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教育実習③【先生のアノニマ 2(中)〜9】

 在日米国大使館までの移動は、紗生子の車を使うのかと思いきや、意外にも高坂宗家から遣わされた車を用いた。

 元仏国大統領にして世界有数のコングロマリット【フェレールグループ】現会長から、その尻をロックオンされて直々に贈与されたという紗生子のスーパ(アルベール)ーカー(・フェレール)なら、恐らく備えているであろうボン○カー並の装備を遺憾無く発揮して、多少の難は軽々と振り切ってくれると思っていたのだが。

「ご無沙汰致しております」

 車が高坂の物なら、運転手は今度こそ(・・・・)、その家の執事である佐川さんだ。

「お戻りでしたか」

「ええ、つい先日」

 ゴールデンウイークの研修時にはいなかったこの人は、今春まで兄が住んでいた広島の山奥で、

「やはり東京は空気が悪いですね」

 と思える程、山小屋暮らしを堪能していたらしい。それは、兄の婚約者の護衛のためだったそうだが、その人もつい先日兄がいるスイスへ旅立ったため、お役御免となったようだ。

「戻るなりすまんな、兵庫」

「いえ」

 そこへ、後席で盛大に足を組んで踏ん反り返っている紗生子が、見事に割り込んでくれた。相変わらずのタメ口だ。

 ──やれやれ。

 という俺は、今日は助手席に乗っている。前方と左側の索敵は俺の持ち分。運転席の後ろに座っている紗生子は後方と右側だ。

「お嬢様がくれぐれも宜しくと、おっしゃっておいででした」

「そうか」

 そんな車内は実に静かだ。それもその筈で、今日のそれはレク○スSUVではなく、セン○ュリーだった。行き先が米国大使館だから、よそ行きという事なのだろう。

 それは分かるが──

 渋滞の中で襲われでもしたら一溜(ひとたま)りもない。宵の口のラッシュは天気がぐずついている事もあって、普段より激しさを増しているようだ。こういう時紗生子の車なら、聞いた事もない嘘のような特殊車両許可の権限を駆使して突っ走る事が出来るというのに。

「そう心配するな。大丈夫だ」

「はあ」

 それを見事に、紗生子に見抜かれた。相変わらず、察しのよい事だ。が、安易に言い切られると、逆に不安をあおられる。油断大敵とはよく言ったものだ。そんな俺の不安を紗生子が、

「油断はしていない。予想を立てているだけだ」

 と、また見事に言い当ててくれる。

「然いですか」

 予想、と言うからには、差し迫った何事でもあるのか。

「流石に日本だからな。高速を封鎖するような荒っぽい事はしてこないだろう。まぁそれでもやってきたなら、受けて立つまでだがな」

 という今は、中央道から首都高に入ったところだ。都心に近づくにつれ、渋滞はひどくなるばかり。

「先方からは『学業に障りなきようゆっくり来い』と言われているんだ。慌てなくていいぞ、兵庫」

「心得ております」

 その渋く(こな)れた人柄の執事さんをいい事に、とことん呼び捨てる紗生子は、何れきっと天誅が下るように思えてならない。


 異変は、夜陰が色濃くなった米国大使館の目前で起きた。

 あちらこちらで検問があるのは有り得る事だが、特に止められる事もなく周辺の路地に追い込まれて行く。

「これって──」

「さてさて、何の容疑をかけられたのか知らんが、狙い打ちのようだな」

 俺の不安に反比例して、ボルテージを上げる紗生子のこれは毎度の事だ。しばらく後、ついに人車の往来が全く途切れた所で呼び止められた。早速車の前に、機動隊員と思しき繋ぎ(出動服)を着た警察官が、ご丁寧にも【Xストッパー】と呼ばれるコロつきの封鎖用具を置いてくれる。逃走防止措置だ。

「兵庫、手筈通りに頼んだぞ」

 職務質問で運転席側窓に肉薄する警察官を尻目に、佐川さんが窓を開ける素振りを見せる中、低い声で独り言ちた紗生子が追加で、

「ゴロー、我らはここで降りるぞ」

 と、命を下した。

「頑張ってね」

 恐らくアンにも、程近い未来が見えているらしい。

「はあ」

 背中でその激励を受けながらも、佐川さんがいよいよ窓を下ろすタイミングで、何気なく右後部ドアを開けて降車する紗生子に同調して俺も降車する。と、いきなり紗生子が、職質を始めようとした目の前の警察官を殴り倒した。

 ──いきなりかよ!?

 赤色灯をつけたワゴン車が一台、前方に止まっている。全員を確かめる事は出来ないが、目視で七人。物陰にプラス二、三人として、軍でいうところの一個分隊規模だろう。まずはその内の一人が、紗生子のゲンコツで轟沈した訳だ。

 となると当然、他の面子が牙を剥く。それに向かって矢継ぎ早に、いつの間にか太腿から抜いていたグロック19をぶっ放し始めた紗生子だ。

 ──慌ただしいな!

 そういう俺は、車の前に置かれていたXストッパーを撤去するついでで、それを助手席側前方にいた警察官二人に向けて、力任せに投げつける事で加勢に入った。すると、それまで実に上品だったセン○ュリーのエンジンが突如として吠え、タイヤをスピンさせながら豪快に現場を後にする。

 ──行っちゃった!

 という事は、紗生子と二人で是が非でもこの乱闘を制して活路を切り開くのみだ。そんな俺の心配をよそに、紗生子の周りには既に三人が折り重なって沈んでいる。


 数分後。

 機動隊員の格好をした俺は、強奪した警察のワゴン車を運転させられていた。今度は助手席に乗った紗生子も、同様にその繋ぎを着込んでいる。当然、それぞれの背格好に近い繋ぎを着た機動隊員からひっぺがした戦利品だ。

「ったく、これだからタバコ吸いは嫌いなんだ」

 先程来、紗生子はそんな愚痴を連発している。確かに繋ぎに染みついたタバコの臭いはひどいの一言だったが、加えて仄かに生薬の臭いが混ざっている。それが俺に、ある仮説を立てさせていた。

「このお巡りさん達って──」

「臭いで分かるだろ?」

 何人かは、明が引き連れて来た分隊員だ。

「臭いが混ざっていない(・・・・・・・)何人かは、受け入れ側の本官(警察官)だが、実体はレジオンのスパイさ」

「全ては警視総監(高千穂兄)の手回しって事ですか」

「そういう事だ」

「まぁそれなら──」

「正当防衛だろう?」

 と、弁護士とは思えない暴論を事もなげに吐き捨てる紗生子は、全員が防弾ベストを着用している事を理解した上での発砲だった、とか。

「流石に大量虐殺は憚られるしな」

 何とも大した余裕っ振りだ。その一方で俺はというと、やはりいつも通りのヤケクソで応戦。敵の半分を受け持つと、乱戦のどさくさのあの手この手で悶絶させた上、現地調達した手錠でもって後ろ手錠(・・・・)で逮捕してやった。人権の逸脱度合いが強いそれは、日本の警察官なら普通やらないのだが、俺にとってそれは遥か昔の事だ。そんな事を気にしていた青臭い時代が、

 ──あったっけ。

 不意にそんな懐かしさが、脳内に落ち着かない流れ者の経歴をスクロールさせる。

 俺も色々と──

 無茶をやってきたものだが、ひょっとすると未だに日本で警察官を続けていた可能性も

 ──ゼロではなかったんだよなぁ。

 などとぼんやり思うと、つくづく思い知らされるのは人生の不思議だ。それが今では、すっかり敵に成り下がってしまっているのだから、分かれ道の多さの妙という事なのだろう。

 その敵さん達はというと、とりあえず全員後部の荷台で気絶(大人しく)してもらっている。

「強盗致傷と逮捕監禁は、流石にマズくないです?」

 それも相手はよりによって、逮捕権を有する国家権力というおまけつき。

「だから心配するなと言った筈だぞ? こっちがそれ以上(超法規的措置)なら問題ない話だ」

「で、これから何処へ?」

 平時でさえ、警察車両がひしめくエリアの事だ。俺はごまかせるとしても紗生子などは無理がある。いくら機動隊員の装備をつけているとはいえ、

 ──口紅つけてるヤツ(機動隊員)がいるかよ。

 ヘルメットの下からその紅唇が覗いていては、気づかれるのも時間の問題だ。

「おあつらえ向きにも【ハーディー・バラックス】が近いだろう? ヘリを待たせてある」

 米国大使館から南西方に直線距離で約二kmという近さにあるそこは、一般的には【赤坂プレスセンター】と呼ばれており、所謂一般的な米軍基地と何ら変わらない。本国の要人が東京を訪れる際に、経由地として使われる事数多。併設のヘリポートには、近隣の米国関連施設との間を連絡するヘリが頻繁に飛来する。東京に馴染がない人々の目には映りにくい、都心部の密かな米軍拠点の一つだ。

「そういう事でしたか」

「分かったら急げ。短距離とは言え、機動隊の車に私なんかが乗っていては目立ち過ぎるだろう。一応着込んだこれ(出動服)は気休めに過ぎんし、いい加減臭くて敵わん」

 という紗生子の言はもっともであり、

 ──確かに臭い。

 のはともかく、その目つけと根回しは流石の一言に尽きる。


 更に数分後。

 日本の警察車両だというのに、機動隊員の格好でそれに乗ったままの紗生子がプレスセンターの入口で一言二言発したかと思うと、門があっさり開いた。ここから先は事実上の米国だ。日本警察も簡単には追って来られない。

 ──やれや、れ?

 一安心も束の間。目の前に現れたのは、戦車すら運ぶ事が出来る大型ヘリ【CH-47(チヌーク)】だった。

「ヘリって、あれですか?」

「そのまま乗り込め」

 という事は、

「ここで引き継いで終わるモンかと思ってましたが」

「──な訳あるか」

 よって、冒険はまだ続く。

「今このまま外へ出たら、それこそ何を言われて捕まったモンか分からんだろうが」

 近隣では先程来、サイレンの吹鳴音でやたら賑やかだ。俺達を捜しているのか、それとも別件か。知った事ではないが、紗生子の言う通りだろう。出ない方が良さそうだ。

「まぁ、そうですね」

 ヘリの後ろは既に口を開けていて、あんぐり俺達の乗る車を待ち構えていた。その尻に取りつけられたスロープをゆっくり上がって機内に入ると、早速何人かの米兵が足回りにしがみついてワゴン車の固定作業に入る。それを確かめた紗生子が、

「やれやれだったな」

 と、愚痴を吐きつつ降車すると、早速機動隊員の繋ぎを脱ぎ捨てた。

「君も脱いでいいぞ」

「は、はあ」

 下には普段着(ワンピース)を着たままの紗生子だが、それでも女が着ている物を脱ぐ所作というのは、ついドギマギさせられてしまう。実に小気味良く、さばさばとしたその立居振舞は、単に男らしいという事なのだが、それをやるのが紗生子なら妙な色気を感じるのだから不思議だ。愚かな男の本能が、そう思わせるのだろうか。

 ともかく、言われた通り俺も脱いで、それを車の後ろに投げ入れ運転席に戻ったところで、早くもけたたましいローター音と共にヘリが浮上し始めた。流石に後ろで轟沈している連中も目を覚ますだろうが、気がつくと猿ぐつわまでされており、すっかり往生モードといったところだろう。

「これから何処へ?」

「分かるだろう?」

 普通、飛行中のヘリの中の騒音はそれなりひどいもので、インカムでもない限りまともな会話は出来ないものだ。が、俺達は日常的に、CC謹製の特殊なそれ(・・)をつけている。ガジェットキー兼用マイクやイヤホンは、周囲の雑音や会話の音量を自動補正してくれる優れ物で、何とも便利なものだ。

「横田ですか?」

「学園を襲撃した連中も、順調に捕獲したそうだ」

「やっぱり襲われたんですか?」

「美鈴がいるしな。レジオンにしてみれば一石二鳥だろう?」

「戦力が分散するタイミングを狙われたって事は──」

 やはり、学園にスパイが紛れ込んでいる。

「──誰だと思う?」

「明さん、じゃないですよね」

「あの男は(アン)家生え抜きの護衛だ」

「そんな感じはしましたが──」

 それ以外となると、まるで見当がつかない。

「実は外出自体が、襲わせるための罠だったのさ」

「──やっぱりですか」

 そういう事は「予め説明が欲しい」と、いつも訴えている俺なのだが。

「君はすぐ顔に出るからな。それに土壇場になればなる程強くなる。その特性を活かしたまでだ」

「特性って言われても──」

 その得意気な笑みのせいで、俺の心臓は毎度緊張に晒されては、いじめられている訳だ。

「まぁ後は横田に着けば分かる事だ。とりあえず臭い消しをしないと敵わん」

「臭い消し?」

 そんな俺のおうむ返しなど聞く気もなければ答える気もない紗生子が、助手席側からいきなり俺に抱きついて来たではないか。

「なっ──!?」

 が、その顔を俺の胸に押しつけたかと思うと、跳ね返るようにまた上げ直したその玉顔のあちこちが、苦情を言わんばかりに歪んでいる。

「君も臭うぞ!?」

「そりゃそうでしょ!? 俺も同じ物を着てたんですから!」

「つくづく使い勝手の悪いヤツだ」

「何ですか!? そのつくづくってのは!?」

「つくづくはつくづくだろうが!」

「そもそも人を臭い消し代わりって、どうなんですかそれ!?」

「どうもこうもあるか! 私が嗅ぎたいから嗅いでるだけだ! そもそも私のような女に嗅いでもらえるんだぞ? 光栄だと思わんのか?」

 言っている事とやっている事が勝手過ぎて、つき合うのがバカバカしくなり放置していると、

「──またお預けだ」

 と、追加で紗生子が、訳の分からない事を呟いた。


 横田のハンガーに降り立つと、驚きの結果が待っていた。学園襲撃組の方の搬入(・・)は、既に終わっていたのだ。やはり犯人グループが乗りつけたワゴン車を使ってそのまま乗り入れたようで、学園と横田の近接性がその早さの最大の要因だろう。が、それにしても、実に効率よくやってのけている。マイクとワラビーが凄い事は分かるが、俺と紗生子同様に、多勢に無勢の状況だった筈だ。であるにも関わらず、襲撃犯達が嫌に整ったまま(・・・・・)捕獲されている。

「どうした?」

「いや、どうやって今の学園の状況で──」

 これ程穏やかに(・・・・)制圧出来たのか。俺と紗生子のように、

「乱戦だった筈でしょうに」

 如何に籠城戦(・・・)だったとはいえ、戦力はたったの二人。状況を考えれば、地理的有利などあったものではなかった筈だ。

 そんな中、俺達が捕獲した連中が、ハンガーの前でアイドリング中の【C-17(グローブマスターIII)】に粛々と収容される様子を訳知り顔で眺める紗生子は、

「どうやったんだろうなぁ?」

 と、あからさまに白々しい。

 似たようなケースとして、俺と紗生子が学園内に二人切りだった、年末年始の休業中の折の襲撃事件が思い出される。が、あの勝利は、学園内に敵以外の第三者の介在及びその配慮を要さなかった事に加え、地の利を活かして派手な立回りが可能だった事による薄氷の勝利だ。紗生子に聞けば、必然だと言い張るのだろうが。

 それを──

 今時分は、長期休暇中でもなければ学生寮には生徒達がいるし、残業中の教職員もそれなりにいた筈なのだ。つまり襲撃側の人質になった筈であり、見捨てる事など出来なければそれこそぶっちゃけた話、精々足枷になった筈なのだ。が、そうはならなかった。

 ──と、いう事は。

 一番考えられるのは、

「外周班の応援、ですか?」

 それに限らず、CCの本部や他班からの応援だ。が、やはりそれを、

「私が借りを作りたくない主義なのはよく知っているだろう?」

 という紗生子は、確かに頑な過ぎる程それを求める事を嫌がっている。

 どうせ──

 つまらないプライドの押し引きでもやっているのだろう。その辺の詳しい事情は知った事ではないが、俺の頭でも言える事は、CCはあくまでも非公開の諜報機関という事だ。それが何を根拠に民間の学校法人に侵入(・・)して、敵を撃退する事が出来るというのか。つまり、アンが留学中の学園の絶対防衛は、確かにCCの達成目的だが、だからと言ってそれを表向きの活動根拠としてまかり通せない事情がある。アンの留学もCCの存在も、そもそもが極秘扱いだからだ。やるなら隠密裏にやらねばならない。にも関わらず、学園内に生徒や教職員が多数在校していた状況下で応援などと。

 まぁ確かに──

 考えてみれば、安直に言えたものではない。

「それにあくまでも外周班は、周辺の情報収集と状況把握が任務だ。中には乱闘に向かない者もいる。が、いつぞや言ったように、糊や鋏は使い様。用途は少なくとも絶対に必要だ」

「あくまでも糊は糊、鋏は鋏だと?」

「全ては私の判断だ。本気で危ない時は、当然加勢を頼む」

「じゃあ、年末の襲撃の時は──?」

「あれは私の因縁絡みの、殆ど私戦だったからな。それに外周班もみんな正月休みだったんだ」

「何でまた、そんな極端なシフトを──」

 今の学園は、CCの重要拠点の一つの筈だ。それをまさか、

「──ホントにたった二人で守っていたとは」

 紗生子は、その時の片割れだった俺に対してすら休暇を出しており、「旅行にでも行って来い」と言っていたのだ。それを思い出すと、今更ながらに寒気を覚える。

「一人でも大丈夫だからそうしたのさ。それを何処かの心配性の誰かさんが、勝手に手伝った気になっているだけだろう」

 ──素直じゃねぇなぁ。

 と思っていると、

「まぁその気持ちは嬉しかったが。──と、これは素直な気持ちだ」

 と、またしたり顔だ。

「ちょっと脱線したが、今回も同じ理屈だ」

「はあ」

 つまり、確固たる何かがあったという事のようだが。

 ──にしてもなぁ。

 警察官の偽装こそしていなかったが、学園で捕獲された連中も黒ずくめ戦闘服姿であり、如何にもやる気満々だったようだ。捕らえられた一個分隊の面々の中には、やはり明の分隊員が混ざっており、レジオンとの混成部隊だった事が窺える。決して甘くはない相手だった筈だ。が、その何れもが、実に綺麗なまま捕まっているという不思議。それが揃いも揃って、ワゴンの中で実によく寝ているという奇妙。

 ──ガスか。

 こうも綺麗に、しかもまとめて落とすにはそれしか考えられず、それを可能にする手口とは、

 ──裏切り?

 としか思えない。となると、

「明さん、ですか?」

 またそこに戻る。

「ヤツは裏切られた口であって、今回も美鈴の護衛でしかなかった」

「──ですよね」

 安家生え抜きの護衛のその揺るぎない忠誠心は、それを裏切った分隊員達なら目の当たりにしている事だろう。その明が、襲撃犯達を抱き込むために一時でも美鈴を裏切る呈を見せるなど、双方共々有り得ない訳だ。

「あれはあれで任侠肌だしな」

「ひょっとして縁が──」

「縁も何も、美鈴が必ず引き連れているヤツだからな」

 とんだ腐れ縁だ、と吐き捨てる程の間柄、という事らしい。

「美鈴に私を頼らせたのも、明の教唆(きょうさ)だろう」

 隊員の裏切りを察知し、渡米を目前に控えた美鈴の周辺がきな臭くなるや否や、紗生子を頼らせた。

「こっちにはアンがいる。対米強硬派からその妨害を命じられたレジオンにしてみれば、秘密外交を企むその二人が集うんだ」

 つまり、

「シンガポールの再来ですか」

「こっちにとってはいい迷惑だ全く」

 だからこそ、留守を任せた明にも

「当然、美鈴の死守を任せただけだ」

「じゃあ──」

 誰の手際で、こうも見事に捕獲したのか。ますます謎は深まるばかりだ。

「──もう出るようだぞ」

 さっさと収容を終えたC-17が早速離陸する。何処まで行くのか知った事ではないが、本土(米国)へ向かうのであればアンカレッジかホノルル経由だ。空荷ならロスまで届くだろうが、積載にゆとりがあるにせよ

 今回(・・)は──

 荷がある事でもある。

 その大型輸送機で、日米を巻き込んだ国際クルーズ船のシージャック事件のためにハワイへ向かった時は、節分が過ぎたばかりの寒い春先だった。

 あれから──

 もう四か月。気がつけば蒸し暑さに喘ぐ六月は、一年の折り返しだ。

 ──早いなぁ。

「さて、一休みするか」

 と、満足気に語るその魔女は、気がつけばいつも隣にいる。そんな、俄かに妙な感慨にふける俺の横で、

「何か食いに行くぞ」

 と言う紗生子は、相変わらず淡々と素気ない。

「え? 大使館で晩餐じゃなかったんですか?」

「今更何を言ってるんだ。誤情報(ガセネタ)に決まってるだろうが」

 と、踵を返すと、呆れた勢いとしたものか。米軍基地内だというのに堂々たる闊歩だ。

「はあ?」

 それすらも、敵を(おび)き出すための策だったらしい。外出先が米国大使館なら、その周辺が検問塗れでも違和感はない。それに扮した敵が紛れ込むその裏をかいた、という訳だ。

「とはいえ、それなりに遅くなる事を見越して、ベルには晩飯を用意させていないからな。アンのヤツが大使館でメシを食う事に変わりはない」

 その後、大使館の車で学園まで送ってもらう手筈なのだとか。

「これ以上、我らが危険を冒して出向く理由はないだろう?」

「じゃあ、佐川さんはどうするんです?」

 検問を突破した車だ。何の容疑だか知らないが、それこそ警察に手配されているだろう。

「何でも人に聞くんじゃない。あれは高坂の執事だぞ? 一々君に心配されるような迂闊を踏むと思うか?」

「いえ」

 確かにそうだが、いつもよくしてくれる御仁を見捨てるようで、放置は不義理に思えてならない。

「ホント心配性だな君は」

 と、愚痴を吐く紗生子のその足は、佐川さんの事に構う様子は全くなく。米軍の拠点の中だというのに、まっすぐ食事処に向かっている。

「だって、いっつも教えてくれないじゃないですか」

「だってもクソも、君はすぐ顔に出るだろうが! それこそ今の自分がどんな顔をしているのか分かっているのか!?」

「どんな顔って──」

 と言われても、いつもの顔だと思うのだが。


 それがよく分かる瞬間は、その僅か数分後に訪れた。

 紗生子のセレクトでやって来た基地内の喫茶店の一席に、

「佐藤先生!?」

 が、入店したばかりの俺達に向かって愛想を振りまいているではないか。

「何で? いつ退院したんですか!?」

 と、驚きっ放しの俺に構わず、

「ああ、外野は気にせずやろう」

 という紗生子は甚だ失礼だ。

「外野!? 今、外野って言いましたか!?」

「いつまでも幼稚なヤツは、私にとって外野だ」

「そりゃ確かに俺は、あなた方のように知恵は回りませんけどね──!」

「そうですよ主幹先生。周りの人を押し退けて勝手に囲った人(・・・・)をそんな風に言っちゃ」

 それをやんわり(たしな)める佐藤先生は、やはり俺が知るその人で間違いない。が、

「迂闊なヤツだから、そうせざるを得なかったんだよ!」

「あらぁ、そうでしたっけ? 結構積極的に動いてたの、主幹先生の方じゃありません? 研修旅行で前撮り(・・・)なんて、普通やりませんよ?」

「だからあれも、この男の迂闊の尻拭いだろうが!」

 そんな俺の疑問を置き去りに、二人の才女が喧々諤々している。

「実は私、二重スパイでして」

「こら!」

 紗生子が止めるのを構わず、佐藤先生が言うところによると、去年から万来を調査していたらしい。

「それって──」

「──何処かの誰かさんが、警察にマークされ始めた頃からですけどね」

 警察以外にも、万来のエージェントが散見されるようになったため、

「際どい任務ですけど、まぁ表向き(・・・)鬼嫁(・・)振りをひけらかしている主幹先生の頼みとあっては、お断りする訳にも参りませんので──」

 いよいよ機が熟した今春、万来側に飛び込んだらしい。

「この教育実習中に、他のエージェントを手引きする役を仰せつかりましてね」

 で、別人になりすまし、万来側のエージェントとして密かに学園に再潜入したとか何とか

「──と、言われましても」

 別人(・・)の見当が全くつかない。

「何を言ってる。英語科でいつも面倒を見ていたのは何処のどいつだ?」

「──あ」

 授業慣れしていたあのか細い女学生(・・・・・・)か、と今更ながらに思い当たる俺だ。

「変装はCCのエージェントの嗜みだ。少しは君も見習え。それ以前にまず君の場合は、すぐ顔に出る癖を直さんと話にもならんがな」

「またすぐそうやって。そのわざとらしい憎まれ口が、何とかの裏返しですよ」

「何とかとは何だ! 何とかとは!」

「だって、旦那さんのためでしょ? 今の私の任務って。やけるなぁホント」

「全部まとめてカタをつけるためだそんなモン!」

 と、テーブルを平手打ちした紗生子の、その思いがけない力強さのせいで、俄かに店内の目が集まる。

「──で? 何か報告があるんだろうが?」

 わざとらしく紗生子が喉を一つならすと、それを受けた佐藤先生が、

「二人の時はイチャイチャしてるくせに。せめて私の病名(・・)は、耳障りのいいものにしといてくださいよ?」

 などと、今春の出張時、紗生子によって【いんきんたむし】で入院という不名誉を賜った俺の何処かを皮肉りながらも、髪を振りほどいてつけていた簪を卓上に置く。佐藤先生ご愛用の平打簪だ。

「今日はつい、キツめに結っちゃったから頭痛くて」

 と、顔をしかめつつ髪を撫でる佐藤先生の別の手が、同時に小器用な別所作で簪の頭を引っこ抜くと、

 ──あ。

 と言う間にそれが極自然な流れで指に弾かれ、そのまま卓を叩き終わったばかりの紗生子の手中に滑り込んだ。かと思いきや、いつの間にかまた同じ簪の頭を手にしている佐藤先生のその手が、慣れた手つきで髪を結って、一息のうちに簪が元の位置に落ち着く。

「へぇ──」

 その瞬間芸は、まるで何かの

 ──手品みたいだ。

 と思った俺は、やはり紗生子が言う通りの、能無しの外野でしかなかったようだ。

「相変わらず、目つけだけ(・・・・・)はいいな全く」

 こちらの先生の手際の良さはちょっとしたモンなんだがな、と苦る紗生子に、

 ──見惚れる間抜けな男が多いだけなんじゃねぇのか。

 と、吐こうとしたが止めた。紗生子とは、また一味違った美容を持つ佐藤先生だ。それこそ迂闊にそれを持ち上げ過ぎて、もう一方の絶美(・・)がヘソを曲げでもしたら。面倒以外の何物でもない。

「──何だ?」

「いえ別に」

「──ってのは含みなんだよ普通は」

「だから何でもありませんって」

「それもだな」

 ──あ、そうか。

 ふと閃いた。大体が、紗生子とやりあっても勝てる訳がないのだ。それなら

 こういう時は──

「──何だか感じ悪いんですよ最近」

 と、手近な第三者を巻き込めばよい、と気づく。

「あら、じゃあ離婚すれば宜しいんじゃありません?」

 すると、

「何だそれは!? 感じ悪いのはどっちだっ!?」

 などと、予想外の紗生子の食いつきだ。また同じ手で卓を平手打ちするが、その時には既に簪の頭はない。

「すぐ怒鳴るんですよ」

「そんなの、今日始まった事じゃないじゃありませんか?」

「──後で覚えてろ貴様」

 と言うが、イラ症の紗生子が後回し出来る訳もなく。獣が唸るような声と共に卓を叩いた手が、今度はいつの間にか俺の尻をつねっている。

「いや、痛い痛い! もうやってるじゃないですか!」

「そうやって、相変わらず仲が宜しいんですね、お二人さんは?」

 と言われると、何だか際どい任務に身を投じている佐藤先生に悪い気がしてきて、同時に尻をつねる手も怯んだようだ。

「さぁ、いい加減何か頼みましょうよ。お腹すいちゃった」

「──何か無理してませんか? お身体は大丈夫なんですか?」

 という俺のそれは、佐藤先生の現任務に対する心配だったのだが、

「ちょっとやだもう先生ったら! まだそんな事言ってる!」

 そこがまた憎めないんですけど、という本人にはぐらかされた。

「だから君に心配される程みんな柔じゃないんだよ。いつまで経っても分からんヤツだ」

「そうですよ」

 と、ケタケタ笑ってくれた佐藤先生が注文したのは、いつぞやの俺も食ったハンバーグステーキを二人前だ。が、サイズ感が明らかに記憶と相違しており、

「ア、アメリカンサイズですけど」

 と口走ったところで、注文主に噴き出された。

「米軍さんなのに日本人みたい。──あ、アメリカって変ですよね。ハンバーガー大国なのに、ハンバーグ単体では食べないなんて。だからこれも、日本文化との融合の、一つの形なんでしょうね。あ、ハンバーグはドイツか。ははは」

 などと、陽気にそれを突き始めたかと思うと、後はたわいない世間話と共にあっと言う間に平らげてしまう食いっ振り。病気ではない事は分かったが、しばらくするとその人は、

「ではまたお会いするまで──」

 ご機嫌よう、などと、煙に巻くように立ち去って行った。そこは俺のよく知る、流石のくノ一振りだ。


 その後。

 四人掛けのテーブル席に紗生子と二人で居残った俺は、尻をつねられないよう(はす)に座り直すと、引き続きゆっくり食い物を突く時間を与えられた。在日米国大使館に逃れたアンと、ここ(横田)で合流するらしい。

「今頃はアイツ(アン)も、いいモン食わしてもらってるんだ。遠慮する事はないぞ?」

 と言われた俺が食っているのは、カルローズ米のカリフォルニアサラダだ。

「いや、今晩はまだ飛び回るかも知れませんし」

「用心深いのは感心するが、それじゃ足らないだろう?」

 と、紗生子が、自分の食っているグリルチキンサラダを何切れか俺の皿に置いてきた。先程まで荒れ気味だった機嫌は、どうやら直っているらしい。

「代わりに少し貰うぞ」

「あ!?」

 と、入れ替わりで俺の使っているスプーンをぶんどると、全く気にする事なく勝手に俺のプレートの米を強奪する。

「ケチケチするな。肉をやっただろう?」

「いや──」

 そうではないのだが、それを

「どうせ間接キスがどうたらなんだろうが、大の男がみっともない」

 とあっさり指摘してくれる紗生子の方こそ、実に男らしいと思うのだが、当然それは禁句だ。

「主幹こそ、サーロインを食べられると思ってたんですが」

「まぁ量を食いたい時もあるが、基本的には質重視だ。年を取ると油物はやはりキツいしな」

 などと、それこそ口に出来たものではないが、追加で実に年寄り臭い事を口にする。

「その点ベルは、本当によくやってくれている」

「そうですね」

「ここ一年、私の筋骨が溌剌さを維持出来ているのは、殆どアイツのお陰だ」

 と、紗生子が他人を手放しで褒めちぎるのも珍しいが、その偏屈者と偽装夫婦になってからというもの、俺の晩飯も作ってくれるその人(ベルさん)は実に料理上手で本当に助かっている。スパルタチックな俺の食生活に、実に様々な工夫と食べ方を教えてくれたお陰なのだろう。春に受診させられた健診の数値は、近年で一番よかった。実際に体調もいい。

「今食ってるこれも、ベルさんが教えてくれたんですよ」

 が、店で危うく言えたものではないが、ベルさんの方が明らかに美味かったりする。

「──学園が心配です」

「マイクとワラビーが残ってるから大丈夫だろうが、まぁ早く帰ってやらんとな」

「はい」

 その学園を襲ってくれた連中は、万来のスパイと化した佐藤先生の手引きによって正門を潜った瞬間、その佐藤先生のガス攻撃によって轟沈したらしい。

「つまりは裏切りって事で」

「連中の言い方だとそうなるな」

 よく考えれば、今日は高等部の教育実習最終日だった。

「打ち上げがあったんじゃ──」

「当然断って、熱心な実習生の体裁で居残りしていたのさ」

「そんなところまで──」

 重ね重ねも際どい任務の佐藤先生は、当然CCの装備品を一切つけていないらしい。

「見つかるようなヘマはしないだろうが、仮に見つかればタダじゃすまんからな」

 念には念という事で、学園内でも接触は最低限だったとか。

周り(・・)がそれを台無しにしちゃ悪いだろう。それを命じた私は、その分だけ責任が重い」

「そう、ですね」

 俺など、そんな迂闊を踏みそうな筆頭だ。事情を聞けば聞く程、紗生子が俺に重要事を明かしたがらない訳が理解出来てしまう。

「何か、すみません」

 俺はこの女に、何度同じ事を言ってきたのだろう。

「重荷を背負う人間は少ない方がいいのさ。それに君は既に背負い過ぎだ」

「そんなことありませんよ」

 この女に比べれば俺の荷など。精々俺が背負える分でしかない。俺の首でどうにかなる事が殆どだ。が、多くの者の上に立っているだろう紗生子はそうではない。それをいつも、最後の最後で思い出す俺は高が知れている。が、

 それが分かってるくせに──

 この女は、何度も同じ愚痴を吐く愚かな男を、最後は決まって飽きもせず慰めてくれる訳だ。それがまた一段と、

 ──情けねぇなぁ。

 と冷静に理解出来たところで、愚痴も卑下も堪えてみる。すると紗生子が、

「大使館の車で、こっち(横田)に向かっているそうだ」

 と、俺のコンタクトにアンのメッセージを転送してきた。

「大丈夫でしょうか?」

「日本の警視総監風情が、アメリカ相手に正面から喧嘩を仕掛ける度胸があるとは思えんがな」

 外交特権を有する大使館の車とは、つまりは事実上の米国だ。それが理解出来る人間ならまず手を出さない。こういう時だけは、そうした常識に詳しいヤツが頭である事に少し安堵する。

 それなら次に、

「佐藤先生は、大丈夫でしょうか?」

 単独行動のその人が気になった。

「だから最終日の捕り物だったのさ」

 万来側の闇バイトのような学生はまさに目眩しで、本命はまさかの美鈴が連れて来た護衛とは、敵も中々やってくれるものだ。その手口から何重にもエージェントを送り込む、波状攻撃のような周到さが窺えたものだったが、

「今回のはとりあえず小手調べだな。こちらの出方を調べるにはちょうどよい、美鈴の護衛達だった訳だ」

 合わせてレジオンに与する現職警官が何人か消えただけで、万来側は無傷に近い。

 因みに明を除いた美鈴の護衛は、権力闘争に巻き込まれた娘の周囲の不穏さに気を揉んだその父安首相が、ここ数か月間で慌てて掻き集めた即戦力重視の護衛であり、忠誠心も何も持たない金で雇われただけの傭兵達だったとは、後に明から聞いて知った事だ。後日、

「それでも主人の責は重い!」

 と言う紗生子から、ネチネチ説教を受けた美鈴は、大ベソを掻いて泣かされたというから、そうはいっても少女は少女としたものなのだろう。

 そんな折、

「まぁ、垢落とし(・・・・)も終わったようですし、気兼ねなくおいでなさいな」

 などと、まるで全てを見透かしていたかのような相談役の招きもあって、美鈴と明は八月の渡米までの約二か月を高坂宗家でつつがなく過ごす事になるとは、また別の話。

「本格的なスパイ工作を仕掛けてくるエージェントは、また次回のお楽しみなんだろう」

 それでも佐藤先生の身の安全を確保するために、一応別命を帯びたエージェントの介在の有無をじっくり見定めた上での、今晩の作戦だったのだ。

「明のヤツも薄々気づいてはいたが、やはり佐藤のネタの角度の良さだ」

 捨て駒のような扱いの中でそれを見極める佐藤先生にして、それを陰ながら背負う紗生子のタフさを改めて痛感させられる。

「佐藤の裏切りに気づく間もなかったろうな。君も見ただろう? 一〇人を相手に、手際の良さが際立つ仕事振りを」

 その獲物は綺麗さっぱり、アンを狙った罪で全員米国行きだ。

「まぁ流石は、元HRTのエージェントだと言っておこう」

「ぶ!」

 思わず啜っていたコーヒーを噴き出してしまった。

「何だ!? みっともないヤツだな!」

「いや、だって──」

 それ以上は、むせて言葉にならない。

 紗生子がわざわざ口にしたそれは当然、特殊部隊が山程ある本国の【LE(Law Enforcement)=法執行機関】系特殊部隊では最精鋭にして、軍特殊部隊同等の精強さを誇ると名高いそれの事だろう。そのHRTとは、元を辿れば、

「FBIの?」

 というから恐れ入る。

「他にもそれ(HRT)を略称としている組織は世界を探せばあるだろうが、それ(FBI)以外であの女に似つかわしい部署があると思うか?」

 今や様々な物語でその名を耳にする事が多くなったFBIの、そもそも何か凄いのか。それは一言で言えば、採用試験のレベルの高さだ。特別捜査官と呼ばれる日本で言うところの司法警察職員に相当する連中の採用試験は、本国(米国)では弁護士になるよりも難しい。弁護士や法務博士などの肩書きを持つ高学歴の法律家である事が、基本的な受験資格となるのだから当然だ。そんな連中が採用試験を受けて、最終的に採用されるのは僅か数%という狭き門なのだから、それ以上の説明はいらないだろう。短期間だが、日本の司法官憲の端くれだった経歴を持つ俺から言わせれば、聞いただけでその求めるレベルの高さに頭が痛くなりそうだ。

 そんな組織の捜査官が志願して選抜される、LE系特殊部隊最高峰のHRT(人質救出チーム)とは、つまり文武両道の典型以外の何物でなくて何なのか、と言いたい。

「──でもHRTって、軍の特殊部隊経験者でも応募出来ましたよね?」

「何だそれは? まるで軍の特殊部隊の連中が、如何にも脳筋だと言いたげだな?」

「いや、そうじゃなくて──」

 元グリーンベレーの紗生子に、驚きついでの迂闊がつい出てしまう。

「──まぁいい。佐藤はFBIの生え抜きだ。今はNBSのエージェントだしな」

「げ」

 今度のそれは、911(同時多発テロ)を経験した米国が、その後大統領の肝入りで新設したFBI版公安部の事だ。

「一応君と同様、日本の内閣府に出向の形をとってはいるが、本当は兼務だ」

 FBI兼在日米国大使館兼CC、なのだとか。そうだとしたら、

「俺が来る(赴任する)必要なかったんじゃないですか?」

 米国側の責任者は、何処の馬の骨とも分からぬ俺なんかではなく、佐藤先生で十分だった筈だ。

「何を言ってる。公安が目立つような事を積極的にする訳がないだろう。佐藤はアメリカ側の裏の補佐役だ。表向きのアメリカ側責任者の君が、本国との連絡調整をせずともやってこられたのは──」

 その裏側で、全部佐藤先生が処理してくれていたらしい。

「──そう、だったんですか」

 だとしたら、俺は救いようのない間抜けだ。

「じゃ、じゃあ今回の犯人の移送なんかも──?」

「TPOで調整しながら、捕獲した連中を日本が調査するか、それとも国外犯としてアメリカが引き取るか。そんな事の一切は、私と佐藤と日本側の裏の補佐役の蕨野で都度協議して処理していたんだよ」

 やはり最後に追加で出てくるそのギャルは、あれで出向元が外務省というから、いくら驚いても驚き足りないというか。

 ──もう訳が分からん。

 一つ言える事は、やはり俺の周囲は優秀な女塗れだったという事だ。結局今回もその甲斐あってか、表向きには現職警官を拉致監禁したショッキングな事件は全く表沙汰にならず、日米間で粛々と処理される事になる。

「闇のうちに米中の御令嬢(アンと美鈴)を捕獲出来れば、高千穂の勝ちだったんだろうが──」

 これで少しはヤツも大人しくなるだろう、と言う紗生子の言う通り。日本では司法官憲界の雲上人といえども、天下の米国に睨まれては玉座の座り心地もさぞ悪かろう。

「しばらくは保身で、さぞ忙しかろうて」

「それが落ち着けば──?」

「当然、次がある。どんな手でくるか知った事ではないが、次は現地調達の捨て駒じゃない、自慢の大駒を投入してくるだろうな」

 それまで一休みだ、と言う紗生子は何処までの事が読めているのか。かと思えば今度は、肉や米を喰らいながらも、

「それにしても体たらくは教頭だ」

 あんな漠然としたネタで情報屋気取りとはな、とバカにしている。

「──あ」

 それを聞いて、間抜けな声と共に思い出すのは、俺の古傷(・・)の事だ。

「とは言え、ヤツの立場も色々辛いんだろうから、君の指紋を渡しておいた」

「ええっ!?」

「当然、赤の他人の、それこそ真っ赤な偽物をな。一応アレでも、高千穂の命を受けて学園に潜り込んでいるヤツだ。定期的に手土産の一つも持たせてやらんと、途中で消されでもしたら君の兄(・・・)に悪い」

 その追加の一言で、また要らぬ事を思い出してしまった。それをわざわざ言う紗生子の事だ。何か意図したものでもあるのだろう。が、行き当たりばったりの、それこそ紗生子の言葉を借りるならば遠謀というものを全く出来ない俺に、そんな深読みなど当然出来る訳もなく。

 こんな事だから──

 いつも憎まれ口を叩いてくれるこの魔女のさりげないフォローが、時間差で染みてしまう訳だ。

 そんな事を考えていると、千里眼を持つ女の指示で今春から全ての指先につけているキャップ型の指サック(ガジェットキー)が、何となく熱を帯びてきた。俺には分かりもしない近未来的素材のそれは、様々な環境下で指を守り、抜群の装用感を誇るというのに。

 警察に追われている俺だ。紗生子も教頭も、俺の生体データの保護に気を配っていた。にも関わらず、日常に塗れているとそれを忘れがちになる迂闊。CCの指サックは、そんな俺の迂闊を陰ながら守ってくれている。自分で言うのも何だが、俺に対する紗生子の、決して悪からぬ思いのようなものが、じんわりとした温もりとなって伝わってくるかのようだ。

 ──いかんいかん。

 何か妙な気になりそうなので、

「誰の指紋を渡したんです?」

 とりあえず、素直に気になったそれを聞いてごまかした。実際、場合によっては俺の事で、その人間に迷惑をかけてしまう事でもある。

「警視総監殿の弟御(おとうとご)()さ」

「元外相の!? 一体いつ──」

 何処で、と言いかけて止めた。昨秋その息子隆太の事で、何度か面を合わせた御大尽だ。紗生子が盗み取っていても何ら不思議ではない。紗生子でなくともスパイなら、そうした機会を逃さないだろう。やはり俺は、重ね重ねも外野という事だ。

「まぁご愛嬌だ。教頭も仕事(・・)をしているように見えるだろう?」

「そんな雑な仕事振りで、教頭は大丈夫なんですか?」

「なぁに、CCを甘く見たあの兄御(あにご)は、慢心祟っていきなり余裕がないんだ」

 そのどさくさ紛れの皮肉、というヤツらしい。

「それ大丈夫ですか?」

 敵の怒りに油を注ぐような気がするのだが。

「仕事は楽しくと言うじゃないか。それにマズいようなら、それこそ裏の補佐役が上手くやってくれる」

「はあ?」

 佐藤先生やワラビーが手を回すらしい。

「良い意味合いでは補佐だが、悪くは監視だ。業界常識だろう?」

「まぁ確かに」

 そうやって似たような組織同士が、何処かでバランスをとろうとするのは確かによく見かける。

「つまりはあの二人は、私の部下であり監察だ。上司は辛いとしたモンだが、これでも一応ヤツらの助けを求める程耄碌(もうろく)していないつもりではある」

 ──と、言われてもなぁ。

 監察とか耄碌などと、それはどんな基準なのだ。いくらアンを守るためとは言え、白昼堂々学校でミサイルをぶっ放したり、一目で男を籠絡する魔性のアラサーの、何処をどうとればそんな文言が出てくるのか。全くの意味不明だ。要するところシンプルに、住む世界が違うのだ。そんな連中の事なら、

「心配無用だ」

 と、紗生子が全部を締めてくれた。

「はい」

 つまり、素人の俺の方に心配が集中してしまうのも、当然としたものなのだ。

「ただ──」

「何だ? まだ何かあるのか?」

「佐藤先生、授業上手いなぁ」

 本職ではない筈なのだが、そこは教養の深さという事なのだろう。俺と同じく、どう見ても日本人にしか見えないその人も米国籍とは、

 世の中ホント──

 分からないものだ。などと人ごとのように他人を指摘していると、その次の日の夜。寮の風呂場で出くわした隆太から、思いがけない事を突っ込まれた。

「うわ!? 先生、そのケツどしたんスか!?」

「何が?」

 尻に何か所か、青いあざが出来ているらしい。

「──あ! まさかその年で蒙古斑っスか!?」

「な訳ねぇだろうが!?」

「先生ってホント、アメリカ人に見えないっスよねぇ。それこそ医者(奥さん)に見てもらったほうがいいんじゃないです?」

 それ程目立つようだ。

 ──通りで。

 いつまで経っても地味に痛いそれは、まるで魔女の呪いというか何かの悪い術のような。

「──ああ、そうか。その都度(・・・・)見てもらってるかぁ」

 羨ましいなぁ、と勝手を抜かし放題の隆太に、

「その奥さん(・・・)につねられたんだよ!」

「寝床でですか?」

「寝言は寝て言え! あの大奥(・・)が簡単にそれ(寝床)を許すと思うか?」

 などと言い返したところで、煩悩に頭を囚われた若き血潮は何も隆太だけではない。これが【いんきんたむし事件】に続く俺の不名誉として、校内で盛大な拡散を遂げるザマとなった事は、最早説明を要しないだろう。

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