連休の乱闘③【先生のアノニマ 2(中)〜6】
「作戦開始!」
紗生子のその一言で、周囲が様々な方向に急展開した。途端に今座っていた所が機銃の餌食になる。背後の建物へ飛び退った米中の集団の動きは流石に早かった。が、合わせて周囲の客までもが、悲鳴こそ上げているがそれなりの動きで避難しているように見えるのは気のせいなのか。
あっと言う間に直上へ肉薄したハインドの名を持つMi-24は、上空でホバリングに入ると段取りよくも兵員を降ろし始めた。攻撃ヘリにしては大型のそれは、ヘリボーンを想定したヘリであり、
「まぁ、一個分隊程度だろう」
と言う紗生子は、珍しくも物陰で様子を窺っているだけだ。その紗生子の言う通り、黒ずくめの装備品で固めたいけ好かない連中が合計八人降りて来ると、今度は、
「確保!」
と発したその鶴の一言で、一緒に物陰に隠れていた数十人の客達が、機敏な動きで黒ずくめの降下地点を取り囲んだ。これまた当然、各々銃を構えている。
「シンガポール警察に応援を頼んでいたのさ」
その容貌を見ると、ここ何日かの行く先々でバカンスを楽しんでいた中国系観光客とは一線を画す、南アジア系の顔つきだ。とりあえず水着だったりシャツだったりを着用しているが、小柄ながら如何にも弛緩のない屈強そうな身体つきをしているその面々は、
「──グルカ部隊ですか」
それが一個小隊を超える規模で展開していれば、これ程心強い連中も中々いないだろう。その練度は、
「敵に回したくないだろう?」
「ええ」
紗生子にそう言わしめる程、一人ひとりが精強なレンジャーだ。ネパールが誇る世界最強の呼び声高きその戦闘集団は、元を辿れば大英帝国軍の一翼を担った事で知られ、今も尚英連邦諸国と繋がりが深い。シンガポール警察もその繋がりの一つだ。当然、
「形勢逆転ですね」
黒ずくめ達は、渋々ながらも両手を上げる。すると、如才なくも分が悪い事を察したヘリが、仲間を見捨てて離脱し始めた。
「あれは潰しとかないと、後々厄介だな!」
そこでようやく紗生子の出番だ。嬉々として物陰から躍り出たかと思うと、待っていた分だけの憂さ晴らしとしたものか。何といつの間にかその肩に、
「M72──!?」
という型番を持つ、対戦車ロケット弾を担いでいるではないか。
「耳を塞げ!」
と言われるまでもなく、慌てて口も開けたところでバックファイヤー一閃。逃げ始めた矢先のヘリを見事に捉えると、轟音虚しく揚力を失ったそれが、火炎と共に儚げに落下していった。
「うわ」
驚く俺の横で得意気な紗生子が砲弾の残煙を纏うそれは、既視感ではない。
相変わらず──
とんでもないその女が、黒ずくめ達が制圧される様子を眺めつつも口を開いた。
「第七艦隊の倉庫で転がっていたヤツを借りたんだ。とは言え、返したところでもう使えんが」
砲筒共々使い捨て弾なのだから当然だ。シンガポールにはその隷下の一部が司令部を構えているのだが、どうやらそこの事を言っているらしい。
「こんなモンを海軍が?」
「兵站所があるんだろう? 大方、二昔前の中東絡みの揉め事の余りモンさ」
それはいいが、落下地点は大丈夫だろうか。と思っていると、リンクされている紗生子のコンタクトが、下で周辺を封鎖している車両群の上にヘリが落ちるザマを捉えていた。何処のカメラをハッキングした映像なのか知った事ではないが、一見して剣呑な雰囲気で雑然と集まっていたそれらの車は、武装集団の別働隊だろう。
「勝手に出入口に蓋をするからだ」
と、ほくそ笑んだかと思うと、せっかちな紗生子の事だ。屋上での一瞬の局地戦の決着を確かめたかと思うと、その余韻に浸る事なく今度は、
「後始末は頼んだぞ!」
と、アンやエリカなどに扮した女達に言い置くなり、風を纏って一目散に駆け出した。聞くまでもなくこの影武者達もCCの現地職員なのだろうが、
──ホント女が多いなCCは。
などと、うつつをぬかす暇などあったものではなく。気がつくと腕を引っこ抜かれて、
「わっ!? ちょっ──!?」
と、その竜巻女と一緒に走らされている俺だ。
「またな! みすず!」
驚く俺に構わず、船のデッキを模した屋上の、その舳先へ突っ走る紗生子に、
「気をつけて!」
と、殊勝気な返事をした美鈴の声があっと言う間に遠退く。動きやすさを考慮したらしい紐つきサンダル姿の紗生子だが、リゾート仕様の開放的な軽装に反比例したかの如き俊敏さは、冗談抜きで舌を巻いていないと噛み切ってしまいそうな疾走劇だ。
更に驚くべきは、その十数秒後。
「飛ぶぞ! ゴロー!」
と叫んだかと思うと、いつの間にか手にしていた手提げ鞄のような物を通過様のドアノブに引っかけた紗生子が、何と勢いそのまま空に飛び出したではないか。
「うわっ!?」
ホウキで飛ぶ魔女は知っているが、それが鞄というのは
──聞いた事がねぇ!
最早どうしようもなく一緒に宙に飛び出した俺は、堪らず紗生子の首根っこにしがみつく。
「つ、捕まっても──」
「許す!」
俺の悲鳴のような申し出を上から被せた紗生子の片腕が、力強くも俺の腰に巻きついた。気恥ずかしさからこれまであえて触れなかったが、プールサイドでくつろいでいた俺達は当然水着だ。一応ラッシュガードのような物を重ね着してはいたが、その密着度は只事ではない。その玉体にしがみつく事は普通至極としたものだろうが、状況は極めて悪魔的だ。が、飛び出した時こそ勢いがついていた落下速度は、時間に比例して落ち着いていく。解けていく鞄がブレーキとなっているらしく、その仕様を当然とした紗生子が
「この土壇場で許可をとるとは流石だな」
と、口を開いた。それを命じたのは紗生子なのだが、今はそんな事をぐずぐず言っている場合ではない。
「まともに降りられないんですか!?」
「下から攻め上ってくる別働隊と鉢合わせになるからな」
「そりゃそうですが──」
「数に任せて撃ち合いでもして建物を壊しても悪い」
結局、二〇〇mもの高さを怪しい鞄一つで降り切ってしまったそれは、スリングロープを袋形状に纏めた緊急脱出用の偽装品らしい。それが展張レベルギリギリまで伸びて俺達を地上に軟着陸させたかと思うと、その瞬間で紗生子の手をすり抜け、はち切れんばかりの勢いで上空へ戻って行った。
「裏と表を押さえて逃げ道を塞いだ気になっている、間抜け共の隙を突いただけの事だ」
「これって──」
何かの映画で見たような気がするのだが、
「──どっちが元祖で?」
降り着いた先は天国でも地獄でもなく、意外にも狙い澄ましたかのように下に止まっていた車の上だ。
「息抜きはまだ早い。次は運転だ」
「──ですか」
気がつくと、開いていたサンルーフから車内にそのまま滑り込んでいて、運転席に座らされていた。これも紗生子の手配によるものである事は、聞くまでもなさそうだ。同時にエンジンが勝手にかかり、如何にも高級感のある重低音を律動的に奏で始める。そのアクセルの踏みしろを確かめながら周辺道路に出ると、紗生子がコンタクト上で逃走経路と共に車のスペックを出した。
「ベン○レーですか」
「この国では人気があるそうだ」
そのバカっ速い車らしい。一二気筒六Lツインターボの八速AT。六〇〇馬力で最高速三〇〇kmオーバーという化け物だ。
「殆どF1じゃないですか」
「君の愛機に比べればゆりかごみたいなモンだろう? 離陸するイメージでベタ踏みしろ」
「ホントに飛べれば捕まらないんでしょうけど」
大抵の国の道路には、制限速度というものがある。が、指示された逃走経路は、チャンギ空港が終点となる【イーストコースト・パークウェイ】経由の約二〇kmで、制限時間のオーダーは何とたったの五分。
「シンガポールは時速二五〇kmでもいいんですか?」
そんな訳がなく、つまりは軽い当てつけだ。
「速度違反なら外交上の超法規的措置だ。問題ない」
「はあ」
紗生子などはそれを良い事に、ヘリを撃墜したとでも言いたいのだろう。既に相当のやらかし具合であり、交通法規を気にしたところで大悪の後の小善でしかない。
「ぐずぐずしていると追いすがってくる。キックダウンしろ」
「了解」
ちゃっちゃとホテル傍の高速入口に滑り込んでアクセルを踏み抜くと、流石の高級スポーツクーペの車内でも、エンジンの咆哮とタイヤの悲鳴が耳をついた。一瞬でメーターが右に振れるが、
まあ──
俺に言わせれば、客車は客車だ。
「戦闘機のマニューバ並みに回していいぞ」
「車が持ちませんよ」
とは言うものの、一〇秒かからず二〇〇km/hを超えている。市販車なら立派なものだろう。
「私の事なら遠慮は無用だ」
「車なんで、そのつもりです」
昨年度末の海外出張では、俺のテスト機にタンデムしたという無茶な女だ。少々のGで弱音を吐く訳がない。紗生子ならそれこそ、いきなりF1でも耐えられるのではないか。それが客車の事なら遠慮は無用だ。
「そうか」
どうやら紗生子も物足りないのか、小さく嘆息した。
「確かにアルベール程ではありませんが」
「いや、そうじゃないんだ」
スパイ仕様の紗生子の車は、確かに踏んだ分だけ答えてくれそうな力強さがある。が、
それを言ったところで──
今はない物ねだりをしても始まらなければ、とりあえず逃走だ。ルートは来た時の反対であり、コンタクトを見て辿るまでもない。それでも一応、カーナビやドラレコで経路上の情報や周囲に気を配っていると、紗生子がまた
「──そうだな」
と、小さく漏らした。不意の吐露を思わせる今度のそれには、得心のようなものが滲んでいるような。
「猫を被る馬など聞いた事がないな」
「はあ?」
「普段は頓馬だが、やはり馬には乗ってみるものだ。わざわざ猫の皮を被った頓馬は、実は空陸問わずの天馬という事だな」
「頓馬は頓馬ですよ」
何を言い出すのかと思えば、そんな事を考えていたらしい。
「まさに長年私が探し求めていた優駿だ」
大方自分はそれに見合う名将、とでも言いたいのだろう。確かに先程来、通過車両を文字通りのごぼう抜き中で、常人なら喋るどころの騒ぎではないのだが。そこは流石に、ロープ一本で高層ビルから飛び降りるような女という事だ。ビビるどころか逆に
──素?
を思わせる素直さのようなものが垣間見える。それにしても人の事を頓馬とは、甚だ余計なお世話だ。俄かにそんな不満を巡らせる小物の横で、豪放磊落を絵に描いたような紗生子は、
「お陰で私は射撃に専念出来る」
などとぬかしては、口角を片方だけ怪しく上げ、例によって先程ヘリを撃墜するのに用いたM72LAWを準備している。予め用意させていたのだろう。こういうところの周到さは、流石と言わざるを得ない。
「大抵の男は普段は偉そうなくせに、いざとなると腰砕けばかりだ。その点、その逆をいく君は本当に興味深い」
「は、はあ」
犬馬に飽き足らず、何やら酒肴の要素も追加されている俺は、今後どういう扱いを受けるのだろう。既にこの時点で偽装の夫だというのに、だ。少しずつ魔女の中で存在意義が増している俺の行き着く先は。任務を終えた時、それはどう終わるのか。そもそもがこの波乱含みで、任務を遂げる事が出来るのか。そんな雑念を膨らませていると、不意に悪寒を覚えた。
──そりゃそうだ。
エアコンから吐き出されている風量が只ならない。何せ常夏のシンガポールだ。涼は最良のもてなしとくれば、車が気を利かせたのだろう。
「エアコンを弱めてくれないか?」
と独り言ちると、やはりついていたAIが恭しく返事をして、それを弱めてくれた。
「そういうところもな」
「はあ?」
「物に対する親和性の高さがいい。私の近習に相応しいステータスだ」
「頓馬ですけどね」
という突っ込みとは裏腹に、思いがけなくも好みを語った紗生子のその言葉の響きに、エアコンを弱めた筈の俺がまた密かに身震いする。それを察したらしい紗生子が、
「素直じゃない頓馬を名馬にする人間は限られるのさ」
物は使いようと言うだろう、と、わざとらしくも鼻で失笑した。バカにされるのはすっかり慣れたものだが、それにしてもこの高速で、何とも余裕のある事だ。非日常が日常のようなこの女に、
──素もクソもあるか。
と、脳内で密かに前言を撤回する。
「生憎と、駿馬を頓馬と間違える程愚かじゃないぞ私は」
「他に芸がないだけですよ」
「自分を卑下するなと、何度も言って聞かせたろうに」
「だって他はホントに何も。それこそ鶏の鳴き真似も出来ない只飯食いですから」
「その芸当は私には無用だ。私の辞書に逃走の文字はない」
ではこの状況は、
──何だって言うんだろ?
とは、当然聞かない。が、魔女ともなると、俺の秘語など筒抜けだ。
「これは移動であって逃走じゃないぞ?」
という指摘ついでで、
「──私だ。あと二分で着く」
などと、独り言を吐き始めた。空港で待ち構えている誰かに連絡をしているのだろう。
「着いたらすぐ飛べ──よし、そのまま待機しろ」
全て手筈通りといったところらしいが、そんなに全部が全部
──上手くいくモンかね。
確かに速度は安定して二五〇km/hを超えている。乗り物違いだが、俺が乗っていたテスト機と比べると雲泥の差の、実によく出来た優等生だ。とはいえ、走った事もない国の夜道には、
──撒菱が落ちていたりするんだよなあ。
それを避けながらの暴走は、口で言う程簡単ではない。
電話が終わったらしい紗生子が、それに合わせたように、
「鷹の目とはよく言ったものだ」
と鼻で嘆息して、感心のようなものを示した。
「コンタクトを使えば似たような事は誰でも──」
「無理だな。それこそF1ドライバーかラリーストを見るようだ」
俺の両足運転を見ての言だろう。紗生子の方こそこのドタバタの中で、足元なんぞをよく見たものだ。
「流石にじゃじゃ馬に関しては、人物問わず乗り慣れているな」
それは確かにそうなのだが、今は紗生子の自虐につき合っている場合ではない。それは撒菱と一緒にスルーしたが、
「少しずつ間引いているような──」
そんな撒菱だ。
「相変わらずコミュ力は低いな」
三途川と並走していれば誰だってそうなるものだが、そんな肝の太さまで規格外の魔女が、今度は然も退屈そうに嘆息する。
「今はゴールを目指すだけですよ」
「大船に乗ってつい気が緩んだだけだ。全くいざとなると手厳しいな君は」
その冗談こそが信頼の証とでも言いたいようだが、今はとにかく構っていられない。
事実先程来、路肩に止まっている車が増えている。先行している順行の一般車両が、トラップに気づかず先に踏んでくれているからこそ、こちらは事なきを得ている状況だ。ホテルでは派手に襲撃してくれたというのに、高速では地味と言うか。
「出口で張ってますね、これはどう考えても」
俺が気づく事だ。紗生子が気づかない訳がない。
「何個班かの合同作戦なんだろうな。派手なヤツがいれば地味なのもいるのさ」
外国人が旅先の有事で頼るといえば、まずは大使館だ。それはアンの場合にも言える事だが、旅行目的が目的だけにそこへは飛び込みにくい。となればアンの場合、次に頼るは米軍基地だ。昨夏のハイジャック事件以降、空路は軍機に依存しているアンは、今回も事実上の軍機で来ている事でもある。ピンポイントでホテルを襲撃してきた連中なら、そんな事情も、
「ゴールも当然バレバレでしょうし──」
それなら敵としても、人員は有限なのだ。下手に右往左往されて逃げ惑うのを追い回すより、少しでも有利な条件下に追い込んで迎え撃ちたいだろう。
「──計算高い撒菱の他は?」
「他のインターチェンジの封鎖と後詰めの追い上げですか」
空港手前の出入口以外は使えないよう封鎖する。で、気持ちよく逃げさせておいて、
「終点で袋叩きです」
「敵にもサディストがいるんだろう」
「これでヘリがいたら流石にヤバかったですね」
いくら何でもヘリはもう打ち止めだろう。他国で何機も使える物ではない。
「やはり叩いておいて正解だったという事だな」
褒められて嬉しいぞ、と実に白々しい紗生子だ。
冗談はさておき──
どうするか。とりあえず撒菱は躱せても、封鎖された出入口は、現状強行突破以外に打開策が出てこない。
結局高まる──
バズーカ砲頼み。
「冗談はさておき、孟嘗君も君を欲しがった事だろうな」
「はあ?」
この土壇場で、俺の脳裏のフレーズをわざとらしくもなぞってくれる紗生子が、時間差でその史上の偉人を口にした。実は脈絡は少し前にあったのだが、俺の自虐を改めてはっきりと、重ね重ねもわざとらしく指摘してくれる。
「この速度で路上の撒菱をミリ単位だ。CCでもここまでのヤツはいない」
「無用の長物でしょう?」
俺が見てきたCCのエージェントとは、紗生子を筆頭に撒菱を踏み続けても動じない豪快さと、最後に帳尻を合わせるしたたかさを持った曲者ばかりだ。
「だから孟嘗君が欲しがるのさ。時には荒事を避けたい時もあるからな」
──よく言うよ。
少なくとも、既にヘリを撃墜している人間の言う事ではない。先程来チラついていたのは、鶏鳴狗盗の故事だ。それに絡んだ彼の偉人は、古代中国は春秋戦国時代の戦国四君の一人に挙げられる英傑で、特に人材コレクターとして名を馳せた。一芸を持つ者を師と仰いでは客分として抱え、全盛期には三〇〇〇人もの食客を擁したその中には、盗人までいたと言われる。鶏鳴狗盗は、そんな盗人と物真似に長じた食客が主人の九死に一生を見出した時の逸話なのだが、要するに、
「この場は鶏の鳴き真似をしても乗り切れそうにないんですが」
そんな無用の長物も使い様、と言う事らしい。
「だからさっきも言っただろう。私に逃げる術は必要ない。名馬がいれば十分だ」
紗生子にしては随分と持ち上げてくれるのがどうも、
「──気味が悪いか?」
と、やはり見透かされる。
「まぁ英傑の気持ちはよく分かるからな」
その何気ない一言が、それこそとんでもない時間差を伴って俺の後頭部を殴りつける事を、この時の俺は当然知らない。が、とりあえず今はとにかく逃走だ。紗生子も切り替えたらしく、
「後詰めの連中と遊ぶための武装は用意してないからな。速度任せにぶっちぎれ」
と言うが、その足元にはバズーカが三つ転がっている。言っている事とやっている事が文字通りの支離滅裂のような気がするのだが、言っても無駄だ。もう同じノリでいくしかない。
「それに、これ以上の応援はない」
シンガポール警察の応援は、全部マリーナリゾートに注ぎ込んだらしい。美鈴が囮になった事を慮ったようだ。今頃は、マリーナリゾートを下から攻め上った敵方の別働隊の連中も、シンガポール警察の後詰めの応援部隊によって制圧されているだろう。
「今回の相手は悪名高い【Legion】だ。少なからず因縁があるみすずを、どうにかされる訳にもいかん」
その悪名を轟かす連中こそが【万来】の素顔であり、今回の襲撃犯だった。
万来グループは、世界の発展途上国を中心に数十か国で事業展開している。それを支える事務スタッフだけで一〇万人を数え、人材を派遣出来ない事業の方が少ないとまで言わしめる巨大人材派遣会社だ。その中に安全保障分野に特化したグループがある。それこそが本業の表向きの姿であり、その中核はたった今、紗生子が口にした闇の武闘派組織だ。
その整った陣容から【軍団】と呼ばれるようになったその闇こそが万来の原点であり、黎明期こそ一般的な賭博、薬物密売、人身売買など、よく耳にするマフィア稼業を生業としていたのが、今や政府機関向けの諜報や裏稼業まで担っているというから、これが敵に回っているならば実に質が悪い。香港に本社を構え、中国国内では政権中枢にまでその魔手を伸ばしつつある、闇社会の一大勢力だ。そしてそれは、
「君もよく知る連中だろ?」
と紗生子が言う通り、その面倒臭い連中と俺は、少なからず因縁があった。そしてその因縁は、俺と警視総監を結びつけたりする。
──めんどくせぇ。
それはいつまで経っても、喉の奥から苦い物が込み上げてくるような忌々しい過去だ。そうした連中の辞書に、未来思考の文字はない。紗生子の言葉を借りるならば、未だにプライドと命が同等の価値だと思い込んでいる時代遅れの拗らせ屋。とはつまり、死ぬまでお互いが交互に苦い肝をねぶり合っては、延々と復讐を繰り返す泥沼の構図だ。そんな憂いが、
「はあ」
と、また俺に冴えない溜息を吐かせる。それを見事に、
「みすずと違って君の場合は四六時中私がついているんだ。心配するな!」
と、笑い飛ばしてくれる紗生子だ。
──そりゃ激しく逆だ!
余計災いを引き寄せる気がするのは気のせいではない、と思う。
美鈴が囮になる代わりに、俺と紗生子以外の日米サイドは空港に逃れており、既に機上だ。ちょうどインテリが運転手で来ていた事をこれ幸いに、米空軍の誼みで予めチャーター機を空軍施設内へ避難させておいた。世界中にその存在を知らしめる米軍の例に違わず、シンガポールには二〇世紀末以来米空軍が常駐している。チャーター機はマークされているだろうが、いくら世界に名を馳せる悪党とはいえ、いきなり米軍相手に喧嘩を仕掛ける事はないだろう。インテリとイーグルのビジネスジェットのセットは、旅行前からそこを見越した紗生子の差配だった訳だ。
日米の子供代表は避難させた。その代わり囮になった中国代表の万全を期すのは当然の事だ。その責任を果たすためのこの殿稼業は、外交のような大事を子供に任せる大人の、それこそ最後のプライドのようなものかも知れない。
「最後の砦が現れたぞ」
と言う紗生子が、コンタクトでロックした映像が俺の視野にも共有される。空港間近にある長いストレートは、有事においては臨時滑走路として使われる設計なのだそうだが、その手前のジャンクション付近でトレーラーと数台の車が進路を遮っていた。事故を装っているのだろう。その周りに列をなして固めている武装要員は、どうやらシンガポール警察の特殊部隊にでもなりすましているつもりのようだ。が、それにしては紗生子が合わせて傍受したらしい、連中の無線通話の広東なまりがひどい。
「やはり詰めは甘いな」
多民族国家のシンガポールは四つの公用語を持ち、中国語もその内の一つだ。が、その中国語というのは普通話であって、広東語圏で使われるそれではない。確かにここ何日かの滞在で一部ではそれも聞かれたが、少なくとも公職につく人間がそればかりを使っているのはどう考えても不自然だ。
「そのようですね」
一般的には余り知られていないようだが、世界の名だたる軍の特殊部隊員の大抵は、派兵先でのなりすまし作戦に備えて複数言語の語学スキルが必須だったりする。それを軍人というだけで【脳筋】などと、甚だ心外だ。それは恐らく元グリーンベレーの紗生子も、少なからず感じている事だろう。
「さて、あれを排除して突破だ」
と、事なげに吐いた紗生子だったが、何せ今は公道F1状態だ。瞬く間に封鎖ポイントとの距離が詰まる。目前に迫る輩共の数は、一見して一個小隊規模。コンタクト内の接敵予想の秒読みは、既に一〇秒を切っている。
「二射分の時間を稼いでくれ」
と、また淡々と言った紗生子が、そのまま不用意にサンルーフを開けてくれるので、
──危ねぇ!
と、こちらは慌てて急減速だ。するとそれを当然とした紗生子が、早速助手席の座面上に立ち上がる。と、事もあろうに、その御御足の片方を俺の股間に落として来たではないか。
「な──!?」
つべこべ言わずに支えろ、と言う事のようだ。その玉体を自ら預けて来たのだから
許可、は──
いらないのだろう。すかさず片腕を回してその生美脚を固定してやると、その稀有の肉感で妙な気が起こる間も無く、流石の早業の紗生子が使い捨てバズーカを二発、速射して見せた。多勢の敵の油断を突いたその強烈な先制パンチが、トレーラーとその傍の車にヒットし、袋に穴が開く。同時に上がった爆炎で敵が怯んだ。
「今だ!」
勇ましく下知するなり弾力に富んだその英姿が車内に滑り込んで来たかと思うと、今度は助手席ではなく、何故か運転席の俺の膝上に落ちて来たではないか。
「うわっ!?」
何でこっちに、と後の句を吐く前に敵の網は三秒先。だが、
「ま、前が──!」
見えない。
「そのまま突っ込め!」
「うは!」
堪らず吐いた勢いでアクセルをまた踏み込むと、轟音と火煙が一瞬纏わりついたが、あっという間にそれが遠退いた。どうやら突破したらしい。
「や──」
やれやれだ。すぐに気を取り直して、リンクしている紗生子の目でジャンクションを米空軍用地方面へ向かう。
「上出来だ。借り物の車を無傷で返せる」
今更それを漏らす紗生子だが、その目によると先の進路に敵の姿はなく、今ので打ち止めのようだ。それならいい加減、
「──隣りの席に戻ってもらえませんか?」
戦闘モードの緊張と入れ替わりで、玉体に密着する身体のあちこちが別の緊張に襲われ、これはこれで敵わない。が、
「一息ついている時にケチな事を言うモンじゃない」
などと、何故か恨み節のような言葉と共に、追加でヘッドロックされてしまった。
「さっき首根っこにしがみつかれたお返しだ」
「ぐえ」
腕やら胸やらの肉感に合わせて、その健康美が惜し気もなく発散する芳烈が只事ではなく、とりあえず溢れた生唾を、喉を鳴らして一飲みだ。お陰で息が追いつかず、
「うはぁ」
と、我ながら無様な声が漏れ出る。
「いい声で鳴くじゃないか。そんなところも名馬としたモンか」
結局、そのまま空港内の軍用ハンガーまで乗りつけさせられた時の他の面々の反応は、あえて言うまでもないだろう。
その二日後。
シンガポール時間で五月三日は、それよりも一時間進んでいる東京時間でも同じ日だ。カレンダー通りに休めば、大抵飛石連休になる事が多いゴールデンウイークだが、企業や学校によっては稼働効率の観点から、その間の平日も休みにするところが一定数存在するものらしい。
──打って変わって、平和だなぁ。
という我らが学園も、その例によって何連休だかの何日目かを迎えている。年によってはカレンダー通りでまとまった連休になるため、そんな年はそのままなのだそうだ。が、今年のような飛石の時は、大抵後ろの週の休みを前倒しして埋めるらしい。で、結局のところ、
──あと何日休みなんだぁ?
そんな事もろくに把握していない俺は、我ながら学園職員失格だ。
結局といえば、シンガポールは滅茶苦茶だった。紗生子はあれで調整したと言っていたが、今思うと確かにそうだったのかも知れない。あの時こそ紗生子は何も言わなかったが、以前言っていたようにCC行く所に武器庫あり、だ。例え急襲されたとしても、精々それをシンガポール政府に無許可で使い倒した事だろう。要するに、あんな有様でもシンガポール側に慮ったという事だ。駐留している米軍の武器しか使わなかった事が、その証左でもある。
急転直下で対応を迫られたそのシンガポール側は、そうは言っても初動から対応出来たのだ。後々考えれば筋書きが分かっていた分だけ、ストレスは軽減出来たに違いない。只それでも紗生子の後始末には、それなりの労を費やした事だろうが。それでも軽かったと考えるべきだ。
軽かったと言えば、子供代表の面々もまたそうだろう。もし急襲されたならば、勝手知ったる学園の防衛戦のような余裕など有り得ず、殲滅戦に突入した筈だ。いくら大人びた子供達とはいえ、凄惨な状況にどの程度耐えられたものか。それを思うと作戦が計画出来ていた事は大きい。が、レジオンの組織力を思えば、これで終わる事は考えられない訳で、全くもって忌々しい事だ。
その輩共がアンと美鈴のどちらを狙ったのか。或いは両方だったのか。何にせよ、荒っぽい手口は実戦経験の豊富さを裏づけるもので、それこそどこぞの平和国家の特殊部隊より使えそうな勢いだったのだが、それもその筈としたものか。
「中国政府の要請を受けての作戦行動だ」
とは、紗生子の情報筋経由でもたらされた捕虜の申し開きだ。どこのテロリストだか知らないが、外交使節を狙うという情報が中国政府にもたらされたとか何とかで、それを受けての極秘作戦だったらしい。
「我らはそれを邪魔した事になっているそうだ」
「なんちゅー言い訳ですかそれは」
だが世界は、そんな訳の分からない論法で発生する争い事に溢れていたりする。
「国際基準だろ」
それこそ外交上の超法規的措置を狙った言い訳といったところなのだろうが、色々と突っ込みどころ満載の妄言には最早呆れる外ない。
「それなりの入れ知恵が入ってるところをみると、まぁ無罪放免だろうな」
「そんな──」
バカな事がまかり通って良いのか。何がどうなったら、あれが許されるのか。
「許されるというより、手が出せないのさ」
レジオンもそうなら、応戦した紗生子も相応にやらかした。その落とし所が紆余曲折を経て、そんな事になるらしい。
「中国国内の対米強硬派も、それなりの規模って事だろう」
と言う紗生子は、やはり俺の横にあるビーチチェアで踏ん反り返っていて、何故か俺はその傍に侍らされている。
「シンガポールは中立外交をモットーとしているが、水の自給すら儘ならない、いろんなところの押し引きで成り立っている小国だ。物質的な損害の請求で精一杯だろう」
確かに米中の争い事を背負うには、国家としての厚みに乏しさを感じざるを得ない。
「まぁ、もう済んだ事だ」
と言う俺達は、何故かハワイにいた。
「済んだ事なんですか?」
「ああ。次はどんな手で攻めてくるモンだかな」
「やはり次がありますか」
「初顔合わせから殴り込んで来たんだ。引き下がると思うか?」
特に最後の最後は、敵のプライドを正面からぶっ潰したようなザマだったのだ。
「あんなモンでへこむような連中じゃ──」
「──ないだろう?」
「はあ」
次は更に苛烈になるのか、はたまた巧妙になるのか。考えるだけでも気が滅入る。
「間抜けなモン鼻につけて、何をまた辛気臭い面してやがるんだてめぇーは?」
と、そこへひょっこり現れたのは、海パン姿のテックだ。
「感想戦ですよ」
「何だそりゃ?」
「天才的な直感で何でも何とかしてしまう中佐と違って、この男は意外に努力型の人間なのさ」
「そんなモンですかね?」
と、あのテックが、紗生子に敬語を使っている。幽霊船の面々からしてみれば、紗生子は海将補だ。当然といえば当然なのだが、それは階級詐称に気づいていなければの話。テックを始め、クルーは皆それに気づいている筈なのに何故なのか。誰もそれを問いただそうとせず、まるで触れてはならない公然の秘密のような扱いがされているそれは、ひとえにそうさせる紗生子の凄さという事なのだろう。
ハワイ・オアフ島南東部にあるベローズ空軍基地は、訓練エリアと保養地エリアに分かれている米軍の保留地なのだが、後者には知る人ぞ知る【ベローズビーチ】がある。週末には民間に開放されるが、日本ではゴールデンウイークの最中でも、米ハワイ時間では平日の今日の事。周囲に俺達の外は誰もいない。
そんなビーチでは、今春のロシア・ウクライナ戦争開戦前後にアドリア海に極秘派遣された駆逐艦ズムウォルトのクローン艦、通称【ドロシー】の面々が、昼日中からのんきにもバーベキューで盛り上がっていた。普段は愛想のない繋ぎを着込んでいる連中が、Tシャツに海パンで騒いでいるのが俄かに信じられず、白昼夢でも見ているようだ。だからこそ、
「考え事の一つでもしてないと、あの世にいるみたいで──」
それは生き残るための復習でもあり、己がしてきた事から目を背けないための懺悔でもある。
「まぁそりゃあいいんだけどよぉ──」
そんな俺の儀式のようなものを、あっさり一言で片づけてくれるテックは、これはこれで明らかに俺とは毛色が違う陽気な天才肌の凄腕パイロットだ。そういう意味では、人間とは本当に興味に尽きない。
「お前の嫁さんと、みんなが写真撮りたいって言ってんだけどよぉ?」
言われてその視線を追って見ると、少し離れた辺りの林間に、わざとらしく隠れてこちらを窺っているクルー達がいる。今日は、あの極秘作戦に参加した者達を対象とした慰労会だった。
「何だ? アイリスの方はもういいのか? 我らの方は気を遣わなくてもいいぞ。こっちはこっちで楽しんでいる」
やや遠目に見えるバーベキューコンロでは、何と主催のアイリス自らが、セパレート水着にパレオ姿で周囲を悩殺しながらステーキを焼いて振舞っているのだから、白昼夢と勘違いしたくもなる。何せあちらも、確かに齢こそ重ねてはいるが、紗生子に勝るとも劣らぬ美貌の君だ。が、紗生子にかかれば、
「それとも年増は飽きたか?」
と、いとも簡単にばっさり切られてしまう。
──やれやれ。
この自信の源泉を、いつか見てみたいものだ。
「いや、そうじゃなくて。みんな気になってるらしくてその──」
「──私の水着姿が?」
「ええまあ」
という紗生子もまた、セパレート水着で惜し気もなくナイスボディーをさらけ出していた。男なら気にならない訳がない、こちらは脂の乗った垂涎もののアラサーだ。無理もない。
「そういう事なら構わん。今日は無礼講だ」
「よっしゃ!」
と気を吐いたテックが合図を出すと、あっと言う間に数十人が群がった。
──うわ。
意外な人気だ。お陰でアイリスが手持ち無沙汰になってしまっている。
「ちょっと! こっちに集まり過ぎっスよ!?」
「構うモンか。我らは慰労される側だ。この程度であの作戦の労を払った気になっているような分からず屋なんぞ、精々気を揉ませてやればいいのさ」
「しかし──」
その副大統領の周りには、補佐官のクレアとその娘エリカと、アンしかいなくなってしまった。
この慰労会は、シンガポール滞在中に決まったらしい。同好会の初顔合わせの具体的な成果は、あの険悪にしてドタバタの中で、米中がそれぞれ親書を交わして持ち帰った事だ。それを何処かのタイミングで、直接国に持ち帰る必要がある。それが大使館経由では、副大統領の身内の子供を動員してまで行った秘密外交の意味がない。
という事で、当初からこのゴールデンウイーク研修は、実はハワイ経由だった。そこでクレアとエリカの母子が合流して、親書を引き継ぐ予定だったのだ。それにアイリスがサプライズを企画する格好で乗っかった。幽霊船がたまたまホノルルに停泊しており、インテリがチャーター機のパイロットだった事も何かの縁だった訳だ。
──いや。
恐らくは、全て紗生子の掌の上の事だったのだろう。この女は見た目こそ態度のデカさが際立つが、事ある毎の調整力を俺は間近で拝まされてきた口だ。紗生子は何も言わないが、全ては必然だったに違いない。
その必然の断片の一つだったインテリといえば、何とそのインテリまでもが、紗生子の後ろの方で撮影場所の確保に勤しんでいる。
「何やってんですか?」
「何だ? 俺がいちゃ悪いのか?」
「いや、そうじゃないですが──」
どちらかというと矍鑠としてお堅い印象だったこの元上司は、こんなキャラではなかった筈なのだが。
「ワラビーはどうした?」
「はあ? いやアイツは──」
ウクライナに派遣されていなければ、アイリスの親族でも何でもないのだ。流石に基地に入れる訳にもいかず、ハワイの何処かで単独行動という名の短期休暇に入っている。
「──てな事なんですが、それが何か?」
「いや、一人だけ基地の前で追い返したのが気の毒でな──」
「アイツの事なら全く心配ないですよ」
インテリにはあえてワラビーの素性を伝えていないのだが、この時のインテリが何を感じていたのか。分かる訳もない俺が感じていたのは、慰労会に呼ばれた面々の数の少なさだ。
「それよか、みんな何処行ったんです?」
作戦時の幽霊船には、正規のクルーに加えて米空軍の新型戦闘機開発プロジェクトチームが帯同していた。元を辿ればその正体は、アイリスの嫁ぎ先である名門イーグル家の会社【イーグルコーポレーション】であり、その一大軍需大手が抱える極秘開発部門の特命チーム【規格外品】だ。それらが乗艦した幽霊船は、無理矢理軽空母に改修された船である事もあって、居住区画が殆ど潜水艦並みの狭さで難儀していたと言うのに。それが一見して、半分程度しか姿が見えないのはどうした事か。
「ん? まぁ──」
色々とな、と珍しく語尾確かからずのインテリの僅かな違和感が、やはり後々の俺にとんでもない時間差でブーメランとなって返ってくる事を、この時の俺は当然知らない。
襲撃された夜。尻に火がついたままの勢いでチャンギからコックピットに座らされた俺は、結局マリーナリゾートでの軽装のままハワイまで操縦させられ、ホノルル到着と同時にインテリから合格を言い渡された。それは米空軍内での輸送機操縦資格に過ぎないにしても、インテリにしては適当が過ぎると思っていたのだが。
日頃、一般的な軍人よりも圧倒的に危なっかしい局面に晒されている連中の事。無礼講の慰労会ともなると凄まじい。お日様の高い頃から始まったそれは文字通りの酒池肉林と化し、日が暮れて宿舎に会場を移した後も延々と続き、翌朝を迎え全員が轟沈するまで終わる事はなかった。
その修羅場で俺は、
「本国内の基地の中ともあらば、護衛もクソもなかろう」
などと、完全に仕事を忘れている紗生子を始めとしたSっ気の強い面々に取り囲まれては、飲めない事はないにせよ飲み慣れていない酒を無理強いされ、散々つき合わされた挙句最終ラウンドKO。本来なら翌日昼には羽田に向かう筈が、壮絶な二日酔いのためにもう一泊延期を余儀なくされ、どうにか酔いが覚めたその次の日の昼。酒のせいで傷が膿んだ鼻を労わりつつも、ほうほうの体で自らの操縦により東京へ戻った。
結局、今は何日なのか。学校はいつから再開するのか。とりあえず久し振りの学園寮の舎監室で、色々と疲れた心身を受付の椅子に委ねてうなだれていると、
「どしたんスか? その鼻?」
と、聞き覚えのある体育会系の男の声が聞こえた。隆太だ。ちょうど出稽古から帰ったらしい。
「思いの外、ハーレムだったモンでな」
「マジですか?」
「未だに鼻血が出て敵わん。女は恐ろしい生きモンだ」
何せ紗生子は、あれ程の酒池肉林でピンピンしており、テックを始めとしたあの癖の強い連中からますます恐れられるに至ったのだから、重ね重ねも恐ろしい女だ。
「あれは美女の皮を被った猛獣だ」
「はあ?」
つい漏れ出た独り言が噛み合わないついでに、学校はいつから再開なのか尋ねると、
「明日からですよ」
と素直な返事が返って来た。今日はこどもの日らしい。
「しかし、あんな綺麗な奥さんがいるのに、よく許してくれましたねハーレム」
「許してくれなかったから、鼻血が止まらなくなったんだよ」
「何か謎々みたいだな。──あ、そうだ。これ、止血の足しにしてくださいよ」
と言って、立ち去り際に出稽古先で貰ったというよもぎ餅を分けてくれた若き剣豪は、淡々と自室に戻って行った。何とも熟れたものだ。
アンといい隆太といい。年齢不相応に大人びた頼もしさは将来を楽しみにさせる一方で、世間の期待にあおられて生き急いでいるようにも見え、少し気の毒にも思う。
『中々大したヤツじゃないか。ああいう若者の成長に接する事が出来るのが教師の醍醐味だな』
そこに耳の奥から天の声が聞こえてきた。やはり覗かれていたようだ。珍しくまともな事を言うので相槌を打とうとすると、
『その点君は、ホントだらしないヤツだな。いつまで経っても手がかかって仕方ないが、それにしても治療をしてくれる人間を猛獣扱いとは恐れ入った』
精々出来る生徒から貰ったよもぎ餅でも鼻に突っ込んで休む事だな、と悪態を吐かれると一方的に切られてしまった。
いや──
その原因は、紗生子の平手打ちなのだが。当然それが分かっているからこその言い逃げだ。
──いてぇんだけど。
その地味な痛みは、未だに続く関取並みのビンタのせいか、痛飲による疲労のせいか、あるいは両方か。その一方で、鼻の穴を広げては、貰ったばかりのよもぎ餅の突っ込み方を考える俺がいる。
それにしても、後何回こういう事があるのか知った事ではないが、こうも激しい外仕事が何度も続くようでは、いい加減本当に身が持たないかも知れない。




