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エピローグ閑話:《澤村ヒョウマの話》

《エピローグ:澤村ヒョウマの話》


 野呂コータの話を聞きたいだと?


 ああ、いいぞ。

 オレ様の知っていることなら、何でも話してやる。



『とにかく最初は、大阪オリンピックの後の話を聞きたい』だと?

 いいだろう、話してやろう。


 あいつは金メダルを獲得した後に、オレ様と一緒に地元の社会人チームに入団。

 世界中が驚いたサプライズ入団だった。


 ここだけの話、批判的な意見も多かった。

『野呂コータは気がくるった』と『野呂コータの未来は終わった』『早熟だった野呂コータ』などと専門誌で叩かれたものだった。


 これも仕方がない世間の反応かもしれない。何しろ金メダリストがプロリーグに行かず、下位の社会人リーグに行ってしまったのだから。


 だがコータはそんな批判に、耳を貸すことすらしなかった。

 お前たちも知っているだろう? あいつの恐ろしいまでの愚直に突き進んでいく性格を。


 コータは前と同じように……いや、それ以上にサッカーに取り組んでいった。

 もちろんあいつに負けないように、オレ様も同じチームでな。


 そしてコータは宣言通りに、夢を実現していく。

 地元チームを3年連続でリーグ優勝に導いたのだ。


 そうだ、3年連続でだ。

 つまりJFL、J3、J2と、3つのリーグの全てを怒涛の勢いで、連続優勝と昇格を成し遂げていったのだ。


 ああ、もちろん集客問題やスタジアム問題も、あいつは解決していっていたぞ。


 何しろ野呂コータのプレイを見たくて、日本中から……いや、世界中から観客と資金が、コータの周りに集まっていた。


 コータがJ2で優勝を成し遂げる前には、2万人規模のサッカー専門スタジアムが、地元の街に完成していたのさ。


 あいつは宣言通り、たった3年で地元にJ1クラブを作ったのさ。


 この偉業には日本中のマスコミが、手の平を返をした。

『奇跡のオリンピック世代、野呂コータ!』『野呂コータ、小さな街にJクラブを!』『野呂コータ、J1でも奇跡を起こすか⁉』そんな感じの見出しが出ていた。


 J1でも活躍していくであろうコータについて、マスコミはいろいろと予想して書いていたな。



『今までありがとうございました! ボクは次の目標に向かって頑張ります!』


 だが地元クラブをJ1に昇格させた直後、野呂コータは更なるサプライズを発表した。


 3年間世話になった地元クラブを退団。

 他のクラブに移籍する、と発表したのだ。


 これには日本中が驚いていた。

 何しろ日本のサッカーは、J1に昇格してからが本当の戦い。

 それを捨てて、どこに向かうのか、誰も分からなったのだ。


『地元サポータも怒っていたのか?』だと?

 普通の選手なら、普通ならそうなるだろう。


 何しろ野呂コータはクラブの中心選手となっていた。

 常識的に考えたら、裏切られたと! サポートも大激怒するであろう。


 だが地元サポータは誰もが、あいつの退団を祝福していた。

 何しろ野呂コータが3年で辞めることは、当初から地元で噂になっていたのだ。

 まあ、非公式な退団予定だったという訳さ。


 それに野呂コータがいなくなって、地元クラブの戦力は大丈夫だった。

「野呂コータとプレイしたい!」という有望な新人が、全国から続々と加入していたからさ。

 だから地方クラブとは思えないような戦力が、残されたクラブに充実していたのだ。


 そんな有望選手の中でも、その後に活躍していくのが“リベリーロ組”と呼ばれる選手たち。

 野呂コータと同じジュニアチーム出身な先輩・同級生・後輩のメンバーたちだった。


 あいつらリベリーロ組の根性は、このオレ様も認めている。

 そんな努力と根性のリベリーロ組を中心に、地元クラブはJ1でも大躍進をしていくのであった。


 これもすべては『野呂コータ・イムズ』が選手とスタッフに継承……いや、コータ病が伝染されていった結果である。

 

 だから言っただろう?

 あいつのサッカーバカは必ず感染するって。



『その後のコータの話をして欲しい』だと?

 ああ、いいぞ。


 そんなに焦るな。 

 ちゃんと次に話してやるから。


 地元クラブを退団した直後。野呂コータ二十歳。


『また今日から皆さんよろしくお願いします!』


 地元クラブを退団したコータは、ドイツにいた。

 中学時代に世話になったF.S.Vに再入団したのだ。

 前回のアマチュア契約とは違い、今回は正式なプロとしての入団であった。


 ちなみにオレ様も同じタイミングで、イタリアのユベトスFCに再入団した。

 何しろ3年前は、中途半端に退団したからな。

 こう見えてオレ様は義理に厚い人間だ。


『お前の話はいいから、野呂コータのF.S.V時代の活躍を教えてくれ?』……だと?


 失礼な上に、愚問だな。

 まあ、いいだろう。あいつの第二期F.S.V時代の話をしてやる。


 その前に、コータがドイツに戻る前の、当時のドイツ1部リーグの状況を説明しておこう。

 1部リーグに昇格した直後のF.S.Vは、あるチームに苦戦していた。

 それは当時のドイツリーグ絶対的な王者『バイエリンFC』。


 ああ、そうだ。

 ドイツ最強と言われていたクラブ。

 7年連続ドイツリーグの王者バイエリンFCの前に、当時のF.S.Vは2位に甘んじていたのだ。


『さあ、ユリアンさん! みなさん、いきましょう!』


 だが野呂コータの再加入で、またF.S.Vは劇的に進化する。

 新たなるプレイスタイルに挑戦していったのだ。


 そして、ついにドイツ1部リーグで優勝。

 数十年ぶりにF.S.Vは、ドイツリーグの覇者になったのだ。


 これにはF.S.Vの町中が大盛り上がっていたな。

 全市民がノーロ・コータの名前を連呼して、優勝の歓喜に浸っていた。


 あの時はオレ様もF.S.Vの街に駆け付けた。

 コータたちを最高に美味い、勝利のドイツビールを味わったもんさ。


 そういえば知っているか?

 酒に酔っ払ったコータは、面白いことになることを?


 サッカーのことを永遠と語り出すんだぞ。まあ、本当に面白い奴だよな、コータは。



『今までありがとうございました! ボクは次の目標に向かって頑張ります!』


 F.S.Vをドイツリーグで優勝させた直後、野呂コータは更なるサプライズを発表した。


 3年間世話になったF.S.Vを退団。

 別のクラブに移籍することにしたのだ。


 もう、分かっているのだろう?

 その時もF.S.Vサポータは、誰も騒がなかった。

 何しろ野呂コータが再在籍した3年間で、F.S.Vは更に強豪クラブへと進化していた。


 だから次の道へ進んでいくノーロ・コータのことを、全員で気持ちよく送り出していたのだ。


 まあ……だが、あの、うるさい金髪の女……エレナ・ヴァスマイヤーだけは、泣きながら、怒って笑って送り出していたな。

 相変わらず素直になれない、あいつ等らしい関係だったな。



『早く、その後のコータの話をして欲しい』だと?


 そんなに焦るな。

 ちゃんと次に話してやるから。



 野呂コータ23歳。


『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』


 コータが次に入団したのは、イングランドの小さなクラブであった。

 プレミアリーグでも万年最下クラスのクラブ。


『何故そんな小さなクラブに入ったのか?』だと?


 コータはF.S.Vを退団した後に、イギリスをブラブラ旅行していた。

 そこで財布を無くして無一文になる。


 そんな困った時に世話になった女が、その小さなクラブにいたという。

 サッカー以外のことに関してはドジな、あいうらしいエピソードだな。


 とにかく、そんな縁があって、あいつはイングランドの弱小クラブに入団したのさ。


 ちなみにオレ様も同じタイミングで、フランスリーグに移籍していた。

 イングランドとは高速列車ですぐの場所。いつでも会いに行ける距離だ。


『お前の話はいいから、早くイングランドの弱小クラブでの、野呂コータの話を教えてくれ!』だと?

 またもや失礼なヤツだな。


 ああ、教えてやろう。

 野呂コータが在籍した3年間で、そのクラブは最終的にはプレミアリーグで優勝。

 やる気のない経営陣や選手たちを、いつものようにサッカー馬鹿に感染させていったのさ。


 ふん。

 だからオレ様がいつも言っているであろう。

 “野呂コータ”の感染力は半端ないと。


 あいつが在籍した、たったの3年間で弱小クラブは、プレミアリーグでも有数の強豪へと進化していたのだ。



『その次のクラブの話を聞きたい』だと?

 おっと、焦るな。

 これ以降の話は順々に話していってやる。


 野呂コータ26歳。


『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』


 イングランドで3年プレイした後、野呂コータはまた別の国のリーグにいた。

 今後の国はスペイン……当時の世界最高峰のリーガ・エスパニューラだ。


 そこでもヤツが入団したのは弱小クラブ。

 スペインリーグで万年最下位クラスの、どうしようもないクラブだ。


 理由は例によって助けてもった、恩返しだという。

 道に迷っていたところ、助けらもらった恩返しだ。


 ちなみに野呂コータの人生には、一度たりとも“移籍金”が発生していない。

 常識的に考えたら、おかしな話だろ?


 普通、奴クラスのワールドクラス級の選手には、一回の移籍で百億円クラスの金が動く。


 だが野呂コータは移籍金を発生させないように、事前に契約していたのだ。

『3年契約で入団→退団してフリーになる→ぶらりとどこかの国に現れて、新人として入団する』


 毎回こんな感じの流れ。

 サッカー業界の普通なら、絶対にあり得ない選択である。


 なぜならコータは移籍の度に入る大金を、自ら拒否していたことになるのだ。


『なぜ野呂コータはそんなことをするのか?』……だと?

 それはお前らも知っているだろう?


 アイツにとって金はどうでもいいのだ。

『いかに楽しいサッカーができるか!』……そんな子供みたいな本能だけ、コータはサッカーをしているのさ。

 それにコータの金は、代理人のあの金髪の女が管理していた。だからコータは年中金欠に近い状態だったな。


『そんな金の話はいいから、早くスペインリーグでの野呂コータの活躍の話をしてくれだと?』

 それは聞くまでもない愚問だな……と今回も言いたかった。


 だが実は当時のスペインリーグには強敵がいた。

 あのコータすらも手こずる集団。


 それはレアロ・マドリードFC……当時、あの“無敵王子”セルビオ・ガルシアと、変態野郎……いや、“薔薇の貴公子”レオナルド・リッチの両エースを有するクラブであった。

 あの二人が同じクラブにいるなんて、実際のところ反則級だ


 当時のレアロ・マドリードは世界でも有数。“宇宙最強クラブ”の異名は伊達ではない。


 さすがのコータも、セルビオとレオナルドの2人同時の相手は厳しかった。


『えっ、それなら、どうやって野呂コータはスペインリーグで活躍を?』……だと。

 愚問だな。


 偶然にもオレ様もスペインに移籍したいと、思っていたのさ。

 3年食べたフランス料理にも、ちょうど飽きていたタイミングだった。


 だからコータと同じスペインのクラブに入団。

約十数年ぶりのコータとオレ様の、同クラブのコンビの復活さ。


 黄金コンビの前に敵はいなかった。

 コータが入団した3年目には、クラブはレアロ・マドリードを倒し、スペインリーグの王者となったのだ。


 あの時のレアロ・マドリードとの決戦……あれは人生でも何番目かにエキサイティングだったな。

 特にコータの動きが、神がかっていた。


 知っているか?

 神がかったプレイを目にした時、人は試合中でも涙を流すんだぜ。


 オレ様もコータのパスを受けて、自然と涙を流していた。

 そして決戦でのコータのプレイに、世界中の視聴者が涙したという奇跡が起きたのさ。



『ところでヨーロッパの選手たちは、そんなに簡単に移籍していいの?』だって。

 愚問だな。


 優秀な選手ほど、世界各国から打診がくる。

 サッカー選手はその時の流れを読みながら、世界中のリーグを渡り歩くこともあるのだ。


 もちろんオレ様にも常時、世界中からオファーが来ていた。


 あのセルビオ・ガルシアやレオナルド・リッチも、各国のリーグを転々としていくのさ。

 オレ様たち級になると、色んなクラブを移籍していくとで、自分の商品価値を更に高めていくのだ。


 まあ、そんな中でも、特殊なのがユリアン・ヴァスマイヤーか。

 奴は引退する最後の日まで、ずっとF.S.Vにクラブに所属していた。


 ドイツ代表の主将と兼任しながら、F.S.Vの黄金期を引っ張っていた。

 生真面目な奴らしい人生だったな。



 おっと、話がそれたな。

 コータの話の続きをしていこう。


 野呂コータ29歳。


『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』


 有名な選手は、世界中のビッグクラブを転々とする。

 そんな中でも更に特殊なのがコータだ。


 あいつがスペインリーグの後に入団したのは、なんと中南米のサッカーリーグであった。


 ここだけの話、当時の中南米リーグは、レベルは高くはない。

 才能ある選手はほぼ全員、年棒の高いヨーロッパリーグに、引き抜かれてしまうからだ。


 そんな時代でもコータは中南米リーグに飛び込んでいった。

 29才の当時のコータの気力・体力とも最高潮の年齢。

 市場価格は二百億円以上とも言われていた。


『そんな野呂コータがなぜ中南米リーグに入団を?』

 わざと愚問を聞いてきているのか?


 知っているだろう。

 あいつはサッカーが出来れば、レベルの高さなど問題ないのさ。

 サッカーボールがあって、面白そうな国なら、どこでも関係なく突進していくんだ。


『そんな中南米リーグでも野呂コータの活躍できたのか?』

 それも愚問だな。


 今回あいつが入団したことによって変化したのは、クラブだけはなかった。

 中南米リーグ全体を、あいつは変えてしてしまったのだ。


 当時はヨーロッパに比べて、人気がなかった中南米リーグの衛星放送。

 コータはそれを一気に、ヨーロッパレベルまで上昇させてしまったのさ。


 これにより中南米リーグの選手たちは、ヨーロッパリーグ並みの年棒を手にする。

 今までヨーロッパに流出していた中南米の選手たちは、地元に残ってもプレイすることができるようになったのだ。


 これにより中南米にある国のどん底経済が、改革されたとも言われている。


 もちろん、その改革の陰の立役者はコータ。

 あいつが動いたことによって、世界の通信王や、世界の政財界まで影響を及ぼしていたのだ。


 ここまで話が大きくなるとは、さすがはコータ。

 ワールドワイドにもほどがある。


 まあ、あいつはそんな自覚もなく、中南米でもいつものようにサッカーボールを追いかけていたんだがな。



『皆さんはじめまして! 野呂コータと申します! よろしくお願いします!』


 それからのコータは同じように、世界中を駆け巡っていた。


 約3年周期で、世界各地のサッカーリーグに移籍していく。


 中南米の後は中東リーグ。


 その後はオセアニア・リーグで、またヨーロッパの東欧リーグに戻る。


 次はたしか東アジアリーグにいって、北米リーグにも移籍していたな。


 とにかく移籍するクラブの、年棒やサッカーレベルは関係ない。


 サッカーボールがあって楽しそうな地域に、たった一人で突撃していく感じだった。


『そんな地域で野呂コータの活躍できたのか?』……だと?


 ああ。

 もちろん、それも愚問だな。


 今はヨーロッパリーグ1強は終わっているだろう?

 世界中のリーグが台頭して、以前よりも何倍も盛り上がっているだろう?

 

 そんな世界の地域のリーグが、ここまで発展しているのは、全部あいつが在籍した影響。

 コータがいつものように突き進んでいって、伝染していった結果なのさ。


 あと、一つだけオフレコの話もしてやろう。

 国際サッカー連盟のFIFAを知っているだろう。


 なら数年前にFIFAが起こした、あの不祥事を覚えているだろう?


 ああ、そうだ。

 ワールドカップに関する大不祥事だ。

 あれは下手したら、世界のサッカーが下落しかねない、ヤバイ事件だった。


『えっ、それが野呂コータと何の関係が?』……だと?


 ああ、そうだ。


 その大事件を解決したのも、コータのお蔭だ。


 あいつには自覚はないかもしれないが、野呂コータ・イムズによって世界サッカーは救われていたんだ。


 ああ、そうだ。

 これはオフレコだ……胸にしまっておけ。



 そういえばそんなコータのサッカー人生の中で、1年間だけ不思議な年があったな。


 あれはアイツが31歳の時だったな。

 その年だけ、コータは日本に戻ってきていた。


 どこのクラブに所属することなく、地元の家でゆっくり過ごしていたな。

 もちろん、ハードな自主練は欠かしていかなった。


 理由は知らないが、31という歳はアイツにとって、特別な時だったのかもしれないな。

 自分の人生を大きく変えるような年。


『野呂コータには不思議な力があると。オカルト雑誌で噂されていたが本当なのか?』だと?

 たしかにコータには小さい時から、不思議な力があった。

 世界中の大人でも編み出していない技を、幼い時からマスターしていた。

 

 オカルト雑誌の記事の通り『野呂コータ未来人説』なんかも一時期は世間を騒がせていたな。たしかに、それなら全てが納得がいく。


 だが、それがどうした?

 あいつのプレイを見たことがある者は、そんな下らない噂話は聞いてもいない。

 野呂コータの人の数倍の地道な鍛錬こそが、あいつが成功した理由だと、誰もが知っていたからだ。


 もちろんオレ様も気にしてはいない。

あいつに聞いたこともない。その辺の個人の事情を直接聞くほど、オレ様は野暮ではないのさ。



『最後に質問です。あなたが選ぶ歴代最強のサッカー選手は誰ですか? 野呂コータですか?』……だと?


 愚問中の愚問を、最後に聞いてきたな。


 答えるまでもない。

 

 コータはそんな〝最強”という小さな枠に留まる選手じゃない。


 あいつの歩んできた道がサッカーと共にあり、コータの存在が多くの人を笑顔にしてきた。


 今までも……そして、これからもな。

あえて言うなら『野呂コータは最高のサッカーバカ』だ。

 史上最高に真っ直ぐな努力の天才なのさ。


 おっと、時間だ。

 そろそろ、失礼する。


 今のオレ様は忙しい。


 これからコータと会う約束の時間なのだ。


『えっ、なんの約束?』……だと?


 それが知りたければ、そのTVを付けてみろ。


 ワールドカップ日本代表の澤村ヒョウマ新監督……オレ様の記者会見が映るからな。


 そして、40代で未だに現役の野呂コータ……その12年ぶりの日本代表の復帰記者会見が映るからな。


 さあ、これから、またアイツを中心に、世界中が騒がしくなるぞ。











次回の最終エピソードで完結となります。

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