暁の章 (3)
無間道六が、青眼寺方丈の書院に籠ってから三日が過ぎていた。
無精髭の生えた顎に手を当てながら、黒墨で書かれた地図を板の間に広げて三好長慶との決戦を思い描く。
来年の雪解けを待って越後の長尾景虎が上洛を果たせば、三好長慶との間で戦となり、戦火は、畿内全体に広がる可能性もある。
貧窮する民の生活を考えると両軍の衝突は、極力限定的なものとしたかった。
「叡山、か・・・・・・」
無間道六は、決戦の鍵は、京の鬼門を押さえる比叡山延暦寺の動向にあると考えていた。延暦寺がどちらに付くかで、この戦の雌雄が決まる。
筆を取り、延暦寺天台座主、応胤法親王宛の書状をしたためた。
柔らかい陽射しが明り取りの障子を通して、文机に光を注ぐ。
筆を置く。無間道六は、不思議と疲れを感じてはいなかった。
「道六様、立花屋様が、お着きになりました」
若い僧侶の張りのある声が立花屋次郎三郎の到着を伝えた。
無間道六は、無言のまま頷き、文机の前から立ち上ある。
薄っすらと髪の毛が生えた頭を撫ぜながら、身支度を整えるために方丈の奥へと向かった。
立花屋次郎三郎は、明国や朝鮮国との交易で大きな利益を上げている堺の商人で、交易で上げた利益が、青眼寺の活動を経済的に支えている。
剃髪をし、無精髭を剃り、新しい法衣に着替えた無間道六が、応接間に入ると立花屋次郎三郎は、既に板の間に褥を引き座っていた。
「立花屋殿、半年ぶりになりますか、青眼寺に来るのは? 」
「そうですね。前回は、新緑が眩しい季節でございました。今日は、米と塩を持ち込みました」
立花屋次郎三郎の顔は、初対面の相手でも警戒心を抱かせない下がった目尻が特徴で、いつも笑っているように見える。
今日は、いかにも商人といったあずき色の頭巾を被っていた。
「今日は、立花屋殿に伝えておきたいことがあります」
無間道六が、切れ長の目で立花屋次郎三郎をしっかり見据えた。
「越後の龍に動いてもらいます」
「長尾景虎様ですか? 」
立花屋次郎三郎は、長尾景虎を知っているようだった。
「長尾景虎様は、義を重んじるお方と聞いております。青眼寺の志にも通じるお方かと存じます」
立花屋次郎三郎の表情は変わらず笑っている。
「わたしもそう思います。下剋上が罷り通る世の中で、幕府再興という夢を語れる数少ない同志だと思っています」
無間道六が、越後に智龍を送ることを伝える。
立花屋次郎三郎は、笑顔のまま頷く。
「私からもひとつご報告がございます」
立花屋次郎三郎が、目尻を下げたまま話し始めた。
「明国や朝鮮から仕入れました唐物を堺や京だけではなく、北陸や東海道、東山道でも商売が出来ますように道を整えました」
「道を整える? 」
無間道六は、顎に手を当てて少し首を捻った。
「道を整えるとは、物と情報の流れを淀みなく流れるように整えたということにございます。物と情報が動くことで更に利が上がります」
身振り手振りで夢中に話す立花屋次郎三郎は、満面の笑顔を見せる。
無間道六と立花屋次郎三郎は、それからの一辰刻(約二時間)を道の整備によって上がった情報の共有を図った。
立花屋次郎三郎の話では、幕府の政が機能しているのは畿内のみで、京から離れれば、離れるほど幕府の権威は届かず、下剋上でのし上がった者が、国を治めているらしい。
東に目を向ければ、北条、今川、武田が、強い軍事力を背景に独自に国造りをしており、国王のような振る舞いだといい、西国では、国人領主から成り上がった毛利が大きな力を持ち始めているという。
立花屋次郎三郎は、下剋上が罷り通るこの乱世を憂いていた。
「随分と長居をしてしまいました。そろそろお暇させていただきます」
立花屋次郎三郎が一段と目尻を下げて、笑顔を見せる。
無間道六もあえて引き留めはしなかった。
長居をして青眼寺と立花屋次郎三郎の関係が、世間に知られることは好ましくはないと思えた。
立花屋次郎三郎は、日が沈む前に青眼寺を後にした。
山影に沈み掛けた夕陽が、西の空を茜色に染め始めた。




