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皇国の精霊姫  作者: 雨野
訣別編
79/102

「いやなんで?」



 グラスは脇目も振らずに廊下を走る。



「猊下!!」


「…何か?」


 ドンドン!と乱暴にノックして神殿長の部屋に押しかけた。

 神殿長は日課の宝石チェックをし、欲望を満たしていたところだった。流れる動きで引き出しに仕舞い、グラスを迎え入れる。

 グラスは彼の机の前まで大股で歩き、バァン!と音を立てて両手を叩き付けた。


「おれは神官を辞めます!!いいですね!?」


「……どこぞのお嬢様に買われたのかね?」


「違います、自分の意思です!そもそもおれはとっくの昔に予約済みですからね、彼女以外は購入不可です!!」


「…………」


 神殿長は…逃したくない、と考える。だが彼の心はすでに決まっているようで…恐らく脅しても効きはしないだろう。どうするか…動揺を悟られないよう口を開いた。



「ふむ…すぐには困るなあ」


「何故ですか?」


「君には新聞社や雑誌から取材の依頼が多く来ているんだ」


「いやなんで?」


 グラスは素でツッコんだ。


「それだけでなく、神殿で開かれる儀式やイベントも前に立ってもらおうと思っていたのだが…勿論特別手当は出そう」


「いや…なんでおれ?ですか?先輩神官とかいっぱいいますが?」



 本気で理解不能だった。何故かって?それは勿論…グラスという華を餌に、獲物を釣る為である。それを素直に告げる事は悪手なので、神殿長はなんとか妥協点を見出そうとする。



「ふむ…退職の理由はなんだ?」


「側にいたい人がいるからです!」


「……では…特例で通いを許そう。それではどうか?」


「え……」


 思わぬ提案にグラスは迷ってしまった。神殿長はそこを畳み掛ける。


「朝の祈りがあるから、6時には出勤してもらうが。その後朝食、掃除、開門。

 午後は通常通り5時半で閉門なので、同時に帰宅してもらって構わない」


「…………給料に変化は?」


「無い」


「…………」


 グラスの天秤はガタガタに揺れまくっている。先程まで『退職』一辺倒だったが…段々と均整がとれてきた。ラファエルが「グラスー?何迷ってるんですかー?」と髪を引っ張る。

 もう一押しか…!?と神殿長は喉を鳴らした。



「その「側にいたい人」が就業時間内に訪ねて来た場合、1日1回だけ「相談」を無償で許可しよう」


「……頑張ります!!!」



 神殿長は机の下でガッツポーズをした。



 ※




「バジル!!…あれ?」


「あ、グラスさん。連れだっていう茶髪の男の子、お嬢様が倒れちゃったから帰ったわよ」


「ハァーーー!!?」


 三つ編み女性神官の話を聞き、グラス絶叫。だが体調不良なら仕方ない…と諦めた。

 とにかくルシアンにでも手紙を送って…脳内で今後の予定を立てる。



 夕飯の席で、グラスが通いになると皆に告げられた。たった1人の為に規則を変えるなんて…と騒然となっても仕方ないだろう。


「猊下!!何故こいつを優遇なさるのですかっ!?」


 声を上げたのはトマス。数人も言葉にはしないが、彼に同調するように頷いた。

 神殿長は微笑みを浮かべ、丁寧に説明する。



「彼が特別だからだ。女神から宝物を賜り、働きぶりも類を見ない。この中でバジリスクの討伐に参加し、犠牲者を出さずに終える自信のある者はいるか?」


「「「………」」」


 誰も手を上げず、視線を逸らす。



「皇宮からの救援要請もグラスを指名する程だ。彼に辞められたら、トマスが代わりに受けてくれるのだな?」


「そ……い、え。無理です…」


 トマスは歯を食い縛り俯いた。


「優秀な者が優遇されるのは当然の事だ。能力であったり、容姿や家柄…それを体現しているのが貴族だろう?

 貴族の家に生まれたというだけで。平民よりも遥かに恵まれた環境にいる。それを疑問に思いもしない…そうだろう?」


 まさか貴族である神殿長がそんな発言をするとは。グラス含め、神官達は大きく目を見開いた。

 そんな視線に気付いているのかいないのか、神殿長は咳払いをする。



「…グラスは諸事情あり退職を申し出てきた。だがそれは通いにすれば解決する事柄であった。その為特例措置をとった。

 さて、何か不満のある者はいるかな?グラスが消えた後、代わりに討伐や治癒、令嬢を満足させる自信がある者は名乗り出なさい」


 食堂は静寂に包まれる。出来るはずがない…そう理解しているからこそ。


「(…そこまで大袈裟にしなくてもいいのになー…)」


 当の本人すらも口を出せない雰囲気だ。

 静かになった事に満足した神殿長は…にっこり笑って「食事を続けなさい」と食堂を後にした。



「…すごいじゃない、グラスさん。猊下にあそこまで言わせるなんて」


「そそそ、そうだよっね」


「おう…?」


 とにかく明日には神殿を出る、と挨拶をして回った。皆頑張れよーなど温かい言葉を掛けていたが、トマスは違った。


「………」


 無言で睨み付け、舌打ちをして顔を逸らす。神殿長の言葉を理解出来るが感情が追いつかないのだろう。


 それはグラスに対する嫉妬心。貴族令息である自分が、このように平民と同じ立場に落ちて。

 平民で孤児であるグラスは優遇され…許せないのだろう。


 同時に敵わない事も理解している。それを受け入れられる程、彼は大人でないのだ。中途半端に賢いものだから、このように苦しむのだ…




 ※※※




「さあセシル様、おねんねの時間ですよー」


 その頃セレスタンは寝かしつけられていた。横になり布団を掛けられて…キョロキョロと顔を動かす。


「…ひといで?」


「ええ、そうですよ」


「……おってぃ…うーちゃんは?」


 うーちゃん?とメイドのアビーは首を傾げる。セレスタンの世話係の中でも最も若い、髪を2つに縛ったメイドだ。まだ10代だが幼い弟妹がいるので、子供の世話は慣れている。


「確か…うーちゃんとはセシル様が常に持っていらした、ウサギのぬいぐるみですな」


「そうなのですか?うーん…うーちゃんは…その。

 じ…実家に帰りました!!」


 そんなん通じるかい、と皆呆れた。


「ちょうなの?ちかたないね…」


 通じてしまったようだ。


 せめて…という事でヘリオスを布団に招く。大きいベッドに大きい犬。犬にしがみつく幼女、周囲を小さな精霊達が囲う。大人達はその可愛らしい光景に頬を緩ませた。



「ではセシル様、おやすみなさいませ」


「おやつみ、でーで」


 カリエは隣の部屋に。


「おやすみ」


「おやつみ、でーう」


 ジェルマンは向かいの部屋に。

 アビーはセレスタンが寝入ったのを確認してから、静かに部屋を出た。




「(そういえば…いつ頃からだろうか、うーちゃんを持ち歩かなくなったのは?)」


 1人になったカリエはふと考えた。どこに行くにも一緒だった、真っ白なウサギのうーちゃん。

 セレスタンはある日突然うーちゃんを手放した。カリエもシャルロットも、その理由は知らないのだ。





「………」



 夜中、セレスタンはパチっと目を覚ます。そこは薄暗い慣れない部屋…急激な不安感が押し寄せてきて、隣の黒い塊を握った。


「ん…?痛いにゃ、セレス」


「………」


 小さな身体は震えていた。ゆっくりと起き上がり、ベッドから落ちる同然に降りた。

 手元にいたフーゴを抱き締め、ビクビクしながら歩く。部屋の扉を開けようとして…開かない。



「…ひっく、うう…ふえぇ…」


 ノブに手が届かない以前に、鍵が閉まっている所為だ。彼女はその場に座り込み、はらはらと涙を流す。



「(…ないちゃだめ。おこられちゃう…でも…)こわいよぅ…

 あいちゃ…おってぃ…うーちゃん…ふええぇぇん…!」


「我が君、どうしたの?」


「ああ、泣かないでください…」


「私達も悲しくなってしまいますわ…」



 丸くなって必死に声を押し殺す。精霊が慰めるも、不安はどうしても拭えない。


「…おってぃ。おってぃ…どこー…?おってぃ…」


 いつも夜は、双子で手を繋いで眠っていたのだ。そんな妹を求めて、セレスタンは嗚咽を漏らす。

 すると外側から扉が開いた。そこに立っていたのは…ジェルマンだ。



「セ…レス?どうした、怖い夢でも?」


「でーう…おってぃは、どこ?ぇっく、あいちゃは?」


「…っ、それは、その…」


 答えに詰まり、口を閉ざしてしまう。セレスタンはその反応に、益々涙が溢れる。


「う…ふぬぅぅ…!」


「セレス…おいで、セレス」


 答えの代わりに彼女を抱き上げ、背中をポンポン叩く。部屋をゆっくりと何周もし、ベッドに腰掛けた。その頃にはもう、セレスタンの涙は止まっていた。



「いい子、いい子。セレスはいい子だな」


「…てー、いいこやないの。だかや…ちちうえもははうえも、あいにきてくえないの」


 ジェルマンの抱き締める腕に、やや力が入る。


「てーも、おってぃみたいに…おちょとであとびたい。きえーなどえちゅほちい。

 でも、だめなんだって。てーはおとこのこだかや…ほんとはおんなのこだけど、おとこなんだって…」


「……お前は女の子だよ。可愛い子。ジスランと結婚して…本当の妹になってもらいたかったな」


「?でつなん?だえ?」


「オレの弟だよ。いや待て…奴とシャルロットが結婚すればワンチャン…無いか、無いな!」


 それからジェルマンは家族について語った。その声がとても穏やかで優しくて…セレスタンの瞼が徐々に落ちる。



「そんで姉上がな、ジスランと取っ組み合いの喧嘩始めて…あれ?」


「……くう…すう…」


 ジェルマンの腕の中で、小さく寝息を立てる。そっと布団に寝かせたら…


「………」


 セレスタンはジェルマンの袖を掴んでいた。無理矢理外そうとすれば、「ふぇ…」と唇を歪ませる。

 なので、考えに考えた結果。セレスタンを抱き締めたまま、彼も横になり目を閉じたのだ。


「潰したらごめんよ〜…おやすみ」




 ※※※




「……う、ん…」


 同時刻、ラサーニュ邸。神殿で意識を失ったシャルロットは、ずっと眠り続けていた。



『……お前は5歳にもなって、まだこんなゴミを持ち続けているのか』


『う…ご、ごめ、んなさい…ちちうえ…』


 彼女は夢を見ていた。床に座り込む幼いセレスタンと、見下ろす伯爵。伯爵の手にはウサギのぬいぐるみが、アイシャが1歳の誕生日プレゼントにくれた物だった。


『くだらない…いつまでも子供の気分でいるな。出来損ないなりに、少しは大人になる努力をしろ』


『あ…っ!』


 伯爵はセレスタンの目の前で、ぬいぐるみを燃え盛る暖炉に放り投げた。膝を突く娘など一瞥もせず部屋を出る。



『……うーちゃん…ごめん…う、うあああぁぁぁん…!!』


 ぬいぐるみはパチパチと音を立てて崩れる。蹲るセレスタンを、空気のようなシャルロットは眺める事しか出来なかった。

 そういえば…いつもうーちゃんを大事にしていたのに。ある日突然見なくなった。理由を聞けば『ぼくもう、こどもじゃないもん』と笑って言っていた、気がする。


 その笑顔の下の感情を…シャルロットは見抜けなかった。



「……お兄様っ!!!」


 がばっ!と勢いよく起き上がる。目眩を起こしながら、自室の暖炉に目を向けると…涙が溢れて止まらなかった。


「今の、は…なんなの…!?」


 頭が激しく脈打ち締め付けられ、嫌な汗が全身を流れる。ただの夢ではないと直感で理解した。

 同時に深い悲しみが彼女を襲う。大事な友達を失って、心に穴が空いたような感覚。それを誰にも悟られないよう、幼いながらに必死に繕ったような…


 どうして自分に言ってくれなかったのか。どうして自分は気付けなかったのか。堂々巡りではあるが、彼女の後悔は膨れるばかり。


 


 ※※※




「セレスは夜中、シャルロットを求めて泣いていました。一緒に眠ったところ朝までぐっすりだったので…どなたか添い寝をしてあげてください。もちろんオレでよければ喜んで。

 それと外で遊びたい、綺麗なドレスが欲しいと言っていました」


「そうか…ご苦労だったな」


 ジェルマンは翌日、ルキウスへ報告した。プリスカが「はーい!!私私、添い寝希望です!!」と手を挙げるが全員無視。

 場所はルキウスの執務室。メンバーはルキウス、ルシアン、セレスタンの兄姉、アビー、ジェルマンである。


「そうだ兄上、昨夜グラスより手紙が届き…『神殿は通いにするので、おれもセレスの側にいさせてください』と書かれていました」


「あれ、神官って神殿に住まなくていいのですか?」


 ランドールの疑問には、ルキウスが答える。


「ああ…どうせグラスを逃したくないから、規則を捻じ曲げたのだろう。あの守銭奴神殿長の考えそうな事だ」


 どうやら神殿長は、皇室にもそう認識されているようだ。悪人では無いが、金の亡者だと。その辺りは父上も諦めてる、とルキウスは強引に話題を変えた。


「グラスに関してはルシアン、任せていいか?」


「はい」


 ルシアンは神殿に顔を出してから登校すると言い、ハーヴェイを伴って部屋を出る。

 朝の報告会も終わり解散に…というところで、ノック音とメイドの声が聞こえてきた。



「殿下、セシル様がお見えです」


 全員僅かに目を開く。入室を促すと、セレスタンがひょっこりと顔を出した。彼女はててて…と小走りで、ジェルマンの足に抱き着いた。


「でーう」


「どうした?ご飯は食べたのか?」


「うん」


 連れて来たメイドの話によると、食後ジェルマンを探していたらしい。その為ここに…という訳だ。

 それを知った部屋の面々は、嫉妬と羨望の眼差しをジェルマンに向けた。それを受けて冷や汗が止まらず、彼は目を泳がせる。

 セレスタンを無言で抱っこして…「じゃ、オレ達はこれで!」と回れ右をしたところ。

 ルキウスとランドールに、両側から肩を掴まれてしまったのである。



 ※



「そうだ、食事なのだが。母上が…是非セシルも一緒にと仰っている。今夜からどうだろうか」


「?いいよ!」


 セレスタンはルキウスの膝の上で、頭を撫でられて目を細めている。更にプリスカの手ずからお菓子を食べさせてもらい、ご機嫌で返事をした。話は聞いていなかった模様だが。


 ふと彼女は、机の上の新聞が目に留まった。短い腕を伸ばして掴み、バサバサと広げた。文字を読めはしないだろうが、眉間に皺を寄せて一生懸命睨み付ける。



「……ふんむー、ぶっちょうだわ。こわいでつねぇ、おでかけはきをつけないとー」


 ふむふむと顎に手を当てながら頷く。ちなみに今見ているのはゴシップ面だ。

 彼女の椅子が震えているが、構わず続ける。


「このはいゆうたん、ふけまちたねえ。むかちはあんなに、はんたむでちたのに…」


 それは連続窃盗犯の写真である。同じ空間にいる大人達は、全員口元を必死に抑えている。

 誰の真似をしているのか、逆さまの新聞を見ながら神妙な面持ちで深く頷く。




「殿下。西部から嘆願書で、商人を狙った盗みが横行しているとの事です。魔物の発生も重なり、対応が難しいようです。目を通していただけますか?」


「貸してくれ」


 それぞれ持ち場につき、ルキウスはセレスタンを膝に乗せたまま仕事をこなす。自分で降りるまでは…と言われちゃ仕方がない。一応大人しくしているし…



「ランドール。この手紙を西に送ってくれ、急ぎでな」


「なんどーゆ、このてがみを…にちに、おくってくえ。いとぎでね」


「かしこまりました」


「かちこまいまちた」


「「……………」」


 大人しくはしているが…真似っこをして遊び始めた。

 ジェルマンが連れて行きましょうか…と手を伸ばすも、このままでいいと突っぱねる。



「……殿下、昨日お願いした件ですが」


「でんか、きのうおねがいちた、けんでつが」


 面白がった大人達は、必要も無いのに会話をする。



「殿下の誕生パーティーですが、進行は誰に任せますか?」


「そうだな…プリスカ、頼む」


「はい、お任せを」


「で、でんかのたんどうびぱーてぃ、えっと。ぷいちゅか、おまかてを」


 段々と追いつかなくなってきて、大人の悪ノリが加速する。



「近衛騎士団で、セシルの護衛をしたいって希望者が殺到してて」


「行政区の食堂でー、もっとメニュー増やして欲しいって声がありましたよ」


「女性は特に、カフェを強化して欲しいそうですわ」


「こっこのえ?きぼうちゃが…めにゅうが、かふぇが…」


「最近暑くなってきたな。冷房の出番も近いだろう、皆熱中症には気をつけなさい」


「そうだ、俺昨日くっそデカいミミズ見たんですけど」


「蝉が鳴き始めてますよね。オレしょっ中蝉トラップに引っかかって」


「私の実家、大きな木が庭にあるんですが。毎年夏になるとそこに…」


「あう、あうぅ…えっと…………」


 情報量が限界点突破したセレスタンは…



「………ふんー……」



 諦めて大きく鼻で息を吐いた。

 その表情がまるで、「いや、まだ子供だし。大人になったら余裕だし?」と語っているようで。


 ルキウスを始め、全員「ブフーーーッ!!!」と噴き出したのである。



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