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75 メガネ、託す

 私がやってきたのは国内にある小さな祠だ。祠の扉の前には沢山の野菜や花が飾られている。状態を見るに、毎日変えられているようだ。

 供物を少し寄せて、私は祠の扉を開く。その中にはアンちゃんが描いてくれた私の肖像画と、一本の眼鏡が入っていた。

 今の私は、スキルで作ったスペアの眼鏡に意思を宿している。私の本体が、この眼鏡なのだ。

 私は目を閉じ、眼鏡の姿に変わる。そして本体の眼鏡に意思を戻し、擬人化のスキルで人の姿に戻る。

 最初はスキルにも制限があったけれど、力をつけた今はそんな制限はまったくなくなった。

 私がさっきまで意思を宿していたのはナハティガル君が普段使っていた眼鏡だ。その眼鏡に手を翳して力をこめれば、眼鏡は幼い姿の私に変わった。


「あるじ様!」


 そう言って私にキラキラした目を向けてくる分身に目線を合わせるようにしゃがみ込む。


「貴女にはお願いしたいことがあります。貴女にはしばらくこの祠の中で過ごしてもらいます。そして、私以外の誰かが扉を開いた時、貴女がメガニアの巫女であるメガネだと名乗ってください」


 私の言葉に分身は首を傾げる。


「メガネはあるじ様じゃないのですか?」

「私は、これからメガニアとなります。もし私が迎えに来た時は、巫女の任はなかったことになったと思ってね。巫女となったら、皆と仲良く、過ごして。貴女には、私の記憶を渡したから、大丈夫だよね?」


 私がそう聞くと、分身は少し考えてから頷いた。


「あるじ様の命ならしたがいます。でも、できるならあるじ様がむかえに来てほしいです」

「うん。できるだけそうするよ。じゃあ、お休み」


 そう言って分身の頭を撫でると、分身はまた眼鏡の姿に変わった。その眼鏡を祠に入れて扉を閉め、供物を元通りに並べた。

 準備はこれで万全だ。忘れたことはないはず。

 そう思って踵を返したけれど、いつの間にか背後に立っていたアンちゃんの姿に驚いた。


「アンちゃん、いつの間にそこにいたの」

「……フォルモさんたちに、お前が散歩に出かけたって聞いたから探しにきたんだよ。とっとと帰るぞ。カステラ、俺が食べきるとお前怒るだろ?」


 そう言うアンちゃんは、さっきまでの分身との話は聞いていなかったみたいだ。

 アンちゃんが差し出した手をとらず、私は首を振る。


「アンちゃんは先に行ってて。私はもう少し外を歩きたいんだ」

「……お前、何か考えてるのか?フォルモさんも、ナティも気づいてるぞ」


 そうやって私に直接言えるのはアンちゃんだけだろう。だからこそ、フォルモさんたちはアンちゃんを送り出したのかもしれない。


「……神に会いに行く前に心を鎮めたくてね。それだけだよ」

「それだけなら、国民全員に眼鏡を渡す必要はないだろう。これからゆっくり渡していけばいいのに、お前は今日のうちに全員に渡したって聞いてる。……なんだよ、まるで長い間いなくなるみたいに」


 そんな寂しそうな顔はさせたくないのになぁ。

 皆にそんな顔させたくないから、ひっそりと動いていたつもりだった。でも、隠し切れなかった。


「……プレニルの神も、ノヴィルの神も、こっちに来るためには巫女の身体を使うじゃん?それって、神様はこっちには来れないってことだよね」

「ま、まぁ……そうだな」


 頷いてから、気づいたのかアンちゃんはバッと顔を上げた。

 そうだ。確信はないけれど、神様になる私もそれと同じになる可能性がある。私はもう、アンちゃんとも、フォルモさんとも、ナハティガル君ともすぐ傍で笑って過ごせなくなるかもしれない。巫女を通してでしか会話もできず、遠い場所で見守るだけになるかもしれない。だから、その前に私自身でやりたい事をやっていた。


「それについて、ノヴィル神から聞いておけばよかったなぁ。憶測じゃなくて、確実にしておきたかったのに」

「メガネ、それは」

「大丈夫だよ。もしかしたら本体の眼鏡を置いて、スペアに移ってこれるかもしれないし、それが駄目な時のために新しい巫女を作っておいたから」

「でも、それはお前じゃないんだろ?お前はいいのかよ、ナティの傍にいたくて、死ぬ時に願って、こうしてナティの眼鏡に生まれ変われたのに」

「嫌だよ。離れたくないよ」


 アンちゃんの言葉に被せるように答えた。


「傍にいたいよ。折角生まれ変われたもん。でも、ナハティガル君がこれ以上傷つかないように、したい。私が守りたい。それだけの力をつけたい。だから、私はちゃんとした神様になりたい。神様になって、大切な皆を守りたい」


 最推しはナハティガル君だ。それは揺るがない。

 でも、転生して、アンちゃんもフォルモさんもセレナードも、メガニアだけじゃなくミーティたちノヴィルの皆も、クデルたちプレニルの皆も、私が好きだと思った皆を守りたい。

 欲張りな私が、その願いを叶えるために選んだのが、本当に神様になることなんだから。


「もし、帰って来れたら一緒にフォルモさんのお菓子を食べよう。プレニルとノヴィルの神との話を笑って聞いてほしい。そうして過ごして、いつかミーティとアンちゃんの結婚式に呼んで。ナハティガル君と笑顔で祝福してあげるから」


 そう言って、アンちゃんの返答を待たずに私はノヴィルの神からもらった力を使う。目の前が真っ白に染まり、そして何も感じなくなった。






 目の前にいたメガネは、一瞬で消えた。悲しそうな笑顔だけ残して。

 何もできないことに悔しくて、自分を殴りたくなっていた俺の背後から、足音がした。


「アン」


 振り返ると、そこにはナティがいた。フォルモさんを連れているかと思ったが、どうやら一人のようだ。


「大丈夫です。私が、メガネ様を迎えに行きますから」


 ナティの言葉に目を丸くする。迎えに行く?できるというのか。


「ですが、その前に。先にアンに聞いてほしいことがあります。それを聞けば、私が迎えに行けることに納得してくれるはずです」


 そう前置きしてから、ナティは言った。とてもとても長い、過去の話を。

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