彼は元夫たちとは違う?
「ああ、もうダメ」
さすがにお腹がいっぱいだわ。
椅子の背にもたれてお腹をさすっていると、大食堂の扉が開いた。
「ユリ」
入ってきたのは、ヴィンスだった。
彼は、まっすぐこちらにやってくる。
(ほんとうに美しいわ)
これまで、男性といえば夫とは名ばかりの元夫たちとお父様と各屋敷の男性の使用人たちくらいしか接点がなかった。外見に関しては、目を背けたくなるような人はいなかった。すくなくとも、わたしの目にはみんなまだマシだったと思う。
彼は、いままで見てきた男性ってなんだったの? と問いたくなるほど美しい。
いえ、違うわね。
彼が特別なのよ。彼が、わたしが出会ってきた男性たちとは根本的な何かが異なるのよ。
彼の薄赤色の髪も、大食堂の複数の窓から降り注ぐ陽の光の中、キラキラ度を増している。そして、緑色の瞳はより深く濃くなっている。
「ユリ、眠れましたか?」
「ごめんなさい。眠りすぎて、起きたらこんな時間だったの」
彼の美しさに気圧されないよう、両肩をすくめながらわざとおどけた感じで言った。
「ハハハ! そうでしたか。ですが、よかったです」
さわやかすぎるわ。
自分が暗ーく感じられる。
「いまからすこし時間をいいですか? ゆっくり話をしたいのです」
「もちろんですとも」
「じつは、すでに裏のテラスにお茶の準備をしているのです。もちろん、チョコチップとプレーンのクッキーを添えています」
「いいわね、それでも、ついさっきお腹いっぱいサンドイッチを食べたばかりなのに。このままでは太ってしまうかもしれないわね」
「ユリ、あなたはもうすこし食べた方がいいですよ。さあ、どうぞ」
彼がまた手を取ってくれたので立ち上がると、そのわたしの手を自分の腕に絡ませ、歩きだした。
そして、古びた屋敷の裏にあるテラスへと移った。
庇があるので陽があたらず、目の前にはバラがたくさん咲き誇っている。
真鍮製の丸テーブルと椅子が設置されていて、そのテーブル上にお茶とクッキーが置いてある。
ヴィンスが椅子をひいてくれたので腰かけると、彼は向こう側の椅子に座った。
そして、自然な動作でティーポットからカップにお茶を注ぐ。
(ローズティーね)
眼前のバラに負けじと、湯気に混じったバラの芳香が鼻腔をくすぐる。
砂糖は断った。
チョコチップクッキーは、わたしの一番好きなスイーツ。だから、せめてお茶に入れる砂糖は控えておきたい。
まぁ、そうたいしてかわりはしないでしょうけれど。
ローズティーもクッキーも美味しすぎる。
「あー、美味しいわ」
嘆息とともにつぶやいていた。
「それはよかった。わたしが焼いたんです」
「はい? これを、あなたが?」
「ええ、そうです。ちなみに、昨夜の料理と先程のサンドイッチを作ったのは母です。わたしは、スイーツ系が得意なのです」
「な、なんですって?」
衝撃的すぎる。
彼がクッキーなどのスイーツを作るというところもだけれど、彼の母親、つまり義母が昨夜の料理やつい先程のサンドイッチを作ったというところがさらに驚きだった。
という以前に、料理やスイーツ作りをみずからしているというところがすごすぎる。というか、ここには料理人やパティシエはいないわけ?
そういえば、この屋敷に来て使用人はまだ侍女のグレイスしか見ていない気がする。いいえ、訂正。ここまで送ってくれた馭者の二人をのぞけば、だけど。
すくなくとも通常は執事がいるし、侍女だって複数いるはず。当然、料理人も。
「あなたたちが? まるでプロね。どれも美味しかったわ」
自分でも「そこじゃない」と思いつつ、言ってしまっていた。
とりあえず、美味しいというところを伝えなくては、とムダに律儀になってしまったのである。
「ありがとうございます。母もよろこびますよ」
彼の美貌にやさしい笑みが浮かんだ。
「ユリ。あらためて、わたしの妻になってくれてありがとうございます」
彼は、言葉とともに頭を下げた。
一瞬、彼の言葉の意味がわからなかった。