アカデミー1年生 06
「そこの赤髪の君、落としましたよ」
「え?…へっ!?」
とある日セレスタンは、1人廊下を歩いていた。すると…後ろから声を掛けられたので振り向く。
そこに立っていたのはなんと、4年生で生徒会副会長で…第二皇子であるルクトル・グランツ。兄と違って、爽やかな笑顔が素敵な紳士である。周囲の生徒は遠巻きに彼を見ている。
皇子である彼に、急いで臣下の礼を執ろうとした。だが…
「ここは学園で、僕達はただの先輩と後輩です。ラクにしてくださいね」
と制されてしまった。彼は誰に対しても物腰柔らかに接する気質のようだ。
セレスタンはなんで殿下が僕に…?と考えるも、彼の手に白いハンカチが握られている事に気付いた。自分のポケットを確認して…持っている。
「も、申し訳ございません。それ、僕のじゃないです…」
「あれ?僕の見間違いでしたかね…それじゃあ、このハンカチに見覚えはありませんか?」
しかもやたらと距離が近い。身長差があるせいか、ルクトルは膝を曲げて彼女と視線を合わせる。
12歳の乙女であるセレスタンは、ずずいっとイケメンお兄さんに迫られちょっと照れた。それにしても…ルクトルの視線は、さり気なく下を向いている。彼女は疑問に思ったが、恥ずかしさが勝りそれどころではない。
「(近い近い!?)えと…ごめんなさい、分からないです…」
「うーん…そうでしたか。コレはこっちで持ち主を探してみますね、驚かせてごめんなさい」
彼はそれだけ言うと、すぐに去って行った。なんなんだ…?と思いつつ、セレスタンは目的地のトイレへ向かうのであった。
「…むう、作戦失敗。次は…」
ルクトルが何か呟いていたが…誰にも届かない。
ジャーッ
「ふう……?んぴやあぁーーーっ!!!?」
「うおっ!?あ、すまない。ただの順番待ち」
セレスタンがトイレの個室から出ると、目の前に上級生が立っていた。不自然な状況に驚きすぎて、奇声を発して飛び上がる。
「(順番待ち!?他の個室、全部空いてるけど!!?何この人変態!?)い、いえ…ごほん。こちらこそ、失礼しました…」
「……い、や…ふ、んぶっふ…!」
それはサラサラの銀髪の…線の細い美形だった。イケメンというより、麗しいという言葉が似合う美人。
その銀髪男は、腕章の色からして5年生。そして…宰相の息子の超美形だとか、クラスの女子が騒いでいたな…?とセレスタンは思い至った。
彼はセレスタンの後に個室に入った。そこで…「ふ、ふふ、んぐぶっは、は…はひっ…!!」と不審な声を漏らしている。
さっきの僕がおかしくて、笑い飛ばしたいんだろうな…と悟ったセレスタンは、真っ赤な顔で手を洗い廊下に飛び出た。
その直後…トイレの中から爆笑する声が聞こえてきて。居た堪れなくて小走りで教室に戻る。
「ひぃ、ひー…作戦どころじゃねえ…!後は任せた」
その日の放課後。セレスタンは学園の図書館に来ていた。そこは校舎とは独立した、細長い塔を丸ごと使った図書館塔。蔵書量は多いが利用者は少なく、彼女は好んで来ている。
そこでよく使用する5階の読書スペースで腰を下ろした。
「はあ…もっと、成績を上げないと…」
教科書類を開き、勉強を始めた。
テストの結果発表後、週末家に帰った時。予想通りシャルロットは盛大に祝われた。
対してセレスタンは「何故お前は2位でないのだ?勉強すらもロクに出来ないのか…」と、父親に幻滅されてしまったのだ。
その為やはり、10位なんかじゃ駄目だ。ロッティに次ぐ、2位を取らないと…!と、試験が終わっても勉強を夜遅くまでしている。
カリカリと、ペンの音が塔内に響く。ここには参考書も多くあるので、自室よりも捗るのだ。
ただ…髪が邪魔だ。彼女は周囲に誰もいない事を確認し、前髪を上げて鞄に忍ばせているカチューシャで止めた。鬱陶しい眼鏡も外して机の上に置き、再びペンを持つ。が…
「(……なんだろう。視線を感じる…気がする。誰もいないのに…)」
ページを捲る手をピタッと止める。そして顔を上げるも…やはり室内には誰もいない。
だがどうにも居心地が悪く…参考書と小説を借りて、続きは部屋でやろうと図書館塔から出た。
彼女が座っていた座席の正面。窓の外に…1人の男が飛行魔術で浮いていた。その手には双眼鏡が握られており……
「……逃げられた、か…?しかし服のボタンを上まできっちり留めていて、何も見えない。模範的な生徒で大変よろしいのだが、今回ばかりは困るな。どうやって脱がすか…」
と変態的な独り言を呟く、金髪悪人面の男がいたのだった…
※※※
「これ君のではありませんか?きっとそうです、着てみましょう」
「僕のシャツじゃありませんし着替えません」
「やあいい天気だな。こんな日は水浴びをしたいと思わないか?」
「思いません。先輩は…そのバケツいっぱいの水をどうなさるつもりですか?」
「じーーー……」
「…………なんなの一体…?」
親しくもない先輩にやたらと声を掛けられて、どことなく監視されているような生活が…1週間続いた。それだけでも気が滅入るのに、彼女の悩みは他にもあった。それは…
「僕……ロッティに「テスト1位おめでとう」って言ってない…!!」
のである。そもそも言おうとしたのにエリゼに邪魔され最後まで言葉に出来なかったのだ。その後もタイミングを失い…今更普通に言うのも憚られる。何か…プレゼントを贈ろうか?いや、サプライズ的な…と計画する。
「うーーー…ん。ってもうこんな時間!?」
ベッドに横たわりながら考えていたら、夜の9時を回っていた。
悩み過ぎて勉強も手につかないし…少し散歩でもするか、と起き上がる。前髪を下ろして部屋を出ると…
「「あ………」」
丁度、ジスランと遭遇した。彼らは同じ階に部屋がある為、エンカウントも不思議な事ではない。ただ…ジスランの手元に注目する。
「木剣…こんな時間まで、鍛錬してたの?」
「あ、ああ…俺には剣しか、無いからな…」
「そっか…」
2人はそれ以上、言葉が出なかった。あのやり取り以来、挨拶くらいしかしていないのである。
「……あー…セレスタン、今から出掛けるのか…?」
「うん…ちょっと散歩」
「そうか…オ……や、すみ…」
「俺も行く」と言いたかったのだが…拒否されるのが怖くて言えなかった。セレスタンは「うん、お休み」とだけ言い、玄関に向かう。その後ろ姿を見送ったジスランは、自室に入ろうとして…
今のセレス、かなり薄着だったよな。Tシャツにハーフパンツ、武器も持っていない…有り得ないとは思うが、もしも不審者に女子と間違われて襲われでもしたら…何か思い詰めている様子だった気がする…このまま何処かに、行ってしまうのでは…
様々な考えが浮かんでは消えて、その場から動けない。悩んだ結果…
「……こっそり、護衛しよう…」
彼女の後を追うのであった。
セレスタンは目的地がある訳でもなく、ただ寮の外を歩く。夜だってのに暑いなあ…もう夏なんだなあ、とぼんやり考える。
そうしていたら校舎までやって来てしまった。すると…とある教室の明かりが点いているじゃないか。こんな時間まで何やってるんだろう…と見上げていたら、中にいた人と目が合ってしまった。
それは…顔の怖い生徒会長だった。そうか、あそこは生徒会室か!と気付く。目をまん丸にするルキウスに会釈をして、彼女はその場から逃げた。
その頃、生徒会室にて。
「おおおおい!!いた、ラサーニュいた!!しかも薄着だ、今がチャンスだぞお前ら!!」
「「何ィ!!?」」
そこには…ルキウス、ルクトルと…宰相の息子で銀髪美形のお兄さん、ランドール・ナハトがいた。
彼らはルキウスの言葉に腰を上げ、窓を開けて下を見る。
「何処だ!ルキウス捕まえろ、はーやーくー!!」
「お前が行け!!私では怖がらせてしまうんだろうが!!」
「言ってる場合ですか!!ちょっと兄上、彼はどこですか!?」
「向こうに逃げた」
「「追えーーーっ!!!」」
彼らが一体、何を言っているのかというと……
話はフェニックス事件にまで遡る。
あの日、フェニックスが残した咆哮。あれは歓喜の表現だと伝承に記されていた。無理矢理喚ばれて憤慨していたはずなのに、最後はご機嫌で帰って行った証拠でもあるが…
最上級精霊は、契約までする気がなくても…人間に力を分け与える事がある。それが刻印。
刻印されると、身体のどこかに紋様が浮かび上がる。精霊にとってこの人間はお気に入り、特別な存在とアピールしているようなもの。
世界の歴史上、最上級と契約した人間は記録されていないが…刻印を受けた者は数人確認されている。
フェニックスもあの時、誰か生徒を見初めてご機嫌になり。校舎を破壊する事もなく、刻印を施して帰って行ったのではないか…?と魔術師団は結論付けた。
もしそうだとしたら…刻印持ちは、フェニックスの力を宿し上級以下全ての精霊が従う事になる。それは益となる為、丁重にお迎えしたいというのが皇国の考えだ。
そして刻印持ちがいないか調査するよう皇帝に命じられたのが、現役学生である皇子2人。ついでに幼馴染のランドールも巻き込み、こっそり調べていたのだ。
刻印の場所は精霊によって異なるが、フェニックスの場合は左鎖骨の下。一番の容疑者…もとい候補者は、フェニックスと対峙した2人だった。
エリゼはその場で確認し、シャルロットは別室で女性文官が確認をした。だが2人共刻印は無く…他言無用!と念を押して帰したのだ。
では次、クラスの誰か?もう片っ端から脱がせるか…と言うランドールをシバき、皇子達は方法を考える。
その時…刻印を受けた者は魔力量が増大した、という記録に目を付ける。そうしてクラス全員の魔力を測った結果、1人だけ2段階も上がっている生徒を見つけたのだ。
それが、セレスタン・ラサーニュ。次の課題はどうやって刻印を確認するか?だった。
「ラブレー達と同様、生徒会室に呼び出せばいいだろう。ほぼ確定みたいなもんだし」
そう提案するのはランドール。この男は伯爵家ではあるが…ルキウス、ルクトルとは非常に親しい。他に誰もいなければ、彼らにこのように砕けて接している。なんならルキウスを差し置いて上座に座ったりもする。
「いえ、彼は素行も成績も申し分ないので…呼び出す理由がありません」
反論するのはルクトル。慎重に行動しないと…セレスタンを傷付けるばかりか、皇族の名誉に疵がついてしまうと懸念している。
「……しかしいっそ、見つからないほうがいいかもしれないな…」
そもそもを否定しているのは、ルキウスだ。
もしセレスタンが刻印持ちだとしたら。国は彼女を手に入れる為、何をするか分からないのだ。優遇はされるであろうが…下手をすれば良くて軟禁。悪くて魔力を封じられ監禁もあり得る。
上級の精霊だけでも、数体集まれば人間には脅威となる。もしも刻印持ちが精霊を悪用しようものならば、そのような処罰もあり得るのだ。
「どちらにせよ、国に監視されてしまう生活になるだろう。もしもあの子が女性であったなら、私達兄弟の誰かの嫁にさせられていたかもな」
「「………………」」
ルキウスは淡々と言った。彼の言葉に2人も何も言わない。自分達の報告次第で…セレスタンの未来が閉ざされてしまう可能性があるからだ。
それでも仕事として受けた以上、サボる事は許されない。セレスタンに刻印が無ければ、恐らく他に候補者はいないだろう。国には「いなかった」と提出して終わりだ。
その方法だが。3人はセレスタンを呼び出せないならば…偶然を装って見よう!!という結論に至った。
次期皇帝という自覚を持ち、日々精進し勉学を欠かさない皇太子。
兄を支えられるよう己に出来ることを模索し、主に外交関連に携わる第二皇子。
共に国を支える柱となるべく、父親の元で早くから業務を遂行している宰相子息。
それぞれ優秀であることは間違いない。彼らならきっと、今後も国を守り発展させていくだろう。と断言出来る。
だが…3人寄れば知能低下してしまうのが彼らである。普段しっかりしている反動か、たまにアホになる。
当然作戦は上手くいかない。更に顔が怖いルキウスは、2人に「彼に近付くな、遠くから眺めていろ!」と言われてしまっている。なので双眼鏡片手に、彼女をストーキングしていた。
主にルクトルとランドールが、あの手この手で近付き胸元をチェックする。時には「ゴミが付いている」とボタンを外そうとするも、躱される。
近付きすぎると兄大好きな妹が殺気を飛ばしてくる。医務室で眠っていてもオーバンに邪魔をされ。最終手段として…
睡眠薬で眠らせて脱がせる、という案まで出てしまった。それが現在である。
「そして生徒会室に連れ込もう」
「いやそれは駄目だろう」
「男同士なんだし、よくないか?」
「それならいっそ、仲良くなって銭湯に誘うとかがいいのでは?」
「しかし…彼は可愛らしい顔立ちだったからな…私には無理だ」
「ルキウス…女性にモテないからって、ついにソッチに…!」
「違うわボケェっっっ!!!」
「イヤーーー!変態皇子よぉ〜!!(裏声)」
「脱がされますわ〜〜〜!!(裏声)」
「お前らひん剥いてやろうかああああ!!?」
と…彼らは生徒会業務をしつつ作戦会議に精を出し、夜まで学園に残っているのであった。
その時ルキウスが何気なく外に目をやると…Tシャツ姿のターゲットがいるではないか。チャーンス!!!と彼らは部屋を飛び出した。ロープやら虫取り網を手に持って。
幼気な少女に迫る3人の男達。何も知らないセレスタンはというと…
「ふんふっふふ〜ん♪普段来る場所も…夜は雰囲気違うな〜」
鼻歌を歌いながら、整備されている学園の中庭に足を踏み入れていた。そこには…かつて世界戦争を終息に導き、近隣諸国を統一した皇帝。グランツ皇国の英雄、革命王ルシュフォードの銅像があった。
「……………………」
静けさの中佇む英雄の姿に何を思うのか。暫く見上げて立ち竦んでいたが…唐突に、ステップを踏み始める。
'……偉大な偉大な革命王。我らが主導者ルシュフォード。右手に剣を、左手に杖を、その背に国を'
セレスタンは、銅像の周りをクルクルと回りながら歌い始めた。それは数十年前、ルシュフォードが崩御した際に平民の間で広まった歌。今でも残り続けているのだ。
'嗚呼、時の流れには逆らえぬ。されど民よ、恐るるなかれ。心はいつも、我らと共に'
彼女が跳ぶ度に髪が揺れて、素顔が露わになる。ルキウス達は校舎の陰から覗いていた。見つけたはいいが、切なそうに笑う彼女から目が離せず。捕まえようと意気込んでいたものの動けずにいるのだ。
突如始まった、夜の野外コンサート。満月の照明を一身に受け、彼女は光り輝く。その澄んだ歌声も相まって…彼らは見惚れ、完全に観客となっている。
'御魂は還り、大地に眠る。我らを守護せし礎となりて、永劫未来にあらせられ'
こうして歌を紡ぐと…幼い頃一度だけ、誰かが褒めてくれた事を思い出す。
『お嬢様は、本当に美しい歌声をお持ちだ』と。あれは…誰だったっけ…?
銅像の前に立ち…バッ!と、右手を差し出してみせた。
'さあいざ行かん、約束の地へ!咎人は地の底、善人は楽園、光と影は交わらず。我らが偉大なルシュフォード。彼の栄光を、語り継げ。我らが守護者ルシュフォード。永久に見守り続け給え…'
歌い終わった後…彼女は涙を流していた。顔に張り付く髪を耳に掛け、ルシュフォードを見つめる。
「……儚くなっても貴方は、国を護らなくてはいけないんですね…。
咎人は地獄、善人は天国?なら…僕は…大嘘つきだから、地獄に堕ちますか?
僕は…貴方のような立派な人間にはなれない。頑張っても…何物にもなれない。それはもう…諦めろという事ですか?凡人の僕に、価値はありませんか?」
そのままポロポロと静かに泣き続ける。彼女は定期的に、こうして言い知れぬ不安に襲われ…それらを涙と共に流していた。
特にこの英雄のような立派な人間を前にすると…いかに自分が平凡か思い知らされる。もし自分に彼のような才があったなら。父も認めてくれるに違いない…と考えずにいられない。
普段自分が、世間からどのような評価を受けているか知っている。
心無い言葉を投げかけられ。表面上はなんでもない振りをしているけれど……傷付かない訳がない!
自分だって努力している!!そう声を大にして言いたかった。どうして両親は自分を愛してくれない?どうすれば、僕という人間を認めてくれるの!?
彼女の努力は一切評価されず、ただ天才の妹の影に生きるしかない。いずれ伯爵になったとしても、妹の存在は付き纏うだろう。
大好きな妹が、憎くて仕方がない。妹さえいなければ…そんな風に考えてしまう自分が大嫌いで。もう、いっそ…
「僕は…逃げてはいけませんか?何もかも全部捨てて…誰も僕を知らない場所に、行ってはいけませんか?
頑張る事に、疲れてしまいました…。このまま…消えて無くなりたい…そう願ってもいいですか…?
どうせ僕は、誰からも必要とされていません。だったら…もう、いいですよね…?
それとも、僕は…死ぬまで、ロッティの………あ、あぁ…あ」
その場に座り込み…まるで小さな子供のように声を上げて泣いた。
「あーーー…うああぁぁ…ん、うええええん、わあぁぁーーー…ぁ、ああぁ…」
その後数分間泣き続けた。
ルキウス達は…側に寄って抱き締めてあげたいと思いつつ、今触れたら…砕けてしまうのではないかと恐れていた。
「……彼は…何を背負っているんですか…?」
ルクトルは感化されてしまったのか、眉を顰めて涙を目に浮かべていた。そんな彼の問いに、2人は答えられない。
彼らはただ、泣きじゃくる後輩を見守る事しか出来ないのであった。
※※※
ようやく涙の止まったセレスタンは、服の裾で顔を拭いた。
「……ふう…弱音タイム終了!!よし、明日からまた頑張るぞ!」
と、拳を握り締めて気合を入れる。いつも不安を流した後は、無理矢理元気を補充しているのだ。
銅像の台座に手を突き、ゆっくりと立ち上がる。だが…足に力が入らず、膝からガクンと崩れ後ろに倒れそうになってしまった。
衝撃を覚悟して、受け身を取ろうとしていたが…一向に痛みはやってこない。それどころか、何か温かいものに包まれている。
「…………え」
「……………………」
それは…咄嗟に飛び出したルキウスだった。彼女の身体を受け止め、地面に突いた自分の膝の上に横抱きにしていた。12歳にしては…小さい肩だな、と感じながら。
「でん、か…?何故、ここに…あっ!?」
「………………」
彼はそのまま、セレスタンの襟を広げた。そこには…あった。月明かりに照らされている、目的の刻印だ。あって…しまった…
だがルキウスの視線は、その下に移る。胸に…包帯を巻いている?
「……怪我をしているのか?」
「あっ!お、おやめください…!」
「答えなさい」
怪我…にしては、痛がっている様子も無い。それにこの巻き方は、包帯というより…まさか?セレスタンと目が合うと、彼女は羞恥と恐怖が入り混じる目をしている。
彼は右腕で肩を支えたまま、左手で身体を撫でる。胸を、腰を、足を…何かを確かめるように、優しく念入りに。
「ひ…!そこっは、や、やだ…!ごめん、なさい、殿下…お許しを…」
ルキウスの大きな手で全身を弄られ、泣き腫らした顔を真っ赤に染めた。同時に皇太子である彼にバレてはいけない…!と抵抗を試みる。
しかしここで暴れては不敬に当たらないか?もしも怪我をさせてしまったら…そう考え、彼女は言葉で懇願するしかなかった。
カタカタと全身を震わせ、「ごめんなさい、お許しください、やめてください…」と言い続ける。
ついにはシャツに手を入れサラシの結び目を外し、シュルシュルと解く。だが最後まで解く事はしなかった。何故ならば…
「彼から離れてください!!さもなくば…!」
ルキウス達から5m程離れた所に、額に青筋を浮かべて木剣を握り締めるジスランが立っていたからだ。
「ジスラン…!」
セレスタンはその姿に安堵した。だが…ルキウスは彼女の肩と腰を強く抱き、まるで「返さない」と言わんばかりにジスランを睨み付ける。2人の身体が密着し、セレスタンは思わず胸が高鳴ってしまった。
触れ合う胸の感触に…ルキウスはため息をついた。
「……私が誰か知った上で、お前はその剣を向けるのか?」
「当然です、皇太子殿下。俺は…俺は。セレスの味方ですから」
「………………」
殺伐とした雰囲気になり…隠れていたルクトルとランドールも飛び出してルキウスの後ろに立つ。
ルキウスはそれを確認すると、自分の制服のジャケットをセレスタンに掛けた。その上から彼女の鎖骨の辺りに手を這わせ、耳元で囁く。
「……お前のここに刻まれている紋様。これを誰にも知られてはいけない。もし知れ渡ってしまったら…その時は。お前は生涯を、私に捧げる事になろう」
「……っ!え、へ?はい?」
耳に吐息を感じ、全身を跳ねさせる。言葉の意味を理解出来ないが…とりあえず返事をしておく。
ルキウスは彼女の頭を撫でて、横抱きにしたまま立ち上がる。そしてジスランに近付き…彼女を手渡した。
「そこまで言うのであれば、お前が必ず守りなさい。彼に迫る悪意から、様々な困難から」
「………はい」
ジスランはそのまま頭を下げ、退出の挨拶をしてから歩き出す。
「ルクトル・グランツ。ランドール・ナハト」
「「はい」」
ルキウスにフルネームで呼ばれて、2人は背筋を伸ばして次の言葉を待つ。ルキウスは彼らに背を向けたまま語る。
「これ以上、セレスタン・ラサーニュの調査は不要だ。そして刻印を持つ者は確認出来なかった。分かったな?」
「「はい!!」」
それがルキウスの答え。少女の自由を国なんざに縛らせはしない。代わりに何かあったら…自分1人で責を負う。皇太子でありながら国を欺くなど…我ながら愚を犯すものだ…と自嘲気味に笑い。ゆっくりと歩き出す。
ふと足元を見てみると。月光に照らされた校舎の影に…何か、巨大なモノが映っている…?彼はバッと上を向いた。つられてルクトル達も見上げると…屋上の柵に。
月を背に、巨大な…透き通る白の毛並みを持つ狼が鎮座していた。
「「「……………!!」」」
「………………」
その姿を捉えた3人は息を呑んだ。遠くからでも分かる神々しさ…魔物では無いだろう、ただの狼でも。ならば…精霊。しかも、かなり高位の。
狼は青い瞳で3人を見下ろす。それは数秒の出来事で、狼はすぐに目を逸らした。先程セレスタンが消えた方角に顔を向け…「くるる…」と小さく鳴いて、姿を消した……
3人は夢でも見ていたような感覚に陥った。その後は特に会話も無く、それぞれ帰路に着く。
「……ジスラン、全部見てた…?」
「…………すまん…」
その頃セレスタンは、ジスランに抱かれたまま帰寮していた。歩ける!と言っても、彼が下ろしてくれないのだ。
歌っている所や踊っている姿、みっともなく泣く自分を見られたと思うと、情けないと悶えた。ルキウスの上着を頭から被り、腕の中で小さくなる。
「その…誰にも言わないでね…」
「約束する。それと……」
セレスタンの部屋の前で立ち止まり下ろす。
彼女を向かい合わせに立たせ、その両肩に手を置く。戸惑うセレスタンは胸に上着を抱き、不安そうにジスランを見上げた。
「何処にも行かないでくれ。誰にも求められていないなんて、言わないでくれ。俺は…ロッティも、バジルも。お前が…大切、なんだから…。
もし現状から逃げると言うのなら。俺も連れ…いや、俺がお前を攫って行く…!」
「ジスラン…」
そのように懇願され…セレスタンは不器用に笑った。
「………ありがとう。じゃあ、おやすみ」
明確に答えを告げないまま…自分の部屋に入った。
部屋の明かりも点けず、扉にもたれ掛かりしゃがみ。上着を抱き締めて先程の出来事を反芻する。
「……何も言われなかったんだし、バレてないよね…?
それにしても…怖かった…!でも手付きは優しくて…うぅ…!」
温かい手の感触を鮮明に思い出す。上着から香るのはコロンだろうか、落ち着く匂いだなあ…と。目を閉じて…そのまま眠ってしまうのであった。




