カクカクシカジカ
地上生活七十日目。
商人組合との一件から一ヶ月が経過した。
旅館への来客は順調に伸びている。
従業員も少しずつ増えてきて合計五十人を超えた。
そのおかげで俺の仕事はかなり減ったし、従業員には交替で休日を与える余裕もできた。
え? 今まで休み無しで従業員を働かせていたのは労働基準法違反じゃないかって?
そもそもこの国に労働基準法なんてない。
この国の労働は個人の裁量に全て委ねられているんだ。
働きたい奴は何時間でも働いて、働きたくない奴は一日中ぼんやりしていてもいいというのが、この国の常識らしい。
当然の事だけど金を稼がないと飯を食えなくなるし、それが続くと空腹で死んじゃうから働かない奴はいないけどな。
だから口入屋では圧倒的に日雇いの仕事が多い。
雇用する側も長期の職員として雇った後に、実は使えない奴だったと後悔するよりも、一定期間日雇いで雇い優秀な従業員がいれば声をかけて直接雇用するほうが、不要な人材を抱え込むリスクが低くていいのだろう。
今まで従業員達に休日を与えなかったのは、何も俺が楽をしたかったとか儲けようとしてじゃない。
俺がここの総支配人に就任したときの従業員数は二十六人だった。
この旅館の規模を維持するには完全に人手不足だから仕方が無いだろう。
体調が悪くなった従業員には全快するまで休んでもらうし、一日の労働時間も以前より少なくして給料も与えているんだから、あのクズ副支配人の時よりはよっぽど待遇はいいはずだ。
ここまで従業員からは特に不満の声も上がってないし大丈夫だろう。
順調に旅館を運営できているのも、ペティ達仲居の思いやりのある接客と、旅館の仕事全体を円滑にするセフィリアの統率力、それに旅館の経理全般を取り仕切るイチゴ、その三人の貢献が非常に大きい。
三人とも十分すぎる程に働いてくれている。
マコトも彼女の母親と旅館の寮に住むようになってから増々元気に仕事をするようになった。
都に出て旅館の広告を配ったり、大通りで木箱の上に立ち瓦版屋の口上のような調子で旅館の宣伝をしたりと、忙しく動き回っている。
商人組合との問題が解決したので、多くの商店で旅館の広告を貼ってもらえるようになり、毎日何十件もの店を訪問して回っていた。
イナンナに夜の旅館の警備を任せてからは、盗人どころか害虫の侵入も無くなり、俺の安眠に大きく貢献してくれている。
ただ、昼間の安眠はイナンナに脅かされている。
俺が空いた時間に昼寝をしていると、何処からとも無くイナンナが現れて俺にくっつき、クンクンしながら俺の隣で寝てしまうからだ。
というか可愛い女の子に密着されてクンクンされたら昼寝どころじゃない。
いろんな意味で。
あとはギンコとツクモ。
この二人には好きにさせている。
ツクモは普通の人間に自分の姿が見えないのを良い事に、旅館中を自由に動き回り劣化した道具や畳、壁や柱や終いには屋根なんかも【修復】している。
一日金貨一枚給料として与えているので、一月金貨三十枚になる。
この国の庶民の平均月給が金貨五枚、この旅館の従業員の給料が金貨二十枚だから、ツクモはなかなかの高給取りといえる。
しかし、この広い旅館内の施設の維持管理には欠かせない存在なので、金貨を一日一枚払うだけの仕事はしていると思う。
お得な事に、オウカに頼んだらツクモを従業員として認めてくれて、ツクモの給料は国が出してくれる事になったから俺個人の出費ではなくなった。
ギンコの称号の中に人見知りとあった理由がわかった。
つまり人になるべく姿を見せたくないらしい。
ギンコは忍者としての能力を最大限活用し、人前にまったく姿を見せずに各部屋の清掃をしている。
対人恐怖症というわけではないので心配はしてないが、俺がギンコを呼ばない限り姿を現さないのは何とかならないだろうか。
とはいえ彼女の仕事は完璧だった。
塵一つ無い部屋というのを俺は初めて見た。
それに【分身の術】を駆使しているのか、ものずごい早さで清掃が完了している。
浴衣や布団や従業員の着物などもしみ一つ残さず洗濯してくれるし、時々皆が寝静まる深夜に館内の大規模な清掃をしているらしく、朝起きてみると廊下やロビーなんかも美しく磨かれてピカピカになっている。
さすが潔癖性の忍者だ。
こうして皆が頑張ってくれているおかげで一日の平均来客数が七十人を越えた。
ようやく旅館の運営費用と利益が同じ位になったところだ。
ここからもっと来客数を増やし日乃光国一の旅館を目指す。
一泊の宿泊料金はまだ金貨一枚のままにしている。
多くの人にこの旅館の良さを知ってもらうにはもう少し時間がかかるからな。
== 10時27分 ==
俺は久しぶりにオウカに呼ばれて城に来ていた。
「旅館の経営は順調なようじゃの?」
「ああ、おかげさまでな」
「正直お主がここまでやる奴だとは思わなんだ」
「俺はそれほど貢献はしていない。問題を一つ一つ解決していったら、いつのまにか旅館にお客が来るようになっていただけだ。実際に旅館を守り立てているのは優秀な従業員達だからな」
「そうは言うが、問題を解決し旅館の経営を軌道に乗せたのはお主じゃ。それにその優秀な従業員達を集めたのもお主の手柄じゃぞ。胸を張っておれば良いではないか」
「俺は仕事をしたくないだけだよ」
「お主はよく分らんやつじゃの。仕事をしたくないと言いながらしっかりと旅館を建て直したのじゃからな」
「運が良かったのかもな」
「どこまでも誇らぬやつよの。今日呼んだのはそんなお主に頼みたい事があるのじゃ」
「頼み事?」
「そうじゃ。近々アイゼナーグ騎士王国からの特使が、この日乃光の国に来ることになっておる」
アイゼナーグといえば大陸の四大国の一つだったな。
「そのアイゼナーグの特使は評判をどこで聞いたか、この国に滞在中は日乃光旅館に泊まりたいと言ってきてな」
「つまり俺にそいつの接待をしろと?」
「うむ。妾は話の分かる奴は好きじゃぞ」
「断る」
「そうじゃろう、そうじゃろう。大国からの特使を迎えられるなど、光栄であろう……って、断るじゃとっ!?」
「だってさ、それ面倒事意外の何者でもないじゃないか。おれの感だとすごく面倒な事件とか起こるような気がするんだよな」
「むむ。なかなか鋭い奴じゃな」
「やっぱりか。何かあるんだな? 何だよ」
「そ、それはじゃな〜、カクカクシカジカなんじゃよ」




