004 北の教会
バティンは宿の受付で借りた手配書の束を順に捲っていく。
小さな集落では配布されていなかったり、随時更新されるものではないが、定期的に確認することを習慣としていた。
余白には宿の宿泊客や同業者からの目撃情報が細かにびっしりと書き込まれていたりする物もある。勿論ガセも含まれているので、そこらは各自で精査しなければならない。
バティンは先日出会した峠の賊の手配書を引き抜くと、軽く伸してやったことを書き連ねておく。
(人数の割りには弱い)
出会した場所と日付、面子の人数と装備。態々役所から距離が離れた地点に屯っている言を書き連ねておく。
選り具体的に書いておけば、通行する商隊の安全や、駆け出し賞金稼ぎの経験にも繋がる。
ネタを提供していく一方で、必要な情報も拾集していく。
今は必要経費という形で、レインが支払いに応じてくれているが、それ以外でも稼げるときには稼がなければならない。
欲しいのは金銭だけではない。賞金稼ぎや傭兵といった業界に足を踏み入れているからには、それなりに名声も欲しい。格が上がれば、更に世界も広がるだろう。
「宿主、“もう一束ないかい”?」
「うちでは扱ってないさ」
カウンターより奥に居る宿主に、特定の通符牒――難易度や危険度の高い連中の手配書の束を指す――を投げかけてみるも、色よい返事はない。
(情報の更新は無理か)
懐から丁寧に保管している手配書を取り出した。
【ブラッティーレイン】
初めてその手配書を見たときからずっと追っている存在だ。
暗殺者。通称BR。
その被害者以外、全ての情報が【不明】という奇妙な存在。
ただ【被害者】というのも結果論だけであり、生前は要人でありながら私腹を肥やすだけの悪党である者が殆んどだった。故に、その暗殺者を義賊として取り扱う面々もいる。
切っ掛けは、類に無い最悪な護衛仕事だった。
駆け出し時代の頃だったせいもあったが、破格の報酬の提示に釣られたのだ。
十数名で街から街へ、道中盗賊や魔獣を倒し任務を遂行したものの、実際にはお抱えの騎士一人のみに支払われ、雇われた面々には「あまり役に立たなかった」と、銅貨一枚も支払われず、諸経費すらも無視された。しまいには、元々個人の所持品ですら“当方の支給物につき”と、搾取された者も居る。
解雇された翌朝、その傲慢な依頼主は死んでいるのを発見された。
容疑者として、バティン自身を含め雇われていた傭兵らに嫌疑がかけられ拘留されたが、即日ひと月はのんびりと暮らせるだけの慰謝料を持たされ解放された。
誰もが次の仕事や休暇やら向かう中、腑に落ちなかったバティンは、頂戴した金銭全部を注ぎ込み、この事態の経緯を浚った。
そこに浮かんできたのが、暗殺者ブラッティーレインの存在。
傭兵や賞金稼ぎ、冒険者や盗賊に並び、暗殺者なぞ珍しい存在でもない。同列に扱われるのを厭がる者も居るが、バティンにとって根本的には何れも同じ穴の狢に過ぎない。
だが、正体が杳として知れないのが暗殺者だ。
軽重関係なく武装次第で、相手の身分を多少は読み取ることはできる。だが暗殺者に限れば、それが通用しない。
標的が欲しがるものを提供できる、その身分に己を偽る。それが無理でも目立ち過ぎず目立たなく過ぎず、居所に立ち寄りふらりと消えていく。不気味な存在というのが大半の解釈だ。
正体不明の存在が、こうして指名手配になっているのにもおかしな点もある。
なぜ、手配できるのか。考えられる点はいくつかある。
まずは“探し出してみせろ”という一種の挑発。
そして“大きな組織”に囲われているらしいこと。それが善いものか悪いものかはともかく。BRの情報を所持しているのは確かなことだ。
総じてバティンの出した見解としては、“組織的な挑発”。
誰に対して、というのはこの場合、些細なことでしかない。恐らくはBR当人に対して。そして賞金稼ぎ等に対して。二重の意味合いがあるのだろう。
とはいえ、下手な詮索はしたくない。その“組織”が強大過ぎる。
【北の教会】と、世間一般では呼ばれている。
表向きは、子供らに文字の読み書きや算術、魔獣から生活圏を守るための戦いの術の教授、果ては仕事の斡旋と多岐に渡る。
所謂【組合】と遜色はない。が、毛色が若干違う。
教会と謂われているのは、それなりに宗教的な色も持ち合わせていたりもするが、特定の神を押している訳でもなく、その辺りは雑多だったと記憶している。
だが問題はそちらではなく、裏の顔だ。
組織が大きければ、それだけに“裏の顔”が存在する。
警戒するのは紛れもなくこちらの方だ。
一般人が睨まれたら一溜まりもない。
そういった場所にBRは所属しているのか、または狙われてるのか。
そのどちらか次第で情況が変わる危うい存在。
(取り敢えず保留だなぁ)
これもこれで、無駄に精神を削りかねない。
思考の迷路に迷い込むのは、時として生死に拘わるものだ。
(厄介だよな)
見終えて机上に除けて置いた手配書に、伸びた手が視界の端に映るのを見て、バティンは視線を上げた。
「手配書の更新ですか?」
レインだった。
「ああ、お嬢さんは?」
「暇潰しです」
そういうとレインは、手配書をひとしきり眺めると、元の位置に返した。そして、ロビーの棚から本を持ち出すと空いた席に腰を掛けた。
奥から出てきた宿主が「雨が降り出したので、冷えますね」と気前良く、彼女に花茶を提供してくる。
「何か気になるものでもあったか?」
「いえ、興味はありませんので」
本当に興味がないのか、視線は本に向けたまま、静かな答えが返ってくる。
「じゃあさ、これは?」
興味ないと言うレインに、バティンはBRの手配書を向けた。
レインは向けられた紙片を受け取り見やると、盛大に溜め息を吐きながら再度バティンに返した。
「また厄介な件に手を出されているのですね。手を引いた方が身のためです」
――厄介
彼女は確かにそう言った。
「ってことは、レイン、あんたは知ってるんだな」
バティンは返された手配書を再度、レインに渡した。
「普通に公開されている手配書と違って、コレはある程度ランクに達していないと閲覧できないリストな奴なんだよ」
トップクラスの冒険者を全員知っている訳ではない。
だが、バティンから見ればレインは十二分にトップクラスとして、名を馳せていてもおかしくはない。
「気にすべきことじゃないと思うけど、お嬢さんって、どういう人?」
――答えたくなければそれでも構わない。
敢えてそれを付け加えた。
「黙秘したい、といっても貴方は納得しないでしょう」
「まぁ、そうだね。答えてくれた方がそれなりにスッキリできる」
少女はいささか面倒そうな顔をすると、深いため息を吐いた。
「万人向けに答えを挙げるなら、【北の教会】にて、請われれば大衆向けではない術の指導をしておりました」
「それって、魔術とはちょっと違うような…やつ?」
「そう、【精霊術】といいます。魔術を使えない者のための代用術とも云えるものです」
ほぅ。バティンの中に好奇心が芽生えた。
自身が目に見える形で扱うことができないから尚更だ。
「それって、教えてもらえれば俺でも使える?」
20.02.01. 初稿