91 メガネ、残す
ずっと願っていた。私の知らない世界が広がる、私が生まれた世界に戻ることを。帰ることを。
偶然にも穴の中に落ちることができて、この世界に来たのと同じ状況に高揚した。これでやっと帰れるのだと。
なのに、帰ってきた世界は私の知らない世界になっていて、たくさんの人が集まっていた樹も知っている姿は無くなっていた。
私達と寄り添って生きていた神様からの言葉も信じられるものじゃなく、でもそれは真実だとこの世界が教えてくれる。
神様に案内されて、綺麗に残っていた建物の中に入ると、たくさんの箱が並んでいた。箱には人の名前や住所が書かれている。
「いなくなった人がいつでも戻ってきても渡せるように残していたんや。この中にあるんやないかな。ラシスちゃん」
もう仲間たちにも呼ばれなくなった名前が酷く懐かしい。いや、神様に呼ばれるまで忘れていた。
神様は立ちすくんでいる私を置いて、箱を見ていく。その中に探し物が見つかったのか、箱の一つを持ってこちらに戻ってきた。
「ほい。あったで。中にはご両親の物も入っとるかもしれんけど」
差し出された箱を受け取り、私はその場に膝をついた。箱は思ったよりも重かった。
箱を静かに地面に置き、その蓋を開く。中にはアルバムやお父さんの愛用のカメラ、お母さんのお気に入りの化粧道具と、子供向けのイラストが描かれた箱が入っていた。私はその箱を手に取り中を見る。中には何の変哲もない石が詰まっていた。
この石は、両親が仕事で帰ってきた時に持って帰ってきてくれた石。この石があった場所を想像して、いつか私も行ける日を楽しみにするための、それだけの石。
私はその箱を持って立ち上がり、建物の外にその石を投げ捨てた。
「ええの?」
神様の声が聞こえる。私は笑顔で振り向いた。
「はい。思い出も何もない、ただの石なので」
どの石がどんな場所にいたかなんて思い出せない。純粋さも何も失った私には、それらは何の変哲もないただの石だ。もう、いらないものだ。
「他の物も処分しても構いません。……いえ、そのままここに置いていてもいいでしょうか。他の物たちと一緒に最後まで残してあげてください」
「わかったわ。……君は、裏世界にちゃんと帰るんだよ」
ここに残ることは許さない。そう神様に言われた。
話を聞く前の私だったら残りたいと言っていただろうけれど、もう私にはそんな気持ちはない。
「ええ。もう、私はラシスじゃないですし。ここにいる理由がありませんもの」
ここに帰ってきたい気持ちで頑張ってきたけれど、故郷に何が起きているかだけでもわかったのだからそれでいいかもしれない。
私達の前での告白に羞恥で黙り込んでしまったアンちゃんとミーティたちと待っていると、神様とオクルスが帰ってきた。オクルスの様子が心配だったけど、帰ってきたオクルスはどこか吹っ切れたような表情をしていた。
「それで、皆は裏世界に帰るんやろ?」
神様の言葉に私は頷いてみせる。すると神様は端末を操作してから頷いた。
「うちはそんなに力使ってなかったから、帰すことできるで。まぁ帰る場所は多分ランダムになると思うけど」
「あ、あの……、ここに来る時に使ったロープが裏世界とまだ繋がってるんですが、それを辿って帰ったりはできないですか?」
「おぉ!できるで!むしろ楽に帰せるから有り難いわ!それじゃ、さっさと帰るで。この世界もいつまで持つかわからんしな」
アンちゃんの言葉に神様は嬉しそうに笑い、そしてアンちゃんにロープがある場所を聞き出す。それを横目に、私は眼鏡を一つ作り出して樹の傍に置いた。これで私たちが帰ってもこの世界の様子が見れるだろう。
私は眼鏡を通してこっちに来たから、皆と一緒に帰れば騒ぎになるかもしれないけど、そこは神様の力で迎えに行っていたと言えば大丈夫だろう。多分。
そう考えていると、アンちゃんの呼ぶ声が聞こえてきて、私は急いでそちらに行く。
ロープを持った神様がその手に力を込めているように見えた。
「それじゃあ、このロープを辿ってみんなを帰すわ。……ただ、もしよければメガネちゃん。皆が帰った後に話したいことがあるんやけどいい?メガネちゃんはうちの力使わんくても帰れるんやろ?」
その言葉に驚きつつ、ナハティガル君の様子を見る。ナハティガル君としては心配そうな表情をしているがそれ以外に伝えてくる様子はない。心配だけどどうするかは私に託すということだ。
「わかりました。じゃあ、別の身体に移るので待っていてください」
そう言って私はアンちゃんに近づいた。
「そう言う事だから、皆のことよろしくね」
「おい。いいのかよ簡単に残るなんて決めて」
「ずっと残るわけじゃないし、私に何かされても死ぬことはないだろうし。大丈夫大丈夫」
「……ちゃんと戻ってこいよ」
アンちゃんの言葉に頷いて、私はアンちゃんの手を取り付喪神のスキルを解く。それから樹の傍に置いた眼鏡に身体を移して、少ししてからまた付喪神のスキルを使って皆のところに戻ってきた。
「お待たせー」
「また人の姿になる時が時間かかって少し不便やな」
「まぁ、そうだけれど慣れましたよ」
神様も私のスキルに興味があるようだけれど、それ以上は特に言及せず、持っていたロープを軽く引いた。するとロープが挟まっていた地面に穴が開く。
「安全のためにロープを持って穴に落ちてな。ちゃんと帰れるから安心しぃ」
「わかりました。いろいろ教えてくださってありがとうございます」
ミーティがそう言って頭を下げると、神様は意地悪そうに笑う。
「あっち行ったら結婚式挙げるんやで?」
神様にも会話が聞こえていたのだろう。ミーティは顔を赤らめつつ、ロープを握る。しかしミーティの前にアンちゃんが立った。
「大丈夫かもしれないけど、俺から行く。……神様、メガネに変なことしないでくれよ?」
「ああ。もちろんやで」
神様が頷いたのを見て、アンちゃんは穴の中に飛び込んでいった。それを見てからミーティは改めて神様に頭を下げてから私の方を見る。
「じゃあメーちゃん。後でね」
「うん」
そう言ってミーティもアンちゃんに続いて落ちていく。オクルスは特に何も言わずに飛び込んでいった。もう悔いも何もなくなったのだろう。
ナハティガル君が最後にと飛び込もうとしたら、神様が声をかけた。
「じゃあ、ちょっとだけメガネちゃん借りるわ」
「……彼女は私の大切な人なので、丁重に扱ってくださいね」
「わかっとるよ」
ナハティガル君の正体がバレたのかと少し冷や汗をかいたけれど、そんな会話だけで終わった。ナハティガル君は私を見て頷いた。それに私も心配いらないと笑顔で返す。
そして、ナハティガル君も穴に飛び込んで、それを見送ってから穴は閉じた。
「さてさて。メガネちゃん。ここからは神様同士話がしたいんや。うちからお願いがあってな」
神様は落ちていた破片で地面から伸びたロープを斬った。そしてそれを放ってから私に近づき、持っていた端末を私に差し出した。
「メガネちゃん。裏世界の神様。世界の神様としての力がこもったこの端末を、あんたに渡すわ」




