アカデミー1年生 02
何故女の身でありながら、男にされてしまったのか?原因は、出生時にまで遡る———…
12年前、ラサーニュ家に双子が授かった。どちらも玉のような可愛らしい女の子、屋敷中の誰もが誕生を祝福した。ただ1人、伯爵家当主を除いて。
彼は男児を欲していた。この国では女性は家を継げず、男児に恵まれなければ遠縁より養子に迎えるのが通例だ。だが当主は歴史ある伯爵家の血筋にこだわり…自分の子でなければ跡を継がせる気はなかった。
しかし蓋を開けてみれば、生まれたのは両方女。夫人は生まれつき身体が弱く、これ以上の子は望めない。かといって夫人を愛している伯爵は、他の女に孕ませる気は毛頭無い。
伯爵が出した答えは…先に生まれたほうを男とすることであった。
それがこのセレスタン。もしも先に生まれていたのがシャルロットであれば、彼女がこの運命を背負っていた事だろう。
この事実を知っているのは、現在は伯爵家の3人のみ。セレスタン、伯爵、ラサーニュ家専属医師。
過去にも数人、出産に立ち会った者達等いるが…全員伯爵が遠くにやった。
だが伯爵は…自分勝手な理由でセレスタンに茨の道を歩ませておきながら、彼女を愛する事は無かった。
それは単に、妹のシャルロットが優秀だから、美しく魅力的に成長したから。一を聞いて十を知るほど利口で。人当たりも良く社交性もあり、愛嬌もある娘。
対するセレスタンは、全てにおいて平凡以下。故に伯爵は…後継にするほうを間違えた、と悔いているのだ。しかし今更どうしようも出来ない。
その感情は歪曲しセレスタンに憎しみを、シャルロットには愛情となって向けられた。
「…いや、僕がもっと…もっと頑張ればいい。『流石は私の自慢の息子だ』と言ってもらえるよう…努力しよう。
そうだよ。今まで女としての幸せを捨てて生きてきた。僕に出来る事はただ…未来の伯爵として。アカデミーで優秀な成績を収めて。でも…万が一にも女だとバレないよう、人付き合いは最小限に。
後継は、次期伯爵は僕しかいないんだから…」
伯爵はセレスタンの秘密が発覚しないよう、彼女に徹底して教えた。お前は男だ、絶対に肌を他人に晒すな。もしも暴露するような事があれば…お前の居場所はここには無い。
「はい、ちちうえ。ぼくはおとこです、じきとうしゅです。たにんとかかわりません、だれにもあまえません。ぼくはおとこです。ぼくはおとこです。ぼくは…」
それは最早洗脳だった。伯爵の命令で、使用人達もセレスタンには必要以上に近寄らなかった。ただ彼女はそれを…自分が可愛くない子供だから、誰も愛してくれないんだと考えた。
誰も彼女を愛さなかった。彼女は愛されたかった。寂しかった彼女は親の愛を求めた。例え父親が…自分の事を駒だと、道具にしか見ていなくても。
「僕が……ロッティのように才能に溢れていたら…。
いや、無いものねだりをしても仕方ない。そうだ、もっと頑張ろう。僕はロッティのような明るさも優秀な頭脳も無い。ならば…少しでも彼女に近付けるよう、努力しよう」
セレスタンは幼い頃から、皆に愛されて幸せそうに微笑む妹をずっと見てきた。
両親の愛を一身に受け、使用人からも可愛がられ、領民からも敬われ。幼馴染…ジスランからも沢山のプレゼントを貰い、大切にされてきた。
「そうだ…ジスラン。ロッティにはいつも優しくて、紳士的な男。なのに僕には…もう何年もあの調子…。
なんで…僕が何をしたって言うの…?どうしていつも僕に酷い事するの…僕は…ずっと、ずっと…」
君の事が、好きだったのに…と。
セレスタンは誰にも打ち明けられぬ想いを、胸の内に押し込んでいた。
彼女はジスランを愛していた。だが…彼の愛情は妹に向かっている。恐らくシャルロットも、ジスランに悪い感情は抱いていない。むしろ…好意的に見える。
自分には決して向けられる事のない愛情。だがセレスタンは…「大好きな2人が幸せならそれでいい」と思う事で、なんとか心の均衡を保ってきた。
彼の無茶苦茶な特訓を断る事が出来ないのも。その時だけは…自分だけを見てくれているから。だがそれももう、限界に近付いてる。
年を重ねる毎に彼らは体格差も顕著になり、子供の剣術ごっこでは済まなくなってきている。昔から幾度となく傷付けられてきていたが…いずれ取り返しのつかない事態になりかねない。
「……痛いよう…。…もう嫌い、ジスランなんて嫌い……だい…きらい…!」
彼女は布団に潜り、痛む頬を撫でながら涙を流す。なんとか夕飯の席ではジスランと会わなかったが…こうして大嫌いな彼を思い浮かべながら…眠りにつくのであった。
次の日。ジスランは寮の玄関で…セレスタンを待っていた。
「(謝る…謝る!昨日だけでなく、今までごめんなさいと…もうこんな事はしない!と言うんだ!)」
そう決意するジスラン。その時…廊下の向こうから、セレスタンの姿が見えた。だが…
「坊ちゃん…またジスラン様ですか?」
「ん…大丈夫だよ。もう痛くないし、明日には治ってるよ」
「ですが…」
「…心配してくれてありがとう。バジル」
彼女は1人ではなく、執事のバジルと一緒だった。セレスタンはここ数年、ジスランに向けた事のない笑顔(口元しか見えないが)でバジルに接していた。その様子を見たジスランは……
「……なんだセレスタン、男がそんなかすり傷程度で弱音を吐きおって!!鍛錬が足りないんだ、今日の放課後も覚悟しておけ!!」
「「…………………」」
と…思っていた事と真逆の発言をしてしまうのであった…
セレスタンとバジル、2人から呆れた視線を向けられたジスランは…「先に行く!!!」と言って寮を飛び出して行った。だが向かった先は学園ではなく…敷地内にある、山。の中にある…滝だった。
「………あー!!!あ"ああーーー!!!!なんで、なんで俺は…あぁーーー!!!ごめんなさいって、言いたいだけなのにいいぃーーー!!!!!」
彼は滝に打たれながら涙を流し…本人を前にすると言えなくなってしまう本音をぶち撒けるのであった…
この数日後。休日にもかかわらずジスランはラサーニュ家に乗り込んだ。
「(今日こそ謝る!!今までごめんと、そして今日は剣術ではなく…一緒にゲームでもして…)」
と意気込んでいたはずだったのだが。だだだだ…と、セレスタンの部屋を目指し…勢い良く扉を開けた。
「セレスタン!今日は…」
「うっきゃああぁっ!!?ジ、ジスラン…!ノックくらいしてよっ!!」
「………………は」
そこには…前髪を上げて、最近見せてくれなかった…可愛らしい素顔をさらけ出し。上はシャツを着ているが、下は何も穿いていない…着替え途中のセレスタンの姿があったのだ。
「(あ…あっぶな〜…上は着た後で良かった!男物のパンツ穿いといて良かった!!)見りゃ分かるだろ、僕今着替えてんのっ!!早く出て行け!!!」
しかも彼女は顔を真っ赤に染めてしまい、シャツの裾を握り締めて必死に下を隠して。全く怖くない涙目で彼を睨み付けた。
ジスランはと言うと…彼女の白く細い太腿に目を奪われていた…。そして…
「…………なん、なんだその細っ、細い身体は!!!俺が鍛えてやる、着替え終わったら外に出ろ!!!」
「はあっ!?ちょ…!」
バタン!!!と音を立てながら扉を目一杯閉めて、廊下を疾走する。
そしてセレスタンがやって来るまでの間に、走って筋トレをしてひたすら素振りをして…煩悩を追い出す為に身体を動かし続けた。
その後うんざりしたような足取りでセレスタンがやって来て。先程見てしまった彼女のあられもない姿を…脳内から追い出す為に。ジスランは、いつも以上に張り切った。
「はぁ…く、ちょ、待って…」
「まだまだだ!」
「ジ、ジスラン様…もうその辺で…!」
様子を見に来たバジルが苦言を呈するも、ジスランは止まらない。
ここまで来ればお分かりだろうが…この男、ジスラン。
幼い頃より…セレスタンに好意を抱いているのである。本人は認めようとしないが、セレスタン以外にはバレバレなのである。
昔…初めて会った7歳の時。まずシャルロットと顔を合わせて…可愛い子だなと思った。
そしてその後ろに、もう1人赤髪の子供がいる。ジスランはそれが兄のセレスタンだろうとすぐ分かった。
だが…男のくせに淑女の陰に隠れるとは情けない!!と、説教してやろうとセレスタンに向かって手を伸ばした、瞬間。
『あの…セレスタン・ラサーニュです…はじめまして…』
そうおずおずと顔を見せるセレスタンに…ジスランは心を奪われてしまった。
顔立ちこそはシャルロットと瓜二つだが…とても…とても愛らしかった…。
下がり気味の眉も、桃色に染まった頬も、控えめに笑う仕草も。どこか憂いを帯びていて…この子を守れる男になりたい、と自然に思った。
だが忘れてはいけない、セレスタンは男の子である(実際は女の子だが…それはシャルロットすらも知らない事実)。
それに気付いたジスランは絶望した。何故なら「おれはしょうらい、セレスタンとけっこんする!」と決意する程に一目惚れをしてしまったからである。
それ以来彼は、恋心をなんとか封印しようとした。
最初は単なる一目惚れだったが… よく笑い、泣き、怒るセレスが愛おしくて仕方なくて…彼は段々と苦しくなっていった。
なので逆転の発想で、セレスタンをムキムキに鍛える事にした。そうすれば己の幻想も消えて、いずれまた…仲の良い友人として…過ごせるようになるだろう、と…
その為に、ロッティを守る力を付ける為に特訓だ!!という口実でラサーニュ家に入り浸り。さり気なくセレスタンと2人きりの時間を過ごしたくて…剣を振るって来た。
シャルロットからは「全部逆効果よ。私をダシにすんじゃないわよ、このヘタレ」と言われてしまったが。
ジスランは自分の勝手な欲望を、理想を…彼女に押し付ける道を、選んでしまったのだった…
「も、う……むり……」
「セレスタン様っ!!!」
「え——あ…」
ジスランは過去に思いを馳せていたせいで…一瞬反応が遅れてしまった。
目の前には汗だくで肩で息をして、木剣を地面に突き刺し身動きが取れないセレスタンの姿が。
しまった、やり過ぎた——と後悔した瞬間、ジスランの木剣は彼女の木剣をへし折り…その勢いのまま、彼女の身体に叩き込み。
防御も受け身も取れなかったセレスタンは…後ろに吹き飛ばされてしまったのだった…
「セレスタン様、坊ちゃん!!」
「あ、あ——あ………!」
ジスランは剣を落とし…足が動かずにいた。バジルはすぐさまセレスタンに駆け寄り、声を掛ける。
彼女は一切の反応を見せず…頭から血を流して、ぐったりと四肢を投げ出していた…
「…!!セレスタン…セレス…!!」
「ジスラン様、揺らしてはいけません!!頭を打っています、至急カリエ先生を呼ばないと…!」
「俺が行って来る!!!」
カリエ先生とは、伯爵家専属医師のマイニオ・カリエの事である。
我に返ったジスランは馬を走らせ、町中にある彼の診療所を目指した。
「カリエ医師はいるか!!!セレスタンが頭を打つ大怪我をした、ラサーニュ邸に向かってくれ!!!」
「なんですと…?」
ジスランが診療所の扉を勢い良く開けると、受付や患者達が驚きの目で見た。彼はそれらを一切無視して、目的の老人を見つける。
カリエは高齢である為、診療所の仕事は全て弟子達に任せている。そして自分はいつでも伯爵家に向かえるようにしているのだが…
「ああ、俺の馬に乗って…」
「その必要はございません」
「え?」
カリエはいつも持ち歩いている医療用のバッグを手に持ち、老人とは思えぬ身軽さで外に飛び出した。
ジスランが慌てて追い掛けるも…すでに彼の姿は無かった。一体何者なんだ…?と思いつつ、ジスランも伯爵邸に戻る。
「…これでもう大丈夫だ。バジル、坊ちゃんを運んで差し上げなさい。揺らさぬよう、ゆっくりと」
「はい!!」
ジスランが帰る頃には、すでに治療も終わっていたらしい。バジルに横抱きにされ、静かに運ばれて行くセレスタン。ジスランは呆然とその様子を建物の陰から見ていたのだが。
ふと…カリエと目が合った。ジスランを見据えるその目は…とても高齢の老人の物には感じられなかった。殺気の篭っているような鋭い視線で射抜かれ、ジスランは背筋が凍り…無意識に後退る。
2人は暫く睨み合いをしていたが…カリエが大きくため息をつき、ゆっくりとバジルの後を追って屋敷に入って行く。
「…………………」
その場に残されたのはジスランと、折れた木剣と…セレスタンの血…
ジスランはゆっくりと踵を返し、自分の家に帰って行く。が。途中大幅に寄り道をして、山登りをしてとある滝に向かい…またも涙を流しながら打たれていた。
「嫌われた…嫌われた、あ"ーーー!!!絶対嫌われた!!!お見舞い…俺に、そんな資格は……うああああああああっっっ!!!!」
何度こうして滝に打たれ、池に飛び込んだか分からない。彼は完全に…拗らせていた。
昔は素直に愛情表現も出来ていた。だが…花を贈ろうとすれば、シャルロットに「男性に花を贈るとか、何を考えているの?」と奪われる。
じゃあお菓子…と思っても、皆でお茶会にしてその場で出されるだけ。
アクセサリーは?…親になんて言って買ってもらう?「セレスタンに贈る為!」と言えば…憐れみの視線で「ジスラン…あの子は、いくら可愛くても男の子なんだよ…」と諭されるだけ。
結果…どうしてかこうなった。
ジスランは普通に男友達としてセレスタンと接する事も出来ず。「もう相手が男でも構わない!」と開き直って愛を囁く事も出来ず。
この日も長時間滝に打たれて…ずぶ濡れでブラジリエ邸に帰って行くのであった。
セレスタンはこの怪我で学園を休む事になり。数日後シャルロットとバジルと一緒に、遅刻して登校したのだが…ジスランは今度こそ謝るつもりだったはずなのに。やはりセレスタンの顔を見てしまうと、真逆の事を言ってしまう。
「セレスタン!2日も学園を休むとは何事か!あれきしの鍛錬で気を失うなど軟弱すぎる、体調管理がなってない!基礎からやり直せ!!」
とか言いながら、自分で怪我させておいて何吐かしてるんだジスラン・ブラジリエ!!!と、心の中では叫んでいる。
それでもいつものように、「やかましい、誰の所為だと思ってるんだ!」とか返ってくると思っていたら…
「………うん、そうだね…。だからもう…いいから。僕の事は放っておいて…お願いだから。これ以上…君を、嫌いになりたくないから…」
「……………え………?」
と…明確にセレスタンは…ジスランを拒絶したのだった。
「お兄様…?」
「坊ちゃん……」
困惑する3人を無視して、彼女は自分の席に向かいトボトボと歩き出す。
セレスタンはもう…これ以上ジスランに傷付けられたくなかった。好きな人に剣を向けられるのは…恐怖もあるが、それ以上に悲しかった。
だからいっそ…いない者として扱って欲しい。自分に構わないで欲しい、と…そう考えたのであった。
「あ…お、お兄様。もう期末テストの結果が貼り出されているそうよ、行ってみましょう!」
「………うん」
「お、俺も……」
「……………………」
セレスタンはついて来るジスランを拒みはしなかったが、受け入れてもいない。来たきゃ勝手に後ろを歩いていろ、という事だ。
ジスランは今まで「あー!やっちまった、嫌われた!」と思いつつ…セレスタンに本気で嫌われるとは想像した事が無いのだろう。
その証拠に…今全身で拒絶されて初めて。自分は間違えた…今まで…愚かな事をしていた、と…気付いたのだった…
「……セレス…ご、ごめ……すまなかっ、た……」
「………………!」
ジスランは両手を握り締めて…涙を堪えながら、震える声で謝罪の言葉を口にした。
その様子を見たセレスタンは、歯を食いしばり…どうしてお前がそんな顔をする、被害者は僕のはずだろう!?と思った。
だが…
「………剣の鍛錬は良いけど…もう少し、手加減してよ……」
と…結局彼女が折れてしまうのだった。ただし今回は流石のジスランも手放しでは喜べない。
今後自分は…完全に失った信用を、なんとか回復させなくてはならない。それを充分理解しているので…無言で頷き、ゆっくりと3人の後を追うのだ。
もしもセレスタンが最初から性別を偽る事なく、女性として生きていたならば。確実に現在は全く違う関係となっていただろう。
そう考えると…このジスランは。セレスタンに次ぐ…伯爵の被害者なのかもしれない…
ここが分岐点。