童話:イヴのクリスマス
イヴは10歳の女の子です。お父さんとお母さんの3人で赤い屋根の小さなおうちに住んでいます。
陽射しはやわらかくなったけれど、まだまだ風の冷たいある日のことです。お隣の家の前に青と白のしまもようの引越し屋さんのトラックが停まっていました。
「ねえねえ、お隣に誰か引っ越して来たの?」
「そうみたいね」
イヴが瞳をキラキラさせて訊くとお母さんはじゃがいもの皮をむきながら答えます。
「どんな人たちかな? 子どももいるかなあ?」
「そうだといいわね」
イヴはお部屋の窓に手を掛けて、背伸びをしながらトラックと家の間をベッドやタンスを持ったおにいさんたちが行き来しているのを眺めていました。
夕方近くなって小さくて丸い黄色のクルマが着きました。中から小さなイヌと男の子が飛び出して来ました。
「クミンおいで!」と元気な声が響きます。
その後をすらっとした女の人と太った男の人が降りて来ました。
「お母さん、男の子がいるよ。あたしと同じくらいだよ」
「あら、よかったわね」
いいのか、どうかまだわからないじゃないのって思いました。男の子って乱暴だし、うるさいし、走り回ってばかりいるしさ。
暗くなってから新しいお隣さんがご夫婦でごあいさつに来たときも、そのクリスとかいう男の子のことが気になっていました。『イヌと遊びになんか行ってないで、ちゃんとごあいさつに来なさいよ』とふくれっ面をしていました。
二人はすぐになかよくなりました。それはこういうきっかけでした。
「どうしてボールをぶつけるの?」
男の子たちがサッカーをしてる広場のそばを歩いていたら、頭にボールがぶつかったんです。
「おまえがぼんやり歩いてるからいけないんだ!」
「イヴはどんくさいからな!」
口々に囃し立てられて、怒ったイヴはボールを広場と正反対の川の方へ蹴りました。
「ふんっだ!」
立ち去ろうとすると、
「ごめんね」とささやいて、クリスがイヌのクミンとともに川へ向かって駆け抜けていきました。温かい声ときらっと光った髪の毛が他の男の子とは違うような気がしました。
クリスは同い年で、ちょっとうるさくて、いつも走り回っていました。でも、イヴの遊び相手になってくれて、何より話をちゃんと聴いてくれました。同じ赤い屋根の小さな家が並ぶこの町にはイヴと遊んでくれる女の子はほとんどいなくて、お人形を相手にお話をしたりするしかなかったからです。
「クリスはどこから来たの?」
風もほとんどないある日、イヴの家のポーチのベンチに並んで、話をしています。
「ずっと南のもっと大きな街。電車とかバスとかもいっぱい走ってるよ」
「お店もいっぱいあるの?」
「うん。すごく大きなスーパーがあって、お肉やお魚がいっぱいあるんだ。おもちゃ屋さんもすごくおっきいんだ」
イヴはこの町から出たことがなくて、そんな大きなお店は絵本で見るだけだったのでとてもうらやましく思いました。
「それに広いグラウンドがあってちゃんとしたサッカーの試合もできるんだ」
「サッカーなんかどうでもいいわ」
あの時だけじゃなく、広場を通りかかっていい思いをしたことがありません。
「どうして? 女の子もやってるよ」
「あたしは走り回ったりしないから」
「ふうん。そうか」
イヴは心臓が悪くて少し走ったりすると顔色が青くなって、苦しくなってしまうのでした。そのことは最初にイヴのお母さんがクリスのお母さんに伝えてありました。
「踊りが好きなんですけど、それもできないんです」
「……かわいそうに」
クリスはお母さんから気をつけるよう言われていたのを思い出しました。
「あたしはお花を育てたり、お絵描きが好きなの」
「ふうん」
「もうすぐ春になって夏も来るでしょ。そうしたらいろんなお花が咲くの……」
クリスは花なんか全然興味がないんですけど、イヴがいろんな花の名前を挙げながら話すのを足をぶらぶらさせながら聞いていました。
イヌのクミンが遊びに行こうとズボンのすそを何度も引っ張るので、もう我慢できなくなって、
「ちょっと待ってて」と言って駆けて行きました。イヴは足をぶらぶらさせて、町のはずれまで走って行くクリスとクミンを見ていました。
ぽかぽか陽気の春になりました。デイジーが咲く野原に寝ころぶと羽根布団のような雲に向かってひばりが飛んで行きます。
「鳥になって空を飛べたらいいな」
遠くへの憧れが人一倍強いイヴは言います。
「うん。でも、飛行機に乗れば雲の上まで飛べるよ」
「乗ったことあるの?」
「ううん」
「あたしも。乗ってみたいね」
「うん。ぼくはおとなになったらヘリコプターのパイロットになるんだ」
「ヘリコプター? あのバタバタっていって飛ぶやつ?」
「そう。どこからでも飛び立ったり、降りたりできるんだよ。蜂みたいに」
「蜂は刺すからやだな。ちょうちょがいいわ」
イヴは病院の注射を思い出して、顔をしかめました。
「イヴは大きくなったら何になりたいの?」
「お花屋さんかな。でも無理よ」
「なんで? お花のことよく知っているじゃない」
「大きくなる前にあたし死んじゃうから」
クリスは地面の中からどくんという音がするのを聞きました。思わず起き上がって、イヴの顔を見ると鳶色の瞳がすっと反対側を向きました。
「そんな……」
「いいのよ。気にすることないわ。あたしもそんなに気にしてないから」
「気にするよ。……だいじょうぶだよ。きっと治るよ」
「あたしの病気は治らないの。誰かの心臓をもらわないと」
クリスはもうびっくりして言葉を見つけることができません。花いっぱいの野原とその上の空もなんだか変な色に見えます。
「病気のことをお父さんとお母さんが話しているのを立ち聞きしちゃったの。……それで死ぬってどんなことなのかなって考えたんだけど、よくわからないの。誰にも訊けないし」
クリスは地面を何匹かの蟻が行ったり来たりしているのをじっと見つめています。
「ある朝、公園のベンチに座ってぼおっとしてたら、いつの間にか見慣れないおばあさんが座ってたの。少し離れたところで帽子か何かを編んでた。それでおばあさんに訊いたの」
「なんて訊いたの?」
「『おばあさん、死ぬってどういうこと?』って。そうしたらおばあさんはなんて答えたと思う?」
「……わかんないよ」
「おばあさんはこう言ったの。『お嬢ちゃん、ごめんね。あたしも死んだことがないからわからないの』って。
『でも、おばあさんはお母さんや学校の先生よりずっと年を取ってるからわかるんじゃないの?』
『お嬢ちゃんがそう思うのは無理ないね。あたしも子どもの頃は、年を取るとそういうこともよくわかるようになるんだろうって思ってた。でもね、そんなことはないんだよ。』
『死は年寄りにもわからない。こんな年になっても死ぬことを考えると、宿題を忘れた時に先生に見つめられるみたいにドキドキするんだよ。あたしはちゃんと死ねるんだろうかって』」
イヴはそこまで一気に言うと軽いため息をつきました。クリスもそっとため息をつきました。
「でもね、あたしはおばあさんの話を聴いてすごく楽になっちゃったの」
「え? そうなの?」
「うん。子どもの頃に死んでも、おとなになって死んでも、おばあさんまで生きても同じなんだなって思ったの。……だから、気にしないで」
「……うん」
イヴはクミンの肩のあたりをなでながら絞り出すように返事します。
「クミン、お待たせ。行きましょ。なんだか寒くなってきたわ」
夏になりました。川遊びに飽きて、木陰で二人は休んでいます。木もれ陽がまぶしくゆれます。
「ねえ、クリスのお誕生日はいつ?」
「12月25日だよ」
「え?」
「うん、クリスマスなんだよ。イヴは?」
「12月24日。……だからイヴなの」
「え? え? じゃあ、ぼくたち一日違いってこと?」
「そうなんだね。あたしが一日おねえさんね」
二人はちょっと見つめ合いました。クリスマス・イヴとクリスマスに生まれた同い年の二人。なんだかとっても不思議なことのように思えたのでした。
「でも、自分の誕生日のような気がしないの。いつもクリスマスのお祝いといっしょにされちゃって」
「そんなのまだいいよ。ぼくなんか24日にまとめて済まされちゃうんだ。『あら、昨日お祝いしたじゃない』って」
「つまんないね」
「うん、つまんないよ」
つまんなさだって分かち合える友だちがいるのはいいことだと二人は思いました。
「二人でクリスマスじゃなくてお誕生日だけのお祝いしようか?」
「うん、一緒にね」
一緒のお祝いは24日にするか、25日にするか、それをどうやって決めるか相談はなかなかまとまらなかったんですが、その必要はなくなってしまいました。木の葉が赤や黄色に色づく頃、クリスの一家が引っ越すことになったからです。
「行っちゃうの?」
「うん。……新しいおうちに着いたら手紙を出すね」
青と白のしまもようのトラックの前で二人は言葉を交わします。お母さん同士も名残惜しそうです。
「せっかく仲よくなれたのに」
「本当に。パパの仕事が転勤が多いんでかわいそうなんです」
トラックが出て行ってからしばらく経って、小さくて丸い黄色のクルマにお父さんが乗って、お母さんが乗って、それからクリスが乗りました。
「さようなら」
「さようなら、クリス。元気でね」
「イヴもね」
クリスは窓から身を乗り出すようにして手を振りました。クミンも顔を出して悲しげに鳴きます。イヴは追いかけていきたいのをようやくこらえました。
こうしてクリスは西の遠い町に引っ越してしまいました。でも、クリスからは手紙は来ませんでした。新しい家に着いて3日後にお使いに出たクリスは、わき見運転をしていたトラックにはねられて死んでしまったからです。
クリスのお父さんとお母さんはまだあたたかいクリスの身体から心臓を始めとした臓器を取り出すことを承諾しました。クリスが少しでも人の役に立てるように。クリスの命がほんの少しでもこの世に残るように。
クリスの心臓はヘリコプターに乗って、飛行機に乗り、それからまたヘリコプターに乗って東の町に戻って来ました。そして、イヴの心臓の代わりにイヴの体の中に移植されました。でも、そのことはクリスの家族もイヴの家族も知りませんでした。移植手術ではそういうことは知らせないのです。
クリスマスになってもまだベッドにいたイヴはお母さんに訊きました。
「手紙来ないけど、クリスは元気なのかしら」
お母さんはリンゴをむく手を止めて答えました。
「……クリスは亡くなったの」
「え?」
「引っ越してすぐにクルマにはねられて。先週、クリスのお母さんから手紙が来たの」
「そんな。あたしが走り回れるようになったのを見せたかったのに」
「そうね。……クリスのご両親は心臓を提供したそうよ。こっちにいる間にクリスが万一の場合にはそう望んでいたんですって」
自分のことでは泣いたことのないイヴでしたが、あの野原で話したこと、とりわけおばあさんの話を思い出すと涙が止まりませんでした。
やがて病室に射し込んできた夕陽を見つめているうちにイヴはなぜだかクリスが新しい心臓をくれたような気がしました。でも、そのことは誰にも言いませんでした。いつか二人だけで答え合わせしたいと思ったんです。
それから7年の年月が過ぎたクリスマス・イヴのことです。南の大きな街の大劇場ではバレエ『くるみ割り人形』が上演されています。大喜びする子どもたちを舞台の袖からイヴは見つめています。
バレリーナとしてのデビューをこんぺいとうの精の役で飾るのです。胸に手を当てながらイヴは小さくつぶやきました。
「クリス、あたしが踊るのを見てて。ちゃんと踊るから。あなたのところへちゃんと行けるように」
胸の奥でトクトク鳴る音を聴きながらイヴはシャンデリアを仰ぎました。