69 メガネ、失う
やあやあ、どうしたんだい?マスク外そうとしたら眼鏡の弦に引っ掛かったみたいな顔をして。
私だよ、私。メガネだよ!
さて、今は夜。私はナハティガル君の自室にいるよ。
最近はお互いが忙しすぎて、なかなかナハティガル君と二人きりになる機会がないから、この寝る前の時間だけが至福の時間なんだよね。
「いよいよ明日、ですね。メガネ様」
「うん。そうだね。明日が終わればこの忙しさも終わるんだろうけど、明日が一番緊張するんだよなー」
収穫祭は明日行われる。今年収穫した野菜等をメガニアにやって来た人たちに振る舞い、そして神に感謝を捧げるために歌い、踊る。
一応メガニアの仮の神様の私が巫女として舞いを披露するというのも不思議な話だけれど。
「いいのかな。メガニアの神は別に豊穣の神様ってわけじゃないのに、収穫祭に感謝を捧げるのは違う気がする」
「ほうじょう……メガネ様の前世では、色んな神がいらっしゃったのですか?」
「うん。学問とか縁結びとか。……そっか、この世界にはそういう神様は二人しかいなかったから、何の神様かとかは決まってないのか」
しいと言えば平等の神様と不平等の神様。……そう言ってしまうと崇めたくなくなってしまう気がする。
「たくさんの神様がいらっしゃる……、私には想像がつきませんね」
「まぁ、神様の姿も見れないから本当にいるかどうかもわからないけどね。私はいたらいいなとは思ってたし、こうしてナハティガル君に出会えているのだから、神様はいるね。感謝を捧げたい!」
「そうですね。私もメガネ様に会えたのですから、神に感謝を捧げましょう。……ただ、どの神様が会わせてくださったのでしょうね」
「あー……この世界のプレニル神とノヴィル神はそういうことはしなさそうかな?」
「しないと思いますね。あの方々はそういうことはしないかと」
まるで神様を知っているような口ぶりだ。神に愛される子、というから、実際に会ったことがあるのだろうか。気になって遠慮なく聞いてみたら、ナハティガル君は言い淀むこともなく頷いてくれた。
「ええ。片手で足りる程度だけですが、一応会って話をしたことがあります」
「そうなんだ。どんな神様?」
「お二人とも皆さんの予想通りですかね。プレニル神は高貴な方で、信者に対して優しく接しておりますよ。ノヴィル神は砕けた話し方をする方で、人の動向にプレニル神よりは興味を持たれている方です」
「へー。やっぱり神様も人間らしさはあるんだね」
確かギリシャ神話の神様も人間味溢れてるんだったか。世界は違えど神様は似ているってことかな。
それにしても、前世の世界からこの世界に転生してくれた神様は、この世界の神様だという可能性は低いか……。
私が死ぬときに願ったから、神様が転生させてくれたもんだと思っていたけれど、前世の神様だったのか。それともそういう仕組みになっているのだろうか。
メガニアの皆が前世を持っているから、偶然というわけではないだろうけれど、どうしてなのか少し気になる。
あと、これは誰にも言っていないことだけれど。
ナハティガル君のステータスを見ても、ナハティガル君の前世についてはわからない。空白なのだ。
書いていないってことはナハティガル君は今世が初めてということになるのだろうけれど、こんなにも前世を前の世界で過ごしている人がいる中で、ナハティガル君だけが違うというのも不思議なところだ。
それも神様に愛されている、というのが関わってくるのだろうか。
「まだまだ分からないことが多いなー」
この世界で過ごしてしばらく経つというのに、わからないことはまだまだある。私が見える範囲だけでは足りないのだろう。ミーティが言っていた違う未来での私が眼鏡を世界に流行らせた理由に納得だ。情報は沢山あった方が安心を覚える。
「仕方ないですよ。私もまだ分からないことが多いですし」
「ナハティガル君も?」
「他国には行けないですしね。私が離れてしまうと、メガニアの道を塞ぐ霧をなくせなくなりますし」
そういえば、そうだった。
二つの大陸とメガニアを結ぶ橋は濃い霧が渡る人の視界を塞ぐ。無理に歩けば橋から落ちるか、何故か渡った方の大陸に戻ってくる。その霧を払うにはナハティガル君の力が必要なのだ。
メガニアが建国してからは夜間以外は霧を払っている状態になっている。ナハティガル君が疲れたりしないかと聞いたけれど、特に支障はないそうだ。
「三日程であれば恐らく私がいなくても霧が払われた状態が続くとは思いますが、夜に獣が近づくと困りますしね。やはり私がこちらにいた方が良いので、他国のことは全くもってわかりません」
「そっかぁ……。落ち着いたらナハティガル君と旅行もいいかなって思ってたけど、それも難しいか。警備の皆が大変になっちゃう」
「ふふっ。ただでさえ今回の収穫祭は人がたくさん来て大変そうでしたしね」
「それについてはしっかり謝って、収穫祭が終わったら何かお詫びを贈ろうと思ってるよ」
とりあえず警備の皆の制服でも用意しようかと、今アンちゃんと相談している。和服が主な国だから、侍風にしてもいいかもしれない。ただ、リボンとかフリルとか可愛く出来ないからアンちゃんは少し不満そうだけれど。
アンちゃんも納得できるデザインを私も考えないと、と考えていると欠伸が一つ出た。それを見たらしいナハティガル君が微笑を向けてくれる。……ちょっと恥ずかしい。
「そろそろ寝ましょうか。明日は本番なのですから、メガネ様はちゃんと身体を休めないと」
「んー……、眼鏡が休むってのも不思議な感じだけど、最近は眠気もしっかりあるしなぁ」
夜に寝なくても大丈夫だから見張りしていた頃が懐かしい。不思議なもので、最近は人と同じように眠気が襲ってくるようになってきた。身体をかなり動かした日は特に眠気が強いから、寝て身体を休めているのかもしれない。
「それじゃあ、おやすみ、ナハティガル君」
「はい、おやすみなさい。メガネ様」
ナハティガル君が差し出した両手を握る。そして私はスキルを解いて眼鏡の姿になる。ナハティガル君が丁寧な手つきで私をクッションの上に置くのを感じながら、私は眠りに落ちた。
翌日。収穫祭の本番だ。
メガニアに集まった人たちは料理を楽しみ、プレニルとノヴィルでは見られないメガニアの景色を堪能している。
セレナードのコンサートも成功して、たくさんのファンが増えたようだった。教えてないのに前世のライヴのように掛け声をあげたり手を振ったりする人も多かった。きっと前世でもライヴを楽しんでいた人たちなのかもしれない。
そして、収穫祭の最後を締めくくるのは私の舞いだ。
アンちゃんが用意してくれた衣装は可愛らしく、そして動きやすくもしてもらった。私が用意した眼鏡も衣装に合わせて綺麗なデザインを用意した。
クデルが教えてくれた時は短剣を手に踊っていたけれど、今握るのは頑張って作ってもらった扇だ。
試着しているところを見てくれたメガニアの国民のおばあちゃんには神様が降り立ったようだと喜んでもらえた。見た目は完璧なのだろう。あとは、私の舞いだけだ。
私が舞台に立つと、セレナードの歌に歓喜の声を上げていた人たちが黙り込んだ。その沈黙が怖かったけれど、それを破るように笛の音が響き、舞いの始まりを告げる。太鼓の音に、笛の音に、合わせるように私は動き出した。
歓声も何もない。皆が黙り込む中で私は舞う。
上手く踊れているかもわからない。何か変なところがあるのかもしれない。
それもわからないままに、踊る。
神に捧げる舞い、と称してはいるけれど、私としては皆の幸せを願って舞う。
ここまでメガニアを支えてくれてありがとう。
美味しいものを作ってくれてありがとう。
メガニアに来てくれて、ありがとう。
そうして、舞いは終わった。
皆はただ黙り込んで私を見ていた。乱れた呼吸を整えるように深呼吸をしてから、私は口を開く。
「メガニアの神に感謝を。そして、この度ここに集まってくれた皆様への幸せを願います」
少しの静寂の後、拍手がその場を覆い包んだ。あまりの音に、観客からの声に驚いている私の目にナハティガル君の姿が見えた。
観客たちの後ろ、かなり離れた位置だけれど、隣に護衛のフォルモさんとアンちゃんの姿もある。
ナハティガル君が見てくれたことが嬉しくて肩の位置で手を振った。それをアンちゃんが返してくれるが、ナハティガル君は微笑んでいるだけだった。
私は、ここで違和感を覚えた。
ナハティガル君は確かに私を見ているはずなのに、ナハティガル君は私を見ていないように感じたのだ。
観客を見送り、片づけを終えた後、私はナハティガル君の視力が失われたことを知ることになった。




