002 青年と少女の契約
「ひもじい」
ほどほどに整備された山道を登りながら、バティンは呟いた。
目的の町まで、何もなければ徒歩であと十日程。
路銀はあと数日分。都市の銀行に行けば貯えはあるが、そこまで辿り着くにも足りない。
宿は諦めて、野宿して森で狩りを川で魚捕れば‥‥
「何とかなるけどなぁ」
ただそれでは物足りない。
途中寄る集落で、日雇いの仕事があるとは限らない。
宿で皿洗いやら掃除やら…というのも、他の者でも思い付くだろう。
時期によっては畑仕事の手伝いというのもあるが、旅程次第では時間の無駄であり、野宿で狩りした方が効率がいい。 これでまだ、街だったら女の子――個人的に老若美醜拘りはない――に声掛けて、街の外のアレコレ珍しいモノやお勧めスポット紹介しながらお茶して奢って貰う……という手段もあったりする。
先の村で一つ、きな臭い話があった。
この辺りには山賊がいるらしい。
どこの町、どこの村にも駐在している役人がいる訳でもない。、中途半端に辺鄙なところで隙間を縫うように陣取る連中はゴロゴロといる。当人らはずる賢く立ち回っているのだろうが、浅はかに過ぎないだけなのだが。
ただそんな山賊でも辺鄙なところを陣取るにはそれなりの理由もある。
大抵は近隣の村と共存か、支配関係のどちらかだ。紛擾の元でしかない。
護衛をケチった商人を襲い、適度に金品を奪う。共存関係のある村なら飲食に遣って貰えば潤うことができる。支配関係のある村なら、足の着きそうな商品を高額買取で押し付けらえる心配もある。どちらも下手に口出しをして報復を畏れるだろう。
そんな所にふらりとやってきた素寒貧な賞金稼ぎが居れば、駆除を願ったりもするだろう。
閑話休題。
いずれにせよ、傭兵業は世知辛い。遠くの大金より先に、目の前に小銭がなければ首も回らない。
財布の中身を気にしながら歩くだけの状況が変わったのは、峠を一つ、超えたところだった。
まさかこんな山道で出くわすとは思わない男女トラブルというか、ナンパというか、絡んでいるというか、揉めているというか。
刃物チラつかせていないくても、あれが例の山賊ではないのだろうか?
いずれにせよ、ここは男複数に絡まれている少女を助けるべきなのだろう?
何やら、背筋の方がゾクリとして嫌な予感がしてならない。
「おぉ我が妹。朝はぐれてからようやく追いついた。おにーさまはいつまで経っても追い付けなくて凄く哀しかった!
で、あんた達はうちの妹さんに何か用?」
「遅いです」
「何だテメぇ」
少女とチンピラが同時に返事する。
……考えてなかったパターン発生。
“誰が兄?”と、少女が自分を訝しく言う前にチンピラから引き離す予定が、少女が自分を【兄】と肯定した。
しかし、それならそれで芝居は続けるだけだ。
「今言ったでしょ? 俺、この子のおにーさん。お宅らはどちら様?」
「テメェが兄? 全く似てないな」
「ま、そこは家庭の事情ってヤツで? お宅らはどちら様?」
男相手なら遠慮は要らないとばかりに、連中は刃物を抜き出す。
「どちら様と云われる程じゃなくて悪いが、有り金と妹置いてけば、命だけは見逃してやる」
「賊でしたか」
――ならこちらも遠慮は要らないか
と、バティンも腰の剣を抜いた。
「お宅らここいらの山賊なら、その首に掛かってる懸賞金、俺の財布に寄付したくなかったら失せろ」
「こんな辺鄙とした山ん中で取っ捕まえても連れてく役所はねぇぜ? 有っても2日歩いた向こう町だ、全員お縄にして引き連れて行くには無理があるだろ」 頭らしき男が、籔の中から十数人を引き連れて出てくる。
(人数増えたなぁ……)
多少の危機感はあるが、この人数ならどうってことない。
役所から遠い山道で胡座掻いて、道行く旅人から簒奪している連中に敗ける気は一ミリたりと感じてない。
こちらは傭兵として、数多の戦場をこなしてきているのだ。
「そんな心配いらないさ。まぁ全員は無理でも……」
―――お頭さんの首一つ持ってけば事足りる。
踏み込んだ一歩で、一気に頭の元に跳びこむと、剣を振り上げた。
男の顔が恐怖に歪むのを確認すると、バティンは剣ではなく、柄尻で男のこめかみを叩きつけ殴り倒した。
一瞬にして勝敗は決まる。
「俺としてもこ〜んな辺鄙な処で、賊殺して首持ち歩くのもメンドイのよ」
バティンは剣を収めずに、切っ先を賊に向けて見渡した。
「さて、まだ中身が乏しい俺の財布欲しいか。それともアンタらの首置いていくか、白黒着けようじゃないか」
◇ ◇◇◇ ◇
「取り敢えず、お礼を言わせていただきます」
気を失ったままの頭を抱えて賊が逃げていくのを確認すると、少女は頭を下げた。
「いやぁ、“何かイヤな予感”したからね、
だって、“遅い”って言ったじゃん?
最初は俺が“兄”の方かと思ったけど、俺が来なかったら君がやっちゃってたでしょ?」
少女が何も答えず、肯定も否定もしないところをみると、前者なのだろう。ただその視線が物語っている。
(よかった、俺。もう少し足取り遅かったら、デンジャラスなシーンに出会していたかも)
傭兵業を稼ぎ口にしている身としては、別に人の生き死に頓着無いが、少女が山道で賊を殺戮してるシーンには居合わせたくない、心情的に。
「やはり陰を進むべきでした、私は目立つようですね」
溜め息がちに呟く少女を観察すると…
伏せ目がちで瞳の色までは分からないが、黒の長髪で特に美人と謂う部類ではないが好みの範疇。ただ無表情とまでは云わないが、表情が薄い…若干目付きも悪い。
異国の民族衣装だろうか、一枚布を体のラインを出さないように全身に巻き付けた黒い装束。
宗教関係者なのか術士なのか、手には少女の背丈より長めの錫杖。頭部の装飾には幾つもの輪が連なって時折涼やかな音を発てている。
「見た目から何処かの神官さんっぽいけど、目立つと云うより、“浮いてる”感じかなぁ?」
確かに黒装束で裏道歩かれてたら気付かないだろう。
自分ではわからん、とバティンは結論付けた。
道中普通にすれ違って、軽く挨拶して、背を向けて、振り返ってみるけど凝視………しないだろう。 世の中黒い鎧着込んで旅してる傭兵も居る。
遠くで視れば、誰が派手な衣装だろうと、黒い影ぽつんとしか見えないのだ。
自身には無い感性が、先程の賊にはあって、少女に目を着けたのだ。
「まぁどうでもいいや。俺はルンデン方面行くけど、お嬢さんは?」
「……私もそちらですが?」
「だったらさ、一緒に行かない?
んで護衛に雇ってくれないかな。そうしたらさっきみたいなヤツラの露払いもできるし」
返事は期待していない。バティンの想像通りなら、この少女は賊数人くらいなら容易に退けられるだろう。
少女は暫し思案気な顔を見せた後、返答した。
「分かりました。ではルンデンまでお願いします」
「いいの?」
「構いません」
「ありがたいっ!」
心中でバティンはガッツポーズをした。
バティンは鞘ごと剣を引き抜くと、少女に差し出した。
「俺は【バティン】。真名は【ヴァティルタ:ロングバート】。」
少女は、目の前の青年がいきなり何を始めたかと驚愕した。
これは【主従宣誓の契約の儀】ではないのか?
王侯が騎士任命するのに倣って生まれたものだ。
一般的に領主や貴族が、“一定の条件下”を除き、用心棒として傭兵や戦士等を雇う際、決して裏切らぬよう、自らの真名に誓って契約を結ばせる儀だ。 主に、従である自分の真名を握らせることによって、自分は敵対者の密偵ではないことを裏付けることにもなるが、逆に自爆目当ても中には居たりする。 主に真名を握らせるということは、魂を命の支配されることと同義であり、裏切り行為など見咎められた際、「死ね」と命じられればそれは暗示のように、己の意思とは真逆でも命を絶つ、恐ろしい契約でもある。
だから、人は他人には真名を明かしたりはしない。
でも、バティンはそれを行おうとしている。
ただの付き添い程度の護衛ですることではない。
「見ての通り、旅の傭兵。賞金稼ぎもやってる。剣の腕ならそこそこ自信あり。
お嬢さんを無事ルンデンまで送らせていただく任、拝命する」
少女は青年の真摯な眼差しを受け、差し出された剣を受け取ると、また自分からもその剣を差し出した。
「お任せします。私は【レイナート:ブーケット】。【レイン】と呼んでください。」
バティンは剣を受けとると腰に佩く。
緊張していたかの様に、満足気に、思いっ切り息を吐き出した。
「いやぁー。おっさんばかりでなく、一度でいいから女の子相手にやってみたかった」
バティンは円満の笑みを浮かべている。
「でもさ、お嬢さんまで真名明かす必要無いでしょ?」
「……貴方の気持ちに応えたまでです。なぜ貴方こそわざわざ真名を持ち出したのです」
少女――レインの意見もご尤もと、バティンは感じた。
「んー……、俺は大抵“一定の条件下”はクリアしちやってるからね、誰にも支配されたこともないし。
ま、どうしようもないクズ雇用主以外は裏切るつもりもないし」
そうですか、とレインは答えると歩き出した。
「では、向かいましょう」
「はいよ、案内は任せてくれ」
◇◇ ◇◇ ◇◇
これが青年と少女の長い旅の幕開けとなる。
18.07.16. 初稿
18.07.22. 修正
18.12.20. 一部を次話に移動。及び400字ほど加筆修正
20.02.01. さらに300字ほど加筆