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39 メガネ、計画

 やあやあ。……やあやあ。

 心が傷ついたメガネだよ。レンズにひびが入ったかのような気分だよ。こんな形で友達を失うなんて思わなかった。


 今私はミーティが用意してくれた客室のベッドに横になっている。ふわふわの寝具が身体を包んでくれているけれど、悲しみが晴れることはない。

 どうしよう。本当にどうしよう。

 あの後、ミーティも言葉少なくなってしまって、私達は黙って教会に帰ってきてしまった。ミーティもやっと会えたアンブラが嫌っているアネスの方にいてショックを受けたのかもしれない。ミーティはずっと何かを考え込んでいるようだった。

 それにしても、ナハティガル君にはどう伝えたらいいのだろう。ナハティガル君とアンちゃんも凄く仲がよかったのに、ナハティガル君も悲しんでしまうのかもしれない。それだけは避けたい。絶対ナハティガル君を悲しませたくはない。

 そもそも理由を伝えてくれないアンちゃんもアンちゃんだ。なんで急にアネスの傍にいるとか言うの。

 私達といたのは都合がよかったからと?お前あんなに楽しんでいた癖に。私のボケをしっかりツッコミ入れて笑いあってたのに。私に可愛い服着させて喜んでいた癖に。それも全部都合がよかったから?

 あ、なんだか腹が立ってきた。

 前に恋愛的な関係は作らないとか言ってたくせに、アネスに惹かれたのかよ。おかしくない?アネスより可愛い女の子を知っておきながら、何自分の発言を撤回してるんだよ。確かに可愛い女性ではあるだろうけれど、可愛い姿のメガネもセレナードもいるメガニアを捨てる程?私可愛いだろ?小さくて可愛いだろ?なのにアネスを選んだと?何やってんだてめぇ。

 考えれば考える程アンちゃんの顔をぶん殴りたくなってきた。

 あのチビをぶん殴るぐらい私にでもできるだろう。ぶん殴って殴って殴って。眼鏡を顔にめり込ませたい。眼鏡も武器になるんだぞってことをその身に教えてやりたい。

 よし。アンちゃんに会いに行って実行してやろうか。いいかもしれない。私はいざって時は簡単に逃げれるし。よし、やろう。

 そう決めてベッドから起き上がったと同時に扉がノックされた。


「はい?」

「メガネ、起きてるっすか?」


 入って来たのはルデルだった。ルデルは部屋にある椅子を持ち、ベッドの横に運んでそこに腰かけた。私はベッドに腰を下ろす。


「アンのことなんすけど」

「うん。殴りに行こうかなって決めた」

「そ、れは、まだやらないでほしいんすよ。時間があったんで外で住民達や軍人達の話を聞いて来たんす」


 言いながらルデルはビスケットのような物を私に差し出して来た。それを受け取って一口齧ってみる。頭痛がするほどに甘い。でもその甘さが落ち着かせてくれる。


「アネスなんすけど、俺とクデルがメガニアにやってくる少し前にノヴィルにやってきたみたいっす。んで、彼女がノヴィルでお茶を広めたらしいっす」

「お茶?」

「そ。すごく美味しいらしくて、軍の中で優秀な奴にしか飲ませてもらえないらしいっす。聖女って呼ばれるようになったのは、彼女が怪我をした軍人達を癒したらしいんすよ。怪我を治したってわけではなくて、懇親する姿に、姿を見せない巫女様よりも彼女は俺達を思ってくれると感じたらしくて、それから聖女と呼ばれるようになったらしいっす」

「なんだ。特別な力があるわけではないんだ」

「そうなんすよ。プレニル編でも不思議な力を使うわけじゃない子だったんすけど、なんであんなに聖女として崇められてるのかは疑問が残るっすね」


 ただ怪我人に優しくするだけで沢山の者に慕われるなんておかしい。なにかしら裏があると思える。

 考えられることとしては、アネスには人に秘密にしている力があり、それを使って人の心を動かしているのではないだろうか。


「で、軍を退役してる奴も多少調べてみたら、少なからずいるんだ。メガニアに移住したのかとも思ったが、退役した後の行方が不明になっていたっす。少し気になるから、次はそこら辺を調べてみるっす」

「……ルデルはなんでそこまで調べてくれたの?」

「は?そりゃ、アンが何の理由も無しにあっちに着くように思えないからっすよ。絶対何かあるはずっす」


 ルデルはまだアンを信じている。その事に私は目を丸くした。


「そう、思う?」

「そうでしょう?それに、アンはまだ眼鏡かけてたじゃないっすか。メガネとの繋がりを切るなら眼鏡を捨てるぐらいはするでしょ?いくら便利だとはいえ、それはメガリアのものじゃないっすか。なんだったら眼鏡を返せってメガネが言う権利もあるっすよ」


 先程までの怒りが、苛立ちが消えていた。まだアンちゃんを信じてもいいのだと、そのことが凄く嬉しい。

 ビスケットの残りを口に入れ、攻撃してくる甘さを耐えながら飲み込む。糖分が取れた。これで頭を動かす事が出来る。


「ありがとう、ルデル。私もうアンちゃんを殴りに行く事しか考えてなかった」

「まぁ、気持ちはわかるっすけど」

「私はミーティの力になるって決めたんだ。アンちゃんがどうしたのか知るためにも、ミーティの為にも、アネスに関する事も調べないと」


 頭を動かすエネルギーは摂取できた。ルデルにばかり苦労かけてもいられない。私も、アンちゃんを信じて動かないと。殴りに行くのは本当にアンちゃんがあちらについたとはっきりした時だ。


「よし。じゃあ、ルデルは行方不明になっている軍からの退役者を調べてみて。私は身分を隠しても子供だからルデル程の情報集めは出来ないから、アンちゃんの眼鏡を通してアネスを調べてみるよ」

「やっぱ眼鏡は便利っすね。俺がいない間は外に出たりしないでいるっすよ」

「わかってる」


 ナハティガル君に伝えるのも、もう少し情報を知ってからにしよう。黙っているのは心苦しいけれど、下手に不安にさせるよりはマシだろう。

 今日はもう遅いので明日から動くかと話していると、部屋の扉が叩かれた。返事をすると扉が開かれ、白い質素なワンピースを着た女性が立っていた。黒くて長い髪を首の後ろで一つに括り、金色の瞳を持つ女性だった。歳はオルクスよりは若く見える。

 彼女はノヴィルの挨拶を見せる。


「失礼いたします。ミーティア様より、メガネ様と共に夕食を頂く予定でしたが、別の予定が入り、メガネ様にはお一人での夕食になってしまう事を詫びる伝言を承りましたので、ここでお伝えいたします」

「予定、ですか。それなら仕方ないですね」

「こちらの部屋での夕食でも構いませんか?」

「えぇ。お願いします」


 そう言うと、女性は一度部屋を出てから木製のカートを押して入って来た。

 私は部屋に置かれていたテーブルと椅子の方に移動する。ルデルも立ち上がり、私の後ろに立った。


「ルデルも一緒に食べないの?」

「いや、普通要人と護衛が一緒に食事はないっすよ」

「でも一緒に食べたいから食べようよ。命令ってことで」

「……もう少し偉い人らしくしてくれないか?」


 そんな会話を聞いていた女性から小さく笑う声が聞こえ、私達はそちらに目を向ける。その視線を受けた女性は頭を下げた。


「すみません。メガネ様がミーティア様と似ていると思って、つい笑ってしまいました」

「ミーティも堅苦しいのは嫌なのかな?」

「そうですね。場はわきまえてくれてはいますけれど」


 肩をすくめてみせる女性に対し、ルデルは何度も頷く。共感するところがあるのだろうか。仕方ないじゃない。いまだに私が偉い立場にいるのは慣れないんだよ。


「護衛の方の食事も一緒に持ってきていますし、他に人もいないのでご一緒する事は出来ますよ」

「本当?じゃあルデルも後ろに立ってないで座って座って」

「……すみません。失礼します」


 夕食の匂いに負けたのか、ルデルは大人しくベッドの近くに持って行った椅子を取りに行き、目の前に座る。食事はやっぱり人と食べた方が楽しいのだから、遠慮してほしくはないんだけれど、立場の違いが憎い。

 それにしてもこの匂いといい、カートに並べられた姿といい、夕食にと運ばれたのは昔懐かしのカレーライスだ。前にアンちゃんから、ノヴィルの料理は素材の味しかしないと聞いていたから食事に期待はしていなかったのだけれど、これは食べるのが待ち遠しい。アンちゃんがいない間に料理に革命が起きたのなら、詳しいことをミーティに聞いてみよう。


「では、失礼します」


 女性の声に、何かと思いそちらに目を向けると、女性は私の顔を包むように手を添えていた。そしてこちらが何か言う前に顔が近づいて、私の唇と女性の唇が重なった。

 何が起きたのか、全くわからない。そんな私を置いて、あろうことか女性は舌を私の口内に侵入させ、舌を絡めてくる。いや、いやいやいや。私は、私は今、何を、されているんだ。

 重なっていたのは数秒で、女性の顔と手が離れ、私は衝撃が大きくて何も言えなかった。

 でもそれはルデルも同じで、突然目の前で行われた光景に驚いて口の開閉を繰り返している。

 ……前世でも経験したことが無い大人なキスをここで体験するとは思わなかった。

 女性は気にした様子も無く、そのままルデルに近づいて同じように唇を重ねた。

 なんだ、突然女性がキス魔になったんだけれども、説明は無いのか。

 衝撃で動けない私がただただ女性とルデルのキスシーンを見るしかできなかった。二人の唇が離れると同時に、ノックも無しに扉が開かれた。そちらを見ると、息を荒げたオクルスがいた。


「リングア!!それはやめなさいってお姉さん言ったでしょうが!!」


 リングアと呼ばれた女性は機嫌を損ねたのか、眉間に皺を作りながらオクルスに顔を向ける。


「別にいいでしょ。相手の好みに合わせた夕食を出したいと思う事がいけないというの?」

「だからって突然キスするものじゃないわよ普通!ほら、メガネ様達何が起きたのかわからないみたいな顔してるじゃない!」

「……あぁ。刺激が強いかと思って控えめにしたけれど、駄目だったかしら」

「そういう話ではないの!」


 オクルスの言葉を気にしない様子で、リングアは夕食をテーブルに並べていく。


「メガネ様は甘口、ルデル様は少し辛口がお好みのようですね。お好みの味のカレーを用意させて頂きます」


 確かに私は甘口のカレーが好きだ。というよりも、辛い物が苦手だから甘口しか食べられない。

 何故わかったのかと視線だけでリングアに伝えると、リングアは唇に人差し指を向ける。


「私、人より舌が敏感なんです」

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