アカデミー1年生 07
アカデミーは終業式を迎え、夏期休暇が始まった。
セレスタンは自宅の部屋で寝巻きを脱ぎ、鏡を見つめている。ルキウスに言われた紋様とやらを確認するのだ。
「むー…ん?あ、なんかある。薄っすらと…タトゥーじゃない、痣…火傷痕…じゃ、ないよね?」
それは確かにあった。いつから、どこで、何故皇太子が知っている?生涯を捧げるとは…どういう意味か?様々な疑問はあれど…
「考えても仕方ない…とりあえず、隠しとけばいっか!」
彼女は、思考を放棄したのであった。
ラサーニュ家の使用人達は、セレスタンに干渉しない。用事を言いつけられれば無視はしないが、自分から率先して手伝う事はしない。
これは昔伯爵が、セレスタンに関わる人間を最小限にする為「近寄るな、相手をするな」と命じたからだ。
ただそれだけでは無い。天使の如く可愛らしいシャルロットと、根暗なセレスタン。使用人の愛も、その他大勢と同じくシャルロットに注がれる。それでも彼らは堂々とセレスタンの悪口を言いはしないので、学園よりはマシな環境なのだ。
「(昔はそれも寂しいと思っていた。メイドとロッティが笑顔で話しているのを…羨ましいと。今は全然、むしろ笑顔で近付かれるのは恐怖ですらある。
それに誰も部屋を訪ねて来ないのは助かる。完全に気を抜けるしね)」
服を着ながら、そんな事を考える。父親は自分に完全に無関心だし、この家で味方は妹と執事のみ。そしてノックもせずに突撃してくる阿呆はジスランくらい。
彼女は部屋で1人の時は、常に邪魔な前髪を上げて眼鏡を外している。それだけでも、かなり解放的な気分になれる。
着替えも終了し、脱いだ寝巻きを畳みながら…こうして自分に生活を教えてくれた人物を思い出す。貴族というものは、着替え1つ使用人にさせるものだが…当然彼女はそういかない。
だから…自分の世話を出来るようになるまで。ずっと側にいてくれた人がいる。
それはアイシャという名の乳母だった。赤ん坊の姉妹を育て、シャルロットの世話をメイド達がするようになってからは、セレスタンに付きっきりになり色々教えてくれた。
生活だけでなく、男女の違いについてなども。
『男性はこのように胸はございません。いつか坊ちゃんの胸が成長してきたら、こうして隠すのですよ。そして女性には初潮という…いえ、これはまだ早いですね。カリエ先生に伝えておきます』
数々の教えは今、大いに役に立っている。だがアイシャは…セレスタンが6歳の誕生日を迎えた冬の日、解雇されてしまった。
理由はセレスタンが自分が女だという事を上手く隠せるようになったから。着替えや入浴を、1人で出来るようになったから。伯爵が…真実を知る者を遠ざけたかったから。
伯爵が極悪人であれば、彼女は家族諸共殺されていただろう。だがそこまではせず、退職金を与えて遠くの地方に追いやった。出産に立ち会った医師達も同様だ。
アイシャは最後の日… 目に涙を浮かべながらセレスタンを強く抱き締めた。
『私は、何があろうとあなたの味方です。さようなら…お嬢様…!』と…これから先、苦難の道を行く娘を案じた言葉だった。そして別れ際、そっと最後の誕生日プレゼントを渡す。
それは…オルゴールであり、宝石箱でもあった。透き通る水色の箱に細かい装飾、赤い宝石も付いている宝箱。
高価でとても平民が買えるような物ではない。彼女は退職金の一部を使い購入したのだ。
男性が持つような物ではないが…いつかセレスタンが女の子に戻った時。
愛する男性から綺麗な宝石を贈られたら…この箱に入れて欲しい。そういった願いの込められたオルゴール。その日は未だ来ていないけれど。
現在はなるべく目立たない場所、棚の上に飾ってある。男性の部屋には堂々と置いておけないが…仕舞い込んで隠したくなかったのだ。
セレスタンはオルゴールを手に取り、底にあるゼンマイを巻き蓋を開ける。すると綺麗な音色が部屋を包む。
「………お母さん…」
これを聴くたび、育ての親を思い出す。今どこにいるのだろうか。元気でいるだろうか…僕は、ちょっと辛い…。もしも自分が助けを求めたら………
そこまで考えて、蓋を閉じる。そして元の場所に置き…眼鏡を掛けて髪を下ろし、部屋を出るのであった。
※※※
彼女は時期伯爵として、父親の元で勉強をしている。のだが…
父親はいつも、この書類は商会長に、こっちは町長に、それは銀行の支店長に渡せと言うばかり。国に提出する書類は彼に確認してもらえ。この問題は誰に指示を仰げ、渡された書類には全てサインをしろと。
セレスタンは領地に関するちょっとした統計くらいしか触らせてもらえない。
「無能なお前に気を使ってやっているんだ。言われた場所にサインをするくらいなら出来るだろう?」
それが伯爵の言い分だ。普通に考えて、それはおかしい。だがセレスタンは…
「はい。ありがとうございます、父上」
と…疑問も抱かずに返事をするのであった。
当然そんな教育では時間が余る。今日の分が終わってもまだ午前、何をしようかな…と考える。
シャルロットは両親と過ごしたりお茶会に呼ばれたり、習い事をしたりと結構忙しい。セレスタンは習い事も金と時間の無駄だと、何もさせてもらえないのだが。
普段の休日ならば、高確率でジスランがやってきて剣を振るう。それも以前の事故の所為で無くなったのだが…代わりにお茶菓子やらを持って来て、静かに過ごすようになった。そこまでしてシャルロットに会いたいのか…とセレスタンは呆れているが。
まさか自分に会いに来ているなんて…想像も出来ないのであった。
何気無しにカレンダーに目を向ける。休暇が始まって1週間が経つが…ジスランは一度も来ない。もっと入り浸ると思ったのに…もしや、好い人でも…?と考えて。ちくりと胸が痛んだが…気の所為だと思う事にした。
「…よし!折角暇なんだ、今日こそロッティにお祝いあげるぞ!」
頬をペシペシ叩いて切り替える。
愛する妹へのお祝い…贈るのならば喜んで欲しい。でも宝石類は父親からいっぱい与えられているし、そもそも自由なお金はそんなに無い。
安価な…手作り?刺繍とか…ちゃんと教わってないから下手くそだし。楽器を演奏してみる…恥ずかしくて無理。
机に向かいペンと紙を取り出し、案を書いては消してを繰り返し。紙が真っ黒になったところで…
「……バジルの意見を聞こう…」
と、頼りになる妹専属執事に助けを求める事にした。
「え。お嬢様に…贈り物を?」
「うん…期末テストで1位だったじゃない?でも…僕おめでとうって言うタイミング逃しちゃって…!今更だから、何かプレゼントと一緒にお祝いしたくて。あの子が今欲しがっている物、何かないかな?」
「……………………」
シャルロットはヴァイオリンの稽古中。バジルを部屋に呼び、一緒にお茶にしながらそう訊ねれば…彼は遠い目をした。
「あ、あら?バジル……?」
「……………………」
気の所為だろうか、彼の目の下が光っているような…
「(良かった…お忘れになっていた訳じゃなくて…!
お嬢様は坊ちゃんに褒めてもらいたい一心で勉強を頑張って、満点を取られた。でも…肝心の坊ちゃんの言葉が無くてすっごい沈んでいたから…。
両親や使用人、クラスメイトの賛辞は全て笑顔で聞き流してたなあ…)」
今度はキリッとして、うんうん言いながら右手を握った。戸惑うセレスタンを真っ直ぐに見つめ、意見を出す。
「そうですね…坊ちゃんから頂いた物ならなんでもお喜びになるのは確実ですが。食べ物はおやめになったほうがよろしいかと」
「え、そうなの?ロッティが好きな苺のお菓子とか、いいかなと思ってたんだけど…」
「(勿体無くて食べられない!!と確実に生ゴミになります)ま、まあ…小物類辺りが無難でしょうか」
何故食べ物が駄目なのか気になるが、きっと理由があるのだろうと思って聞かないでおく。
小物か…どうしようかな?と唸る。バジルが「一緒に買いに行きましょうか?」と言ってくれたが断った。
彼の仕事を邪魔したくないし、自分で選びたいと思ったから。そう告げると、バジルは笑顔になった。
相談が終わった後も雑談をして、そろそろシャルロットが終わる時間なのでお開きに。バジルは帰り際、セレスタンに言葉を残す。
「お嬢様には…高価な品物よりも、坊ちゃんの笑顔と言葉が一番の贈り物ですよ」
その言葉を聞き…彼女は照れくさそうに笑った。
それでもやはり、何か贈りたい!そう考えて町に行く事にした。付き人も護衛もいないけれど、安物の服に着替えて外に出た。
彼女はいつも、一部の大通りしか歩いた事が無い。大概の用事はここで済むし…あまり彷徨くなと父親に言いつけられているからだ。
久しぶりに歩くと、活気があるな〜と感心する。きっと父上の統治が素晴らしいんだろう…家に来る人達も、皆そう言ってるし!と改めて父親を尊敬する。
それが…表面上のものだけとは知らずに。
町まで来たので、何か食べようかな?と思いパン屋に入った。そこには美味しそうなパンが沢山あり、どうしようかと迷ってしまう。あれもこれも欲しい…でも食べ切れない。それに予算もある。
グランツ皇国の通貨は、銅貨・銀貨・金貨だ。銅貨10枚=銀貨1枚。銀貨10枚=金貨1枚。
平民の平均年収は金貨250枚。例えばパンなら、小さくて安いやつなら銅貨1枚で2つ買える。セレスタンの月の小遣いは金貨5枚だが…大体学食や消耗品で消えるのだ。今は休暇中でその必要は無いので、少し余裕はあるが。
余談だが、シャルロットの小遣いは金貨20枚。しかもセレスタンと違って足りなくなったらいくらでも貰えるのだ。
プレゼントの予算は金貨1枚分。その前に…ちょっとパンで腹ごしらえである。
あれもこれも美味しそうで、なんと10個も買ってしまった。広場にあるベンチに座り、途方に暮れる。1人では精々3つしか食べられない…持って帰っても、夕飯もあるし…
とりあえず1個もしゃもしゃ食べながら、人々が行き交う姿をぼーっと眺める。2つ目に手を伸ばそうとしたら…何か視線を感じた。
「?…………ん?」
ベンチから10m程離れた所…花屋の脇の裏路地から、セレスタンをじっと見つめる子供がいた。
男の子と女の子で、恐らく10にも満たない年頃。恐らくというのは…彼らがガリガリすぎて、正確な年齢が分からないのだ。
「(すごくガリガリだし…服もボロボロ、靴も履いていない…。まさか、浮浪児?
でもロッティと父上と出掛けた時、馬車の上から同じような子を見たけれど。父上はロッティに「彼らはちゃんと帰る場所がある」って言ってたし。
…孤児院から逃げて来た?それとも、虐待…?でもきっとすぐ保護されるだろう)」
不審に思ったが、父親がなんの対応もしていない訳が無い。セレスタンはそう結論付けた。だが…
このラサーニュ領において、浮浪者・浮浪児は珍しくない。シャルロットやセレスタンが見ているのは、町の中でも一握りの上流層だけなのだ。その証拠に一本違う道を行けば、暮らしは全然違う。
綺麗に整備されて笑顔が溢れる大通りとは違い。汚れていて不衛生な土地で、家も無い人々が。奴隷のように働き身体を売る人が…この領地では大勢いる。
今パンを凝視している子供は、そんな場所から来ている。しかし…誰もが彼らを薄汚いと罵り、カビたパンすらも分けてくれない。
だが、彼らも生きるのに必死なのだ。食べ物や金になりそうな物を盗み、日々を凌いでいる。時には捕まって折檻を受け、死んでしまう子供もいるのだが…セレスタンは知らない。
「……………………」
2人の子供は、じっとセレスタンを見つめている。彼女もまた、視線を返す。両者は暫くそうしていたが…先に動いたのはセレスタンだった。
立ち上がり、ゆっくりと子供達に向かって歩き出す。すると…男の子が女の子を背中に庇い、後退りながらセレスタンを睨み付ける。少しずつ路地の奥に入って行くが、決定的に逃げる事はせず…最終的に彼らは手を伸ばせば触れる距離まで近付いた。
「「「………………」」」
そして…静かな動作でパンの入った紙袋を差し出した。2人はぎょっとして、袋とセレスタンを見比べる。
男の子は長い前髪で表情が見えないのを不気味に思いつつも、袋を奪い女の子の手を引いて路地裏へと消えて行った。
「………………」
逃げて行く姿を、追い掛ける事もせずただ見ていた。その時頭に浮かんでいたのは…先程まで一緒にお茶をしていた執事の顔。
シャルロットの専属執事で、元々は孤児で…行き倒れているところを、セレスタンが見つけたのだ。
そう。屋敷の者は皆シャルロットが拾ったと思っているが…実際に保護したのはセレスタンなのであった。
※
それはセレスタン達が6歳のとある日。大通りの途中で馬車を停め、伯爵は用事があるからと姉妹を残して降りた。御者に先に帰るよう指示し、走り出したのだが…ふいに、セレスタンが窓の外を見た時。
路地に倒れている…茶色い髪が見えたのだ。瞬間「とめて!!」と叫んだ。御者は彼女の言う事は聞かないが…坊ちゃんは大声を出した事が無いので、今のはお嬢様の声だと判断して馬を止める。
止まった途端に飛び出し、その誰かの元に走った。うつ伏せに倒れているのは、痩せ細っている自分と同じくらいの男の子のようだ。服が汚れるのも厭わずに膝を突き、彼の肩に手を置いた。
「…だいじょぶ?…あったかいね、ねえきみ、おうちは?」
「………………」
しかし少年は意識が無いのか、返事はなかった。そこで…彼の身体の下に、細い腕を入れて…
「よいしょ…おもいー。どっせーい」
プルプル震えながら、頑張って持ち上げた。少年は汚れているし、異臭を放っていた。それでも全身を使って「よいしょ、うんしょ、えいえいおー」と、一生懸命に運ぶ。
馬車に辿り着くと、御者は怪訝な顔で声を荒げた。
「!坊ちゃん、そのように汚れた物を抱えてはいけません!旦那様に叱られますよ!」
「?お兄さま…まあ!その子は?」
「そこでたおれてた。いっしょにかえろうと思って。
さあ、ばしゃを出して」
「しかしですねえ…!」
「お兄さまのことばが聞こえないの?はやくだしなさい!」
「は、はい!お嬢様!!」
この男に限った事では無いが…使用人は皆お嬢様の言う事は全て聞く。シャルロットも幼いながらにそれを理解していたので、兄の望みは自分の望みの振りをして叶えるのだ。
季節は晩冬、まだまだ寒い。薄着の少年は体を震わせる。セレスタンはコートを脱いで…少年を膝の上に乗せたままぎゅーっと強く抱き締めて。彼の上からコートを掛けて、自身の体温で温める。
その時少年の目から一筋の涙が零れたが…誰も気付かなかった。
※
その少年は屋敷で養生し元気になり。バジルと名付けられ、伯爵家で雇われる事になった。
ただし保護したのがセレスタンだと知れば、伯爵は追い出したに違いない。その為シャルロットが保護した事にして、彼女に仕える事になったのだ。
使用人達は皆、心優しいお嬢様に感動した。その場にいたはずの御者さえもそう勘違いしているのは…いかがなものかと思うが。
セレスタンもそれでいいと言っていた。何も知らないバジルにも真実は伝えないようお願いしておいたので、彼もシャルロットに恩義を感じて忠誠を誓っている。
自分なんかより、大切な妹を守って欲しい。それに…僕にはあまり、近付いてはいけない。僕の秘密を知ってしまったら、どうなるか分からないから…
バジルの過去を聞いた事は無いけれど。同じように痩せ細った2人組を見て…なんとなく当時を思い出してしまった。その時…
「っ!?うお…っとお!」
「!!!?」
路地に背を向けた途端、背後から誰かが音も無く襲い掛かって来た。咄嗟に反応して伸ばされた腕を掴み、地面に押し倒す。こういう時は本当、ジスランに鍛えられていて良かった!と感謝しながら。
セレスタンを襲ったのは、褐色の肌に…黒い髪、黒い瞳の少年だった。全体的に黒いな…それに細いけど僕より大きい。年上かな?
今の素早い動きだったな〜、鍛えればかなり強くなりそう。この目付きといい荒々しさといい、野生の狼のようだ。等こんな状況だと言うのに呑気に考える。
その隙に少年は身体を捻って拘束から抜け出し、逆にセレスタンを仰向けに押し倒してしまった。
「おわっぷ!?……いったぁ〜…」
「…………………」
衝撃で髪は捲れ上がり、金の目と黒い目が交錯する。少年は腹の上に跨り、首に手を掛けて低い声で…
「……………金、寄越せ」
とだけ告げた。どこからどう見ても絶体絶命なはずなのに、彼女は冷静だった。なんとなくだが…この少年に殺意は無い気がしたので。
一切の抵抗をせず、ポケットから財布を取り出して少年に差し出した。受け取った彼はその場で中身を確認して…満足気に頷き懐に入れる。
「「…………………」」
まだ用があるのだろうか、首から手は離してくれたが少年は動かない。
互いに顔を見つめ合う事、数分…少年がおもむろに手を伸ばす。その手はセレスタンの顔に近付き…ゆっくりと、眼鏡を奪った。
「……これも、もらう」
自分の顔に眼鏡を掛けながら立ち上がり、路地の奥に歩く。彼女も自由になった上半身を起こし…
「…それ、安物だよー!」
そう教えると少年は振り向いて…ベッと舌を出し、今度こそ姿を消す。
まあ、売れば銅貨5枚くらいにはなるかな…?と考えつつ立ち上がり、パンパンと服に付いた汚れを落とした。
「……次のお小遣いまであと10日、銀貨8枚しか残ってないや…」
今日はお財布に金貨3枚分入れて来たのだが…無くなっちゃった。とため息をつく。
「…………よし!こうなったら手作りお菓子とか…やった事ないけど…。
とにかく、お金の掛からないお祝いするぞ!」
と、先程の出来事を通報する事もなく…家に帰るのであった。




