43 メガネ、決意
やあやあ、どうしたんだい?
眼鏡の鼻パッドの汚れが落ちないみたいな顔をして。
私だよ、メガネだよ!
さて、アウリスと部屋にいた私の元に、ルデルが戻って来た。私がルデルとアンちゃんの会話を聞いていたのをわかっていたのかはわからないけれど、特に何も言ってはくれなかった。
それから少しして、オクルスがやって来た。
「ごめんなさいね。本当はミーが説明すべきなんだろうけれど、ミーは猊下とお話があるから、代わりに私から伝えるわ」
「……何が、あったんですか?」
アウリスは教皇を敵として軍部が動き出そうとしていると言っていた。彼女がそう告げるような情報をアウリスが聞いたのだろう。
オクルスは長くなると前置きしてから話し出した。
「元々、この国の軍は本来は存在していなかったの。だけど、前教皇猊下が反神主義な方で、神からの祝福を否定して、自分達が力をつける為に軍隊を作ったの。そのおかげか、軍の人間達は神を信じない人の方が多いの」
「それで、現教皇猊下を敵対するという事ですか?」
「そうね。元々から現教皇猊下もミーも気を付けていたのだけれど、アネスの登場から軍の人間の神様嫌いが激しくなってしまったの。そして、アウリスの耳が反神主義の者達の集会が開かれる事を聞いて、私とアウリスが監視していたの。注目されない様に、ダフォディルが軍の定例会議の時を狙ったみたいだけど、私の目とアウリスの耳はそんなもの関係ないからね」
頼もしい事だ、と思ったけれど、軍に彼女たちの能力が気づかれているのなら、バレるとわかっている上で彼らは集会を開いたのかもしれない。敵はこれぐらいいるのだと相手に分からせる為に、いつでも開戦できると脅すように。
「ミーは明日にもすぐ彼らが動くと考えているの。今は教皇猊下とお話して、今後の動きを相談しているはず。
ミーは何よりも兄である教皇猊下を守るために動くから、メガネ様方には申し訳ないけれど、明日帰国をしてもらいたいの。軍のほとんどが敵になるとすれば、私達はメガネ様を守る事ができないから」
「……わかりました。こちらも、自分の身が大事なのでお言葉に甘えさせて頂きます」
「来た時と同じように地下道を使ってもらうわ。車も貸すけれど、それらの情報は他の人には内密でお願いね」
「はい」
これでいい。私達が残ったところで、何が出来るのか。
黙っていたルデルが片手を上げた。
「オクルスさん。一つ、聞きたい事があるっす」
「何かしら?」
「勝手に軍の方で色々話を聞いていたのだけれど、その中でこんなものを手に入れたっす。これについて知ってますか?」
そう言ってルデルが出したのは、アンちゃんから受け取っていた小袋だ。中を開くと、乾燥した茶葉のような物が入っている。
「……よく、手に入れたわね」
「知ってるっすか?」
「存在はね。ただ、実物を手に入れる事が出来なくて困っていたの。ちょっと待って。リングアとナーススを呼ぶわ」
そう言ってオクルスは駆け足で部屋から出ていった。壁際にいたアウリスがこちらに近づき、小袋を覗きこむ。
「なんだ。見た目はただのお茶の葉だね」
「この国の嗜好品だって言われたっすけど」
「そうだね。一部の兵士にとっては嗜好品だよ」
「一部だけ?」
「そう。オクルスが情報集めていたんだけど、このお茶は反神主義の奴らが愛飲している、アネスが現れてから出回っている物なんだよ。でも、僕らには手に入らない様に周知されているのか、どうしてもこのお茶がなんなのか分からなかったんだ。聖女からの恵みとも兵士の間では言われているみたい」
つまりこれは反神主義達が公にしたくない情報を持っているという事なのかもしれない。
確かアンちゃんはこれを調べてみろと言っていた。もしかしたらそれは。
「これは俺達と一緒に来たアンから貰ったっす。あいつが何も考えずにこれを渡す事はないはずっすよ」
ルデルの言葉に私はルデルに視線を向けた。ルデルは私と目が合うと笑顔を見せた。
「これで、アンが敵に回った確率は減ったっすよね?」
「ルデル……」
「まぁ、俺らが調べられるのはおそらくここまでっす。俺達は明日には帰らないと」
自分達の身を考えるのならばメガニアに帰った方がいいだろう。だが、それはアンちゃんをここに置いていく事になってしまう。それがアンちゃんの望みかもしれない。それでもアンちゃんは何か考えがあるのかもしれない。
私はソファから腰を上げる。不思議そうに見ているアウリスに微笑を見せた。
「時間がかかりそうなので、帰り支度を今からさせてもらいます。帰る事を神へお伝えしてくるので、誰も来ない部屋を用意してもらえますか?」
瞑想をすると言って、私は用意された小部屋に入る。誰も入ってこない事を祈ってから、私はナハティガル君の眼鏡に移動した。少し待ってから擬人化をすると、ナハティガル君は私の姿に驚いていた。
「メガネ様?今日は早いですね」
「……ナハティガル君に話があるの。どうか、意見を聞かせてほしいの」
そして、私は全てを話した。秘密にしていたのを謝って、アンちゃんの事、ミーティの事、ノヴィルの軍と教皇の事。そして、私が考えている事。
黙って全てを聞いてくれたナハティガル君は、怒る事も悲しむ事もせず、微笑を見せてくれた。
「メガネ様。貴女が宿っている眼鏡が壊されても、貴女の本体は私が隠している以上は、貴女が死ぬことはないでしょう」
「うん」
「それをわかっていても、貴女が危険に冒されてしまうのは不安が大きいです。しかし、貴女の友人と私の友人の為であるのならば、私はそれを協力したいと思っています。むしろ、アンをまたメガニアに連れてきてほしいと思っています」
そう言ってからナハティガル君は肩をすくめて見せた。
「私にとってのアンは、初めての心を許せる友人です。彼がいないのは私も困りますし、アンとメガネ様の掛け合いを見るのも微笑ましく思っていたので、寂しいです」
「……わかる。私も寂しいな」
これから私がやろうとしている行動はナハティガル君の危険を払う行動ではない。間違えたら、危険を増やしてしまうかもしれない。
それでも、やると決めたのだ。ナハティガル君が背中を押してくれたのなら、私が迷う事は無い。
「アンちゃんが戻って来たら、何かしてもらおうかな」
「そうですね。メガネ様を不安にさせた報いを受けてもらわないといけませんね。私が何か考えておきますよ」
「ありがとう。それじゃあ、ナハティガル君」
「はい」
「帰ってくるまで、待っていて」
「えぇ。お気をつけて、メガネ様」
私の姿は眼鏡に変わり、私はノヴィルに置いて行った眼鏡に戻る。
少し待ってから擬人化をし、ルデル達がいる部屋に戻ると、そこにはオクルスとナースス、リングアが新たにいた。
「メガネ様。瞑想はすんだのかしら?」
「はい。席を外している間に何かありましたか?」
オクルスはもしかしたら私の秘密を見ているかもしれない。でも今は気にしないことにした。
メンバーの顔を見ると、ナーススは顔を顰めて鼻を摘んでいるし、リングアはティーカップを持って渋い顔をしている。丁度お茶を確認していたところのようだ。
私がソファに座るのを待ってからナーススは鼻を摘んだまま口を開いた。
「匂いを嗅ぐと頭がくらくらする。お茶にするとかなり……。頭がぼうっとする気はする」
「味をみた感じでも麻痺毒に近いものがある。ナーススの反応も見るに、催眠効果があるのかしら?」
「催眠、ね。ということは、飲んだ人間を操ろうとしていると思えばいいのかしら?」
「後は中毒性があるわ。催眠効果のあるものを定期的に飲んでれば、自由自在の兵が作れる。それがあいつらの狙いってところね。あー、不味い」
そう言ってリングアはティーカップを持って窓に近づくと、窓を開けてティーカップの中身を外に捨てた。アウリスは興味深そうにティーポットを眺める。その様子に戻って来たリングアが眉をしかめた。
「飲まないでよアウリス」
「駄目かい?僕も気になるよ」
「毒に耐性がない貴女が飲んだらそれこそ中毒に催眠に襲われるわよ。私だから大丈夫なの」
そう言われたアウリスはしぶしぶティーポットをテーブルに戻した。それを見てからオクルスはルデルに目を向ける。
「貴方のおかげで良い事が知れたわ。ありがとう」
「いえいえ。役に立てたのならばよかったっす。これを使って反神主義者を増やしてるんすかね」
「可能性は高いわ。アネスが現れてからこのお茶が現れたから、アネスがこのお茶を作っている可能性がたかいわね。リングアなら、このお茶を研究できるかしら?」
「やってはみる。あまり気が乗らないけど」
不味いお茶の研究が一番嫌なのよね。とリングアは呟きながら残りのお茶の葉が入っている袋を持ち上げた。それを見てルデルは言う。
「少し貰ってもいいすか?メガニアに植物関連に詳しい人いるから、そっちでも研究させてもらいたいっす」
「持ってきてくれたのは貴方だし、良いわよ」
そう言ってリングアは自分のハンカチに少しだけお茶の葉を乗せてから、小袋をルデルに差し出した。ルデルが礼を言ってそれを受け取った。
ティーセットとお茶の葉を持ってリングアとナーススが部屋から出ていった。ナーススはかすかな臭いでも感じられるからか辛そうな表情だった。
しばらく雑談した後にオクルスも部屋から出ていった。それを見送ってから私はルデルを見る。アウリスがいるので、ルデルの眼鏡に私の言葉が吹き出しで見えるようにする。それにルデルは驚いていたけれど、特に反対をする様子は無かった。
翌日、私とルデルは教会から地下道に直接繋がっている道の前にいた。見送りにはミーティとアウリスがいる。
「メーちゃん、本当にごめんなさい。私達の事情ですぐに帰してしまうことになってしまって」
「ミーティが気にする事は無いよ。ミーティが悪いわけじゃないんだから」
「……私はもっと、メーちゃんと過ごしたかったのに」
悔し気なミーティの言葉はとても嬉しい。もっと長く過ごせば、親友にも近い関係になれるのかもしれない。そう考えながら、私は懐に入れていた物を取り出す。
「ミーティ、もしよければこれを受け取ってくれないかな?邪魔じゃないなら常につけてくれるとお守りになるんだ」
それはフレームが無い眼鏡だ。弦の部分はゴールドで綺麗に装飾されていて、ミーティに似合う、かつ、ちょっと高価そうなものをイメージしてみた。
ミーティは目を丸くして眼鏡を見つめてから、嬉しそうに受け取ってくれた。
「眼鏡だ!いいの?」
「うん。友好の証として持っていてほしいの。いいかな?」
「勿論!実は前世での私は眼鏡族だったんだよ。なんだか懐かしいな」
そう言いながらミーティは慣れた様子で眼鏡をかけた。思った通り、似合っている。そう伝えるとミーティは嬉しそうに笑う。しかし、すぐに表情を引き締めた。
「ここを真っ直ぐに行けば地下道に辿り着くよ。車は用意しているからそれを使って。運転はできるかな?」
「大丈夫っすよ。心配しないでください」
ルデルの自信満々の言葉にミーティは微笑する。
「では、すぐに逃げてください。……また会える時を楽しみにしてるね」
「うん。ミーティも、気をつけてね」
そうして、私とルデルは歩き出す。背後から扉を閉める音がした。
歩きながら、私はルデルを見た。
「ルデルって、前世で免許取ってたの?」
「取ってないっすよ。俺、免許取る前に死んだっす」
「え。それじゃあ運転経験ないんじゃないの?」
「大丈夫すよ。レースゲーはよくやっていたんで!」
「……ゲーセンのアーケードゲーム?」
「いや、家の据え置きゲームっす。ハンドルさばきは自信あるっすよ」
つまりアクセルとブレーキペダルを分からないのではないかと不安が残る。大丈夫だろうか。
しばらく歩くと新たな扉が現れ、開けると車が置かれた道に辿り着いた。恐らく私達が車を降りた場所だろう。
ルデルは車に乗り、刺さったままの鍵を回すとエンジンがかかった。エンジンのかけ方はわかるようで安心した。
「それじゃあ、行きますか。メガネ様。予定通りに」
「うん。予定通りに、ね」
ルデルが差し出した手を私は取る。そして私の身体は一つの眼鏡に変わった。それをルデルは大事そうに懐に仕舞った。
仕舞われたのを確認して、私はミーティの眼鏡に向かった。
決めたのだ。何もできないかもしれないけれど、せめてこの眼に収める事を。
ミーティとアンちゃんに何が起きるのかを、知りたいのだ。




