第67話:新しいのステージの開幕
交流戦から二ヶ月が経ち、八月上旬になっていた。
そうだ。この二ケ月間のことを簡単に説明しておこう。
◇
まずシーズンオフの六月はあっとう間だった。
オレは日本に帰らずに、ドイツで過ごしていた。平日は中等部の学校に行ってちゃんと勉強する。
何しろオレは勉強のために、ドイツに来ていた。勉強もしっかりしないといけない。
中等部から午後二時には下校。
そのままF.S.Vのサッカーパークに自主練習に行く。
練習場で対決した例のジュニアチームの二人と合流する。彼らはオレのサッカーの遊び相手になってくれた。
そういえば六月中旬からは、他のF.S.VのUー12の選手も参加して、みんなでサッカーを楽しんだ。
みんなオレと同じ位の歳なので、友達感覚のサッカー交流。ドイツに来て初めて友だちが出来た感じだ。
えっ、エレナは友だちじゃのかって?
うーん、彼女はクラブの特別アドバイザーであり、お嬢様だ。
友だちというよりも、最近では“サッカー同志”って感じかな。
あと六月の下旬の誕生日で、オレは十三歳になった。
サッカーに夢中になっていて、オレも数日経ってから気がついたんだけどね。
◇
七月に入るとシーズンオフ終わり。
F.S.Vの練習とキャンプが始まった。
今年は翌月の八月頭にはリーグ開幕。それに向けてチームを仕上げて行くのだ。
七月は中等部の授業は夏休みなので、オレもサッカーに専念できた。
キャンプでは一日中、サッカーのことに学ぶことができた。
個人技やチームプレイはもちろんのこと、ドイツ式の戦術の勉強会は本当にためになった。
F.S.Vの専門のコーチが本当に色々なことを教えてくれたのだ。
その中には特別アドバイザーのエレナの講習会もあった。
何と彼女は大人でも習得が難しい戦術資格に合格していたのだ。
まだ十一歳……いや、誕生が過ぎで十二歳の少女とは思えない、利発さ。そしてサッカーに対する熱いほどの情熱であった。
ちなみにドイツの夏は意外と暑くはなかった。
日本と違い湿度が低いので、過ごしやすいのだ。
結局オレは夏休みのほとんどをサッカーしていた。
でも毎日が充実して本当に楽しい七月だったな……。
こうして実りある七月のキャンプは、あっという間に過ぎていく。
そして暦は八月に変わる……ドイツの公式リーグが開幕するのであった。
◇
F.S.Vのリーグ戦の初戦。
審判の笛と共にキックオフとなる。
いよいよ今シーズンがスタートしたのだ。
『コータ・ノロ。今シーズンも展開によっては、後半から出す』
『はい、監督』
前回と同じくベンチスタートとなったオレは、隣の監督から指示を受ける。
まだ十三歳の自分はフルタイムで出場しない約束となっていた。
成長期中で心肺機能などのスタミナを配慮してくれた采配だ。
そのため昨シーズンも後半から出場がほとんどだった。
この監督とは四ケ月の付き合いになるから、今日もその考えでいくのであろう。
「それにしても開幕戦は熱気が凄いな……」
ベンチにいながらもスタジアムの熱気に、思わず押されそうになる。
開幕戦ということもあり観客は一万人を超えていた。
彼らは前半序盤から、大声で応援合戦をしている。
今日はF.S.Vホーム戦ということもあり、味方のサポーターが圧倒的に多い。
伝統的にサッカー好きの地元市民は、地鳴りのような声援でスタジアムを揺らしていた。
オレはベンチにいるのに関わらず、声援で背中を押されている感じだ。
「いやー、さすがはドイツの試合は凄いな……日本とは雰囲気が違うな……」
ベンチにいながらスタジアムの雰囲気に見惚れてしまう。
さすがは歴史あるドイツリーグ。日本のJリーグとは空気が違うのだ。
もちろん試合の方は、オレはちゃんと見ている。
鍛錬を積んできたスポーツビジョンは、こんな時も便利なのだ。
「ああ……やっぱりドイツに来て良かったな……」
「ちょっと、コータ。気を抜かないでよね!」
ベンチの後ろにいたエレナに、日本語で叱られてしまう。
スタジアムの空気に酔っていたのが、彼女にバレてしまったのだ。
「あなたも一軍のトップ選手としての自覚を持ちなさい!」
「うん、そうだったね。ごめん、エレナ」
彼女はクラブの特別アドバイザー。
それに大事なサッカー同志である。ここはちゃんと素直に謝っておく。
(そうか今日からオレもトップ選手……F.S.Vの一軍の選手なんだ。気を引き締めないと!)
エレナの激励で、自分の置かれている立場を再認識する。
そういえば言い忘れていたことがあった。
七月になってオレが所属するチームが変わっていたのだ。
六月までのF.S.Vの二軍ではない。
なんとクラブのトップチームであるF.S.Vの一軍に昇格していたのだ。
だから試合会場も今までの場所とは違う。
今は二万人近く収容できる、F.S.Vのサッカー専用スタジアムにいた。
だから、このサポーターの熱気は初体験だったのだ。
(このオレが一軍の選手か……未だに実感がないな……)
オレが昇格したのは七月のキャンプからだった。
二軍での新人賞を取ったことと、交流戦での働きが評価されたという。
ちなみにオレ以外にも二軍にいた三人が、同時に昇格していた。
あと二軍の監督も、一軍の監督に昇進していた。
何でも前一軍監督の持病が、急に再発して入院してしまった。その代役として昇格したという。
(自分の昇格はびっくりしたけど、知った顔が何人かいてほっとするな……)
実感のない一軍の中で、二軍からの知り合いがいるのは心強い。
特にまだ十三歳の日本人であるオレにとって、環境の変化は激しい。
(たぶん今日もオレが出場する機会はないかな? だって、ここはドイツ三部リーグだから……)
この時代のドイツリーグには、三部でさえもレベルが高い。
世界の代表クラスや元代表クラスがゴロゴロしていた。
信じられないことに観客数も、毎試合一人万人以上は動員している。
この時代の日本のJ1くらいのハイレベルな世界なのだ。
(交流戦でも思ったけど、F.S.Vの一軍の人たちは凄いからな……)
F.S.Vは二十年程前、ドイツ一部で優勝もしていた歴史あるクラブ。
今は三部で調子が悪いけど、戦力的は整っている方である。
そんな中でまだ十二歳のオレが出場する機会は皆無であろう。
契約上はセミプロに近い“特別選手”なので、勉強のためにベンチ入りしたのかもしれない。
だから未だにオレは一軍に昇格した自覚がないのかもしれない。
「コータ、大丈夫、ちゃんと試合見ている?」
「あっ、エレナ。うん、ちゃんと見ているよ」
エレナに声をかけられる気がつく。
いつの間にか試合が進んでいた。
なんと前半45分が終わっていたのだ。
試合展開は? ……あっ、負けている。
前半が終わったところで、2対3で自軍F.S.Vが負けていた。
えーと、試合内容はちゃんと覚えている。
たしか、前半はF.S.Vの連携が悪くて、守備陣が崩壊した。
昨年、一軍がリーグ戦で負けた時と、同じ悪いパターンだった。
ユリアンさんの孤軍奮闘で2点を取り換えていた。
よし、覚えているぞ。
(あれ? でも、記憶はあるのに……なんだ、このふわふわ感じは……?)
休憩中はロッカールームに移動する。
監督から指示が飛んできた。
逆転するためには、もっと積極的にいくしかないと叫んでいた。
特別アドバイザーであるエレナも、一緒にアドバイスを伝えてきた。
夏のキャンプで練習した動きを出す時だと。
「ねえ、コータ。あなた大丈夫? ……ちゃんと聞いていたの?」
休憩中のミーティングが終わった後、エレナが耳打ちしてきた。
ずっと上の空だった自分のことを、心配してくれたのだ。
「うん、エレナ……ちゃんと聞いていたよ?」
そう答えたものの、まだ心がふわふわしていた。
この感覚は何であろう?
初めての感じだった。
風邪をひいて体調が悪いのかな?
いや……試合前の練習では身体の動きは悪くなかった。
『よし、後半は選手を変えていくぞ! コータ・ノロ、出番だ!』
いよいよ後半が始まる。
コータ・ノロ……聞いたことがある名前だ。
もしかしたら、この一軍にオレと同姓同名の人がいたのかな?
ピピー!
後半のスタートを告げる、審判の笛の音が鳴り響く。
『コータ・ノロ、いくぞ!』
一軍のチームメイトから名前を呼ばれる。
あの人は元スウェーデン代表のすごい選手だ。キャンプ中にちゃんとサインを貰っていた。
あれ……でも、なんでそんな凄い人がオレにパスをくれるんだ?
そしてナイスパスが足元にきた。
「うわっ! なんだ⁉ ここは⁉ えっ⁉」
パスをもらって、急に我に返る。
ふわふわしていた感覚が、急に晴れやかになった。
「ここは……スタジアムのど真ん中……オレは試合に出場したのか⁉」
ようやく現実世界に帰ってきた。
前半から今まで、ずっと夢の中にいたような感覚だったのだ。
(そうか……オレは緊張していたのか? これが本当の緊張か……)
ここまでの極度の緊張は、生まれて初めての経験だった。
だから自分でも気がつかなかったのだ。
(オレがドイツ三部リーグでプロデビュー……)
ようやく実感が出てきた。
まさかの一軍昇格と、まさかのドイツプロリーグにデビュー。
あまりの夢のような展開に緊張して、今も地に足がついていない。
これはマズイ状況だぞ。
(と、とにかく頑張らないと! 全力だ! 緊張を本気で吹き飛ばさないと!)
こうしてオレのドイツでの修行は、新たなるステージを迎える。
クラブのF.S.Vの一軍選手として、プロとして戦う一年が始まるのであった。




