別れ
「なんですって!?」
レイゼルって確か元チドリの部下でトランゼシアの密偵だよな。
「いつの間にか地下牢の壁に穴が掘られていて、そこから外に逃げたようです。申し訳ありません団長、監視役である私の落ち度です」
「気にしなくてもいいわ。誰だって穴を掘って逃げられるとは思いもしないもの」
牢の中ではスキルを使えないはずだ。
外部の何者かがレイゼルを逃がしたんだろう。
シュンがこの国に現れた事から考えてトランゼシアの仕業なのは間違いない。
レイゼルのステータスには『堕ち人の宴』という称号は無かったから、あいつはただの密偵なんだろう。
「間違いなくレイゼルを逃がしたのはシュンの仕業ね」
「だろうな」
「最後にシュンの言った言葉が気になるわ。今回の事を一刻も早く本国へ伝える必要があるわね。ユラには悪いけど今晩ここを発つ事にする。すぐにアイゼナーグに戻ってトランゼシアの動向を探らなきゃいけないから」
「そうか。仕方が無いな」
「だから……あの」
「ああ、卓球した時の責任の取り方についてはまた今度だな」
「そ、そうね」
チドリは席を立ち部下に帰り支度をするように伝え、サツキを伴って客室に早歩きで向かって行った。
それから一時間もしない内にアイゼナーグの特使団は東町の港にある空船発着場へ向かった。
== 19時45分 ==
空船の発着場はすでに暗くなり人通りも少ない。
俺とセルフィナとサツキはチドリを見送る為に同行している。
「あっという間の一ヶ月だったけど、三人に会えてほんとに良かった」
「チドリってば、三人じゃなくてユラリ君に会えて良かった、の間違いじゃないんですか?」
「え、そ、それは……」
「ふふふ。相変わらず分り易いんですね」
「俺も再会できて良かったよチドリ。必ずまた来いよな。お前ならいつでも大歓迎だ」
「わたくしも再びチドリ様とお会いできるのを楽しみにしていますね」
「セフィ……ユラの事なんだけど……」
「はい。わたくしがこの命に代えてもお守り致します」
「うん。あなたになら信じて任せられる」
「チドリ様……本当に何も告げずにお帰りになるのですか?」
「ええ。今は自分の事よりも国の事を優先する時だから」
「チドリ様……」
「あたしが告白できるその時まで、セフィがユラを護っていてくれるって思えるから後回しにするのよ」
「……はい。必ずチドリ様の信頼に応えてみせます」
「ん? 俺がどうかしたのか?」
「何でもないわよ! あんたはセフィに迷惑かけるんじゃないわよ。それから急な出発でお別れを言えなかったから、他の従業員の皆と可愛らしい奥さん達にもよろしく言っといてね」
「分ったよ。お前も元気でな。あんまり一人でがんばりすぎんなよ」
チドリは小さな袋から何かを取り出した。
「ユラ……これを持っていて欲しいの」
チドリは俺の手に青い二枚貝の片割れを掴ませた。
「何だこれ。貝殻か?」
「この貝殻はね、片方が壊れるともう片方も一緒に壊れる不思議な貝殻なの。あたしがピンチになった時に貝殻を割るから、そしたらあたしを助けにきて欲しい」
「そんな貝殻があったのか。お前がピンチになる所なんて想像できないけど、もしもこの貝殻が割れたらできるだけ早く駆けつけるよ。なんたって俺とお前は花柄好きの仲間だからな」
「ふふっ、あの時の事、覚えていてくれたのね」
「そんなの当然だろ」
チドリは瞳を潤ませながら微笑んだ。
彼女の表情は凛々しく勇ましい騎士団長の表情から、俺がよく知っている純真な少女の笑顔に変わっていた。
あの時、俺が学校中の生徒から変人扱いされた時のように、この世界の人々を敵に回したとしても助けに駆けつけたい。
そう思わせる懐かしくて可愛い笑顔だった。
そしてチドリは赤い大型の空船に乗り込む。
大型の空船は浮上しアイゼナーグへ向けてゆっくりと進んで行く。
俺は船が見えなくなるまで見送った。
チドリもずっと船の最後尾に立って俺達に手を振り続けていた。
今のチドリにしかできない事がある。
だからあいつは国へ帰ったんだ。
俺は別れの寂しさをごまかすように横で一緒にチドリを見送っていたサツキに声をかけた。
「サツキはこの後どうするんんだ?」
「チドリが帰ったので彼女の護衛の役目は終わりました。ですから従者と共に京華の都へ戻ります」
「そうか。ゆっくり昔話でもしたかったけど、そんな状況でもなくなったからな」
「そうですね。また今度にしたほうがいいですね」
「同じ日乃光の国に住んでるんだ。サツキも何か困った事があったら俺を頼ってくれていいぞ」
「ありがとうございます。できればそうならないように努めますね」
俺達は旅館に帰った。
***
地上生活百二日目
== 7時51分 ==
旅館のロビーには俺の妻達がサツキの見送りに集まっている。
帰り支度を済ませたサツキは俺達に深々とお辞儀をして旅館を出て行った。
京華の都までは歩きの旅で二週間はかかる距離だ。
サツキはこの国に住んでいるとはいえ、次に会えるのはいつになるか分らない。
そう考えると異世界に転移してきて一人で地下で生活していた三十年間の事を思い出す。
「この世界に転移してきたあの時も、みんなと別れて孤独だったな」
俺の呟きを聞いていたセルフィナが背中から優しく抱きしめてきた。
「今はわたくしが……わたくし達がおります。ユラリ様を決して孤独になんてさせません」
ペティが俺の右腕に抱きつき微笑む。
「ご主人様には私達がいるんですから! 元気出してくださいね!」
イチゴが恥ずかしそうに視線をそらし俺の左腕に抱きつく。
「……あたし達はユラリと死ぬまで一緒だから。それを忘れないで」
アサハナが俺の胸に抱きつき、その大きな胸を押し付けてきた。
「ユラリさんにはおいら達がついてますよ。幸運も不運もみんなで分かち合えば寂しくありません」
イナンナも俺の腰に抱きつく。
「ユラリにはイナンナがいる。だから一人じゃない」
皆の俺を思いやる優しさに胸が熱くなる。
「ああ、そうだったな。お前達のその気持ちは今の俺にとってすごく暖かいよ」
俺は妻達の抱擁に身を委ねる。
こうして抱きしめられていると虚しさが薄れていく。
俺はもう孤独じゃない。
彼女達は俺にそう思わせてくれた。
長い間ずっと孤独を感じていた俺にとって、妻達やこの旅館で共に働く者達は大切な存在だ。
シュン達が何を企んでいようとも旅館は守り抜いてみせる。
この旅館は俺だけでなく俺の大切な人達の居場所なんだ。
俺は気持ちを切り替えて旅館の仕事に集中する事にした。
愛する妻達に囲まれ幸せを噛み締めいていた俺に、気まずそうに話しかける声がする。
「あ〜、え〜と。お楽しみの所悪いんですけど〜」
「ん? マコトか」
「料理長のカエデさんがお兄さんにお願いがあるって言ってましたよ」
「そうか。すぐに調理場に向かうよ」
「……というか、お兄さんの顔だらしなく緩んでますね」
「え? そ、そうか?」
「可愛い奥さん達に四方から抱きつかれたんじゃ仕方が無いですよね。この幸せ者め!」
「お前も俺の妻になるか? みんなで抱き合うとすごく幸せな気持ちになるぞ」
「そ、そそ、そんな六人で禁断とかボクにはまだ早すぎますよ〜!」
マコトは何を勘違いしたのか顔を真っ赤にして逃げさった。
あいつはウブなくせに思考回路がエロいんだよな。
俺はカエデの待つ調理場へ向かった。
そして真剣な表情のカエデから言われたのは意外なお願いだった。
「総支配人……。あたいと一緒に料理の世界大会に出場してくれませんか?」




