露天風呂と世界樹と精霊
露天風呂には問題なく到着したが、途中お客に一人も会わなかったのは不思議だ。
一瞬だけペティが掃除道具を持ち通路を走っている姿は見えたが、他に人の気配がない。
本当に三十二人も従業員がいるのか妖しくなってきたな。
俺は脱衣所で服を脱ぎ、手ぬぐいを片手に洗い場に入った。
「おお、露天風呂は広い」
露天風呂の奥は湯気で景色は見えないが、五十人以上は余裕で入れるほどの広さだった。
手前には水風呂もある。
露天風呂の他に水風呂も別にあるのはお約束か。
風呂場に入ってすぐに水が入っている大きな桶があるから、多分ここで一度水浴びをしてから風呂に入れという事だろう。
桶の水で簡単に体を洗った俺は、さっそく露天風呂に片足を入れた。
お湯の温度は丁度良い熱さだな。
そしてゆっくりと脚から腰、胸から肩を湯に沈めてく。
ふぅ〜、極楽極楽!
あ、今のおっさんみたいだな、なしなし!
俺は木の根のような丁度良い背もたれがあったので、背を預け脚を伸ばす。
疲れがお湯に溶け出すように体が癒されていくのが分る。
温泉ってこんなに気持ちよかったんだな。
今までは【洗浄】というスキルで体を綺麗にしていたから、こういう体の芯から暖まる感覚は久しぶりだ。
城の檜風呂も良かったが、やっぱり露天風呂の開放的な雰囲気もいい。
あまりの気持ちよさに顎ギリギリまで湯に浸かり、空を見上げるとそこには木の枝が豊かに茂っていた。
「ん? まてよ、木の根? 枝?」
なんで露天風呂なのに見るかぎり木の枝?
よく見ると俺が背もたれにしていたものは、幹の太い大樹の根だった。
おいおい、なんだよこの大樹。
空が見えないほどに枝葉が茂っているのにも驚いたが、この大樹は温泉の中に根を張っていてよく枯れないな。
普通の植物はお湯では育たないはず。
これは異世界の植物だから大丈夫なんだろうか。
その時なぜかすぐ側から女性の悩ましい溜息が聞こえた。
『はぁ』
「えっ? 今の何? ここ男湯だよね。どうして女の声?」
『えっ!? あなた、もしかして私の声が聞こえるのですか?』
「は? え? 誰?」
俺は近くに女性がいるのかと周囲をキョロキョロ見ていると、声の主が目の前に現れた。
それは不思議な現象だった。
周囲の湯気が一カ所に集まり、薄布を纏った真っ白い肌の美しい女性の姿を形作っていく。
俺は夢でも見ているんだろうか。
『あなた、私の声が聞こえるのでしょう?』
「ええと、聞こえるけど、あんたは何者だ?」
『私は水と植物を司る精霊エウロピス。あなたにお願いがあります』
ダークエルフの登場で少し驚いていたけど、まさか精霊なんて存在もこの世界にいるなんて思わなかったな。
俺のゲームやアニメ知識だと確か自然現象を操れる実体のない存在だったかな?
「お願いってのは?」
『この場所の温泉を必要以上に汲み上げるのを止めるよう、この旅館の従業員に伝えて欲しいのです』
「え? お湯を?」
『最近この旅館で働く者達が温泉の湯を過剰に汲み上げているせいで、この場所に湧き上がる湯量が少なくなっているのです』
「でもさ、この通り風呂の湯は一杯に満たされているじゃないか」
『この風呂の湯は温められた只のお湯なのです。ここの源泉から湧き出るお湯は高い癒しの効果があり、商品として高額で販売されているようなのです』
オウカはそんな事一言も言わなかったけどな。
もしかしてここで働いてる誰かの独断か?
『お願いします。貴方とは話す事ができましたが、他の人間とは話す事ができないようです。源泉の汲み上げを止めるように伝えてください。これ以上この状態が続けば、私が手塩にかけて育ててきたこの世界樹が、栄養不足でそのうち枯れてしまうでしょう』
世界樹? この樹が? またファンタジーな単語が出て来たぞ。
『私とこの世界樹は一心同体。この樹が枯れれば私の存在も消滅し温泉も枯れてしまいます。それだけならまだしも、この浮き島全体に数百年に及ぶ大飢饉がおきてしまうのです』
「は? なにそれ、大問題じゃん。その原因がここの従業員のお小遣い稼ぎっていうわけね」
『ですから、どうか……お願い……します』
そう言って力つきたかのように、精霊エウロピスは元の湯気になって霧散した。
世界樹って確か世界を支える樹だったよな。
まさか神話のなかの大樹をこの目にできるとは思わなかったよ。
世界樹と言っても樹齢千年以上の大樹にしか見えないが。
世界を支える樹か。
つまりこの周辺の土地を支えていると考えられなくもない。
エウロピスの言っていた世界樹が枯れると飢饉が続くというのは本当かもしれない。
つまりこの世界樹が枯れると、俺の望みである夢のゆるゆる人任せ異世界生活の野望が潰えるのでは!?
なんとかしなければ。
俺の為にも。
全ては明日からだな。
体も温まったし今日の所は部屋に戻って夕食を頂くとするか。




