61 軍人、幼馴染
巫女は、生まれた時から巫女というわけではない。先代の巫女が亡くなった時、神は新たな巫女の身体に宿り、その子が巫女と判明する。
だから私にとって、巫女になろうとその人は近所に住むお姉さんという認識でいた。
リュヌ姉ちゃんは、私より六つ年上の人だった。弱肉強食のノヴィルでは苦労しそうな程力も弱く、身体も弱い人だった。その分、とても優しい人だったから、巫女に選ばれたのかもしれない。
そして巫女の仕事をしている内に、教皇猊下に見初められ結婚に至ったようだ。それにリュヌ姉ちゃんの意思があったのかどうかは、最後までわからなかった。
そして、リュヌ姉ちゃんと再会したのは、私が騎士として猊下に忠誠を誓った日だった。
「ダフォディル君だよね?私のことを覚えてるかな?」
そう、リュヌ姉ちゃんのほうから声をかけてくれた。
まさか彼女に覚えていてもらっていたとは思わず、少し驚いてしまったが、すぐに膝をつく。
「はい。勿論ですリュヌ様。お久しぶりでございます」
「そんなにかしこまらなくてもいいのよ。……あの頃はまだ小さかったのに、大きくなったね」
「……勿体ないお言葉にございます。リュヌ様も、お元気そうで何よりです」
ふと視線を上げると、リュヌ姉ちゃんの膨らんだ腹部が目に入る。子供の出産さえ心配されていた程の身体の弱さだったはずだ。
「子を授かってからは猊下にあまり動くことを禁止されていたから、元気だけは有り余っているの。もう少し運動したいんだけどね」
「リュヌ様を思っての猊下のお言葉でしょう。……大切にされているんですね」
「ふふっ、そうね。申し訳ないくらい」
そう言って笑うリュヌ姉ちゃんはとても幸せそうだ。愛の無い結婚ではないようで何よりだ。
この国で一番の力を持つ猊下に愛される妻であれば、身体が弱く力も無いリュヌ姉ちゃんが苦労することはほとんどないだろう。そのことにとても安心した。
こうして考えると、私が騎士になったのはリュヌ姉ちゃんの様子を近くで知れるだろうと考えたからかもしれない。勿論、剣を握ることには後悔は何もないし、騎士として力が持てるのはいいことだ。
それからリュヌ姉ちゃんは私の姿を見かける度に声をかけてくるようになった。その姿を猊下も見られたようで、私は猊下に呼ばれた。
「リュヌとは幼馴染と聞いたが、真か?」
「……はい。同じ村出身です」
よく声を掛けられるから、それに関してお怒りなのかと思っていた。だが、猊下からの言葉は予想外のものだった。
「最近リュヌからそなたの話をよく聞いている。それで、そなたがよければ、リュヌやこれから生まれる子の護衛騎士を務めてほしい」
「……え?わ、私が?」
「ああ。リュヌが心を開いている騎士であるし、そなたの実力は騎士団長から聞いている。だからこそ、そなたに任せたい」
願ってもいない言葉だった。
自分の力を評価された喜びと、憧れだったリュヌ姉ちゃんを守れるという願ってもいない命令。私は勿論、それを受け入れた。
それから少しして、皇子が生まれた。出産後のリュヌ姉ちゃんは酷くやつれていたが、皇子の誕生に喜んでいた。彼はエトワレと名付けられ、最初の子としても皆から祝福の言葉をもらっていた。
そしてエトワレ殿下が生まれてから、リュヌ姉ちゃんはベッドで横になることが増え、そしてノヴィルの神がリュヌ姉ちゃんの身体を使うことが増えていった。
エトワレ殿下と一緒に走り回って遊ぶその姿は、リュヌ姉ちゃんが望んだことかもしれないが、神がリュヌ姉ちゃんの身体を使う度に、リュヌ姉ちゃんがベッドの上に過ごす日々が増えていった。
「ダフォディル。剣の使い方教えて」
エトワレ殿下からそう言われたのは、リュヌ姉ちゃんが新たに子を授かり、エトワレ殿下が9歳になった頃だった。
「剣、ですか?殿下が習う必要は無いと思われますが」
「……ほかの人もそう言うけど、ボク、母様とこれから生まれる弟か妹を守れる力がほしいんだ。いつも、ノヴィル神様と出かけるときは神様に守ってもらってるけど、これからは母様たちとお出かけする時はボクが守りたいんだ」
エトワレ殿下の瞳を見れば、それが冗談でも遊びでもないことがわかる。彼は真剣に、母を、次期生まれてくる子を思っている。次期教皇となるこの子には剣など必要ないと思うが、この子の決意を無下にはしたくなかった。
「私でよければ、教えましょう。ただ、辛いこと、苦しいことがあると思いますが、耐えれますか?」
「うん!耐えてみる。頑張るよ、ダフォディル!」
そうしてその日から、私は護衛の仕事の合間にエトワレ殿下に剣術を教えていた。
その間にも、リュヌ姉ちゃんの身体を借りたノヴィル神が乱入して来たり、勝手に出かけたりと苦労が多かった。その身に子がいるというのに、ノヴィル神には関係ないことなのだろうか。巫女と選んだその人が、苦しんでいても関係ないのだろうか。なんとも思わないのだろうか。勝手に出かけたノヴィル神を追いかけながら、そう思う事が増えていた。そしてある日、神に願った。
「ノヴィル神様、失礼ながら申し上げさせて頂きますが、リュヌ様のお身体を考えると、あまり出掛けたりしないでいただきたいのですが、何故以前よりもリュヌ様のお身体を借りているのでしょうか」
私の言葉にリュヌ姉ちゃんの身体を借りているノヴィル神は、不思議そうに首を傾げる。
「それは、外に出たいからに決まっているだろう」
「……外に出て、何か大事なことをするわけではないのですか?」
「外に出たら動くに決まっているだろう。他にやることなどない」
多くを語ろうとしないノヴィル神。だが、その言葉からわかるのは、リュヌ姉ちゃんの身体を思わず、自分の気まぐれで出てきているという事だ。
神というのは、人のことを気にしないのだろう。とはいえ、自分が選んだ巫女に対しても、そんなものだというのか。彼女をもっと労わろうとか、大事にしようとか、そういう考えは全くないのだろうか。
神が勝手に選び、これからの人生が変わってしまったというのに。寿命さえも、神の気まぐれで短くなっても、神は気にしないというのか。
この頃には私はもう、神に対し祈ることはなくなっていたと思う。理不尽な神に何かを祈っても意味がないと感じていた。
それからもノヴィル神は勝手にリュヌ姉ちゃんの身体を借りていたが、無事に姫様が誕生した。リュヌ様の疲労は激しいが、命に別状はないということで周りの者達は皆安心していた。
「ダフォディル、こちらへ」
リュヌ姉ちゃんに部屋へ呼ばれた私は、リュヌ姉ちゃんからもっと近くに来いと誘われる。リュヌ姉ちゃんの傍にいる猊下に視線を向けると、猊下は何も言わず頷いた。猊下からの許可ももらって、リュヌ姉ちゃんの傍に近寄る。リュヌ姉ちゃんの腕には生まれたばかりの姫様が眠っており、エトワレ殿下がその顔を覗き込んでいた。
「ダフォディル、よければこの子を抱いてくれませんか?」
「え……、いや、そんな、私のようなものが姫様を抱くなんて」
「これから貴方はこの子のことも守っていくのです。護衛対象のこの子のことを、貴方にも抱いてほしいのです」
「我のことは気にするな、ダフォディル。先ほど存分に姫を抱かせてもらった。エトワレも慣れないながらも抱くことができたしな」
「うん。ダフォディルも抱いてみて!」
お二人にも言われ、逃げ場がなくなった私は、リュヌ姉ちゃんから姫様を預かった。
小さな姫様は下手に力を入れると潰れそうなほどだった。エトワレ殿下から抱き方の指導をもらい、なんとか安定して姫様を抱くことができた。
「……こんなにも、小さいのですね」
「ボクも最初そう思ったよ。でも、可愛いよね!ボクの妹!」
「そうですね……とても愛らしい姫様です」
「ダフォディル。この子の名前はミーティアです。これから、私たちと一緒に、この子のことも守ってください」
ミーティア。ミーティア様。この子が新たな姫様。
小さな小さなその子に、私は誓いを立てるように、言葉を告げた。
「ミーティア様、私があなたのこともお守りします」




