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70 教皇、推しを思う

 収穫祭前日の夜。

 メガネをクッションに置き、ナハティガルは息をつく。静かになってしまった部屋は少し寂しく思えてしまう。


「メガネ様の寝息が聞こえれば、孤独感は感じないと思いますが、そこは仕方ないですね」


 そう呟いてナハティガルもベッドに横になろうとするが、扉をノックする音が聞こえた。不思議に思いながらナハティガルが扉を開けると、そこにはエレオスがいた。


「エレオス様……?どうかしたのですか?」


 傍にはクデルも、犬のルーもいない。一人で訪れるなんて何かあったのだろうか。

 ナハティガルが眉を寄せていると、エレオスは微笑し、口を開く。


「神の間へ来るがよい。わらわの娘を使えば、直ぐに来れよう。眼鏡は連れてくるでないぞ」


 そう言ってエレオスは用意した部屋に向かっていく。その背中を追いかけようとしたが、ナハティガルは先程のエレオスの言葉にそれを止めた。


「プレニルの女神、ですか」


 エレオスの身体を借りてプレニル神が伝えに来たのだろう。追いかけたところで、先ほどの言葉を聞いていなかったのかと怒るだろう。

 ここは大人しく応じるしかない。

 ナハティガルは手早く身支度を済ませ、それからクッションに置かれた眼鏡に目線を落とす。


「……少し、行ってきますね」


 そう言って眼鏡のフレームを指先で撫でてからナハティガルは自室から出た。


「ドライ ゲッティン」


 ナハティガルが呟くと、手のひらサイズの四色の光がナハティガルを囲むように現れた。

 光が強い故よく見ないとわからないが、光の中心には小さな女性がいる。彼女達は心配そうにナハティガルを見つめていた。

 心配させないようにナハティガルは微笑してみせる。


「大丈夫です。さぁ、行きましょう」


 小さな女神たちはナハティガルの言葉に頷き、放つ光を強めた。光に包まれたナハティガルがゆっくりと目を開けると、そこは自室ではない場所であった。

 否、メガニア国内でもない場所だ。周りを見渡しても、そこはただただ白に覆われていた。その中に二人の人影をナハティガルの目が捉える。驚いた様子もなく、ナハティガルはその人影に向かって歩き出した。小さな女神たちもナハティガルの後ろからついてきた。

 その人影は若い男女だった。

 男の方は筋骨隆々で、面白いものを見るように目を細めてナハティガルに視線を向けていた。

 女の方は細身の美女であるが、不機嫌そうに眉根を寄せている。

 二人は白い衣服を身にまとっているが、この空間に溶け込むようではない。彼らから発せられる何かが、彼らの存在を強く認識させているようだ。

 ナハティガルは二人に近づいてから膝をつく。


「お久しぶりにございます。こうして顔を合わせるのはいつぶりでしょう。人の身でありながら、こうしてこの場所に呼ばれた事、光栄に思います」

「長い挨拶はいらぬ。こうして呼ばれた理由はわかっておるか?」


 女の方が長い袖で口元を隠しながら言った。ナハティガルは少し悩んだが、変に気づかないふりをしてもばれるだろうと、正直に答える。


「我らの国にある、メガニア神のことでしょうか」

「そうじゃ。おぬしが持っていた道具が自我を持ち、人の姿を持ち、神と騙っておる。なんと腹立たしい」

「自分としては、面白いと思うのだがな。道具が神となる、他では真似できぬ下剋上だろう。平等を愛するお前が新たな神に平等に接しないのが珍しいものだ」

「新たな神?あんなもの、神ではない。神ではないがゆえにわらわたちと平等にする必要はないだろう。平等を愛するとはいえ、神とそれ以外ではちゃんと区別するべきじゃ」

「そうか。……まぁ、自分は二神からの加護を受けている貴様が新参者の神に肩入れするのが好ましくないわけだ。ナハティガルよ。こちらは今すぐに貴様があの新参者から離れることを望むが、勿論、やってくれるよな?」


 男の方からの問いに、ナハティガルは下げていた顔を上げる。二人の神を視界にとらえてナハティガルは微笑した。


「恐れ入りますが、できかねます」


 ナハティガルの答えに女の方が目を吊り上げた。口を開く女を片腕で制してから、男は首をかしげてみせる。


「何故だ?お前にしては珍しいじゃないか。何か一つに肩入れするなんて。親にも子にも、冷たいお前が」

「そうですね。こんな風に一人に思うことは、私の生……、いえ、今までの私には一度きりでした。もう無いと思っていた気持ちです。……いえ、新たな気持ちを教えてもらったといった方が正しいですね」


 ナハティガルは視線を揺らがすことなく、神の前に言葉を並べる。


「プレニル神よ、ノヴィル神よ。私はメガニア様を大切に思っています。初めてあの方の人の姿を見た時から、そして共に過ごしていく内に、彼女と共に生きることを、彼女が繋いでくれた仲間たちと過ごすことを楽しめているのです。このような生活を、私に思い出させてくれたメガニア様は、私の人生に大切な、私の『推し』なのです」


――メガネ様、おしとは何ですか?


 一度、アンとメガネとナハティガルの三人が雑談している時に、メガネがナハティガルを『推し』と言っていた。どういう意味かと聞いたところ、メガネは少し悩んでから答えた。


――えっと、自分の好きな人っていうか、その人の為にお金もかけれるし、推しがいれば仕事も頑張ろうってなるし、推しがいるから生きようと思える。そんな存在。


――……神ですか?


――そんな感じの存在ですね!


 今のナハティガルもメガネに対して同じ気持ちを持っている。

 メガネのためなら教皇という役職も頑張ろうと思える。メガネが笑顔になれるなら、色々してあげたい。メガネがいたから、人と関わって生きていこうと思えた。

 メガネの説明通りなら、ナハティガルの推しはメガネで間違いはないはずだ。


「メガニア様は我が国の神です。どうか、彼女に手を出さないでください。できるなら、私は彼女の傍にいたい。どうか、メガニア様を認めてください」


 そう言って、ナハティガルは頭を下げた。

 二神はしばらく黙っていたが、先に動いたのはプレニルの女神だった。

 彼女はナハティガルに近づいたかと思うと、その頭を片手で掴む。


「認められぬ。あんなのを神になって無理に決まっておる。だが、おぬしがそんなに離れたくないと我儘を言うのも珍しい。だから、そうじゃな」


 無理矢理ナハティガルの頭を上げ、その右目に片手を当てた。


「傍にはいさせてやろう。だが、おぬしのその視力は奪わせてもらう。何もなし、というのはこちらの気が収まらぬ」

「はは。癪だが、確かに貴様の言う通りだ。あの新参者はまだ神としては未熟すぎる。少しばかり試練があっても良いだろう」


 そう言ってノヴィルの男神もナハティガルの反対の目に片手を当てた。

 それを黙っていたナハティガルだったが、ふと思い出したように告げる。


「視力を奪うのは構いませんが、今すぐではなく、少し後でも良いでしょうか?」

「何故じゃ」

「明日、我が国の巫女様が舞いを披露するのです。努力していた姿は見ていたのですが、どうせならば雄姿を見てから視力を失いたいです」


 ナハティガルの言葉に目を丸くしたプレニル神だが、すぐに忌々し気に舌打ちをした。その姿にノヴィル神は可笑しそうに笑いながら、言う。


「わかった。ではそのように術をかけよう。だが、それ以上に伸ばすことはできん」

「十分です。それで、メガニア様に害意を向けないのであれば」


 推しを守れるのならば、自分の身体なぞ喜んで捧げよう。




 収穫祭当日。

 見慣れない、だが美しい姿のメガネが綺麗な舞いを群衆に見せる。その姿に皆は息を飲み、神の降臨だと言わんばかりに感涙するものもいる。

 護衛であるアンとフォルモに挟まれながら、ナハティガルはその姿を眺めていた。

 最初はアンの趣味全開の衣装に苦労している姿があったが、衣装を改良して動きやすいものになったおかげで、メガネは楽しむように自由に動けている。裾を踏んで転ぶ姿が懐かしい。

 短剣を振る動作ではなく、優雅に出来ないかと村の有志と相談していた姿も思い出される。結果としてメガネも気に入る振付になったようだ。

 体力が無くて踊り切ると倒れていたが、フォルモや警護兵の指導で訓練をし、体力をつけていた。

 練習の後のフォルモの料理を嬉しそうに食べていた。

 メガネはプレニルやノヴィルに滞在することが多く、一緒に過ごせる時間は思ったより少なかった。それでも、メガネの姿を遠くで見守り、自分のところに報告に来てくれるメガネにナハティガルは癒されていた。

 踊り切ったメガネに拍手喝采が贈られる。それに嬉しそうに笑うメガネの姿に、ナハティガルも思わず微笑する。だが、その目が徐々に黒に覆われていった。


「最後に、メガネ様の笑顔を見れてよかった」


 ナハティガルの呟きは横にいたアンには聞こえていたようだ。

 メガネに向かって手を振っていたアンはナハティガルを見る。


「ナティ?何か言ったか?」

「……申し訳ありません。アン、フォルモ。どうやら、私の視力が失われたようです」


 ナハティガルの言葉に、二人はすぐには飲み込めなかったようだ。ナハティガルは申し訳なさそうに笑ってからアンがいると思われる方に手を向ける。


「私を自室へ、誘導してください。ここにいても、私はただ邪魔になるだけでしょう」




 別に後悔はない。メガネを守れるのならばそれでいい。

 ただ、メガネがそれを知ったら泣いてしまうだろうか。それだけが心配だった。

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