春雷の章 (1)
山桜が、淡紅色の花を咲かせ始める。
越前永平寺近くの平山の頂に雲水姿の一団がいた。
二人の漢が、眼下に見える九頭竜川に目を向けて立っている。
その二人を護衛するように五人の漢が、等間隔で円陣を作り、外側を向いて取り囲んでいた。
「龍が動いた」
細身で長身の漢が、小さくはない切れ長の目を細めた。
「智龍様もいい働きをしましたな」
歯並びの悪い背の低い漢が、薄ら笑いを浮かべる。
無間道六と霞仁兵衛の視線の先には、雪解けで水量が増した九頭竜川を前に渡河の準備に追われる長尾景虎の五千の軍勢の姿があった。
長尾景虎は、五千の兵の渡河に船を使おうと考えているようで、渡し船が北岸に五十艘近くは、集められている。
本陣と思われる場所には、白地に墨字で毘沙門天を表す、毘と書かれた旗が力強くはためいていた。
「無間道六様の夢が、叶うかもしれませんな」
「わたしの夢? いや万民の願いだ」
青眼寺の僧侶智龍が、無間道六の書状を持って雪深い越後春日山城の長尾景虎を訪ねたのは、年が改まった永禄三年の年初めのことだった。
長尾景虎は、雪解けを待って上洛の軍を発し、九頭竜川北岸まで十日を掛けて南下して来た。
三好長慶との決戦を考慮して行軍では、出来るだけ兵に疲労を残さないよう配慮してのことだろう長尾景虎の用兵の巧みさが伺える。
「無間道六様は、いつ、長尾様とお会いするつもりで? 」
「弾正様が、九頭竜川を渡ってからだ。明日になるだろう」
「長尾様とは、どんな御仁でしょうな? 」
堺の商人立花屋次郎三郎の調べによると長尾景虎は、北信濃の豪族村上義清が、甲斐の武田晴信に追われ助けを求めて来ると何の見返りも求めず、失地回復のために北信濃に出兵を繰り返しているという。
また、関東で北条との戦に敗れ、越後に逃れて来た敗軍の将上杉憲政にも春日山城下に館を献上し、礼を尽くして迎えた。
これに感激した上杉憲政は、長尾景虎を養子として家督と関東管領の職を譲るとまで公言している。
下剋上の世には珍しく、義を貫く人物と言われていた。
「長尾様は、義の武将と言われているそうですな。この乱世に本当にそのような御仁がいらっしゃるんでしょうかね? 」
「仁兵衛は、弾正様を随分と疑っているようだな」
「人間なんてものは、そんなに信用出来る生き物ではないでしょう」
霞仁兵衛は、薄ら笑いを浮かべたが目は笑っていない。
無間道六は、越後勢五千を使って三好長慶を討ち取るつもりだ。
このまま長尾景虎の率いる越後勢が、南下すれば三好勢も打って出ざるを得ない、その背後を比叡山の僧兵に突かせる。
「七日以内には、三好とぶつかることになるだろう」
「それは、楽しみですな」
霞仁兵衛は、三好長慶との決戦を楽しみにしている節があった。
「仁兵衛は、この戦に何を期待している? 」
「戦は、人の愚かさを観せてくれるので好きなだけで、何も期待はしていませんがね」
霞仁兵衛は、口元を曲げて笑い声を漏らした。
「人間、何があるとそこまで捻くれることが出来るのだ? 」
苦笑い。無間道六は、霞仁兵衛の捻くれた言い方が嫌いではなかった。
「無間道六様は、戦に何かを期待なさっているんですか? 戦に何かを期待している人間の方が、よほど捻くれているように思いますがね」
「そうかもしれんな。わたしは、この戦に大きなものを期待し過ぎているのかもしれない」
「この乱世に民が豊かに暮らすことを考える無間道六様は、間違いなく捻くれ者ですがね」
霞仁兵衛が、声を押し殺して笑った。
無間道六は、霞仁兵衛と冗談を言い合える時間を心地よく感じている。
春風に山桜の花びらが、ひとひら舞ったような気がした。