アカデミー1年生 01
「はあ…」
セレスタン達が学園に入学してから早一ヶ月。ここまで来るとほぼ人間関係は構築され、いくつものグループが出来ている。
それは単に気が合う者同士だったり、実家の関係で親しくなっていたり。ただし…セレスタン・ラサーニュには新しく友人は出来なかった。正確に言えば、作る気が無いのだけれど。
「セレスタン!まだこんな所にいたのか、今日の鍛錬を始めるぞ!!」
「げぇ…!ジスラン…」
彼の数少ない友人の1人。それが今木剣を2本手に持ち、そのうち1本をトイレから出て来たセレスタンに突き付けている男、ジスラン・ブラジリエ。
彼らは同じ伯爵家の息子であり、幼馴染。ブラジリエ家は武術に優れた家系であり、彼も剣の腕は同世代の中でも群を抜いている。
ただ…それを僕に押し付けるのはやめて欲しい、とセレスタンは考えているのだが。
「さあ行くぞ!全くいつまで経ってもそんな細い身体で…!鍛錬が足りないんだ、来い!」
「痛っつ…!もう、自分で歩けるから離せっ!!やればいいんだろうやれば!!」
ジスランは恵まれた体躯をしている。まだ12歳ではあるが身長は170cmを超え、筋力もそれに見合うものがある。
対してセレスタンは145cm…手足も細く、何もかもジスランには及ばない。だがジスランは、そんな彼に対して自分と同じ鍛錬を押し付けてくるのだ。
今だって思いっきりセレスタンの腕を掴み引っ張り、彼の細い腕は悲鳴を上げている。それを振り払い、ジスランの手から木剣を奪う。
「そ、そうだ。ロッティを守れるような男になりたければ、毎日の鍛錬を欠かすなよ!」
「うざ……」
ジスランはセレスタンの妹…シャルロットをよく話題に上げる。事あるごとに「ロッティが、ロッティを、ロッティの!」と…彼女の名前を出す。セレスタンはそんなジスランの事を…友人とは思いつつも、煩わしく感じている。
「(そりゃあまあ、ロッティは可愛い。兄の僕から見ても天使な妹だ、お近付きになりたい気持ちは充分に理解出来る。ただ…)」
ちらりと彼を見上げてみる。
ジスランは…シャルロットと一緒にいたいから、今も自分と友人でいるのだろうか。
自分を鍛えるという名目で昔からラサーニュ家に入り浸り…剣を押し付けてきた。こうして学園に入学した後も、放課後は毎日突っかかって来る。
妹がいなければ。彼とは…とっくの昔に疎遠になっていたのだろうか?セレスタンはそう考えると…
「……反吐が出る…」
「ん?何か言ったか?」
「別に…」
はあ…とわざとらしくため息をつき、鞄を回収する為に教室に向かう。すると丁度、シャルロットとバジルが帰り支度をしていた。
シャルロットは2人の姿を確認すると、ふわりと笑った。まだ教室に残っていた数人のクラスメイト達は、その笑顔に男も女も骨抜きにされ…「いいもん見た!」と己の幸福を噛み締める。
「あら、お兄様…とジスラン?今から剣の修行かしら?」
「うん、そうだよ」
「ロ、ロッティ…じゃあ、また明日!」
「ええ、また明日ね。2人共」
ジスランは乱暴にセレスタンの鞄を持ち、またも彼の腕を掴み…足早に教室を飛び出した。
「(いたたたたた!!!この野郎、ロッティが可愛すぎて目を合わせられないのか、いつもこうだ!)」
セレスタンは心の中で悪態を吐くも、妹の前では格好いい兄でいたい為…なんでもない振りをするのである。
そのまま彼らは外、グラウンドにやって来た。
セレスタンは痛む腕を押さえ、袖を捲ってみれば…ジスランの手の形に赤くなっている。これは痣になるな…と、彼はまたため息をついた。
この世界の人間は皆魔力という力を宿しており、魔術という神秘を使えるのだ。魔術は戦闘に使ったり、生活の役に立つものだったり、様々な用途がある。
適性のある人なら怪我を治す治癒魔術が使えるのだが…その数は少ない。数千人に1人程度しかいないので、大体の人間は自然治癒に任せる。
2人は鞄と木剣を邪魔にならない場所に置き、まず走り込みから始める。
「…はあ、は、あ…、はあっ、はあ…!」
「なんだ、もうバテたのかっ!?あと3周だ!」
「…こん、の…やろ、う…!」
ただし、運動前に身体を温めるだけのはずが…体力無尽蔵なジスランは走りまくった。ひ弱なセレスタンを巻き込み、走る走る…すでに4kmは走っているが、まだまだ元気そうだ。
結局その後5周(2km)走り…ようやく2人は練習用の木剣を手に持つ。ただしこの時点でセレスタンは、半ば体力の限界を迎えていたのだが。
カン、ガキンッ、カアン!
「軽すぎるぞ!」
「やか、ま、しいっ!!」
素振りをした後、こうして打ち合うのだが…彼らは実力差があるので、いつもセレスタンは苦戦を強いられている。
パワースタイルのジスランと、スピードタイプのセレスタン。セレスタンは猛攻を仕掛けるも、ジスランは全て受け止めて弾く。
逆にセレスタンがジスランの攻撃を受ければ、一撃でも致命傷だ。その為全て躱す避ける。
「(あー…なんで僕、こんな事やってるんだっけ…)」
セレスタンは別に、剣が好きという訳ではない。強くなりたい理由も無い。自分の身と、大切な妹を守れればそれでいい。だが妹には頼もしい執事も側にいる、この剣術馬鹿だっている。
では何故、こうして毎日猛特訓をしているのか?それは単に…この男が押し付けてくるから。それを断れないだけ…
セレスタンはそんな風に、つい考え事をしてしまった。ジスランはその隙を見逃さない。
「セレスタン!集中し……あ…」
「うわっ!…っつぅ…」
ジスランが右上から振り下ろした際…セレスタンの剣を弾くと同時に、彼の顔に剣が当たってしまった。
結果セレスタンの顔は5cm程裂かれ…血が溢れ出た。頬を生温いものが流れる感触と同時に、痛みが襲ってくる。彼は呆然と拭うと…手が真っ赤に染まった。
彼の顔は髪で隠されていて表情は見えないが…ジスランには、彼が口を結んだのが見えた。
「ぁ…す、すまない…」
「…………はぁ…今日はもう帰る。悪いけど、剣片付けといて」
「ああ…」
怪我をしたのはセレスタンのほうだというのに…ジスランはまるで、自分が深く傷付いたような顔をした。
その表情を見て…セレスタンはまた、苛立ちを覚えるのだった。
彼はすぐに医務室へと向かう。
「失礼します。ゲルシェ先生、いますか?」
「んお?まーたお前か…って、なんだその怪我!?」
医務室の扉を開ければ、養護教諭が椅子に座ったまま体だけ捻り顔を見せる。
彼の名はオーバン・ゲルシェ。30代半ばで、ちょくちょく仕事はサボるわ言葉使いやら態度が悪い…不良教師。今日は運良く医務室にいたようだ。
彼は白衣を嫌い、常に全身黒い服で決めている。「養護教諭=白衣という決め付け、良くない」と、以前セレスタンに熱く語った事がある。
そんなオーバンはセレスタンの怪我を確認すると…慌てて処置を始めた。セレスタンは早くも何度か医務室にお世話になっているので…彼らは世間話をする程度の間柄になっていた。
「あー…一体何があったんだ?」
「………ジスランと…剣の…特訓を…」
「はあ?あの野郎…とりあえず、邪魔だからコレ外すぞ」
オーバンは怒りの表情を浮かべながらも、手早く処置をする。そしてセレスタンの眼鏡を外し、長い前髪をかき上げる。すると…
「……お前、こんな顔してたのか…」
「え。あー……はは、はい……」
オーバンもこの時、初めてセレスタンの顔を見たのだが…
その顔は、絶世の美女と称される妹・シャルロットと瓜二つであった。ただ常に優雅に微笑むシャルロットとは違い、常に彼は自信なさげに眉を下げている程度の差しか無い。
今は頬の痛みからか、金色の瞳を潤ませて不安そうにオーバンを見上げている。同世代の男子が彼からそんな表情で見つめられたら…恐らく心臓をぶち抜かれていたに違いない。
しかしオーバンはいい大人なので、揺さぶられる事は無かったが。
「(綺麗な顔してんじゃねえか、なーんで隠すのかねぇ…。ま、俺が口出しする事じゃ無えよな)
…よし、オッケー。痕が残んなきゃいいが…魔術の先生に治癒魔術掛けてもらうか?」
「いえ…いいです。ありがとうございました」
処置が終わると、セレスタンはすぐにいつもの格好に戻した。そしてガーゼが当てられた頬を無意識に撫で…
「……僕の事が嫌いなら…放っておいてくれればいいのに…」
と、呟いた。それはジスランに向けたものだろうか。頬を流れる涙はなんの為か…オーバンは何も気付かなかった振りをした。
その後彼らは少しだけ言葉を交わし、セレスタンは寮へと帰って行く。その姿を確認したオーバンは…大股で医務室の窓に近付き、勢い良く開け放った。そして…
「…この馬鹿野郎っ!!!」
「いっ……!!」
窓の外から様子を伺っていた…ジスランに特大の拳骨を落とすのであった。
セレスタンは窓に背中を向けていた為気付かなかったが、この男は最初からずっと見ていた。
「剣術の鍛錬は結構だが、あそこまでの怪我を負わせるんじゃない!!お前はラサーニュを傷付けて楽しいのかっ!?」
「お、俺は…!ただ…」
「言い訳はいらん!!」
オーバンは額に青筋を浮かべてもう一撃喰らわせる。そして「明日きっちり謝罪しろ!」と言い、窓を乱暴に閉めた。
「……セレスタン…俺は…俺、は…」
ジスランにはいつもの勢いは無く…トボトボと男子寮に向かって歩く。
怪我をさせたい訳ではなかった。いや…本当は…昔からずっと…と、頭の中でぐるぐると思考がループする。
寮に着き、自分の部屋を目指す。その時…503号室、セレスタンの部屋の前で立ち止まり。
「……セレス………」
と…もう何年も呼んでいない愛称を呟いた。幼馴染であり、親友…だと思っているセレスタン。部屋のドアノブに手を掛け…止める。
そして足取り重く、自分の部屋に帰って行くのであった。
その頃、503号室。
「……?なんか今、聞こえたような?気の所為かな?」
セレスタンは頬を濡らさないよう注意しながら汗を流し、丁度上がったところだった。
学園は全寮制ではなく、希望者のみが暮らしている。ラサーニュ領は首都から割と近いので、セレスタン達は週末は帰っているが通える距離では無い。
寮は男女別棟、完全個室でリビング、寝室、バスルーム、トイレ、ミニキッチンが完備されている。また使用人を連れて来るのは不可なので、自立出来ない者は首都のタウンハウス等から通学しているのだ。
彼は廊下のほうから何か聞こえた気がしてドアに近付くと…鍵を閉め忘れている事に気付いた。
「わ!危ない危ない…」
ドアを開ければすぐリビングの為、ジスランが開けていれば鉢合わせてしまっていただろう。それは不味い。何故ならば…
「はあ…最近、また少し成長したかなあ…。キツい…」
彼は今、上半身裸の状態だったのだ。その胸部には…少年には有り得ない、2つの膨らみが存在している。それをサラシでぎゅ、ぎゅ…と潰し…
「よし完成、ぺったんこ!さーて夕飯…だけど…ジスランと顔合わせたくないなあ…」
彼…いや彼女は満足気に胸を叩き、服を着る。
そう。セレスタン・ラサーニュは男ではなく…立派な女の子なのである。