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白紙の年表

作者: 幻ノ月音

ペーパーウェル04参加作品。

テーマ「文房具」。二通りの結末があります。




 ある日、真っ白な人に一冊の薄い本を渡された。

「これはあなたの年表です。好きに書き込んでくれてもいいし、ペンで事実を塗りつぶしてもいいですよ。のりで不都合なページを綴じたり、ハサミで切り取って記録を消したりするのもあなたの自由です。さぁどうぞ」

 突然のことで呆気にとられたまま、薄いノートのような本を受け取った私は、その真意を聞こうとして顔を上げると、もうその人の姿は消えていた。そもそも人だったのだろうか。その影は鮮明に覚えているのに、顔も姿も朧気で思い出せなくなっていた。

 ひんやりと冷たいその本を開いてみる。冒頭には自分の名前と生年月日、血液型や体重が細かく記載されていて、父と母の名前とともに忘れかけていたお友だちの名前、すぐに死んでしまったペットのハムスターのことまで。

 生をうけてから両親や祖父母の愛情のもと順調に成長し、幼稚園から小学校、中学そして高校から大学の名がずらりと並ぶ。

 まさしく個人情報のかたまり、私の履歴書。

 余白には小学二年生の時に学校の先生に恋した話や鉄棒で失敗して、手首を地に着き骨折したこと、デパートで迷子になって近所のおばさんに見つけてもらったことなど、事細かに記載されていた。なぜそこまで?ゾッとした。

 なのに手放せず鞄にしのばせ家に持ち帰ったのは、「今」の私には知りえない現年齢以上のことが載っていたから。

 私は一ヶ月後にある男性と出逢う。その男性と恋に落ち、誰もが羨む結婚をするというものだ。まさか、まさかね。と思いつつその日を待ってしまった。占いと同じだ。当たらなければただ、からかわれただけだったのだと、納得がいく。幸いにもあれほどの個人情報が知られていたのにも関わらず、脅されたり詐欺にあったりもしかなかった。当たったら?なんて心の内だけで考えていてるのは宝くじを買ってそわそわしている人と同じだ。もはや奇妙な白い人の存在さえも忘れてそう言いきかせて過ごした。


 私は理想の男性に出会った。

 優しくて、仕事もできて、大人の余裕かあって、才に恵まれた人。私よりもたくさんもっている人。やっぱりあの本は!と歓喜した。書き直すなんてとんでもない!彼と過ごす毎日が楽しく幸せで、私は仕事を辞めて彼と結婚することにした。

 新居への引っ越しの前日、あの大切に閉まっていた本を彼に見られないようにそっと取り出して開く。○○と結婚。と簡潔に載っている項を手でなぞり、ほくそ笑む。続きには新たな一戸建ての家に引っ越し、二人で新しい生活を始めるとある。そして、その先は、白紙だった…。

 未知の領域。もしかしたら彼の年表に私の人生の年表が合わさり重なったのかもしれない。二人並んだ平行線の未来。私は幸せな未来に想いをはせた。

 お姫様が優しい王子様と一緒に幸せに暮らしましたとさ…



 どうしてこうなったの?

 体が痛い。先ほどの夫の暴力に身を硬くし、ひたすら謝っていた私は、うつ伏せに土下座したままの格好で動けずにいた。夫は自分の部屋へ引き上げていた。何も考えたくない。幸せになるはずじゃなかったのか?誰もが羨む幸せな結婚のはずだった。いや、あれは間違ってはいない。外見はとても幸せそうな夫婦に見えるだろう。内側の事なんて見えるはずなんてないのに。いくら夫が仕事も見目も良くて、誰に対しても優しい人でも私の前では切れやすく、すぐに手を上げ、怒鳴り散らす。お前はなんてバカなんだと、役立たず、飯が不味い、クソ女。なんでもいいのだろう。仕事でのストレスを私で発散する。

 私は本に騙された。誰にでも善い人だと思った人は中身のない人間で、外側だけ好青年の皮を被った醜い男だった。年表に心のことは書いていなかった。うわべだけの事実に真実なんてない。

 本を持ち出した私はハサミを使って夫との履歴を切り離した。そして次のページに太いマジックペンで一文付け足す。

 すぐに動き出した私はタンスから内緒で貯めていたヘソクリと自分名義の貯金通帳を取り出す。お気に入りの絵本も一緒に鞄に入れて、玄関の扉を静かに開けた。外の冷たい風が頬を引き締める。冷えた頬に手を当てると、耳にかかった髪が指に絡みつき、まだ近くに置いてあった錆びたハサミで、前髪をざっくりと切り離した。ハラハラと髪が落ちるのを見送りながら心が軽くなってくるのを感じた。外に出たらまずは美容室に行って、この前髪を直してもらおう。この痣も綺麗に化粧をして、美しく着飾ろう。

 白い空は新たなページを誘い、光を背負って広がっていた。私はそこに足跡をつけるように一歩強く踏み出した。




白い影はいった。


『自立した女になる…ね。随分控えめな欲求だね。最後まで彼女は自分の年表を疑わなかった、だからあの状況で書き込んだ。騙されたって思ってるようだけど、騙されたと思ってたら書き込まないよね。人間の自尊心は信じることから始まるんだ。でもさ、自尊心が満足することってあるのかな?人間は欲深くて卑しくて愚かな生き物だから、きっとあの本が真っ黒くなるまで書き込まないと満足できないかもしれないね。そうなったらどうするかって?そうだなぁ、僕なら白いペンを使うかな。夜にお絵描きができたら楽しいだろうね』


 白い影はゆらめき風に乗って霞んで消えた…

                     



   


( もうひとつの結末 )


 本を持ちだし私は、それをハサミでバラバラに切り刻んだ。ふと思いつき、引き出しに閉まっていたマッチを取り出して本に火を点ける。騙された人生を終わらせるために。これで私の人生は終わる。笑った私は、今にも焼け落ちそうな炎のかたまりをそのまま家に解き放った。自分の人生が終わるならいっそのこと家も焼いてしまおう。そして始めからやり直すんだ。2階にいる夫が気づく前に、もっともっともっと、広がれ!カーテンにソファーに絨毯に火が流れていく。

 美しいと思った。何もかも消えていくことが。

 ねぇいつかのあなた、新しい本をわたしにちょうだい。手を伸ばした先は、白い煙に包まれて、なにも見えなくなった。

 薄い本は簡単に燃え尽きていく。空に灰が飛び、白い空に透けるように、はらはらと、千切れて見えなくなった。




 白い影はいった。


『なぜ書き込まなかったのかね、あの白紙のページに。いくらでも未来を描けたのに。誰かが書いてくれると思ったのかい?誰かから与えられた物語は所詮まやかし、自分で物語を作らなきゃ。ほら、すぐ近くにペンも絵の具もたくさんあるじゃない。いくらでも作ることができるんだよ。え?そんなこと分からないって?そりゃ待ってるばかりの人には分からないさ。ぬり絵は塗らなきゃ色はつかないし、白紙のままだなんてもったいないよ。たくさん物を与えられたはずなのに何もせず、満足するどころか、足りないとぼやく、なんて贅沢なんだろうねぇ人間って。ほんとに傲慢で愚かだね。だからちょっと遊んでみたくなったのさ。僕は夜空にだって絵を描いてみせるさ』


 白い影はゆらめき風に乗って霞んで消えた…


 『さぁ次は誰と遊ぼうかな』






(完)


読了ありがとうございました。

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