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修学旅行(後)①【先生のアノニマ 2(中)〜22】

 シャモニーの街に戻ると、相変わらずのゴーストタウン振りだった。吹き荒ぶ嵐で外には人っ子一人いない。視界の中にある建物を見ると、中から灯りが見える事が救いだが、猛吹雪がそれすら遮るため、数日前に訪ねた時の洒落た街とは見間違うばかりの荒みっ振りだ。

 そんな中を唯一動く紗生子の車が、ロープウェイの駅へ直行する。やはりラリーの大会か何かと勘違いしているような走りっ振りで、往路の高速程出てはいないだろうが、狭い街中を突き抜けて行くその速度感が半端ない。勢いそのまま、豪快にミディ行きのロープウェイの駅前へ横づけすると、紗生子が車のドアを躊躇なく開けっ広げて車内が一瞬で吹雪に塗れた。

「防寒対策は!?」

「駅の中だ! 雪だるまになる前に入るぞ!」

「はい!」

 車内にある外気温計は氷点下一〇度を示している。ミディの標高は富士山頂と殆ど変わらない。標高一〇〇〇mのここから上がれば、更に二〇度は寒くなるだろう。加えて風だ。風速は一m増す毎に、体感気温を一度下げる。現状のミディは、南極の厳冬期と変わらないという事だ。シャモニーの街中でさえ遭難しそうな勢いの暴風雪だというのに、先が思いやられる。

 車から一〇秒かからず中に入ったというのに、冗談抜きで雪だるまになりそうになった。落下傘用のゴーグルをしていなかったら、目など開けられたものではなかったが、そのせいであっという間に、吹きつけるベタ雪で内側も外側も真っ白だ。着地前後に体温が上がった(・・・・・・・)せいで、曇り止めの効果が奪われたのだろう。役に立たなくなったゴーグルをとると、視線の先にホテルの支配人がいた。他にも二、三人の人影がチラホラしているのは、ロープウェイの運営スタッフのようだ。

「準備は出来ています」

「スマンな」

 と、紗生子がいきなりコートを脱ぎ捨てると、その下から冬山仕様の重ね着(レイヤリング)が伺える服装が露わになった。流石にスーツから着替えていたらしい。俺は当然、降下前からレイヤリングをしていたが、一番外に着るダウン製品は、用意されている物の方が良さそうだ。更にありがたい事に、新しいゴーグルが用意されていた。

 ──これは助かる。

 視界不良といえども、目から取り入れられる情報量の多さを考えると、その装備品は重要だ。同じようにゴーグルをつけていた紗生子もそれを剥ぎ取り、早速用意されていたタオルで頭や顔を拭いていた。リゾートホテルの関係者故だろうか、手回り品の用意がいい。その忙しさの中で、間髪入れずマグカップを手渡される。

 ──気が利く。

 時間も惜しいが、急ぎ過ぎてガス欠になってもマズい。蜂蜜入りのレモンティーが、身体の芯をじんわり温めてくれた。五臓六腑に染み渡るようだ。

 僅かな時間だが人心地つきながら準備された物に目を落とすと、後はロープとカラビナとハーネスがあるだけだった。普通の冬山登山ならこんな物では済まないが、今回の作戦なら、

 まあ──

 こんなところだろう。正確には登山ではなく侵入作戦。あくまでも目的は人質の救出と犯人の制圧だ。当然、救急用品や武器弾薬も携行する訳で、登るための物は多くは持てない。それ故の佐川先生の秘密兵器でもある。

「──これで行けるか?」

 俺の目に気づいた紗生子が歯切れよく聞いた。相変わらずの目敏さだが、それ以上に俺に見解のようなものを求めた事に、思わず目を剥く。

「どうした?」

「え? いや──」

「今度から無茶をする時には、確認すると言っただろう」

「──あ、そうでしたね」

 些細な意思の擦り合わせだが、それでもあるのとないのとでは随分違うものだ。意外にドギマギする自分に、俺自身驚く。

「この期に及んで君は相変わらずの安定感(・・・)だな」

「いや、その──」

 その皮肉のようなものに気づいた支配人が、小さく笑う様子を目の端で捉えつつも、そうは言っても完全に呆けているつもりはない。手は動かしていた。マグを飲み干せば、俺は軍の繋ぎの上からダウンを着るだけだ。その分だけ紗生子に先んじると、傍にある六〇Lクラスのリュックを開いて中身を確かめる。

「──どうだ?」

 鋭さを帯びるその声色通りの、遊びのない中身だ。二気室の上段は武器弾薬でぎっちり埋まっている。下段は携行食と救急用品だけで、

 着替えが──

 なかった。あくまでも戦ありきの装備の辛さというヤツだ。荷を増やせば、その分だけ遡上に支障が出る。これからの行程は、敵陣に乗り込む寸前まで基本的に宙吊り(・・・)だ。特に後半のパワーアッセンダーによるそれを考えると、軽いに越した事はない。にしても、毎度の事ながら武器弾薬が何処からともなく出てくる、そのバックアップ体制には毎度脱帽させられる。サブマシンガンに拳銃とその弾薬、手榴弾、発煙弾、防護マスク等々、

 ──どんだけ持ってくんだ?

 おまけに小型ロケット弾まであるその潤沢振りは、武器融通に関しては精鋭揃いである事を裏づけるものだ。

 紗生子やその周辺のエージェントを見る限り、諜報組織としてのステータスの高さは言うに及ばず。戦闘集団としても相当のレベルにあるCCは、およそ平和国家を標榜する日本にあるまじき好戦的なユニットと言わざるを得ない。それ故の秘密組織が、まさか嵐のどさくさに紛れて友好国の観光施設を堂々と木端微塵にするつもりなのか。それとも学園の防衛戦並みに壮絶な銃撃戦でもやらかすつもりなのか。何にしてもこちらは寡兵だ。

「分かっているだろうが、二人分の体重と荷物で約二〇〇kgだ」

 後追いで着替え終えた紗生子が、早くもハーネスをつけた端からロープを結んでいた。この辺の動きも流石に早い。ここで使うロープとは、基本的に伸縮率の高いダイナミックロープと、逆にそれが低いスタティックロープに二分され、紗生子が使っているのは高所作業や木登りで使う後者だ。紗生子に一々ロープの特性や用途の説明などは不要だと思ってはいたが、やはり一個のレンジャーとしてもこの女は優れていると言わざるを得ないだろう。この嵐で前者を使っては、風にあおられ振りがついてしまい、()が振り回されてしまう。吊される物(・・・・・)に対するストレスが心配だが、ここは後者を選択するしかない。それを迷いなく選ぶ紗生子の手業の確かさは、流石に元グリーンベレーのアマゾネスという事だ。

 少し脱線したが、ロープは結んだりよれたりすると途端に強度が落ち、擦れ方によっては岩肌で簡単に切れる性質を持っている。これ以上の悪天候も中々ない環境下で荷の取捨選択が求められる中、人間二人と荷物を吊しても問題ない数のロープを持ち運び、それを使い回すのは明らかに骨折りだ。それは背負って持ち運ぶ事が出来る特性を活かし、

途中駅(レギュイユ)以降は、別のロープを使いますよ」

「──の方がいいだろうな」

 嵐の中で結びを解いて使い回すなどという面倒は、この際省略させてもらう。事が終わった後で、使い捨てたそれを回収すればよいのだ。それに残しておけば、何かの足しになるかも知れない。出来れば帰りは、ロープウェイで帰りたいところだが、保険の一つぐらい残しておきたいものだ。

 他の物はもう──

 持って行きたくとも無理だろう。俺は俺で、やはり六〇Lのリュックに佐川先生謹製の秘密道具を背負っており、他に装備と言える物は何もない有様だ。何にせよ短期決戦なのだから、残された時間もなければ、装備的に不測の事態を折り込むゆとりもない。それを踏まえた上で、その選択が済んでいるのであれば、

「──後は突撃あるのみです」

「よし! そうと決まれば早速行くぞ!」

 俺のゴーサインを待っていたかの如く、ロープウェイの発着点へ弾けるように跳ねた紗生子に慌てて追いすがった。普段は搭乗口にあるゴンドラも、今は外されてワイヤーだけだ。

「頼むぞ」

 の一言と共に渡されたロープの束の一つを、ゴンドラの握索機がかけられていた辺りへ投げ込み、それを基に他のロープをたくし上げて迅速に結束する。イラ症が始まる前に、

「行けます」

「流石に早いな」

 と、紗生子を背後から抱えてロープウェイのワイヤーにぶら下がり、ビレイロープで安定させると、段取りよくもワイヤーが動き始めた。

「よし、いいな」

 満足気な魔女を前に、姫様ならずともせめて、

 シンデレラぐらいなら──

 よかったのだが。魔女などに密着したところでどさくさ紛れに何をされたものか知れず、デメリットでしかない。などと(うつつ)を抜かしたのも束の間、駅舎から出た途端、猛吹雪に晒され始めた。俺は盾になる魔女がいたからいいものの、その魔女は瞬く間に灰まみれ(・・・・)どころか雪だるまになりそうになる。慌てて吹雪を背にすると、雪だるまになり損ねた魔女が、

「向きよりもよれ(キンク)に気をつけろ!」

 と怒鳴った。それはロープの強度を極端に低下させる、ロープワークの大敵だ。意外にも的確な指示に、少しでも余計な事を考えていた自分が後ろめたくなる。

「少しなら大丈夫ですよ!」

 せめてその分、魔女を吹雪から守ってやる事で罪滅ぼしだ。お互い重装備で、匂いも肉感も温もりもあったものではない。只、俺の股間の上に座る紗生子の体位のせいで、何となく股がむず痒くなる。と、突然、コンタクトからAR(拡張現実)が消えた。イヤホンの音量調整もなくなり、嵐の轟音が容赦なく耳を襲う。このインカムの世話になり始めて約一年半だが、初めての展開だ。余りの荒天で、然しも衛星も

 ──ダメになったか。

 それが使えなくなって、今更ながらにその技術の恩恵の大きさを思い知らされていると、紗生子が手で鋏を真似ていた。自ら切った、と言っているらしい。

 ──何で?

 と思った次の瞬間、今度は俺に預けている筈の玉体が捩れ、その繊手(せんしゅ)に耳を掴まれる。

「いででで──」

「耳を貸せ。こうでもしないとまともに声が届かん」

「こんな時に!?」

 気でも触れたか。その声がもたらす空気の振動に耳がやられ、体内が着火したかのようだ。登山で汗は禁物だというのに。

 ──困った姉ちゃんだなホント。

 その性的行動とも受け取れるスタンドプレーとは裏腹に、紗生子の発した内容は寒々としたものだった。

「君も気づいているだろうが、裏切り者がいる」

 だからわざわざ、この嵐にかこつけて一時的に通信が遮断された呈を装ったらしい。

「我らのインカムが盗み見聴きされる事はないと思いたいが、これも念のためだ。直近にはいないにせよ、遠巻きには中々厄介な事をやらかしてくれているだろう?」

 それはやはり、文化祭で出撃した時の、謎のミサイルの事だろう。

「今回も何をやらかしてくれたものか分からんからな」

 それで突入の直前ぐらいは慎重を期して、全てのアクセスを遮断したらしい。

「何処かで必ず捕まえるが、それまではいつも通り用心しておけ」

 と言われても、俺のスマホなど紗生子はいつも覗き放題ではないか。そんなレベルの通信機器で

「用心しろって──」

 言われてもどうにもならないし、文化祭からこちら、もう二週間近くもダダ漏れだった可能性すらある。

「仮に君のスマホが覗かれていたとしても、君を経由する情報など公然の秘密のようなレベルのものばかりだ。心配には及ばん」

 それを言われては、身も蓋もない。

「それに、君のスマホは私の子機だからな。CC内でも指折りのセキュリティーレベルだ。まず覗かれん」

「そ、」

 そんな話を、

 またこの土壇場で──

 してくれる紗生子だ。

 こ、子機って──

 なんだそれは。

 ──聞いてねぇ!

 それもあっての紗生子の日常的な盗聴撮なのだろうが、それならそうと始めから言ってくれてもよかったのではないか。確かに、今は見られても恥ずかしいような事は別にない。CCに出向してからというもの、エロと名のつく物の一切には疎遠になり、殆ど修行僧レベルと自負している。たまに暴れそうになるのは、紗生子がそれをくすぐるような事をするからであって、俺のせいではない。言いたい事は山程あるが、今はそれどころではないのだ。それら全てを飲み込んで、今まで一番確かめたかった、必要最低限を聞いてみる。

「どうして俺だけ──」

 特別扱いするのか。そんな俺の思いつめたようなものを少しは感じたのかどうなのか。紗生子の答えは、この土壇場でもブレなかった。

身内(・・)には甘くなるという事だろうな。それが可愛いとくれば、もう理屈じゃない」


 大変な嵐で何度か舞い上がりそうになったが、それでも途中駅(レギュイユ)までの遡上は予定通りだった。それまで使ったロープをそのままに、いよいよミディを目指すための乗り換えだ。今更だが、俺は結局、パワーアッセンダーの仕様を確認する暇もなく、どんな物か分からないままここまで持って来てしまっていた。が、そんな俺に構わず紗生子がテキパキとセッティングを始める。

 その構造的にはアッセンダーというより、ロープウェイのゴンドラの握索機が自走する物といった方がいいだろう。握索部分にローラーがついている。軸や中心部分は金属製のようだが、ワイヤーに接する面は内側にくぼんでいるガイドローラー型のゴム仕様だ。そのゴムは斜めの溝入りで、そこへワイヤーがフィットする。更に凄いのは、そのローラーがワイヤーを挟み込むようにペアになっており、それが合計六つ、隙間なく連結している事だ。

 ──が。

 それが行儀よく一列に並んでいるのが気になる。

「これって──」

 突風で(俺達)が横にあおられた瞬間、一緒に横になったローラーが脱落するのではないか。

「大丈夫だろう」

 それを紗生子が遠慮なく被せた言葉尻で、ローラーの外側から金属製のカバーを被せた。そのカバーでローラーを側面から締めている。

「──なるほど」

 傍からは、長方形の箱がワイヤーを覆っているように見える。これなら少々の振動でも抜けない、

 ──か。

「ローラーは一対毎の自立型にしたかったそうだが、それをすると駆け上がる力が弱くなるそうでな」

 要するに、開発に時間が足りなかったらしい。と言っている間に、呆気なく準備が終わった。

「さあ、乗り込むぞ」

「荷は俺が持ちますよ」

 アッセンダーを出した事で、俺は空荷だ。

「いや、そのまま背負っていろ。そのリュックはエアバッグになるからな」

「エアバッグ?」

 それも佐川先生謹製らしい。

「また私を庇って、背を向けて上がってくれるんだろう? そのバッグは盾にもなるしな」

 今一つ釈然としないまま、アッセンダーとロープを結着してぶら下がると、号令一下。

「いざ突撃!」

 相変わらずこうした荒事に嬉々とする紗生子は、よく言えば将器、悪くは困ったケンカ好きだ。どちらにせよ、実に意気揚々としたものだが、そんなにきびきび

 ──動くモンでもねぇんだろうに。

 と思っていると、エンジン音だかモーター音だか知らないが、予想外のけたたましさと共に身体が引っ張られた。

「な──」

「口を開くと舌を噛むぞ!」

 既製品のパワーアッセンダーの地道な動きを想像していた俺の、想像力のなさだろう。ワイヤーを伝って上がるという型とはかけ離れた、バイクで綱渡りをするような、文字通りの疾走状態だ。

 ──なんじゃこりゃあっ!?

 若干の焦げ臭さと共に、恐るべきパワーとスピードで、あっと言う間に途中駅が見えなくなった。ロープウェイの営業速度は時速四〇kmだと聞いていたが、この地獄車(・・・)は軽くその倍は出ているだろう。

「は、速過ぎません!?」

「耐荷重数トンクラスの物を作れと言ったからな!」

「ウソでしょ!?」

 それが本当なら、人一人が持ち運べる程のパッケージングでありながら、それこそ小振りのゴンドラをワイヤーで自走させる事が出来る馬力だ。汎用品の人用パワーアッセンダーの耐荷重が精々数百kgクラスである事を考えると、桁外れのそれを半日足らずで作った佐川先生は、

 ──天才か!?

 それもマッドサイエンティストの類いかも知れない。

「展望台直下の勾配なんか訳ないぞ!」

 それどころか、展望台駅を突き抜けそうな勢いだ。

「そ、それを──」

 ──先に言えっての!

 やはり紗生子としたものか。肝心な事は秘密主義だ。

「だから裏切り者がいると言っただろう! 秘密兵器の仕様が敵に抜けたらどうする!」

 確かにそれは

「分かりますが──!」

 この仕様は、色々と突き抜け過ぎではないか。

 ワイヤーは早くも、最後の急勾配に入った。スキージャンプ競技のジャンプ台より急角度だろうそれすら、地獄車は勢い衰えず、むしろそこへ至った速さを力に変えながら頂上へまっしぐらだ。途中駅から展望台駅までの間には、よく見られるような支柱はない。駅と駅の間は長いワイヤーが垂れ下がっているだけだ。つまり、勾配以外に減速の要素がない状況で、

 ──い、猪武者なんてモンじゃねぇ!

 その狂気の突進に、身体の何処かで悪寒が走った。本能が危険だと言っている。

「ジェットコースターなんか目じゃないなこれは!」

 こんな中ではしゃぐ女も中々いないだろう。

 あ、頭が──

 その後の句は省略するとして、自分で言うのも何だが、世にある大抵の乗り物のスピードは体感して理解しているつもりだった。が、それはどうやら思い込みだったようだ。まるでゴム紐の切れた逆バンジーのような、その驚くべき疾走感は、山頂駅が肉薄するにつれて更に暴走感を増して行く。ここへきて、ふと素朴な疑問が脳内をよぎった。

 ──止まれんのかこれ!?

 ここまでの疾走振りが、途中で止まるより突き抜ける勢いを優先した事を物語っている。そんな物に減速装置が期待出来る訳がない。佐川先生には悪いが、乗り物に対する信頼の低さがもたらす恐怖というヤツだ。

「ブ、ブレーキは!?」

「あると思うかこれで!?」

 実に私仕様だ、などと笑い飛ばす紗生子が言う通りの猪突マシーンが、焦げ臭さを増しながら空へ駆け上がる。

 ひょっとして──!?

「焼き切れてんじゃないですこれ!?」

 火がつくぐらいならまだマシかも知れない。山頂へつく前に、爆発して四散しそうな程の勢いだ。保てば保ったでこの分だと、ミディを突き抜けあの世の門に殴り込みだろう。こう見えて俺は、今まで何人殺してきたものか分からない罪深い人間の事なら、あの世の階層は確かめるまでもない。


 次に人心地ついた時には、薄闇に覆われた白い空間の中にいた。

 ──何時?

 腕時計を確かめると、夕方前だ。少し気を失っていたというより、笑気ガスを吸った事で寝不足も祟って居眠りをしていたようだ。記憶を辿ってみると、ここに至るまでの行動が全て思い出せる。人の手が作った地獄車(アッセンダー)では、地獄直行とは行かないものらしい。

 アッセンダーを入れていたリュックは、紗生子が言う通りエアバッグに変身した。背面上昇のままミディ山頂駅へ突進した俺達は、そのまま駅舎の天井へ衝突。と、同時にリュックのエアが解放されてクッションになると、バウンドして今度は容赦なく駅舎のフロアへ打ちつけられた。その後、何処へ何回跳ねたものか。正確には覚えていないが、壁面に二、三回ぶつかって止まるまでエアバッグは機能し続け、俺達を守ってくれた。佐川先生の作ったアッセンダーを信じていなかったというのに、恐らくその人の手によって一緒に施されていたリュックの仕様の凄さだ。

 止まった時にも、紗生子は俺の中で収まっていた。ピンボールになる中で、全ての衝撃を俺の背中のエアバッグで受け止めるつもりでいたが、どうにかなったようだ。

 ──全く。

 無茶苦茶をしてくれる。と思っていると、いきなりその紗生子にガスマスクを被せられた。と同時に、凄まじい勢いで白煙が上がり始める。嵐の最中とはいえ、駅舎の中でのドタバタだ。敵が気づかない訳もない。が、ドタバタと押し寄せて来たところで、バタバタと倒れていった。催涙ガスなら呻き声の一つも聞こえてきそうなものだったが、それもない様子のそれは笑気ガスだ。ガスを疑いもせず近寄って来る敵方の素人臭さも中々ひどいもので、ドンパチやる前にあっさり轟沈。それまでの苦労が、

 ──バカみてぇ。

 な程に呆気なく制圧してしまい、拍子抜けしている時に異変は起きた。イヤホンに耳をつんざく警告音が吹鳴し始めたのだ。人為的に通信遮断をしていた筈のそれは、恐らく緊急通報だろう。

「あっ──!?」

 昨年末に続いて二回目のこれには、流石の紗生子もマスクの中で顔をしかめた。遅れる事約二秒後。コンタクトに展開されたのはロックオンアラートだ。広域地図の一部がピックアップされ、ターゲットがここ(ミディ)である事を示している。着弾予想は一〇秒を切っており、驚いている暇もない。広域地図で展開されている筈なのに、早過ぎる着弾予想。そして迫り来る飛翔体の、尋常ならざるその速度。マッハ八を超えているそれは、

「──文化祭のヤツだ!」

 と叫んだ紗生子が、様子を見ていた人質をそのまま雄々しく担いで駆け出した。例の極超音速巡航ミサイル( HCM )だ。犯人グループは現地籠城ユニットと、後方支援ユニットの二段構えだったという事のようだが、それにしても後者の武器レベルが余りにも突き抜けている。何処の国もまだ開発中のそれを、出し惜しまずバンバン撃ってくるとは一体、

 ──何処の国だ!?

 米国に敵対する超大国といえば、考えるまでもなく限られたものだ。が、それはともかく。とりあえずここは退散しない事にはどうにもならない。紗生子に続いて駆け出し、走りながら後ろから紗生子と人質の身体にロープを回して俺と結着。そのまま、ロープウェイ山頂駅の滑車にぶち当たって止まっていたアッセンダーから垂れているロープにしがみつき、ワイヤーを滑り落ち始めたところで背中に爆風を受けた。それによりワイヤーは呆気なく断線。降下の勢いそのままに下の山肌へ滑落し、新雪にズッポリ埋もれたところで頭上に大量の雪が覆いかぶさって来た。爆発の衝撃で発生した雪崩だ。それでも、破局的なものでなかった事が幸いし、助かる事は助かった。ミサイルと雪崩でも止めを刺されない悪運の強さは、まず間違いなくそれを持っているだろう魔女様々だ。片や俺といえば、いつの間にかガスマスクを何処かへやってしまい、逃げる時に少しガスを吸ってしまう体たらく。恐らくはCC謹製の即効性抜群のガスだけあって、寝不足も祟り猛烈な眠気に襲われてしまうとそのまま落ちてしまったという失態で、今の状況という事だ。

 雪崩に襲われた時は、地上に向かってもがき、空間を作る事が命を繋ぐ。が、俺はガスの影響で泳げなかった。その代わりに泳いでいただろう紗生子が、埋もれついでにテキパキと洞穴(どうけつ)をこさえている。紗生子がそうした対処を知らず、また出来なかったならば、俺達は雪の中で窒息死していただろう。

「お、白雪姫のお目覚めだな」

 俺が薄目を開けて意識を取り戻すと、それに気づいた紗生子が冗談を吐いた。相変わらずタフな女だ。

「少しガスを吸ったんだろう? 頭痛はないか?」

「いえ。大した空間ですね」

「君があの土壇場で繰り出したロープのお陰だ」

 三人を結束していなければ、バラバラになって飛ばされていた。そうなれば、

「我らはともかく、人質は助からなかっただろう」

 その人質だった女性は、紗生子の向こう側で大人しく横になっている。犯人達と一緒にガスを吸ったらしく、しばらくは目を覚さないだろう。五〇代だろうか。背丈は紗生子程度だが、体格は一回り程大きく、骨格の確かさが見てとれる女丈夫だ。

「表層雪崩で助かりましたね」

 山肌の新雪に受け止めてもらったことで、滑落のダメージはなかった。その深い穴へ落ちた上へ、表層雪崩が覆い被さって来た格好だ。ツイていた。深層崩壊していたら、とても助かっていない。

今回も(・・・)通常弾頭だったようだからな。いい加減何とかせんと、この脅威に晒され続けては流石に敵わん」

「反撃が反射的でした」

 展望台制圧の報は、CCに絡む者達ならリアルタイムで知る事が出来る。その中から裏切り者を探すとなると骨が折れる、と思ったが、紗生子はあっさり言い切った。

「まぁ下手な二番煎じのお陰で目処はついた」

「はあ?」

「後は封じるだけだが、その前にこの状況を何とかせん事にはな」

「風がない分、寒さはないですが──」

 三人が横になれるぐらい、紗生子が穴を押し広げており、斜め上方二、三m先に空気穴が空いている。雪崩が押し寄せる中で、よくもがいたものだ。

「頼みのワイヤーが切れてはな」

 コンタクトの表示では、現在地はミディ山頂駅から僅か一〇〇mしか降りていない。極寒の富士山頂で孤立したようなものだ。

「しばらくここで粘るしかない」

 穴の向こうは相変わらずの猛吹雪で、とても歩いて下山出来るものではない。しかも人質を伴っている。

「君の兄御は、こんな中で遭難したすけこましのじーさん(フェレール元仏大統領)を、背負って降りたんだろうな」

「そうですね──」

 積雪は人が歩けるレベルだったのだろうが、天候は同レベルだった筈だ。未だに語り継がれる兄の英雄譚を実際に体感して、改めてその凄さを痛感させられる。

「どうだ? 兄御に倣って降りてみるか?」

「冗談キツいですよ」

 俺達はともかく、まず人質が持たない。特に防寒装備が問題だ。俺達は厳冬期の南極仕様だが、人質のそれは外見的にもマイナス二〇度レベルが限界だろう。ズボンに至ってはデニム生地だ。新雪の湿気を吸ったそのズボンでは体温を奪われ続け、この雪洞ビバークの中ですら危うい。

「そもそもミディに来る格好じゃないですよ」

「土産物の販売スタッフだからな。余り責めても悪い」

 閉鎖中だというのに、店が気になり無理をして上がったところへ事件に巻き込まれたのだとか。

「ひょっとして──」

「そういう事だ」

 ロープウェイのメンテナンスで、やはり上ろうとしたメンテナンス会社の社員を脅し、一緒に乗り込んだのがレジオンの連中だったという、ありがちな展開にして負の連鎖だ。俺にとってCCとは、未だ謎に包まれた組織だが、そんな安っぽい負の連鎖を食い止められない程度の組織力という事らしい。

「ミディに張りついていた人達って──」

「詳しくは知らん」

 何とも紗生子らしからぬ、突き放しだ。

外国(対外活動)は苦手ですか?」

「戦後の防衛戦略を尊重して、防諜機関として立ち上がったからなCCは」

「それは──」

 人質がよく寝ているとは言え、マズいのではないか。

「生理学的見地で言うところの昏睡状態だ。おかしな物もない」

 その辺を見誤る紗生子ではないが、それにしてもここに至っては、CCの組織力のチグハグさが際立つ。何と言えば説明がつくのか。そこでふと、分かりやすい例が口から漏れた。

「──専守防衛ですか? CCも」

「対外工作をよしとしない風潮が強く組織も薄っぺらい。敗戦国らしく、他国で目立った事も出来んしな」

 事実、戦後大々的な情報機関の創設構想は存在したそうだが、国内外の様々な思惑から消え失せたそうだ。その中で生まれたCCは、確かに日本の専守防衛思想に染まっている。が、自衛隊と決定的に違うのは、

「良くも悪くも非公開組織という事ですか」

 それが国にとっては都合が良い。

「曖昧な部分の帳尻合わせは、エージェントが負うという悲哀だ」

 根拠の不確かな組織で何でもありの活動に殉じる。属する者の覚悟は相当なものだ。それを少なからず補ってきたのが、佐川先生を始めとする技術部門なのだとか。

「確かにテキント(技術的情報収集)は相当なものなんでしょうね」

 俺が知るだけでも、エージェントの特装品(七つ道具)を始め、学園の防犯システムや偵察衛星など、その技術力の高さを疑う余地はない。

「技術部門には頭が下がる。今回の一件もそうだ」

 が、その一方で、人的な脆弱さは解消されず、それは国から遠い程顕著に現れるという。

「他国に存在するCC支局員なんぞ、殆ど大使館職員レベルだ。諜報もクソもあったモンじゃない」

 支局の長が辛うじて教育を施された者というだけの事で、他は現地スタッフに頼らざるを得ない現状であり、そのレベルは芳しくないのだとか。それが今回の例であり、シンガポールの研修旅行でも、

「シンガポール警察を頼った訳ですね」

「本音を言うと今回もフランスの世話になりたかったんだが、あくまでもアンの事は極秘だからな」

 苦しい台所事情というヤツらしい。いくら文明が発展したとしても、そこに人が関わるのであれば、

「やはり最後は──」

「人という事だ」

 と嘆息した紗生子で、この現状はどうにかやり繰りされている、という事なのだろう。最後の最後は、毎度この女の帳尻合わせにかかっている。

「まぁCCの脆弱さはトラップとしても使える。今回も見事に食いついてきたしな」

 詳しくは理解出来ないが、

「危ない橋を渡り過ぎですよ」

 それにつき合わされる身としては、毎度心臓に悪い。

その橋(ワイヤー)も切れた事ではあるし、今はここでぬくぬくするしかないだろう」

 と言いながらも、紗生子が矢庭にダウンを脱ぎ始めた。

「汗ですか?」

 冬山といえども、動けば汗ばむ重装備だ。その汗は活動レベルの低下と共に体温を奪い、やがては命をも奪う大敵となる。雪洞を作って暑くなったのだろう。

「それもあるんだが──」

 ダウンに続いて、躊躇なくミドルレイヤーまでも脱ぎ始める紗生子は、あっと言う間にベースレイヤーになってしまった。要するに全身タイツだ。その下は何を着ているものか知った事ではないが、その悩ましいラインがつい目についてしまう。

「ちょ、ちょっと──!?」

「人質をデニムで放置する訳にもいかんだろう」

「そりゃそうですが──」

 紗生子はどうするのか。その手が人質の着衣にも伸びたところで、流石にまじまじと見続ける訳にもいかなくなり、目を逸らしてしばらく。人質に一式を着せた紗生子が、

「流石にこのままでは寒くて敵わんな」

 と、人ごとのように漏らした。当然過ぎて突っ込む気にもなれない。

「俺のを着てくださいよ」

 俺は汗をかくような作業をしておらず、ミドルレイヤーだけでもしばらくは大丈夫だ。

「バカを言うな。これから夜を迎えて気温は下がる一方だ。助けも期待出来んというのにもつ訳がないだろう?」

「じゃああなたはどうするんですか!?」

「君がミドルを脱げばいいだけの話だろうが!?」

「はあ?」

 ますます、訳が分からない。

「いいからとにかく早くしろ! 寒くて敵わん!」

 何の事はなかった。二人とも薄っぺらく(ベースレイヤーに)なったところで、俺のダウンを一緒に着るだけの事だ。口では簡単に説明出来るし、

「ほれ、温いだろうが」

 確かに理に適ってはいるし、今はこれが最適解だろう。それは理解出来る。が、

「どうしていっつも最後はこうなるんですか!?」

 まさか仏の山奥で二人羽織をさせられるとは思わなかった。俺が後ろで紗生子が前だ。

「そんなモン、常々君の操を狙っているからに決まってるだろうが!?」

「決まってるんですか!?」

「私の中ではとっくの昔に決まってるんだよ!」

「な──!?」

 何だその無茶苦茶なこじつけのようなものは。紗生子という女は時として、頭がいいのか悪いのか本気で分からなくなる。

 体力の温存で寝そべって待ち続けるのだから、紗生子を後ろにして下敷きに出来る訳もない。よって俺が後ろで下なのだが、せめてもの救いは紗生子と向き合っていない事ぐらいだ。他は筆舌に尽くし難い、煩悩の極地としたものか。これは、

 ──いかん。

 この状況でも何かのたが(・・)が外れそうになる。

「あ、暑いんでやっぱり出ますよ!」

「今度は人質と一緒になるつもりか!?」

「な訳ないでしょ!?」

 それを言うなら、

「主幹こそ、女同士で一緒になればいいじゃないですか!?」

 最適解の訂正だ。

「私は男嫌いだが、それ以上に女嫌いなんだよ! それとベタベタするなど考えただけでも、それこそ寒気がする!」

「こんなところでそんな我儘を──」

「私のウェアは二人羽織するには小さいんだ! 仕方ないだろうが!?」

「そ、それならそうと──」

 わざとらしい後出しは、揚げ足取りを狙っての事だろう。

「言われるまで分からんとは、相変わらず女が絡むとダメだな君は」

 嘆息した紗生子がもぞもぞ動き始めた。出るつもりらしい。

「流石は七万ftで緊急脱出(ベイルアウト)を考える愚か者だ」

「それとこれは──」

「同じだ!」

 どさくさ紛れに──

 苦々しい古傷を容赦なく抉られた。俺がいつまで経ってもぐずだからだろう。確かに同じ事だと言われても仕方がない。

「迷わないと言っていたのは何だったんだ? 私はまた死地に追いやられるのか?」

「それは空の上での話で──」

「それで頓智のつもりとはな」

 切なさを帯びるその声と共に、紗生子の身体が猫のように柔らかくも逃げ始める。

「──まぁ、そんなヤツに気を許した、私の甘さだったという事のようだな」

 その、何かを諦めたような

 ──過去形?

 の一言に、心臓が跳ねた。良くも悪くもその時の感情に素直で、それを行動に移す事にかけては紗生子程分かりやすい女もいないのだ。それが呆れと共に諦念を帯びるなど。今日日は間違いを指摘してもらえない時代だというのに、それを躊躇しない紗生子をいい事に、いつまで経ってもぐずな俺は、紗生子が言う通りの甘えてばかりの間抜けだった。仏様でさえ三度までしか許してくれないというのに、この魔女は今までどれ程許してくれただろう。それを、ここに至って、

 終わらせようと──

 しているのか。

「もう──」

 と、何かを言いかけた紗生子に冷たいもの感じ取った俺の身体が、それこそ急に冷えて寒気が走った。気がつくとそんな俺の手が、紗生子の手を取っている。何かのショックが為せる、何とかのクソ力というヤツだろう。

「──すいませんでした!」

 要するに、人との関わりを恐れ、逃げ続けた事のツケのようなものだったのだ。人生を変え得る出会いが何度かあったにも関わらず、他人というものを面倒臭く思う自分が居座り続けていた。幼少期から敵意に晒された事も大いに影響しての事だが、都合よくそのせいにし続け、好意のようなものでさえ信じられない自分がいた。

 それをいきなり、紗生子のような女と仕事柄とはいえ行動を共にするなど、それは何を何段飛ばししたものか。戸惑って当たり前だ。が、確かに

「素直じゃなかったかも知れません」

 恐れる余り理解しようとせず、拒んでばかりだった。それは男女を語る前に、

「バディとして、あるべき姿ではなかったように思います」

 まずは、そこの理解をするべきだろう。

「今頃になってようやくか」

 と、呆れた声色の中に少し熱を戻した紗生子に、取った筈の手を握り返された。状況に見合わない意外な強さと熱量にまた驚かされると、今度は身体が痺れて動けなくなる。金縛りだ。

「確かにあくまでも任務上の関係だが、そうはいってもいざとなると、お互いの命に関わる間柄だ」

 時として自分の人生に重大な影響をもたらし、瞬間的には血縁関係を伴う家族すら超越する事もある無二の相棒。

「それがバディってモンだろう?」

 普段の上下関係など体裁でしかない、と俺の奥底で引っかかっていた部分が、当初それを殊更強調していた女に放棄される事の不思議。紗生子は紗生子で、そう思い至る何かがあったという事

 ──なのか?

 やはり俺には理解が及ばない事だらけだが、この長いとも短いとも言えない一年半で、その隙間を埋めるだけの数々の際どい作戦を共にこなしてきた。いつ頃からか、上下関係以上の濃密さでそれらに当たっていた事は認めざるを得ない。

「それを勝手な自己解釈で突き放されてはな」

 それはバディとして寂しい、とまた切ない吐露のようなものが、また俺の何処かに深々と刺さった。

「一度組んだなら、結果はどうあれ一蓮托生だ。確かに男女のバディは余り聞かないが、それが何だ? その成れの果てで、お互いの関係性が変化したところで何の問題がある?」

 確かに表向きには、俺達は既に夫婦だ。

「任務中に私が死ぬか、本当に妊娠でもしない限り、その他の大抵の事など問題ではない」

「そ、そう、ですね」

「言い淀むところを見ると、まだまだだな」

 素直になり過ぎると、この女の事だ。理詰めでどんどん何処かへ追い込まれていくような気がするそれは、まさにチェスとかオセロの

「何だか詰み筋のようで──」

 本能に近いところで、そうした事に不慣れで怖がる向きの俺がいる。

「その妙を心得た君らしい一言だな」

 だがそれは少し違う、と即座に返した紗生子の次の一言が、前に刺さったところをさらに抉ってくれた。

「我らは勝負の関係ではない筈だ。この世は愛憎に塗れているが、それに限って言うなれば、我らにあるのは愛だけだろう?」

 国の暗部で勝負に拘り続ける修羅のような女が、そんな青臭い事を素直に語る事の驚きだ。こうなってくると、何かに乗せられているような気がしないでもない一方で、心の奥底がジタバタし始めて苦しくなる。

 ──こ、これは、あれか。

 アンに無理矢理押しつけられている漫画のような、ガキ臭い色恋沙汰のようなそれだ。それこそ紗生子ではないが、一般的な人生を歩む者達とは比べものにならない程の生死を経験してきた、まさに修羅のような生き様の一方で、普通の人間が経験して当たり前のような青臭い思い出のない俺のチグハグ振りも大概だ。紗生子の事をどうこう言えたものではない。

「そ、そうです、か」

「──ダメだな」

 やはり女の事になると気合が入らんようだ、と呆れる紗生子がここへきて、その核心のようなものに触れ始めると、身体の変なところが脈打ち始めた。只でも密着している今、それが分からない紗生子ではない。

「相変わらず身体は素直なくせに、無駄な抵抗をする」

「これはその──」

「まぁそんな可愛らしさが、重ね重ねも好みなんだがな」

「またそんな事を──」

 当初からすれば、普段傍にいる分は平気になった。それどころか空気感さえ掴んでしまえば、これ程面倒臭くない女も中々いない。自分の事は何でも自己完結出来るハイスペックな女だ。普通男が頼りにされる腕力でさえ、頼られるどころか凌駕されんばかりのヤバい女だ。性格的にも実にサバサバしていて、きっぷの良さは言うまでもない。そのくせ只ならぬ色気も持ち合わせるという、小股の切れ上がったいい女だ。などと、勝手に分析していると我に返った。

 いいところしか──

 思い浮かばない。憎々しく思っていた太々しい態度すら、今では頼り甲斐のある上司として肯定的にならざるを得ないステータスだ。しかも荒事で頼りになるなどと、それは普通得難いものであり、男女抜きで誇ってよい。

 ──ヤバい。

 つまり、有事だろうと平時だろうと肯定的なのだ。そして何故か、そんな女に言い寄られている事の、相変わらずの半端ない違和感。

「君を失うのは耐え難いし、突き放されるのはもっと辛い」

 そんな仕組まれたかのような切なげな一言の後つけは、最後の最後で凄まじいブーメランとなった。

「──思い返せば腹が立つばかりだな。やはり罰を償ってもらおうか」

「な、何ですか!? 最後のやっつけ仕事みたいな言い回しは!?」

「何もクソもあるか。それこそ野暮というものだろう?」

 それまで大人しく前を向いていた紗生子が、首を捻って真顔を寄越した。いつもの何処かしら太々しくも妖しい雰囲気から一変。透明感のある心地良い静謐を伴ったそれを見るのは初めてではない。が、そのギャップは、何度拝まされても瞬間で胸が跳ね、吸い込まれそうになる。

「──どうした? 赤い顔をして」

「だ、だから暑いんですよ、さっきから」

 合わせて先程来、股間が爆発寸前だ。お互い今は薄着であり、最悪動悸に合わせて一物の脈すら感じ取られている事だろう。が、

「残念ながら、またお預けだな」

 と、なぶられたところで、インカムに聞き慣れたがなり声が乱入してきた。

『お楽しみのところ悪いんだが、助けに来ましたぜ!』

「テックさん!?」

 コンタクトの近郊図に、いつの間にかオスプレイが迫っている。

「流石に早いな中佐。もう少し遅い方がこちらとしては楽しめたんだが」

『何もそんな所で楽しまなくても、後で乳繰り合えるじゃないスか!?』

「それはそうなんだが、実はまだ籠絡し切れてなくてな。折角邪魔が入らない環境だったんだが」

「な、何を訳の分からない事を──」

『流石に悠長にやってられねーから、一発で決めよーじゃないスか!』

 驚いた事にその直後、雪洞にレンジャーが顔を覗かせた。伊アヴィアーノ基地から来たらしい。

「アヴィアーノって──」

 どうやら始めから、テックに迎え(・・)を頼んでいたようだ。

「こんな天気で飛ぶヤツなんてのは、君の兄御を除いてはドロシーの面々だけだろう」

 確かに展望台を制圧後なら、直上を飛行しても遠慮はいらないが、それにしてもそれをこの嵐の中、不安定さでは説明するまでもないオスプレイでやってのけるとは。頼む方も頼まれる方も、少し頭がやられている。

「さて、次のステージだ」

「まだあるんですか?」

 二回に分けてオスプレイに引き上げてもらった俺達は、流石に街中で着陸出来るような天候でもなく、とりあえずそのままシャモニーを脱出した。

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