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青眼の野望  作者: えんどう なん
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智星の章 (2)

 北国の冬は、雪に覆われる。今も雪が降り続いていた。

 春日山の麓にある長尾景虎の屋敷の門前に二人の雲水(うんすい)が立っている。

 屋敷の中から男がひとり出て来て雲水に向かい軽く頭を下げた。


 「青眼寺の智龍様でいらっしゃいますね? 」


 雪が降る中、智龍(ちりゅう)は右手で網代笠を上げ、人を惹き込むような笑顔を見せる。


 「智龍です。越後には、目薬の行商に参りましたので長尾弾正様にご挨拶に上がりました。こちらの者は、霧氷(むひょう)と申す供の者でございます」


 取り次ぎの者が、雲水姿の智龍と霧氷を屋敷に招き入れる。

 案内された謁見の間は、板張りで火鉢は置かれているが、寒さが足元から浸み込んでくる。

 智龍と霧氷は、用意された(しとね)に座り、長尾景虎を待つ。

 暫くすると山吹色の直綴(じきとつ)に藍色の袈裟を身に着けた長尾景虎が入って来て、上座に敷かれた褥に座る。

 長尾景虎は昨年、越後の(まつりごと)に嫌気が差し、高野山へ出奔したことがあり、この時は家臣団の必死の説得により、入山は思い留まったもののこれを機に剃髪をして身を僧体に改めていた。


 「智龍殿、この雪深い越後によく来られた」


 長尾景虎は、面識のある智龍に対して畏まった挨拶を省いて声を掛ける。

 寒さが身体に纏わり付く板の間に越後の龍と例えられる武人とは、思えない透き通った声が響いた。


 

 「此度は、ひと月ほど林泉寺にお世話になる予定でございます」


 智龍が、春日山を訪れる際は、林泉寺の宿坊に滞在することが多かった。

 林泉寺は、春日山城下にある禅宗の寺で青眼寺に目薬の販売権を付与されていて友好な関係が続いてる。


 「弾正様、こちらに控えるのは、青眼寺の僧で霧氷と申します。此度の旅の供でございます」


 霧氷は、正体を悟られまいと言葉を発することはせず、ただ平伏するだけだった。

 火鉢に手をかざしている長尾景虎の視線が一瞬で鋭いものに変わる。

 智龍は、長尾景虎の霧氷を観る視線の変化を感じ取って顔が強張った。

 空気が張り詰める。霧氷は、僧侶ではなく、今日も智龍の身を守れという霞仁兵衛の命令を忠実に実行しているだけだった。

 

 「霧氷は、あまり青眼寺の外に出たことがなく、このような形で旅をするのも今回が、初めてでございます。また、弾正様のような立場のある方と謁見するのも初めてのことで、随分と緊張をしているようでございます」


 智龍が、慌てて取り繕うが手のひらに汗をかいているのが分かった。

 突然、長尾景虎の大きな笑い声が、冷え切った空気の支配する謁見の間に響く。


 「智龍殿は、嘘が付けない御仁だ。いくら言葉で取り繕っても智龍殿と霧氷殿では、(まと)っている気が違い過ぎる。それは隠し切れるものではない。智龍殿の気は慈悲に満ちている、いわば僧としての気。霧氷殿の気は、その対極にあるもの、まさに修羅の気」


 長尾景虎は、霧氷の素性をわずかな所作で見破っている。

 霧氷は身構え、智龍は沈黙するしかなかった。

 長尾家の家臣にも緊張が走るが、長尾景虎だけが笑っている。


 「一年で最も雪が多いこの時期に、目薬を売るためだけに越後に入った訳ではないでしょう。越後入りの目的を教えていただけますか? 」


 長尾景虎が、二重(ふたえ)のはっきりした目を緩めて静かな口調で目的を訪ねる。

 智龍は、予想以上に早い展開に困惑しながらも開き直って頭陀袋(ずだぶくろ)に手を入れ書状を取り出した。

 控えていた家臣が、書状を受け取り長尾景虎に差し出しす。

 長尾景虎は、無間道六と書かれた差出人の名を見てから読み始めた。

 読み進めるうちに長尾景虎の表情が険しいものに変わり、書状を読み終えて目を瞑った。

 沈黙。ゆっくりと目を開くと長尾景虎の透き通る声で訊ねた。


 「青眼寺は、無間道六殿は何故、幕府の再興を望むのでしょうか? 」


 長尾景虎の表情は、書状を読んでいた時の険しいものから戻って口元は緩んでいる。


 「青眼寺主宰の無間道六は、大樹の御意向を汲み、民が豊かに暮らせる国造りを考えております。そのためには、乱世に終止符を打つ強い統治が必要であり、幕府と守護のあり方を本来の姿に戻すことでそれが叶うと考えています」


 智龍は、将軍足利義輝を大樹と呼んだ。


 「私も無間道六殿と話をしてみたくなりました。春になったら越後の兵を率いて上洛をし、幕府の再興を果たしましょう」


 智龍は、あまりにもあっさりと上洛を決めた長尾景虎の即断に驚いた。

 長尾景虎は、戦の時も悩むことをせず、その場の状況に応じて即断即決をすると聞いたことがある。

 今回の上洛の件も、全く家臣に諮ることなく、無間道六の書状を読みんでこの場で決めてしまった。


 「弾正様、誠でございますか? 春には上洛の軍を発してくださりますか? 」


 「無間道六殿にお伝えください。この長尾景虎、大樹の剣となり、逆臣三好長慶を必ず討ち滅ぼすと」


 智龍は、長尾景虎の言葉に大役を果たした解放感から感情を抑え切れなくなっていた。

 涙が溢れる。長尾景虎が智龍の元に歩みより、そっと肩に手を乗せる。

 越後の寒さを包み込むような長尾景虎の温かさが智龍の身体に浸み込んだ。


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