60 聖女、求める。 後編
既に作られているお茶の葉に、あたしはスキルを使った。飲んだ人がもっとこのお茶を求めるように意識しながら。
そのスキルは成功した。実験体になった軍人の一人は、何度も何度もお茶を求め、それを与えるあたしを神をみるような目で見つめてきた。その眼差しが、とても心地よかった。
ダフォディルに成功を伝えると、栽培している花に直接私がスキルを加えるようになった。そして、お茶の実験体も一人、また一人と増えていき、いつの間にか彼らからあたしは聖女と呼ばれるようになっていた。
別に彼らにスキルを使ったわけでないのに、こんなにもたくさんの人間から求められていることがとても気持ち良かった。
「予想通りの結果になった。お前のスキルは流石だな。アネス」
ダフォディルに報告に行くと、そう言って褒められた。その言葉にすごくくすぐったいような気持ちを覚えた。
「ダフォディル隊長が提案してくれたおかげよ。あたしのスキルがこんな風に使えるなんて思ってもいなかったわ。もっと早くわかっていれば、あたしの人生、今とは違っていたのかもね」
「そうなればお前がここにくることもなくなって、俺としては困る結果になっていただろうな」
ああ、この人はあたしを求めてくれている。それだけですごく幸せだった。
もっとこの人のために動きたい。もっとこの人に見つめてもらいたい。もっとこの人に褒められたい。いつしかあたしはそう思うようになっていた。
そんな日々が過ぎていく中で、あたしはとある物を見てしまった。
ダフォディルが、女性と話しているのだ。
その女性は美しい金髪の、黒い軍服を身に纏った人だった。その人はダフォディルに何か報告しているのか険しい表情をしていたけれど、ダフォディルは違っていた。
いや、あまり表情を変えない彼だから、特に変化はないようにも見えたけど、その瞳がどこか、愛しそうに彼女を見ていたのだ。
近くにいた軍人に彼女のことを聞くと、ミーという名の軍人だと教えてもらった。そして、彼女は姫巫女様なんじゃないかという噂もあると。
派手な花、というよりも可憐な小さな花のような人だった。
ダフォディルとは親子ほどに年が離れているようにも見える。それでも、あたしは気づいてしまった。知りたくなかった。
ダフォディルは、彼女に特別な思いがあるのだと。
それがわかった瞬間、あたしは今までに感じたことがない気持ち悪さを感じた。
なんだろう、酷く、酷く嫌な気分だ。何かが気に食わなくて、苛立たしい。
「ダフォディル隊長」
あたしが姫巫女のことを気づいていないようにダフォディルに声を掛ける。二人はあたしに目を向け、ダフォディルは酷く嫌そうに眉間に皺をよせていた。
「あら、ごめんなさい。お取込み中でしたか?」
「いや。……お前には紹介していなかったな。こちらはミー。特殊部隊を率いてもらっている」
特殊部隊。確か変わったスキルを持っている者が集まっている部隊だったはずだ。
「ミーさん、ですのね?あたしはアネスと申します。よろしくお願いしますね」
「アネス、さんですか。ミーです。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って姫巫女はあたしに手を差し出す。ここで無視するのもできたけれど、一応握手はしておく。
名乗った時に、姫巫女は驚いた様子であたしを見ていたけれど、なんだったのだろう。
その後、姫巫女がいなくなってから、ダフォディルはあたしを睨む。
「彼女に関わるなと、言ったはずだ」
「ああ、彼女がその姫巫女様だったのですか。知らなかったですわ」
「……今後は、彼女に近づかないように」
そう言って、ダフォディルはあたしに背を向けて歩いて行ってしまった。
それから、あたしは彼女を敵として見るようになった。
お茶を飲んだ軍人達に姫巫女に対する適当な悪口を聞かせれば、彼らは姫巫女に対しての敬意は無くなっていた。そして、あたしを聖女と称して讃えてくれるようになった。
姫巫女はこちらのことは知らない。閉じこもったままの何もできない姫だ。それに比べて聖女様は自分たちの声を聞いてくれる優しい方だ。
そう言って仲間を増やしていく軍人が増えていった。
ダフォディルの反神主義を増やす目的にも有利になるだろうから、ダフォディルからは特に注意を受けることはなかった。
そんなある日のことだった。
ダフォディルの執務室に向かうと、何やら話し声が聞こえた。
ダフォディルはあまりこの部屋に人を入れないのに珍しい。そう思いながら扉を開けると、目の前に一人の男が立っていた。
背は低いけれど、顔は整っている子だ。顔になんだかよくわからないものをかけていて、その格好もノヴィルでは見たことがない。
ふと、その子の後ろにいるダフォディルに視線を向ければ、失態を犯した、というような表情を見せていた。
あたしには内緒にしたかった子なのか。そう思うと、彼をあたしのもとに置いておきたくなった。
「あら、知らない顔の子ね。とても可愛い」
彼の顔に両手を当てて、あたしから目を逸らさないように固定する。何をされるかわかっていない彼は警戒もなくあたしを見つめてくれる。
「アネス!」
ダフォディルの制止を求める声がする。でも、あたしはそれに従わなかった。
「気にいったわ。私、この子を傍に置くわ」
そして、あたしはスキルを使った。彼はとろんとした目でこちらを見つめる。これでもう、彼はあたしの言うことを聞いてくれる、あたしを愛してくれる存在になった。
「アネス、どういうつもりだ」
ダフォディルの低い声が響く。彼の機嫌など知らないフリをした。
「どういうつもりだなんて、あたしはただ、この子を気に入ったの。一目惚れ……ってやつかしら。大丈夫よ。一人に対してスキルを使っても、お茶の効果が無くなることはないって確認はできてるわ」
「……勝手にそいつを使うなと」
「あら、駄目でしたか?」
「……次はないぞ」
怒っているようだけど、あたしに何かを気づかれたくないのか、そんなに強くは言わないみたい。こちらとしては都合がいいわ。
「さて、と。あなたの名前、教えてくれる?」
「……アンブラと言います」
「アンブラね。ノヴィルでは見たことなかったけれど、プレニルから来たのかしら?」
「いえ、メガニアから来ました」
メガニア。最近できたって言う国だったかしら。まぁ、どうしてここに来たのかは聞く程ではないでしょ。
「アンブラ、これからはあたしの傍につく護衛になりなさい。あたしを愛する恋人になりなさい。いいわね?」
「はい、もちろんです。……何と呼べばいいでしょうか」
「聖女で構わないわ」
「わかりました、聖女様。俺はあなたの護衛であり恋人となりましょう。あなたの傍であなたをお守りし、あなたを愛します」
望んだとおりの言葉を選んでくれる。とても、気分が良かった。
そして、アンブラは姫巫女にとって大事な存在だったようだ。
アンブラと共に軍部内を歩いていると、姫巫女に出会った。彼女はメガニアから来たという巫女を案内しているようで、メガニアの言葉から、アンブラはその巫女と一緒に来たんだろうとわかった。
あたしの隣に立って、あたしの傍にいると巫女に宣言したアンブラにいい気分を感じていたけれど、巫女の後ろに立つ姫巫女の様子が、あたしにとって重要だった。
彼女は驚いたように、そしてショックを受けたように、固まっていたのだ。彼女の視線はアンブラに止まっている。その表情が、あたしを喜ばせてくれる。
アンブラは姫巫女にとって大事な存在だったのだろうか。だとしたら、それを奪い取ることができたのだ。これほど嬉しいことはない。
あの姫巫女から、全てを奪いたい。彼女に向けられる目も、彼女の大切にしているものも、彼女の立場も、全て。
全部、あたしのものにしたかった。
それは、一瞬で消え去った。
ダフォディルが教皇に向けて軍を動かした。それを聞いたアンブラが、自分もそちらに行きたいと言い出した。
あたしはそれを止めようとしたけれど、あたしを守るためだと頼んで来たアンブラを行かせてしまった。
この時に、あたしの言うことを聞かなくなったアンブラに違和感を覚えて、止めていればよかった。
嫌な予感がして軍人達を盾にあたしも向かうと、そこにいたアンブラは姫巫女の傍にいた。そこに殺意とかはなく、穏やかな空気が漂っていた。
「アンブラ」
ホールに思ったよりもあたしの声が響いた。
「アンブラ、何をしているの?ミーティア様を殺しに行くと言っていたじゃない。何故殺していないの?」
「申し訳ありません、アネス様」
アンブラは頭を下げて見せてから、すぐに頭を上げた。
「俺がそっちにいる必要が無くなった。もう十分に情報も頂いたし、俺は抜けさせてもらう」
「裏切るつもり!?」
「元々、俺は信用してなかった。人を操って使おうとしていたのはわかってるんだ。貴女の傍につきたい兵は他にもいるだろうし、他を当たってくれ」
騙していたのか。あたしのスキルがかかっているフリをして、ずっと、ずっと。
「私が貴方が抜けるのを許すと思って?今すぐ言葉を撤回してくれるなら許してあげるわ」
「撤回するつもりは全くありません。それより、なんでそんなに俺に執着するのかがわからない」
「それは、私が貴方を愛してしまったから」
「違うでしょ。あんたが本当に好きなのは他にいるんじゃないのか?」
思わず、あたしの言葉が詰まってしまった。
本当に好きなの?そんなの、そんなのは。
あたしが言葉に詰まっていると、背後から気配がした。そして、突然アンブラ達がその場に倒れ込んだ。
驚いて振り返ると、こちらに向かってダフォディルが歩いてきていた。
「ダフォディル隊長!」
「アネス。怪我は無いか」
「えぇ。何もされていません。ですが、アンブラが私達を裏切ったようです。彼には目をかけていたのに許せません。ダフォディル隊長、彼に相応の制裁を」
武器を持たず、戦うこともできないあたしにとって、強い彼が来るのは有難いことだった。これで、これで大丈夫だ。裏切り者のアンブラは殺されて、ダフォディルは教皇の元に行く。あたしはまだ終わってない。まだ、まだ。
剣を抜いたダフォディル隊長に安堵を覚えた。でも、その瞬間、あたしの腹が熱くなる。
視線を落とせば、ダフォディルの剣があたしの腹に刺さっていた。
熱い、痛い、いたいいたい。
どうして、どうしてあたしが剣を受けてるの?
「な、何……でっ」
あたしの言葉に答えず、ダフォディルはあたしの肩を掴み、剣を抜いた。力が出なくてあたしの身体はダフォディルに支えられることもなく、床に倒れた。
「何故?言ったはずだ。アネス」
ダフォディルは冷たい眼差しであたしを見下ろしていた。
「ミーティア姫に近づくな、と」
ゆっくりと、ダフォディルの剣があたしに向かって行く。
それを眺めながら、あたしは今までのことを思い出していた。
その記憶の中で、ダフォディルに出会った時のことがはっきりと思い起こされる。
ああ、そうか。あたしは、あたしはあの時ダフォディルのことが好きになっていたのか。
ダフォディルが姫巫女に向けるような眼差しが欲しかっただけだったんだ。
でも、もうそれはあたしに向けられることは一生ないだろう。
せめて、あなたに殺されることを、喜べばいいのだろうか――。




