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54 伊藤華の願い

 幼い頃から、私は人と接するのが苦手だった。

 そもそも保育園で自分の容姿を弄られた経験が、自分に対する自身を失うきっかけになったし、味方になってくれない周りの子達の様子が、人を嫌うには十分な出来事だった。

 小学校に上がってからも、出来るだけ目立たない様に、一人で遊ぶことが当たり前になっていた。その様子にお父さんには心配を掛けてしまっていたのはわかっている。

 流石に申し訳なく思って、中学からは部活動の繋がりで友人を作るようになった。私と同じで絵を描くのが好きな子達で、私にゲームで遊ぶことを教えてくれた存在だ。中学の頃は小学校の頃よりは楽しかった。

 

 私の生活が輝き出したのは高校生になってからだった。

 高校に上がった私は、中学の頃の経験もあったので美術部に入部する事を決めていた。中学校からの友人と一緒に部活動見学に美術室を訪れて、一つの作品に目を奪われた。

 ただの、人の絵だった。背景は真っ白で、二人の男子生徒が体育着を着てハイタッチをしている瞬間を切り取った絵だ。

 写真の様に忠実で、でも沢山の色を使っている。細部まで書き込んであって、とても美しく感じた。

 その先輩は男の人だった。私より一つ上の先輩は部活動見学に来た生徒たちの似顔絵を描いていた。鉛筆一本だけを使った似顔絵は本当に写真のようだった。何よりすごいのは、先輩は頼まれれば髪型を変えた絵や服装を変えた絵、目を大きくしたい、鼻を高くしたい、顔を少し引き締めたい。そんな要望を全て完璧に叶えた絵を描いてくれたのだ。

 友人の希望通りの絵を見て、私は思わず聞いた。どうしてそんなにも要望を叶えた絵を描けるのかと。先輩は答えた。高校に入ってからモデルをクラスメートに頼む事が増えた時、そのうちの一人が言ってから皆に頼まれるようになって勉強したと。

 だからか先輩は女性のメイクにも詳しくて、服も流行の物を把握していた。なんだったら服の構造も知っていたからハンドメイドできるぐらいらしい。

 私の似顔絵も描く言う先輩の言葉を断ろうとしたけれど、友人に押され逃げられなくなった。カチコチに固まっている私に、先輩は緊張をほぐそうと色々話してくれた。私が答えられない時は友人が変わりに話してくれた。

 私が人の目が怖くて視線を合わせるのが苦手な事、人の視線から逃げようと前髪を伸ばして、目立たない様に地味な格好を好んでいる事。私が止めるのも聞かずに友人は色々先輩に伝えていた。先輩はそれを聞きながらも、手を動かしている。


「昔言われた事って、案外自分の中で深く刻まれるよな。俺も同じ経験があったよ」

「……先輩、も?」

「うん。こんな体格なのもあって、俺が描いている絵が似合わないとかも言われたし、好きだったものを否定されたりな。でも、俺はこうやって似顔絵を描く事で、自分の好きな物を表現できるようになったんだ。親に絵を描くのも難色示されたりもしたけど、そこは押し通した。だから、君ももっと自分の好きな物に目を向けて、周りに何を言われても跳ね返せるぐらいに好きな物を自信もって好きって言えるようになってほしいな」


 そう言って、先輩は書いていた絵を見せてくれた。

 その絵は確かに私だった。でも目を隠している前髪は眉ぐらいの長さで、綺麗に整えられた髪を揺らして、嬉しそうに笑っている。自分の顔だけれど、とても綺麗だと思った。

 それは友人も思ってくれたらしく、友人も嬉しそうに笑って歓声を上げていた。


「目元は見えないところは想像だけど、合ってるかな?」

「合ってます!そのまま華だよ!ほら、可愛いよ華!」

「……私じゃないみたい」


 見惚れてしまったように、その絵をじっと見つめてしまう。その様子に先輩は嬉しそうに笑った。


「君は十分可愛いよ。昔酷い事言った奴は目が悪かったんじゃないかと思えるくらいに。すぐには無理だとはわかっているけど、自身を持って欲しいな」


 先輩には、私はこう見えるのだろうか。私は、これだけ綺麗になれるのだろうか。

 私はその絵を貰って、入部届も直ぐに出した。そして少しだけ、前髪を切った。


 それから私は部活動を積極的に行っていたけれど、先輩と話す事は少なかった。先輩はなんだかんだ人気らしく、色んな人が似顔絵の依頼をしていた。

 先輩とまた話せたのはとある絵画コンクールに出展する絵を描いている時だった。

 先輩は人の絵を描いていて、でもその背景は真っ白なことに私は首を傾げた。


「先輩、背景はどうするんですか?」


 そう聞くと、先輩はしばらく唸ってから苦笑を見せた。


「俺、背景が凄く苦手なんだ」

「え!?人より簡単では?」

「皆そういうけどさ、建物とか植物の書き込みって、どこをどう書けばいいのかわからなくて。去年の絵の中には頑張って背景を描いたものもあったけど」

「その絵見てみたいです」

「……写真でよければ」


 そう言って先輩はスマフォを操作して画面を私に見せてくれた。その写真に写された絵は花束を持った女性の絵だ。とても笑顔が眩しい女性で、色とりどりの花も美しい。なのに背景にある家は落書きで簡単に書いたような家で、リアルな人の絵になじまない。むしろアンバランスな家に目を向けてしまう。


「……なんで、なんでそんなに描けないんですか」

「んー……、建物って、可愛くないじゃん」

「可愛いの大好きなんですね先輩」

「……大きな男が可愛いのが好きで悪かったな」

「悪くないですよ。こんなに絵に差が出るくらいに、先輩は好きな物に掛ける情熱が違うんですね」


 そう伝えると、先輩は目を丸くしていた。何かおかしなことを言っただろうかと思い謝ろうとしたが、その前に先輩は私が描いているキャンバスを指差す。


「伊藤は、風景画が上手いよな。すごく良く見てる」

「ありがとうございます。でも人の絵を描くのは苦手なんですよね」

「人の視線が苦手だからかもしれないな。……俺と伊藤の合作が作れたらすごくいい絵ができそうだ」

「じゃあ、今度作りましょうよ」


 先輩の提案は凄く良い物だ。二人で協力すれば、とてもいい作品ができそうだ。

 先輩もそう思ってくれたのか、その年の文化祭で合作を作り上げた。それは凄く評判が良く、学校の目立つ場所に飾られた。


 それからも先輩と過ごす部活は楽しかった。でも、その後、先輩は卒業した。当たり前だ。先輩は私より一つ上なのだから。

 だから、私は先輩と同じ大学を目指した。そして同時に、自分磨きを始める事にした。

 先輩の卒業式の時に、友人に告白しないのかと言われたが、私は思っていた。先輩が描いてくれた似顔絵。あんな自分になれるまでは告白をしないと。

 新しい生活に合わせて、新しい自分になる事を決めた。受験勉強をしながら、自身を持てる自分になれるようにスキンケアやストレッチ等を行って、趣味のゲームも嗜んでいた。その時にお気に入りだったのが、ファタリテート ノヴィル編だ。そこで出て来る、お助けキャラのミーティアみたいに可愛くて強い女性になるのを目指した。


 そうして無事に合格し、先輩と同じ大学に入学した。そしてすぐに先輩に会いに行った。

 さらさらの綺麗な髪、眉のあたりに切りそろえられた前髪、できるだけナチュラルに濃すぎないようにメイクをして、自分に合った服を着た。コンタクトは怖かったので眼鏡だけは手放せなかったが、自信が持てる自分になれた。

 そんな私は、先輩に告白した。

 貴方を追いかけてきたと。あの時先輩が描いてくれた自分になったと。可愛い物が好きな先輩が好きだと。優しく見つめてくれる目元が好きだと。だから、だから付き合ってほしいと。

 先輩は驚いていたけれど、頷いてくれた。

 そうして私は自身と先輩を手に入れた。大学生活は楽しい物になる。なる、はずだった。


 自信を持った私の姿のせいか、やけに言い寄る男性が現れた。声を掛けられても断っていたのだが、ストーカーに遭い、私の一日のルーティンもわかっているのか、行く先々で会うようになってしまった。

 大学生活が始まってから一人暮らしも始めた私は、一人でアパートに帰るのは危険だと思い、その日は実家の方に帰ることにした。実家は電車で二駅程の距離で、電車では一人になるのが不安だったけれど、それを聞いた友人が時間を合わせて電車の中で落ち合う事になった。

 駅までは事情を説明した先輩について来てもらった。


「ごめんね、ついてきてもらっちゃって」

「気にすんな。ストーカーに悩まされてるなら一緒に帰ってやるに決まってるだろ」

「でも先輩にわざわざバイト終わりまで待ってもらっちゃったし」

「いいんだよ。むしろ彼女にそれぐらいしてやれって怒られる。俺が俺に」

「……うへへ」


 大事にされている。それがよく分かる台詞が凄く嬉しい。嬉しすぎて変な笑い方をしてしまう。


「その笑い方はどうなんだ」

「いやぁ、嬉しくて」

「喜んでいただけたなら何よりです」


 彼氏彼女の関係になってから、先輩は大分心を許してくれるようになった。そんな先輩だから私も楽に接する事が出来る。


「ほんと、良い彼氏ですね先輩」

「こんな彼氏を持って幸せですか?彼女さん」

「幸せですよ。彼氏さんはいかがですか?」

「俺が好きだからって可愛い格好して大学に追っかけてきた可愛い彼女を持てて幸せです」

「正直者め」

「嬉しいだろ?」

「勿論。あ、そろそろですね」


 電車が来ることを告げる放送が流れる。黄色い線の内側にいるので危険はないだろう。


「ホームまででいいのか?」

「はい。同じ電車を友達も使ってるので電車の中で合流するし、駅についた時は親がホームまで迎えに来てるし」

「そっか」

「一緒に来てくれるつもりだったんですか?」

「頼まれたらな」

「優しい彼氏さんで彼女は幸せです。そんな彼氏さんにアメちゃん一つあげましょう」

「お礼が飴一個?」

「今度沢山の飴玉あげますね。私お気に入りの」

「レモン味以外を押し付けるつもりだろ」


 仕方ないじゃないですか。私の大好きなレモン味の飴は色んな味と一緒に大袋に入っている物なんですから。このメーカーさん、レモン味だけ入った大袋の飴を出してくれないだろうか。

 今の手持ちはレモン味しかないので、先輩にも美味しいレモンの味を堪能させよう。


 私が乗る予定の電車の前に快速電車が通る様だ。もう少し先輩と話したかったなと思いながら、私も飴を口の中に入れる。先輩も袋を開けて飴玉を食べようとしたが、先輩の身体が前に倒れていった。

 先輩が持っていた飴玉と先輩が線路に向かって落ちていく。

 何が起きたのか、分からなかった。

 何もできなかった。

 先輩が線路に倒れ込む前に、私の目の前を快速の電車が通る。

 ブレーキ音が響き渡る。悲鳴が聞こえる。誰かが私の腕を掴もうとして、その誰かは周りにいた男に抑えつけられる。視界に少し入ったのはストーカーの男の顔だ。でも、そいつの事はどうでもよかった。


「……先輩」


 隣にはもう先輩はいない。


「先輩!!」


 そう叫んでからの記憶は無かった。

 聞けば私は先輩を集めていたとか、泣きながら先輩だったものを抱きしめて泣いていたとか。

 そんな事を、友人や家族に聞いていた。


 先輩は死んだ。私のストーカーをしていた奴のせいで。

 いや、私が先輩に駅までついて来てもらわなかったら。私が先輩と付き合っていなかったら。

 先輩は生きていたはずだったのに。

 私が、私が、私が私が、私が、悪い。悪い。

 私が先輩を、殺した、か、

 先輩は、先輩はもう、先輩はもういない。

 私は、先輩の隣に立てるように、頑張った私は、私の願いは、

 私は、なんで、なんで、生きているの。


 楽しみに待っていた大好きなゲームの新情報も、

 新しいレモン味のスイーツも、

 何もかもに興味が失った。

 先輩がいない世界に、興味が無くなった。


 それなら、私はもう死ねばいい。

 先輩がいない世界で自信を持つ自分でいるのも意味がない。

 先輩がいない世界で楽しく生きれるはずがない。

 だから、もう、全てを消して、



 できるならどうか、来世というものがあるのなら、また先輩に会わせてください。


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