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修学旅行(前)③【先生のアノニマ 2(中)〜21】

 シャモニーから西へ向けて出た俺達は、程近い高速道路(オートルート)に乗った。この嵐で近辺の高速は閉鎖されていたが、紗生子の鶴の一言でそのゲートが難なく上がると、一般車両のいない高速だ。運転している紗生子の垂涎ものの御御足によって踏み抜かれたアクセルが、有り得ない速度で小洒落たSUVを疾走させる。視界は五〇mもない中で、ラリードライバー顔負けの速度だ。白昼夢のような有様で速度感が鈍りがちだが、スピードメーターを確かめるまでもなく、その針は大きく右へ傾倒している事だろう。

「休んでていいぞ」

 それまで仏語や日本語であちらこちらと電話をしながらの紗生子が、不意に俺に言った。

「よくこの状況で、この速度で走れますね?」

「一応君の上司で、バディだからな」

 というこの女から、F1ドライバーかラリーストだとお褒めに与った事がある俺だが、

「このぐらいは類友の範疇だろう」

 という事らしい。

衛星(・・)をナビ替わりに使えば、然程の事はない」

 というそれは、夏休みに広島へ出張した折にも少し触れた、遠隔ポリグラフ機能をも有するという、CCの恐るべき偵察衛星の事だろう。

「フランスまで持って(・・・)来たんで?」

宇宙(そら)を横滑りさせれば済む話だからな」

 そのお陰で、殆ど自動運転のような状態らしい。

「閉鎖された高速なら、尚都合がいい。少々滑ったところで、他の車はいないしな」

「ガードレールは避けてくれませんよ?」

「局所的な滑走は瞬間でABSがグリップを補正する。コース補正は衛星だ。私はアクセルを踏み込めばいい」

 自動運転技術は日進月歩だが、今回は衛星の能力様々のようだ。でなくては、いくら何でも白い壁(・・・)に向かってアクセルを踏み込めるものではない。

「──が、今のところ最後の最後は、やはり人の手が必要だったり優れていたりするモンだ」

「人間の想像力の偉大さですか」

「良くも悪くもな」

 その想像力には大抵感情が伴うものだが、そこら辺に躊躇がないのが紗生子だ。白い壁に向かってアクセルを踏み込む想像力の欠如もさる事ながら、高速に乗る前の仏語では、大至急俺達の車だけ通すようがなり立てていた。恐らく相手はフェレール家のジローだろう。紗生子に目をつけられたのが運の尽きというか、つくづく気の毒な事だ。

 一方で、その後の日本語は、

「ロープウェイのワイヤーを遡上出来るパワーアッセンダーを大至急作れ!」

 という、これも中々無茶なオーダーで、その相手は恐らく学園校務の佐川先生だろう。唯一の救いは電話をかけた時刻で、日本時間なら昼前時分だ。一つ無茶を吐けば大抵は畳みかけるのもまた紗生子としたもので、最早ポリシーだろう。注文の品を、

「一〇時間以内に作って横田まで持って来い!」

 と言うその理由は、外ならぬ俺がそれを受け取りに行く(・・・・・・・・・・)事にあった。今回の作戦は、CC仏支部の不手際の帳尻合わせであって、もう後がない。よって以後は、出来得る限り不確定要素を排除するための紗生子の選りすぐりが、ここへきて総動員という訳だ。

 そりゃ理解出来るんだが──

 白昼夢のままあの世へ飛び込み兼ねない、そんな暴走劇で向かっている先は、独ラムシュタイン基地。旅行の往路行程で、俺が使ったF-22(ラプター)を置いている基地だ。そこは旅行帰りにもう一度立ち寄るだけの認識だっただけに、予定はことごとく

 ──変わるモンだなぁ。

 そんな毎度の急展開は、一層夢と(うつつ)の境目を怪しくさせる。が、隣の女(・・・)が、今度は英語でまた何処かとやり合っていて、呆けそうになる俺を一々現実に引き戻してくれた。話の内容から、今度の相手はインテリだろう。俺のこれからの日本までの往復

「──を段取りしろ!」

 とのご下命だ。つまり空中給油と、横田からこっち(・・・)に戻る時の代替機の手配という事なのだが、その中に人間の補給(食事)休憩(用足し)を入れる隙間があるかどうか。それ程の強行軍だ。

空路(・・)の往復にかかる時間はどれぐらいだ?」

 先程来、次々に相手を変えながらも(せわ)しなく口を動かす魔女が、その合間でまた俺を呼んだ。欲を言えば、往路の直掩でかかった時間の倍は欲しいところだが、それではタイムオーバーだ。

超音速巡航(スーパークルーズ)で一五時間ですね」

「やはりかかるな」

「地球の自転よりは速いですよ」

「改めて痛感させられる【コンコルド】の凄さだな」

 自転より速い速度で営業飛行していた、今となっては伝説の超音速旅客機を生み出したのが、何の縁だかこのご当地という奇遇。

「あれが旅客機だった事の凄さです」

「それは分かるが機内が狭くてな」

「乗った事あるんですか?」

「ああ。シートもろくに倒せず──」

 おちおち寝ていられなかったらしい。

 ──寝るような客がいたのかよ。

 確かに狭かったとは有名な話だが、そうは言っても乗りたくても乗れない者が多かった贅沢な乗り物だ。紗生子の外見からして恐らくは幼少期の話なのだろうが、その夢の旅客機に搭乗経験を有する子供とは、

 ──お嬢様だったんだわ、やっぱり。

 という事だろう。片やその頃の俺などは、貧困と虐待に喘いでいた事を思うと、世の中の不公平感が半端ない。そんな男女が、何故今になって一緒に仕事をしているのか。

 どー考えても──

 負わされる事の重大さが俺と釣り合っていないような気がするのは気のせいなのか。

 ──実は全部夢なんだろうこれは。

 アホ臭くなると、それこそ紗生子のコンコルドの話ではないが、急に眠気が強くなった。往路の長距離飛行の疲れが、時差ボケと一緒になって残っているせいだろう。

「幸い当車(・・)は、存分にシートをお倒し頂けます」

 お客様、とつけ足す紗生子が、小さく失笑した。

「──では、お言葉に甘えて寝ときます」

「本当にこの状況で眠たくなるとは、毎度の事ながら君はいざとなると図太いな」

 まぁ基地までは任せろ、などと、途端に戻った紗生子のギャップのおかしさだが、人使いの荒さのせめてもの配慮としたものか。雪面を爆走するモンスターSUVだが、シートといい乗り心地といい、抜群の高級感と居住性の高さだ。目を閉じるだけで、入眠感が強くなる。


 目が覚めると、香ばしい匂いが車内に充満していた。

「そろそろ着くぞ。飛ぶ前に何か腹に入れといた方がいいだろう?」

 俺より先に口を開いた紗生子が、前を向いたまま口の端で笑っている。気がつくと、いつの間にか膝の上にお盆が乗っていた。ウインナーとフライドポテトだ。

「君はホント、寝相のいいヤツだな」

 どうやら既に独領内の高速道路(アウトバーン)に入っているらしく、独語が主表示の看板がチラホラしている。

「すいません。すっかり寝入ってしまって」

「そのために私が運転したんだ」

「流石にお疲れでしょう?」

 嵐も雪量もシャモニー程ではないが、こちらもやはり吹雪いている。何処でクローズが解除されたものか知らないが、流石に通行量が落ちている状況とは言え、一般車がのらくらと走る中を相変わらずの速度で疾走しているのには驚きだ。車内の時計を見ると、シャモニーを出てまだ三時間。邪魔の少ない高速道路とは言え、猛吹雪の中ここまで約七〇〇kmだ。時速二〇〇km以上で走り続けていたとは、

 ──どんだけ踏み続けたかこの魔女は?

 紗生子の激走癖は何も今に始まった事ではないが、やはり本人も言っていた通り、必ずしも車や衛星の性能だけではないだろう。最終的にはハンドルを握っている紗生子の腕と度胸だ。

「そうでもない。むしろ癒されたな」

「はあ?」

「君は図太い神経を持っていながら行儀が出来ていて、しかも何だか可愛らしい」

 寝起き早々、

「何ですかそりゃ?」

 何やらまた、いきなり風向きが怪しい。

「つい抱きしめたくなるって話だ」

「ぬいぐるみみたいなモンですか」

「そんなところだな」

 甘さ皆無の紗生子がぬいぐるみに抱きつく姿など、心情的には魔女が何かの呪いをかけるが如くだ。が、よく考えてみればそのビジュアルに無理はない。それどころか、その妖艶な振舞を勝手に想像し始めると何やら股間がモゾモゾし始める。

 ──いかんいかん。

「しかもそれが人型で、人肌の温もりを持っているんだ。これは敵わんさ」

 その具体的な言い回しのせいで、紗生子が俺に絡みついてなぶる姿を連想させられてしまうと、もう色々とヤバかった。

「その人型ぬいぐるみ(・・・・・・・)は、四捨五入で四〇なんですがね」

「人の可愛らしさに年齢は関係ない」

 話を合わせていると、またおかしな事になりそうだ。

「折角なんで、いただきます。何か腹に入れときたいんで」

「そのつもりで買ったんだ。消化によさそうな物がよかったんだろうが、つい美味そうでな」

「大丈夫です。ウインナーの本番ですし」

 早速それを頬張ると、やはり一味違う風味が鼻を抜けていく。乗り物酔い予防で空腹を避け、程よく食べておく事は車も軍機も同じだ。

「寝相同様に、君は食い方もいいな。それなりに行儀がいいくせに実に美味そうに食う。買った甲斐があるってモンだ」

 調子を合わせて褒められていると、とどのつまりで見返りに何を要求されるものやら怖くなる。

「──食べますか?」

 と、さり気なくポテトを一つ紗生子の口元に運んでやると、返事の代わりに軽く俺の方を向いたその口先がそれを()んだ。

「ん。実に苦しゅーないぞ。役得だ」

「また」

「学園の缶詰生活だと、ドライブすら儘ならんからな。これはこれでいい」

 その役得ドライブとは、下手をすれば次の瞬間にはあの世に行くヤツなのだが、この女の方こそ図太い神経の底が知れない。

「ゲレンデで略奪告白を目論んでいた娘っ子に、我らの蜜月振りを見せられんのが残念だ」

 ──また。

 そのネタだ。気にする程の事でもないだろうに意外に気にしている、と言ったら、何が返ってくるものやら分からないため、やはり決して口にはしない。が、結局人間などは、七欲に振り回される存在という事なのだろう。と思っていると、

「──こんな帳尻合わせは毎度の事だ。惚気の一つも吐いてないとやってられん」

 と、紗生子の声が急に冷えた。話があちこちに飛びまくり、機嫌の乱高下も相変わらずだが、今回のそれは分からないでもない。

 ホテルの警備は、中心から外周までは日本からの応援要員で固めているが、他は日本人以外の欧州支部員だ。その失敗の帳尻合わせなら、現地に詳しいご当地エージェントを頼りたいところだが、ミディ占拠を許したような連中でもあり、とても信用出来ない。かと言って日本から連れて来た応援は、あくまでも応援だ。無茶を頼める訳もなく、仮に頼めば貸しが高くつく。結局、イレギュラーの尻拭いは本営の務めという、当然にしてやり切れない現実だ。

「旨味の一つぐらい、あっても罰は当たらん」

「まぁそうでしょうね」

「物分かりがいいじゃないか」

 と紗生子がまた唐突に、片手を俺の方に伸ばして来た。ゆっくりと忍び寄って来たそれが、何の躊躇もなく俺の手首を掴むと、途端に思いがけない力で引っ張り込まれる。

「わ」

 という断末魔の後、俺の頭は紗生子の膝上にあった。

「相変わらず、女に甘いな」

 嘆息と共に、紗生子の片手が俺の頭を撫でつけてくれる。

「分かってやってるでしょ?」

 食い物を散らかす訳にもいかず、それを質に取られていなければ当然躱している訳で、

「嫌なら散らかしてでも逃げればいいだけの事だろう?」

 と、まあそういう事だ。救いは生徒達に見られていない事と、冬のコーデで着ている物がそれなりに厚く、露出もない事ぐらいだろう。膝上というか、殆ど股の直上に顔だ。が、危うく頭を浮かせば、逆に後ろ頭が豊胸に触れる。出発時には着ていた筈のコートはいつの間が後席に投げられており、レディーススーツの上下でサンドイッチだ。これが夏のワンピース(戦闘常装)なら流石に大慌てだが、既にそれ以上の操を奪われている事でもあり、

「今日は大人しいじゃないか?」

「事故さえなければ、もう何だっていいですよ」

 と、俺の口が勝手に分かったような事を吐いていた。以前なら身体が発する匂いや熱、肉感に攻められて酩酊しているところだが、全くもって慣れとは恐ろしい。

「よしよし」

 子供の頃にテレビで見た覚えがある

 ──ムツゴ○ウさんかよ。

 往年のその常套句に、思わず噴き出しそうになった。四〇前の中年男を捕まえて、お世辞にも趣味がよいと言えたものではなく、何を悦に浸る事があるものやら全く理解出来ないが、要するにペット感覚なのだろう。密かに笑っていると、紗生子が不意にまた思いがけない事を吐いた。

「私を満足させるような男に育ててくれた君の父御(ててご)には、感謝してもし切れんな」

「養父とどの程度のお知り合いなん──ぶ」

 思わせ振りな一言に、思わず反射で頭を上げようとしたところを逆に押さえつけられ自滅だ。股に埋められては流石に沸騰する。

「まぁそれなりに、な」

「さ、然いですか」

「叶うものなら、また会いたいものだ」

 その時の紗生子の声が、いつになく情緒的だった事を、当時の俺はやはり知る術もなく、息をためらって苦しいばかりだ。

「君も会いたいだろう?」

「そりゃそうですが、いい加減にしとかないと、もう基地でしょう?」

 ラムシュタイン空軍基地は、仏国境から一〇〇kmと離れていない。仏オートルートから直結するアウトバーンを降りてすぐ傍だ。

「固い事をいうんじゃない」

「そう言えば──」

 アルベールのSUVでドライブという事は、

「抵抗したら、助手席が飛んで行くんですか? この車も?」

 それを実際に確かめた事はないが、今は日本で留守番中の紗生子の車は、怪しい許可が付されたスパイ仕様だった。それを考えると、

「私が乗る車だぞ? 聞くまでもなかろう?」

「──ですか」

 という事だ。

「二人でドライブなどと、実に一年振りだな。全く持って息の詰まる任務だ」

 昨日も含めて、という事だろうが、言う割に紗生子はカラカラ笑っている。

「もう何だっていいんですが──」

 このまま基地のゲートを潜るのだけはご容赦願いたいものだ。

「寝起きで目を覚ましてやらんといかんという、これも配慮の一つだぞ?」

 この十数分後、ラプターに飛び乗りスクランブル並みの離陸をした俺は、随分とTPOの切り替えが上手くなったものだ。


 東京時間、昼前。

 独を出た時は嵐の夜だったのが、横田上空は小春日和という凄まじいまでのギャップだった。修学旅行行程で言えば四日目。欧州ならまだ早朝だが、予定通りの帳尻合わせ行程だ。

 ──何とか壊さずに戻れたか。

 何かにつけてお高くついている現代屈指( F-22)の戦闘機(ラプター )も、紗生子にかかれば下駄代わり。その根回しが何処まで効いているのか知らないが、壊すと後が怖いのは分かり切っている。

 空中給油は予定通り得られたため、燃費を気にする必要は殆どなかった。が、機体は飛び続けている訳で、調子に乗ってエンジンを回していると、怖いのは焼きつきだ。一般的に西から東へ向かう時には無条件でジェット気流の恩恵を得られると思われがちだが、それはそれが吹く緯度と高度でこそ得られるメリットである事をきっちり理解しているのは、気象・航空関係者だけだろう。

 ロシア・ウクライナ戦争の影響で冷戦期に戻っている上空情勢は、その退行を否応なしに突きつけてくれる。民間運送の世界で言う欧州発便が東へ向かう際に使う中緯度帯、所謂南回りはエアバスだけの話。一般的に中東上空を通過するそのルートは、近現代不幸にも本国(米国)との関係が悪い。その情勢下で軍機、それもラプターの単騎がけは、いくらステルス機といえども無謀というものだ。それ故の極圏ルートの選択であり、本国から程近いがための空中給油のメリットは、その副産物のようなものだった。

 大体が近年の極圏ルートは、風が素直ではない。元々冬に強風の影響を受けやすいこのルートは、極渦や極東風に見られるように、飛んでいる場所によっては風向きが真反対に変わるという拗らせ振りだ。それに加えて、ここでも顔を覗かせる温暖化の影響。世界的にも問題視されている、偏西風の蛇行だ。不安定化したジェット気流の蛇行が、その北にある極渦の不安定化を招く。結果的に、負の連鎖で乱れた寒気が周辺に漏れ出て暴れ、極圏の乱気流を生み出す構図だ。

 不安定なのは気象だけはない。地政学的にもその混迷は深まる一方だ。温暖化により厳冬期でも凍らなくなった北極圏は、軍民問わずその重要度が跳ね上がっている。基本的に公海のそこは、民間に先取りする事数十年レベルでイデオロギーが対立してきた舞台だ。文字通りの水面下で、骨肉の争いを繰り広げてきた極北での軍機の単騎がけは、命懸けといっても言い過ぎではなかった。一触即発の情勢下。敵味方とも気を張り詰めている極地にして局地だ。それが常態化したところでマンネリなど有り得ず、時としてヒステリックな反応が過去に偶発的な事故(・・・・・・)を起こしてきた、その上空を飛ぶ事の不気味さ。

 気象条件、世界情勢、機体性能の三要素だけで、タイムリミットがある作戦プランの遊びは殆どなくなる。当然、それを遂行する人間はその配慮から漏れる訳で、自分で言うのも何だが、言い訳も問答も無用の世界に生きるプロフェッショナブルというヤツだ。それこそ年俸交渉出来れば、

 ──いくらのモンだかなぁ。

 様々の譲れない事情とギリギリの調整をしながらの約七時間超。見た目には単調な単独行だが、実は息の抜けない緊張感とランデブーで戻って来た横田は、秋晴れの清々しさだった訳で、救われるというか、眠たいというか、

 ──代わってくれる人はいねぇモンか。

 疲れてくると愚痴っぽくなるのは俺の悪い癖だ。別に俺でなくとも、インテリやテックもいた訳だが、インテリのような調整力は俺にはないし、テックは恐らく他に役目があるのだろう。人使いの荒い紗生子は、その使い方も上手い。それだけ他人を使い倒してきた結果の、経験値の高さという事なのだろうが、

 何にしても──

 目の奥の疲労感が強かった。それだけ目を酷使し続けた道中だ。せめて、赤く染まりつつある遠くの山々で、少しなりとも目を休めつつハンガーまで戻ると、待っていたのは替えのラプターと、

「佐川先生!?」

 だった。が、俺が口を開けたのはこの程度で、

「いやぁシーじゃなくてミナモト先生でしたな」

 校外では、とお茶目なウインクをかましてくれた後は、その人のマシンガントークが待っていた。

「お話しには伺っておりましたが本当にパイロットとは実に凛々しいですなそれはさておきシャモニーでも相変わらずのじゃじゃ馬(・・・・・)振りでお守り(・・・)が大変でございましょう?あ(くだん)の品物は──」

 注文通り作ってウエポンベイに搭載済み。相変わらずの無茶な急仕事で大変だったそうだ。仕様の詳細は、欧州のじゃじゃ馬に伝達済みだとかで、俺にはとんぼ返りの命が下りているとか何とか。

「私ももう少し若ければ是非乗ってみたかったですなぁ」

 普段はゆっくり、おっとりとした老紳士だが、よく考えてみれば学園で特殊校務(・・・・)を担うその人だ。時間に追われての修繕作業は神がかっており、TPOでその口振りまで変幻自在という、これもまた一つのプロフェッショナルという事だろう。傍にいる米軍の整備兵が、目を丸くしている。確かに早口だが、それ以上に息をつく間もなく喋り続ける肺活量と、言葉を失わない頭の切れ具合は、流石は職人肌の技術屋の鍛え抜かれた頭脳にして体力としたものか。見た目は好々爺然とした佐川先生だ。その人が、何かの舞台役者の長台詞の如く、滑舌良く口を動かし続ける事のギャップが凄まじい。

「──お時間がないんでしょうがそうは言ってもトイレぐらい済まされてはどうです?」

 と言われて、ようやくその滑らかな口が止まると、周囲の米兵達が感心して拍手をした。日本語の意味は分からないだろうが、俺と似たような事を感じたようだ。歌舞伎だの落語だのと勝手な事を口々に漏らしている。

「あ、いや、忙しくなると、悪い癖で──」

 照れるその人の言葉に甘えて、一瞬だけその場から抜ける。往路の事を思えば何処に敵が潜んでいるものやらだが、年を召されたとはいえ日頃抜け目のない佐川先生の安心感だ。さっさと済ませて戻ると、その人がこっそり軽食まで持たせてくれた。

「お結びです。こっそり機内でどうぞ」

「助かります」

 厳しい現実の中でこの頃痛感する、周囲の人々の熟れ振りだ。これが一番の、

 ──救いだな。

 このおかしな任務中の事なれば、これもまた紗生子の薫陶としたものなのだろう。

 横田の所要時間、実に五分。気がつくとタクシーウェイを走っていて、ハンガーで整備兵達と一緒に手を振っている佐川先生に見送られている。

「何とまぁ──」

 慌しい一時帰還だ。これからはまた太陽と競争の西行。今の位置からそれを傾けさせる事なく、逆に東へ押し戻す勢いで欧州へ戻らなくては、帳尻合わせ(・・・・・)作戦は厳しさを増す。仮に太陽と同着だったとして、昼にラムシュタイン。そこからシャモニーまで、車でまた三時間として、犯人が設定した二四時間まで、

 ──残り、三時間。

 後は紗生子の目論見や、佐川先生謹製のパワーアッセンダーを信じるしかない。欧州までの極圏ルートもまた、基本的に時短が期待出来ないのだ。それなら急がば回れで出来る事をやるしかない。

 上空に舞い戻った俺は、安定飛行に入るとマスクを着脱しながらお結びを頬張った。具材はツナと梅干しだったが、サイズ感も大きければその具が

 ──多いな。

 それらが疲れに効く事を考慮したセレクトだったのだろう。これもまた、お世話になりっ放しのベルさんの味だ。

 最近何だか──

 俺は本当に、周囲の人に恵まれている。


 欧州までの復路は大荒れだった。

 何とか風を掴みたかったが何処を通っても嵐でそれどころではなく、往路よりも時間をロスしてしまった。

「何日か前までいー天気だったじゃねーかこんにゃろが!」

 と、叫んだところでどうにもならない。ここまでの行程で、既に一九時間が迫っていた。シャモニーまでまた三時間として、最後は大荒れの冬山をワイヤーで遡上だ。それを残り二時間でやり切れるものか。

 急いでいる時に、悪い事は重なる。ラムシュタインまで戻ってみると、何と猛吹雪が伝染していた。が、空港がクローズになっているというのに、何故だか俺にだけ着陸許可が降りる事の不思議だ。辺りは完全なる白闇で、風の当たり方が半端ない。基地から転送されてくる気象データは中々残酷だ。瞬間的な風速は、軽く三〇mを超えている。

「おいおい」

 これを降りて来い、とは要するに紗生子の命だろう。完全なる計器飛行で、有り難くも気象はモニターが細かく可視化してくれるのだが、突風だけは中々読み切れるものではない。律儀に表示される風は、正直言って複雑過ぎて、

 ──訳が分からん。

 これまでの傭兵人生で達した境地がある。最後に人智が手を下すのであれば、結局のところ何事も、運と勘と度胸という事だ。その中でも一つを選ぶのであれば勘。それは先天的なセンスであり、培った経験がもたらすスキルでもある。この場面なら、操作勘と周囲との相関のシンクロ率という事だ。現代は様々なものが具体的に数値化され、AIならば瞬間的に忠実にそのデータを理解し対応する。が、それをするのが人間ならば

 ──大体こんなモンか?

 という具合のその根拠は、結局突き詰めれば経験と勘という、文字通りの良くも悪くもいい加減さだ。

「流石にちゃんと降りて来るよなお前は」

「何でまたここに?」

 ラムシュタインのハンガーで待っていたのはテックだった。ジュネーブで留守番中の筈だが、

「提督に呼ばれてな」

 何が何でも、どうにかしてラムシュタインまで来るよう命ぜられたらしい。今や嵐は南仏だけに留まらず、中欧にまで範囲を広げ、猛威を奮っているとかで、

「空路は全滅で、陸路しかなかったからな」

 つい先程、やっとの思いで辿り着いたそうだ。どうやって来たのか知らないが、無理無茶を押し通す出鱈目具合では、この男も紗生子に負けない。よって、

 聞かない方が──

 何となく我が身のためのような気がして、あえて尋ねず。

「早く降りろ」

「あ、そーですね」

 俺が降機する傍らで、テックが手早く整備兵に声をかけてウエポンベイから荷を取り出すと、

「とにかく今は時間が惜しいんだろ? 行くぞ」

「は?」

 どうにかフライトスーツを脱いだが、まだ軍の繋ぎを着たままだというのに、次のステージの催促だ。

「そのままでいい。乗り換えだからな」

 矢継ぎ早に連れ込まれたのは、隣に駐機されていたオスプレイだった。

「まさかこれで──?」

 今度は嵐の中を上がるらしい。

「──ってコパイ(副操縦士)は?」

「この(ザマ)でつき合ってくれるヤツがいるってんなら連れて行くがな」

「──ですか」

 クローズされた空港だ。確かに嵐の中でも、横風さえ気をつければ離陸は問題ないだろう。が、行きはよいよい帰りが怖いとはこの事だ。このまま荒れ続けるのであれば、上がったが最後。翼もプロペラも小さい構造上、特に着陸に難があるオスプレイが、この状況で帰還出来る可能性は極めて低い。

「シャモニー上空まで一時間だ。メシもある。食ったら降下準備でもして隣で寝てろ」

「降下?」

提督(嫁さん)が骨を拾ってくれるとよ。出来れば生きたまま抱きつきたいそうだがな」

 道理で提督(・・)は見当たらない訳だ。俺を送った後シャモニーへ戻り、状況を仕切りつつ待ち受けていたのだろう。

「──時短マジックか」

「喋ってたら舌噛むぞ」

 テックの腕を信用しない訳ではないが、早速動き出したオスプレイが、風に対する配慮もクソもないような雑な上がり方で地面を離れた。普通の上昇イメージとはかけ離れた、嫌な振動を四方八方に受けながら上がり始めるそれは、錐揉み上昇と言えば説明がつくだろうか。

「うへぇ!」

「足が離れりゃこっちのモンよ!」

 適当に上がったと思うと、あっと言う間にまた白闇だ。

「後は一路アルプスだ」

「さ、流石──」

 曲乗りでこの男に適うヤツは、俺が知る限りいない。

「これでも一応、元エアレーサーだからな」

「ど、道理で」

「無茶はお前の専売特許じゃねえ」

「俺はこんな無茶しませんよ」

「よく言うぜ」

 見た目に反比例した緻密な操縦テクニックの出所を、思わぬ所で聞かされてしまった。そうした告白は、俺にとっては聞かない方が楽な事が多い。いざという時にひきずるからだ。頼り頼られ、そうした他人の不確定要素に振り回される。例えそれが信頼の証なのだとしても、

 ──めんどくさい。

 のだ。だと言うのに今の俺は、呈よく使われ、巻き込まれ、自分の求める方向性とは真逆の生き方を強いられている事の不思議。

「出来りゃあ俺が代わってやりてーんだが、流石に落下傘はろくにやった事ねーしなぁ」

「お気持ちだけいただいときます」

 経験の有無に関わらず、どう考えてもこの現状でそれ(落下傘)は、殆ど自殺行為だ。

「お前の事なんか心配してねーよ。あの嫁さんに抱き止めてもらいてぇだけだ」

「はあ?」

 その紗生子が、ミスが許されない土壇場で、仕事を任せられるピースとしてこのスケベ男も加えた。

 ──確かに。

 スケベではあるが、これ程頼れる応援も中々いない。

「迂闊に近づいたら、失神させられますけどね」

「惚気だな」

「何処が?」

「それが許される存在はてめぇだけだと言いたいんだろうが?」

「そんなんじゃなくて」

「まぁいいから食って少しでも目をつむっとけ。上空に着いたら教えてやる」

「──すいません」

「──で、もう床は許してもらえたのか?」

「寝かせてくれるんじゃなかったんスか!?」

「まだ食ってねーだろーが!」

 バカ話をしながらもオスプレイは、風にあおられながら白い壁に向かって飛んで行く。


 約一時間後。

「そろそろなんじゃないか?」

「そうですね」

 相変わらず、飽きもせず吹雪いているシャモニー上空に戻って来た。と言っても、それは計器の上での話だ。辺りは欧州の屋根とあらば、流石のテックも高度をとっている。一昼夜振りの帰還だが、視界の中にシャモニーを感じられるものは何もない。それどころか、上空にいれば冗談抜きであの世と錯覚しそうだ。その勢いがおさまる気配には程遠く、どうやらまだ発達期のようで、最早笑うしかなかった。

「じゃあ、提督によろしくな」

「はあ」

 などと、たわいない会話の最中で、無造作に開かれた後部ハッチから見えるのは白い壁だ。その壁が、

 ──唸ってやがるなぁ。

 唸る壁など聞いた事もないのだが、それがあの世の嵐と言えば少しは収まりもつくものか。

 ──こんなんで?

 空挺降下とか、中々狂っている。そんな俺の状況もそうだが、それはオスプレイを預かるテックもそうだ。

「この後、何処へ降りるんです?」

「俺か? 何処へでも降りるさ」

 近辺なら、伊ベネチア郊外のアヴィアーノ基地が近いが、やはり嵐に見舞われている事だろう。

UK(イギリス)かスペインの、うちの(米空軍)基地だな」

 世界中に基地がある米軍だ。空軍に拘らなければ、選択肢は更に広がる。

「何にしても俺の出番はここまでだ。それより自分の心配をしろ」

 この嵐で落下傘とはな、と流石のテックも舌を巻く荒れ具合だ。ここから先はCCの衛星を頼みたいところだったが、ここへきてデータの更新速度が極端に遅くなった。これもやはり嵐の影響だろう。紗生子にメッセージを送ってみても、未達のまま返って来てしまった。テック(米軍人)の前で、余り日本の諜報組織の特装品(スパイグッズ)を使いたくはないが、緊急時の事でもある。最後に電話や無線も使ってみたが、やはり不通だ。嵐で衛星自体がやられたのか、それとも基地局が原因なのか。理由は分からないが、

 ここは一丁──

 覚悟を決めて、最後は勘働きだ。眼下に展開しているであろう地形を想像し、それに吹き込む風を五感で感じ

 ──とれるかこんなモン!?

 白い壁は白い壁でしかなく、飛び出さない限りそこから先の事など全く感じとれない。

「下であの嫁さん(・・・・・)が待ってるんだ。何とかなるだろ」

 流石に息を飲んだ俺を、テックが後押しした。いい加減降下しろ、という事だろう。時間をかけたところで状況が好転する見込みはないのだ。それならさっさと行くしかない。

「まあ今回は、地面に降りればいいだけの話ですからね」

あの時(ハイジャック )は結局、勲功だけで銭にならなかったな全く」

 思えば昨夏のハイジャックの折も、このバディだった。気をつけないと、無茶な任務はこの二人というレッテルを貼られそうだ。もっとも紗生子の中では、既にそうなっているのだろう。それ故のこの人選だ。

「──そろそろ行きます。また帰りのジュネーブで」

「おう。アンカレッジのねーちゃんの紹介を忘れんな!」

「そればっかり」

「当たり前だ! 男と女あってのこの世だぞ」

 土壇場でも変わらないこの男のポリシーが、ここでもお約束気味に炸裂する。ハイジャックの折は危うくそのせいで死にかけたが、今度はその失笑を合図に白闇に飛び出した。

「──あ」

 と言う間に、オスプレイの気配が消えるが白闇は変わらない。まるでそこからオスプレイだけが突然消えたような、不思議な感覚。それ程の深い闇という事だ。真っ昼間だというのに太陽が全く見えず、雲中なのか吹雪なのか分からない程の濃い白闇。その中で高度カウンターが凄まじい勢いで下がっている。が、それにつられてパラシュートを早く開き過ぎると、風で何処へ流されるか分からない。

 そりゃ分かるんだが──!

 地面が目視出来ない状態で落下するのは、中々の迫力だ。一応シャモニーの谷目がけて降りているつもりだが、風に流されて山へ向かっていたら、そろそろ山腹へぶち当たる頃だろう。高度五〇〇〇mからのフリーフォールだ。空気抵抗が加わるため最終的な落下速度は時速二〇〇kmだが、それは二〇秒もあれば到達する。流されていたならば即死どころではない。バラバラの刑だ。

 ううぅ──

 まだ三〇秒も経っていないが、

 ──開くか!?

 見えないプレッシャーが判断を急かす。早く開けば開いたで、流されてまともな所に着地出来ないのは分かっている。分かってはいるがこのプレッシャーは、戦闘機の計器飛行を遥かに上回るストレスだ。

『いいぞ! そのまま降りて来い!』

 風が切り裂く轟音の中で、紗生子の怒鳴り声が聞こえたような気がした。イヤホンからだ。

『後三〇秒そのままだ!』

 今度ははっきりと、その凛々しい美声を捉えた。地表が近づいた事で、衛星通信の電波が何処かの基地局にでも経由出来たのか。それともトランシーバー機能が生き返ったのか。コンタクトの通信機能はまだ不通状態だが、とりあえず音声は生き返ったらしい。俺はとても返事が出来る状況ではないが、する必要もなさそうだ。迷い人の前に、突如として現れた道標の如き確かな安心感。そう思えてくると、それまで恐怖でしかなかった白闇に抱かれるような気がしてくるからおかしなものだ。

『五、四、三、二──開け!』

 そのカウントダウンと共にパラシュートを展開すると、途端に落下エネルギーを上回る水平エネルギーに身体が翻弄された。

『大丈夫だ! そのまま流されろ!』

 勘で飛び出した割に、正確にシャモニーの街を捉えていたようだ。突然コンタクトの中に、正確な鳥瞰図が現れた。通信も復旧したようで、とりあえずこれは助かる。紗生子が追っている俺の位置データがリンクされ、それによると、北東の風に乗ってシャモニー市街地の真上を南西に流されているようだ。

 そのまま水平方向の暴風にあおられながらもどうにか降下ポイントの目処をつけ、気がつくとシャモニー南西のレ・ズッシュ上空に辿り着いた。軽く一〇kmは流された格好だ。時間がない時にこの距離の迎えを誰かに頼めるだろうか、と考えを巡らせていると、嵐の中から現れた集落の河川敷に、一際目立つ真紅の車が見える。まさか、これを想定してのあの派手な車という事

 ──だったのかよ?

 それも含めての紗生子の趣味、という事だったのかも知れない。

「ははっ」

 思わず声が漏れた時には、不覚にも目頭が熱くなった。気がつけばこの女は、いつも俺の苦境の傍にいる。今はバディなのだから当然と言えば当然だが、俺のような冴えないヤツを相手に、どうやら好き好んでつき纏っているのだから酔狂と言うものだろう。

 その赤いじゃじゃ馬目がけて降下すると、ラムシュタインで別れた時のままの格好の紗生子が車内から出て来た。紗生子は紗生子で忙しかったのだろう。その女優顔負けの堂々たる絶美が、事もあろうに俺に正対して待ち構えている。平生の気鬱で太々しい妖しさは何処へいったものか。四肢を一杯に広げて両腕を大きく交差させながら、実に嬉しそうに振っている。

『いいぞ! そのまま飛び込んで来い!』

「危ないですよ!? いいから逃げて!」

 風が強過ぎてコントロールもクソもない中をどうにか降りて来たというのに、最後の最後で思わぬ難題だ。紗生子が逃げてくれない。この女程の者が知らない訳がないのだが、落下傘の降下速度は風が穏やかな時でも時速三〇kmを下回る事はない。ましてや今の状況だ。一〇〇は出ていないだろうが、佐川先生謹製の特装品を背負っていて、重さでそれなりに振りがついている。無傷の着地は難しいだろう。

 結局、そのまま紗生子に受け止められ、というかぶつかって、二人して雪原を盛大に転がった所でどうにか止まる事が出来た。俺に覆い被さった状態で止まった紗生子が、流石にグッタリしている。

「大丈夫ですか!?」

 俺の肩口に顔を埋めて動かない。雪原とはいえ、ヘルメットも被っていなかった紗生子だ。頭を打ったのかも知れない。

 ──マズい!

 余り頭を動かさないように、意外に華奢な両肩を掴んで、とりあえずひっぺがそうとすると、逆に上から抱きつかれた。

「つい嬉しくてな! 君は本当に期待を裏切らない」

「驚かさないでくださいよ!」

「私がこれしきの事で失神するとでも思ったか?」

「それは、そうですが──」

「君にだけ無茶をさせる訳にはいかん。前にも約束しただろう?」

「そんな話でしたっけ?」

「揚げ足を取れる程に大丈夫のようで何よりだ」

 言い合いながらもパラシュートを畳もうとするが、風が強過ぎでどうにもならなかった。

「諦めろ。時間がない」

「はい」

「疲れているところ悪いが、こっからが本番だぞ」

 紗生子一人で襲撃させる訳にもいかず、かといって気に入った人間としかバディを組もうとしない拗らせ屋なのだから仕方がない。やはりこの先も、俺の出番という事だ。その立ち位置が以前は嫌というか、戸惑いでしかなかった筈なのだが、今はどうしたものだろうか。

「心得てます」

 それを当然と思う俺が、俺の中にいる。

 俺はまた紗生子の運転で、約二〇時間振りにシャモニーへ戻った。

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