18 母、移る。
私の名前はフェンテ。なんの変哲もない、ただの女の子だった。
父はプレニルの要人で、教皇様の傍で仕事をしている。母はプレニルとノヴィルの間にある島の出身で、生まれつき身体が弱い人だった。
最初は家族でプレニルに住んでいたのだけれど、母の体調が思わしくなく、実家があり静かに暮らせるからと島の方に移り住むことになった。父に母の事を頼まれて、私も島に住むことになった。
母はほとんどの時間をベッドの上で過ごす事が多い。体調が良い時は元気に動くのだけれど、反動でか次の日は上体を起こす事も厳しい程に悪化していた。なので家事はほとんど私がやっていた。それに関しては苦に思う事はなく、むしろ楽しんでいた。
島には私の他にも子供はいたけれど、皆親の手伝いをしていたので遊ぶことは少なかった。
「なぁ、俺と遊ばないか?」
家事も終わり、母も眠っているので暇を弄んで島の景色を楽しんでいたところ、一人の男の子が声を掛けてきた。オレンジの髪の活発そうな男子だった。その後ろには彼の弟なのだろうか、彼によく似た顔立ちをしている男の子もいる。
遊びに誘われたのは初めてで、少し戸惑いながらも私は首を縦に振った。
彼の名はフォルモ、そして弟のリュフ君。
フォルモは私が身体を動かすのも好きだと聞くや否や、木の枝を渡してきた。フォルモは騎士になるのが夢らしく、剣術ごっこをしたいと言ってきたのだ。
こちらは動きやすいとはいえスカートを履いているのだが、フォルモはそんなことは知った事はないと枝を構えている。仕方なく長い木の枝を半分に折って両手に構えた。
大振りに振られる木の枝なんて躱してくれと言っているようなものだ。横にそれてからフォルモの脇腹に枝をいれる。衝撃に、痛みに顔をしかめた彼だが枝から手を離さず、再び枝を私に向かって振ってきた。横に振られたそれを跳躍して避けて彼の両肩に枝を叩きこむ。マッサージにならない肩叩きにも彼は耐えて枝から手を離さなかった。
その根性が凄くて、使い古された布のようにフォルモをボコボコにしてしまった。どれだけ耐えれるだろうという好奇心が勝ったとはいえやり過ぎてしまったと少し後悔をした。
私は母の家がモンスターの討伐を生業にしていたからその技術を舞いとして受け継いでいたのだ。おかげで新人の兵士さんよりも戦える程の技術がある。対してフォルモは先程の剣術を見るからにただ騎士様に憧れているだけの何も知らない子供だった。
地面に倒れて大声で泣くのも当然と言えば当然だ。
……それにしても大人ではないが大人げない事をしてしまった。これではフォルモに嫌われてしまっただろう。
折角声を掛けてくれた初めての友人を失ってしまったと思ったが、次の日からフォルモは私を剣術ごっこに誘うようになった。何度も何度も負けてもそれでも立ち向かってきた。時には立ち回りなんかを私に聞いてきたし、日を追うごとに彼の剣術は鍛えられていくのがわかる。
「そういえば、フェンテも騎士になるのか?」
いつもの剣術ごっこが終わった時、水分補給にと真っ赤な果物を三人で食べている時にフォルモが聞いてきた。それなりに戦える私を見れば確かにそう思うのは仕方がないのかもしれない。
「ううん。私はお父さんの仕事を手伝いたいの」
「父さん?」
「お父さんはプレニルで教皇様の為に仕事してるの。プレニルの国が良くなるようにって。最近は結婚制度の変更とか受け入れられたんだ」
「今までは違ったのか?」
「必ず20歳になったら結婚する事って決まってたの。でもお父さんの提案で結婚の歳は自由になったんだ」
「へー。フェンテは……えっと、法律?とかを決める仕事をするのか」
「そうだね。お父さんみたいにプレニルの国が良くなる仕事をしたいんだ。それにね。プレニルの教皇様に一度会った事があるの。すっごく優しい人だったんだよ。あの教皇様の為に働くのもいいなって思って」
「教皇様はただ偉い人ってイメージだった」
「偉いからって威張ってはいない人だったよ。皇后様も素敵な方だったんだ」
「……あれ?じゃあフェンテの父さんから剣術を習ったってこと?」
「剣術はお母さんだよ」
「え?」
「お母さんの家が代々モンスターを倒してきてたって言ってた」
「嘘だぁ。フェンテの母さんバケツも持てないじゃん」
そう言って笑うフォルモに腹が立ち、そんなに言うならと明後日の夜に家に来いと言ってしまった。
今の状態から明後日には母の体調はいいはずだ。母にもお願いしたところ了承を貰え、今に見てろよとほくそ笑んでしまった。
そしてその日が来て、まだ疑いの目を見せてるフォルモと一緒に来たリュフ君の前で母は舞う。母の舞いは戦闘技術だと感じられないぐらいに綺麗な物で、私も気に入っていた。いつもベッドにいる母からは想像できない程に力強く、美しい。
次の日から寝込んでしまうのは確定してしまうが、どうしてもフォルモにこの母の姿を見せたかったのだ。
それからもフォルモと私の剣術ごっこは続いた。母の舞いに感化されたのか、フォルモの動きにもそれを彷彿させるものが見られるようになり、少しずつ私から白星を取る日も増えていった。
お互いの身体が大人に近づいていったある日、いつもはいるはずのフォルモは来ず、リュフ君だけが私の家に訪れていた。
「リュフ君だけ?フォルモは?」
「兄さんは家の手伝いしたいからって。だから今日は僕と遊ばない?それとも、今日は都合が悪いかな?」
こちらの機嫌を伺うようにリュフ君は上目遣いでこちらを見てくる。別にフォルモがいない日だって今までもあった。今日の家事も全部終わらせてある。リュフ君の誘いを断る理由は無く、私は首を縦に振った。
最近はいつもフォルモと剣術ごっこをしていた。だからリュフ君とただのんびり話したり、本を読んだりするこの時間が穏やかに流れていくのは久しぶりだった。でも、そこにフォルモがいないのが、すごく違和感を覚えていた。
なので、リュフ君を家まで送ったついでにフォルモに詰め寄った。
リュフ君は空気を読んで家の奥の方に行って、私とフォルモだけになった。驚いている様子のフォルモに私は口を開く。
「フォルモ、なんで今日は来なかったの?」
「……リュフから聞いただろ?手伝いしてたんだよ」
「その手伝いなんてリュフと二人でやったらすぐ終わる奴でしょ?長い付き合いだから私知ってるんだから」
「お前、最近女の子扱いが悪いって怒るじゃん。たまにはリュフとのんびり遊んでるのもいいかと思って」
確かに、フォルモに負けるたびにそう言っていた。でも、そうじゃない。私はそれを望んでいないのだ。
「毎日動かないと訛るじゃない。動かせてよ」
「動かないと太るとか?」
「言うなバカフォルモ!」
「リュフと二人でもいいだろ。どうせ俺は15になったらノヴィルに行くし」
ノヴィルに行く。その言葉が私の中で氷塊に変わる。12歳になってからフォルモはよくそう言うようになっていた。何度も聞いている言葉が、今の私には剣先を向けられたように感じてしまう。
「……騎士になる為?」
「おう」
「私のパパと敵になっちゃうじゃない」
「親父さんは事務関係なんだろ?俺と直接剣を交える事はないだろ」
「でも」
言葉が出てこなくなった。視線を逸らしていたフォルモがこちらを見てとても驚いた表情を見せていた。その表情が、私が今泣いているのだと教えてくれた。視界が揺れる。口から言葉じゃない声が漏れそうになって両手で必死に抑え込む。それでも、抑え込めない感情が、涙になって零れてくる。
これ以上こんな姿をフォルモに見せたくなくて、このままでは酷い言葉を投げてしまいそうで、私はフォルモに背を向けてその場から逃げ出した。
ノヴィルの騎士を目指すフォルモと、プレニルの国の為に働きたいという私の夢が、交わるのは難しい事は知っていたのだ。それでも、幼い夢だからと、それでもずっと一緒に遊んでいられるんだと気にしないでいたのだが、二人が大人に近づき、夢の実現を目指せるようになって、私達は夢の為にお互いと離れなければならない事が実感できてしまうようになった。今は静かであるけれど、プレニルとノヴィルはお互いに敵国だと認識している。プレニルの為に働く私と、ノヴィルの為に働くフォルモ。働く分野が違えども、敵対するのは明らかだ。一緒に暮らせるなんて、無理な話だ。
それでも、私はフォルモに恋をしていたのだ。
性別関係なく接してくる彼に、どんなに負かされても諦めずに立ち向かってくる彼に、時折優しい眼差しを向ける彼に。フォルモに、私フェンテは、惹かれてしまっていた。でも、それが報われない恋なのだと、その日明確になってしまったのだ。
その後、私はフォルモを避けた。顔を合わせたら、彼に謝られたら、彼の夢を壊す事しかできないと確信していた。あの日から三年後、彼はノヴィルに行ってしまった。リュフ君を通して最後に私に会いたいと伝えられたけれど、私は会う事を拒んだ。
フォルモがいなくなった島に、私は暮らしていた。少しずつ母が元気な日が減っていき、リュフ君と遊ぶことも減っていた。
島にいた子供達は成長して次々とプレニルやノヴィルに仕事を探しに行ってしまった。賑やかさはだんだん無くなっていき、私も長くはこの島にいられないだろうと感じていた。
そんなある日、リュフ君から告白をされた。歳をとってフォルモにさらに似てきたリュフ君は、いつのまにか弟というより一人の男性だという印象が強くなっていた。
その告白を受けるのを最初は拒んだ。今はいないとはいえ、私はまだフォルモが好きなのだ。この恋が報われないのはわかっているから、できればフォルモとの繋がりをこれ以上作りたくなかった。
けれどリュフ君は諦めずに私に告白してくれて、20の歳になった時、負けた私はリュフ君と結婚をした。私の花嫁姿に母は喜んで、そして結婚式から数日後に母は息を引き取った。眠るような最期だった母の顔はとても安らかだった。
母の葬儀を行い、プレニルからやってきた父と共に、私とリュフ君はプレニルに移り住んだ。
私がいなかった間にプレニルに変化があった。神に愛される存在と言われる巫女がいたのだ。彼の名前はエレオス。感情が乏しい青年だった。両親は不明、出身地も不明、ただ神が突然連れてきた存在だと教えられた。不思議な人だと思っただけで、その時は特に脅威にも思わなかった。
私はプレニルにある実家で家事や父の仕事を手伝い、リュフ君は父の跡を継ぐために父と共に教皇様の元で働いていた。
私達が移り住んでから一年後には教皇夫妻の元に王太子が生まれた。その時は国中が祝い、とても幸せな瞬間だった。自分達の事の様に国民達が騒ぎ、喜び、歓喜し、いつもは節制を呼びかける教皇様さえも国民と一緒になって喜んでいる姿には要人の皆は肝を冷やしただろうけれど、それだけの喜びだったのだ。
王太子は光を意味する言葉を名前に与えられ、皆が彼の成長に期待していた。
少しして私も妊娠したことが発覚し、王太子と同年代の子供達に期待を寄せていた。日々膨らんでいく腹に、成長していく子供に愛おしさを覚え、対面する日を心待ちにしていた。
そしてやってきたその日は、地獄とも思えた。
出産というものが大変だという事は知識でわかっていたはずだったが、いざ自分が体験するとなると、その知識は無駄な物だとわかる。こんな痛みはこれまで体験なんてしたことがなかった。それとも致命傷を負うとこれだけの痛みに苦しめられるのだろうか。それだけ辛いものだった。
それでもと、その痛みを耐えて出産した子は男の子だった。元気な産声を上げるその声に安堵を覚えたのだが、予想外の出来事に私も、リュフ君も、出産に慣れているからと呼んだ人も驚いた。
もう一人私の中にいたのだ。
他の人と比べてもお腹が大きいと思ってはいたが、これが知識で得ていた双子というものなのだろう。本当に母親の胎内で二人も育っているとは思わなかった。つまり、私の地獄はまだ続くのだ。
一人産んでいるのだからもう一人も大丈夫かと思ったが、そんなことはなかった。それでもと必死に産んだ最後の子は産声を上げなかった。
こちらからどんなに刺激をしても声を上げないのだ。最初産声を上げない子も扱った事があるという人もいろんな方法を使ってもその子は声を上げない。むしろ、息もしていないように思えた。
重い腕を持ち上げて、その子の身体に触れる。少し温もりがある。それは私の体温だろうか。
生きてほしい。そう思った。
お兄ちゃんの方が無事でも、できるなら、こうして生まれたのなら二人で生きてほしいと思った。
神に乞うように、願う。どうか、どうか。
私にあげられるものがあれば捧げます。だからどうか、この子を生かせてください。
不意に、フォルモのことを思い出した。
プレニルに来てからは忙しさで忘れる事もあったのに何故こんな時に思い出したのだろう。
その疑問と同時に、もう彼に会える事が無いのだろうと気づいた。
そうして、私の腕は重力に逆らわずに下に落ちて、部屋には新しい産声が響いた。
死んではいなかった。その事に安堵した私は腕を動かそうとしたが、その腕が上手く動かせないのに気づいた。まるでずっと固まっていたかのようだ。
閉じた目が開かない。代わりのように口は開き、声を上げられる。
そこで気づいた。私の口から産声が上がっている事に。
そしてリュフ君の私を呼ぶ声が聞こえてくることに。その声は酷く焦って、泣くのを堪えていて、酷く震えている。
嫌な予感を感じる。でもそれは普通はあり得ない事だ。
状況の把握をするよりも眠気が私に襲ってきて、私の意識が闇に落ちた。
もう一話分、クデルの回想続きます。




