アカデミー1年生 25
バジルが色々な用事を済ませると、セレスタンはちょうど布団を綺麗にし終えた後だった。
彼女は洗浄魔術だけは昔から使っているので、腕前は中々のもの。精霊の助けもあり、血は綺麗に落ちていた。
「お待たせ致しました。朝食はお済みですか?」
「おかえり。うん、食べたよ。
ロッティには言っておいたから。今日は屋敷の業務もいいから、1日僕についてくれていいって」
「はい、畏まりました。お手伝いしますね」
「ありがと」
2人で布団をベッドの上に乗せる。
そしてバジルはセレスタンをソファー座らせお茶を淹れ、事情を聞く事に。
セレスタンは戸惑ったが…彼も座ってもらい、昨夜の出来事を包み隠さず話す。流石に今朝のアレは、ぼかして伝えたが。
それでもバジルは拳を握り顔を険しくした。
しかしセレスタンを襲った彼の気持ちを、彼は理解出来てしまう。それでも、彼女を襲う事は絶対に違うし許せない…と憤った。
「あの…彼は昨夜も今朝も、僕に謝ってくれたから…怖かったけど、もう大丈夫…だと思う」
「セレスタン様…!」
バジルは立ち上がり彼女の前に立ち、膝をついて手を取った。
「貴女のそのお優しい心は美しい。ですが…どうかご自愛ください…!
彼が思いとどまってくれたからよかったものの…少し違えば貴女は、今頃…!!」
「…ごめん…ね…」
もしも。今朝この部屋を訪れて…扉を開けたら、ベッドの上に息絶えた2人が横たわっていたら…
「僕は、耐えられません…!そしてもちろん、お嬢様もジスラン様も。
ですから…次からは、絶対に抵抗してください。貴女でしたら、彼ぐらいはどうとでもなるはず。
貴女自身が全て受け入れる覚悟があろうと、僕にはありません。
約束してくださらないのであれば。僕はセレスタン様付きにしていただきます。そして付きっきりで、貴女をお守りします!」
彼は懇願した。もう二度と…同じ思いをしたくないから。
セレスタンは彼の訴えを聞き…静かに涙を流す。
自分を案じてくれている人の存在を…蔑ろにしてしまった事に気付いたから。
「そ…だね…。もしロッティが同じように襲われたら…僕は、もう…」
「(シャルロットお嬢様なら…余裕で縛り上げて「お兄様に手を出したら殺す」くらい言うだろうな…)わ、分かっていただけましたか。
ですが…どうか彼を罰するならば。僕も処罰してください」
「え!?」
「僕は貴女に…一度だけでいい、彼を許してくださいと…貴女の傷付いた心を無視して希います。
ですからどうか…僕に罰を…!!」
「待って!」
セレスタンは焦った。自分はもとより、少年を処罰する気など無いのだから。更にはバジルまで…そんな事、彼女は望まない。
バジルも彼女がそう考えている事などわかっていた。少年を最初から許すつもりだった事も。自分を罰する気もない事も。
その上で彼女に許しを願った。自分は、卑怯者だな…と自嘲しながら。
「僕はあの子も君も、処罰しない。
お願いだから…もうそんな事言わないで…」
「…はい。ありがとうございます…!」
互いに言いたい事は沢山あるだろう。だが…今は少年をどうにかするのが先決だ。
セレスタンは少年を連れて来るよう命じた。彼を風呂に入れるためだ。
「まだ顔に血付いてるでしょ。それに今まで体を拭いただけだから、一度さっぱりしないと。
で、悪いんだけど…君の着替えを貸してもらえる?僕のじゃ小さ過ぎるし」
「体…拭く…!?まさか今までお嬢様が!!?」
「カリエ先生だよ!!!(まあ…裸見ちゃったけど…)」
バジルはほっと胸を撫で下ろす。…胸?
そのままセレスタンの胸部に視線を向けた。それを感じ取った彼女は…やや赤くなりながら手で隠す。
「……なに?」
「…はっ!!いえ、その、っと…!
そそっそのっ、坊ちゃんでなく、お嬢様…で、よろしいのですよね…!?」
「えと…うん…」
「シャルロットお嬢様も、ご存知ありません…よね?」
「うん。知ってるのは父上と、カリエ先生だけ。
あと…ルネさん」
「え。ヴィヴィエ様が!?」
彼女は頷いて、医務室での出来事を説明する。
「でも残念ながら、誤魔化せなかった…。なんか苦笑いしてたよ、結構良い話だと思ったのにい…」
「(狼男ですか貴女は…これで本気で言ってるんだから、もう…)」
とにかく。事実を知る者は残り、自分と少年だけになる。
シャルロットにも言えないのは心苦しいが…絶対に秘密にすると、約束した。
理由は聞かなかったが…十中八九伯爵のせいだろう。それだけ分かれば充分だった。
いつか必ず。貴女を自由にします。バジルはそう決意し…少年を迎えに行った。
「風呂?」
「そうだ。使い方を説明するから…」
「おれはお前に、体を洗われるのか…!?」
「してたまるか!!お前が自分で出来るように、説明するんだよ!!」
「(おお…バジルが怒ってる、珍しい)」
バジルは声を荒げながら、少年をバスルームに連れて行く。
ここを捻ればお湯が出る。頭を洗うならそれ、体はこれ。タオルは…と説明し終え、バスルームを出ようとノブに手を掛け…動きを止めた。
「…?どうした」
「シッ!」
少年は訝しげだったが、扉の向こう…セレスタンの部屋から、男の声がする。
2人は揃って扉に耳をつけ、なんとか言葉を拾う。
彼らがバスルームに入ってすぐに…伯爵がノックも無しに扉を開けたのだ。
セレスタンは驚き、「…何かご用ですか」と低い声で訊ねた。
伯爵はその反応に鼻を鳴らして、部屋の中を見渡す。
「なんとも殺風景な部屋だ。住む人間の程度が知れるというもの」
「(家具を揃えるお金もくれないくせに…!)」
「ふん。拾った子供はもう捨てたのか?」
「…!行く当てが見つかるまで、追い出すつもりはありません」
「くだらん。早く捨ててこい」
「…っ!いいえ…いいえ!今追い出しては、彼は死んでしまいます!」
セレスタンはあまりの発言に声を上げた。
彼女はこれまで…どれだけ酷い事を言われ平民以下の扱いを受けようとも、全て我慢してきた。
そんな娘の初めての反発に、伯爵は一瞬眉を吊り上げた。
「それがどうした。たかだか平民の子供、死んだところですぐ他がその辺で生まれる」
「なに、を…!」
「私は本来、あの小僧がこの屋敷にいる事すら不快なのだ。だがロッティが望むのでおいてやっているだけの事。これ以上屋敷にゴミを増やすな」
バジルの事だろう。もしもシャルロットが気に入っていなければ、彼も放り出されていたに違いない。
セレスタンはぎゅっと拳を握り。精一杯伯爵を見上げる。
「………でき…ま、せん…!!」
「なんだと…?」
「出来ません、僕には…この大雪の中、家も身寄りもない彼を追い出す事など出来ません!!」
今セレスタンが引いたら、少年がどんな目に遭うか分かりきっている。
伯爵に「孤児院があるんじゃなかったのか、ロッティにも嘘をついたのか」という内容を訊ねた。
「あのような子供、放っておけば直に死ぬ。天に召されるという事は、還るという事と同義だろう。ロッティには「孤児院は無いが、役場のほうで直ぐに保護して里親を見つけている」と言ってある。
あの子に余計な事を吹き込んでみろ…貴様も今すぐ、この寒空の下放り出してやる」
「……!」
セレスタンはその発言に…大きく目を見開いた。
ならば。父親は…これまで多くの人々が、犠牲になっている事を知っていたのか。その上で…放置していたのか…と、絶望しているのだ。
「(…こんな…こんな男…!理想的な領主でもなんでもないじゃないか!!)」
「どうしても捨てられなければ、好きにしろ。ただし家からは一切の金は出さん。
餌をやりたければ貴様の分を分け与えろ」
「………わかり、ました…」
少年が治癒を扱えると言えば…伯爵は態度を変えるだろう。
何せ治癒の使い手は出自に関係無く重宝される。
見目が良ければ尚更だ。少年は今は痩せ細っているが…しっかりと栄養を摂って身綺麗にしておけば、きっと誰もが彼を手元に置きたがるほど輝くだろう。
セレスタンも以前見惚れた力強い瞳、サラサラの黒い髪。高い身体能力…どこかの貴族の目に留まれば、専属治癒師として高待遇で迎えられる可能性もある。
しかしセレスタンは、言わなかった。そうした場合…少年は伯爵によって自由を奪われ、操り人形にされてしまうと思ったから。
何やらバスルームの扉がミシミシと軋んでいるが…2人は気付いていない。
「(彼は大きいから、僕のご飯だけじゃ足りないかな…。でも治癒魔術という大きな武器を持っているし…首都に連れて行ければ、きっと神殿に迎え入れてもらえる。
だから…雪が溶けて休暇が明けたら、一緒に連れて行こう…
それまでは、お腹が空くだろうけど…ちょっとだけ、我慢してもらわなきゃ…)」
「話は終わり…」
「ではその少年、儂のほうでお預かりしましょう」
「…なんだと?」
「先生…?」
セレスタンは俯き、伯爵が部屋を出ようとした時。音も無く扉が開き、カリエが入って来たのだ。
「儂ももう年ですから…後継者は何人いても足りませぬ。
あの少年は坊ちゃん専属に致しますので。彼の衣食住の費用、儂が負担致しましょう。如何ですかな?」
「……好きにしろ。ただし私やアニカ、ロッティを診る事は許さん。私は今後一切、あの子供には関わらん」
「は…畏まりました」
そうして伯爵は、部屋を出て行った。
セレスタンは堪えていた涙が溢れてしまい、カリエがガーゼで拭いてくれる。
「せ、先生…ごめんなさい…」
「…はて。儂はただ、自分の負担を減らす為坊ちゃん専属の見習いが欲しかっただけですが。もちろん病気の際は、儂が診させていただきますがね。
何せこのお屋敷で一番手が掛かるのは坊ちゃんですからねえ…。奥様も、以前より体調を崩す事は減りましたし。
…ジスラン様の稽古も減り、怪我も減ったのは良い事です」
「………うん…!」
「ですが儂の診療所は手狭でして…坊ちゃんが休暇等でお屋敷にいる間だけは、彼もこのお屋敷で過ごさせたいのですが…」
「おれはこの部屋に住む」
「させるか!!!お前は僕の部屋だ!!!」
「お前と、同じ布団で寝ろと…!?」
「お前は床だ!!!」
セレスタンとカリエの話に、2人の少年も入って来た。そのまま言い合いを始めてしまい、彼女はそんな様子を…微笑みながら見つめていた。
彼らは話を全て聞いていたようで、バスルームで伯爵を抹殺して庭に埋める算段を立てていたらしい。
カリエ先生もいるのに!とセレスタンは焦ったが。当の本人は「ほっほ。バレないようにやりなさい」と笑い、顎が外れそうな程に驚いてしまった。
少年がシャワーを浴びている間、セレスタンとカリエはソファーに座り話し合う。
彼女は、まずバジルと少年に自分が女だと知られてしまったと報告する。彼は少し顔を顰めさせたが…バジルの人柄を良く知っているので、お嬢様をお守りするように。と言った。
そしてカリエには少年が治癒を扱える事を告げた。すると「ほう…ならば益々適任ですな」と喜んだ。
「父上に、言う…?」
「はて…?旦那様は関与しないと仰った。報告する必要は無いでしょう」
「…ありがとう」
そんな風に色々と今後の細かい話を終え…少年も戻って来た。
彼もソファーに座らせ、バジルがお茶を淹れる。そのままバジルも座り、4人揃って最後に大事な話をする。
「おれの、名前?」
「うん。その…ある?」
「…………いや、無い。セレスタンが付けてくれ」
「ほっほ。今後この方にお仕えするのだから。きちんと坊ちゃんと呼びなさい」
「……坊ちゃんは、男の呼び方だろう。お嬢様、となら呼んでやってもいい」
「いい訳あるか!ならばセレスタン様とお呼びしろ!」
「長い」
「ええ…?じゃあセレスでいいよ?」
「セレス、セレス様か…まあいいだろう」
「なんでお前が偉そうなんだ…!!」
「バジルも、そう呼んでくれていいんだよ?」
「ふぁい!?…で、では、そのように…!」
とまあ、脱線しつつ…セレスタンは、どんな名前がいいかなあと考え始めた。
バジルの時は、ハーブの名前からとったらしい。今回も…合わせてみようか。そう考えた時、ふと鼻腔をくすぐる匂いが。
手に持っている、ハーブティーの香りだった。
「…グラス」
「グラス?」
少年が聞き返す。
「うん…。僕、このレモングラスの香りが好きなんだ。君の名前…グラスで、いいかな?」
「…ああ。気に入った」
少年は微笑みながら「グラス…グラス、か」と呟いた。
「(あ…彼が笑った顔、初めて見たかも…)
じゃあ…これからよろしくね、グラス」
セレスタンが差し出した手を、少年…グラスはしっかりと握り返す。
カリエが「では儂はこれで」と部屋を出ようとする。そこへセレスタンは声をかけた。
彼女にとってカリエはもう…敵なんかではなかったから。
「あの…ありがとう!お、おじいちゃん…!」
「……ほっほ」
それ以上何も語らず…医師は部屋を出て行ったのだ。廊下に出た彼は…微笑み、目に涙を溜めながら廊下を進んでいった。
そうしてグラスはセレスタンに仕える事になった。
しかし伯爵の意向で屋敷の仕事は手伝えないので…まず彼は、読み書きの勉強からする事に。そしてバジルに格闘を教わり、セレスタンに剣術を教わる。
シャルロットにだけは、グラスを紹介しておく事に。顔合わせは早いほうがいい…と思い部屋を訪ねた。
「…という訳で、ロッティ。彼はグラス、カリエ先生の見習いっていう名目で、僕の側にいてくれるの」
「そう……………
初めまして、お兄様の妹のシャルロットよ」
「(これが妹か…大した事無いな。セレス様のほうが可愛い)ふんっ、おれはグラスだ」
「こら、ちゃんと挨拶しなきゃ」
「ふふ、いいのよお兄様。……ところで、彼はずっとお兄様と一緒に過ごすのかしら?」
「うん。部屋はバジルと同室にしてもらったけど…昼間はずっと一緒だよ」
「そう………………………。バジル」
「は、はい!」
「貴方は今日から、半分お兄様に付いて頂戴。いいわね?」
「はいっ!!」
シャルロットはグラスを見た瞬間。こいつは危険だ…信用ならん!と判断したのだ。なのでバジルを自分専属でなく、兄のほうにも付くよう命じた。
当然グラスから愛しい兄を守る為なのだが…当のセレスタンはというと。
「(きっとグラスとバジルが昔馴染みだって聞いて、2人を一緒にしようとしてくれているんだろうなあ…優しいな、ロッティは)」
と考えていたが。
ほんわかするセレスタンの目の前で。シャルロットとグラスは…「おほほ」「ははは」と笑い合っていたのだった。
「(お嬢様とグラスの背後に…獅子と狼の幻覚が見える…)」
バジルは何も見なかった事にした。
それから数日。セレスタンはずっと、ラサーニュ領が今どうなっているのかグラスとバジルに聞いていた。
それは凄惨なもので、自分は表面しか知らなかったんだな…と目眩を起こしてしまった。
このままではいけない。でも…自分に何が出来る?そう考えては、机に向かって頭を抱えている。
「きゃあっ!?」
「何を悩んでいる。答えは、簡単だ。あのオッサンを殺す、だけ」
「やめろ馬鹿!!」
グラスはセレスタンを膝に乗せて、耳元で囁いた。そのまま舌を這わせようとしたので、バジルが殴って止める。
「セレス様!精霊達にグラスのセクハラを止めるよう指示してください!僕だってずっと一緒にはいられないんですから!!」
「う、うん。えーと…むぐっ!?」
「精霊。おれが、セレス様に何をしても。止めるな、いいな?」
「ど阿呆っ!!バラ、セラ、ガブ!この男がセレス様に触れたら殴って止めるんだ!」
'''うーーー…ん?'''
彼らは大いに戸惑っていた。もちろんセレスタンの言葉が最優先だが…先日何もしないで!と言われたばかりだし。
悩んで会議をした結果…助けを求められたら殴る!という結論に至ったようだ。
グラスに抱えられたままの状態で、どうするべきか考える。
セレスタンは昔から、自分が伯爵なんて…とても務まらない!と思っていた。何度も逃げたい、誰かに押し付けたい、もう嫌だ!!と泣いていた。
貴族として生きるのではなく、パン屋さんやお花屋さんになりたいと思っていた。
それにシャルロットがいたから。性別が逆なら良かったのに、等言われ続けてきたから。彼女の自己評価はとてつもなく低いのだ。
それでも、そうも言っていられない事態。自分が伯爵になって…領民を助ける!
父親の事を称賛していた、商会長やら役場のトップらなども信用出来ない。誰も信じず、頼らず。伯爵としての務めを果たす!!
問題は今だ。自分が当主になるには、早くて数年。それまで…どうすればいいのか。
セレスタンはずっと、頭を悩ませるのであった。
アニカ→伯爵夫人




