第69話:未来を変えるための勝負
エレナとの決断から一ケ月が経つ。
暦は十月になっていた。
今はドイツ三部リーグの八試合目の最中である。
「うーん、今日もF.S.Vは調子が悪いな……」
前半が終わってハーフタイムになる。今のところ二対一で負けていた。
今日もオレは前半ベンチで待機。ここまで戦況を見守っていた。
ハーフタイムのロッカールームで、ここまでを振り返る。
(今日も引き分けになりそうな、嫌な雰囲気だよな……)
今のところF.S.Vはリーグ戦で七戦して、七引き分けであった。
なんと開幕戦から七連続で引き分けという、不名誉な記録を更新中なのだ。
(やっぱり、この一軍は“ぬるま湯症候群”なのかもしれない……)
ロッカールームにいる選手たちに、ふと視線を向ける。
この一ヶ月、彼らに働きかけて分かったことがある。
一軍の選手たちは通称“ぬるま湯症候群”に陥っていたのだ。
“ぬるま湯症候群”とは……居心地の良いぬるま湯のような状態に慣れきってしまうと、変化に気づけずに致命傷を負ってしまうことである。
(たしかにF.S.Vは居場所がいいからな……)
エレナから聞いたことだが、F.S.Vの選手の待遇はかなりいい。
三部リーグでありながら、平均年棒は日本円で三千万円を超えている。
これはドイツ三部リーグでも、トップクラスに破格な条件だった。
その心地よいF.S.Vのクラブ環境に、選手たちは浸っていたのだ。
(ぬるま湯の原因は……F.S.Vの体質というか……ヴァスマイヤー家の問題かな?)
F.S.Vのオーナーはヴァスマイヤー家……つまりエレナの実家である。
貴族の系統にあたるヴァスマイヤー家は、この地方でも有数の金持ち。
だからクラブオーナーは代々お坊ちゃまであり、悪くいえば経営に甘いのである。
(だからプライドを気にして世間の目を気にするあまり、選手の年棒を下げられてなかったのかもしれない……)
血筋とプライドが高い経営者は、時に赤字よりも世間の目を気にしてしまう。
これは前世のオレも経験がある。
最初に入社した会社は、地域でも有数の地主オーナーの企業であった。
世間的からは大きな有名企業と見られていた。
だがF.S.Vと同じように、赤字よりも世間の目を気にしていた。
お坊ちゃまオーナーは、ずさんな経営を続けていく。
その結果、オレが入社してから数年後には、その会社は倒産してしまった。
(当時の社員たちと、F.S.Vの一軍選手……こんな感じの雰囲気だったな……)
オレが感じていた危機感は、当時に入社した時と同じものであった。
ここまでいけばクラブは泥沼状態になり、致命傷を負ってしまう。
今回の致命傷とはF.S.Vの四部降格であり、クラブライセンスはく奪の危機であった。
(チームの連携はこの一ヶ月間で、少しは良くなってきたけど……)
エレナとの決断した後に、オレもチームメイトに働きかけていた。
試合中での連携の強化や、意識の向上。
エレナと協力して、一軍のモチベーションを上げようとしてきた。
(でも、あと一歩なんだよな……みんなの実力を発揮してもらうには……)
オレたちの頑張りで、一軍も少しずつ良くはなってきた。
だが、あと一つ……大きな起爆剤が足りないのである。ぬるま湯から目を覚まさせる、強力な起爆剤が。
(そして、起爆剤は間違いない……あのユリアンさんだ)
オレはロッカールームにいた青年に視線を向ける。
その人はF.S.Vの六番の背番号の金髪の選手、ユリアン・ヴァスマイヤーだ。
よし。今日もユリアンさんに接触してみよう。
「ユリアンさん、ちょっとお話しをいいですか?」
「コータ君か……ああ、いいよ。どうしたんだい?」
エレナと同じでユリアンさんも日本語が達者である。
他の人に会話の内容がバレないように、オレは日本語で話かける。
「前も話したことです。ボクはこのチームを良く変えたいです。だから協力してくれませんか?」
エレナとの決断の後、オレはこの人に積極的に話しかけていた。
“ぬるま湯症候群”に陥っているF.S.Vを改革するのを手伝ってくれないかと。
エレナとオレとユリアンさんの三人で、チームを救いましょう……頼んだのだ。
「ああ、その話かい? 前にも答えたけど、私は全力でプレイしている。ただ、それだけだ」
前と同じ答えが返ってきてしまった。
前回も相談した時は、こんな感じではぐらかされてしまったのだ。
六月の交流戦の妹エレナと仲良くする賭けも、誤魔化されたままにいた。
(たしかにユリアンさんは全力でプレイして、結果を出している……)
今のところ七試合で十三得点と、凄まじいペースでゴールを量産していた。
現時点でドイツ三部リーグの得点王である。
さすがは前世では“悲劇の天才”と呼ばれた、凄い選手あった。
「でも、エレナは……ユリアンさんの……お兄さんである貴方の協力を待っています」
「エレナか……コータくん。聞いていると思うけど、私はエレナの未来を奪ってしまってしまった……だから妹と肩を並べて歩くことは、もう出来ないのだよ……」
エレナの話をした途端、ユリアンさんの顔が曇る。
思いつめた表情で、自分の感情を押し殺していた。
この人は二年前に、エレナと接触して、怪我を負わせてしまった……という負い目を感じていた。
だから、いつも悲痛な影を背負いながらプレイをしている。
「私が出来ることは、もうサッカーをすることだけ……でも、F.S.Vにいるのは最愛の妹の思い出してしまい、辛いんだよ……」
ユリアンさんは十字架を背負っていた。
天才的なサッカーの才能があった妹から、サッカーの未来を奪ってしまったとして後悔していた。
このF.S.Vに所属していることすらも、針の筵にいる状態なのかもしれない。
もしかしたら本心では、F.S.Vから逃げ出したいのであろうか?
「仮にです。もしもユリアンさんに……外国のクラブから打診が来たら、どう考えますか?」
「不思議な質問をするんだね、コータ君は? そうだね。ドイツ以外の国から打診が来たら、私は受けてしまうかもね……」
はやり、そうだった。
エレナに負い目を感じているユリアンさんは苦しんでいたのだ。
そのために海外への移籍を望んでいた。
(やはり、そうか。このペースでいけばユリアンさんは、間違いなく三部リーグの得点王になる。結果としてイングランドからオファーが来る。そして……)
前世の歴史では、来年の七月の誕生日に、ユリアンさんは事故死してしまう。
F.S.Vを退団して、移動中に悲劇の死を遂げてしまうのだ。
(そうか……これで話は繋がったぞ……)
オレは頭の中で情報を整理する。
①ユリアンさんはエレナを怪我させてしまったと、負い目を感じて心を閉ざしている。
↓
②十字架を背負いながらプレイして、三部リーグの若干十七歳にして得点王になる。天才として注目される。
↓
③来年にはイングランドからオファーが来くる。
↓
④負い目から移籍を承諾。その移動中に事故に遭い無くなってしまう。
なるほど、こういう流れだったのだか。
それなら、ここはどうしたものか。オレは思考を張り巡らせる。
全ての原因ある①のエレナの怪我は二年前に起きているので、今から回避は無理である。
次の③のオファーもオレには防ぐとこはできない。
それなら④の移籍の承諾を邪魔するか? もしくは交通事故を防ぐならいいのか?
(いや、それもダメだ……今のユリアンさんは負のオーラに包まれすぎている……危険な状態だ)
十字架を背負ったユリアンさんからは、怪しげなオーラは発せられている。
暗黒というか闇に堕ちてしまった堕天使モード。
きっと、その負のオーラが、不幸な事故を呼んでしまったのかもしれない。
もしも一度目の事故を回避させたとしても、次に二度、三度の事故を引き込む可能性がある。
これは死を乗り越えて転生してきた、オレの直感であった。
(それなら、最後の策は……これしかないよな……よし!)
オレは覚悟を決める。
すうと深呼吸して、自分の魂に喝を入れる。
「ユリアンさん、もう一度、サッカーで勝負をして下さい!」
「サッカーの勝負かい? コータ君?」
勝負と聞いてユリアンさんの顔が真剣になる。
この人はサッカーに関しては常に本気。
きっと本心では誰よりもサッカーのことが好きなのであろう。
サツカーを本気で愛していなければ、二年前にサッカーを辞めていたはずである。
だから妹に負い目を感じながらも、サッカーだけは続けているのだ。
「このボクと得点の勝負をして下さい! そうですね……今年の十二月までの得点勝負をして下さい!」
「相変わらず面白い提案だね、コータ君は……いいだろう、前回の借りがあるから、引き受けよう。ではボクが負けたら方には、どんなペナルティーが?」
よし、話に乗ってくれた。
六月の交流戦の勝負の賭け、その貸しを残しておいたのが吉とでた。
「もしも、ユリアンさんが負けた場合は、一月からは守備にコンバートしてもらいます!」
「攻撃陣の私が、守備に下がるだと? 面白い冗談だね? 本気かい、コータ君?」
「はい! ボクはいつでも本気です!」
オレは本気であった。
普通の説得ではユリアンさんの心を動かすことはできない。
だから、もう一度、サッカーで勝負を挑むことにしたのだ。
(もしも、この勝負に勝つことが出来たら、ユリアンさんの未来が変わる可能性がある……)
このままこの人が得点王になってしまったら、移籍の死亡フラグが発生してしまう。
だからオレは策を講じた。
攻撃であるユリアンさんをDFに転向させるのだ。
こうすることによって、ユリアンさんの得点王の未来は消え、死亡フラグは回避できるであろう。
ポジションチェンジについてはエレナから、監督に進言してもらうつもりだ。
(それにF.S.Vの守備力が一気にアップするはずだ)
ユリアン・ヴァスマイヤーは本物の天才である。
守備に関しても試合中では、ハッとするようなプレイをしている。
この人が本気でDFに転向したら、F.S.Vは大きく生まれ変わるであろう。四部降格の危機も無くなるはず。
まさに一石二鳥の転向であり、オレの奇策であったのだ。
「ちなみにコータ君が負けた場合は?」
「ボクが負けたら、このF.S.Vを退団して帰国します!」
「自主退団だと……本気かい? コータ君?」
「はい! ボクは常に真剣です!」
オレの覚悟は本気だった。
ユリアンさんに提案したポジションチェンジは、サッカー選手にとっては辛い指示である。
だからこそオレも同等の対価を支払わないといけない。
その対価とはドイツ留学の中断であった。夢への道を断つ覚悟なのだ。
「その眼は本気なんだね、コータ君。それなら、この勝負受けて立とう! もちろん負けるつもりは無いからね、コータ君……このヴァスマイヤー家の名に賭けて」
「ありがとうございます、ユリアンさん! ボクも負けるつもりはありません……この野呂家の名に賭けて!」
勝負の内容はチーム内での得点王対決。
期間は今年の最後の試合の十二月二十日まで。
負けた方は大きな決断を強いられる。
(あの“悲劇の天才”ユリアン・ヴァスマイヤーとの真剣勝負か……この勝負……絶対に負けられない!)
こうしてオレの退団を賭けて、ユリアンさんの真剣勝負が始まるのであった。




