エピローグ閑話:《澤村ヒョウマの話》
《エピローグ:澤村ヒョウマの話》
野呂コータの話を聞きたいだと?
ああ、いいぞ。
オレ様の知っていることなら、何でも話してやる。
◇
『とにかく最初は、大阪オリンピックの後の話を聞きたい』だと?
いいだろう、話してやろう。
あいつは金メダルを獲得した後に、オレ様と一緒に地元の社会人チームに入団。
世界中が驚いたサプライズ入団だった。
ここだけの話、批判的な意見も多かった。
『野呂コータは気がくるった』と『野呂コータの未来は終わった』『早熟だった野呂コータ』などと専門誌で叩かれたものだった。
これも仕方がない世間の反応かもしれない。何しろ金メダリストがプロリーグに行かず、下位の社会人リーグに行ってしまったのだから。
だがコータはそんな批判に、耳を貸すことすらしなかった。
お前たちも知っているだろう? あいつの恐ろしいまでの愚直に突き進んでいく性格を。
コータは前と同じように……いや、それ以上にサッカーに取り組んでいった。
もちろんあいつに負けないように、オレ様も同じチームでな。
そしてコータは宣言通りに、夢を実現していく。
地元チームを3年連続でリーグ優勝に導いたのだ。
そうだ、3年連続でだ。
つまりJFL、J3、J2と、3つのリーグの全てを怒涛の勢いで、連続優勝と昇格を成し遂げていったのだ。
ああ、もちろん集客問題やスタジアム問題も、あいつは解決していっていたぞ。
何しろ野呂コータのプレイを見たくて、日本中から……いや、世界中から観客と資金が、コータの周りに集まっていた。
コータがJ2で優勝を成し遂げる前には、2万人規模のサッカー専門スタジアムが、地元の街に完成していたのさ。
あいつは宣言通り、たった3年で地元にJ1クラブを作ったのさ。
この偉業には日本中のマスコミが、手の平を返をした。
『奇跡のオリンピック世代、野呂コータ!』『野呂コータ、小さな街にJクラブを!』『野呂コータ、J1でも奇跡を起こすか⁉』そんな感じの見出しが出ていた。
J1でも活躍していくであろうコータについて、マスコミはいろいろと予想して書いていたな。
◇
『今までありがとうございました! ボクは次の目標に向かって頑張ります!』
だが地元クラブをJ1に昇格させた直後、野呂コータは更なるサプライズを発表した。
3年間世話になった地元クラブを退団。
他のクラブに移籍する、と発表したのだ。
これには日本中が驚いていた。
何しろ日本のサッカーは、J1に昇格してからが本当の戦い。
それを捨てて、どこに向かうのか、誰も分からなったのだ。
『地元サポータも怒っていたのか?』だと?
普通の選手なら、普通ならそうなるだろう。
何しろ野呂コータはクラブの中心選手となっていた。
常識的に考えたら、裏切られたと! サポートも大激怒するであろう。
だが地元サポータは誰もが、あいつの退団を祝福していた。
何しろ野呂コータが3年で辞めることは、当初から地元で噂になっていたのだ。
まあ、非公式な退団予定だったという訳さ。
それに野呂コータがいなくなって、地元クラブの戦力は大丈夫だった。
「野呂コータとプレイしたい!」という有望な新人が、全国から続々と加入していたからさ。
だから地方クラブとは思えないような戦力が、残されたクラブに充実していたのだ。
そんな有望選手の中でも、その後に活躍していくのが“リベリーロ組”と呼ばれる選手たち。
野呂コータと同じジュニアチーム出身な先輩・同級生・後輩のメンバーたちだった。
あいつらリベリーロ組の根性は、このオレ様も認めている。
そんな努力と根性のリベリーロ組を中心に、地元クラブはJ1でも大躍進をしていくのであった。
これもすべては『野呂コータ・イムズ』が選手とスタッフに継承……いや、コータ病が伝染されていった結果である。
だから言っただろう?
あいつのサッカーバカは必ず感染するって。
◇
『その後のコータの話をして欲しい』だと?
ああ、いいぞ。
そんなに焦るな。
ちゃんと次に話してやるから。
地元クラブを退団した直後。野呂コータ二十歳。
『また今日から皆さんよろしくお願いします!』
地元クラブを退団したコータは、ドイツにいた。
中学時代に世話になったF.S.Vに再入団したのだ。
前回のアマチュア契約とは違い、今回は正式なプロとしての入団であった。
ちなみにオレ様も同じタイミングで、イタリアのユベトスFCに再入団した。
何しろ3年前は、中途半端に退団したからな。
こう見えてオレ様は義理に厚い人間だ。
『お前の話はいいから、野呂コータのF.S.V時代の活躍を教えてくれ?』……だと?
失礼な上に、愚問だな。
まあ、いいだろう。あいつの第二期F.S.V時代の話をしてやる。
その前に、コータがドイツに戻る前の、当時のドイツ1部リーグの状況を説明しておこう。
1部リーグに昇格した直後のF.S.Vは、あるチームに苦戦していた。
それは当時のドイツリーグ絶対的な王者『バイエリンFC』。
ああ、そうだ。
ドイツ最強と言われていたクラブ。
7年連続ドイツリーグの王者バイエリンFCの前に、当時のF.S.Vは2位に甘んじていたのだ。
『さあ、ユリアンさん! みなさん、いきましょう!』
だが野呂コータの再加入で、またF.S.Vは劇的に進化する。
新たなるプレイスタイルに挑戦していったのだ。
そして、ついにドイツ1部リーグで優勝。
数十年ぶりにF.S.Vは、ドイツリーグの覇者になったのだ。
これにはF.S.Vの町中が大盛り上がっていたな。
全市民がノーロ・コータの名前を連呼して、優勝の歓喜に浸っていた。
あの時はオレ様もF.S.Vの街に駆け付けた。
コータたちを最高に美味い、勝利のドイツビールを味わったもんさ。
そういえば知っているか?
酒に酔っ払ったコータは、面白いことになることを?
サッカーのことを永遠と語り出すんだぞ。まあ、本当に面白い奴だよな、コータは。
◇
『今までありがとうございました! ボクは次の目標に向かって頑張ります!』
F.S.Vをドイツリーグで優勝させた直後、野呂コータは更なるサプライズを発表した。
3年間世話になったF.S.Vを退団。
別のクラブに移籍することにしたのだ。
もう、分かっているのだろう?
その時もF.S.Vサポータは、誰も騒がなかった。
何しろ野呂コータが再在籍した3年間で、F.S.Vは更に強豪クラブへと進化していた。
だから次の道へ進んでいくノーロ・コータのことを、全員で気持ちよく送り出していたのだ。
まあ……だが、あの、うるさい金髪の女……エレナ・ヴァスマイヤーだけは、泣きながら、怒って笑って送り出していたな。
相変わらず素直になれない、あいつ等らしい関係だったな。
◇
『早く、その後のコータの話をして欲しい』だと?
そんなに焦るな。
ちゃんと次に話してやるから。
野呂コータ23歳。
『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』
コータが次に入団したのは、イングランドの小さなクラブであった。
プレミアリーグでも万年最下クラスのクラブ。
『何故そんな小さなクラブに入ったのか?』だと?
コータはF.S.Vを退団した後に、イギリスをブラブラ旅行していた。
そこで財布を無くして無一文になる。
そんな困った時に世話になった女が、その小さなクラブにいたという。
サッカー以外のことに関してはドジな、あいうらしいエピソードだな。
とにかく、そんな縁があって、あいつはイングランドの弱小クラブに入団したのさ。
ちなみにオレ様も同じタイミングで、フランスリーグに移籍していた。
イングランドとは高速列車ですぐの場所。いつでも会いに行ける距離だ。
『お前の話はいいから、早くイングランドの弱小クラブでの、野呂コータの話を教えてくれ!』だと?
またもや失礼なヤツだな。
ああ、教えてやろう。
野呂コータが在籍した3年間で、そのクラブは最終的にはプレミアリーグで優勝。
やる気のない経営陣や選手たちを、いつものようにサッカー馬鹿に感染させていったのさ。
ふん。
だからオレ様がいつも言っているであろう。
“野呂コータ”の感染力は半端ないと。
あいつが在籍した、たったの3年間で弱小クラブは、プレミアリーグでも有数の強豪へと進化していたのだ。
◇
『その次のクラブの話を聞きたい』だと?
おっと、焦るな。
これ以降の話は順々に話していってやる。
野呂コータ26歳。
『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』
イングランドで3年プレイした後、野呂コータはまた別の国のリーグにいた。
今後の国はスペイン……当時の世界最高峰のリーガ・エスパニューラだ。
そこでもヤツが入団したのは弱小クラブ。
スペインリーグで万年最下位クラスの、どうしようもないクラブだ。
理由は例によって助けてもった、恩返しだという。
道に迷っていたところ、助けらもらった恩返しだ。
ちなみに野呂コータの人生には、一度たりとも“移籍金”が発生していない。
常識的に考えたら、おかしな話だろ?
普通、奴クラスのワールドクラス級の選手には、一回の移籍で百億円クラスの金が動く。
だが野呂コータは移籍金を発生させないように、事前に契約していたのだ。
『3年契約で入団→退団してフリーになる→ぶらりとどこかの国に現れて、新人として入団する』
毎回こんな感じの流れ。
サッカー業界の普通なら、絶対にあり得ない選択である。
なぜならコータは移籍の度に入る大金を、自ら拒否していたことになるのだ。
『なぜ野呂コータはそんなことをするのか?』……だと?
それはお前らも知っているだろう?
アイツにとって金はどうでもいいのだ。
『いかに楽しいサッカーができるか!』……そんな子供みたいな本能だけ、コータはサッカーをしているのさ。
それにコータの金は、代理人のあの金髪の女が管理していた。だからコータは年中金欠に近い状態だったな。
『そんな金の話はいいから、早くスペインリーグでの野呂コータの活躍の話をしてくれだと?』
それは聞くまでもない愚問だな……と今回も言いたかった。
だが実は当時のスペインリーグには強敵がいた。
あのコータすらも手こずる集団。
それはレアロ・マドリードFC……当時、あの“無敵王子”セルビオ・ガルシアと、変態野郎……いや、“薔薇の貴公子”レオナルド・リッチの両エースを有するクラブであった。
あの二人が同じクラブにいるなんて、実際のところ反則級だ
当時のレアロ・マドリードは世界でも有数。“宇宙最強クラブ”の異名は伊達ではない。
さすがのコータも、セルビオとレオナルドの2人同時の相手は厳しかった。
『えっ、それなら、どうやって野呂コータはスペインリーグで活躍を?』……だと。
愚問だな。
偶然にもオレ様もスペインに移籍したいと、思っていたのさ。
3年食べたフランス料理にも、ちょうど飽きていたタイミングだった。
だからコータと同じスペインのクラブに入団。
約十数年ぶりのコータとオレ様の、同クラブのコンビの復活さ。
黄金コンビの前に敵はいなかった。
コータが入団した3年目には、クラブはレアロ・マドリードを倒し、スペインリーグの王者となったのだ。
あの時のレアロ・マドリードとの決戦……あれは人生でも何番目かにエキサイティングだったな。
特にコータの動きが、神がかっていた。
知っているか?
神がかったプレイを目にした時、人は試合中でも涙を流すんだぜ。
オレ様もコータのパスを受けて、自然と涙を流していた。
そして決戦でのコータのプレイに、世界中の視聴者が涙したという奇跡が起きたのさ。
◇
『ところでヨーロッパの選手たちは、そんなに簡単に移籍していいの?』だって。
愚問だな。
優秀な選手ほど、世界各国から打診がくる。
サッカー選手はその時の流れを読みながら、世界中のリーグを渡り歩くこともあるのだ。
もちろんオレ様にも常時、世界中からオファーが来ていた。
あのセルビオ・ガルシアやレオナルド・リッチも、各国のリーグを転々としていくのさ。
オレ様たち級になると、色んなクラブを移籍していくとで、自分の商品価値を更に高めていくのだ。
まあ、そんな中でも、特殊なのがユリアン・ヴァスマイヤーか。
奴は引退する最後の日まで、ずっとF.S.Vにクラブに所属していた。
ドイツ代表の主将と兼任しながら、F.S.Vの黄金期を引っ張っていた。
生真面目な奴らしい人生だったな。
◇
おっと、話がそれたな。
コータの話の続きをしていこう。
野呂コータ29歳。
『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』
有名な選手は、世界中のビッグクラブを転々とする。
そんな中でも更に特殊なのがコータだ。
あいつがスペインリーグの後に入団したのは、なんと中南米のサッカーリーグであった。
ここだけの話、当時の中南米リーグは、レベルは高くはない。
才能ある選手はほぼ全員、年棒の高いヨーロッパリーグに、引き抜かれてしまうからだ。
そんな時代でもコータは中南米リーグに飛び込んでいった。
29才の当時のコータの気力・体力とも最高潮の年齢。
市場価格は二百億円以上とも言われていた。
『そんな野呂コータがなぜ中南米リーグに入団を?』
わざと愚問を聞いてきているのか?
知っているだろう。
あいつはサッカーが出来れば、レベルの高さなど問題ないのさ。
サッカーボールがあって、面白そうな国なら、どこでも関係なく突進していくんだ。
『そんな中南米リーグでも野呂コータの活躍できたのか?』
それも愚問だな。
今回あいつが入団したことによって変化したのは、クラブだけはなかった。
中南米リーグ全体を、あいつは変えてしてしまったのだ。
当時はヨーロッパに比べて、人気がなかった中南米リーグの衛星放送。
コータはそれを一気に、ヨーロッパレベルまで上昇させてしまったのさ。
これにより中南米リーグの選手たちは、ヨーロッパリーグ並みの年棒を手にする。
今までヨーロッパに流出していた中南米の選手たちは、地元に残ってもプレイすることができるようになったのだ。
これにより中南米にある国のどん底経済が、改革されたとも言われている。
もちろん、その改革の陰の立役者はコータ。
あいつが動いたことによって、世界の通信王や、世界の政財界まで影響を及ぼしていたのだ。
ここまで話が大きくなるとは、さすがはコータ。
ワールドワイドにもほどがある。
まあ、あいつはそんな自覚もなく、中南米でもいつものようにサッカーボールを追いかけていたんだがな。
◇
『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』
それからのコータは同じように、世界中を駆け巡っていた。
約3年周期で、世界各地のサッカーリーグに移籍していく。
中南米の後は中東リーグ。
その後はオセアニア・リーグで、またヨーロッパの東欧リーグに戻る。
次はたしか東アジアリーグにいって、北米リーグにも移籍していたな。
とにかく移籍するクラブの、年棒やサッカーレベルは関係ない。
サッカーボールがあって楽しそうな地域に、たった一人で突撃していく感じだった。
『そんな地域で野呂コータの活躍できたのか?』……だと?
ああ。
もちろん、それも愚問だな。
今はヨーロッパリーグ1強は終わっているだろう?
世界中のリーグが台頭して、以前よりも何倍も盛り上がっているだろう?
そんな世界の地域のリーグが、ここまで発展しているのは、全部あいつが在籍した影響。
コータがいつものように突き進んでいって、伝染していった結果なのさ。
あと、一つだけオフレコの話もしてやろう。
国際サッカー連盟のFIFAを知っているだろう。
なら数年前にFIFAが起こした、あの不祥事を覚えているだろう?
ああ、そうだ。
ワールドカップに関する大不祥事だ。
あれは下手したら、世界のサッカーが下落しかねない、ヤバイ事件だった。
『えっ、それが野呂コータと何の関係が?』……だと?
ああ、そうだ。
その大事件を解決したのも、コータのお蔭だ。
あいつには自覚はないかもしれないが、野呂コータ・イムズによって世界サッカーは救われていたんだ。
ああ、そうだ。
これはオフレコだ……胸にしまっておけ。
◇
そういえばそんなコータのサッカー人生の中で、1年間だけ不思議な年があったな。
あれはアイツが31歳の時だったな。
その年だけ、コータは日本に戻ってきていた。
どこのクラブに所属することなく、地元の家でゆっくり過ごしていたな。
もちろん、ハードな自主練は欠かしていかなった。
理由は知らないが、31という歳はアイツにとって、特別な時だったのかもしれないな。
自分の人生を大きく変えるような年。
『野呂コータには不思議な力があると。オカルト雑誌で噂されていたが本当なのか?』だと?
たしかにコータには小さい時から、不思議な力があった。
世界中の大人でも編み出していない技を、幼い時からマスターしていた。
オカルト雑誌の記事の通り『野呂コータ未来人説』なんかも一時期は世間を騒がせていたな。たしかに、それなら全てが納得がいく。
だが、それがどうした?
あいつのプレイを見たことがある者は、そんな下らない噂話は聞いてもいない。
野呂コータの人の数倍の地道な鍛錬こそが、あいつが成功した理由だと、誰もが知っていたからだ。
もちろんオレ様も気にしてはいない。
あいつに聞いたこともない。その辺の個人の事情を直接聞くほど、オレ様は野暮ではないのさ。
◇
『最後に質問です。あなたが選ぶ歴代最強のサッカー選手は誰ですか? 野呂コータですか?』……だと?
愚問中の愚問を、最後に聞いてきたな。
答えるまでもない。
コータはそんな〝最強”という小さな枠に留まる選手じゃない。
あいつの歩んできた道がサッカーと共にあり、コータの存在が多くの人を笑顔にしてきた。
今までも……そして、これからもな。
あえて言うなら『野呂コータは最高のサッカーバカ』だ。
史上最高に真っ直ぐな努力の天才なのさ。
おっと、時間だ。
そろそろ、失礼する。
今のオレ様は忙しい。
これからコータと会う約束の時間なのだ。
『えっ、なんの約束?』……だと?
それが知りたければ、そのTVを付けてみろ。
ワールドカップ日本代表の澤村ヒョウマ新監督……オレ様の記者会見が映るからな。
そして、40代で未だに現役の野呂コータ……その12年ぶりの日本代表の復帰記者会見が映るからな。
さあ、これから、またアイツを中心に、世界中が騒がしくなるぞ。
◇
次回の最終エピソードで完結となります。