006 精霊術-実践
満月が近いと落ち着かなくなることが多い。体内で――もっと奥深いところで何かがざわめくというのか、或いは血管の中を大蛇が蠢いているような、不安定な感覚に陥ることが多い。
それを自覚したのは、幼い時分に母親が死んでからだっただろうか。そんな自身を世話してくれた婆に相談したところ、「魔力を持つものにはよくあること」だと説明してくれた。
満月に宿る力で一部の魔物が活性化するように。潮の満ち引きと似たようなものだと。
本来ならその高まった魔力を戦闘などで放出できれば良いらしいのだが、自身は魔術を扱う術を持たなかった。
代わりに、戦場でなら生き残れるような多大な加護ともいえる代物でありながら、普通に日常生活を送るには呪いとしかいえない代物を宿していた。
婆が死んでしまうと、普通に生きていくのが苦痛でしかなかった。
幸い近隣にあった【教会】では、剣術を教わることができた。魔力は体内で循環させ、強化魔術として扱えるようになれた。
才を見出したと言われ、教会直属にと勧誘もされたが断り、旅の身空となった。
目的もなく、生きていくのは面倒でしかなかった。
ただただ戦場を求めて生きてきた。
でも興味深いものに出会えた気が――
◇ ◇◇◇◇ ◇
「白き精霊、赤き精霊、我が意に応えよ」
日中道中進みながらの講義が多々脱線しながら延々と行われた。
バティンにしてみれば、この数日話しかけても会話として成り立たないものを一とするならば、日中だけでその十倍どころか万倍は口を動かしている彼女に度胆を抜かされた。
ならばもっと早くに教えを請えばよかったかもしれないが、それが会話として成り立つかどうかと判じれば否である。
夜営を決めた山道の脇でレインは短く呪を唱えると、両の掌に拳サイズの白く輝く球体と、赤く燃える球体を作り出した。
「本来であれば洞窟の最奥部に十日程篭りたいところですが……、お互い時間も有りませんから手っ取り早く進めましょう」
バティンの当初の見立てと違い、旅程は思ったより早く、明後日には目的の街に着くだろう。
その後バティン自身は街で護衛に就く予定であり、レイン当人からは身の振りを聴いてはいない。今後会う機会がないとすれば、この場で身に付けねばなるまいと、気合いを入れた。
「今こちらに顕現したのは光と火の精霊の力です。光と火は互いに重複した部分があるので、それを見極めれば長旅にも充分役立てることができます」
レインはその二つをバティンに持たせた。
「光って言うと、これって聖属性になるのか?」
白く発光するそれと、赤く燃えるそれに、バティンは先に教わったように魔力を通して維持させる。
「一般的に光というと、聖属性を指すことと思われがちですが、私では明確な説明はできませんが、答えとしては“否"です。でなければ、昼日中に存在する精霊凡てが聖属性、夜に拘わる精霊が闇属性になってしまいます」
「あー、言われみれば確かに。なるほど」
光の下であっても陰はあり、闇夜の中でも光は存在する。全てをそこに振り分けることはできまい。
「光は照らす力。火は燃やす力。実際には火の精霊の力だけで充分賄えたりもします。ですが、旅の最中、野営で必要なのはどちらが効率が良いか。洞窟を探索中、どちらが効率が良いか。夜間鬱蒼と生い茂る深い森を移動するなら。敵地の真ん中で居場所を知られずに暖を取るには。
あらゆる状況下で、どの精霊に請えばいいのか。それを考えながら……」
パンっ、と、レインは手を叩く。すると、バティンの手の中の球体が消え、周囲は宵闇に包まれる。
「では、実際に精霊術を以て夜営の準備をしてください。それが出来れば一先ずは合格です」
夜営。
取敢えず最低限必要なものを思い浮かべてみる。雨露しのぐ天幕はこの際いらないだろう。暖を取るため、獣避けのための焚火の設置と、飲み水の補給に絞り込む。
予め用意しておいた手に魔力を集中させ薪に翳し、レインに倣って呪文を唱えてみる。
「赤き精霊、我が意に応えよ」
「・・・・・・赤き精霊、我が意に応えよ」
反応がない。籠める魔力が足りないのだろうか、それとも呪文が違うのだろうか。バティンは不安に感じ、ついレインの方を見てしまう。
「魔力の有無は関係ありません。呪文も実は必要ありません」
視線だけで見透かされてしまうほど、これまで教えてきた相手と同じ反応なのだろうか。
「呪文云々の説明は後回しにしましょう。ただ唱えればいい物ではありません」
目を閉じてください、とレインは告げる。
想像してください。そこに起こしたい事象を。
そこに何をするための、どの程度のものを望むのか。
祈ってください、頼んでください、精霊に。
深呼吸をする。
想像するのは薪を燃やす炎。
暖を取るための炎。食事を温める炎。獣除けのための炎。
明け方の夜露も凌げればいい。
炎を囲んで、自分を彼女が食事をしている姿を想像してみる。きっと暖かいはずだ。
そんな炎が欲しい。
「赤き精霊、我が意に応えよ」
呪文は必要ないと言われた。でも、口にしてみる。
最初は小さな炎だった。否、炎と呼べるか分からないくらい小さな火だった。
――頼む
更に祈る。
ボゥ と音を立てて炎が上がる。
炎に手を翳してみる。熱いというより、暖かい。
気付けば汗まみれだった。
「お見事です」
レインは満足そうに笑っていた。
2020.09.09. 初稿