第151話:本当の夢へ向けて
閉会式の翌日の朝。
世界中がオリンピックの興奮の余韻に浸っていた。
そんな中、オレに旅立つ時間がやってくる。
3週間近くお世話になった選手村を、旅立つ日が来たのだ。
選手村のスタッフの皆さんに、オレは挨拶をして回る。
特に一番お世話になったレストランのスタッフの人には、一人ずつ挨拶をして回った。
「コータ君、元気でね! 食べっぷりのいいキミと、別れるのは寂しいわ」
「こんどウチの本店の方においで! コータ君のために大盛にするから!」
レストランの皆さんから、そんな暖かい言葉でもらった。
毎朝のように通っていたビュッフェスタイルのレストラン。
ランチや夕ご飯をサービスしてくれたお店屋さん。
スタッフの人たちは栄養面のサポートで、本当にお世話になった。
「まったく食いしん坊らしいコータよね」
「だがエレナ。これもコータ君の人望かもしれないぞ」
「そうね、ユリアン♪ 子猫ちゃんらしいわね♪」
最終日の朝も、エレナたちと一緒に朝食を食べた。
メンバーはいつものオレとヒョウマ君。
エレナとユリアン兄妹。
そしてイタリア代表で一人だけ残っていたレオナルドさん。
あと、いつもの朝食メンバーに今日は2人、特別参加していた。
「コータ、食いしん坊。学校でも弁当二つ食べている」
その内の一人はクラスメイトで、世界の歌姫であるMAYA。
彼女の願いで、今日はオレと一緒に朝食を食べていたのだ。
「それは本当、マヤ? ドイツ中等部から変わらないのね」
「コータの中学生時代……面白そう、エレナ」
「それなら、マヤ。今度、ドイツ時代のコータの写真を送ってあげるわ!」
エレナとマヤは、いつの間にか仲良くなっていた。
実はエレナは、歌手のMAYAの大ファンだったのだ。
デビューした時からの、追っかけていたという。
また特効薬を懸命に探してくれたエレナに対して、マヤも恩義を感じていた。
1才差で年も近いこともあり、仲良くなったのであろう。
「お兄ちゃんの写真なら、私も持っているよ、エレナ。プライベートの秘蔵もあるよ」
もう一人の朝食会の特別参加者は妹の葵。
マヤの付き添いということで、特別な許可をもらって今朝は入村していた。
「えっ、本当、アオイ⁉」
「本当よ、エレナ。小学生時代のカッコイイお兄ちゃんの写真もあるよ。あと幼稚園時代の可愛いお兄ちゃんの写真もね。今度メールするね」
「アオイ! ありがとう!」
葵とエレナはドイツ時代から仲がいい。
「私も見たい。コータの子ども時代」
「マヤにもメールするね。それから今度家に持っていくよ」
「ありがとう、葵」
更に葵はマヤとも、いつの間にか仲がよくなっていた。
だから葵を中心にして、エレナとマヤの三人は仲良くなっている。
それにしてもいつの間に三人で、メールアドレスも交換していたのであろうか?
女の子同士の世界は、男のオレには謎な世界だ。
『じゃあ、子猫ちゃん。お迎えが来たから、アタシは先に帰国するわ♪』
そんな中、レオナルドさんと別れる時が来た。
空港行きの専用ハイヤーが、選手村に到着したのだ。
「エレナ、私たちもそろそろ戻るぞ」
「ユリアンお兄様……そうですね」
直後、二人を乗せるハイヤーも、到着した。
エレナとユリアンさんとも、別れの時間がやってきたのだ。
『レオナルドさん、ユリアンさん、またピッチで会いましょう!』
二人と握手をして、別れの挨拶をする。
日本とヨーロッパは直行便でも10時間以上かかる。
普通は気軽に会いに行ける距離ではない。
『そうね、子猫ちゃん。その時は、またアタシを興奮させてちょうだいね♪ オーストラリアの地でね♪』
だが世界のサッカーの頂は、何個か決まっていた。
目指す場所が同じであれば、代表の選手は必ず再会できる。
「コータ君、2年後のワールドカップで再会できることを願っているよ!」
もちろんレオナルドさんとユリアンさんは、2年後も祖国の代表になるであろう。
だからセルビオ君と同じように、二人とも約束をする。
2年後のワールドカップで再会しようと。
今度は互いのトップチームの代表として、世界最高峰の場で戦おう……そう、誓い合う。
更に成長した自分の技と想いをぶつけ合う、戦場で再会を。
『じゃあね、みんな♪』
「さらばだ!」
挨拶をし終えたレオナルドさんとユリアンさんは、互いのハイヤーに乗り込んでいく。
「じゃあね、コータ……でも、私からは、お別れを言わないわよ。ちゃんと約束通り、私はドイツで待っているんだから!」
「そうだね、エレナ。いつになるか分からないけど、必ずF.S.Vにいくね!」
最後に残ったエレナは、元気そうだった。
いつもの彼女らしい笑顔で挨拶をしてくる。
「だからアオイとマヤも頼んだわよ! 日本でのコータの監視を、怠らないようにね!」
「うん。また定期的に連絡するね、エレナ」
「分かった、エレナ隊長」
何やら女子三人で、秘密の約束をしていたらしい。
前にもこんなことがあったような気がする。
“野呂コータ不可侵条約”とか……。
でも女の子同士の話は、詮索しない方がいい。
鈍感なオレも、これだけは察していた。
そして2台のハイヤーはゆっくりと動き出す。
国際空港へと出発するのだ。
『じゃあね、子猫ちゃん、子虎ちゃん♪』
「さよなら、コータ君!」
「コータ! 早くドイツに戻って来るのよ……私との約束なんだから! うぇーん……」
三人は窓から手を振って、最後の別れをしてきた。
エレナだけは大粒の涙を話している。
それに応えて、オレも大きく手を振って応える。
ハイヤーが見えなくなるまで三人を……大好きなサッカー同志の三人を、心を込めて見送っていくのだった。
◇
やがてハイヤーは見えなくなった。
選手村に残されたのは、オレとヒョウマ君、葵、マヤの4人だけになる。
「お兄ちゃん。私たちも家に戻ろう!」
「うん、そうだね、葵」
オリンピックが閉幕して、日本選手団も解散した。
後は各自で行動することになる。
オレと葵は東京の家に戻るスケジュール。
久しぶりの我が家で、しばらくゆっくりするつもりだ。
「ところで、コータ。今後のお前のサッカーはどうする?」
「えっ、ヒョウマ君? ボクの今後? そうだね。まずは9月から地元に戻るよ!」
今は夏休みの終盤。
来週からは高校生活の新学期となる。
だがオレは東京を離れて、地元の青森県に戻る予定だった。
オリンピックが終わったら地元に戻る……これは去年からのスケジュール。
転校の手配はすでに終えている。
父親や学園長に協力してもらったのだ。
「向こうに戻ったらボクは、まずは地元のサッカークラブに入団を申し込むつもりだよ。もしも合格したら、高校生をしながら、社会リーグでプレイするつもりだよ!」
オリンピックが終わって、いよいよ時が来た。
オレはついに行動を起こすのだ。
前世で応援していた地元の社会人チームの入団テストを、受ける予定だった。
オレが31歳の時……14年後に消滅してしまう地元チームを、救うために選手として入団するのだ。
「そしてボクはJ1を目指すんだ……オレ一人だけの力じゃ、どうにもならないかもしれないけど……あの街にJ1のクラブを!」
オレの地元クラブは、今まだ小さな社会人クラブである。
理論上は『社会人リーグJFLで優勝→J3で優勝→J2で優勝→J1昇格』
と最短で3年でJ1に昇格できる。
優勝以外にもスタジアム問題、観客数などで課題は山積み。
茨の道が待っているのであろう。
だが勝利さえ積み重ねていけば、観客数やお金問題は解決でき、いつか必ずJ1に昇格できるのだ。
そしてJ1にさえ昇格できたら、オレの役目は終わる。
地元チームの消滅のフラグは、完全に消えてくれるのだ。
「地元の社会人クラブの入団テストを受けるだと? コータ、正気か? お前、世界中からオファーが来ているんだろう?」
「うん、ヒョウマ君……こんなボクに有り難いことだね」
実はオリンピックが終わってから、大変なことが判明した。
それは世界中のサッカークラブから、移籍のオファー来ていたのだ。
日本国内のJ1チームから数か所。
ヨーロッパの各国のクラブから10カ所以上。
中南米やアジアクラブからも打診が来ていた。
オレの代理人(仮)であるエレナの元に、メールや電話がひっきりなしに届いていたという。
オリンピック決勝が終わって、落ち着いたオレに、彼女が報告してくれたのだ。
「それならコータ。お前は自分の価値を、ちゃんと自覚した方がいいぞ? 今やお前は世界中が注目するプレイヤー。社会人クラブの入団テストを受けていい、レベルじゃないんだぞ!」
「うん、そうかもしれないね、ヒョウマ君……」
ヒョウマ君が怒るのも無理はない。
世界中からのビッグオファーを蹴って、国内の小さなクラブにいく。
そんな選手、オレも聞いたことがない。
単純に計算しただけでも数億円の年棒を、ドブに捨てることになるのだ。
「でも、ヒョウマ君……ボクは決めたんだ! 自分の生まれ育った街に……Jのクラブとスタジアムを誕生させる……その手伝いを全力でするって!」
世界中からのオファーは、エレナに全て断ってもらっていた。
あと最低でも3年は、どんなビッグクラブからも、連絡は受けないと頼んでおいた。
『本当にコータはサッカーバカよね……』ってエレナも笑って呆れていた。
でも、オレには一寸の迷いもない。
この想いを貫くために、今世のオレは生きてきた。
14年間の全時間を、サッカーに捧げてきたのだ。
「ふん。相変わらずサッカーバカだな、お前は」
「ごめんね、ヒョウマ君。こんなボクで……」
イタリアでプレイするヒョウマ君とは、またしばらく離れてしまうであろう。
ヒョウマ君にはセリエAでの栄光の道が、待っている。
今回のオリンピックで大活躍したから、更にビッグクラブから打診も来ているとい噂もあった。
寂しいけど、オレとは別世界に進んでいくのだ。
「おい、コータ。5%+6%はいくつだ?」
「えっ? 11%だけど……どういう意味、ヒョウマ君?」
いきなりヒョウマ君が変な質問をしてきた。
小学生でも分かる単純な足し算。
質問の意図が分からず、オレは首をかしげる。
「いや、オリンピックで優勝できた今は、もう少し確率が上がっているかもな。オレ様が10%で、コータが9.99%あたりで妥当かもしれんな?」
「えっ……だから、どういう計算なの、ヒョウマ君?」
何かの数値がさらに上がっていく。
ヒョウマ君が10%
オレが少し低い9.99%
これは、なんの確率の数値なんだろう。
「ふん。相変わらず鈍いヤツだな、お前は。小学6年の引退式の前のことを、もう忘れたのか?」
「小学6年の引退式の前のこと? もちろん、覚えているよ、ヒョウマ君!」
それは忘れもしない青春の出来ごと。
中学の進学で悩んでいたオレに、ヒョウマ君が本気でぶつかってきてくれたこと。
早朝の練習場での本気の対決。
互いに足が動かなくなるまで、1対1のガチ勝負したのだ。
そういえば、勝負のあとに確率の話をしたような気がする。
でも、それって……。
「ようやく思い出したようだな、コータ。オレ様も来月から日本に戻ってくる。お前と同じ地元のクラブの入団テストを、受けるためにな!」
「えっ……」
ヒョウマ君の口から出た言葉。
まさかのことにオレは固まってしまう。
「何を言っているの、ヒョウマ君⁉ キミはユベトスFCのレギュラー選手でしょ? 契約とはどうするの⁉ なんで、セリエAの選手が、日本の地方チームになんかに⁉」
直後に強い言葉が出てしまう。
正直なところヒョウマ君の言葉は、死ぬほど嬉しかった。
だが彼はオレにとっての太陽的な存在。
今は日本に埋もれてしまっていい才能ではないのだ。
「オレ様とユベトスFCとの契約は、8月31日でちゃんと切れる。これは入団前から正式に決めていたことだ。移籍金も発生しない、特別な契約でオレ様はユベトスFCに入団していたのさ」
ヒョウマ君は全てを見込んで動いていた。
誰にも迷惑がかからないように正式な契約で、イタリアでプレイしていたのだ。
「でも、ヒョウマ君……ヒョウマ君の輝かしい未来が……なんで、ヨーロッパを捨ててまで……」
ヒョウマ君のことを止めないと。
だがオレは言葉を続けることが出来なかった。
何故なら涙は溢れてきたから。
ヒョウマ君の暖かい想いが、オレの胸の琴線を触れていたのだ。
「愚問だ、コータ。オレ様もサッカーバカだからな。どこかの誰かさんに負けないくらいにな。それにあの時の勝負で、オレ様は言っただろう? 『大人になったら手伝ってやる』って。だから、お前の夢を手伝ってやる」
「ヒョウマ君……」
オレは言葉を続けることが、もうできなくなっていた。
ヒョウマ君の……友の真剣な想いに、胸が張り裂けそうになっていたから。
涙がこぼれてしまって、言い訳を続けることができなかったのだ。
「もう。ヒョウマ君は……本当に頑固で、サッカーバカなんだから……」
「ああ、そうかもな。お前と同じくらいの、重症なサッカーバカだな」
サッカー界に天才は多い。
だはヒョウマ君ほど努力を重ねる天才を、オレは他に誰も知らない。
「そういえば、そうだね、ボクたちは……」
「そもそも小学生時代にこの病気は、コータ病からうつったかもしれんな、オレ様も」
コータ病⁉
そんなの単語は初耳だった。
「えー、それは、少し言いすぎだよ、ヒョウマ君!」
「知らなかったのか、コータ? お前のサッカーバカ“コータ病”は周りに伝染するんだぞ? リベリーロのヤツらや、F.S.Vの連中、お前の周りにいる女共。あと対戦相手すらも巻き込んで感染していく伝染力なんだぞ? 更にオレ様のオヤジの話だと、日本サッカー協会の中にも感染者はいたらしいぞ……」
「そ、それは……ボクに言われても、困るよ、ヒョウマ君」
話がバイオハザード級になってきた。
自覚がまったくないオレは、何も言えなくなる。
「まあ、そんなお前だからこそ、一緒にサッカーして楽しんだがな」
「うん、そうだね、ヒョウマ君! サッカーは本当に楽しいね!」
話がサッカーに戻ってきたので、オレも元気を取り戻す。
「じゃあ、私もお兄ちゃんと一緒にサッカー頑張るね!」
「おお、葵、サッカーに本気を⁉」
葵のサッカーの才能は、レオナルドさんたちも認めるほど。
だが妹は今まで一度も、本気でサッカーに突き進んでいなかった。
そんな葵が本気でサッカーを頑張ったら、どうなるか想像もできない。
「私、コータと同じ街、引っ越そうかな」
「えっ、マヤ? なんで、いきなり⁉」
葵の隣にいたマヤが、いきなり変な提案をしてきた。
なぜオレの地元に引っ越す必要あるんだ?
「コータ、セイレーン病の再発防止には、美味しい空気と、精神の安定が必要」
「いいね、マヤ。それなら私の家においでよ。部屋も余っているから。ママとパパには私から、話しておくから!」
「分かった、葵。世話になる」
女子二人で話がどんどん進んでいく。
まさかの冗談だと思うけど、マヤの目は本気。
もしかしたら本当に引っ越してくるのかな……あまり深く考えないようにしておこう。
「さて、時間だ。そろそろ、戻るぞ、コータ」
「うん、そうだね。ヒョウマ君!」
皆と話したいことは、まだ沢山ある。
でも来月からはヒョウマ君とは、また同じ街で暮らせる。
話をする時間は、これから沢山ある。焦ることはない。
その時は、一体なにから話そうかな?
やっぱり高校時代のことからかな。
それと昔の話も楽しそう!
あと……
「いくぞ、コータ。置いていくぞ」
「ああ、待ってよ、ヒョウマ君!」
だが今は振り返っている時ではない。
こうしてオレたちは次なるステップへ進んでいくのであった。
◇
それから日が経ち、暦は9月になる。
オリンピックも終わり、サッカー界も少し落ち着いた感じとなっていた。
だがそんな中、世界中を驚かせる発表があった。
大阪オリンピック、サッカー金メダルの立役者。野呂コータと澤村ヒョウマ。
この両名が世界中のビッグクラブの打診を断り、日本の地方の小さな社会人チームに入団テストに合格。
世界中のニュースを騒がせていたのだ。
「よしっ! 合格したぞ!」
こうしてオレは夢への第一歩を、ようやく踏み出すことが出来たのだった。