嫁ぎ先に到着
正門は、すんなり通過した。
この馬車は、いかにも「王家の馬車です」というような豪華さや派手さはない。それをいうなら、二頭立てで馬車自体も驚くほど大きくはない。さらには、二名の馭者も王家に仕えているようなものものしい服装を着用しているわけではなく、それに似合った気品が漂っているわけではない。そこらの貴族の雇われ馭者という感じである。
すでに夜になっている。本来なら暗いはずだけど、王宮内の車道には等間隔に灯火が灯されていて、昼間のように明るい。
馬車の窓から見るかぎりでは、ずっと森が続いている。
残念ながら、祖国で王宮を訪れたことはない。伯爵家の令嬢として、本来ならとっくの昔に社交界デビューしていなければならなかった。しかし、させてもらえなかった。
義姉だけで充分。外見も内面も悪いわたしは、人前に出せない。
というのがその理由。
それでも、必要最低限のマナーや常識は身についている。すくなくとも、自分ではそう思っている。
十六歳になった頃から義姉の代わりに嫁がされているので、書物や他のレディの所作から学んだつもりになっている。それらが合っているかどうかはわからないけれど。
わたしの場合は、下級貴族や大商人の家に嫁いでいる。たとえマナーがなっていないとしても、不便だったりそれでなにか咎められたり、ということはなかった。そこはさいわいだったのかもしれない。
が、今回はそうはいかないかも。
森を眺めながら、ふと思った。
周囲から蔑ろにされているとはいえ、一応は王子に嫁ぐのだから。
そこまで考えたとき、周囲がさらに明るくなった。
「なにこれ? まるで夜のない国の城みたい」
おもわず、小さく叫んでしまった。
書物で読んだことがある。
どこか遠くの大陸にある国は、夜がないのだとか。その国の城は、つねに光り輝いているらしい。
眼前に現れた宮殿は、それほど光り輝いている。
あまりの眩しさに両手をかざしたタイミングで、馬車は速度を上げた。
(あら、宮殿の前を通りすぎてしまったけど?)
馬車は宮殿の前どころか、それから離れた別の道を進み続けている。
(いったいどこへ行くの?)
馭者台にいる二名の馭者に尋ねてもいいけれど、面倒くさいからやめておいた。
馬車は、わたしの疑問をよそにどんどん宮殿から離れていく。
宮殿の裏には、使用人たちの宿舎らしき建物や食料などの貯蔵庫のようなものが整然と並んでいる。
そこを通り抜けると、また森が広がっている。
馬車は、その森の道へ入って行った。
馬車が奥へ進むと、宮殿の輝きは届かなくなってしまった。
ときおり枝葉の間から射し込む月の光だけが灯りである。
どれくらい走ったかしら。
ついに馬車が停まったのは、立派な屋敷の前だった。
月光の中に浮かびあがっている屋敷は、大昔から使われていたるかのように古びていることがわかる。壁や屋根は蔦が這っており、蔦が這っていない箇所は穴が開いていたりひび割れていたりする。
二階建てで、こちらから見えるかぎりの窓やガラス扉に灯りはひとつも灯ってはいない。
馬車の扉が開いた。
「着きました」
背の高い方の馭者がムッツリと言った。
背の低い方の馭者は、荷台からわたしの荷物をおろしてくれている。
「レディ、どうぞ」
扉の陰から、不意に差し出された手。
その手は、分厚くて大きい。
せっかくだから、その手を取った。
そうして、馬車から降りた。