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63 歌姫、本音

 ノヴィルに行っていたメガネ様が帰ってきて、数日が経ちました。

 最初はメガネ様の護衛に行ったルデルさんだけが帰ってきて、多くを語らないルデルさんに、メガネ様とアンさんをメガニアの皆で心配して帰りを待っていました。

 戻って来たメガネ様は真っ先にナハティガル猊下の元に顔を出してからこちらに来てくれました。アンさんはノヴィルでまだやることがあり、先日ノヴィルに向かったフォルモさんと同じくらいの時期に戻ってくるはずだと教えてくれました。

 とにかく、ご無事な用で何よりです。


 メガネ様達がノヴィルに行かれた間、私にも変化がありました。

 出なかった声が、まだ小声ですが少しずつ発することができるようになったのです。

 喉に良いからと沢山のものをくださった皆さんに伝えると、皆が自分のことのように喜んでくれました。

 ……メガニアの皆さんは本当に優しい方ばかりです。肌が黒い私にも優しく接してくれて、また私の歌を聞くことを楽しみにしてくれています。

 他人から、優しくされることは私には経験したことがありませんでした。

 同じ黒人に比べても肌が真っ黒な私は、同じ黒人の人にも虐げられていました。

 普段奴隷として扱われている黒人たちなので、怒りの矛先に、自分たちとまた見た目が違う私を選んだのでしょう。

 ぶつかられても、真っ黒で何もないかと思ったと言われ、何もない場所を殴っていると言われながら殴られ、無視をされ、ご飯も余っていると食べられ、不吉なほどに黒いと言われ。

 そんな私を買ってくれたアンさんには感謝をしています。ですが、自由に出歩けるようになっても、私の肌は人の中で目立ち、奇異の目を向けられることになりました。

 今でも、人の視線は苦手です。無視をされているほうがマシだと思えます。

 だから、最初は人の前で歌うことは躊躇していました。

 それでも歌うことを決めたのは、メガネ様が私の歌を好きだと言ってくれたこと、そしてメガニアの皆さんがこんな私に優しく接してくれたからです。何もできない私が、皆さんのためにできることといえば、私が大好きな歌しかなかったのです。

 まさか奇異の目ではなく矢が飛んでくるなんて思ってもいませんでした。

 矢を受けた私の喉は音を出すことができなくなりました。もしかしたら死んでいたのでしょうが、それはクデルさんやノヴィルの巫女様が助けてくれたと聞きました。感じたことがないものに包まれるような感覚がありましたが、それがお二人の力だったのでしょう。

 

 歌えなくなったこと。それはたくさんの人を悲しませてしまいましたが、私はほっとしていました。

 もう、人前に出ることはないのだと。歌なら私以外にも歌える人がいるからいいのだと。メガニアの皆さんの農作業などを手伝って密やかに過ごそうと、そう考えていた私でしたが、どこか心の中にモヤモヤが残っていました。




 ご飯を食べに橋のそばに作られた食堂に向かうと、よく物をくれる人たちとシムコムがいました。


「あ、セレナード、おはよう」


 シムコムから教えてもらった手の動きで、挨拶を返す。すると、シムコムの傍にいた人たちも同じ動きを返してくれた。


「ふふ、セレナードちゃん、驚いてくれたかしら?」

「シムコムくんに教えてもらったのよ?私たちもシムコムくんがいなくてもセレナードちゃんとお話ししたくて」

「まぁ、わしらも年をとってるから、若いもんたちみたいにすぐには覚えられないのじゃがなぁ……。せめて、挨拶だけでも、の」


 普段は農作業をするだけで、覚えなくてもいいことなのに私のために覚えてくれたのは凄く嬉しい。笑顔でお礼を言おうとしたけれど、皆さんは慌てて手を振る。


「あらあら、ダメよセレナードちゃん。小声でも声が出るようになったとはいえ、まだ安静にしなきゃ」

「そうよそうよ。あまり声を出さないで。いつかちゃんと治ってから歌声で返して頂戴」

「わしらはセレナードちゃんの歌が楽しみなだけじゃからな」


 そう言ってくれる皆さんに頭を下げた。そして、一緒にご飯を食べようと手を引いてくれる皆さんと一緒に食堂へ入ろうとした時だった。


「あれ、クロか?」


 懐かしい声と呼び名が聞こえてきた。振り返れば、ノヴィルからやって来たらしい馬車に商人と、奴隷らしい黒人がいた。黒人は私と目が合うと手を振り、商人と何か話してから近づいて来た。


「久しぶりだな!噂には聞いてたが、ここにいたんだな」


 噂、というのは気になりますが、私は何も言わずにいました。彼はマーク。私のことを殴っていた一人です。

 何も言わない私に彼は気に食わなそうに顔を歪めます。


「なんだよ、シカトするつもりか?」

「……悪いが、セレナードは声が出せないんだ」


 そう言って私を守るようにシムコムが前に出てくれます。その行動は緊張で固まった私の身体をほぐしてくれました。


「あ?……あー、そんなことにもなってたんだっけ?」

「奴隷、のようだが詳しいな、お前」

「奴隷とはいえ、力があるし頭もそれなりだからって色々優遇してもらってんだ。プレニルでは無理だっただろうが、ノヴィルに住んでてよかったぜ」

「そうか。挨拶に来ただけなら俺たちはもう行くが」

「は?俺はそいつと話したいんだけど?声が出なくても他の方法で会話はできるんだろ?」


 そう言ってマークはこちらを見ます。このままでは皆に迷惑がかかりそうです。私はシムコムの腕を掴みました。


「セレナード」

「……大丈夫」


 小さな声でそう呟いてから、私はシムコムの前に出て、マークに向き合います。


「ま、ここでいいか。聞いてるぜ。ここで歌歌ってるって。それだけでずいぶんいい暮らししてるんだろ?」


 否定することはないので頷いた。マークはにっと笑い、周りに聞こえないように耳打ちをしてきます。


「なら、俺と代わろうぜ?立場」

「……っ」

「歌なんて俺も歌えるぜ?お前が言えばこの国の奴らも許可してくれんだろ。どうせジジイやババアが多いし、差別もないんだろ?お前が俺のお膳立てをしろ。甘やかされてるお前なら簡単だろ?」


 確かに、歌は誰でも歌えるでしょう。マークにも歌えるでしょう。

 もしこれを断ったら、暴力を震わされるでしょうか?そう考えていると、彼が指の関節を慣らしました。この音はよく聞いていました。彼が、私に暴力を奮う合図です。


「俺もお前とは仲良くしていきたいんだ。断るはずがねぇよなぁ?クロ」


 身体が震えます。頷けば、私が要求を飲めば、怖いことはありません。私じゃなくてもいいんです。私なんかが。


『自分が出来る事をこんなに素晴らしいものに変えるなんて、それだけ歌を練習したのでしょう?一つの物を皆が感動する物にするのは並大抵の努力では足りないでしょう』


 ふと、メガネ様と初めて会った時の言葉を思い出しました。

 私は、一人の時によく歌っていただけです。苦労して練習したわけではありません。苦労したのは、ノヴィルやプレニルの歌を覚える事です。

 私はまだまだ苦労が足りないでしょう。もっと努力したい。あの時クデルさんを笑顔にしたいと願ったように、もっとたくさんの人に笑顔を届けたい。そしてそれを、皆が期待してくれてるんだ。


「……じゃない」

「あ?なんか言ったか?」


 私の声が聞きとれなかったマークが聞き返して来る。怖い。昔を思い出して恐怖で声が詰まりそうだ。

 でも、私は裏切りたくはない。皆の期待を、誰かに渡したくなんてない。


「俺はクロじゃねぇって言ってんだよ。このクソ野郎が」


 私の言葉にマークは驚いたように目を見開きます。私は怯まずに言葉を続けます。


「俺も歌えるだって?てめぇの汚い歌声なんて誰も望んでねーんだよ。俺の今の立場が楽そうだからそんなこと言って来たんだろうが、メガニアで歌を歌うのはこの俺だ。俺の歌を皆が望んでんだよ。てめぇにも、誰にもこの場所は譲るつもりはねぇ。俺を殴って虐げてたからって、今でも俺を弱い奴だと思ってんじゃねーよ。俺はもう、お前らに何か負けない」


 風のスキルを使い、マークの足を払えばマークは面白いくらいに簡単に地面に尻餅をつく。唖然とした彼の顔はとても滑稽だった。


「わかったらもう、このメガニアにくんな。お前は俺の大切な奴らの事も下に見てるみたいだからな。不愉快だ」


 今までずっと、声を我慢していた。

 皆にこれ以上殴られないように、丁寧に話すようにした。

 本当はこんなにも言葉が汚いことをずっと隠していた。本当の自分を、ずっと隠していた。

 抑えていたものを曝け出したら、ずっと出なかった声も大きく出た。周りにも私の汚い言葉が聞こえただろう。それはすごく、恥ずかしい。でも、マークに何も言わないわけにはいかなかった。


「俺たちの歌姫がそう言ってるから、とっとと商人さんのほうに戻ってくれる?」


 そう言ったのは、シムコムだった。シムコムは私の肩に触れて笑顔を向けた。マークは怯んだのか、情けない声を上げて商人の馬車に戻っていく。そう言えば、シムコムの顔って怖いのだった。


「セレナード、大丈夫?」

「だ、大丈夫だけど、その……」


 振り返るのが怖い。いつも優しくしていた人たちが本当の私を見て、聞いて、態度が変わったらと思うと怖い。

 でもその恐怖は、簡単に取り払われた。


「ほら、セレナードちゃん。ご飯食べましょ」

「あんな若造なんて忘れて、少し豪華なものを食べようかのう」

「セレナードちゃんの声が元通りに出るようになったお祝いをしましょ?」


 いつもと変わらない優しい声に驚いて振り返る。皆さんは変わらずに、私に優しい眼差しを向けてくれていたのだ。




「いやぁ、セレナードが声出るようになってよかったよ。でも、まだ歌うのは怖いよね?」


 後日、メガネ様が私の元にやってきてそう声をかけてくれた。


「いえ、もう怖くありません。それよりも、早く皆さんが喜ぶ顔が見たくて」

「そう言ってくれると嬉しいな!セレナードの歌、今度のお祭りに聞けるってことだね?」

「それに、メガネ様の舞いも見れるのですから、私も頑張って今までよりも上手く歌わないと」


 メガネ様はクデルさんから舞いを教わっているのです。でも、まだ課題が多いのか、メガネ様は「が、ガンバリマス」と片言で返してくれました。くすくすと笑っていると、メガネ様は私の顔を覗き込んできました。


「それで、セレナードは私には砕けた口調してくれないの?」

「え!?」

「シムコム達から聞いたよー?そっちのセレナードが本音なら、そっちを私も見たいなぁ」

「そ、それだけはご勘弁を」

「えー?気にしないのにー」


 仲良くさせてもらってる人たちには本当の自分を曝け出せているのは本当だ。それでも、流石にメガネ様にそんな恐れ多いことはできない。

 聞かせて、と目を輝かせるメガネ様を宥めるのは、結局アンさんが助けに来てくれるまで続いたのだった。

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