るにつれ徐々に落ち着かなくなり、約一時間前からは、機体に乗ったまま待ち続けるザマとなった。機体はアイドリングと一休みを交互に行い、減った分だけの燃料を継ぎ足す事幾度。マシンも人も、出撃準備は整っている。
『流石に落ち着かないか』
戦闘指揮所の紗生子が、インカム越しに声をかけてきた。今やそこにいる事がすっかりお馴染みの紗生子だ。本当に提督だと思えてくるのだから、慣れとは恐ろしい。
『どうした? 眠いか?』
「いえ──」
詐称している海将補は、他国の軍では少将相当とされ、下級少将の艦長をも上回る。その厚かましさも大概としたもので、アラサーの提督などと、何処の世界にいると言うのか。実年齢は、四二という兄嫁を呼び捨てにしている事から、それより上なのだろうが、それにしても四〇代半ばだ。封建時代の世襲制度下なら、一々調べるまでもなく若い将軍も数多く存在した事だろう。が、官僚化した近現代の各国軍隊において、戦時中でもこれ程若い提督など聞いた事がない。王皇族を除けば、それこそ艦名にまでなったズムウォルト提督の他に何人いるものか。
──艦長もお気の毒に。
退官目前の艦長がこのアラサーに勝るのは年の数の多さだけという寂しさからか、それとも悔しさなのか。今回その人の姿は見当たらなかった。体調を崩して日本で下艦したらしい。そうなれば、艦内の将官は紗生子一人な訳で、ますます強まる提督感だ。
──ますますありえねぇ。
『何だ? 歯切れが悪いな』
「いや、みんなも大変だったんでしょうから、俺だけ気を遣われるのも罰当たりのようで」
かくいうドロシーも、艦長を日本で下ろすついでの補給後、文化祭の時のミサイル事件から約二週間で、洋の反対側までやって来たという忙しさだったのだ。それは欧州の海の何処かに潜んでいる謎の敵潜も同じ事だが、それにしても毎度の驚かされるのは、紗生子が何処まで先読みしてドロシーを動かしたのか。いつの時点でこの状況を想像していたのか。その千里眼の鋭さだ。少なくともミサイル事件時の反応では、その脅威を認識出来ていなかったようだから、それ以後の先読みの確かさと状況判断の早さ、という事になるのだろう。
『最後の最期はエース頼みなんだ。そんな事で僻むヤツなんかこの艦には乗っていない。そうだろう?』
その紗生子の声の背後で、同調するような声がざわめいた。皆、運命共同体だ。任務さえなければ、確かに里の一つと言ってもよい居心地のよさがこの船にはある。もっとも任務がなければ出会う事などなかった連中なのだが、ソイツらのために難局を乗り越えようとする野暮ったい義侠心のようなものが芽生えてくるから不思議なものだ。
『いいか、もう一度確認しておくぞ──』
今回の任務は、天狗になっているあのミサイルの鼻っ柱をへし折る。それも、
『犠牲を伴う事なく完遂出来なくては意味がない』
つまり、軍も任務も流行りのサスティナブルミッションという事だ。でなくては、あのミサイルが飛んで来る度に誰かの死をもって止めるという、まさに往年の特攻のような有様となってしまう。
『成功すれば、私から特別に当然褒美を与える。何がいいか考えておけ』
その紗生子の大盤振舞感に、何処からともなく声が上がった。いつの間にか全艦放送されていたらしい。
「俺は遠慮しときますよ。テックさんが悔しがりますし」
その専用機を使う任務であれば、それはテックに頼んでもよかったという事だ。只でさえ野心的な男の事でもあるし、やる気も十分なら専属パイロットの方が成功率も高い訳で理に適っている。それでも、その機会をわざわざ奪う形で俺が受け持つのは、
『あくまでも我々の任務だからな。変な遠慮は無用だ』
それは言い方を変えれば、CCの矜持であり節度だ。
これまでにもアンに絡む任務は、その母国が誇る世界随一の軍事力や組織を頼む事が多かった。が、それでも最後の最期は、俺や紗生子が手を下してきたその訳は、日本の責任で取り回している案件だからだ。先進的な主権国家の意地と言われればそうなるし、ムキになっていると言われればその通りだと思う。が、何でも大国米国にすがっていては、バカにされても文句の一つも言えないし、それは余りにも情けない。只でさえ自国防衛を他国に委ね、金勘定ばかりしていると思われている島国だ。
『もっとも一応君は日本側と見立てなくてはならない、苦しい台所事情があるんだがな』
「出向中で主籍は日本ですし、何を今更ですよ」
本国は無関心と言わんばかりの放置振りだが、従前の米国でのポストはそのままという不可解な兼務辞令だった訳で、それこそ今更ながらにその理由をこの土壇場で突きつけられる事の俺の鈍さ。それを思いついたヤツの憎いまでの知恵働き。あえて言うまでもなく、他ならぬ紗生子の策なのだろうが、それにしてもこの女の目は、これに限らず一体全体何が何処まで見えているのか。今更ながらに末恐ろしきは、その先見性だ。
『全く今更ながらに、君の存在意義の大きさだ』
「珍重し過ぎて過保護になってませんかね?」
『有難くも、米側からの厳選された応援要員だからな』
米国の御大尽の身辺警護ともなれば大々的に展開されて当然な訳だが、極秘留学の体裁がそれを許さないというジレンマは、米側の現場人足の少なさに顕著に表れている。見方によってはそれをやむなしと受け入れ、同盟国日本を頼んで預け切っているようにも見える訳で、日本としてはその信用だか信頼だかに応えなければ、日米関係は立ち所に熱を失い兼ねない。それが次期大統領候補筆頭の御令嬢の事なら尚の事、という日本側のプレッシャーは、米側のジレンマ以上のものだろう。
矛盾や無理無茶塗れのミッションは、現場を苦しめ兵卒を困惑させる。そのあおりを一番受けるのは、今は提督をやっている怪人二十面相のような役回りの多さを誇る魔女だ。褒美などなくても、バディのために
──尽くしてやるさ。
とは、流石に上下の優劣に差があり過ぎるため、今は口に出さない。そもそも紗生子が階級を詐称してなければ同一階級なのだ。そんな気遣いなど無用の筈なのに、本当にチグハグな女だ。
『それに大佐と中佐には、今回も旅程で世話になっている。当然別に謝礼がいるだろう。そのついでだ』
インテリとテックに礼をするのであれば、二人が留守になる事で何かのあおりを被る幽霊船の面々にも礼をしなければ釣り合わない。そういう論法らしい。聞きながら俺は、整備クルーを周囲から下げた。機内のディスプレイのデジタル時計が、午前五時五九分を表示している。ここまで交渉もクソもなく、新たな要求以外何のやり取りもない。要求がはっきりしているレジオンの、毎度のパターンだ。という事は、交渉期限切れと同時に
必ず──
仕掛けてくる。
『全艦、戦闘準備』
紗生子の澱みない艦内放送の後で、また個別インカムに切り替わったその声が、静かにコックピット内を包んだ。
『一人で勝手に逝く事は許さんぞ。どんな結果になっても必ず帰って来い。いいな?』
「ラジャー」
艦内の通信という通信は、当然録音されている。俺の命を優先するようにも聞き取れるその一言は、失敗が許されない任務に従事する者にとっては気休めでしかない。が、下手をすればそれだけで責任を取らされ兼ねないそれを、通信で言い切る紗生子は本当に流石だ。その揺るぎない胆力に、毎度何とかなると思わされる。
何処からともなく、カウントダウンの音声が入り始めた。それに合わせてエンジンの回転数を上げていく。
"四、三、二──"
交渉期限を迎えたその一秒後、何処のレーダーだか知らないが、リンクしたそのサイトが遥か西方の海上から打ち上がったばかりの飛翔体を捉えた。
『ビスケー湾から来るぞ! 出撃!』
その弾かれたような凛々しい御鶴声が轟くと同時に、【XF-38】が問答無用で電磁カタパルトに引っ張られ、瞬く間もなく離陸速度を超える。助走もクソもあったものではない、ゴム鉄砲のような弾かれっ振りで洋上へ投げ出されると、頭を空に向けてフルスロットルだ。一気に高度四万五〇〇〇ftまで急上昇すると、一路着弾予想地点を目指した。




