俺にとって最悪の状況
地上生活四十四日目。
== 8時48分 ==
俺とイチゴは東江の都でも有数の大商家である越後屋に入った。
店は繁盛しており女性客と店員のやり取りで賑わっていて、やはり客のほとんどは女性だ。
越後屋は東江の都でも有数の呉服商で都内に十軒もの店を営んでいて、注文を受けて顧客のもとへ商品を持参する「見世物商い」や、商品を顧客のもとへ持参して売る「屋敷売り」といった、外商も盛んに行っている。
それに加え「店前売り」、「切り売り」、「仕立て売り」といった手法を始めに打ち出した店だそうだ。
イチゴが店に顔を出すと、番頭が慌てて俺達を店の奥の客間に通してくれた。
すぐに主人を呼んでくると言って番頭は屋敷の奥に走っていく。
俺は隣に座るイチゴに話かける。
「なあ、イチゴ」
「なに?」
「お前って眼鏡をはずすと結構可愛い顔してるんだな」
「バっ、バカな事言わないでっ! そんな事あるわけないでしょ!?」
「どうして今は眼鏡を外すんだ?」
「し、仕事をする時以外は外しているのよ。ずっと使っていると目が疲れるから」
「そうだったのか。それに話には聞いていたが、お前って本当に大商家のお嬢様だったんだな」
「やめてよね。あたしは金持ちだからって特別扱いされるのが嫌いなの。ここで働く人達はあたしに媚びを売ってくるからうんざりだったのよ」
すると人の気配がして客間の襖が開かれ、髪に白髪が混じった眼光するどい五十歳くらいの男が入って来て俺達の向かい側に正座した。
「私が越後屋の店主のタケゾウです。イチゴ、そちらのお方は?」
「この人は私が今働かせて頂いている日乃光旅館の総支配人よ」
「ユラリだ」
「……そうですか。ユラリ殿、家出した娘をお連れ頂き感謝する」
「父上。あたしはまだ帰るつもりはないわ」
「ならば、なぜ戻って来たのだ?」
「旅館襲撃失敗の知らせは届いているわよね」
「……何の事だ?」
「知らない振りをしても無駄よ。ユラリには全てを話してあるの。もう言い逃れはできないのよ」
タケゾウに驚いた様子は無いな。
さすが手強い系だ。
肝が据わってるというやつか。
「それで? 私を殺しにきたのかね?」
「いいえ。あたしがユラリにお願いして、父上に許しを乞う機会を与えてもらったのよ」
「私が許しを乞う? 何を言っているんだお前は。私はこの都の人々の暮らしを護る為に行動しているのだ。許してもらう必要などない」
「父上。この人は敵に回してはいけない相手だったのよ。そんな事も分らなくなってしまったの!?」
「この私が耄碌したとでも言うのかイチゴ!」
「ええ、そうね。少なくとも今までの父上のやり方では、商人組合は瓦解するのは確実よ」
「何を知ったふうな事を。何も知らぬ小娘が!」
「……理解していないのは父上の方です。本当に見えていなのですか? ユラリがこの場所にいる時点で勝敗は決しているのよ!?」
「私を殺せば勝利だと? 私がここで死ねばお前達はただでは済まないだろう。人殺しとして都で指名手配され終いには捕まり打ち首になるのだ。私を殺すなど出来はしない」
「父上……。父上があたしに教えてくれた商人に必要な能力のことを覚えてる?」
「もちろんだ。私がお前に教えた事だからな。それがどうした」
「情報力、交渉力、観察眼、それに付け加えられるならば引き際を弁える潔さというのも教えてくれた」
「この私が引き際を見誤っているとでも言うのか?」
「あたしは父上との先ほどからのやり取りで理解したわ。父上は商売人として必要なものが掛けている」
「なんだと、言わせておけばっ!」
そのとき廊下をドタバタを誰かが走る音。
勢い良く襖を開けたのは先ほど俺達を案内してくれた番頭の男だった。
「大旦那様!!」
「どうしたのだ。来客中だぞ」
「それが、店先に続々と商人組合加盟店の使いの方々がいらして、その使いの方々が口を揃えて商人組合を抜けると」
「なにっ? 何かの間違いではないのか?」
「いえ、各店主の証印の入った正式な証書も渡されまして」
そう言って番頭は数十枚の紙をタケゾウの前に置いた。
タケゾウはその紙に目を通して驚いている。
「ど、どういう事だ、ほとんどの大商家が脱退を表明している!? 何がどうしたというのだ……」
「それは俺から説明してやる」
俺はタケゾウに全てを話した。
俺は黒幕の正体が分らない以上、直接的な攻撃はできないと考え間接的な攻撃に切り替えたんだ。
つまり商人組合の瓦解。
旅館に食材が届かなくなったときに俺は同じ手段で反撃してやろうと思い、まず盗賊達に依頼して市場に食材を全く届かなくさせた。
つまり都の食材の流通を止めたんだ。
そして昨日俺は商人組合に加盟していて食材が届かずに困っている商人に取引を申し出た。
食材を渡すから組合を脱退して俺が作った新たな商人の組合に加盟しろと。
さすがにそれだけで商人達を動かせないと考えた俺は、止めの一撃となる事を約束した。
それは御用達制度の適用だ。
実はこの国には御用達というシステムがなかったんだ。
俺はオウカに商業を活発化させるためだと言って、御用達の制度を作らせた。
御用達の指定を受けることは、王家や大名が間接的に商店の信頼性や扱う商品の品質を保証することを意味し、指定を受けた商店は高いステータスを持つことになる。
当然御用達に指定されると人々の注目を集め、購買意欲上昇に繋がるものだ。
国が認めていない店よりも認められた店のほうが繁盛するに決まっているからな。
俺が商人達にこの事を提案すると、あっさりと商人組合を脱退して俺の作った組合に加入を決めてくれた。
それもそのはず。
御用達店の選定は俺の一存で決まるのだから。
オウカからもらった家紋入りの印籠も一役買ってくれて、商人達は我先にと俺の組合に加入を申し込んでくれたというわけだ。
それが昨日のできごと。
黒幕であるタケゾウには一切情報が伝わらないようにも徹底した。
現在、商人組合に加入している有力な商人は片手の指で数えられるくらいしか残っていないだろう。
「ということだ。わかったか?」
「う、うそだ。そんなバカな……」
「父上、すでに勝敗は決しているのよ。だから潔く負けを認めて謝罪をしてほしい。誠心誠意謝ればユラリも父上を殺しはしないと思うわ」
イチゴってば俺が無慈悲な選択をするとは考えないのか?
実際泣いて謝ってきたら殺しはしないけど。
もしかして、そこまで見抜かれてるのか。
商人のなんでも見抜く眼力か、侮れんな。
「わ、私の今までの人生は無駄だったのか……。全てはこの都の人々の為になると思ってしてきた事が……」
「父上はやり過ぎたのよ。手を出してはいけない人に手を出した」
「そう、か……。私の目は曇っていたのか。私はいつの間にか商人の観察眼を無くしていたのだな……」
タケゾウは畳に両手を付き、頭を深く下げた。
「申し訳ございません、ユラリ殿。私が間違っておりました。貴方や貴方の家族に危害を加えようとした事、ここに謝罪致します。私の命は好きなようにしてもらって結構です。ですが、娘のイチゴだけはどうか、どうかこの先も面倒を見てやってもらえないだろうか」
「イチゴの事は面倒を見るつもりだ。だけど、お前のしでかした事は俺の最も嫌な事に当たる。謝ったからといって許すわけにはいかないな」
「ユ、ユラリ!? そんな! どうかあたしからもお願い。父を許してっ! お願い! お願いだからっ!」
「お前の父は俺を殺そうとした。それに間接的だが白虎会に依頼してマコトの命も危険にさらした。旅館への襲撃だって下手をしたら大勢犠牲者が出てもおかしくなかったんだ。それを頭を下げたから許せというのは虫が良すぎるんじゃないか?」
「でもっ!?」
「イチゴ、止めなさい。ユラリ殿の言う通りだ。私のしてきた事は人の命を奪う行為。その償いはこの命でしか償えないのだよ。私もその覚悟はしていたのだ。いつか罪を償うときが来るだろうとな」
「そうか。本人が言うなら問題ないな」
その時俺にとって最悪の状況になった。
あーやっぱりこうなったか。
途中から嫌な予感がしてたんだよな。
「ユラリ、父を斬るというならあたしも一緒に斬って!」
イチゴがタケゾウを護るように俺の前に立ちはだかった。




