クレーム対応は冷静に
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地上生活、二百十四日目。
午後七時五十五分
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俺が総支配人室で経費の決済をしていると、脳裏にセルフィナからの【念話】が届いた。
彼女から【念話】が届くときは決まって急用があるときだ。
『ユラリ様。少しよろしいですか?』
『ああ、どうした?』
『昨日から宿泊されている身分の高いお客様が、先ほどお出しした夕食を召し上がられてから腹痛を訴えられまして』
『腹痛? もうアサハナを向かわせたんだろ?』
『はい、すでに向かわせました。ですがアサハナさんがそのお客様を診察した結果、身体のどこにも異常は見つけられなかったようです』
一瞬その客が食中毒にでもなったのかと思ったがそれはありえない。
料理の事になるとストイックなカエデが、食中毒になる食材を使ったり不衛生な環境で料理をするなんて絶対に無いからだ。
『え、という事は……』
『アサハナさんはお客様の仮病だとおっしゃっていました』
『仮病だって?』
『はい。その後すぐにその方の家臣の方々がお怒りになられて、主が体調を崩したのはこの旅館の食事のせいだから総支配人を連れて来いと』
その客の目的は何だ?
旅館の営業妨害もしくは金銭かもしれないな。
遂に厄介な客がきてしまったか。
今迄客には何度か苦情を言われた事はあったけど、総支配人を出せとか言うような面倒な客は現れなかった。
これも日ノ光旅館が有名になったからだろう。
繁盛している店にはそういう悪意のあるクレーマーも増えるんだ。
俺の母さんが若女将をしていた旅館でも、何回か柄の悪い客が苦情を言って騒ぎ出す事があった。
そういう客に対して母さんはどう対処していただろうか。
思い出してみると確かこんな事を言っていたな。
『感情的に苦情をおっしゃるお客様は稀にいらゃっしゃるわ。こちらに非が全くない場合でも、まずはお客様の話を冷静にしっかりと聞く事が大事よ』
クレームをつけるのは客が何かに不満を感じており、感情的になっているという事だ。
まずは相手の不満を最後までしっかりと聞き、絶対に客の話の腰を折らないようにしなければいけない。
客に不満の感情を吐き出させることでストレスが解消されたり、不満点が整理されて何に対して憤っているのかが明らかになっていく。
『さらに大切なのはお客様への敬意を忘れないこと。敬意不足はクレームがこじれる原因になるの。こちらが敬意を示しているつもりでも相手にそれが伝わってない場合も敬意を示した事にならないのよ』
敬意を表現するには十分に恐縮した態度を示す必要がある。
言葉でお詫びを言ったとしても、声のトーンや頭の下げ方にそれが表れていないと逆に客の感情を逆なでしてしまう。
次に滑舌よく話して共感を示す大きめのリアクションも重要だ。
相手がひどく怒っているときは圧倒されて声が小さくなり、自分の非を伝えるときに言い淀んでしまったりするが、聞き取りにくい返答は余計に相手を苛立たせてしまう。
滑舌に注意しつつ大きく頷いたりオウム返しに相づちをうったりすれば、相手の不満をある程度和らげる事ができる。
『クレームの原因に関してお客様に何かしらの非がある場合は、それをやんわりと伝える事も大切よ』
相手にも確認ミスがあった場合はその事を認識してもらえるように、表現を遠まわしにやわらかく言う。
そうすることで客にも非があるという事を伝えつつ批判するムードを避ける事ができる。
俺は母さんから教えてもらった事を思い出しながら、アサハナを連れて腹が痛いと苦情を言ってきた客の元へ向かった。
セルフィナから聞いていた通りその客は身分が高い客のようで、この旅館で最も値が張る鳳凰の間に宿泊していた。
なんと一泊金貨二十枚。
先日の黒尽くめの女性客が選んだのと同じ、一般客室の十倍の料金という最高級の客室だ。
こういう身分の高い客は礼儀にうるさいものだ。
だから俺も失礼にならないように最低限の礼儀作法をしなければならない。
なんと襖を開けるときにも順序というものがある。
まずは襖の前に正座して「失礼します」と声をかけ、引き手に左手の指をかける。
「失礼します」
「入れ」
五センチほど襖を開けたら敷居から高さが三十センチくらいの場所を持ってゆっくりと開けていく。
襖が自分の右膝あたりに来たら右手に持ち変えて再び閉める。
この時に全部閉めずに五センチほど残しておくのを忘れてはいけない。
少し残すのは閉めるときに掴みやすくするためなんだ。
全部閉めてしまうと持つところがなくて閉めにくくなるからな。
閉めるときは開けるときと逆の動作をすればいい。
後は五センチ残した部分を右手で持ち開けるときと同じ動作をすればいい。
俺とアサハナは金箔で装飾された豪華な襖を引いて客室の中に入り、正座したまま畳に両手をついてお辞儀をした。
「当旅館の総支配人を努めさせて頂いております。名をユラリともうします。こちらは当旅館専属医のアサハナです。先ほど診察をさせて頂いた際に挨拶はお済みでございますね」
高級感溢れる広い室内には上等な敷き布団が一枚敷かれてあって、俺が座っている場所とは反対側を向いているので顔は見えないが、その布団には十代前半くらいの少年が横になっていた。
その布団の周りに家臣と思われる侍達も四人座っている。
髪に白髪が混じっていて年齢は五十代後半くらいの侍が、俺の姿を見てから訝しんで眉根を寄せる。
「む? 思いのほか若い総支配人だな。私の名はクサカベ。聞いているとは思うが我らの主であるマロヒコ様が体調を崩された。夕食を食されてからすぐに腹痛を訴えられたのだ」
そう説明したクサカベは険しい表情で俺を睨みつけている。
ん? マロヒコ? 何処かで聞いた名前だな。
かなり昔に聞いた覚えがある。
何処だったかな。
苛立った様子のクサカベに対し俺は努めて冷静な受け答えを心がける。
「夕食をお食べになられてからすぐにでございますか?」
「そうだ。だから夕食が原因だろう」
俺はそんなはずは無いという言葉を飲み込んで質問を続けた。
「体調を崩されたのはそちらの布団で横になっておられるマロヒコ様だけでございますか?」
「そうだが? それが何か?」
やはりこいつら妖しいな。
夕食は皆同じものを食べているはず。
だからもし食中毒だったらここにいる全員の腹が痛くなるはずだ。
「マロヒコ様は今迄に特定の食材を食べた際に腹痛になったり、体調を崩されるという事はございましたか?」
「そんな事は一度もないが」
もしかしたらアレルギーでもあるのかと思ったがそうでもないらしい。
「そんな事よりも私達は明日までに城へと参勤せねばならないのだ。このような大事な時にどうしてくれるのだ!」
そう言われても困る。
俺にどうしろって言うんだよ。
「このまま参勤できなければ我がヒラメ家に謀反の疑いありとされ、お家取り潰しになってもおかしくない事態になるではないか!」
そういえばこの日ノ光の国には参勤交代の制度があるんだった。
参勤交代とは各領地の大名を自領から東江の都へ、または東江の都から自領へと一年交代で定期的に行き来させる制度で、東江の都に行くことを参勤と言い自領に戻ることを交代と言う。
大名達は自領で一年間過ごして政務を行い、次の一年間は都の武家屋敷で過ごし自領の政務は城代家老に任せていた。
この制度では領主である大名の正室と世継ぎは都に常住させなければならなず、側室および世継ぎ以外の子にはそのような義務はなかった。
自領から都までの旅費だけでなく都での滞在費も大名に負担させていたため、各大名に財政的負担を強いると共に人質をも取る形となり、諸領の軍事力を低下させ謀反を防止する役割を果たしている。
そのはずなんだけど、つい先日数領の大名達が結託して反乱を起こし、東江の都に攻め上るという事態になってしまった。
危うく俺の旅館も戦火に巻き込まれるところだったよ。
ちゃんと参勤交代の制度が機能してるのか?
「それは一大事でございますね」
真剣な顔になって深刻さを演じる俺。
「そうなのだ。だから体調が悪いからといってここで寝ているわけにもいかない。そこでだ」
クサカベは俺に顔を寄せて声の音量を落とした。
「慰謝料として金貨千枚を渡せば今回の無礼は水に流そうではないか」
狙いは金か。
見た所こいつらの服装は上等なもので家柄を現す家紋も本物だ。
参勤交代をしなければいけないという話は本当だろう。
どうしてお偉い大名様が腹痛だと偽ってまで慰謝料をふんだくろうとするのか分らない。
遠くの領地から参勤して来たから路銀が尽きたとか?
まさかな。
もしもそうだとしたら、とんだ強請大名だな。
というか日ノ光で一番の大旅館といっても金貨千枚なんて大金をすぐには用意できるわけがないだろ。
ここは毅然とした態度でやんわりとお断りする必要がありそうだ。
「失礼ですが、当旅館の専属医の診断では、マロヒコ様のお身体の何処にも悪い所は無いという事ですが?」
そのとき布団で寝ていた少年の身体がビクリと動いた。
クサカベはマロヒコの動揺をごまかすかのように少し早口で言った。
「そ、そんなはずはあるまい。現にマロヒコ様は腹が痛いとおっしゃって伏せっておいでだ。その医者とやらの誤診であろう」
それこそ、そんなはずはない。
アサハナの【応病与薬】というスキルは対象の病気の対処法を知る事ができるスキルだ。
そのスキルが反応しないという事は身体に悪い所は無いという事。
マロヒコは健康だという証拠になるんだ。
つまり布団の中の少年は体調が悪いと嘘を言っている事になる。
「アサハナ。確認するが本当に異常は見つからなかったんだな?」
「はいっす。間違いないっす」
マロヒコが若干棒読みで腹痛を訴えた。
「う〜いたいよ〜。おなかがいたいよ〜」
クサカベという侍も演技じみた言葉使いでマロヒコを心配する。
「マロヒコ様〜しっかりしてくだされ〜。きっとこちらのユラリ殿が金貨を用意して下さるに違いありません〜。そしたらすぐにでも城へ参勤しましょうぞ〜!」
金が必要な理由はわからないけど、参勤する前に演技の練習して来いよ。
明らかに妖しい奴らだ。
こういう奴らはこちらが弱気な態度を示すとつけあがる。
こちらに全く不備がない場合ははっきりと要求を断るべきだ。
「お客様に金銭をお支払いする事はできかねます」
「なんだと。ど、どうしてできぬのだ?」
「まず金貨千枚という大金だとすぐにはご用意できません」
「そうなのか!? この旅館は日ノ光国一の大旅館で繁盛しているではないか。噂によるとかなり儲かっていて金は溢れていると聞いているぞ」
確かに徐々に儲けは出ている。
だけど儲けた金銭の全てを自由に使えるわけではない。
旅館の収益金は各設備や備品等の維持費、従業員の給料や福祉のために使用したり、各部門での経費としても必要になるんだ。
それに何か緊急事態が起きたときの為にも残しておきたいし、まだまだ旅館の経営が軌道に乗ったばかりで余裕はないんだよ。
噂はあくまで噂であって信じるべきではない。
まあ、東江の都の地下にあるバンジーランドにあった財宝を売り飛ばせばかなりの金額になるとは思うけどさ。
ちなみに既に財宝は回収済みだ。
今はツクモの【倉庫】スキルで収納してある。
だけど今直ぐに金銭になる物は無い。
なぜなら俺が見つけた財宝の半分は金貨で、その金貨全てをツクモがモグモグ食べちゃっていたからだ。
あの時、出っ歯の衝波爆弾が起動したときに遅れて登場したツクモは、金貨数百万枚でお腹が一杯だったことだろう。
「旅館の収益金は旅館の維持に使われますので、私の一存で自由に使えるわけではないのです」
「それは本当か?」
「はい。ですので腹痛の原因はわかりかねますが、金銭以外で私共にできることでしたらなんなりとお申し付けください。可能な限り協力したいと思います」
ここで自分達には非が無いとやんわりと伝えておく事は忘れない。
「う、うむ、そうか。私もそう言われると思っていたのだ!」
あれ? このクサカベっていう侍、いま一瞬笑顔にならなかったか?
「では金貨千枚の代わりに当家の姫とお見合いをしてくださらぬか?」
「えっ!? お見合いって何っ!?」
またまたどこからともなくトラブルが舞い降りるのであった。




