エピソードその1:ヒョウマ君の家の秘密(後編)
小学生4年生の春休み、ヒョウマ君の家に遊びにきた。
ヒョウマ君が帰ってくる前に、お母さんに家の中を案内してもらう。
「ん……あれ? この穴は?」
室内練習場の天然芝が、大きく削れた場所を見つけた。不思議とそこだけ消耗しているのだ。いったい、どうしてだろう?
「その穴はヒョウマが練習しすぎて、空いちゃったのよね。何度直しても、同じところが空くのよね」
「同じ場所で……あっそうか……」
その場所に覚えがあった。
ゴールポストから少し角度がある難しい場所……ヒョウマ君が最も得意とするシュートコースであった。
その角度から強烈なシュートを放つのを、オレは何度も目にしていた。
(きっと何度も練習していたんだな……)
頑丈な人工芝に、穴を空けるのは容易なことではない。ヒョウマ君が密かに自主練を積み重ねていたのが、それだけで読み取れた。
やっぱりヒョウマ君は凄い人である。あれほど才能がありながらも、常に努力を重ねていたのだ。
「ねえ、コータ君は……サッカーが好き?」
その時、ヒョウマ君のお母さんの声が少し変わる。雰囲気も先ほどまでとは、少し違っていた。いったいどうしたのであろうか。
「えっ? はい、好きです!」
「そうなのね。実は昔のヒョウマ君は、あまりサッカーが好きじゃなかったのよ……」
神妙な顔つきで、お母さんは少しだけ昔話をしてきた。
ヒョウマ君が幼稚園でサッカーを始めた時のことを。
幼稚園でありながらも、横浜マリナーズU-12に入団した時の話を。
「母親の私が言うものなんだけど、息子はサッカーが上手くて、コーチやOBからもちやほやされ過ぎていたの……」
お父さんは横浜マリナーズのトップクラスの選手であった。だから息子であるヒョウマ君は、関係者の大人たちから特別扱いされていた。
「その影響でヒョウマは、最初からチームで浮いていたわ。そしてサッカーで笑っているのを、見たことはなかったわ……いつも寂しそうにプレイしていたの……」
ヒョウマ君は横浜マリナーズU-12の中でも、浮いていたという。あの三人とのやり取りで、そのことはオレも何となく知っていた。
「でも、この街に越してきてから……リベリーロ弘前に入団してから、息子は変わったわ」
「えっ、うちのチームに?」
「そうね。楽しそうに練習に行くようになったわ。晩ご飯を食べる時も、いつもチームメイトの話ばかりしているわ……本当に楽しそうにね」
思わず耳を疑う内容であった。
あのクールなヒョウマ君が、楽しそうに練習に出発するだって?
チームメイトの話を楽しそうに、親に話しているだって?
それは初めて聞く衝撃的な話であった。
何しろヒョウマ君はいつもクールで、澄ました顔をしている。スーパーゴールを決めても、喜ぶことはない。
感情を表に出さないで、小学生特有のバカ騒ぎをしない。
(でも、そう言われてみれば、最近は……)
オレは知っていた。そんなヒョウマ君も楽しそうにしていたことを。
試合で絶妙な連携でゴールが決まった時。
自主練でチームメイトが、新しい技が上手くいった時。
オレたちがコーチをいじって、大爆笑している時。
(口は動かないけど、目元は……本当に楽しそうに笑っていたよな……)
直近では全国大会の決勝戦が凄かった。あの『どっちが点を多く決められるかの勝負』の時は、本当に楽しそうにプレイをしていた。
(きっと……ヒョウマ君も誰にも負けないくらいに、サッカーが大好きな小学生なんだろうな……)
彼と出会って、まだ三年しか経っていない。でも、この三年間は本当に濃密な日々であった。
だからこそ、ヒョウマ君の秘めた想いを、誰よりも感じている。これはチームメイトとしての共感であった。
「あら? ヒョウマが帰ってきたみたいね?」
玄関の音で、お母さんは気が付いたのであろう。また最初の母親としての表情に戻る。
「ヒョウマ君のお母さん、今日は色々とは話を聞かせてもらってありがとうございました。でも、今日、ボクが聞いたのは、ヒョウマ君に内緒にしておいて下さい」
「えっ? それはいいけど、どうしてかしら、コータ君?」
先ほどのお母さんは、本心を語ってくれたのであろう。何故か分からないが、オレに人生相談をしてきたのだ。
「ボクたち男には、カッコをつけるために聞かれたくない昔の話もあります。特にライバルと思っている仲間には。これはサッカーをする男の、小さなプライドの問題ですが……」
ヒョウマ君の性格を考えたら、自分の過去の弱い部分を知られるのは嫌がるであろう。
だからオレは今の話を忘れることにした。もしもヒョウマ君が自分の口で話をしてきたら、その時はまた聞き直したいと思う。
「やっぱりコータ君は不思議な人ね。息子の気持ちが、少し分かったかも。いいわ、私も話したことを忘れておくわ」
ヒョウマ君のお母さんがにこりと笑って答えてきた。その可愛らしい笑顔に、オレは思わずドキリとしてしまう。
これが元モデルの天使の微笑みなのであろう。精神年齢が三十一歳なオレには眩しすぎる人である。
「これからもヒョウマと仲良くしてあげてね、コータ君」
「はい! こちらの方こそ、よろしくお願いいたします!」
こうして澤村家の探検は終了となった。ヒョウマ君を玄関まで出迎えにいく。
「ただいま、母さん……って、コータ、お前、もう来ていたのか?」
「えへへ……一時間、間違えて早くきちゃった……」
「相変わらずだな、お前は」
ヒョウマ君の顔を見て安心する。いつものようにクールで決まっていた。
(今日はヒョウマ君と試合を観ながら、たくさん話をしよう……サッカーの話を……将来の話を……)
お母さんから聞いた話は、自分の記憶から抹消していた。でも前よりもヒョウマ君との距離が、近くなったような気がする。
「今日は強国が相手だけど、日本代表は勝てるかな?」
「だからこそ応援するぞ、コータ」
「そうだね、ヒョウマ君!」
こうしてサッカー少年たちは、春休みも熱く燃え上がっていくのであった。
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読んで頂きありがとうございます。
また機会があったエピソードを投稿してみます。
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